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八百万の死にざま



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【この小説が収録されている参考書籍】
八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)

八百万の死にざまの評価: 6.67/10点 レビュー 3件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点6.67pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(9pt)

マット・スカダーという男の無様さが滲みる

本書こそローレンス・ブロックという作家の名を世に知らしめ、そしてマット・スカダーシリーズを一躍人気シリーズにした作品だ。私立探偵小説大賞受賞作。

ブロック作品では常に印象的な登場人物が出てくるが、本書ではコールガールのヒモ、チャンスの造形が実に素晴らしい。
娼婦のヒモから想像するのは口から先に生まれてきたようなチンピラ風情だったり、暴力で女を支配するような男や自分は稼がず、女にヤクをさせて廃人になるまで働かせるような人非人、または酒に溺れた自堕落な男を想像するのが相場だが、ブロックはチャンスを黒人実業家のような洗練された男として登場させる。そして感情を波立たせることを滅多にせず、常に冷静に物事を考える男として描く―この性格を自動車の運転の描写だけで読者の頭に浸透させるブロックの筆の素晴らしさ!―。

またマットはAA(アルコール中毒者自主治療協会)の会合に出席するようになっていた。
前作まではアル中であることを認めなかった彼は事件を通じて知り合ったジャン・キーンと苦い思いで別れたことが堪えたのかもしれない。ただマットは皆の話を聞くだけで自分のことは何も語ろうとはしない。キムが死んだその夜も集会に出て、色々な思いが去来し、誰かに話したい衝動に駆られるが、出てきた言葉はいつもの通り、「今日は聞くだけにします」だった。

しかしマットの禁酒はキムの死を知ることで途絶える。そこからはアル中独特の“都合のいい解釈”で歯止めが効かなくなり、ついには意識不明の状態で病院に運ばれてしまう。
これまでの作品でマットは酒を浴びるように飲みこそすれ、入院するまで酷い事態には陥らなかった。記憶を失くすことはあっても、翌日二日酔いで頭痛と酩酊感に苛まれながらも、生活は出来ていた。
しかし本書では前後不覚の状態に陥り、しかも全身痙攣しながら病院に運ばれ、ドクターストップまでかけられるという所までになる。エレインの友人キムの死がマットに与えたショックの重さゆえか。たった数日間の付き合いだったマットは前述のジャンとの別れの辛さを引き摺り、人恋しかったのかもしれない。そこに現れたキムが、やり直しの相手と映ったのかもしれない。
そして自分を取り巻く人から記憶喪失の際の自分の言動を知らされ、マットは戦慄する。今までアル中ではなく、単なる酒好きの酒飲みだと思っていたマットは初めて自分が重度のアル中であると自覚せざるを得なくなる。
そう、チャンスの依頼を受けることは自身の再生へのきっかけ、決意表明なのだ。この隙のない物語構成の妙。こういう所に唸らされる。なんて上手いんだ、ブロックは!

作中、市井の事件がマットが毎朝読む新聞の記事から挙げられる。それはどれもが奇妙な諍いの記事。どこかで誰かが誰かを傷つけ、また争っており、そこに死が刻まれている。
キムの事件を担当する刑事ジョー・ダーキンと酒場でお互いが見聞きしたそれらの事件を挙げ合う。そして最後にジョーは昔あったTV番組を挙げる。“裸の町には八百万の物語があります。これはそのひとつにすぎないのです”それは警官たちにとっては八百万の死にざまがあるだけなのだという言葉で締め括られる。

その後マットはその言葉を意識し出す。新聞を読むたびに出くわす不条理とも云える死にざま。単なる比喩としか思えない八百万もの死にざまは、マットの中で本当にそれだけの死にざまがあるのではないかと思えてくる。
そんな八百万の死にざまのうち、マットが扱うのはキムの死は1つにしか過ぎない。八百万のうちの1つにしか過ぎないのだが、その1つは自分にとって途轍もなく大きな意味を持っているのだ。

また本書では今までのシリーズと違うことが2つある。

1つは今までの事件は過去に起きた事件を掘り起こすことがマットの依頼だったのに対し、今回の事件は進行形で起きることだ。依頼人だったキムの死から始まり、彼女のヒモ、チャンスが抱える街娼の1人サニー・ヘンドリックスの死、そしてクッキーと云う名のオカマの街娼の死と続く。
連続殺人鬼を扱いながら過去の事件を題材にしたのが前作『暗闇にひと突き』なら、本書では連続殺人事件そのものをマットが扱う。前作が静ならば本作は動の物語であると云えよう。

もう1つは上にも書いたが本書では前作『暗闇にひと突き』で登場したジャン・キーンが登場することだ。今までのシリーズでは警官のエディ・コーラーを除く全ての登場人物がスカダーにとって行きずりの人々だったが、このジャンは初めてスカダーの心に巣食う忘れえぬ人物として刻まれている。
そしてスカダーは本書で初めて禁酒を行うが、ある時暴漢に襲われ、過剰な暴力で撃退し、酒にまた救いを求めようとする。しかし以前酒に飲まれた彼はそれを心の底から怖れるのだ。そして彼が見出した唯一の救いの光がジャンになる。

このシリーズに広がりが生まれた瞬間だ。

最後の一行に至り、これは実はマットの自分との闘いの物語だというのが解る。

上に書いたようにマットは今回毎日の如くAAの集会に参加する。しかしそこでマットは参加者の話を聴きこそすれ、自分の話は決してしない。いつもパスしてばかりだ。酒を飲んで入院し、一命を取り留めた後では自分がいつまた酒に手を出して、今度こそ助からなくなるのではないかと恐れている。事件の捜査はマットが酒に手を出す時間をなくすための手段にすぎないのだ。

つまり本書はニューヨークという大都会に溢れる八百万の死にざまと1人の男の無様な生き様を描いた作品だったのだ。

今までこのシリーズ1冊に費やされたページ数は270ページほどだったが、本書は480ページ以上にもなる。つまりマットが自分の弱さに向き合うのにそれだけの物語が必要だったのだ。

正直私はこの最後の一行がなければ評価は他の作品同様7ツ星のままだった。
しかしこの最後の一行で物語の真の姿とマットが抱えた苦悩の深さが全て腑に落ちてきたことで2つ上のランクに上がってしまった。

幾度となく物語に挟まれるAAの集会のエピソードが最後これほど胸を打つ小道具になろうとは思わなかったが、そんな小説技法云々よりもやはりここはマットが今までのシリーズよりもさらに人間臭いキャラクターへと昇華したことが本書をより高みへ挙げたことになるだろう。

さて本書で鮮烈な印象を残したヒモのチャンスは子飼いのコールガールを次々と失う。ある者は自殺し、ある者は仕事から足を洗うために旅発ち、ある者は夢を実現するためにチャンスから離れる。チャンスは廃業し、美術鑑定家として新たな道を歩き始めようとする。恐らく彼は今後のシリーズでマットの前に再び姿を現すのではないだろうか。

自分の弱さを認めたマットは無関心都市ニューヨークの片隅で起きる事件に今後どのように関わっていくのか。今まで人生の諦観で自分を頼る人たちに便宜を図っていた彼が自分の弱さと向き合いながら事件とどのように向き合うのか。
さらに評価が高まっていくこのシリーズを読むのが楽しみで仕方がない。


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