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コリーニ事件
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コリーニ事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 41~49 3/3ページ
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「あとがき」に、小学校の同級生に、ナチによる迫害の加害者と被害者の孫がいた、と書かれています。加害者は、ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハで、作者の祖父。最初にあとがきを読んでおけば、より楽しめるのではないでしょうか。でも、私には、記述が淡々としすぎていて、事件の報告書を読んでいるような気分になり、感興を得る事はできませんでした。 尚、作中に明らかな誤記があります。P.37で、マッティンガー弁護士が隻手であると書かれているのに対して、P.158の後ろから4行めに、「机に両手をついて」とあります。出版社に問い合わせたところ、原文がこの通りとのことなので、他のレビューアーが書いているような、緻密な文章ではないのではないでしょうか。 | ||||
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<<最初にお断りしますが、以下文中に一部ネタばれがあります。ご注意ください。>> 一読しての率直な感想ですが、押しなべて高評価の読者ばかりでちょっと驚きました。 ややハードボイルド調の端正な文章は、無駄に饒舌にならず、登場人物たちの内に秘めたものを静かに描き出していて好感が持てました。 しかしながら、純粋にエンターテイメントとしてみた場合どうでしょうか? ドイツを舞台にした高齢者同士の殺人事件。どうやら動機は両者の過去にあるようだ。となれば、この事件を惹起することになった過去の出来事は大体想像できてしまいます。そしてこの小説は、まさにそこめがけて直球勝負で挑んでおり、読者をあっと言わせるようなひねりもありません。その意味では外連味がなくてよいのですが、あまりにもシンプルすぎて意外性がないような気がします。 この小説のもうひとつのテーマとして、ドイツの「刑法上の問題」が取り沙汰されるのですが、この点を世に告発するためにこの小説が書かれたとするのなら、この作品は全く違った見地から評価されるべきでしょう。その場合、作者に与えられるべき賞賛は、作家としてではなく、現役の有能な法律家に対するものに他ありません。 あと一つ、どうしても引っかかっている点があります。 物語の後半で、ある重要な検察側の証人が登場しますが、その人物についての伏線が何もないのです。その人物と被告側弁護人である主人公は、実は出廷前に意気投合しているのですが、この事実についてのほのめかしが一切なく、ずいぶん唐突に思われました。 あとついでに言えば、主人公が戦時中の被害者と加害者について調べてみるきっかけになったのが、凶器に使われたドイツ製拳銃だったいうのも、動機として弱い気がします。ワルサーP-38と言われても、銃器に詳しくないものにとっては一向にピンとこないでしょうね。 | ||||
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もともと史実にリンクしたミステリーが好きでこれまでは「オデッサファイル」が一番好きでしたが、今般この本を読んで冒頭の描写から引きこまれ一気に読み終えてしまいました。ナチス物のミステリーが好きな方には外せない一冊だと思いました。 | ||||
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刑事コロンボのように、最初から犯人が分かっている物語。犯人には、感情移入が全くできないどころか、被害者の人間味や周囲の人々の善良さが伝わってくる。犯人は絶体絶命、弁護を担当する主人公は一体どういう弁護をするのか、全く予想ができない。そんな状況から一気に事件は進展していく。全てが白日の下に晒されたとき、犯人への共感を感じた。しかし、あえて私は言いたい。犯人のコリーニが国にある言葉として語った「死者は復讐を望まない。望むのは生者だけだ」ということの重みを。難しい事だが、怨讐をこえていくことの重要さを痛感した。 | ||||
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衝撃的な殺人の現場から本書は始まる。 執拗な傷つけかたから動機は怨恨に拠るものと推察されるが、 犯人は黙して語らず、新米弁護士は繰り返し書類を読み返すことしかできない。 しかし、現場写真を見ていて気がついた。 凶器はワルサーP38。 言わずと知れた第二次世界大戦中にナチス・ドイツ陸軍に制式採用された銃である。 ここから被告人の悲しい過去が浮き彫りにされて行く。 五十八年の歳月を経て復讐を果たしたコリーニは、じぶんの罪をよく理解していた。 それでも晴らさなければならなかった恨みである。 人間が人間に対する非情な、非人道的な振る舞いにも驚かされるが、 法律によって(わたしには身勝手で不公平な内容にしか思えないが)それが正当化されていた上に、 「戦時だから許される」といった判断をしてしまう愚かな理性にも呆れる。 こうして、わたしたちは思い知らされる。 踏みつけにされた人びとのこころが癒されることは絶対にないのだと。 本書が出版されたあと、ドイツ連邦法務省は「ナチの過去再検討委員会」を設置した。 これはナチ犯罪の共犯者に対する時効の問題を扱うものである。 臭いものに蓋をし続ければ見なくても済むが、見ぬふりはもうやめたのだ。 日本でも戦争を美化して語ったり、当時の軍人を神として崇めるのはいい加減にしたらどうか。 現在の政治家でも従軍慰安婦に対して軽はずみな発言をする者がいる。 いくら戦後の生まれとはいえ無神経に過ぎはしないか。 弱い者に寄り添う気持ちはないのだろうか。 本書のラストは少し肩すかしを食らったように感じるが、これが当然の帰結だろうとも思う。 誰にも言えない錘りを抱えて生きて来たコリーニのこころのうちを慮るに、ただただ痛ましい。 この国ももっと変わらなければ。わたしも何かしなければ。 | ||||
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外国人労働者として35年間ドイツで暮らしてきたイタリア人、ファブリツィオ・コリーニは67歳。ある日、85歳のドイツ人を惨殺して逮捕される。国選弁護人に雇われたのは弁護士になりたてのライネン。加害者と被害者との間に接点は一向に見えてこず、コリーニは一貫して殺害動機を話そうとしない。果たしてライネンはコリーニの弁護を果たすことができるのだろうか…。 ドイツ人作家フェルディナント・フォン・シーハッラはこれまで『犯罪』と『罪悪』という二つの短編小説集で、市井の人々がやむにやまれぬ形で犯罪に手を染めたり被害者になっていったりする痛ましさを冷徹な文章で紡いでみせてきました。物語の中に、読者である私自身の姿を見つけることが多いその読書体験はとても豊かなものであり、彼の小説に魅了され続けて来た私にとって、彼の初めての長編小説というふれこみのこの書の翻訳が出来(しゅったい)したと聞き、迷わず手にしました。 実際には、この小説は長編というよりは200頁にも満たない中編程度のものでしたが、期待を裏切ることのない物語展開を前にして、私は一度も書を措くことなく、一気呵成に読了ました。 ミステリー小説ですので、その内容に必要以上に触れるのは避けたいところです。カバーの内側にあらすじが記されていますが、そこに被害者の素性が明示されているのは明らかに踏み込み過ぎだと私は思います。幸い私は、フォン・シーラッハの新作小説だという以上には、カバーにある記載も含めて一切の情報に接することなく、白紙の状態で入って行くことができたので、この素晴らしい物語を十全に味わうことができました。 そしてこれはミステリーの謎解きの面白さを味わうだけの小説ではありません。 エピグラフには、アーネスト・ヘミングウェイの「われわれは 自分にふさわしい生き方をするように できているのだ」という謎めいた言葉が記されています。その言葉の意味することの哀しさと力強さとが、物の見事に物語の最後に示されます。奥歯を噛みしめなければ生きていけないような苛烈な定めを背負いながらも、主人公たちは、そして作者フォン・シーラッハ自身は、わずかな希望を捨てることなく今後の人生を懸命に歩んでいくのだろう。そしてそれは私たち現代の日本人読者にもあてはまること。この小説が内包する人間への温い眼差しを思い、私は本を抱えながら思わず涙ぐんでしまいました。 さらに忘れてならないのは、翻訳者・酒寄進一氏の素晴らしい翻訳手腕に今回も感服させられたことです。 amazon.deのサイトで原書『Der Fall Collini』の冒頭部分を「なか見!検索」して酒寄氏の翻訳と比較してみました。ドイツ語では過去形で表現されている動詞をところどころ敢えて現在形で和訳することで、翻訳が「〜だった」「〜した」と単調な繰り返しに陥らない工夫をしています。また、原文とは文章の切り分け方を思い切って違(たが)えて、バタ臭い翻訳調の日本語に堕すことを回避しています。文芸翻訳のお手本のような、流麗で品位あふれる和文にはほれぼれします。酒寄氏という優れた翻訳者が存在する恵みに対して、私は大いに感謝の念を抱くのです。 読了後、この物語の素晴らしさを誰かと語り明かしたい。そんな気持ちに強く駆られる小説です。 | ||||
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老人が大金持ちを殺す。仕事欲しさに国選弁護士を引き受ける新米のライネン。 老人は殺害動機をライネンにも話さない。 ドイツの抱える戦争責任と真摯に向き合う法廷物。 「自虐、自虐」と拗ねている国では、他国の話としてではなく知っておきたい。 | ||||
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これまでのシーラッハ作品には、その斬新で大胆な手法やネタに大いにうならされたものですが、今回はちょっと趣がちがいます。 「ドイツ」で「老人」がらみだと大スジは予想がついてしまうものですが、安手のミステリもどきに対するようなオチやサプライズなんかを期待せずとも、全編がじゅうぶんに読み手を満足させる、「行間を読ませる」作品になっていました。 そもそも人間に、過去の精算などできるのか? なんだか誰も彼も哀しくて滑稽です。 どんな科学やテクノロジーにも解決不可能な次元へと読者の意識をいざないます。 ちょっとジョルジュ・シムノン風な雰囲気もある、濃密なドラマを味わいましょう。 | ||||
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世界でベストセラーになった「犯罪」「罪悪」を著した高名な現役刑事弁護士、フェルディナント・フォン・シーラッハによる初の長編小説です。地元ドイツでは35万部を突破したとか。前作同様に、罪を犯す人への愛しさ、哀しさを鮮やかに描く手腕は本作でも冴えています。 ライネンはベルリンで弁護士事務所を開いて2日目に殺人犯の国選弁護人を引き受けてしまいます。67歳のイタリア人移民が85歳のドイツ人資産家を殺しますが、被害者はライネンのかつての親友の祖父でした。容疑者は、犯行事実は明白にもかかわらず犯行にいたった動機を自供しないので、ライネンは頭を抱えてしまいます。弁護士なりたてで右も左もわからないのにライネンは絶望的に不利な状況で被害者側の代理人であるベテラン凄腕弁護士と対決することになります。弁護の手がかりを掴もうと不眠不休で証拠を調べます。そして彼が突き止めた事実が公判を逆転させ、社会を揺るがせることになります。新人弁護士がしなやかで繊細な優しい心と強い使命感を持つ人物に描かれていることが悲しいストーリーにさわやかな救いを与えています。 「あとがき」によると作者自身の姿がライネンに色濃く投影されているようです。父の「込み入ったことには首を突っ込むな」との忠告を振り切って刑事弁護士を志したこと、祖父の過去の経歴に重苦しさを感じたこと、「自分にふさわしく生きる」の信条をもっていること、などです。そして、前作同様にここで語られるのは「正義とは何か」「誰が犯人か」とかではなく、犯罪を通して見えてくる深い人間性です。作者は犯罪を犯すに至った男の辛くて哀しい人生をていねいに読者に差し出すのです。 作者の人間への優しい眼差しが強く心に残りました。ドイツの歴史の影で苦しむ人々に心を寄せる姿勢もドイツにおける人気の一因ではないか、と推察します。「犯罪」などの短編はもちろん素敵でしたが、長編になって人物がたんねんに書き込まれた分だけ感動が大きくなりました。作者の主張もいっそう明確になったと思います。明晰で簡潔、静かな余韻を残す酒寄進一氏の訳文はこの作品にぴったりでした。 *本書の帯に「圧巻の法廷劇」「緊迫感に満ち満ちた法廷劇」とありますが、この表現は正確ではないと思いました。法廷でのやりとりよりもそこで明らかになる哀しい物語の衝撃が胸を打つのですから。 | ||||
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