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エデンの命題



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エデンの命題の評価: 4.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
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脳の不思議こそが21世紀本格なのか?

表題作と「ヘルター・スケルター」2編が収められたノンシリーズの中編集。

「エデンの命題」は正直云えば本作は過去の本人の作品のヴァリエーションの1つに過ぎないと云えるだろう。それは私にとって不朽の名作である『異邦の騎士』だ。

実は読んでいる最中に本書の企みが解ってしまった。というよりも恐らくほとんどの読者が解るのではないか。あまりに露骨過ぎるミスリードである。
原本の『異邦の騎士』がこの上なく好きなだけに、本作での見え見えの作意に憤りさえ感じた。
ただアスペルガー症候群という自閉症の1つに焦点を当てたことが島田氏の社会に目を向けたテーマの探求と今日性を表している。

特に自ら掲げた「21世紀本格宣言」をさらに実践すべく、本作にも最新科学の知識がふんだんに放り込まれている。今回扱われたテーマは遺伝子工学、それも特にクローン技術に焦点を当てたものだ。
これに関しては既に島田氏は自著『21世紀本格宣言』で述べられていたため、これを改めて実作のテーマに採用したに過ぎない。つまりあのエッセイで俎上に上げられた数々の最新科学のテーマは、島田氏が今後テーマに挙げる内容を列記した物だと云える。逆に云えば、島田氏の手による「21世紀本格」を楽しむのならば、同エッセイはむしろ読まない方が十分楽しめると云える。事前にネタを知らずに済むだけに。

この作者の意図は何なのだろうか?最先端の科学知識を導入すれば物語も新たな息吹を与えられることを証明したかったのだろうか?しかしそれは残念ながら失敗していると思う。知識の敷衍に力点が置かれ、物語が薄っぺらいものとなっている。

私が懸念するのは本作を読んだ方が後に『異邦の騎士』を読んで、「なんだ、これあの短編の引き伸ばしヴァージョンだ」などと陳腐な感想を抱くことだ。自らの名作を自らの手で汚してしまった、そんなやりきれない思いのする作品だ。

なお題名の「エデンの命題」というのは、具体的に何を指すという物ではなく、それぞれの人生における守るべき信条、達成すべき大いなる目標といったシンボル的な意味が込められているようだ。つまり自身の安息の地であるエデンを維持するために守るべき原則ということになるだろう。


2編目「ヘルター・スケルター」はトマス・クラウンという記憶喪失者の物語。
これも脳科学をテーマにしたミステリ。本作では脳の各部位、各分泌液の機能が明らかになった2005年当時での最新の知識を活用して人間の性格、趣味・嗜好にどのように作用するかが詳らかに専門的に説明される。

これは『ロシア幽霊軍艦事件』で登場した自らをロマノフ王朝の皇女と名乗る数々の奇妙な行動を起こす老女の行動原理を大脳生理学の視点から分析した手法と同等だ。
本作で取り上げられるトマス・クラウンという男性は、幼少時に動物虐待、万引きや盗難などの非行を行い、その後ヴェトナム戦争に駆り出された後、帰国して婦女暴行殺害で逮捕され、30年間の服役を終えた老人である。この、物語の登場人物としては別段珍しくもない、チンピラの行動原理を同じように彼の人生で負った脳への障害を根拠としてなぜ彼の人生がそのような足取りを辿ったかを明らかにしていく。
この辺の流れはミステリというよりも脳科学を扱った専門書の事例紹介のようにも取れる。もちろん1つ1つ、奇行の原因を解き明かしていく経緯はミステリ的興趣に満ちてはいる。

さて、本書で取り上げられた脳科学に関する記述は先に読んだ瀬名氏の『BRAIN VALLEY』にも取り上げられていることと重複しているものもある。特に1950年代にある科学者がてんかん患者に行った脳機能を分析する実験の話は同書にも取り上げられていた。
確か島田氏が編んだ書下ろしのアンソロジー『21世紀本格』に瀬名氏も寄稿していたように記憶しているから、『BRAIN VALLEY』の感想にも書いたように、島田氏が件の作品を読んで大いに刺激された事は間違いないようだ。そして島田氏は創作の重心があくまで本格ミステリにあるのが両者との違いか。

しかし島田氏や瀬名氏の諸作で説明される大脳生理学、遺伝子工学といった最新の生物工学の最新の研究結果、データを知るたびに私は知的好奇心を揺さぶられると共に云い様の無い不安に襲われる事がある。

本書を例にとってみると、最近解ってきたアスペルガー症候群患者の実態、左利きの人が感情を司る右脳を刺激するがために感情的な行動を取る確率が高いこと、ある脳の分泌液の量の大小、ホルモンの量の大小、摂取する栄養分の大小が犯罪者に特徴的に現れる事。本書では低セロトニン・高インシュリン・低血糖を犯罪者のスリーカードと呼んでいる。

これらが明らかになってくると次に起こるのは選民という行為ではないだろうか。今まで個性と思われていた性格の違いが、精神病の一種として片付けられ、それらを集めて一箇所に隔離する。各人の脳の分析を行って、上に挙げた犯罪を起こす確率の高い症状が現れた場合、脳手術を行って、性格改造を行う、云々。
犯罪率が高まっていくに連れ、それを未然に防ごうとそういう傾向が見られる子供たちにその種の施術を行うという考えが出てくるのもおかしくはなく、しかもそう遠い未来ではないのではないか。特に本書で挙げられた事例には私にもいくつか当て嵌まる事項があり、私ももしかしたら・・・と畏怖せずにいられなかった。受取り方によっては暗鬱になる作品だ。

この島田氏の提唱する21世紀本格というのが未だ実体を伴わないように感じるのは私だけだろうか。
彼の提唱とは、本格ミステリは密室や怪物の成した業としか考えられない不可能状況、アリバイ工作に拘泥ばかりしては衰退する一方なので、これからは脳に焦点を当てるべきだという示唆である。未知なる分野である脳にはこれからの幻想的な謎のアイデアに満ちているというのだ。
しかしこれは本格ミステリ作家に対する創作の示唆である。読者はその作品で敷衍される新知識に対しては無知であり、単に専門的な内容の授業を受けているだけに過ぎなくなってしまい、作者対読者の頭脳ゲームという一面を持った本格ミステリでは、読者は作者とは対等で無くなってしまうからだ。
80年代後半から90年代前半にかけて起きたサイコミステリブームは、「人間の心こそが最も不可解で恐ろしい」という新たなテーマに着目したムーヴメントだった。これを学術的視点から論理的に解明していこうとしているのがこの21世紀本格であるが、その新しい科学の成果に驚きはもたらされるものの、あまりに専門的に走りすぎて読者の推理の介在を許さないものになっている。

ミステリというジャンルにはやはり闇は必要だと思う。ここまで踏み込むか否かは作者の興味に留めるべきであり、読者にまで啓蒙すべきではないと私は思う。
21世紀本格は短命になるのではと以前私は述べたが、今回更にその思いを強くした次第だ。


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