禁忌
- 共感覚 (13)
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点5.50pt |
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編シリーズを読んで、この作家の長編を読みたいと思い手に取りましたが・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今や日本でも人気作家となったシーラッハの「コリーニ事件」に続く長編第二作。2013年に発表されたとき、ドイツでは評価が二分されたという。 | ||||
| ||||
|
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
後半に登場する、本格的に性格の悪い弁護士が圧巻の存在感。特に、本筋とは逸れるものの、湖畔?かどこかの静かなリゾートでの朝食の時間に、人好きのする老夫婦の他愛のない話しかけを粉々に粉砕するところは、ドイツじゃみんなこうか!と、ふだん日本のホームドラマ的な進行に居心地の悪さを感じていた私には痛快としか言いようがありませんでした。加えて、長年寄り添い続けているこの男の妻には同情の念を禁じ得ず、今後のこの弁護士の活躍には期待しかありません。なかなか本筋に囚われてここのところを読み取れない読者も多いようで、本当に残念です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まるで長篇詩のような不思議な魅力のある小説。 「共感覚」という紹介文に魅かれて読んだが、期待していたSFチックな内容をいい意味で裏切ってくれました。全編に俳味と詩情の漂う人物激でした。北欧の作家独特のシニシズムもあります。 これは読む人を選ぶと思う。 作家でいえば姫野カオルコのH(アッシュ)が好きな人ならこれも好きでしょう。 逆に、探偵小説やミステリー大好きで物語のスリリングさを求める人には向かないかも。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者は刑事弁護専門の弁護士だが、本書は法廷小説でも犯罪ミステリーでもない。もちろん、その手法は駆使されているが、著者の関心は社会や周囲の人になじめない人々の心理や行動であろうか。 本書の前半は犯罪とも裁判とも関係なく、鋭敏かつ特異な色彩感覚を持った少年が写真家として独立していく物語を描いている。この写真家は家族や恋人との関係をうまく築けず、恋人からはあなたのことが理解できないと言われる。カミュ『異邦人』の主人公ムルソーを連想させる人物造形である。 一方、著者の分身と思われる刑事弁護士は30年に及ぶキャリアの心労で倒れ、医師の勧めで山岳地帯に転地療養している(トーマス・マンの『魔の山』が意識されている)。しかし、この弁護士はすばらしい自然環境での療養に全くなじめず、登山客に誘われてもにべもなく断ってしまう。そして、妻が止めるのも聞かずに事件の依頼を機にベルリンの事務所にさっさと戻ってしまう。まさに偏屈そのものである。 社会的に成功しているように見える写真家も弁護士も、実は内心では社会との適合に葛藤を抱え、生きづらさを抱いている。それが写真家の引き起こした不可解な刑事事件、弁護士の心労による転地療養として、合わせ鏡のように描かれているのである。 最後に写真家は弁護士に対して「罪とはなんですか?」と尋ね、弁護士は直接は答えないが「罪なものは人間さ」とつぶやく。 刑事弁護人としてはシニカルに達観しすぎのように感じるが、これが著者が刑事弁護人から小説家へと転身したゆえんなのであろう(短編集『刑罰』のレビューを参照されたい)。 ただ、小説としては事件の動機や人間関係などが説明不足で理解困難な部分が多く、不満の残るところである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作でもシーラッハは、簡潔な文章で思わせぶりにストーリーテリングする才能は確かなものである。 が、評者が今まで読んだ他の作品と比べるとシーラッハが弁護士として不条理な事件など多く手掛けて「罪と罰」にたいして法の限界を感じて書いた小説と想像してしまったのです。 主人公のゼバスティアンが何故犯罪者と見せかけるようなパーフォーマンス(芸術作品として)司法の場で披瀝するのか? また、このような司法にたいして型破りのことが許されるのでしょうか? 税金の無駄使いだと非難されることはないのだろうか? などなど、真面目に考えだしたらこの小説は「ナンセンス」そのものと言えるのです。 奇をてらったこのような作品を、さも深く理解したような「フリ」は評者にはできません。 追記として書いておきますが、日本の読者に阿るような俳諧の知識を披瀝するのもどうかと思ってしまったのです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
意味が分からないというのは、ゼバスティアンが経緯を素直に話せば大事にならずにすんだのにということです。事件として扱われることも含め全て芸術の表現ということ?最後の方でセバスティアンが「罪とはなんですか?」と弁護士に聞くが、世間の常識は非常識ということ?う~ん分からん…。ただ、こんな事件が実際に起きたら、「お前の芸術なんか知るか!人騒がせなヤツだ!ふざけるな!」となるだろうなと思った。この迷惑行為は罪にならないのか?この弁護士を主人公にした作品を読んでみたいと思った。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 23件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|