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コリーニ事件
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コリーニ事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 21~40 2/3ページ
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少し前に読んだフェルディナント・フォン・シーラッハ著『犯罪』を読み、他の作品も読みたいと思い本書『コリーニ事件』(2011年)を読むことにした。 著者のフェルディナント・フォンシーラッハは、ドイツでも著名な刑事事件弁護士として、元東ドイツ政治局員ギュンター・シャボフスキーや、ドイツ連邦情報局工作員ノルベルト・ユレツコの弁護に携わり、ドイツでも屈指の弁護士と見なされている(ウィキペディアより引用)。 本書を読み終え、なによりも興味深かったのは、ドイツの司法制度や法廷のリアルな描写であったが、著者の経験からすれば当然だと思いながら読み進んだ。 が、なによりも驚いたのは著者が司法の場にありながら、法の瑕疵を世に問うような小説を書く矜持である。 この小説が出版されてから数ヶ月後の2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣は法務省に「ナチの過去再検討委員会」を設置したと、巻末に記されていたから、この小説の影響がもたらしたのであることは間違いないだろう。 イタリアのバルチザンというすこし毛色の変わった題材を用いながら、ナチスドイツの狂った時代をリアルに描く著者の筆力に魅了されてしまった。 アメリカやイギリスの法廷シーンを扱った小説は、数多く読んできたが、ドイツの法廷ものにはなじみがなく興味深く読めたことも附記しておきたい。 最近、上・下巻で刊行されるミステリ文庫本が多い中、本書のようなページ数でも優れた内容の文庫本は貴重であると思ってしまった。 フェルディナント・フォン・シーラッハの他作品も読んでみたいと思いながら本書『コリーニ事件』を読み終えた。 | ||||
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刑事事件専門の弁護士としての経験を生かし,多数の法廷劇を執筆してきたドイツの作家による,余りにもシリアスで衝撃的な1冊です。 67歳のイタリア人男性が,ホテルの一室に滞在している85歳のドイツ人男性を拳銃で殺害する。加害者は,朴訥だが技能に優れた元自動車組立工。被害者はドイツを代表する大企業を束ねる大富豪にして温和な人格者。両者に接点はない・・・冒頭から結論は明らかに見えた事件だったが,わずかな現場証拠から,両者の意外な過去が浮かび上がり・・・・。 サスペンスとしても,中盤以降の緊迫感は素晴らしいものがありますが,それ以上に,長い歳月を経ても癒えることのない憎悪や悲しみ,解決することのできない問題があることを非情なまでに淡々と突きつけた社会小説としても,深く考えさせられることが多く秀逸だと思います。 ドイツでは,本書の発刊を契機に,戦時中の犯罪について再検討する委員会が立ち上げられたそうです。 「わたし、すべてを背負っていかないといけないのかしら」 「きみはきみにふさわしく生きればいいのさ」 登場人物たちが最後に交わす言葉が,重く胸に突き刺さります。多くの人々からすれば「歴史上の記録」として風化してしまった出来事も,当事者にとっては,一生癒えることのない傷であったり,末裔までもが重い十字架を背負わなければならない罪であったりする・・・その重みに言葉を失うほど圧倒された1冊でした。 | ||||
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長編と言っていいのだろうか? 昔々ならこのくらいの長さのお話はよくあったのだが、イマドキの長編は基本400p以上だから中編と言ってもいい。 それだからというわけではないが、とてもシンプル。 本格推理のようにどんでん返しや驚愕の謎があるわけではない(ネタバレじゃないよね)。 だから余計にリアリティが感じられるのかもしれない。 デビュー作『犯罪』(タイトルが嫌)がえらく評価され、へそ曲がりの私はこの作家のものを敬遠しておりましたが(そんな方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?)この本の薄さとなんとなくいい装丁にほだされて遂に手にしてしまいました。 余計なものがないホントらしさが、このお話の魅力ではないでしょうか。 フェルディナンド・フォン・シーラッハ・・・とても覚え難い名まえです。 ただ文章は読みやすい。 これから『犯罪』を読んでみようと思います。 | ||||
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とても薄い本なので、読む前は果たしてミステリーとして満足しうるのかと疑問でしたが、読み始めるとそこはやはりシーラッハ。さすが上手い。最後まで一気に読めます。戦争が何代にもわたってその人生を狂わせること改めて感じました。全ての犠牲者に冥福を祈らずにはいられない1冊。 | ||||
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作品に引き込まれる。この作者の他の作品同様買って損はないと思う作品です。 | ||||
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シーラッハ、初めての長編へ。短編3部作は滅法面白かった。 長編といっても、全体で190Pちょっと。そう長くはなかった。 けど中身は歴史にかかわる、それもナチスが出てきて、へぇーともなるが、 著者の家系からは避けては通れない題材でもあるのかなと。 コリーニ事件。殺人事件。弁護士のライネンは新米弁護士でもあり コリーニ事件は弁護するに厄介な事件となる。殺人の動機がわからないから。 その背景とライネンの弁護士として成長していく姿が面白いといえば おもしろかったかな。ちょっとしたヒントから解明へと。 ドイツはナチスが絡んでるから、最後のページに「本書が出版されて数ヶ月後の 2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣は法務省内に「ナチの過去再検討委員会」を 設置した。」とあり、本書における法律も本来はナチの有罪をあろうことか無罪へと導きかねない 危うさが最後のさいごまでついて回った。法廷というか裁判というか、5日間に亘るライネンの すさまじい努力によって事件は解明へと繫がったが、そうでなかったら、大きな権力によって つぶされかねない、それはドイツも日本も同じかもしれないけれど、弁護士って興味ある 職種だなぁっておもいました。それでもやっぱりシーラッハは短編のほうが好き。 | ||||
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長編としての作者の処女作である。私は第二作「禁忌」の方を先に読んだ。本作は表題通り、「コリーニ」が起こした殺人事件の公判を扱った作品で、焦点は被告が黙秘し続ける動機の解明にある。処女短編集「犯罪」中のテーマである「罪と罰」を深化させて長編に仕上げたという趣きの内容。同時に、「人間の人生は常にgray zone」という点を主張している様でもある。 ここからは「禁忌」との比較になってしまうが、本作はチョット「straightforward」過ぎる感を覚えた。「禁忌」と同様、簡潔な文体なのは好ましいが、ドイツの作家としては動機が浅薄過ぎるであろう。被告の弁護を担当する新米弁護士ライネンの懊悩と活躍を描いている様でもあるが、掘り下げが浅い。法廷劇としても面白みがない。まるで、「禁忌」のプロトタイプの様な印象を受けた。 一方、「禁忌」の方は、逆に作者の意匠が高踏的過ぎて、難解という欠点があるが、不思議な魅力を持った秀作である。本作を読んで「淡泊過ぎる」と感じた方にも、「禁忌」を手に採ってみる事をお薦めしたい。 | ||||
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何処の国もそれぞれ戦後を引きずっているのを感じた。国民国家になって戦争が国民皆兵制度のもとに行われることになってから、色々な悲劇が兵だけでなく、無辜の民にも及ぶことになったのを感じる。 日本、米国などと違った、ドイツ司法制度にも興味を持って読むことが出来た。最後の章は、少し物足りないが素晴らし小説で、電車を乗り過ごしてしまった。 | ||||
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”犯罪”で書いたコメントのとおり、大変能力の高い作家だと思う。 次回作に期待している。 | ||||
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装丁はシンプルで200頁余りのハードカバーである。厚さがないので手頃感があり、持ち運びも便利で、カバンに入れても型崩れしない。文章もセンテンスが短いので読み易い。 冒頭から読者を引き付ける。被害者はホテルの一室で4発の銃弾を頭に受け、しかもその頭を靴で踏みつけられたのだ。犯人は逃げもせず警察を呼んでくれるよう頼む。直ぐに捕まったが、動機は黙秘する。 被害者が殺されるような人物ではない描写なので、殺意の強固さとその落差を読み解いていく事になる。相変わらずシーラッハは面白い。乾いた文章というのか、残酷な描写が淡々と書かれるので、逆にリアル感があり、ゾクゾクする。 そして何といっても圧巻の後半。21世紀になってもドイツという国に戦後は終わっていない事を思い知らされる。法を信じるか、社会を信じるか、含蓄のある言葉が忘れられない | ||||
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本書は法律の抜け穴を指摘する社会的告発本、法廷ミステリー、ドラマの3つの構成要素があるように思えるが、どの視点からしても微妙。 社会的告発文として読むと、法律の抜け穴の扱いが雑で唐突感があり今ひとつピンとこない。法廷ミステリーとして読むと内容が短く、アメリカのリーガルサスペンスのように激しい応酬があるわけでもなく、平坦で誰もが予想できる筋運び。 ドラマとして読むと、事件背景に関する書物は非常に多いが故、ノンフィクションを読んだ方が余程説得力がある。 この作家は短編の方が切れ味鋭くて面白いと思う。 | ||||
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あなたが求めているものがミステリや推理小説なら、別の本をあたりましょう。このミスがどんな紹介をしたのか知りませんが、この本はミステリや推理小説ではありません。そもそもミステリの要素はほとんどありません。冒頭から犯人は明らかですし、犯行についても、明快に描写されていて疑問の余地はありません。唯一謎なのは動機ですが、それを明らかにしていく過程について、著者はミステリとしてのお約束を抑えようとはしていませんし、後書きにもあるとおり、著者はそんなことに興味すら感じていないでしょう。 あなたがいわゆる「法廷もの」を求めているなら、確かにこの本はその範疇に入ると思います。クライマックスへ雪崩れ込んでいく証人喚問、その静かでありながらしかし確実に真実を暴いていく迫力は、法廷ものの名にしおうものです。ですが、(当然お気づきでしょうが)おそらく物足りないでしょう。そもそもの本としての分量が少なめな上に公判が始まるのは半分を過ぎてからですから、公判のシーン自体も多くはありません。 あなたが法廷での審理が浮かび上がらせる悲劇、そこに関わってしまった人々の悲哀といったものを描いた物語、そして示唆される倫理や公正の意味、などに興味を感じられるのであれば、この本を読んでみることをおすすめします。おそらく損をした気になることはないはずです。 およそ人が選ぶ最後の選択、その究極の一つが殺人だと思います。この本が焦点をしぼるのは、その動機です。そして、公判は、(結局のところ)動機が行為を(ある程度まで、かもしれませんが)正当化しうるのかどうかを問うていくことになるわけですが… しかし、この作品はその答えを示しはしません。現実社会が往々にして(常に?)そうであるように、明確な答えは出ませんし、示されもしません。被告人弁護士である主人公は行為を正当化しうる(あるいは罪を軽減しうる)動機がありえることを示唆しますが、しかし、対立する被害者側の弁護士は法の下での公正を訴えます。そして、その被害者側弁護士は大物でしたたかで抜け目ない人物ですが、決して悪役ではありません。実際、主人公は彼と親交を持っており、偉大な先達として敬意を払っています。 物語のところどころにちりばめられた主人公の独白は、著者が主人公よりの立場にあることを示唆しているのかもしれませんが、それが正しいと掲示するような結末ではありません。むしろ… 「彼は何年にも渡って教授の講義を聞いてきた(中略)刑事訴訟を理解しようと努めてきた。だが今日、自ら発言しながらはじめて、問題は別のことだと思い至った。問うべきなのは虐げられた人のことなのだ」この作品の中盤の主人公の独白ですが、これがこの作品の核心なんじゃないかと思うのです。 とかなんとか、やや振りかぶりぎみですけど、とにかく胸にせまる作品でした。ラストの写真のところなどは、かなりグッときてしまいました。 それでも、星4つなのは、やっぱりちょっと個人的には物足りない感がないわけでもないからです。もっと公判を詳細に描いてもよかったんではないかな、とか。裁判の前半は、当然のことながら主人公の被告人弁護士はほとんどなすすべもないわけですが、その辺とかももっと丹念に書いとくとクライマックスでのカタルシスがより大きくなるんではないか、とか… それから、冒頭から滑り出しは淡々とですが、しかし確実に引っ張ってくれるのですが、それを過ぎたあとしばらくの主人公の過去の部分に関しては結構たるい感もありましたし、ちょっと必然性が感じられない感じもあって、もどかしい感もありました(まあ、でも確かに重要な部分でもあったんですが) それでも、確かに「よかった」といえる作品だと思います。 | ||||
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これは物語としての体をなしていないですね。 ・主人公が<気づき>の元のなったワルサーの意味が解んない ・なぜ<あの町>に向かって文書を読めばきっかけがつかめるのか ・証言者として出てくる女の学者がそもそも主人公と通じてた、にも 関わらず敵方の証言者としても出てる。伏線もなけりゃ回収もない 等など色々と釈然としないのですが、いちばんは主人公ライネンくん が何考えてんだかわかんないとこ。 これは「謎めいた」「過去を背負っているが故に」なんかの表出では なくて、単にキャラ設定ができてないんだと思う。 本物の弁護士が書いた、体験だけに引っ張られた読み物というべきで しょう。 星ひとつでも付けなきゃいけないみたいだけど、ほんとは0点です。 | ||||
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この作品を単なるエンターテイメント、帯の「法廷劇」と捉えると違和感があると思う。 しかし、シーラッハの作品は「犯罪」「罪悪」もそうであったように、人間の心の奥にある所を押し広げて、直視しようとする所がある。 それは、彼の生い立ちの影響もあると思う。ナチの幹部であった祖父、思春期までそれを知らなかったと言うのだから。 ドイツがナチの反省に立って、様々な手をつくしているのは、彼我の差を見れば、評価できる事であるが、実は、かなり長く、それを人々は認められないで過ごして来ているのだと、これを読むと分かる。 殺人事件の解決、が主軸ではなく、何故、人を殺さなければならなかったのか、 他に、手立てはなかったか?そこに、シーラッハの眼目がある。 単なるエンターテイメントの物ではなく。 確かに、「ナチ」を取り上げたものは多くあって、成り行きは大抵の人には、登場人物プロフィールで推測出来てしまうであろう。 それも、分かるが、酒寄さんも言っているように、なぜそうなったかを考える事が、読み手にも求められる作品だと思う。 ミステリーとして楽しむだけではない、考えさせるものをこの作品は持っている。 ナチズムについての作品としては、是非 酒寄さんの翻訳の作品、クラウス・コルドン作、ベルリン三部作(ベルリン1919 ベルリン1933 ベルリン1945 理論社)をお読みいただきたい。 「ナチズム」とは、特別な人間が犯した特異な犯罪、ではない。 誰にでも起こりうる犯罪、見て見ぬふり、無関心、利己心、排他主義、そういうものが、僅かなきっかけで人心を攫み、何処の国でも、起こり得るのだと言う事を知っておく為に。 | ||||
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『緊迫のミステリー』で、『圧巻の法廷劇』との書評で読んで手にしたが、ミステリーとしてはあまりおもしろくなかった。法廷推理小説としても、社会派推理小説としても。推理するおもしろみには欠ける。 しかし考えさせられる、読むかいのある小説であった。 たとえば話中の法定で、戦争中の『合法的な殺人』について語られる。 「特別な場合には許されるとしました」 (中略) 「…たとえば、決して女性と子どもを殺害してはなりません。殺害方法は残虐であってはなりません。・・・」 鼻で笑ってしまった。ドイツの人って変なのと思った。 しかしならば現代日本の法律も変だ。 そして戦争終結後おこなわれる戦争責任についての裁判も変だ。 法律とかルールとかは人間が集団で暮らすための折衷案でしかないということ、多くの人にとって我慢できるものでさえあれば善悪とか普遍性とかいうことは重要でないこと、を、思った。 そして法律に赦されることと、自分に赦されることの乖離を思った。 わたしならこの小説は歴史小説の棚に置く。 ミステリー小説としてはお粗末だった。 | ||||
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読んでいて余りのぬるさ、甘えに吐き気がした。読後感は最低である。1968年に主犯と従犯を切り分けた法律が出来て、それがタネになっているわけだが、犯罪の動機は法律では罰することが出来ない処罰感情を私的に発したと言うに尽きる。参審制という舞台を準備しているのだから、そこでドラマをつくれば良い。中途半端な弁護士の葛藤で済ませているのは本末転倒である。読むだけ時間の無駄だ。 | ||||
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もう30年も前のことになりますが、オランダに滞在していたときに ドイツ人の奥様と知り合いになりました。日本語を学びたいということで しばらくお付き合いが続きましたが、最初の出会いで「私たちは自分たちの犯した罪について 世界に謝りたい」と言われたのには驚きました。つまりナチスの罪について 謝罪したい、という意味だったのです。 本作『コリーニ事件』については多くの方が優れたレビューを 書いていらっしゃいますのであらすじなどを述べることはしませんが 同盟国であるイタリアのパルチザンに対するナチスの悪行が メインテーマです。押しも押されもせぬ現代ドイツの名士の過去が 明らかになったときに『コリーニ事件』の全貌が歴史の闇から姿を現わします。 正直申し上げて、ミステリーとしての本書の面白さはそれほどではありません。 ですが新人弁護士ライネンの静かな情熱が次第に真実に迫っていく過程には迫力があり、 全てが明るみに出たとき、ナチスの蛮行がヨーロッパに与えた傷の深さに慄然とさせられます。 ナチスの元高官が戦後に要職についたという事実にやりきれなさを感じると共に、 弁護士でもあるフォン・シーラッハの冷徹な文体、酒寄進一氏の名訳に感銘を受けつつ、 この厳しくも悲しい物語を深い感慨とともに読み終えました。 | ||||
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戦争というものがどんなに恐ろしいものなのかということを改めて思わざるを得ない。 ある殺人事件の弁護を担当することになった新人弁護士。 被告人は、殺人は認めたが、犯行に至った理由は黙したまま。 被害者は、新人弁護士が幼少のころから知る老人。友人の祖父。 感情を殺したような静かな文章。 だからこそ、この犯罪の裏にあることが、じわっと、心の奥底に響く。 「犯罪」「罪悪」の冷静な文章ではあるが、長編もののためか、悲しみの感情が底にひたひたと流れているような気がする。 次作も楽しみです。 | ||||
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テーマの重さは勿論のこと、人物造型やドイツ立法史に関する知見など、読ませる一作ではありましたが、『犯罪』の印象が強すぎて、期待したほどではなかったというのが正直な感想です。(繰り返しになりますが、『犯罪』の各篇を覆うあの静謐な緊迫感は本当に見事でした。)法廷劇小説としても、並(というと怒られそうですが)であると思っています。(帯には「『犯罪』以上の衝撃!」とありますが、褒め過ぎかと。) 「弁護人になりたいのなら、それ相応に振る舞わなければだめだ。きみはある男の弁護を引き受けた。いいだろう、それは過ちだったかもしれない。しかしながら、それはきみの過ちであって、依頼人の過誤ではない。きみは依頼人に責任がある。収監されたその男にとって、きみがすべてなのだ。きみは死んだ被害者との関係を依頼人に話し、それでも弁護を望むかどうかたずねなければいけない。依頼人がそれを望むのであれば、きみは依頼人のために働き、全力でしっかり弁護をすべきだ。それが肝心なことだ。これは殺人事件の訴訟手続きであって、大学のゼミではないのだよ」(50頁) 「人間に白も黒もない・・・・・・灰色なものさ」(65頁) 「弁護人は弁護する。それ以上でも、それ以下でもない」(124頁) 「わたしは法を信じている。きみは社会を信じている。最後にどっちに軍配があがるか、見てみようじゃないか」(184頁) それにしても、カスパー・ライネンとヨハナ・マイヤーの関係が、『ミレニアム』のミカエル・ブルムクヴィストとハリエット・ヴァンゲルの関係とダブって見えたのは、私だけ? | ||||
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3作目だが、文体がいい。翻訳がいいということなのだろうが、読んでいて、モノクロ映画を見ているかのような感覚を覚える。 物語は予定調和で終わる。それでいいのだ。意外性を必要とするお話ではない。(過去の2作品も) 被害者と加害者がドイツ人とイタリア人で、それぞれ相当の年齢ということは、過去の何の話と関係するか誰にでもわかる。 その部分の真相を隠すのが作者の本意ではない。 ドイツのある法律が紹介されるが、その成り立ちを考えると恐ろしい。この部分は実話なのだから。 この本の出版後、ドイツに、ある委員会が設置された。この本を書いた甲斐があった、と作者は思ったに違いない。 | ||||
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