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悪人
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悪人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全407件 121~140 7/21ページ
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欲望や偏見等が溢れる現代社会で、純粋に生きていく事の難しさを感じさせてくれます。主人公祐一は、祖父母に育てられ貧しい家庭でそだった今時珍しい純粋で何にでも真っ直ぐな性格を持つ。そんな祐一や育ての親の祖母、房江が、世間の荒波に巻き込まれていく様子、その状況を克服しようとする様は、健気であり勇気を与えてくれる。本当の意味での悪人とは何だろうか。世間のそれとは実際は違う事を考えさせる。 | ||||
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枚数が多い作品なので、とにかく作りが丁寧で、読みはじめてすぐに好印象を受けた。前半(上巻)はフーダニット小説としても読めて、祐一が本当に殺人犯なのか? という展開を見せる。対比すれば後半はホワイダニット構成で、複数視点で主人公やその周辺家族の置かれた状況が描かれる。特に秀逸なのは息子(祐一)が自分(母親)に金をせびると愚痴る母親のインタビュー描写で、この時点では母親に対する接し方がわからない(甘えている)祐一とそれが理解できない母親との対比が鮮やかなのだが、後に別の視点で同じ行為が語られて意味が変わってくる。その辺りのずらし方が面白い。全体を要約すれば複数の(場合によっては意識されない)悪意が悪人(この場合は殺人犯)を作り上げる話となるのだが、吉田修一にしては珍しく主人公が自己を語っているにもかかわらず、その本当の胸中がわからないところがカズオ・イシグロ風ともいえる。ラストの光代の訴えが耳に残る。 | ||||
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すさまじいドライブ感。寝食を忘れて読み耽った本は久しぶりだ。興奮した。 人間の言うことは、何もかもが嘘であり、本当でもあるのだろう、と僕はこの本を読んで思う。虚は実であり、実は虚であるのだ、と。真相は“薮の中”ではなく“玉虫色”であり、もしかしたら人間の存在そのものが玉虫色なのかもしれない。 だが、現代社会の機構がそれを許さない。善か悪か、白か黒か、勝か負か、正か邪か、賢か愚か、有か無か……明快な二元論によって成り立っている(ことになっている)のが近代的な文明社会であり、それこそが人類の救済措置になる、と、そんなコンセンサスがある。しかし、果たしてそうだろうか。ならば、僕はなぜこんなにも切ないのだろう? この物語は閉じてはいない、いや、終わってもいなければ、始まってさえいないのではないか、とも思う。切なさのスパイラルの中で、僕はラスト近くでどうしても涙を堪えられなかった。“負け組”の姿が、そこではなんと力強く美しかったことか! 全編にあふれる福岡、佐賀、長崎の九州弁が心に響く。方言がいい、と思わせてくれる小説にめぐり会えることは、滅多にない。 | ||||
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原作より先に、映画を鑑賞。映画も、痛く、切なく、それでいて、殺人までいかないにしても、今でも街のどこかで同じようなことが起きているのかもしれないリアリティを感じ、最高な作品でした。原作を後に読みましたが、映画同様、涙が止まらず、素晴らしい作品だと思いました。 | ||||
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この作品は、殺人事件が描かれているけれど ミステリーやサスペンスというより 寂しさ、悲しさ、欲、見栄などの 人の心が、よく描かれている芥川賞作家さんらしい作品だと思う。 とはいうものの、著者の吉田修一さんの描いた作品としては 今までとは少し系統が違う感じに感じられる。 冒頭の被害者「佳乃」の視点の部分では 見栄、欲といったものや、身勝手さなど 読んでいる人に、被害者であるものの「嫌な女」という印象を与え その先の加害者「祐一」視点では 寂しく、同情も沸き 悲しいぐらいの優しさも感じさせられる。 だからこそ、事件の起こりに やるせない悲しさがあり 「本当の悪人は?」 と考えながら読み進めてしまう。 だが、それだけでは無い。 最後にガツンとやられる。 この部分を、最初は 大きな優しさや、愛なんだと思い あまりに切なくて涙した。 けれど、余韻に浸ったしばらくのちに 本当に祐一は悪人では無いのだろうか?と疑問が出て いまだに答えが出ていない。 殺人という行為を除いてみても 「何か」 あるような気がして引っかかってしまう。 もちろん、殺人が「悪」であるのは当たり前のことで 被害者、佳乃が嫌な人間で 加害者の祐一が、同情すべき境遇だからといって それが和らぐものでは無い。 それとは別に、光代とのからみで 「悪人」なのではと、色々と考えさせられる・・・ それだけ、この作品は深く グッとくるものだった。 映画版だけを見た方は、小説の最後の部分だけでも読んだら より「ガツン」とやられると思います。 | ||||
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題材は安っぽい2時間サスペンスにありがちな事件を あつかってるんだけど・・・ それを見事に文学にまで昇華させた作品と思う。 秀逸。 この作家の力量に感動した。 | ||||
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主人公の不器用な生き方、人には見えない優しさに心が揺さぶられました。 母の心に「憎しみ」を刻ませることで、彼女を救おうとする姿、 光代を救うために、自ら「悪」を演じる姿、 彼の献身とも言えるその愛情に、涙が止まりませんでした。 彼は本当に『悪』なのか? 正義とはなんなのだろうか? 主人公の悲しく、切ない生き方に心が締め付けられる、けれど読んだあと不思議な余韻を残す、そんな作品だと思います。 | ||||
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映画を観た後、夢中になって原作を読みました。読み終わった直後はとても興奮しましたが、光代が最後に自問自答するところが、違和感を感じます。多分、祐一と引き離されてからの経緯が何も書かれていないからだとおもいます。三浦綾子の氷点や、宮部みゆきの模倣犯のような、加害者・被害者の心の葛藤の描写が少なく、とてもドライな印象を受けました。現代人の愚かさは、表現されていたと思うのですが、加害者の関係者と被害者の関係者の"愛する者が、事件に関わってしまったがための無念さ。"光代の無念さ。(利用されていたと感じるなら同時に怒りがを感じるのが普通なのに魂を抜かれたように、自己主張しなくなって、佳乃の月命日云々と話しているのが、なんだか、折角の今までの物語を非現実的なエンターテイメントにまで落としてしまった様に感じます。)もっと掘り下げて完結して欲しかったです。ページ数が少なくて残念です。寂しさ・愚かさだけではなく苦悩を丁寧に描写して欲しかったです。 | ||||
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好みの作品でした。 ネタバレになると良くないので詳しくは書けませんが、人を愛するだけでなく、人からの愛に気付ける人になりたいと思いました。 終わりは切なかったけれど、切ないからこそ余韻が残ります。 ただ、出会い系に嫌悪感を持っている方は感情移入しにくいと思います。 | ||||
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何をもって、悪とするかは時代や国によっても異なり。 人は多面的で、どの面でその人を判断するかについて、一概には言えないが・・判断するには、客観的に事実を見つめる必要があると思う。 主人公、祐一には純粋な、優しい一面と・・佳乃の嘘に動揺し、保身の為、殺してしまう身勝手さ、そして、佳乃の遺体が発見された後も、すぐに自首をしなかった狡さ、弱さも持ちあわせていた。 祐一が未成年者でこの事件を起こしていたなら・・母に捨てられた生い立ち等も今回の事件の遠因と考えられなくもないが・・27歳である。 分別があって当然の年齢であり、祐一には祐一を引きとり、育て上げた祖母の房枝や憲夫もいる。 一人ぼっちだったのだろうか? 悲しい過去や閉塞感等は、それを乗り越えるか、否か・・・自分次第ではないか? 結局は、佳乃殺害後に逃げたように、それまでも現実から逃げていたのではないか? そんな祐一が愛する人、光代と出会い、共に時間を過ごす。逃避行を始める。 「祐一、逃げたら駄目よ。怖かやろうけど、逃げたら駄目よ。逃げたってなんも変わらん。逃げたって誰も助けてくれんとよ」房枝の言葉が届いたのではないか? 祐一は、最後逃げなかった。自分に出来ることを躊躇なく行動に移し、光代を守り抜いた。 強さを身に付けていた。 「あんた、大切な人はおるね?」 筆者が読者に問いかけたい一言は、やはりこの一言なのだと思う。 | ||||
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石橋佳乃や増尾が悪人だとは思えなかった。 これくらいの愚かな人間はいくらだっている だからってそう簡単に善人は殺人者にはならない。 罰せられない罪をテーマにした作品だろうとは思うが、 世の中にはもっと究極の悪が存在するはずだ、と100万部大ベストセラーの 煽りに「もっと」の要求が高くなってしまった 馬鹿で愚かな女・佳乃が悲しい。 桐野夏生ならこの哀れなバカ女を聖女まで昇天させられるだろうが、 それは「グロテスク」で読んだな、とどこまでも「物足りなさ」を感じながらの読書だった。 「これはどこかで読んだ」の積み重ねなのだ。 佳乃という犠牲の上でヒロインと主人公は浄化されパズーとシータのように 短い青春を謳歌しているが、 それは許されない。当然だと思う。 事件に巻き込まれる平凡なOL 環境故に朴訥で哀れな主人公 孤独なバカ娘、怒る父親、薄情な金持ち大学生も、もう見飽きた素材 「もっと」が足りない小説だった。 | ||||
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本当の悪人とは,誰なのか,という問いが本書のテーマである。 読み終わったとき,清水以上に,石橋,増尾や悪徳商法の堤下が悪人だと思うだろう。 しかし,この小説の構造から離れて冷静に考えれば,真の悪人は,殺人を犯した清水であることに間違いはないだろう。著者は,殺人を犯した人間には,時には同情すべき点があって,その殺人者以上に,悪人がいると主張したいのだろうか。もしも,この小説の読後に,殺人犯清水は,本当の悪人ではなく,他に「真の悪人」がいると思ってしまうのは,それだけ殺人というものが,我々の世界からかけ離れたところにあるからだ。殺された石橋佳乃は,確かに憎たらしい女性だったのかもしれない。けれども,彼女には,家族がいたはずだ。そして,殺人犯清水にも家族がいる。清水は,自分の思い通りにならない世界になんらかの抵抗をしたかったかもしれない。ただし,それは,矮小な人間の自分勝手の考えと行動にすぎなかった。その殺人によって,家族は崩壊してしまった。それこそ,清水の犯した殺人がもたらした「悪」ではないのだろうか。 けれども,本書は,純粋に小説と読めば,おもしろい作品だと思う。救いがない物語といえば,そうかもしれないが,一度,「悪」というものを考える良いきっかけになる小説だと思う。 | ||||
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果たしてどんな「悪」が描かれているのか? 隷書体で書かれたタイトル名が強烈さを暗示。 先入観を逆手にとって、読者を引き込む。 しかし、・・・読前イメージとは全く違う内容が 明らかになる。 地方都市の閉塞感から生まれる孤独と絶望。 どうにもならない境遇と鎖に繋がれた現実。 真面目に生き続けることの美徳と背反。 対岸の火事だと考える人間の身勝手さ。 現代の恋愛市場における病巣。 不器用で普遍的な血縁愛と皮肉。 素朴で素直でありながら、それ故生まれる 優しすぎる登場人物の犯罪。 現代の地方都市の現実や若者が抱える恋愛事情、幸福感に ついて、なんとなくイメージは湧いてはいたけど、 それを的確に、凄みある人物描写で書きあげた秀作。 すべての登場人物のキャラが立っていて、重く切ない 心情が強烈にスパークし、科白の重厚感も白眉だ。 「生まれて初めて人の匂いがした」 「欲しゅうもない金、せびるの、つらかぁ」 「ばあさんが悪かわけじゃなか」 「そうやってずっと、人のこと、笑って生きていけばよか」 「これまで必死に生きてきたとぞ」 「どっちも被害者にはなれんたい」 「どんなに俺が言い張っても、誰も信じてくれんような気がしました」 表面的で非現実的な設定で、ムリヤリ盛り上げようとする、 最近の似非ベストセラーに対するアンチテーゼか? 善悪と合法・違法の狭間で、読者に「悪」というモノの 指標を考えさせる命題提示も素晴らしい。 「心の裕福さ」の価値と、それだけで生きていけるのか を考えさせられる。 概して、フィクションでありながら、現実世界の 心闇ともがきながら葛藤する人物の機微を うまく表現した至高作品であった。 映画をご覧になって、光代と祐一の心の繋がり方に 疑問を持った方は、ぜひ小説を読んでください。 映画では時間的制約で感じられなかった、二人の 孤独と、かけがえのない存在としての宿命に、 納得できると思います。 祐一が出所した際、光代が迎えに行く場面を想像すると、 今作の切なさ、人間の業といったモノが味わえると思います。 | ||||
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吉田修一の最高傑作との呼び声が高いらしいですが、個人的には、『パレード』の方がずっとよかったように思います。ちょっと登場人物が多すぎて散漫な印象がしたのと、吉田修一らしい「ひねくれた毒」が今イチ感じられませんでした。 ただ、逆にものすごくストレートな物語なので、社会派小説として読み応えは十分ですし、考えさせられる点も多いです。それぞれがラストシーンに見せる生き様には、胸が熱くなると思います。 | ||||
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本当の悪とは何だろうかと深く考えさせられました。 人は誰でも「幸せになりたい」と思って生きている。 そのために誰もが見栄をはったり、日々、小さな嘘や小さな裏切りを重ねている。 ただそれが殺人事件へと変わった時に物語は大きく入れ替わる。 いわゆる一線を超えてしまうってことですが・・・。 ちょっとむしゃくしゃしてたり、つい、カッとなってしまったり、きっかけは些細な事かもしれない。 一つ言えるのは、すべてが「さみしさ」がもたらしたものの一つだという事。 さみしい気持ちにはつけいるすきがある。 読み進んでいくうちに殺人を犯した主人公祐一と殺された被害者である佳乃との立場が入れ替わる瞬間がある。 被害者が実は加害者で加害者こそが被害者なのではないかと・・・・。 「悪人」とははたして誰の事を指すのか? 見栄っ張りでひたすらどん欲な被害者佳乃、 そんな娘を信じて真面目一筋で生きて来た父、 裕福な家庭に生まれ育ち、やりたい放題生きて来た第一容疑者の増尾、 対照的に両親の愛情にも、めぐまれた環境にも容姿以外「持たなすぎた」主人公祐一、 ひいては、貧しいなかで贅沢もせず、祐一を育て上げた祖母の房枝、 その祐一が起こした事件によりマスコミや周囲に苦しめられる事になり二次的被害者とも言える その祖母を食い物にする悪徳業者。 同情しながらも今一つ腑に落ちなかった心を閉ざしたままの祐一の性格や行動・・・。 祐一が光代に出会う事で一気に共感へと変わる。 もっと早く二人が出会っていればこんな事にはならなかったのにと誰もが思うだろう。 誰もが幸せになりたいと願う。 誰しもが幸せになる権利がある。 特に真面目に日々生きている素朴な人々の明日を私達は願わずにいられない。 最愛の娘を失っての夫婦の再出発や 無愛想なバスの運転手が追いつめられた主人公の祖母房江に投げかけるエールの言葉、 その祖母を元気にするたった一枚のスカーフ。 この物語はそんな人々の小さな希望をうまく書き出していたと思います。 | ||||
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映画化よりかなり前に読みました。映画はまだ見てません。 殺人を犯した青年は恵まれない境遇で育ち、衝動的に女性を殺しますが、 悪人というイメージは全くありませんでした。 どちらかというと殺された女性を含め、周りの人間の方が悪いような・・・ 作品としては映画化されるだけあって、良い小説です。 | ||||
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以前に読んだ2つの作品で、この作家さんはメロドラマの人だと決めつけて、 「悪人」も気になりつつ避けていましたが、勧めてくれる人がいて読んでみました。 想像とはまったく違って、読みはじめはノンフィクション小説の雰囲気ですね。 たんたんと事実が語られていき、登場人物の一人一人がくっきりと浮かび上がっていく。 作品世界にぐいぐい引き寄せられました。 なぜその人がそんなことをしたか、という背景をきちん、きちんと描いていっているので、 ものすごく納得して読めました。なんだ、こいつ、みたいな人物がいない。 最後はすべてをここまできれいにまとめなくてもいいんじゃないかなと思いましたが、 とにかく読み応えは充分でした。 なんといっても、登場人物たちの使う方言や、地方の情景の描写が作品世界にあっていて、 そこが味わい深く、素晴らしくよかったです。 ボリューム的に上下巻にしなくてもいいかなとは思いましたがw | ||||
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悪人とはいったい誰なのでしょうか。 悪事を働く人でしょうか。心のよくない人でしょうか。悪人はずっと悪人でしょうか。誰にとっても悪人でしょうか。何で量るのでしょうか。誰が決めるのでしょうか。主観でしょうか。 私は悪人でしょうか。 | ||||
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「悪人」とはもっと知的で計画的で残忍な人のことを言うのではないか。 登場人物の中に悪人は見当たらなかった。 殺人犯は最終的に「悪人」というレッテルを貼られた、ということだろうか。 佳乃に手を下したのは祐一だが、殺意を抱かせたのは佳乃の発言であり、佳乃を夜中に置き去りにしたのは増尾である。そして佳乃の恐喝まがいの"その発言"を信じた祐一は未熟だったと思う。 更に言うなら、佳乃の警戒心の弱さが原因とも言え(出会い系サイトで躊躇なく男と会うことや、自分の言葉が相手にどう響くか予想できない事など)、そんな子供に育てたのは佳乃の親である。 けれども、佳乃が見栄っ張りで警戒心が弱く尻軽でKY気味(空気が読めない)だからといって彼女が死に値するとは思わない。 自分の係わった人間が死んだにも係わらず、あざ笑って話す増尾は残酷で罪深い。増尾に同調している人々も同じである。この小説で吉田修一の気持ちを代弁しているのは鶴田だろう。 人が一人殺されことによって加害者側、被害者側の家族は多大なダメージを受ける。 我々はメディアの伝える一部の情報により「誰が悪い」と決め付ける傾向があるが、全容と真実を知ったなら「誰が悪い」と安易には言えなくなるだろう。 読みやすい作品だったが、読み応えとしては少々インパクトに欠けた。 もう少し個人を掘り下げるなりテーマを絞っても良いのではないだろうか。 | ||||
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結局「悪人」とは一体全体何なのか… というのがテーマなんだろうか。みんな誰しもが悪人になりえるだろうというのが伝わってくる。結局その時の状況々でついてくるものは変わってくるし、その行動がいい方に転ぶか、悪い方に転ぶかも十人十色で考えさせるものがある。結局、この人にとって「悪人」と、この人にとっては「いいひと」でほんとのとこわからない。 結局は運なんじゃないでしょうかね。「もし」、とか「たら」とか使えばキリないでしょうけど、もしあそこで佳乃がベラベラ喋らなくてとか、もしあそこで運悪くバンパーに手を挟まなかったらとか。 最悪の真相心理と状況で人ってどう転ぶかわからないですね。 | ||||
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