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(短編集)
パーク・ライフ
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パーク・ライフの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全130件 41~60 3/7ページ
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公園にぽつねんと座っては、目をすがめて景色を眺める ぼく。ある日ぼくは、地下鉄で間違って話かけてしまった女性が、同じ公園で過ごしていることを知る。スターバックスコーヒー片手のそのひと=スタバ女は、ぼくの公園での行動が妙に気になっていたらしい。見飽きないのだという。たわいもない会話をかわす ぼくとスタバ女。 ぼくは、別居中の宇田川夫妻の家で留守を預かっている。リスザルのラガーフェルドの面倒をみているのだ。休日は、ラガーフェルドをつれて公園へ。 ぼくの日常は、まったく何もおこらない。同僚やご近所さんとの触れ合いの日々だ。心の闇とか、懊悩とかに慣れきってしまうと、何もないことがやけに新鮮に思えてしまう。純文学が表しようのないものを文章にする文学ならば、何もないことをしたためている本作品も純文学なのだろう。何もないのにつまらなくないのが素晴らしい。 ぼくとスタバ女は、恋の予感すら感じさせない。じれったくすらない。実にそれが新鮮なのだ。 公園に集う人々は、そこでちょっぴりだけ自分だけの楽しさを味わいたい。ぼくもスタバ女も、そんな人々と一緒に風景にとけ込んでいく。ハッピーもアンハッピーもない。フツーであることがとても心地良い。『パークライフ』はそんな作品だ。 同時収録の『flowers』は、不幸の一歩手前で踏みとどまっているギリギリ感に心がざわめいてしまう。読み物としては、こちらの方が面白くはあるかな。 ところで、本書の表紙をよ〜く見ると覆面をかぶって刃物を持ったかのような人物が描かれている。これっていったい何でしょう? | ||||
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第127回芥川賞受賞作だが、実際に贈られたのは前作なのかもしれない(井上荒野も「切羽へ」で第139回直木賞を受賞しているし……)。それはそれとして、この何も起こらない、そして何かが起きそうな予感がして開いて終わる、こういった感じの話は好きだ。 「flowers」は「パレード」の狂気の短篇版といった感じ。 | ||||
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表題作の『パーク・ライフ』は、独特の浮遊感に包まれる作品。 公園でビールを飲みながら読むのに適している気がする。 僕は半身浴しながらぼーっと読んだ。 最後はなんとなくポジティブなムードで終わる。 併録の『flowers』がいい。こういう小説を僕はもっと読みたい。 何が善で何が悪か、何が正で何が誤か…といった、 のちの傑作『悪人』で開花するモチーフの萌芽がある。 男を描写するときの何ともいえない匂い立つようなエロティシズムは、 吉田修一の得意領域(?)と言っていいだろう。 こういう小説は、書けそうでなかなか書けない。 | ||||
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過去に五度も芥川賞候補にあげられながら、受賞を逃し続けた吉田修一が『パレード』で新境地を切り開き、いい意味でリラックスして書かれた作品ではないでしょうか。過去に候補にあがった作品にある、ある種の閉塞感(併録の『flowers』もその頃の作品です)が消え、瑞々しさに溢れています。デビュー以来、一貫したテーマである地方出身のちっぽけな自分が巨大都市・東京にみくびりながらも馴染もうとする姿が読んでいて爽快です。少しやり過ぎな感もありますが、興味深く読めました。 | ||||
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1980年台の群像新人賞とかすばる文学賞の受賞作に良くあったような小説です。 文章も良く書けているし、日比谷公園を核にした人間関係といった着想もよいのですが、全体的には既視感全開です。 今世紀に出た小説のようですが、昔の本が片端から絶版になったおかげで高評価をもらえたのでは? | ||||
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第127回芥川賞を獲得した作品だが、正直、僕の苦手とする作品であった。 物語中、これといった何かが起こるわけではない。 本書の帯に書かれていた、芥川賞選評時の村上龍氏の言葉を引用すれば、「何かが常に始まろうとしているが、まだ何も始まっていない」という、まさにこの表現がぴったりであろう。しかし、村上龍氏はこのあと、現代に特有の居心地の悪さと、不気味なユーモアと、ほんのわずかな、あるのかどうかさえはっきりしない希望のようなものを獲得することに成功している、と評している。 現代の男と女(人間)の距離感と、東京という大都会の空気(雰囲気)を巧みに描写しているとは思う。いずれにしても、好き嫌いがかなりはっきり分かれそうな小説だと思う。 | ||||
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淡々とした都会生活の一風景。盛り上がりもなければオチもないストーリー。 「悪人」が面白かったので、ふと、この作者、聞いたことがあるかも…と思って書棚を見たら 数年前に買った(読んだはずの)「パークライフ」が目についた。 でも、全く内容を覚えていない。もう一度読んでみたが、全く読んだ記憶もない。要するに印象が薄い小説。 (ホームレスの話かと思って読んだら違ったというたことだけは覚えていたのだけど) だからと言って、読んでてい不愉快になるほどつまらないわけでもない。 最後は、いきなり日比谷公園に置き去りにされたような戸惑いは感じるけど…。 何をもって芥川賞なのかは謎。 そんなに斬新なものも感じないし。 確かに、東京の明るく乾いた空気感がうまく表現されているとは思う。 「悪人」における、地方都市の湿った閉塞感と同様に。 こういう描写のうまさに、作者の力量を感じる。 全く違う状況設定だが、人間関係の距離感の難しさや、一人一人が抱える孤独を描いているという点においては 「悪人」にも共通するものかもしれない。 彼らは一様に、どこかへ行けるのではないかというささやかな希望を抱きつつ、どこにも行けない状況の中にいる。 「flowers」の方は「悪人」の世界に近い。 人間の汚い部分に焦点を当てている分、読後感はよくない。 でも、どの小説に出てくる登場人物もリアルで、人間を描くのが上手な作家なのだなと思った。 | ||||
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上京組な私が東京にきて感じていたビミョウな空気感。 正面にいて目を見ているようで、見ていない ぶつかるのでなく、するりと暗黙了解的にかわしていく。 その 時、時代に流れる、なんとなく、な、 「トウキョウ」の空気感が 活字に起こされている 収録されている2作品ともそんな感じがする。 地方からやってきて 東京で生活しないと分からない感覚なのかもしれない。 少なくとも、 私が地元でずっと生活していたのなら感じ取れない空気感。 芥川賞受賞作品だそうですね。 歴史の記録としては目立って残されにくい、その時代の空気感、というものを 記録している、と考えると、とても素晴らしいことだと思う。 著者の他の作品を読んでいないので他でどのように書かれるのか知りませんが、 トウキョウを現すためのこの描写の仕方であるなら、さらに素晴らしいと考えます。 さらっと読みやすかった。 さっき知りましたが映画化された「悪人」の原作者なんですね。 他の作品も読んでみようかなぁ。 | ||||
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余り読書しない方は、直木賞はエンタメ、芥川賞は小難しい純文学とイメージしてるでしょ? この作品で、「芥川賞作品は読むの面倒臭そう」というイメージを打破したと思います。 「恋に恋い焦がれてる若い人」が読むと、胸にズシンとくる読後感を味わえると思います。 芥川賞では町田康以降、若い作家さんにに多大な影響を与えた作品(作家)だと思います。 エンタメと純文学のの間、中間小説のトップクラスの作家ですね。 | ||||
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この小説は公園好きの男女を描いたものだ。あたかも時流に乗る人々と、そこからはみ出た人々の間に現れた第三の人柄を描くように、公園好きの人々を描いている。 仕事が嫌いなわけではない。現代社会に疲れているというほどでもない。流行にも一通り通じている。でも、少しずれてるかな?普段の生活を中和をするために、公園に来る。何もしなくても放っておいてくれる場所で、しばし傍観者になりたい。そんな人達だ。 この小説にはやたらと実在の商品名や固有名詞が出てくる。最初はややスノッブな感じが鼻につき、皮相で普遍性のない小説に思えた。 しかし、商品情報のあふれた現代社会で、作者が読者に登場人物の人柄を正確に伝えるために、実在の商品のイメージを利用するのは、案外正しいのかもしれない。本書は登場人物が時流に乗りながらも独自の価値観で生きる人々であることを示す事に成功していると思う。 例えば、しつこいくらいに出てくるスタバ。本作品の発表当時、スタバがステータスだったのか評者は覚えてない。あの誰が煎れても同じ味が出せるエスプレッソマシーンのおかげで、瞬く間に世界中にフランチャイズを拡大した、グローバル消費社会におけるコーヒーチェーンの最高峰(大袈裟だ)を、一つのステータスと思う人と、それに違和感を感じる人を対比させれば、回りくどい説明をするよりも、登場人物の性格や知性を直感的に表現できるだろう。 ただ、主人公よりも女性の方が、より自覚的に自分の公園好きを理解してるように感じる。だから、自分の考えが時流に乗った人々と少し違い、その立ち位置が世間的に中途半端だという自覚もあると思う。 最後に「よし。‥私ね、決めた」と言い残し、彼女は主人公を残し歩き始める。 主人公はその背中に向けて、「あの、明日も公園に来て下さいね!」と声をかける。 果たして、彼女はまた公園に来るのだろうか?そもそも、何を決めたのだろうか? | ||||
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日比谷公園を舞台に、男と女の微妙な距離感を描いたものです。或るきっかけを契機として、何気ない景色は全く違った表情を見せるのでしょう。 「大丈夫よ。あなたが見てるものなんて、こっちからは見えないから」 | ||||
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吉田修一の第127回芥川賞受賞作、パーク・ライフ。2002年刊。「主観的」評価☆×5。 これを初めて読んだのは高校三年生の時で、一気に吉田修一の才能に惚れ込みました。(そのわりには著作を広げたのは最近なのですが) この小説が「文学ではない」であるとか、「ストーリーがない」であるかは関係がなく好きでしょうがなくなってしまったのは、小説世界が持つ人間の距離感と空気感。 何と表現すれば良いか分かりませんが、自分と他人・自分と世界との間に絶妙な距離感が流れていて、それが爽やかすぎず、鬱陶しすぎることもない、不思議な魅力を持っているんです。毛色は違いますが、例えばあだち充の「H2」の魅力はこれに近い部分があって、「ああ、こういう感じ、良いよな」という魅力に近い。 あらすじ・・・といってもストーリーといったストーリーはなく、ひょんなきっかけで主人公がある女性(スタバ女)と知り合う。そこでありきたりの恋愛感情を育んでいくわけでもなく、のらりくらりと昼休みにお互いがもともと好きな日比谷公園でゆるい時間を過ごす。そこで公園で何をするわけでもない人たちと触れるような触れないような時間を過ごす。 また、主人公のキャラクターも独特でありながら、非常に共感が持てる部分があり、不思議と好感も嫌悪感も抱かない人物像。ほとんど狂言回しのような存在で、ある意味では日比谷公園が主人公のようにも受け取れる。(当時のメンズノンノのインタビューで著者も似たようなことを語っていた) 最近読み直して、はっと思ったのが2箇所あった。1つ目は、主人公の知人に対する評価で、基本的に苦手なタイプだが、ときどき肩の力が抜けている自分を発見する、と。そして、彼を苦手な理由が「お前を見ていると若い頃の自分を思い出す」と、無遠慮に同化してくる軽薄さでありながら、同時に好いている部分でもある、という語る箇所。 2つ目はスタバ女がスターバックスのコーヒーを店で飲まずに、公園で飲む理由を語る部分で、「あたしがいっぱい集まってくる感じがする」という感想をもらす場面。子供を生まないと分からない、というのと同じ意味で、あの店のコーヒーの味がわかる女になっちゃった、というところに複雑な感情を抱いていることを告白する箇所。 前者なんかは好感も嫌悪感も抱く感情が分かるし、後者はこの時代にスイーツ女への嫌悪感(自分はスターバックスの全盛のブームはスイーツの流れの走りであったと思っているので)、自分がそういう部分を持っている絶妙なジレンマを匂わせるんですよね。 そして、そんな自分も嫌いじゃないという二重のジレンマ。 この小説は合う人と合わない人が確実にいるので、大好きな小説にも関わらず、誰にでも薦めるつもりはありません。ただ、自分が好きな人には読んでいてほしい、と思う作品です。 ちなみに合わない人たちにはこの小説は「何だこれ?」となってしまう小説に間違いないです。物語性も啓蒙性もほとんどないので。 前作「パレード」が人間関係の残酷さを抉ったものと位置づけるのであれば、本作「パーク・ライフ」は薄い希望、いや、期待感といった方が近いかな、を持たせた小説です。 竹を割ったようなストレートなインパクトがある小説ではないですが、玉虫色のような、やわい魅力がある小説。特に東京で生まれ育った人たちよりも、上京して来た人たち。そういった人たちにぜひ読んで欲しい。 | ||||
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淡々とし過ぎ。盛り上りもなく、胸に訴えてくるモノもなく、単調なブログみたいな内容。すぐ忘れ去られる作品。 | ||||
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私は地下鉄、日比谷公園、その付近にあるスタバなどをよく知っているので、情景描写をハッキリをイメージでき、ストーリーをそこそこ楽しめた。 しかし、そんなところ知るかって読者には、訳が分からなかったのでは? まぁ、通勤片道1時間でちょうど読めたので、そんなあっさり読書したい方にはおススメ! | ||||
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「flowers」との2作を収録。「パークライフ」より「flowers」の方がいいって人が多いみたいですが,自分は「パークライフ」派ですかね。たぶん。できれば収録順を変えてもらって,「flowers」→「パーク〜」の方がいいかも。 日比谷公園も駒沢公園も行ったことがありますが,行ってから読んだ方が雰囲気つかめるかも。でないと,「村上春樹っぽい」とか思っちゃうのでは? 表紙が秀逸。拡大すると楽しめます。 | ||||
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文章も好きだし、テーマもなかなか面白いとは思ったが 物語としては不完全というか、どうも物足りなかった。 それぞれ長編に仕上げることができた内容だったと思うので残念。 | ||||
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他の方々のレビューも読んで、それなりに それなり、なんだなぁと意識を中に入れ、 読みましたが・・・ ふ〜ん、そっかぁ。 で? ワタシにとっては、そういう本でした。 良くも悪くもなく。 だけど、今後この著者の作品を読むことは ないしょうね・・・。(ゴメンナサイ!) 芥川賞やら何某文学賞やら、そういうのは あまり当てには出来ないんですね。 | ||||
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作品が進んでいく中にちりばめられた言葉や出来事が、主な舞台となる公園と繋がる部分にはぞくっとしました。 派手さも見せ場もそれほどなくて、淡々としているけれど、注意をして読めば作者の思いがそこら中に感じられます。 巧い人ですね。 | ||||
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とにかくダサいです。作者の地元の九州を描いた「悪人」の素晴らしさを考えれば、小説家としての力量は疑うまでもないはずなのですが、この芥川賞受賞作はもう耐え難いダサさと薄っぺらなしょーもない描写ばかりで厳しいです。吉田修一は作品ごとの当たり外れが大きすぎると思う。ちなみに表題作は東京が舞台で、駒大あたりに住むサラリーマンが昼にぶらつく日比谷公園を中心にそこにボンヤリ集う人を描くんですが、まったく人物のあり方が無意味で酷い。とにかく無駄にカタカナが飛び交う描写が悲惨すぎて、言っちゃ悪いが、田舎から見た東京のオシャレな感じってこういうのなのかなぁ、というのが僕に想像できた限界。話の展開(んなもんないけど)も、オチの付け方も陳腐の極み。くりしぇー。途中でやめようと何度も思い、後半はホントの飛ばし読み。短編が何本か入ってたけど、表題作だけ見てもうやめました。 | ||||
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芥川賞受賞作には、ニートだったり、引きこもりだったり、内向的な文学少年少女が描くような主人公が多かったりするのだが、パーク・ライフでは、都会で働く、ごく普通の若者が主人公だ。地下鉄で偶然出会った女性が気になり始め、日比谷公園で少しづつ、親交を深めていくが、なかなか2人の距離は縮まらない。そんな「普通の恋」に爽やかさを感じる。 的確ですっきりとした情景描写。文中に隠された様々な暗示。さすが、芥川賞受賞作だ。 | ||||
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