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レーン最後の事件
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【この小説が収録されている参考書籍】
レーン最後の事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 21~40 2/3ページ
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エラリー・クィンの中でも、このレーン・シリーズはすべて読みました。有名なX・Y・Z。すべて面白かったと思います。 | ||||
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訳が下手すぎて常にイライラさせられる。 中学生が訳したかのような直訳だった。 | ||||
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本格的推理小説の代表作です。エラリー・クイーンの作品は他に有名な「Xの悲劇」、「Yの悲劇」、「Zの悲劇」がありますが、「ドルリイ・レーンの最後の事件」はその中でも最高です。1930年代に書かれたこの作品は今でも十分に楽しめます。是非ご一読をお勧めします。 | ||||
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「Xの悲劇」から順に読んできた人は、 この作品のクライマックスで相当の衝撃を受けるでしょう。 この作品自体だけでなく、「悲劇」四部作自体がこのクライマックスのお膳立てと言っても過言ではないかも。 なので「X」→「Y」→「Z」と読んでから読むべき一作。 「X」「Y」はそれ自体名作と評価が高いのもありますが、 「Z」からの新キャラクター、サム警部の娘ペーシェンスも今作で重要な役割がありますし。 惜しむらくは、謎が解明され始める終盤までの冗長・退屈な展開。 不可能犯罪・密室殺人が起こるわけでもなく、なんだか不思議な事件を地味に追う感じなので、 正直読み進めるのが大変でしたw | ||||
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越前新訳の「ドルリー・レーンもの」四部作の最終編である。オリジナルが1933年リリースということであるが、何ら色褪せない名作中の名作を21世紀の今、新しい翻訳で再読できることにむしろ興奮する。 越前氏が「あとがき」で書いているように、このシリーズは「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」ときてこの「最後の事件」まで、順番に読むことにこそ意味があるのだ。初めてこのシリーズを読む読者はその事をくれぐれもお忘れなく。 名作は既に過去に読んでいる作品でありながら、当然犯人を知っているにもかかわらず、あらためて再読しても、面白さが失せることなく、ストーリー展開を堪能できるものだ。本書はまさにそのような一冊。 | ||||
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まさかこのような展開になるとは。まったく予想していなかった展開に驚きました。 しかし最後の最後まで真相がわかりませんでした。 悲劇シリーズで大活躍した元舞台俳優のドルリー・レーンが鮮やかに事件を解決し、優秀の美を飾ります。 この四部作はどれもよかったですが、その全てを読んでこそ本当の悦びが実感できることでしょう。 ぜひ『Xの悲劇』から順番に読んで頂きたいです。 最初にこの本を読んでも面白いですが、やはり『Xの悲劇』から順番に読んだ方がよりいっそう楽しめます。 | ||||
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シャーロック・ホームズものを除けば、最も読んだ回数の多い「ミステリ」。 「仕掛け」は一度読めばわかっているのだが、再読に耐えるとはどういうことだ? Xの悲劇、Yの悲劇、Zの悲劇から続く、「レーン」ものを、巨匠エラリィ・クイーン(のコンビ)が敢えて別名義で執筆したのは、この一作のためであったと充分に納得できる。 生まれ育った背景や、年齢を超越して楽しめる作品だし、読後の余韻が長く続く。 陳腐ではあっても「不朽」と表現すべき作品だと思う。 ミステリ好きなら読んでおくべきであろうし、読む順は(X-Y-Z-本作)間違えてはいけないだろう。 邦題も「最後の悲劇」でなく原題(Drury Lane's Last Case)=「ドルリー・レーン最後の事件」がやはり適切であると思う。 | ||||
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唖然、そして、衝撃。 これは四部作に実にふさわしい 終わり方でした。 ただ、結末は賛否両論かな。 テイストとしては「Zの悲劇」に さらに地味さがプラスされた感じです。 とにかく、地味といったらありゃしない。 だけれども、そこのところはご辛抱を。 それに見合うほどの結末が待っていますから。 もはやこの終わり方は 「完全体」でしょう。 他に言いようがありません。 多くは語りません。 読んで真相を知るのが 一番なのです。 この作品は。 | ||||
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唖然、そして、衝撃。 これは四部作に実にふさわしい 終わり方でした。 ただ、結末は賛否両論かな。 テイストとしては「Zの悲劇」に さらに地味さがプラスされた感じです。 とにかく、地味といったらありゃしない。 だけれども、そこのところはご辛抱を。 それに見合うほどの結末が待っていますから。 もはやこの終わり方は 「完全体」でしょう。 他に言いようがありません。 多くは語りません。 読んで真相を知るのが 一番なのです。 この作品は。 | ||||
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すべてはドルリー・レーンという人物を語るためにあったのです。「X」ではその登場。「Y」では彼に「狂気」に立ち向かわせ、「Z」では彼に対してもう一人の、かつ真の探偵役となるペーシェンスが登場。そして本作において、ドルリー・レーンは読者に思いもよらぬ姿を現わし、これを最後に舞台から永久に去るのです。 今回の彼の役は「探偵」ではありません。「最後のあいさつを送る演劇界の長老」が彼の役なのです。 事件や謎についてくだくだと語るのは野暮でしょう。これは老俳優の最後の舞台。鑑賞する我々は彼らが演じる物語に耽溺し、巧みな演技と演出に誘い込まれ、そして驚くべき結末に喝采をもって彼の最後を送るべきです。 ドルリー・レーン。「探偵」を演じた狂気のごとき俳優。 『彼は潔く去り、彼の負目を償えりと聞く、 されば、神よ、彼とともにいませ!』 また会う日まで――― ドルリー・レーン | ||||
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すべてはドルリー・レーンという人物を語るためにあったのです。「X」ではその登場。「Y」では彼に「狂気」に立ち向かわせ、「Z」では彼に対してもう一人の、かつ真の探偵役となるペーシェンスが登場。そして本作において、ドルリー・レーンは読者に思いもよらぬ姿を現わし、これを最後に舞台から永久に去るのです。 今回の彼の役は「探偵」ではありません。「最後のあいさつを送る演劇界の長老」が彼の役なのです。 事件や謎についてくだくだと語るのは野暮でしょう。これは老俳優の最後の舞台。鑑賞する我々は彼らが演じる物語に耽溺し、巧みな演技と演出に誘い込まれ、そして驚くべき結末に喝采をもって彼の最後を送るべきです。 ドルリー・レーン。「探偵」を演じた狂気のごとき俳優。 『彼は潔く去り、彼の負目を償えりと聞く、 されば、神よ、彼とともにいませ!』 また会う日まで――― ドルリー・レーン | ||||
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レーン4部作の最後を飾る作品。しかし、内容については以下の点で不満がある。 1.レーンは記号の意味を推理ではなく偶然知っただけなのに、それをペイシェンスたちに教えなかったのは不自然。 2.ペイシェンスたちを襲った襲撃者が、「エイルズ博士」から書類を渡されたサムではなくレーンを尾行していたのも極めて不自然。 3.ペイシェンスは後の推理で、第2の訪問者は「エイルズ博士」からカギを奪ったハムネットであると推理するが、それはあくまでも「エイルズ博士」の供述に基づくものであり、第1の訪問者がマックスウェルから合鍵を奪ったハムネット、第2の訪問者が「エイルズ博士」ではあり得ないとの論証にはならない。 4.ペイシェンスは、真犯人を特定した「ある身体的特徴」について、真犯人がその身体的特徴を有する未知の第三者ではあり得ないとの論証を怠っている。 以上、推理や物語の進行には不満は残るものの、4部作を締めくくるに相応しいドラマチックな内容で、ラストには、著者最高傑作の「Yの悲劇」などをも凌ぐ最大級の衝撃が待ち構えている。 | ||||
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レーン4部作の最後を飾る作品。しかし、内容については以下の点で不満がある。 1.レーンは記号の意味を偶然知っただけなのに、それをペーシェンスたちに教えなかったのは不自然。 2.ペーシェンスたちを襲った襲撃者がレーンを尾行していたのはとくに極めて不自然。 3.ペーシェンスは後の推理で、第2の訪問者は「エールズ博士」からカギを奪ったハムネットだと推理するが、それはあくまでも「エールズ博士」の供述によるもので、第1の訪問者がマックスウェルから合鍵を奪ったハムネット、第2の訪問者が「エールズ博士」ではあり得ないとの論証にはならない。 4.ペーシェンスは、真犯人を特定した「ある身体的特徴」について、真犯人がその身体的特徴を有する未知の第三者ではあり得ないとの論証を怠っている。 以上、推理や物語の進行には不満は残るものの、4部作を締めくくるに相応しいドラマチックな内容で、ラストには著者最高傑作の「Yの悲劇」などをも凌ぐ最大級の衝撃が待ち構えている。 | ||||
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本書は『Xの悲劇』『Y〜』『Z〜』と本書からなる「ドルリー・レーン四部作」の最終作で、レーンが元シェイクスピア俳優であることから、シェイクスピア四大悲劇(『ハムレット』『マクベス』『リア王』『オセロー』)にちなんで四部作とされたものと思われる。 『X』『Y』はいずれも作者の最高傑作と名高い作品で、本書はこれら「四部作」を締めくくるにふさわしく、その論理性・ 驚愕度ともに実に見事で、またもっともドラマチックな作品でもある。 ただし、本書だけを読んでも驚愕度やドラマ性には欠ける。本書はあくまでも「四部作」を1冊の本とした場合の最終章にあたるので、「四部作」すべてを順番に読むべきである。(『Z』はやや落ちるが、本書のカギを握るペイシェンスが初登場するので、辛抱(ペイシェンス)して読んだほうがいいだろう) なお、本書について「アンフェア」という意見が聞かれないのは少し不思議である。 クリスティーの『アクロイド殺し』をアンフェアと主張する人が未だにいるが、多くはその理由を「読者から見て当然信頼すべき人物を真犯人とする設定にしたことが、読者に対する裏切り行為、すなわちアンフェアである」というものである。 しかし、その主張はそのまま本書にもあてはまる。 もしも『アクロイド』をアンフェアと主張するならば、上記に該当する本書や、『アクロイド』とまったく同じプロットの他の著者の作品も同様にアンフェアと主張すべきである。 なお、私自身は本書も『アクロイド』もアンフェアとは少しも思わない。登場人物すべてを疑うのは、推理小説読者の義務と考えるからである。 | ||||
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本書は『Xの悲劇』『Y〜』『Z〜』と本書からなる「ドルリー・レーン四部作」の最終作で、レーンが元シェイクスピア俳優であることから、シェイクスピア四大悲劇(『ハムレット』『マクベス』『リア王』『オセロー』)にちなんで四部作とされたものと思われる。 『X』『Y』はいずれも作者の最高傑作と名高い作品で、本書はこれら「四部作」を締めくくるにふさわしく、その論理性・ 驚愕度ともに実に見事で、またもっともドラマチックな作品でもある。 ただし、本書だけを読んでも驚愕度やドラマ性には欠ける。本書はあくまでも「四部作」を1冊の本とした場合の最終章にあたるので、「四部作」すべてを順番に読むべきである。(『Z』はやや落ちるが、本書のカギを握るペイシェンスが初登場するので、辛抱(ペイシェンス)して読んだほうがいいだろう) なお、本書について「アンフェア」という意見が聞かれないのは少し不思議である。 クリスティーの『アクロイド殺し』をアンフェアと主張する人が未だにいるが、多くはその理由を「読者から見て当然信頼すべき人物を真犯人とする設定にしたことが、読者に対する裏切り行為、すなわちアンフェアである」というものである。 しかし、その主張はそのまま本書にもあてはまる。 もしも『アクロイド』をアンフェアと主張するならば、上記に該当する本書や、『アクロイド』とまったく同じプロットの他の著者の作品も同様にアンフェアと主張すべきである。 なお、私自身は本書も『アクロイド』もアンフェアとは少しも思わない。登場人物すべてを疑うのは、推理小説読者の義務と考えるからである。 | ||||
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X,Y,Zと続いてきて、そして、最後の最後に大どんでん返し。他の文庫では、「最後の悲劇」とも呼ばれているドルリー・レーンもの悲劇4部作の最終章。「Yの悲劇」が、エラリー・クイーンの最高傑作とも言われているが、私は、X、Y、Zすべてこの最終章を導くための伏線であったと考える。最後の1〜2ページにドルリー・レーンの思いがすべてこもっている、ペイシェンス・サムの思いがすべてこもっている、そして読者を引きつけてやまないミステリー作家エラリー・クイーンに対する絶賛の拍手を送るのだ。 | ||||
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ほんとうにお別れと自覚させられる小説。 シェークスピアを愛するレーンにふさわしい最後。 こんな別れ方もあるの? 悲しすぎる。 衝撃的だからこそ ドルリー・レーンは忘れられない方です。 さようなら レーン。 | ||||
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ほんとうにお別れと自覚させられる小説。 シェークスピアを愛するレーンにふさわしい最後。 こんな別れ方もあるの? 悲しすぎる。 衝撃的だからこそ ドルリー・レーンは忘れられない方です。 さようなら レーン。 | ||||
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悲劇4部作の悼尾を飾る作。私は中学生の時、4部作と知らず本作を最初に読んだ。その時の邦題は「最後の悲劇」(40年くらい前の話です)。その頃は「***」が犯人というパターンを知らなかったので、結末には本当に驚いた。本作により、元シェークスピア俳優レーンを4部作の探偵役に選んだ理由が分かる。また、何故作風を変えてまで、探偵役クィーンを変えてまで4部作を構想したかが分かる。全てはこの1作を書くためだったのだ。 この作品ではサム警部の娘ペイシェンスが実質的な探偵役を努める。随分謹厳実直な名前を付けるなと感じた(ペイシェンス=忍耐)が、これもサム警部の人柄を改めて表すためかなぁと思った。このペイシェンスの明るさと頭脳明晰さが作品を随分救っていると思う。いずれにせよ、個人的には中学校時代の思い出深い1作である。 | ||||
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悲劇4部作の悼尾を飾る作。私は中学生の時、4部作と知らず本作を最初に読んだ。その時の邦題は「最後の悲劇」(40年くらい前の話です)。その頃は「***」が犯人というパターンを知らなかったので、結末には本当に驚いた。本作により、元シェークスピア俳優レーンを4部作の探偵役に選んだ理由が分かる。また、何故作風を変えてまで、探偵役クィーンを変えてまで4部作を構想したかが分かる。全てはこの1作を書くためだったのだ。 この作品ではサム警部の娘ペイシェンスが実質的な探偵役を努める。随分謹厳実直な名前を付けるなと感じた(ペイシェンス=忍耐)が、これもサム警部の人柄を改めて表すためかなぁと思った。このペイシェンスの明るさと頭脳明晰さが作品を随分救っていると思う。いずれにせよ、個人的には中学校時代の思い出深い1作である。 | ||||
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