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半島を出よ
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半島を出よの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全322件 61~80 4/17ページ
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下巻の半分くらい読んだところで、ああ、あとこれだけで終わってしまうのかと残念なほどの吸引力。「五分後の世界」も面白かったけど、さらにその上を行く村上龍の最高傑作。 | ||||
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『昭和歌謡大全集』の続編。イシハラの変態がまるでこの国のヒーローのように思えてくる。綿密な取材を元に書かれたのだろう、読み進めるにつれ北朝鮮の「事情」が浮き彫りになってくる(リサーチされた情報の羅列は退屈で読みがたいのは事実だが、この小説の設定として必要不可欠なものだし、物語に深く入りこむためにはやはり書かれるべきだったのだろう。すっとばして読むこともできるがまあ一応勉強になるから読んで損はない)。日本はどうしようもない国、という設定はけっして笑いごとではなく、ここに書かれていることが現実になるということもなきにしもあらず。占領された福岡の北朝鮮基地内に爆弾をしかけるラストは壮大にして爽快。一番おもしろかったのは、イシハラたちのそれぞれが武装のショーをするところで、仲間の一人が死んだときのみんなの反応が人間離れしていて思わず「うそ!」と叫びたくなる。登場人物がやたら多いのは『昭和歌謡大全集』を読んだ人なら一目瞭然だが、とにかく集団のなかの個人の個性のなさ、一人の人間の意志のあやふやさを描き出すには、似たような人物をバンバン登場させて、彼らは誰一人として特別ではなく、ある傾向に従って行動しているにすぎない、ということを書き出したかったのだろう。とても極端だが、北朝鮮軍の人格の欠落、さらに日本社会から追放された、あらゆるものから阻害された人間の心理はとても興味深いし、そんなこと書く人村上龍以外にいないだろう。そして見落としてはならないのは、物語を通して実際の日本国内で勃発するテロないしクーデターに対し、それが国際的なものにしろ国内だけにおさまるものにしろ、日本政府の組織としての機能が脆弱すぎる、穴だらけ、ということをこの作品は指摘している。 | ||||
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北朝鮮がミサイルを射撃している昨今、いつこの作品のような出来事が 起こってもおかしくないだろう。平和ボケしていた私にガツンとハンマー で目覚ませてくれた。 ただ、北朝鮮軍人も非人道的なタイプばかりではなく、話せば解る人もいて 平和的解決策も無きにしも非ずといったところか。 しかし、拷問や食糧危機はなんとしても避けたいので、日本に侵略して欲 しくない。政府には期待できないので、神頼みするしかない。 | ||||
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1円で購入しましたので、覚悟していたのですが…、少し汚れが気になる程度で状態もよくいい読書ができました!! | ||||
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私はこれまで村上龍の作品をあまり読んでこなかった。 何冊かは読んだと思うが、タイトルも思い出せない。 つまり、それほど印象に残らなかったということだ。 彼は経済番組などにも出演しているため、彼の書く作品もちょっと硬いものなのかな、というイメージを持っていた。 だが、この「半島を出よ」は違う。 読みだしたら止まらない、完全なエンタメ系の小説だ。 いや、けっして内容が軽薄だというわけではない。 全編にわたって、圧倒的な量の専門知識がちりばめられている。 まるで歴史小説のように、細部の描写までが緻密に描かれている。 それなのに、スラスラと読めるから不思議だ。 登場人物の量はけっして少なくはないが、それぞれが個性的なので混乱することはない。 あろうことか、私は高麗遠征軍の面々にシンパシーを感じてしまった。 冷酷無比で感情のかけらもない集団のはずなのに、なぜだろう。彼らは妙に人間臭いのだ。 イシハラのもとに集まる社会不適格者たちも、なんだか憎めない。 もちろん、現実世界では絶対に彼らと関わり合いたくはないが。 北朝鮮情勢は良くなるどころか、日に日に悪化しつつあるように見える。 この小説と同じシチュエーションが再現されることはないだろうが、 できることなら、彼らと戦火を交えることは避けたいものだ。 | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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これはもはや小説ではない。 この本に書かれていることが明日現実のものとなったとしても、私は驚かない。 圧倒的なリアリティ。 それでいてエンターテイメント的要素も十分にある。 下巻が気になる。 | ||||
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誰からも相手にされない、はみだした世界に生きる人々が、我々に成り代わって、北朝鮮の侵略部隊を殲滅する。 読み終わって痛快の一言に尽きる。 譲歩と妥協、屈服と敗北を重ねていた日本側が、はみだした人間たちによる、自発的な反撃によって、相手の根拠地にもぐりこみ、やつらに対する、反撃と殲滅を行った場面では、喝采したくなった。 またこの作品が出現した当時、我々はある意味、「こんなブザマな日本国政府であるはずがない」という幻想を抱いていたので、ここに書かれているような最悪の事態は、創作上の空想だ、と思っていたかもしれない。 だが、我々は、この間に3・11の大震災と福島原発事故を体験している。 危機に対して決断できない政府を実際に目撃し、解決に向けた具体的な判断さえ放棄し続け、放射能災害の危険に対して事実の隠ぺいで通し、揚句に、失敗の責任を誰一人取らないという現実を目の当たりに体験している。 そうした現実を知った今では、この小説で描き出された、ありえない政府の無能ぶり、信じられない責任回避、想像を超えた馬鹿げた行動ぶりは、心底、現実感を伴って読むことができる。 我が国が、戦争に準じる事態に巻き込まれた場合、おそらくは、ここで描かれたかなりの部分は現実になるだろう。民主党政権が自民党政権に戻ったからといって、何も変わらない。この小説で描かれた空想の世界は、現実の我が国の政府の行動を予測したものだと、今では現実感をもって考えることができる。 我々に成り代わって、対決してくれた、はみだした人々の勇気と行動によって国が救われる。なんだか、大東亜戦争の末期に、体当たり攻撃でもって、国を救おうとしてくれた人々を想起するような、結末でもある。 エンターテインメントとして、とてもよくできている。また、流行作家とも思えない膨大な基礎資料の読み解きと、取材を行っている点でも評価に値する。 また、手にした基礎資料と取材に溺れることなく、これらを自分のものとしたうえで、想像力を発揮した作者の力にも敬服できる。 | ||||
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半世紀以上も戦争とは無縁で、徴兵義務もなく、切迫した危機感も体験してこなかった我々。国家の防衛さえ「同盟国が代行してくれるのではないか」。そう、我々は信じているふしがある。 我々は、日々の生活的な飢餓や、騒乱や死が強制的に日常に介在している、そういう悲惨からは無縁の場所で生きているので、それは仕方がないことかもしれない。 暴力や暴言は悪とされ、騒がずあわてず、抵抗せず、秩序正しく。子供の時代から、そのように育てられて、そのわりには、陰惨ないじめや未成年の自殺者が絶えることもない。 そのような、あたたかくも曖昧な世界に、攻撃的な目的をもった武装集団が、制圧したらどうなるのか。われわれは、その時、どう対処するのか、できないのか。 小説の形で、ここまで現実感をもって突き付けられるとは思わなかった。 ここに書かれているように、我々は、東日本大震災やそれに伴う原発事故災害など、巨大な事象についての対応力が、ほとんとなかった、ということも実感している。 決断できない政府、決断を回避しようとする政府、責任の所在さえ明確でない。大東亜戦争の作戦の起案と、その悲惨な結末について、ろくに責任追及さえされなかった過去と同様に、我々は一歩も進歩していなかった。 政府の原発事故対応などを知る我々には、実感として記憶されている。準備もなかったし、これからも期待できないだろう。まして、他国の侵略に直面した際に、自衛力は機能できるのか。戦力があっても行使できるのか。 6年前に書かれたこの作品は、そういうことも見通していたかのようだ。 ネタばれするので詳述は避けるが、あまりのリアルさに、息が詰まった。 進攻する側の北韓の兵士の心情。被制圧側の市民の行動と反応。戦争や武力闘争が日常化している地域では、いまも、ここに描かれた世界が現実に広がっているはずだ。 この作品が、どうして映画化されないのか。不思議でならない。 エンターテイメント性も高い。登場人物のすべてが、個性が発揮されている。それぞれの立場で、おのれを貫こうとする人々の究極的な対決=殺し合い。とてもよく描かれている。 映画化の話が持ち上がらないこと自体が、この本で描かれた、我々が置かれた立場なのかもしれない。 また銃器による殺傷や、暴力による制圧の場面は、とても現実感をもって描いてある点でも素晴らしい。 一般的な映画や小説では、「金属が高速で人体にぶつかり貫くとどうなるのか」。あまりにも抽象的にしか描かれていない。この作品は違う。 きちんと描いてある。 生きている俳優が演技としての死を表現している。一般的な映画やそのほかの作品のほうこそ、罪が重い。死を美化する危険さえある。この小説のように、死を描くのであれば、現実を直視するべきだと思う。 | ||||
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ノンフィクションの手法によって構成された壮大な実験小説。 (村上龍の小説があまりにもナイーブな文学からかけ離れた説得力を持っているから)文学的に認められることはないだろうが、可能であれば読み継がれていって欲しい一冊。 国家レベルの危機管理のミスと、敵への情報提供者となってしまう主婦と、911テロの検証が個人的にツボでした。 有事の想定は小説家の仕事ではないのですが、可能性を模索するには政治家にも官僚にも不可能なことで、なんだか悲しくなってしまいます。 専門的な知識をいろいろと身につけていきたいです。 | ||||
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「五分後の世界」や、その続編の「ヒュウガ・ウイルス」ほどではないけど、 なかなかどうして、それに続くぐらい、この作品は久々のヒットでした。 いや〜〜面白かった。 「エロい描写する暇があったらエグい描写増やしてくれ」と思っている タイプの読者にはおすすめです。 | ||||
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<上巻>で描かれているような状況は、いつ何時起きても不思議ではない。 村上さんの着眼点は素晴らしいと思いました。 | ||||
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<上巻>に醸し出された危機感は下巻では継続せず、荒唐無稽で安易な結末となっておりとても残念です。 | ||||
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膨大な情報量をここまでまとめ、描き出している村上 龍さんの作家としての力量に唖然とする。 シナリオもぶれることなく、最期まで集中して読めました。 | ||||
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「いつか読むリスト」の中から、たまたま手にして、いま読めて超ラッキー! 舞台設定は、上梓したときから見て近未来だった、今年2011年。 今年読むのと来年以降では、味わいが違ってくるから、とにかく早く手にとって、読むべし。 所詮、今時の政治家なんて平和ボケしてて、何も変わってないと今更ながら思い知らされた。 | ||||
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本書のハードカバーを買い求めたのは既に5年以上前。仕事が多忙で時間が無く、本棚に入れっぱなしだった。まず、超絶的に面白い。村上龍氏得意の仮想現実スタイルなのだが膨大な情報を明晰に整理して圧倒的なストーリーテリングで完成度が非常に高い。ただ、難点を言えば著者の生理に特有だったねっとりとした-無論良い意味です-文体がかなり硬質なものに変化している。しかし、これだけの情報量を盛り込むとなると細部への混濁はテンポやリズムを落とし蘊蓄や衒学に陥りかねないのであえて意図的に選択した手法なのだろう。〜ただ多くの読者の方が思うように「面白いけど、これって純文学か?」という微妙な疑問があるだろう。純文学とは何か?とは原理的に説明するのは難問だが、ありうるかもしれない現実すらテーマに取り込む事を考慮すればこういった作品もありだとあえて断言したい。村上龍氏は思い付きで興味のある事をポンポン小説にしてしまい、余りの多作なので中にはかなりレベルの低いものもあるのだが「本腰入れればこんな凄い小説書けるじゃん」というのが久方ぶりの感想だ。 | ||||
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こんなにレビューが多い中、今更書いたところで埋没してしまうのですが・・・ 偶然にも私が読んだタイミングは、本作の設定である2011年4月まで、あと2ヶ月という時期。返す返すも偶然なのですが、そこにリアルさが俄然増して読むことになりました。 リアル世界での朝鮮半島情勢を鑑みると、本作のような計画が蠢いていても何ら不思議ではない、と思わせる緻密な設定。 本作は4年以上も前に書かれたそうですが、我々日本人が普段メディアを通じて知っていること、また先入観ばかりで知る由もない実態を、相当深い取材によって得たと思われ、説得力を持たせています。2010年にこそ一般に知られるようになった後継問題、中国との関係、内部対立、更には金融危機すら予見していたのか?と驚かされるほど的中した日本の経済情勢、国政変動、対米関係の歪み・・・まるでノンフィクションだったっけ?と錯覚に陥ってしまう巧みさ。 そう、我々は安穏とし過ぎて、置かれた現況を全く理解していない、惰眠を貪る平和ボケ・・・なのか。 それにしても考えさせられるのは、現在の平和というものが、どれだけ幻想か。 国防なんてものは一種のポーズで、有効に機能するなんてのは机上の空論、且つその事実から目を背けているとしか思えません。 これだけ核兵器や大規模破壊に繋がる最新技術がありながら、なぜゲリラ戦術やテロというものが続けられるのか。 資金力だけではない、戦争の本質はこういうところにあるのかも知れません。 そう思うと、昨今の領土問題など、あまりに無防備、徒手空拳なことか。 その気になれば、舞台となった福岡はおろか、いきなり東京を占拠することも出来たのではないか。 もしかしたら仲の良い隣人も実は・・・・・・考え過ぎ? でもそういう、ある日常の風景に溶けこんでしまえば、内部から一気に攻撃することはたやすいわけです。 そんなこと普段から心配してたら身が持ちません。 それは世界中誰もが同じことでしょう。 それこそがリアル世界における平和の均衡であり、一つ綻べば瞬時に崩壊する危うさを内包しているのかも知れません。 同時にこんな事態の当事者は、一方は中級軍官、一方はニート。 しかも主人公というものは置かれず、物語に対する一種の匿名性から、この世界の均衡への疑問と皮肉を感じさせます。 ところで文体としては、決して読み易くありませんでした。著者の他作品に不見識ですが、こういう書き方なのかな? セリフが文中に挿し込まれているため、文のテンポが独特で、ちょっと慣れるまで苦労しました。 また様々な立場の登場人物がいるものの、伏線となりそうでならないところに、やや消化不良を感じます。 前半あれだけドタバタ劇を繰り広げた内閣や、本書背表紙の「危険な恋」とか・・・細かいオチは全て読者の想像に委ねられたのでしょうか。 本当の2011年4月はどうなるのでしょう。こんなこと起きては困りますが、当たらずも遠からず、平和と危険は表裏一体だったと気付かされる何かが起きても、何ら不思議ではありません。 | ||||
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ぼくの出生は福岡なので、物語が展開する地域にかんしても思い入れがありますし、何よりもテロと北ネタが大好きなので、都合3回も通して読みました。 村上龍といえば、デビューして少し経った後の「エログロ」が微妙に人気を博しましたが、「愛と幻想のファシズム」以降は政治・経済・社会派ノベリストとして高い質の作品を送り出しており、ぼくは最近の作品の方が好きです(ときどき蔵書から以前のものも引っ張り出して読みますが)。 表紙の生物は「ヤドクガエル」。故郷を離れると人間すら死に至らしめるその毒を失ってしまう、という性質は、本書のある側面のメタファーであると思います。 | ||||
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デビューの時からのファンであるが、この本だけは、本当に中身が無いという感じを受けた。著者の本気度さえも疑うようなもので、残念である。 私は、著者の作品では、1987年に刊行された「愛と幻想のファシズム」が最も印象的であった。日本のものでは初めて、ある種のリアリティを持った、しかも面白く、感傷的でロマンティックな近未来政治経済小説を成立させたと思ったものである。現在と重なる部分も多く、現時点から眺めても、一種のパラレルワールドが進行しているとも思えるような傑作だと今でも思っている。 「コインロッカーベービーズ」「ニューヨークシティマラソン」「走れ!タカハシ」など、この前に出された様々な作品は、どれも魅力的で、その頂点に「愛と幻想のファシズム」があった。この本は、その18年後に「愛と幻想のファシズム」を明らかに意識して書かれたようである。 しかし、この本は酷い。書いてあることは、過去の作品の焼き直しや、継ぎはぎのようなものであり、とにかく、先が容易に読めてしまう。物語自体に魅力が無い。「愛と幻想のファシズム」に感じたある種のリアリティは、この本では薄っぺらなセンセーショナリズムと「最も厳しい世界の現実を日本人に教えてあげましょう」的な独善性に終始し、日本の現状の提示などとは無関係の本当の三文小説になっている。ホームレスが活躍するあたりでは、「20世紀少年」なんかを思い出してしまった。安直な感じ。 長年の彼のファンとしては、見たくなかった作品である。著者の研究家以外の方には、とても勧められない。 ただ、2005年のこの作品以降はしばらく彼の作品を見る気もしなかったが、最新作は久しぶりに良さそうなので、読んでみようとは思っている。 | ||||
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