■スポンサードリンク
半島を出よ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
半島を出よの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全322件 241~260 13/17ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
10数年ぶりに小説というものををまともに読んだのでこの作品の良し悪しはわからないが、暇さえあれば読まずに入られない作品です。 近い将来に現実に起こりそうな気がするのは私だけじゃないはず。現実味を感じます。 最初は話が変わるたびにの主人公がころころ変わり話がちぐはぐに感じるが、終盤になるとそのちぐはぐな話が歯車がかみ合うようにガチッと噛み合いクライマックスへ。 実に読み応えのある作品です。 しかしまぁ登場人物が多すぎる事・・・ また最初から読み直さねば(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
映像化の折には、重犯罪人"4号"="ゴダイユウスケ"は、やっぱりオダギリジョーさんが演じるのでしょうか。。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
北朝鮮との緊迫した関係を考えると、読んでいて恐ろしい気がした。もし同じようなことが実際に起こったら、日本はやはりきちんとした対策はとれないのではないだろうか。そう考えるとたまらなく不安になる。日本は決して安定した土台の上に乗っているわけではないのだ。いつ足元が崩れるか分からない。作者は日本経済の危うさにも警鐘を鳴らしている。それにしても、日本を救ったのが社会からはじかれてしまった若者たちというのは、何とも皮肉なことだった。作者の思いが込められた、ラスト1行の言葉が胸にしみる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「九州を独立させる」という着想は、何点か他の作品もあるし、また、九州に赴任していた私としては、経済的に、地理的に非常にありうる感覚で特に真新しいテーマではない。また、物語に深み(信憑性)を持たせんがためであろうが、各登場人物バックグラウンドの説明的な文脈の多用も、ちょっと?かも知れない。(それが上下巻のボリュームに大きく影響している)とはいえ、小説というエンターテイメントな虚構の中でどう信憑性を持たせて導くかという点での「コリョ」という「外圧」の発想、また、あるレベルの緊張感を持続させながら1000ページも先の結末へと導く村上氏の筆力には脱帽という感じである。大風呂敷を広げて大団円に向かう作品に結末が落胆させられるモノが多い中、読了後、心地よい達成感を感じさせる作品となっている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「九州を独立させる」という着想は、何点か作品もあるし、また、九州に赴任していた私としては、経済的に、地理的に、非常にありうる感覚で特に特筆すべきものではない。また、物語に深み(信憑性)を持たせんがためであろうが、各登場人物バックグラウンドの説明的な文脈の多用も、ちょっと?かも知れない。(それが上下巻900ページのボリュームに大きく影響している)とはいえ、小説というエンターテイメントな虚構の中でどう信憑性を持たせて導くかという点での「コリョ」という「外圧」の発想、また、あるレベルの緊張感を持続させながら結末へと導く村上氏の筆力には脱帽という感じである。大風呂敷を広げて大団円に向かう作品に結末が落胆させられるモノが多い中、サプライズはないが、読了後、心地よい達成感を感じさせる作品となっている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
登場人物の一覧ですが、あるいはなかったほうが読み出しやすかったかもしれません。こんなにたくさん覚えないといけないのか、とうんざりして手が止まりました。それほど重要でない登場人物まで掲載する意図がよくわからないです。 上下巻を通して、北朝鮮側から書いている時はかなり筆に力が込められている感じがしますが、それ以外はちょっと抜けた印象です。 北朝鮮の精鋭に対するのが少年(武器はブーメランやムカデも)というのは、さすがにちょっとしっくりこないです。下巻のあとがきで、「『昭和歌謡大全集』という小説の登場人物の生き残り」とありますが、どうせなら『愛と幻想のファシズム』の世界を引き継いだ方がより緊迫感を保てたのではないかと思います。 本来の力関係とは逆に、武力による占領者(=強者)である北朝鮮のコマンドが非占領者(=弱者)である福岡の人たちの価値観に影響を受けて変わっていく様が興味深いです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
北朝鮮の優秀なコマンドー部隊が、「退廃の権化」「鬼」と教え込まれてきた日本にふれ、微妙に心変わりしていく様が面白いですね。 被支配者であるはずの人々が、恐怖に怯えながらも、日本の中央集権にかねがね抱いていた反感も手伝って、支配者に共感し、依存するという描写はすごいです。私たちの職場でも、「本社と東京支社がごちゃごちゃになって困るよねえ」という話題がよく出ます。だから、関東に台風が来たら全国ニュースになる、という例えはとてもよく理解できるのです、関西人としては。 その他にも、ギリギリの極限状態に置かれると心の底に沈んでいた思わぬ人を許してしまうとか、心のちょっとしたささくれが次々とよからぬ妄想をたぐり寄せてしまうとか、私たちが日常確かに感じている「俺ってこんな心になることがあるんだ」という驚きとか恐怖感(それはすぐに忘れてしまうわけですが)、それがあからさまに書かれていて、俺って普通なんだと思えたりする。 突飛に見える題材ながら、コトが本当にこの本の通り運びそうです。実はノンフィクションかも知れない。人の心の動きも含めて。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
はじめて村上龍というひとの作品を読みましたが、圧倒的なディテールによる小説的リアリティと、緊張した筋運びに、思わずページをめくらされてしまいました。 仕事も手につかず一気に読んでしまった^^; 小説ならではの群像劇のような、視点が移り変わっていく語り口も、このストーリーにぴったりとはまっているように思う。そもそも、この本を読んでみようと思ったきっかけは、福岡が舞台になっているということ。他のレビューにもあるように、福岡在住のものには楽しみが増す内容だが、気になる点も。。。。登場人物が博多弁じゃない!(他のレビューによれば佐世保弁なんですね) 下巻の「春日基地にF15がスクランブル待機」って、オイオイ!(笑)せっかくディテールにこだわるなら、こんな基本はぜひ押さえてほしかった。ささいな欠点ですが、指先にささったトゲって小さくても気になるのと一緒で、メチャ気になる^^; | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『半島を出よ』はステートの原理、すなわち暴力に基く支配―被支配の構造を抽出した大作である。暴力が存在する限り収奪と再分配という非対称な関係はなくならない。危機に「国家」が露出してくるのは、突然形成されるのではなく、隠れていた関係が表面化するということだろう。平時は貨幣を媒介とした商品経済一色に見える世界がステートの原理を内包していることが非常時には誰の目にも明らかになるのだ。 若くして『限りなく透明に近いブルー』(76年)でデビューして以来、村上龍は一貫して誰よりもこのステートの原理に敏感であったが、『コインロッカーベイビーズ』(80年)でそれに対応する最初の姿勢を打ち出した。そしてその姿勢は『愛と幻想のファシズム』(87年)、『五分後の世界』と基本的には変わっていない。明晰にこの暴力に基く軸を認識し対抗しなければ自由はない、したがって対抗する個人のみを認めるという姿勢だ。また、この暴力に対抗するにはそれがどのようなものか認識できていなければならない。ただ恐れ忌避する姿勢は唾棄すべきで、いかに対抗するか考え、また有効に対抗できなければ奴隷化してしまう ― これが村上龍の信念であるが、この信念は同時にネーションを鋭く批判する。 近代国家はキャピタル・ネーション・ステートの複合体であり巨大な矛盾をかかえこみながらこの星を破壊しつつあるが、批判はできても揚棄するのはとてつもなく困難に見える。すぐれた小説家として、村上龍は知力と直感を惜しみなく動員して自身の自由を確保しえている。キャピタル・ステート・ネーションに対する感受性も第一級のものだと感じられる。しかし、まだ何かが足りないのではないだろうか? 『希望の国のエクソダス』で生まれかけた建設の為の闘争の原理、とでもいったものが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
~「自分はどちら側に立つかを、まずハッキリさせなきゃ。」この小説の底にはこんな言葉が呪文のように流れてる。 大きなメディアは「報道の公平性」の名の下に「どちらに転ぶか分からない問題」には明確に態度を示さない。例の堀江モンvs.フジテレビでも、当のフジテレビですら中立っぽい報道に終止していた。そんな時代だからこそ、この小説の文学性は非常に~~高い。ただ単なる娯楽モノではない。 だけど、その高い文学性に気づかないほど、物語としてのこの小説は、メチャおもしろいっスよ。~ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まあ、北朝鮮の特殊部隊員が福岡を占拠し、、、というあらすじだと、なかなか興味の向かない方も多いかと思いますし、戦闘や拷問の描写でちょっとグロい部分もありますが、でも一部の村上龍好きの、斜に構えたインテリ層だけじゃなくて、今を生きる多くの日本人に読んでもらいたい一冊です。 この本には、筆者の、日本という国に対する、あきらめと、希望と、共感と、そして嫌悪がぎっしりと詰まっています。それをたんに好き嫌いと評するのではなく、受け止めて、咀嚼して、自分なりの言葉を紡ぐことで、読み手も何かを生み出すこができる。そんな小説だと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『コインロッカー・ベイビーズ』、『愛と幻想のファシズム』、『5分後の世界』を合わせたような作品。しかし、この作品には『コインロッカー・ベイビーズ』の危機感、『愛と幻想のファシズム』のカタルシス、『5分後の世界』の迫力は存在しない。なぜだろうか。 くどくどと繰り返される、「日本はダメだ」という失望についての <説明> を読みながら(上巻はほとんどこの <説明> でページが費やされる)、作品のテーマや内容よりもむしろ執筆者である村上龍自身に関心が向かってしまった。 思うに、この人は何かに焦ってるのではないだろうか。 彼が何かの本で読んだと思われる政治や軍事、建設や精神医学の情報がただあまり意味もなく羅列されているのを見て、そう感じた。 彼が書いたエッセイか何かで、「神は細部に宿る」という記述を繰り返し使っているのを読んだことがあるが、神は決して「情報」に宿るわけではないし、その知識はただ本を読むことで得られるものではない。「細部」は様々な感覚や経験のフィルタを通じて「知識」や「知恵」となって、ストーリーを補うものとして使われて始めてリアリティ(現実性=神)となるのではないだろうか。小説家の本分とはおそらくそのへんにあるのではないか。 村上龍がこの作品で成し得たかった「何か」、それ自身はきっとそれなりに意味があるものだと思う。しかし、彼は上記の小説家としての本分を果たしていないため、本作品ではそれが実際に「何」なのかは分からなかった。そして、私は彼が本分を果たせなかった理由を、彼の(老いと自身の限界に対する)焦りなのではないかと感じた。 焦りは焦りとして表現すればきっと面白いし、彼にはそれができると思う。しかし、彼は「勉強した情報をばらまく」ことでこの焦りと対峙しなかったのではないか。 上巻の最初のシークエンスには、これまでの作品に見られなかった、50代のホームレスを主観に据えた部分が出てくる。「老い」と「敗北」、この恐ろしい現実と村上龍が向き合うのかと思って期待を持って読み始めただけに、中盤以降の流れは非常に残念に感じた。 ただ、下巻の最後20ページぐらいのクライマックスシーンの描写は相変わらず面白い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
賛否両論だが、個人的には久しぶりに村上龍しか書けない、迫力のある小説を読んだ気がする。『小説は「今」をどう書いているか?』という「問い」に、昨今は女性作家の作品のほうが、コメントしやすい。その意味では、本書が2005年の初夏に発行されたのは、大変意味のあることだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とてもリアルな話と思いました 村上龍からの警告って感じかな。。。気になるのは、尾上知加子はどうなんたんでしょう・・・ 通報者で終わりかい!って思いましたw 死んでるのは確実ですがね。。。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイムリーな語句である、 例えば北朝鮮とかテロとか日本経済の衰退 といったものは飽くまで小説としてのモチーフであって 神経質になる必要はまったくないと思った。 たった今読み終えたばかりだが 本文の中で度々繰り返される 多数派、少数派といった言葉が最も印象深い。 日常生活において耳にする「長いものに巻かれろ」的な 精神は果たして私たちに本当に 安心と平穏をもたらしてくれるのだろうか? 小説の中で、日本政府は侵略してきたアウトサイダーに対しての 対処方法を持ちえていなかった。 官僚と言われるいわゆるエリート集団も 最優先事項とはこの場合いったい何を意味するのか理解 していなかった。 結果的に社会的にはアンダーグラウンドを生きてきた 少年(青年?)たちが高麗遠征軍を全滅させる。 なんと言う皮肉だろうと思う。 日本をまたは福岡を救ったのだと言えなくもない。 ホテルの倒壊場面は美しくさえあった。 爆風や地面の揺れがはっきりとイメージできる。 もう続きが読めないことが残念でならない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
話題の北朝鮮問題と言うことでかなり期待しましたが、前半政治的要因叉日本のおかれている立場など詳細で面白く読めたのですが、後半のビル倒壊に至までの流れがちょっと早すぎる感じがしました。上中下ぐらいの3部作だったらもっと詳細にストーリ展開ができたと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本のすごさは、村上氏の圧倒的な取材力にあります。北朝鮮軍の隊の規律や人間関係の雰囲気だけでなく、建築学的なディティールなどその細密さには感動すら覚えます。 ストーリーには触れられませんが、決断できないという病気に罹った日本という国の存在にイライラさせられて、それが実感として伝わってくるところに切なさがあります。 うーん、本当に近い将来このような事態に遭遇するのではないか、いや、もう遭遇しているのではないかと不安になりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
近代小説 ではないが 村上龍の作品として、ある観点でベスト! ★★★★★幾分教条的な観点になるけれどテーマとなっているのは、自分で考え、行動すること リスクと責任を自覚しない日本、”日本人”、多数派であること、かなりリアリティのある未来予測とイマジネーション そして提示される出口の妥当性・リアリティや良し。近代小説、つまり近代における個人をどうのこうのやストーリーテリングとして どうこうはおいておいて(自分は十分楽しんだけれど)、 そのリアリティ、人間は圧巻。* 大切なのは形・答えではなく、不断にプロセスが行われつづけること、 多様な主体が互いにコミュニケーションしながら共存・共生するプロセスそのものであり 平和な法律が世界で決まるとか一なる世界政府ができるとか日本はどんな国みたいな「形」ではない。 人間とコミュニケーションのありかたが日々、国という複雑系を織り成しつづけるのであるから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上龍は真正のアナーキストだと思っていましたが、いまさら近未来戦争シュミレーション小説とは、釈然としませんでした。娯楽小説として書き上げたのか、近未来小説として書き上げたのが、作者の意図が不明です。こうした小説のライターは他にたくさんのプロの書き手が日本にはいます。星1つです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
奇抜であるが、面白く読みました。 非常にディテールが細かく、まさに『今ここにある危機』的な内容で素晴らしかったです。難を言うなら、“コリョ”たちに抵抗する若者たちのプロフィールでしょうか。 数々の殺人や事件を起こした若者たちがあそこまで真摯に逞しく変化するものなのか・・・ 個人的には、その手の若者が小説の中のような行動に走らないと思うし、作者のアウトサイダーへの妙な肩入れのようなものを 感じ、せっかくのリアリティが若干薄まるのを感じました。(これは、人それぞれの考え方ですが)ともあれ、非常に読み応えがあることは確かです。少々お値段は張りますが、ご一読をお勧めします。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!