冷血

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評判

冷血の評価:

3.76/5点 レビュー 109件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.76pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全209件 181〜200 10/11ページ
No.29
(3pt)

とにかく長い

上巻を読んで。

高村氏の文章はとにかく長い。
詳細過ぎる文章にだれる。極めつけは、パチスロの描写。
延々と2ページ近くも、蛙がどうした、スロットの回る音がどうした、とダレル。
現在の事件を想定して(世田谷の事件の高村解釈が入るが)、読者を裁判員裁判の裁判員へいざなう。

あなたが裁判員裁判の裁判員に選出されたら、こういう被告・被害者・現場と対峙するのよ、というメッセージを受けている様な気分になる。

気になるのは、合田雄一郎の透明感だ。
まったく生物感が無い。
人の批判や論評はするが、彼の日常・欲望が描かれていない。
裁判員裁判の裁判官役に感じる。

今下巻読書中だが、とりあえず、上巻の読後感をまとめておく。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.28
(3pt)

とにかく長い

上巻を読んで。

高村氏の文章はとにかく長い。
詳細過ぎる文章にだれる。極めつけは、パチスロの描写。
延々と2ページ近くも、蛙がどうした、スロットの回る音がどうした、とダレル。
現在の事件を想定して(世田谷の事件の高村解釈が入るが)、読者を裁判員裁判の裁判員へいざなう。

あなたが裁判員裁判の裁判員に選出されたら、こういう被告・被害者・現場と対峙するのよ、というメッセージを受けている様な気分になる。

気になるのは、合田雄一郎の透明感だ。
まったく生物感が無い。
人の批判や論評はするが、彼の日常・欲望が描かれていない。
裁判員裁判の裁判官役に感じる。

今下巻読書中だが、とりあえず、上巻の読後感をまとめておく。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.27
(2pt)

カポーティとの比較による合田刑事批判をさせていただきます

前作『太陽を曳く馬』は刑事合田が尋問をとおして、行住坐臥、縦の重力に貫かれた人間の極限にある、死と背中合わせの自由を追求して、どこかカントの、理性の言葉で理性の極限を論証し、そこに自由存立の根拠を提示したあの徹底性のごときものが、まちがいなく極まったかたちであって圧倒的、感動的でしたが、その前作を縦の墜落の物語というならば本作は、あえて深みを排して、横へと連なり広がる意図をもった物語といえるでしょうけれど、しかし前作にあったような極限性、徹底性はあきらかに後退していて、とうぜん比較されるであろう(連載時は『新冷血』であったという)カポーティの大名作『冷血』のもつ、あらゆる事実関係を、一見したところ無関係であるようなことまでも、丹念、細緻に拾いあげ、視点、時空を自在に断片的に紡いでいくその徹底性ともすれ違っていて、なんとも肩透かしな出来であるといわざるをえません。
 端的にいえば、合田がこの事件に限って刑事失格であるからといえます。かつては容赦なく、根掘り葉掘り尋問していた(それは反射して自問自答ともなった)かれは、いまや有能な事務機械となって連絡調整に徹し、加害者たる容疑者にじかに向きあうことなく、つまり取調べ、尋問することもなく、まるで聴聞僧のように問訊(合掌低頭の作法)している。さいごはほとんどそうなって死刑囚に相対している。だが刑事である以上、かれがなすべきは問訊ではなく訊問です。自問自答のすえに答えのなさに放念(心)する、そんな坐禅ではなく、全身で物証、心証を捜索する行脚です。本作の第一の魅力が、告訴事案の医療過誤事件の部分であるのは、かれが行動し訊問しているからです。
 とはいえ、第二章の特捜本部での捜査活動の描写はあいかわらず、捜査本部内の人間関係や犯人追跡の趣向や奥行、ダイナミズムを極力排し、あえて散文的に平板、殺風景に徹していてなかなか凄味があります。わたしにとっての読みどころはそのへんでした。
 どうやらテーマとしているらしい、動機なき殺人を辻褄合わせにおちいることなくリアルにいかに描きつくすかは、カポーティの『冷血』の視座を参考にした(あとがきにそうある)というわりには新機軸どころか(第一章の意識の流れふうのクロスカッティングがそうなのかな)、お手本の足下にも及ぶべくもなく、大失敗というしかない。
 おそらくそれは『黄金を抱いて翔べ』や『レディー・ジョーカー』のように、犯行の動機がせんじつめれば金ではなくロマンというところにオチて、物語構想の迫力のわりには動因を欠き、中折れ気味であったように、本作もその線でうすらぼんやりとおちついている。なんとも中途半端です。
 しかし動機Xというのは、ロマン(想像力=構想力)ではなく、あくまで理念=原因(超越論的仮象)としてあつかうべき実在性であり、ロジックで論証して目指されるべきものなのであって、そのような問いの形而上学的追求は『太陽を曳く馬』、形而下的には『マークスの山』『照柿』で、どれもたしかな強度をもって果たされているとはいえる。ただXをXとして一個の人格(その境遇)に還元できないものと躊躇して、全方位的な果てない追求へと踏みだしたとき、まさにカポーティの視座が問題となるでしょう。
 一見して行きずりの、出会い頭な、身も蓋もない陰惨な犯罪がなぜ起きてしまったのか。その偶発性、偶有性をけして損なうことなく、だがそうでしかありえなかった運命のごとき固有性、かけ替えのなさをどう発光させることができるか。そこで犯罪は、光子が粒子でありかつ波であるような量子力学的様相を帯びる。カポーティの『冷血』はそんなみごとな一達成です。犯行現場の被害者と加害者から波及するそのさざ波は、その諸家族、諸過去だけでなく、隣人、捜査陣(の家族)へ、そして最後にはほんのちょっとかかわっただけのゆきずりのひと、馬、猫、にまで波動微かにおよばせつつ、かつ最終的には死刑執行、墓地にみごとに収縮する。これは、犯人らの車にひとときヒッチハイクした老人をつれた少年とか、町の広場に居ついた番の野良猫とか、そんなささいながらも、したたかにある様々な人生の輝きが細部に宿ってこそのものなのです。
 やはり比較して提起しておきたいのは、カポーティのラストが死刑執行後の被害者の墓地(そこをおとずれた捜査員の眼で、第一発見者であった成長した少女との再会が点描される)であったのにたいして、高村においては被害者への墓参りは簡単にふれただけで、厳然とした死刑執行でもって物語を終えている、その違いです。犯人の造形についていえば、カポーティのほうが圧倒的です。殺害の実行犯は、無頼に生きつつも、雲散した家族の憎むべき記録だけはずっと大事にとっていました(それが逮捕のきっかけとなる)。だがなによりもいうべきなのは、犯人しか知りえない秘密の暴露(物的かつ心理的)が、ここぞという尋問でみごとに呈されているからでしょう。殺された娘がためていた一ドル銀貨が、それです。それが転がり落ちることで、ふたつの幸不幸の家族が一瞬透視され、そのとき動機というならそのXが鈍く白熱したのです。その鮮やかな細部は、いまでも覚えています。たとえ行きずりであったとしても、犯罪の真相は、加害者の心理、人生行路だけを根掘り葉掘りしても解明できはしないのです。残念ながら、高村作には、かような(被害者と)犯人しか知りえない物的かつ心理的脈絡の追及、発見はみられません。なぜ四人もの殺しが起きてしまったのか。刑事合田は部下の主任に丸投げして慨嘆しているだけです(いや、文庫本を犯人に利益供与さえしている)。これではまるで風が吹けば桶屋がの因果、ああ無常の風が吹く、ではないか。
 カポーティの『冷血』には、一面の麦畑に案山子がひとつ、被害者のように加害者のようにか、ちょっとゆがんで、風におんぼろ衣服を躍らせて佇んでいる、そんな点描があったかとおもう。作品全体の世界観をふっと垣間見せるそれにたいして、本作のそれが合田の矢切の畑のキャベツっていうのが、高村ファンとしてちょっと(いやあまりに)悲しい。まあ、そんな人殺しとキャベツとパチスロと『パリ、テキサス』……と明滅、短絡するフラットな世界が、われらの現代だっていうことなのかもしれませんがね(そういえば、わたしも早稲田松竹で『パリ、テキサス』を見た口です)。むろんこんな世界、わたしは不同意です。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.26
(2pt)

カポーティとの比較による合田刑事批判をさせていただきます

前作『太陽を曳く馬』は刑事合田が尋問をとおして、行住坐臥、縦の重力に貫かれた人間の極限にある、死と背中合わせの自由を追求して、どこかカントの、理性の言葉で理性の極限を論証し、そこに自由存立の根拠を提示したあの徹底性のごときものが、まちがいなく極まったかたちであって圧倒的、感動的でしたが、その前作を縦の墜落の物語というならば本作は、あえて深みを排して、横へと連なり広がる意図をもった物語といえるでしょうけれど、しかし前作にあったような極限性、徹底性はあきらかに後退していて、とうぜん比較されるであろう(連載時は『新冷血』であったという)カポーティの大名作『冷血』のもつ、あらゆる事実関係を、一見したところ無関係であるようなことまでも、丹念、細緻に拾いあげ、視点、時空を自在に断片的に紡いでいくその徹底性ともすれ違っていて、なんとも肩透かしな出来であるといわざるをえません。
 端的にいえば、合田がこの事件に限って刑事失格であるからといえます。かつては容赦なく、根掘り葉掘り尋問していた(それは反射して自問自答ともなった)かれは、いまや有能な事務機械となって連絡調整に徹し、加害者たる容疑者にじかに向きあうことなく、つまり取調べ、尋問することもなく、まるで聴聞僧のように問訊(合掌低頭の作法)している。さいごはほとんどそうなって死刑囚に相対している。だが刑事である以上、かれがなすべきは問訊ではなく訊問です。自問自答のすえに答えのなさに放念(心)する、そんな坐禅ではなく、全身で物証、心証を捜索する行脚です。本作の第一の魅力が、告訴事案の医療過誤事件の部分であるのは、かれが行動し訊問しているからです。
 とはいえ、第二章の特捜本部での捜査活動の描写はあいかわらず、捜査本部内の人間関係や犯人追跡の趣向や奥行、ダイナミズムを極力排し、あえて散文的に平板、殺風景に徹していてなかなか凄味があります。わたしにとっての読みどころはそのへんでした。
 どうやらテーマとしているらしい、動機なき殺人を辻褄合わせにおちいることなくリアルにいかに描きつくすかは、カポーティの『冷血』の視座を参考にした(あとがきにそうある)というわりには新機軸どころか(第一章の意識の流れふうのクロスカッティングがそうなのかな)、お手本の足下にも及ぶべくもなく、大失敗というしかない。
 おそらくそれは『黄金を抱いて翔べ』や『レディー・ジョーカー』のように、犯行の動機がせんじつめれば金ではなくロマンというところにオチて、物語構想の迫力のわりには動因を欠き、中折れ気味であったように、本作もその線でうすらぼんやりとおちついている。なんとも中途半端です。
 しかし動機Xというのは、ロマン(想像力=構想力)ではなく、あくまで理念=原因(超越論的仮象)としてあつかうべき実在性であり、ロジックで論証して目指されるべきものなのであって、そのような問いの形而上学的追求は『太陽を曳く馬』、形而下的には『マークスの山』『照柿』で、どれもたしかな強度をもって果たされているとはいえる。ただXをXとして一個の人格(その境遇)に還元できないものと躊躇して、全方位的な果てない追求へと踏みだしたとき、まさにカポーティの視座が問題となるでしょう。
 一見して行きずりの、出会い頭な、身も蓋もない陰惨な犯罪がなぜ起きてしまったのか。その偶発性、偶有性をけして損なうことなく、だがそうでしかありえなかった運命のごとき固有性、かけ替えのなさをどう発光させることができるか。そこで犯罪は、光子が粒子でありかつ波であるような量子力学的様相を帯びる。カポーティの『冷血』はそんなみごとな一達成です。犯行現場の被害者と加害者から波及するそのさざ波は、その諸家族、諸過去だけでなく、隣人、捜査陣(の家族)へ、そして最後にはほんのちょっとかかわっただけのゆきずりのひと、馬、猫、にまで波動微かにおよばせつつ、かつ最終的には死刑執行、墓地にみごとに収縮する。これは、犯人らの車にひとときヒッチハイクした老人をつれた少年とか、町の広場に居ついた番の野良猫とか、そんなささいながらも、したたかにある様々な人生の輝きが細部に宿ってこそのものなのです。
 やはり比較して提起しておきたいのは、カポーティのラストが死刑執行後の被害者の墓地(そこをおとずれた捜査員の眼で、第一発見者であった成長した少女との再会が点描される)であったのにたいして、高村においては被害者への墓参りは簡単にふれただけで、厳然とした死刑執行でもって物語を終えている、その違いです。犯人の造形についていえば、カポーティのほうが圧倒的です。殺害の実行犯は、無頼に生きつつも、雲散した家族の憎むべき記録だけはずっと大事にとっていました(それが逮捕のきっかけとなる)。だがなによりもいうべきなのは、犯人しか知りえない秘密の暴露(物的かつ心理的)が、ここぞという尋問でみごとに呈されているからでしょう。殺された娘がためていた一ドル銀貨が、それです。それが転がり落ちることで、ふたつの幸不幸の家族が一瞬透視され、そのとき動機というならそのXが鈍く白熱したのです。その鮮やかな細部は、いまでも覚えています。たとえ行きずりであったとしても、犯罪の真相は、加害者の心理、人生行路だけを根掘り葉掘りしても解明できはしないのです。残念ながら、高村作には、かような(被害者と)犯人しか知りえない物的かつ心理的脈絡の追及、発見はみられません。なぜ四人もの殺しが起きてしまったのか。刑事合田は部下の主任に丸投げして慨嘆しているだけです(いや、文庫本を犯人に利益供与さえしている)。これではまるで風が吹けば桶屋がの因果、ああ無常の風が吹く、ではないか。
 カポーティの『冷血』には、一面の麦畑に案山子がひとつ、被害者のように加害者のようにか、ちょっとゆがんで、風におんぼろ衣服を躍らせて佇んでいる、そんな点描があったかとおもう。作品全体の世界観をふっと垣間見せるそれにたいして、本作のそれが合田の矢切の畑のキャベツっていうのが、高村ファンとしてちょっと(いやあまりに)悲しい。まあ、そんな人殺しとキャベツとパチスロと『パリ、テキサス』……と明滅、短絡するフラットな世界が、われらの現代だっていうことなのかもしれませんがね(そういえば、わたしも早稲田松竹で『パリ、テキサス』を見た口です)。むろんこんな世界、わたしは不同意です。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.25
(4pt)

一気読み

新リヤ王は上下巻買ったのに上の数ページでまったく読めなくなった。それ以来高村薫は敬遠していましたが、今回合田雄一郎がでるとの内容紹介に引かれ購入。一気に読めました。確かにミステリーではなく、被疑者と合田の心理描写がえんえんと描かれているので、犯人探しとかフツウノミステリーを期待するなら読む価値はまったく0でしょう。

ただわたしはここにでてくる戸田というひとを自分なりに想像した時に、表面的ではあるかもしれないけれど、ずっと孤独で来たまじめな人が、初めて自分を待ってくれる友人と言うものを得たと思ったときに、そこから受け取ることができるちょっとしたこころの浮き立ちとか、あってほんの数日しかたたないのにその人に感じてしまったかもしれない義理とか、そういうのになんかやられてしまった。

けど最終的には救いのない話だったけれど。

でもきっとそれが現実に一番近いのかもとかおもってしまったりする。

なのでずっと敬遠してたけれど、今日は「太陽を曳く馬」上下巻を注文してしまった。その結果がザンネンなものだとしても、「冷血」はそれをおぎなってあまりある後味を残してくれたように思う。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.24
(4pt)

一気読み

新リヤ王は上下巻買ったのに上の数ページでまったく読めなくなった。それ以来高村薫は敬遠していましたが、今回合田雄一郎がでるとの内容紹介に引かれ購入。一気に読めました。確かにミステリーではなく、被疑者と合田の心理描写がえんえんと描かれているので、犯人探しとかフツウノミステリーを期待するなら読む価値はまったく0でしょう。

ただわたしはここにでてくる戸田というひとを自分なりに想像した時に、表面的ではあるかもしれないけれど、ずっと孤独で来たまじめな人が、初めて自分を待ってくれる友人と言うものを得たと思ったときに、そこから受け取ることができるちょっとしたこころの浮き立ちとか、あってほんの数日しかたたないのにその人に感じてしまったかもしれない義理とか、そういうのになんかやられてしまった。

けど最終的には救いのない話だったけれど。

でもきっとそれが現実に一番近いのかもとかおもってしまったりする。

なのでずっと敬遠してたけれど、今日は「太陽を曳く馬」上下巻を注文してしまった。その結果がザンネンなものだとしても、「冷血」はそれをおぎなってあまりある後味を残してくれたように思う。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.23
(2pt)

ファンだからこそ、

久しぶりの新刊でしたが、ファンとしては「何かが足りない」という読後感です。今回は比較的読みやすい印象を受けましたので、高村さんの著書を初めて手にした方は面白いと思ったかもしれません。もちろんそれはそれでよし、です。ですが、今までの高村さんの作品を読み、心打たれたファンとしては、物足りなかった。他のレビューにもでていますが、死刑制度に異議を唱えるということが前提であれば、合田はもっともっと悩まなくてはならないだろうし、同時に被害者側からの死ということにももっと向き合う必要があるように思います。

「マークスの山」から「レディー・ジョーカー」にいたる三部作、「晴子情歌」から「太陽を曳く馬」にいたる三部作など一通り読んでいるファンとしては、読者の心を抉るような描写が少なかったように思います。「晴子情歌」を読んだときの「レディー・ジョーカー」からの大きな転換に驚かされ、「新リア王」でも同様に表現の力強さ、深さに心打たれ、「太陽を曳く馬」での表現しにくい事象を言葉で伝える挑戦(といえばよいのでしょうか)みたいな印象ももちませんでした。

構成、語り口についても以前に使用した手法がとられているように感じ、斬新さに欠けると感じました。手紙で心情を伝えることで人間の内面を描写するというのは「晴子情歌」「太陽を曳く馬」で既出。残虐な殺人事件とそれに関する死刑までの流れも「太陽を曳く馬」で既出です。

高村さんの作品はいつも読んだ後に何かを重く、強く感じることが多かったので期待しすぎなのかもしれません。ですが、ファンだからこそ、☆2つです。次を期待して。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.22
(5pt)

久しぶりの合田刑事は変わらず、旧友に会ったよう安堵感

上巻で空白のまま残された事件自体の実情は、「言葉」というものの限界をつきつけられた『』の事件よりも空虚で、ありていに言ってしまうとしようもない運転手による交通事故のような印象を受けました。カポーティーの冷血を、この本に影響を受けて読み始めましたがやはり同じような印象です。

しかし、そのポッカリと空いた闇に対して法律と警察の言葉で埋めようとするも届かないことを知りながら、それでもなお、職務を超えた犯人達との葉書という言葉のやり取りに拘る合田刑事は、 出世したことで『』や『』のときのような臨場感を失いながらも、『』で到達した語り得ぬものの地平にもまだ倒れず立ち続けているようで、何というか久しぶりの旧友の変化が実はたいしたものでなかった時のような、なんとも言えない奇妙な安堵感がありました。

想像していたよりも事件の実情は味気なく、それゆえに不気味さと言葉で人間に迫ることの限界とそれでも可能性を示してくれました。この下巻の最終章は2005年夏〜とあり、最後の一文は2007年(平成19年)になっています。そこから5年経ち、ソーシャル・ネットワーク上での私的言葉の拡散、リーマン・ショック等や日中韓のナショナリズムで言葉以外に揺らぐ世界に立つ合田刑事が、次はどのような言葉を紡ごうとするのか、今から次回作が楽しみです。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4101347263
No.21
(5pt)

久しぶりの合田刑事は変わらず、旧友に会ったよう安堵感

上巻で空白のまま残された事件自体の実情は、「言葉」というものの限界をつきつけられた『太陽を曳く馬〈上〉』の事件よりも空虚で、ありていに言ってしまうとしようもない運転手による交通事故のような印象を受けました。カポーティーの冷血を、この本に影響を受けて読み始めましたがやはり同じような印象です。

しかし、そのポッカリと空いた闇に対して法律と警察の言葉で埋めようとするも届かないことを知りながら、それでもなお、職務を超えた犯人達との葉書という言葉のやり取りに拘る合田刑事は、 出世したことで『マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)』や『レディ・ジョーカー〈上〉』のときのような臨場感を失いながらも、『太陽を曳く馬〈下〉』で到達した語り得ぬものの地平にもまだ倒れず立ち続けているようで、何というか久しぶりの旧友の変化が実はたいしたものでなかった時のような、なんとも言えない奇妙な安堵感がありました。

想像していたよりも事件の実情は味気なく、それゆえに不気味さと言葉で人間に迫ることの限界とそれでも可能性を示してくれました。この下巻の最終章は2005年夏〜とあり、最後の一文は2007年(平成19年)になっています。そこから5年経ち、ソーシャル・ネットワーク上での私的言葉の拡散、リーマン・ショック等や日中韓のナショナリズムで言葉以外に揺らぐ世界に立つ合田刑事が、次はどのような言葉を紡ごうとするのか、今から次回作が楽しみです。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4620107905
No.20
(1pt)

cold blood

ido not wanna read the book called cold blood. 私は暖かい血という本が読みたいです。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4620107905
No.19
(5pt)

非常に難しい小説です

前作「太陽を曳く馬」とは違ったかたちで著者が投げかける問題は非常に難しいものであリます。難解なのではありません。著者の問題提起に対する読者としての回答が難しいのです。この作品では、一般的に認知される人々(被害者・合田雄一郎を除く捜査陣・検察)と通常では理解しにくい人々(被疑者もしくは被告)の両方が描かれていますが(もっとも、作品の明確な意図なのでしょう、被害者からの視点は描かれていませんが)、犯罪構成要件(犯意・動機・殺意)が非常に曖昧で、かつ被疑者あるいは被告はその曖昧さに後ろめたさを感じてはいないことに対して、違和感を抱いたままラストへと連なっていきます。捜査陣も違和感は感じるものの、どうしようもないまま、しかしながらいつの間にか、それはそれで仕方のないこととして起訴し、裁判もそれはそれで仕方がないということで進んでいきます。「それはおかしいだろう?」という捜査陣からの光を、被疑者は吸い込んでしまうためで、犯罪自体は成立しており、且つ容疑も完全に認めているので、捜査や裁判の進行に大きな障害はないのです。合田雄一郎は今作では実質的な捜査主導者となっており、前作までの歩を進めては立ち止まり、苦悩する姿を浮き立たせてはいません。終始違和感を持ち続けながら、被疑者もしくは被告に対し、その人物の内面に光をあてるような手紙のやり取りや対話を行ないます。ところがそうして得られた返答には、むしろ非常に人間臭い要素があるのでした。
不可解なものへの接近を描いた前作を、高村薫がどうつなげるのか非常に楽しみでしたが、今作ではあなたならどう考え、どう行動するか?という鋭い問いを投げかけて来ているように思えてなりません。合田雄一郎が前作までの彼と比べて、言わば淡々と描かれている理由は、合田雄一郎が苦悩すればするほど読者が彼に引き寄せられるからであり、そうではなくて今作では「もっと冷徹に考えてみよ、このような事は我々の身の回りに普通に起こっており、それを普通に理解したつもりで忘れているのではないか?」と言われているようです。非常に回答するのが難しい真の問題作だと思います。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4101347263
No.18
(5pt)

非常に難しい小説です

前作「太陽を曳く馬」とは違ったかたちで著者が投げかける問題は非常に難しいものであリます。難解なのではありません。著者の問題提起に対する読者としての回答が難しいのです。この作品では、一般的に認知される人々(被害者・合田雄一郎を除く捜査陣・検察)と通常では理解しにくい人々(被疑者もしくは被告)の両方が描かれていますが(もっとも、作品の明確な意図なのでしょう、被害者からの視点は描かれていませんが)、犯罪構成要件(犯意・動機・殺意)が非常に曖昧で、かつ被疑者あるいは被告はその曖昧さに後ろめたさを感じてはいないことに対して、違和感を抱いたままラストへと連なっていきます。捜査陣も違和感は感じるものの、どうしようもないまま、しかしながらいつの間にか、それはそれで仕方のないこととして起訴し、裁判もそれはそれで仕方がないということで進んでいきます。「それはおかしいだろう?」という捜査陣からの光を、被疑者は吸い込んでしまうためで、犯罪自体は成立しており、且つ容疑も完全に認めているので、捜査や裁判の進行に大きな障害はないのです。合田雄一郎は今作では実質的な捜査主導者となっており、前作までの歩を進めては立ち止まり、苦悩する姿を浮き立たせてはいません。終始違和感を持ち続けながら、被疑者もしくは被告に対し、その人物の内面に光をあてるような手紙のやり取りや対話を行ないます。ところがそうして得られた返答には、むしろ非常に人間臭い要素があるのでした。
不可解なものへの接近を描いた前作を、高村薫がどうつなげるのか非常に楽しみでしたが、今作ではあなたならどう考え、どう行動するか?という鋭い問いを投げかけて来ているように思えてなりません。合田雄一郎が前作までの彼と比べて、言わば淡々と描かれている理由は、合田雄一郎が苦悩すればするほど読者が彼に引き寄せられるからであり、そうではなくて今作では「もっと冷徹に考えてみよ、このような事は我々の身の回りに普通に起こっており、それを普通に理解したつもりで忘れているのではないか?」と言われているようです。非常に回答するのが難しい真の問題作だと思います。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4620107905
No.17
(5pt)

生きよ、生きよ

カポーティの歴史上の名作「冷血」に高村薫さんが正面から挑んだ野心作です。
家族4人が強盗に惨殺され、警察が犯人を逮捕し、緻密な取り調べの後で起訴、判決が出て刑が執行される。
その一連のストーリーを作者はまるで細密画のようなミクロの細かさで描き上げます。

被害者の家族の表情、犯人の生育環境、警察の捜査、刑事の葛藤は実際の事件のレポートを読むようなリアリティであふれています。
犯行事実は明々白々であり、犯人の供述が揃っているにもかかわらず、あいまいな犯行動機に合田刑事が疑問を持ち徹底した調べが開始されます。
ここまでが上巻です。

捜査の中で明らかになるのは愛情を知らずに育った犯罪者の境遇であり、偶然の重なりで孤独の中で運命を狂わされて堕ちていく姿です。
ひとりの人間には多様な面があり、僅かなことで人生は思いもかけない方向へ転がるのです。
中年に差し掛かった合田刑事もまた孤独を抱えるひとりの男であることから彼らを「他者」と観ることができません。
彼が抱く殺人者への慈しみの感情は私の心を揺さぶるに十分でした。

「どんな犯罪者でもその命は大切である。生きよ。生きよ」これが高村薫さんの人間の本質への真摯な洞察の末に導かれたメッセージでしょうか。
「冷血」はおそらく作者が身を削るような苦悶の中で探り当てた到達点だと私は受け止めました。
上下巻2段組600ページを読み終わって、私は少しの疲れと寂寥感にしばし立ちすくむ思いでした。広く読まれるべき書として推薦いたします。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.16
(5pt)

生きよ、生きよ

カポーティの歴史上の名作「冷血」に高村薫さんが正面から挑んだ野心作です。
家族4人が強盗に惨殺され、警察が犯人を逮捕し、緻密な取り調べの後で起訴、判決が出て刑が執行される。
その一連のストーリーを作者はまるで細密画のようなミクロの細かさで描き上げます。

被害者の家族の表情、犯人の生育環境、警察の捜査、刑事の葛藤は実際の事件のレポートを読むようなリアリティであふれています。
犯行事実は明々白々であり、犯人の供述が揃っているにもかかわらず、あいまいな犯行動機に合田刑事が疑問を持ち徹底した調べが開始されます。
ここまでが上巻です。

捜査の中で明らかになるのは愛情を知らずに育った犯罪者の境遇であり、偶然の重なりで孤独の中で運命を狂わされて堕ちていく姿です。
ひとりの人間には多様な面があり、僅かなことで人生は思いもかけない方向へ転がるのです。
中年に差し掛かった合田刑事もまた孤独を抱えるひとりの男であることから彼らを「他者」と観ることができません。
彼が抱く殺人者への慈しみの感情は私の心を揺さぶるに十分でした。「

「どんな殺人者でもその命は大切である。生きよ。生きよ」これが高村薫さんの人間の本質への真摯な洞察の末に導かれたメッセージでしょうか。
「冷血」はおそらく作者が身を削るような苦悶の中で探り当てた到達点だと私は受け止めました。
上下巻2段組600ページを読み終わって、私は少しの疲れと寂寥感にしばし立ちすくむ思いでした。広く読まれるべき書として推薦いたします。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.15
(2pt)

客観風主観

著者のファンでした。久しぶりに新刊を手に取り読みました。実在する固有名詞を散りばめリアリティを醸し出し読者を惹きつける手法は好みです。(たとえば原僚氏の作品も好みです。)しかし本作読後の感想としては、・・・でした。被害者となる小学生を筑附の生徒と詳述してリアリティを膨らませる意図は如何かと思います。本作において被害者の子供の属性に実在名を供するのは不要であり、むしろ不快な気持ちとなりました。死刑制度に異を唱える著者の考えに異議はありませんが、容疑者の気持ちを汲み取ろうとばかり懸命になる刑事の姿勢は?です。本書では被害者の視点が完璧に欠落しています。警察小説のファンは多いと思いますが、主人公の刑事が犯人の気持ちを理解することばかりに懸命になる姿は、描く犯罪の重大性が著しく大きなものであるため、読者を醒めさせてしまいます。事実を詳細に描くことにより読者にその判断を委ねる手法は理解できますが、客観的に描写しようとしながら端々に著者の一定の意図が窺われるのは、多くの読者が期待する本来の著者の力量からしてちょっと残念でした。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.14
(5pt)

人が犯罪に走るとき

難しいことはわかりませんし、書けませんが、この本はおもしろいです!

久しぶりに高村作品では、思考がぐるぐる迷走しないで、スーッと文字が頭に入って来ます。
琴線に触れそうでいて、抑制された文章のためきつくは触れないもどかしさがあり、続きをどんどんと読み進めて、登場する刑事たちとともに物語の深みにはまっていきたいという焦燥に駆られる感覚でもって、一冊さらっと読めます。

さらっと読めるとはいっても、余韻がずんと来るのが高村作品の醍醐味でしょう。

凶悪犯罪を犯した若者(?三十代ですが)の、それぞれの心理と二人の相互作用、衝動と成り行きに流されていく行動(殺人)・・・

犯罪の現場で何が起こったのか、刑事たちは現場を再現するかのように詳細に掘り起こしてゆきます。

現代を生きる者の闇と空虚を描き、さらには衝動による暴発的な犯罪を、どのようにとらえるのか。

潔癖かつ人間くさい合田刑事の視点から、ていねいに精査・構築していくというドラマになっています。

こんなにまじめでかつ展開はさして起こらないお話なのに、おもしろいなあ〜

人間について考えさせられます。

おすすめです。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4101347255
No.13
(2pt)

客観風主観

著者のファンでした。久しぶりに新刊を手に取り読みました。実在する固有名詞を散りばめリアリティを醸し出し読者を惹きつける手法は好みです。(たとえば原僚氏の作品も好みです。)しかし本作読後の感想としては、・・・でした。被害者となる小学生を築駒の生徒と詳述してリアリティを膨らませる意図は如何かと思います。本作において被害者の子供の属性に実在名を供するのは不要であり、むしろ不快な気持ちとなりました。死刑制度に異を唱える著者の考えに異議はありませんが、容疑者の気持ちを汲み取ろうと懸命になる刑事の姿勢は?です。本書では被害者の視点が完璧に欠落しています。警察小説のファンは多いと思いますが、主人公の刑事が犯人の気持ちを理解することばかりに懸命になる姿は、描く犯罪の重大性が著しく大きなものであり、読者を醒めさせてしまいます。事実を詳細に描くことにより読者にその判断を委ねるのは理解できますが、客観的に描写しようとしながら著者の一定の意図が窺われるのは、多くの読者が期待する本来の著者の力量からしてちょっと残念でした。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.12
(5pt)

人が犯罪に走るとき

難しいことはわかりませんし、書けませんが、この本はおもしろいです!

久しぶりに高村作品では、思考がぐるぐる迷走しないで、スーッと文字が頭に入って来ます。
琴線に触れそうでいて、抑制された文章のためきつくは触れないもどかしさがあり、続きをどんどんと読み進めて、登場する刑事たちとともに物語の深みにはまっていきたいという焦燥に駆られる感覚でもって、一冊さらっと読めます。

さらっと読めるとはいっても、余韻がずんと来るのが高村作品の醍醐味でしょう。

凶悪犯罪を犯した若者(?三十代ですが)の、それぞれの心理と二人の相互作用、衝動と成り行きに流されていく行動(殺人)・・・

犯罪の現場で何が起こったのか、刑事たちは現場を再現するかのように詳細に掘り起こしてゆきます。

現代を生きる者の闇と空虚を描き、さらには衝動による暴発的な犯罪を、どのようにとらえるのか。

潔癖かつ人間くさい合田刑事の視点から、ていねいに精査・構築していくというドラマになっています。

こんなにまじめでかつ展開はさして起こらないお話なのに、おもしろいなあ〜

人間について考えさせられます。

おすすめです。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.11
(4pt)

世田谷の事件が頭を過る

『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』は未読の私にとって、合田シリーズの『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』を10年ほど前に読んだきりで久々の高村薫作品となる。

書店にて発売を知り、文学知識の無い私は帯文から「森永グリコ事件の次は、世田谷の一家強盗殺人がモチーフか」と浮かんで購入。ごく一部『太陽〜』だと思われるオウムや9.11周辺の情報があるだけで、すんなり没入することが出来た。

今作はエンターテイメント性は乏しいがドラマがある。過去に今に未来に、人々はそれぞれに何かを抱えて生きている。茫洋とした日常に編まれる歓喜や悲哀といった類の漢字二文字では形容し難い登場人物たちの情念が、理解が決してし難くない情緒のもとに描かれている。

そして事件は起き、合田ら警察は茫洋とした日常から確かに在った事実を洗い出す。

個人的に、今回の事件をありふれ事件と評価してしまう自身と世相に愕然とし、10年前を思い返す。
冷血(上) Amazon書評・レビュー: 冷血(上)より
4620107891
No.10
(5pt)

警察小説としても文句なく一級品。私にとっては人生の指南書。大推薦します。

私個人として、現代作家の中で一番好きなのが作者です。ずっと読み続けていますが、前作の、オウム真理教を題材にした、仏教問答が多い、「太陽を曳く馬」は難しかった。正直なところ理解できないページも多く、何度も読み返し、読み終わるまで何ヶ月もかかり、ぐったりしてしまいました。「靖子純情」「新リア王」から比べても一気にある方向に進んだ感じで、このあとの高村さんの作品はどうなるのだろうかと、ちょっと怖いような、それでも、やはり期待の方が大きく、待ち続けていました。
 そして最新作の「冷血」。週刊誌に2010年の4月号から連載されていたことは露知らず、通りがかりの本屋さんに、真っ白な表紙が平積みになっているのにハッと気づき、アマゾンで買って今日読み終わったところです。毎日1,2時間ずつ読んで、ちょうど1週間かかりました。
 新鮮な気持ちで、まっさらなところから読んで欲しいので内容に関するレビューは避けたいと思いますが、2012年の最後に、高村薫さんの新作を読むことができて、こんな幸せなことはありません。しかし、一方、またもや深く考えさせられ、打ちのめされてもいます。
 読み続けている日々、電車の中で、布団の中で、まわりの世界が違ってみえていました。被害者の生活があり、加害者の衝動があり、犯罪が起こり、警察が動き、やがて犯人が逮捕され、調べられ、裁判に臨む・・・・私の日常では、新聞やテレビで断片的に触れているような事件のひとつが、高村さんによって深く掘り起こされています。それを読みながら、私は日常の日々を過ごしているという矛盾。
 同じ世界に生きていて、偶然となり同士になったとしても、まったく違う人生を抱えている他人がいるという当たり前の事実。同じ人間でも、多様な断片を持っているという、やはり当たり前の事実。そして偶然の出会いが、あっという間に殺人事件になってしまうという、酷さ。
 「太陽を曳く馬」とは違って、全面的に登場している会田雄一郎警部の視点が読者にとっての救いです。彼自身も若い頃から比べると格段に思慮深くなっており、その自問が何とも言えない。
 下巻は一気に進んでいきますが、何カ所か涙腺が緩みました。会田雄一郎警部の思いやりに、です。この作品では、誰も幸福にはならないし、誰も納得しません。それでも日々は積み重ねられて、ひとつの結末に向かいます。
高村薫さんのファンの方なら当然お読みになるでしょうが、多くの方にも、たくさんの書籍の中で選んで、ぜひ読んでいただきたいと願っております。
 私は作品の中で語られた高村さんの思想を真摯に受け止めて、自分の今後の行動、他人との関わりを考えながら、死を迎える瞬間まで何とか生きていこうと思います。生きる、生きる、生きる、です。
冷血(下) Amazon書評・レビュー: 冷血(下)より
4101347263