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ハロウィーン・パーティ
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【この小説が収録されている参考書籍】
ハロウィーン・パーティの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 1~20 1/2ページ
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大半はポアロが靴底をすり減らしながら調査をする話なのですが、息を飲む展開や大仕掛けのトリックなどはなく、淡々としていてあまり楽しくありません。 ポアロのシリーズを順番に読んでいて、この一つ前の「第三の女」はポアロとオリヴァ夫人の掛け合いがとても楽しかったので今回も期待していましたが、その掛け合いも精彩を欠いています。 また、不要と思われる描写や無駄に長い台詞もあり、内容のわりに冗長に描かれていて、ちょこちょこ斜め読みしてしまうほど退屈でした。 唯一、犯人が今までにないタイプなのは面白くて良かったのですが、暴かれた後のカタルシスが皆無なのはとても残念でした。 子供が殺されたという非常に痛ましい事件なだけに、このラストはもう少し溜飲が下がるようなものにして欲しかったです。 また、翻訳が酷く、文脈が分かりにくいというか文意が通らないというか、変な言葉や文章が多く非常に読みづらかったです。 新訳が出ているようなので、そちらを買った方が良いかと思います。 レビューを書いていて今気付きましたが、この翻訳が作品を台無しにしているかも。 楽しいはずの作品も読みづらいと楽しめませんから。 | ||||
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アガサの作品は10冊以上読んでいるファンです。 が、なんとこのハロウィンパーティーは未読です。 が、映画に失望したので、早く原作を読みたいと思ってます。 上映されているので先に映画を見ることにしましたが、かなり違いました。 映画は全編を通して屋敷の中で真っ暗。 最近の映画の流行で、大音量で観客を脅かす仕組みで、バン、ドカン、バタン、ドン、ガタン、という音がサラウンドシステムで観客を襲います。耳栓を持参して良かった!鼓膜を守れました。 画像も恐怖を煽る仕組みでギラギラ、ゆらゆら。お化け屋敷状態。 最後にポアロの謎解きが終わってから、やっとベネチアの明るい風景が見られ、あ、ここはベネチアだったのだと気が付き、暗い屋敷の中だけなら、どこの国でも構わない気がしました。 アガサの得意な豪華な屋敷の内装などは真っ暗なのでほとんど見えません。 アガサの描くポアロは、きちんとした清潔好きな人なのですが、あの伸び放題のボサボサした大きな髭はイメージと違うし、天国のアガサも、こりゃ違うわ、とおっしゃるはず。不潔ぽいです。 ピーター・ユスチノフや、デビット・スーシェよ、カムバック! というわけで映画を見る人には耳栓必須とお伝えします。 ガタン、ドン、バタン、の大音量が体を揺らすほどに響きますのでせめて耳は守りましょう。 これから、静かに原作を読んで楽しみたいと思います。 | ||||
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本書『ハロウィーン・パーティ』には、ポアロが堂々登場しています。 冒頭の「登場人物」のページに、なんとトップに躍り出ていました。 さらに「ミステリ作家」のアリアドニ・オリヴァーが二番目に。 ポアロとオリヴァーのお二人さん、まるで主人公気取りです。 本書本文中には、何度も何度も、同じ歌が聞こえてきました。 「カランコロンと鐘が鳴る、子猫ちゃんは井戸のなか」(268頁、313頁、383頁) 「カランコロンと鐘が鳴る」(314頁) 「カランコロンと鐘が鳴っても、井戸のなかに子猫がいなかった場合ですか?」(351頁) どこから来ている歌なのでしょう? 調べてみると、古い「子守歌」(268頁)の一節 「Ding Dong Bell, Pussy’s in the Well」でした。 でもね、カランコロンと下駄が鳴る、のは日本。カラスが鳴くから帰えろ。 ディン・ドンと教会の鐘が鳴る、のは欧米。宗教観が深く響いています。 本書は新訳です。《ディン・ドン》と厳かに オノマトペ してほしかったです。 「オペアガール」という、ポアロのような英国人でさえ間違いやすい、 見慣れぬ単語も、何度も出てきました。 一般名詞です。 本書の登場人物の中の誰のことか? ガールというから女性でしょう。 「オペアガール、つまり、住みこみで働く外国の女のことですな」(109頁) 「例えば、オペラガールの件とか」(112頁) 「全財産をオペラガールに遺すというものでした」(113頁) 「そのオペラガールなら楽々と偽造できる立場にいたことがわかりました」(115頁) 「オペアガールです」(188頁) 「オペアガールが殺されたと信じる理由はなさそうです」(189頁) 「あなたやわたしが “オペアガール” と呼んでいるものです」(190頁) 「オペアガールに財産を譲ると書かれていました」(190頁) 「献身的なオペアガールに多額の金を遺贈する」(218頁) 「屋敷には住みこみのオペアガールがいて、夫人の身のまわりの世話をしていました」(241頁) 「外国からきたあの《ペアガール(傍点あり)》が遺産を独り占めしようとして」(273頁) 「外国人の女が、オペアガールが、夫に先立たれた金持ちの老婦人のご機嫌とりに努め」(291頁) 「その人がオペアガールに全財産を譲るという遺言補足書を作成したのは事実」(298頁) 「ミセス・ルウェリン=スマイスがお気に入りのオペアガール」(300頁) 「オペアガールはもう日常生活の一部です」(319頁) 「誰だったんです? オペアガール?」(358頁) 「ずっと行方不明だったオペアガール」(365頁) 「全財産をオペアガールに遺すという遺言補足書を作成した」(378頁) 「オペアガールはどうなったと思われます?」(383頁) さて、283頁には「ジェイムズ・ジェンキンズ」という人物が突然登場しますが、 「登場人物」欄に名前がありません。何者なのでしょう? 「ジムというのは、庭仕事を手伝ったり、薪や石炭を運びこんだり、まあ、そういう仕事をしてる若い男です」(274頁) 「わたし、ジムの住所も何も知らないんです」(282頁)とハリエット・リーマン。 このハリエット・リーマンという女性も「登場人物」欄に名前がありません。 仕事は、掃除婦です。 この二人、ジムとリーマンは大富豪の奥さまに頼まれて、 わけもわからず「遺言補足書」に証人としての署名をしてしまったのです。 《正誤表》 箇所: 399頁 誤: HarperColins 社 正: HarperCollins 社 | ||||
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【感想】 クリスティ全盛期の作品ではないので、他の傑作、名作と比べると見劣り感はある。ただ、犯人を犯人と思わせないミスリードのテクニックはさすがで見事に手のひらの上で踊らされてしまった。序盤から中盤くらいまで地味なのが残念。 【評価】 オススメ度 3.5 読みやすさ 3.5 意外性 4.5 | ||||
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映画が公開されるにあたり、まず原作を読んで、と思い購入。 アガサが好きで結構読んでいますが、いつも登場人物が多いので何度も人物紹介の頁をめくりながらになります。 あれこれ推測するも今回も犯人当たらず。アガサ女史には脱帽ですわ。 映画はベネチアだし高霊術とか出てくるみたいで、原作とは別物と考えた方がいいみたい。 時間ができたら新訳ではない方 も読んで、違いを味わいたいですね。 | ||||
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今月公開のポアロの映画の原作なので、再読したくて買いました。映画と原作どう違うか楽しみです。 「文庫本の上端が揃ってなくてギザギザ」というレビューがありましたが、これは早川文庫や新潮文庫などの仕様で「天アンカット」といいます。ザクッと切り落としてしまうほうがよほど簡単なのです。これは、わざわざ、技術が必要でより手間暇のかかる昔からのやり方を続けておられるしるしであり、出版社の心意気です。 | ||||
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山本やよいさんによる新訳が出たことを知り、再読することにしました。また、巻末の若竹七海さんの解説中、本書が映画化され近々公開されることを知り、少しだけ調べてみましたが、邦題が「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊」とあり、何故ロンドン近郊を舞台にしたパズラーの舞台がベネチアに改変されているのか?益々わけがわからなくなりましたが、戻りましょう(笑) 或る住宅地を訪問した作家アリアドニ・オリヴァー夫人が<リンゴの木荘>で開催されたハロウィーン・パーティに参加します。様々なゲームで盛り上がったパーティ後に十三歳の少女が水を張ったバケツに顔を突っ伏したまま死んでいるのが発見されます。殺害された少女がパーティー中に「子供の頃に殺人を目撃した」と言い張っていたことからオリヴァー夫人がポアロに相談し、このミステリの幕が切って落とされます。旧作とは言え、パズラーはパズラー。これ以上そのストーリーを語るつもりはありません(笑) 中盤、ポアロが<沈床庭園>にて庭師と遭遇し語り合い、その後もう一人の少女・ミランダと出会うシークェンスの美しすぎるほどの凄みがこの物語の白眉だったのかと思い返すことになりました。すべてはトロイア戦争の王女イフゲニアの悲劇へと収斂し、私にとってはマイケル・カコヤニスが監督した映画「イフゲニア」へと直結し、おそらくあの名作「ベルファスト」を監督したケネス・ブラナーであればこのミステリの舞台がベネチアに変わってもきっと何とかしてくれると思えたりもしました。支離滅裂だ(笑)。それほどまでに「アウリスのイフィゲニア」まで語ってみせるクリスティーの<謎解き>を私は愛して止みません。 □「ハロウィーン・パーティ “Hallowe’en Party” 」(アガサ・クリスティー 早川書房) 2023/8/28。 | ||||
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本の天の部分がガタガタ 高さが全くあってないです。 急いで作ったのか分かりませんが ガタガタすぎてきになる。カバーも汚いし 普通に定価で買ったのにこれはひどい | ||||
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買って損はなし。アガサクリスティーの魔力が読み終えるまで続きます。面白かったです。 | ||||
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ヘイスティングズが登場しないからか、はたまた「吾輩は世界一の名探偵エルキュール・ポアロである」といったうぬ惚れが影を潜めているからか、どことなく角の取れたポアロ(おまけに、靴ずれを苦にしている。田舎道を歩くのにおしゃれ靴にこだわるから自業自得) 小さな町の住人たちの間を聞き回る彼は、どことなくミス・マープルの風情を感じさせます。 幾何学的な悪夢が黒々と立ち上がってくる深夜ではなく、楽ちんな午後に読むのが似合いそう。少年少女が生き生きと描かれていて、それだけに犯罪の残忍さが際立つのだけれど。 人物の配置が巧みです。意外な「二人」が一つの線で結び付く。しかし・・・ ポアロはもはや灰色の脳細胞を自慢しない。作者も肩の力が抜けている。何しろ本作が発表されたのはビートルズの時代で、またアリアドニ・オリヴァがポアロの組織的な思考をコンピュータに例えるシーンもある。ミステリを書き続けて半世紀、高齢の作者はむきになってアクロバティックな論理の遊戯をするのは、もはや大人げないと感じているのでしょうか。 ・・・「二人」のペアの作り方や線の引き方は、ほかに幾つも考えられそうな気分になります。もっともクリスティの作風は昔からそんな印象を与えますが。 アリアドニ・オリヴァとスペンス警視は『マギンティ夫人は死んだ』でポアロと共演してます。そして、 〈「もう結構」とミセス・オリヴァは腹だたしそうな声で言った。「いつものとおり、みんなわたしのせいになさいまし!」〉『ハロウィーン・パーティー』本書)とオリヴァ。 〈「とんでもありません、あの男は犯人ですとも!」それからつけ加えた。「なにしろ、どんなことにでもうぬぼれの強いやつですからね!」〉(『マギンティ夫人は死んだ』田村隆一訳ハヤカワ文庫)とスペンス。 こういうふうに2人からキツイ言葉がポアロに浴びせられています(これまた自業自得) ところで、ハロウィンはキリスト教の行事ではないようですが、その呼称はキリスト教の行事である万聖節の前夜という意味らしい。 「英語のHallow-e'enはAll-Hallow-Even(All Hallows' Eve)の短縮形で、ハロウ(Hallow)は聖人を指す。従って「諸聖人の前夜」という意味になる。」(『キリスト教の歳時記―知っておきたい教会の文化』八木谷涼子・講談社学術文庫p270) 「諸聖人の日」(万聖節)はキリスト教の暦に11月1日と定められているとのことです。その前日10月31日は、ケルトの古い信仰では一年の終わりの日、大晦日である由。宗教的な中味とは関係なく、日付の並びでハロウィンという名前になったらしい。 本家本元がケルトなら、「ロード・オブ・ザ・リング」のねずみ男、ゴラムのコスプレをする人もいるでしょうか? なお、ハロウィンは日本のお盆という話もありますが、前記八木谷さんの著書には「諸聖人と、翌日の死者の日はいわば日本のお盆に相当する日」(p275)となってます。これは11月1日と2日がお墓参りの日となります。 日本のお盆は先祖の霊を迎えてしんみりする日ですが、ケルトの大晦日(10月31日)は先祖の霊も戻るけど、同時に魔女や悪霊のパワーがマックスになる日とされているようです。 | ||||
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子どもたちが集まる楽しそうなパーティの最中に殺人が! というキャッチーな始まり、いるだけでにぎやかなアリアドニ・オリヴァ女史、好きな道具立てです。 犯人、全然わかりませんでした。 | ||||
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クリスティの数ある作品の中でも、他に類を見ない、一風変わった雰囲気を持った作品です。 クリスティは登場人物が類型的であるなどの批判を受けることもありますが、長いキャリアの中で、その時代時代の世相や社会の変化を作品に反映してきました。書かれたときは“現代”であったその世界には、確固たる裏付けがあり、その意味で現実感=リアリティ(リアルではなく)があったのです。 しかし、この作品ではそのリアリティが希薄です。子供殺しという重いテーマを扱っていますが、陰惨さや社会性はほとんどありません。読み手の違和感を緩和しようとするためか、変質者の犯罪ではないのか、最近は物騒な世の中になったなどの台詞が劇中に散見しますが、それが掘り下げられることはなく、とりあえず言っておこう、という程度にしか扱われていません。 代わりに描き出されているのが、まるで童話を読んでいるような、一種独特の浮遊感。これは本編の白眉というべき第11章で、石切場を改造した庭園とそこに現れる妖精的な少女が描写されるあたりから次第に強くなり、やがてファンタジーとサスペンスを融合させた、幻想的なクライマックスへと向かっていきます。 童話には、子供をさらって食べてしまう魔女や怪物がいくらでも出てきます。ここではそれを受け、犯人にもそれら悪夢の世界のキャラクターを投影した、現実にはほとんどいない、特異な人物が作られています。魔女やおばあさんに化けた狼がお話のおしまいまで来るといい人から悪い人に変わるように、この作品では、犯人も突然それまでの仮面を脱いで正体を現します。そこにポアロの推理はほとんど影響を与えません。ある時期が来た、ということがトリガーになって物語が自動的に展開していくのです。いわば、ここでのポアロは、不思議の国をさまようアリスさながらで、探偵役ではなく、ナビゲーターを任されているのです。そしてクリスティが自身の生んだ名探偵に、このような異質な役を振ったことを踏まえると、ラスト、自身の分身とされる推理小説作家アリアド二・オリヴァに言わせた台詞が効いてきます。これはまさに、クリスティのお遊びにつき合ってくれた読者への感謝とエクスキューズをも表しているといえるでしょう。 本作は、ミステリとして読んでしまうと、おそらく期待外れに終わります。クリスティの意図はもともともそこにないからです。その向きを期待される方には、デヴィッド・スーシェが主演したテレビシリーズの同名エピソード「ハロウィーン・パーティ」をお薦めします。こちらは原作のプロットを活かしながら、サブエピソードや脇役のキャラクターを整理して、ミステリとして物語を再構成しています。これはこれで主旨が明確な、優れた脚色であると思います。アップルボビング(リンゴ食い競争)やスナップドラゴンなど、冒頭を彩るパーティゲームが映像化されているのも楽しいところです。 キャリアの晩期を迎え、歳も80歳に届こうとしていたクリスティが、昔ながらのおとぎ話とミステリを渾然一体とさせて生み出した、実験的な作品。それは混沌としていて、ときに不条理さすら感じさせますが、随所に一瞬のきらめきを放ちます。その評価はなかなか難しいかもしれませんが、ミステリとしてではなく、幻想小説として読めば、美しくも愚かで、そしてはかない夢の世界を垣間見ることができるでしょう。その、ちょっと不思議な世界にこそ、本作の、唯一無二といっていい個性があるのです。 【補足データ】 初版:1969[昭和44]年11月 初版刊行時点でのクリスティの満年齢:79歳 長編として:全66作(Mary Westmacott名義で刊行された非ミステリ長編6作を除く)中の60作目 ポアロ物の長編として:全33作中の31作目 | ||||
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普通にヤケドするんゃないのかなー まぁそれはそれとして オリヴァ夫人はリンゴを止められたのかな? ナツメっておいしいのかな? ポアロが足の痛みをものともせずにエナメル靴を履き続けるのを見て、友達の娘が言ったことを思い出します。 曰く、(可愛いけれどヒールが高くて華奢な靴を履く娘を見て母親が「そんな靴履いてて痛くないの?」と聞いたのに対して)痛いけど、可愛いから痛いのを我慢して履く オシャレ、伊達ってそういうことなのね。 ポアロは自分の美意識を貫くために痛みを甘受するのね。 私はオリヴァ夫人派だけどね。 | ||||
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この作品はハロウィーンパーティーから始まるにも関わらず、あまりハロウィーンらしさがあるとは言えない。 美しく幻想的な庭が出てきて、想像をかきたててくれる。途中、とある人物を水の精に例えるのだが訳が前に読んだものでは「アンディーン」となっていて誤訳であった。 こちらの同名の翻訳家である本はちゃんと「ウンディーネ」と書いているのだろうか。 推理ものとしては確かに驚きは少なく根拠もある人物に限っては薄弱な気もするが、自分はオリヴァ婦人とのやり取りなどに楽しみを見出だすので大変満足。 ポアロの靴に関するくだりなども楽しく読めて好きな作品である。 | ||||
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クリスティーがこの作品で描きたかったのは、独特な犯行動機を持つ犯人像であったのだろうか。 ハロウィーンパーティーで起こった殺人事件と、被害者が目撃したという過去の殺人事件に関する関係者の取り調べが中心の話。本筋と関係のない事件が含まれていたり、不必要と思われる登場人物が出てきて、拡散しすぎ、未整理、冗長と感じる部分があった。 特にこれといったトリックが使われているわけではなく、ポアロの推理も根拠薄弱で、最後まで読んでも成る程と思うようなところはない。パーティーの主催者が花瓶を落とした理由も推測どおりであった。 ミステリ作家オリヴァ―は、作者自身なのだろうか。自作の登場人物に関して言及する箇所があり、興味を引いた。 | ||||
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13歳の少女ジョイスが殺された。 例のあの女流推理作家アリアドネがポワロに助けを求めた。 その後ジョイスの兄も殺される。 犯人は意外な人。 | ||||
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犯人、その人なの~ 面白かったです。 最後は、ハラハラしました。 | ||||
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内容があんまり面白くないのでしょう。 読み進むのに時間がかかるというより、読むのを忘れているようです。 子どもは正直だから、面白いとテレビもそっちのけでよみふけります。 これ、レビューを見ても評価が低かったのですが、ハロウィンの表紙に惹かれた 娘から「買って買って」とせがまれて。 1円で買ったから文句ないです。ありがとうございました。 | ||||
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かなり以前(ん十年前)に読んだことがあり、その時は大したことはないと思ったが、今回、ハロウィーンの時期に合わせて再読してみた。内容はほとんど忘れていたが、昔読んだ時ほどにはひどい作品とは思わなかった。少なくとも、ストーリーはまずまずだと思う。 13歳の少女ジョイスが、前に殺人を目撃したことがあると話したために殺されてしまう。このバリエーションから、まず「死者のあやまち」が頭に浮かび、途中ではジョイスがウソつきで誰も殺人の話を信じていないことから「葬儀を終えて」が頭をよぎった。 最終的にポアロが導き出した真相は、「水」に関する推理はなかなか関心させられたが、一方でなぜ犯人にたどり着いたかといえば条件にぴったりと合うというだけで推理も何もあったものではない。昔読んだ時、たぶんこのことが気に入らなかった原因だと思う。 | ||||
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友人のジュディスの家に泊まっていたオリヴァ夫人は近所で行われるハロウィーン・パーティの準備を手伝っていた。 そんな中1人の少女が「人殺しをみた」と言い出す。 誰もそんな話には真剣に取り合わなかったのだが、パーティが終わった後で彼女はリンゴ食い競争のバケツの中に頭を突っ込まれ溺死させられていた・・・。 オリヴァ夫人から相談を持ちかけられたポアロは事件を調べ始めるのだが・・・。 簡単にこの話の出だしを紹介するとこんな感じだろうか。 オリヴァ夫人がポアロを事件に巻き込む、催し物の最中に殺人が起こり被害者が子供であるという点は『死者のあやまち』と共通するものがある。 作中、オリヴァ夫人やポアロが『死者のあやまち』でのナス屋敷での出来事を思い出しているようなセリフもある。 子供が殺害される理由は『死者のあやまち』も『ハロウィーン・パーティ』も本質的にはさほど変わらない気がする。 彼女たちは子供であるが故に自らの身を危険にさらしてしまう可能性を考慮に入れることができず、自らの虚栄心のようなものを優先させてしまい殺害される。 それは、クリスティが考える子供の危険な性質なのかもしれない。 スペンス警視はオリヴァ夫人も登場した『マギンティ夫人は死んだ』に登場した人物だ。 マギンティ夫人殺害事件に出てきた人物たちのその後が少し語られるのも、クリスティの愛読者としては嬉しいところ。 また、『鳩のなかの猫』で事件の舞台となるメドウバンクの校長、ミス・バルストロードの名前も出てくる。 確かに事件そのものに複雑なところはなく、ポアロの捜査も偶然に頼っている部分がかなり大きい。 ただ、私はクリスティが描きたかったものは事件そのものではなく、この話全体を覆う独特の雰囲気だったのではないかなという気がする。 もとは石切り場だった場所に造られた庭園<クオリ・ガーデン>。 ギリシア的な美を感じさせるその空間を好む少女・ミランダは森の精の様だとたとえられ、彼女の母・ジュディスは水の精・ウンディーネの様だとたとえられる。 庭を設計したマイケル・ガーフィールドは古典の彫刻家の作品を思わせる相貌の持ち主と評される。 『第三の女』でも比喩的に用いられた”イフィゲネイア”の名前も出てくる。 アリアドニ・オリヴァがジュディスと意気投合したのもギリシア旅行の船の中だ。 そしてアリアドニはギリシア神話に出てくる女性であり、エルキュール・ポアロの”エルキュール”もヘラクレスを由来とする名前。 本作は神話やおとぎ話を意識したかのような登場人物や舞台装置がこれでもかというほど出てくる。 発端もハロウィーン・パーティという一種の非日常の空間での殺人事件だ。 ラスト付近の犯人とある人物のシーンもある意味幻想的な雰囲気に包まれている。 作品の端々から感じられる残忍さはギリシア神話においても重要な要素だ。 そして、その雰囲気は犯人への手がかりともなっている。 | ||||
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