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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1433

全1433件 1321~1340 67/72ページ

※ネタバレかもしれない感想文は閉じた状態で一覧にしています。
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No.113:
(5pt)

宮部作品の毒味役的作品?

いまや現代女流作家の代表格となっている宮部みゆき氏。デビューしたての当時は同時期にデビューした高村薫氏が高村薫女史という呼称で呼ばれたのに対し、宮部みゆき嬢とかミステリ界の歌姫などと呼ばれていたのが非常に懐かしい。
私が彼女の作品を読んだのは既に『火車』まで刊行されており、その評価は既に固まっていた時期。一連の創元推理文庫の日本人作家シリーズの一角にこの作品は名を連ねられていたが、当時私は本格ミステリの方に傾倒していたこともあって、どうも毛色が違うなぁと思っていたことと、ブルーのバックに赤いボールペンのような物で殴り描きされたような表紙絵がなんとも食指を動かされず(ちなみに今出回っている文庫本とは絵が違う)、ずっと買うのを躊躇していたが、『火車』が93年版の『このミス』に2位にランクインしたことを契機に手にとってみたのがこの作家との出会いだった。

開巻していきなり高校野球児の焼身死体というショッキングな幕開けで物語は始まるが、そこから物語のトーンは一転してライトノベル調になる。もはや有名なので誰もが知っていると思うが、この作品は警察犬を引退して蓮見探偵事務所に変われることになったシェパード犬マサの一人称視点で物語が描かれるのだ。つまり語り手は犬という大胆な構成で物語は進行する。
一人称叙述というのは作家の方なら誰もが知っていると思うが、実は非常に難しい。なぜなら主人公が関与した事柄でしか物語を進行させられないからだ。既に賞を受賞していたとはいえ、実質的にはデビュー前である宮部氏がいきなりその一人称叙述に挑戦し、しかも語り手は人ならぬ犬という二重のハードルを課していることに作家としての意欲よりも不安が先に立った。

この文体についての感想は、よく健闘したなぁというのが正直な感想だ。綱渡りのような物語進行を感じ、物語そのものよりも作者が馬脚を現さないかとヒヤヒヤしながら読んだ記憶がある。しかしやはりこの奇抜な叙述を押し通すのは難しく、途中で三人称叙述を採用せざるを得なくなっているのは致し方ないところか。
また大げさな比喩も気になった。物語に溶け込むようではなく、どちらかといえば、ページを繰る手を止めさせて、どんな例え?と考えさせるような比喩だ。大げさ度でいえば、チャンドラーを想起させるが、味わいは全く逆で、実に軽く、ライトノベル調をさらに助長させていると感じた。

物語は焼身死体の高校野球のエースの家出した弟ともに進行する。内容は昔よく挙げられていた高校野球に纏わる不祥事の隠滅もあるが、さらに大きな陰謀もある。それがタイトルの由来ともなっているのだが、作者のストーリーのための設定という枠組みから脱しきれてなく、その嘘に浸れなかった。
今まで書いたように宮部氏のデビュー作である本書は実は私にとってはそれほど面白かったものではなく、むしろネガティブに捉えられていた。恐らく『火車』の高評価が私に過大な期待をもたらしたのだろうとも思う。しかし読後感は悪くなく、前向きな気持ちにさせられる爽やかさは感じ取った。
この作品を読んだからこそ、続く『魔術はささやく』、『レベル7』が面白く読めたのは事実。この2作品のテーマに挙げられた作者の嘘を許容する下地が本作を介して私の中に出来上がったといえる。そういう意味では宮部ワールドを理解するための毒味役ともいうべき作品なのかもしれない。

パーフェクト・ブルー【新装版】 (創元推理文庫)
宮部みゆきパーフェクト・ブルー についてのレビュー
No.112:
(7pt)

タイトルは仰々しいが雰囲気は実に和やか

今回の舞台はエジプト。とうとう出るべくして出た舞台だ。どういう経緯で彼の地へ行くことになったかといえば、今度はエジプト学研究所の宣伝用ビデオにナレーターとして出演するためにその撮影に同行することになったという物。いやあ学者というのは色んな仕事があるもんだね。確かにアメリカの、例えばディスカバリー・チャンネルとかで、そういった類いの学者が時に斜め45度の角度から自分の研究所でインタビューに答えていたり、あるいはアフリカのサバンナにある岩に斜めに腰掛けてカメラ目線でしたり顔で解説する光景をよく見かけますな。

閑話休題。
物語は例によって例の如く、エジプトを訪れたギデオンとジュリー夫妻がロケ地に向かうナイルクルーズ中にその研究所々長が殺され、そしてさらにその研究所の裏で古い人骨が見つかるという、正にギデオン行くところ、常に骨ありを地で行く内容(ま、これが売りなので仕方が無いが)。
今までもそうだったが今回は特に観光小説の色合いが濃く、事件発生までが本当に長い。作者はエジプトの風景とエジプト人の奇妙な慣習と考え方に筆を多く割いており、恐らくこれは現地取材成果した賜物だと思うが、そのため、事件の部分が後ろに押しやられていると云える。これは近年の作品も同様で、特に『密林の骨』などはこの傾向がさらに推し進められ、骨の鑑定は最後の方に少しだけ出てくるような始末である。したがって本書における事件はなにやら添え物のような感じであり、後半駆け足のように解決に向かう感じがしないでもない。
ただこのシリーズは核となるミステリとは全く関係のないこの外側の部分も非常に面白いので、退屈しない。逆にこのまま事件など起きなければいいのにとミステリ読みとしては矛盾した気持ちにまで陥ってしまう。特に今回はアメリカ人ギデオンから見たエジプト人の考え方などが非常にウィットに富んで(ちょっとした悪意も味付けされて)、語られて、それが非常に面白い。この辺の特殊な考え方は現在アジアの異国の地に住むと、あまり不思議でもなくなってきている。それも一理あるなぁと逆に感心するくらいだ。ただやはりこういう考え方、文化の違いがあるからこそ、人は異国へ旅立つのだなぁと思っている。

最後に恒例となったタイトルについて言及しておこう。本書の原題は“Dead Men’s Hearts”。なるほど直訳すれば『死者の心臓』となるのであながち嘘ではないが、本書には骨は出てきても心臓については全く出てこない。本書の内容から見てもここは『死者の心』と訳すのが妥当だろう。まあ、心臓の方がインパクトあるけどね。

死者の心臓 (ハヤカワ文庫―ミステリアス・プレス文庫)
アーロン・エルキンズ死者の心臓 についてのレビュー
No.111:
(8pt)

次回作を大いに期待したい佳作

美術学芸員クリス・ノーグレンシリーズ3作目にして今のところ最終巻。
今回の舞台は芸術の国フランス。よくよく考えると絵画をテーマにしたミステリで舞台といえばすぐにフランス、パリという図式が思い浮かぶが、3作目でようやく登場というところが意外といえば意外。まあ、深い意味は無いんだろうけど。

さて今回もなんとも面白いシチュエーション。クリスの勤めるシアトル美術館にフランスの画商ヴァシィがレンブラントの絵を寄贈するという申し出があった。しかし真贋鑑定の科学的検査はしないこと、そして美術館の目立つところに「レンブラント作」として展示することという非常に悩ましい条件が付けられていた。
こんな面倒な仕事が回ってくるのがクリスで、彼はこの申し出のためにフランスに飛ぶが、やはりそこでも殺人事件に巻き込まれるというお決まりのパターン。
御決まりなのだが面白いのがこの作家の作品のいいところで、今回は美術に造詣の深い作者ならではの仕掛けが散りばめられている。

まず画商ヴァシィの人となり。魅力的なキャラクターはエルキンズの専売特許だが、これがけっこう問題児で、腕はいいが今まで色んな騒動を起こしてきた人物だというところ。そんな人物が、真贋鑑定はしてはいけない、一番目立つところに作者名付で飾れというのだから、信頼していいのかどうか非常に不安なところ。もし贋作だった場合は真贋を見極められなかった美術館の沽券にも関わり、評判も落とすから、こんな危ない橋は渡りたくないというのが正直な気持ちだが、集客力の強いレンブラントの作品を、無料で頂けるのは美術館としても魅力的なわけでなんとも判断に困るというのが容易に窺える。
さらに今回作者が上手いのは寄贈する作品の作者をレンブラントにしたところにある。と、さも私が美術に精通しているように書いているが、実はこの作品にこのレンブラントの作品を扱う際に陥りがちな罠について述べてあるので、そっからの受け売り。
本書にも書かれているが、レンブラントは実は工房を持っており、弟子達が師匠レンブラントの技法を真似して書いた作品が多々あり、しかもその作品にレンブラント本人がサインまでしているので、非常に真贋が見極めにくい画家だというのだ。だから世に蔓延っているレンブラント作と冠された絵画は到底レンブラント1人が一生に描ける分量をはるかに超えているらしい。こういう薀蓄は堪りませんね。
まあ、そんな背景を見事ストーリーに溶け込ましてヨーロッパ美術の歴史の暗部も盛り込みつつ、読み終わった時にはなんだかいっぱしの美術通になった気がした。
本書はミステリの部分よりもやはり薀蓄やその辺のサブストーリーが琴線に触れたので、ちょっと評価は高くなっている。

さて冒頭に述べたように本書を最後にこのシリーズは続編が書かれていない。その後別の主人公を使って『略奪』という邦題の美術ミステリを発表したがこちらは本格ミステリ風味が薄れ、サスペンス色が濃くなっており、既出のクリスシリーズのイメージが先行して、なんともちぐはぐな印象を受けた。
美術、絵画をテーマにした作品となると、ナチスによる掠奪品、贋作疑惑、盗難事件と意外にヴァリエーションは少ないと思われるが、私が読んでいたマンガ『ゼロ』はそんな制約の中で多数物語を発表しているので、アイデア1つで面白く書けそうな気がする。
もしエルキンズがこのシリーズをもう1作書くとしたら、例えば日本の浮世絵を扱ったミステリを書くなんて、非常にワクワクするのだが、どうだろうか?


画商の罠 (ハワカワ文庫―ミステリアス・プレス文庫)
アーロン・エルキンズ画商の罠 についてのレビュー
No.110:
(7pt)

果たして原題の意味は?

シリーズ7作目。今ではどんな原題であろうと、『~の骨』という統一した邦題が付けられているこのシリーズ。その端緒となったのは9作目の『楽園の骨』からだったと思うが、厳密に云えばシリーズ第3作に当る『断崖の骨』からが最初だといえる。しかし『断崖~』の原題も“Murder In The Queen’s Armes”であり、直訳すれば『クイーン・アームズの殺人』といささか平凡なこともあり、やはりギデオンといえば骨ということで邦題の方が「らしくて」いい。
で、本書の原題は何かというと“Make No Bones”。これは成句で後ろにAboutをつけて、「~するのを躊躇しない、平気で~する、~について率直に云う」という意味。これを邦題にするのは確かに難しい。これは英語圏の人が付ける一種の洒落だろう。なぜこの成句が使われたのかは後で述べることにしよう。

本書の舞台は原点に立ち返ったかのごとく、アメリカ本土のオレゴン州。前作が極寒の地とはいえ、アメリカのアラスカであり、それに続いて本国を舞台にしているということは、やはりそうそう海外にも行ってられないということだろうか。
さて題名にも挙げられている遺骨だが、これは10年前の司法人類学会々長ジャスパーの遺骨に由来する。ギデオンが司法人類学者の会議に招かれ、その学会の会長でもあり、第一人者であったジャスパーの遺骨が本人の遺言に残された希望により、学会会場近くにある博物館に展示されることになった。が、しかしその遺骨が何者かに盗まれ、会議会場の近くで身元不明の白骨が発見され・・・というのが本書の内容だ。
今までギデオンについて「スケルトン探偵」、「骨の鑑定士」なる呼称を使っていたが、彼はれっきとした大学教授でその肩書きは形質人類学者。この形質人類学とは平たく云えば古い骨から人間の進化の歴史を探る学問で、骨を鑑定する同じ観点から司法医学に一脈通じるところがあるらしい。実際の法医学者からこの作品を読んでも、実に興味深い内容が盛り込まれており、学生たちにとっても勉強になるらしい。

さて本書では一時期センセーショナルに取り上げられていた頭蓋骨に粘土を付けていく復顔技術が登場する。なぜ今まで骨がさんざん登場しておきながら、花形といえるこの技術が9作目まで登場しなかったのかと思うが、一片の骨から性別、身長、職業などを当てるというシャーロック・ホームズ的な全知全能の神ともいえるギデオンの推理が骨鑑定シーンの妙味であったことによるのだろう。実際頭蓋骨から粘土で顔を複製することはギデオンの技術とは関係ないのだから、逆に云えば、編集者か、もしくは個人的興味からようやくこの技術に着手したのだろう。で、もちろんこの技術が真相解明に大いに寄与しており、ここが本書の肝となっている。
今回はジャスパーの後任のネリーがいい味を出している。特に彼の着ているTシャツの文句が面白い。確かに海外にいて気づくのは英語の文章が書かれたTシャツにけっこう面白いことが書いてあること。女性ならば定番の「恋人募集中」なんかみたことなく、「もうずっと一人で寝ている」とか「私はオカマだから声掛けてもムダ」とかけっこう過激な内容が多い。デザインもいいのでもし日本人が海外旅行先で意味も解らずに買って街中で着たりするとけっこうニヤつかれるので気をつけた方がいい。
で、原題となっている“Make No Bones”だが、これはジャスパーが自分の遺骨を「平気で陳列する」という意味で無いと思う。恐らく次のジョン・ロウ(はい、本書にもちゃんと出てきますよ、彼)の次の言葉ではないだろうか。

「頭のいい連中がおそろしく馬鹿な真似をする」

なかなか含蓄に満ちた言葉である。


遺骨 (ミステリアス・プレス文庫―ハヤカワ文庫 (74))
アーロン・エルキンズ遺骨 についてのレビュー
No.109: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

ああ、イタリアに行きたい!

美術学芸員クリス・ノーグレンシリーズ2作目。前作は贋作事件に携わったクリスだが、本作では美術便盗難事件解決に関わることに。
今回の舞台はイタリア。いやあ、仕事とはいえ、風光明媚な土地を訪れることが出来るのは役得以外何物でもなく、全くうらやましい限り。
そして今回も盗難品であったルーベンスの名画を皮切りにルノアール、ヴァン・ダイク、テルブルッヘン、カラヴァッジオ、ウィテバールにフラゴナールと盛りだくさん(ちなみに題名はフラゴナールの作品について登場人物の1人が語る感想から来ている)。このように名前を陳列してもどの作品がどの作者の物であるのかが一致しない浅薄な知識しか持ち合わせていない私。絵画の本と一緒に読むとさらに楽しめるんだろうなぁ。

今回は美術の薀蓄もさることながら、ヨーロッパ随一の「マフィア社会」と呼ばれるイタリアの慣習、料理、風景がたくさん織り込まれ、クリスたち登場人物を魅了する。何しろ登場人物の1人はイタリアに渡ってイタリア風に名前を変えるほどののめり込みようだ。しかしクリスは盗難事件の解決に携わるという仕事のため、否応無くマフィアに関わりを持たざるを得なく、なんと友人だけでなく本人も暴行に遭って入院する羽目に陥る。
そして前作から引き続いて妻と離婚調停中であったクリスに新しい恋の始まりが訪れるところで物語は終える。この辺の進展もシリーズ物の長所といえるだろう。そういえばギデオン・オリヴァーシリーズも2作目でジュリーを出逢うだったんだよなぁ。
事件そのものよりもこの小説としての皮の部分が非常に面白いのがエルキンズの特徴だが、特にヨーロッパ好き、美術好きには本作は堪らないシリーズだ。


一瞬の光 (ミステリアス・プレス文庫)
アーロン・エルキンズ一瞬の光 についてのレビュー
No.108:
(7pt)

スケルトン探偵=水戸黄門?

スケルトン探偵ギデオン・オリヴァーシリーズもこれで6作目。時系列に今までの舞台を書くと(未訳の第1作目は除いて)、アメリカの森林公園、イギリスの断崖、モン・サン・ミシェルの干潟、メキシコの古代遺跡となり、本作での舞台はアラスカの氷河である。暑い所からまたかなり涼しい、いや極寒の地へ行ったものである。
で、もう書かなくてもお分かりかと思うが、今回は氷河から骨が出てくるという趣向。そしてたまたま居合わせたギデオンに鑑定の依頼が舞い込んできて、その骨の正体がまたそこに居合わせた連中には曰くつきのものだった・・・ともう今までの感想をコピペしているような粗筋である。

今回は骨の鑑定よりもジュリーによって説明される氷河の成り立ちに関する知識の方が面白かった。いやあ、本当にこのシリーズはためになると思う。実はこのような薀蓄話は作者自身意識して挿入しているとのこと。本を読んで新しい知識が得られることほど楽しい事はなく、それを創作のときには常に頭に入れているらしい。
さてアラスカの氷河というよほど用事がないとまず旅行では行かないだろうというところにたまたま居合わすというのがすごいと思うが、この無理な設定を愛妻であり、パークレンジャーであるジュリーの研修旅行に同伴するということでハードルを越えていく。後のシリーズもかなり特異なところに行くが、その導入部はギデオンが大学教授であり骨鑑定家であること、ジュリーがパークレンジャーであることと、2人とも特殊な職業に付いていることからそこに居合わせることになっており、ギデオンの研究所に依頼人が来て骨の鑑定を依頼する、なんてことは一切無い。よく考えるとシリーズ探偵物がまず依頼人ありきというフォーマットで語られるのに対し、常にギデオンはたまたま現地に居合わせて巻き込まれてしまうパターンである。これはよく考えるとすごいことだ。前にも述べたがこれは正に『水戸黄門』パターンである。エルキンズは『水戸黄門』を観たことがあるのだろうか。

さて今回もギデオン、ジュリー、ジョン3人のやり取りが非常に面白く、特にジョンはハワイ生まれなのに暑さが苦手というのが面白い。さらにFBI捜査官「らしくなさ」にも拍車が掛かってきている。こういうキャラクター設定の妙味がこのシリーズの醍醐味の1つといえる。
ミステリとして総体的に評価した場合、突き抜けることがないため、水準作となってしまうが、それを補って余りある面白さがこのシリーズにはある。でも続けて読むとやはり飽きてしまうな。半年、いや1年に1回の再会を楽しむように読むのが本書の正しい読み方だろう。

氷の眠り (ミステリアス・プレス文庫)
アーロン・エルキンズ氷の眠り についてのレビュー
No.107:
(7pt)

新婚の2人がお盛んで…( *>艸<)

スケルトン探偵ギデオン・オリヴァーシリーズ3作目。これでようやく『古い骨』以前のシリーズ作が訳出されたことになる(第1作目はいまなお未訳だが、『暗い森』の感想に書いたように、趣向が違うため、別物と考えられている)。

で、本作は前作『暗い森』で知り合ったジュリーとギデオンの新婚旅行がテーマに扱われており、物語の舞台は旅行先であるイギリスの片田舎。そして例によって例の如く、そこでまた骨が現れ、新婚旅行中にも関わらずギデオンは骨の鑑定を頼まれることに。そしてまた当然の如く、その骨に関わった人物達の間で殺人事件が起きて、それにも巻き込まれるという正に黄金パターン。
後の作品の感想にも述べているが、このシリーズは『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』ら、定番時代劇に似た趣があり、この永遠のマンネリズムを楽しむのが本書の正しい楽しみ方といえよう。事件に関係する個性豊かなキャラクターとウィットに富んだ会話、そして毎回骨の鑑定で唸らされる薀蓄の数々。舞台と登場人物を入れ替えただけと云われればそれまでだが、逆に云えば、これほど安心して読めるシリーズも無い。

で、本作は新婚旅行であることもあり、いつになくジュリーとギデオンの中がアツイ。もう終始やりまくり、失礼、ラブラブである。この2人の熱い会話も骨の鑑定家ギデオンならではの専門的な誉め方が入っており、なかなか面白い。
そしてエイブ・ゴールドスタイン再登場。というよりも本当は『呪い!』よりもこっちの方が先。この好々爺が実にいい味を出している。ギデオンが師と仰ぐだけの知識と経験となにより豪放磊落さが非常に小気味よい。
また骨の鑑定士ギデオンが意外な事に死体が苦手だということが発覚する。なるほど、乾いた骨は美しさすら感じるけど、やはり肉が付いていると気持ち悪いという感覚は解る気がする。
事件はあからさまなミスディレクションが仕掛けられているので、逆に一番疑わしい人物が犯人ではないと概ねの読者は思うだろう。明かされる真相は驚愕ではないにしろ、ミステリとしては水準と云える。ま、このシリーズにはどんでん返しは求めていないのでこれはこれでいいのだが。

さて新婚旅行で事件に出くわすというのは恐らくシリーズ物ではけっこうあるのだろうが、私はセイヤーズのピーター卿シリーズ『忙しい蜜月旅行』しかまだ読んだことが無い。で、この2作に共通するのは新婚旅行中に事件に巻き込まれることとは別に、両方とも新婚旅行先がイギリスの片田舎、つまり観光地ではないことだ。片やイギリスの作家、片やアメリカの作家であり、国民性に違いはあるのだけれど、これって欧米人特有の感覚なんだろうか?日本人ならば新婚旅行は有名な観光地で休日を満喫するが、両者に共通するのは旅慣れた旅行者が普段観光客が行かないところだ。喧騒を離れて2人きりで愛を交わしたいという意思の表れなんだろうか。その辺もなかなか興味深かった。

断崖の骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ断崖の骨 についてのレビュー
No.106:
(8pt)

絵画の蘊蓄満載!

アーロン・エルキンズはスケルトン探偵ギデオン・オリヴァーシリーズが有名だが、実はもう1つシリーズ物がある。美術館学芸員クリス・ノーグレンシリーズである。
一方は骨の鑑定家、もう一方は学芸員と全く毛色の違う2つのシリーズだが、双方比べても質が同じであるのはこの作家のすごいところ。このシリーズでは美術に関する専門的な知識、トリビアがふんだんに盛り込まれ、知的好奇心をくすぐる内容が横溢している。

クリスはベルリンに出張している上司に呼び出され急遽彼の地に飛ぶことに。ベルリンの美術館で開催される「ナチ略奪名画展」の作品の中に贋作が含まれており、それを見つけ出すようにというのが出張の目的だった。調査の中、しかしその上司は殺されてしまい、クリスも事件の渦中に引きずり込まれてしまう。

西洋美術に第2次大戦中のナチスの美術品強奪が絡むのはミステリの題材としては非常に魅力的であるのだろう。そしてシリーズ第1作目としてこの歴史的事実と贋作という美術ミステリには無くてはならない題材を絡めたのは作者のシリーズに対する創作意欲と固定ファンを掴むための宣伝効果双方によるものだと思う。
で、このシリーズで主人公を務めるクリスは全くギデオンとは違うキャラクター。ギデオンが妻ジュリーといつも仲睦まじいのに対し、クリスは妻と離婚寸前という情けないキャラクター。しかも人使いの荒い上司へのグチも云う。が、なぜか女性にモテるという面白いキャラクターであり、非常に人間くさくて私は好きな主人公だ。
で、このクリスが殺人犯捜しと贋作探しに孤軍奮闘する。エルキンズのミステリは真っ当なミステリなので、云わずもがな見事クリスはこの2つの事件を解決するのだが、こういう普通の男が見事目的を達成するところは爽快感すら漂う。

真相は、なかなか面白い。特に贋作発見についてクリスのインスピレーションは逆説的であり、思わず「ほお・・・」と声を出してしまった。この相矛盾するエゴによる動機は美術収集家だけのみならず、あらゆる収集家に共通する思いだろう。
以前『ゼロ 神の手を持つ男』という漫画を愛読しており、それがこの作品と非常にダブった。どちらも美術を扱う作品であり、作品に散りばめられた薀蓄も重複するところが結構あり、非常に楽しく読めた。ただ『ゼロ』で頻繁に登場する「炭素14法」が全く出てこなかったところに疑問。使われた塗料、キャンパスが当時のものであるか、その中に含まれた炭素14の崩壊率から年代を推定するこの方法は現代の真贋鑑定に必ずといって採用されるものだと思っていたが。単にエルキンズが知らなかったんだろうか?

まあ、それはさておきギデオン・オリヴァーシリーズに続いて本書もハヤカワ・ミステリ文庫で復刊されており、私同様ファンがいることが確認され、嬉しく思った。
ちなみに本作で取り上げられる絵画の中には数年前日本でも絵画展が大々的に開かれたフェルメールがあり、物語でも重要なファクターとなっている。フェルメールに興味のある方はそれだけでも本書を読む事をお勧めしたい。

偽りの名画 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ偽りの名画 についてのレビュー
No.105:
(7pt)

ミステリ界一アツアツ夫婦の誕生

このシリーズの読みどころは数あるが、その1つにギデオンとその妻ジュリーの仲睦まじいやり取りがある。毎度毎度ケンカすることも無く、けっこう年取った夫婦でありながらも熱々ぶりを披露する2人(逆に云えば、もっと2人に何か起きてシリーズに新風を吹かすくらいの演出をすればいいのにと思うが)。
その2人の馴れ初めが書かれているのがシリーズ第2作に当る本作。余談になるがシリーズ第1作“Fellowship Of Fear”は現在も訳出されていない。聞くところによると、第1作目はどちらかといえばホラー色が多く、シリーズとは異質の内容らしく、恐らく作者自身も封印したいのではないか。したがって本作こそが実質的なシリーズ第1作といっていいだろう。

物語の舞台は本国アメリカはワシントン州にあるオリンピック国立公園。ここで人骨の一部が見つかり、その調査をギデオンが頼まれる。そこでは6年前にハイカーが行方不明になった事件があり、その人物の遺骸であると判明する。しかし不可解なことにその骨に残った槍の穂先はなんと一万年前に絶滅したはずの種族の物だった!
非常に興味深い内容で、しかも学術的趣味に溢れている1作だ。まずオリンピック国立公園に関する薀蓄。なんとこの公園は実在し、敷地は神奈川県よりも広い(!)らしい。さらにギデオンによる骨の鑑定シーンで得られる法医学知識。そして本書に絡む幻のネイティヴ・アメリカンと云われるヤヒ族の話。
ギデオンが未来の妻ジュリーと出会うのはこの奥深い森を持つ公園。ジュリーの職業はパークレンジャーであり、密猟や森林の管理、そして遭難者の捜索など、全般的な公園の監理業務が彼女の仕事である。そこで遭難したギデオンを見つけた彼女はこの奥深い森の中で一夜を過ごす。そこに性的交渉はないものの、この非日常的状況が2人をくっつけるきっかけになったのは自明の理で、まあ、ベタといえばベタか。
また本書では準レギュラーのFBI捜査官ジョン・ロウも出てくる。つまり本書で既に固定キャラは登場してしまっているのだ。
やがてヤヒ族最後の生き残りが見つかり、ギデオンらは感動に震える。作者は元々大学教授であったこともあり、このような学術的な発見はいつか自分も成しえたかった夢であったのだろう。それを自作で実現させたように思える。

さて今回だが、個人的な話をすれば犯人は解ってしまった。これが解らなければ、本書は私の中でかなり上位になったかもしれない。骨の鑑定から一万年前の槍の穂先が見つかり、それを裏付ける絶滅したと思われるネイティヴ・アメリカンの登場。ここまでの流れはミステリではなく、冒険小説の筆運びになるからだ。いわゆる噂のみで存在する財宝を発見する話と変わらない。そう思わせておいて、実はミステリだったという、仰天の展開が繰り広げられるのだから、そうと思わずに読んでいれば傑作と褒め称えただろう。実際故瀬戸川氏は本書を大絶賛している。しかし、私の悪い癖で、推理とは関係のないところ、云わばミステリ読みの勘とも云うべき部分で真相を見抜いてしまった。しかしこれはこれで自分で謎を解いたのだから作者とのゲームに勝ったという意味で楽しめたと云える。
私は常々作家の作品は刊行順に読むべきだという持論を述べているが、本書に関しては特にそうは思わなかった。本来ならば刊行順に『暗い森』→『断崖の骨』→『古い骨』→『呪い!』と読むのがいいのだろうけど、逆にこのシリーズでは『古い骨』、『呪い!』でさんざん見せ付けれらた2人の熱々ぶりのそもそもの始まりを知ることになって逆に興味深く読めた。
このシリーズが好きな方は決して読み落とすべき作品ではない。なぜなら・・・って云わないでも解るか。

暗い森 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ暗い森 についてのレビュー
No.104:
(7pt)

変わらぬ構成をどう見るか。

エドガー賞受賞の『古い骨』の次に発表されたスケルトン探偵ギデオン・オリヴァー教授シリーズ第5作目。日本での紹介も同様に『古い骨』の次に訳出されている。
前作はフランスのモン・サン・ミシェルが舞台だったが、本作ではメキシコのマヤ遺跡が舞台。遺跡の発掘に関わっていた恩師エイブ・ゴールドスタインから遺跡から古い人骨が出てきたのでその調査を依頼されるというのが物語の導入部。その人骨の傍にあった古文書を解読すると、遺跡に踏み入った者には呪いがかけられるという不穏な内容。そしてその予告どおりに発掘メンバーに呪いがかかったような不吉な出来事が起きだすというのが物語の骨子。

『古い骨』の感想にも書いたが、基本的にこのシリーズのストーリーは突飛な物はなく、非常にオーソドックスな趣向で展開する。この古代遺跡の呪いというのも古来ミステリ作家が一度は題材に扱う内容で、定番中の定番。古代の呪いを扱う場合、往々にしてエジプトのファラオの呪いであるのが、本書ではメキシコのマヤ文明であるところがこの作者なりの味付けか。
で、恐らく本国アメリカでもそうだっただろうが、エドガー賞受賞後1作として発表された作品である本書は周囲からの期待値も高かったに違いない。しかしその期待を上回ることはなかった。実に普通のミステリである。骨の出現で呼ばれるギデオン夫婦、そこで起こる不穏な出来事が殺人事件に発展し、そして挟まれる骨の鑑定シーン、さらにギデオンにも危険が及び、そして大団円と全く『古い骨』と構成は一緒だ。一応フーダニットは盛り込まれているが、それによるサプライズというのはあまり感じない。
ミステリの外側の部分はどうかというと、これは読ませる。マヤ遺跡という恐らく大多数の人が行くことのない場所に関する叙述は興味をそそるし、また恩師エイブ・ゴールドスタインのキャラクターは出色の出来である。しかし上にも書いたように基本的には『古い骨』の構成をなぞらえているだけで、単純に舞台と登場人物を変えただけという感じは否めない。これが2作目である本書を読んだ時の率直な感想だ。しかしこれが巻を重ねることにこれこそエルキンズの味だというのが解ってくるのだが、まだこのときは引き出しの少ない作家だなとしか思えなかった。

呪い! (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ呪い! についてのレビュー
No.103: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

スケルトン探偵参上!

スケルトン探偵ギデオン・オリヴァー教授シリーズ第4作目にして本邦初紹介第1作目。なぜ4作目から紹介されたのかといえば、本書がMWA賞、通称エドガー賞受賞作であったことが要因として大きいだろう。本作の出版は実は現在流布しているハヤカワ・ミステリ文庫ではなく、廃刊となったミステリアスプレス文庫から出版されていた。しかも本書はその叢書の第1冊目でもあり、新規固定客を掴む重要な役割として大きな期待がかけられていたのだろう。

物語の舞台はフランスのモン・サン・ミシェル。プロローグは富豪のギョーム・ロッシュが干潮時に貝の収集をしている最中に満潮に巻き込まれ、命を失うシーンから始まる。骨の鑑定家であるギデオンは彼の館で見つかったナチス時代と思われる古い骨が見つかったことで親友のFBI捜査官ジョン・ロウと共に鑑定に訪れる。そしてその最中、一族の1人が毒殺されるという事件に巻き込まれる。

ミステリという観点から云えば、このギデオン・オリヴァーシリーズは非常にオーソドックスな作りである。因縁となる過去の事件を発端とし、なんらかの形でギデオンが関係者に関わり、そこに骨に関する事件や出来事が起き、そして過去の因縁が基になる殺人事件が起き、ギデオンが真相に近づく中、彼も一命を失うような危機に陥るが、大団円に至る。シリーズ全てがこのパターンを踏襲している。派手な演出、驚愕の真相を期待する方にとっては物足りなさを覚えるだろうが、逆にこのマンネリさがこのシリーズに安定感をもたらせ、安心して読めるシリーズと云えよう。
とはいえ、このシリーズにさしたる特徴はないかと云えばさにあらず、本書の目玉はギデオン・オリヴァーが毎回行う骨の鑑定にある。この場面の描写は毎回微に入り、細を穿ち、専門的かつ学術的である。では一般読者の理解に困難を強いるかといえば全くそうではなく、専門知識を誰もが解りやすいように噛み砕いて説明しており、読後新たな知識が得られたという満足感がある。この骨の鑑定という読者の知的好奇心をそそる演出がこのシリーズの人気の半分を占めていると云えよう。
さてエドガー賞を受賞した本書の出来はといえば、確かによく出来ており、非常に卒が無い。上に述べたように物語の起承転結がはっきりしており、なおかつサプライズもある。巷間に様々なミステリが溢れている今ならば、本書に収められているミスディレクションは特段話題にするほどの物でもないが、読んで損を感じることはないだろう。

さて本書は版元である早川書房が新規創刊した文庫シリーズの集客戦略の一手として出版されたであろうことは冒頭に述べたが、幸いにしてこの作品はその期待を損ねることなく、ミステリファンのみならず広く親しまれたようだ。特にその年の『このミス』では第3位という高評価を持って迎えられた。その後この叢書が廃刊になり、本国アメリカで新作が出版されても長らく訳出されないという不遇な時代もあったが、ファンからの熱い要望により、版型をハヤカワミステリ文庫に移して再出版され、その後コンスタントに新作も出版されている。
本邦刊行から今に至って私はこのシリーズを読み続けているが、最も新刊が待たれるシリーズの1つになっている。もし何を読もうか迷っている方がいれば、まず手にとっても貴重な時間を失うことはないことを保証しよう。

古い骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ古い骨 についてのレビュー
No.102:
(7pt)

カー問答が読めるだけでも価値アリ!

東京創元社が独自に編んだ短編集。構成はカーによるラジオドラマ脚本とノンシリーズの短編、エッセイと多岐に渡るが、なんと云っても本書ではミステリ書評家に今なお語られる江戸川乱歩によるエッセイ『カー問答』が収録されているのが目玉だろう。

さて独自に編んだ短編集というのはごった煮感が強く、マニアのためのコレクション・アイテムのような趣があるが本書もそうで、カーが世に発表した諸々の文章を完全網羅するという意義は買うが、作品としてどうかと問われれば、玉石混淆だろう。なぜならば今までの短編集でもそうだったが、カーは(というよりもほとんど昔の作家はそうなのだが)短編のアイデアを基にした長編作が多く、本書では「死を賭けるか?」や「あずまやの悪魔」がそれに当るし、また既出の短編の別ヴァージョンという作品もあり(「死んでいた男」、「黒い塔の恐怖」)、何度も同じ話を読まされているような感じがしてしまう。
さらに本書では当時のアメリカ推理作家協会の面々で催されたシャーロック・ホームズのパスティーシュを題材にした寸劇の脚本、そして乱歩によるエッセイ「カー問答」が収録されていることからも短編集というよりも彼の功績を残すための資料的価値の方が勝っている内容である。私にしてみればこの事に対して否定的な立場ではないが、では作品としてどうかと問われればやはり出来栄えは悪いとしか評することが出来ない。

しかしこの余分な収録物と思っていた「カー問答」が本書では最も面白かったのは確か。これが収録され、読むことが出来たことが評価を7点に上げている。つまり私もマニアということなのだ。
散文的になってしまったので纏めると、貴方がコレクターならば、もしくはミステリの求道者ならば本書は必携の書であろう。しかし単なるカーの、ミステリの一読者であるならば本書はお勧めできない。そういった意味で勉強のための1冊と云っておこう。

黒い塔の恐怖 (創元推理文庫―カー短編全集 (118‐21))
ジョン・ディクスン・カー黒い塔の恐怖 についてのレビュー
No.101:
(3pt)

恐らく復刊はないだろう

フェル博士シリーズでは後期に属する作品で、比較的地味な作品である。私がカーの諸作を集めだした時はたまたま店頭に並んでいたが、現在では絶版で入手困難となっている。

大学で起こる数々のいたずら事件が次第にエスカレートし、しまいには殺人事件まで発展してしまう。しかもそれが密室殺人だというから正に純度100%のカーミステリと云える。
さらにカーはこの密室事件に更なる味付けを加えている。それはこの密室事件がウィルキー・コリンズが書き残した書簡に書かれた状況とそっくりだというのだ。

大学で頻発するいたずら騒動といえば、セイヤーズの傑作『学寮祭の夜』を思い浮かべるし、またいたずら騒動が事件の端緒になるという点では、同じくカーのHM卿シリーズであるバカミス『魔女の笑う夜』が挙げられる。
これら2つの作品は傑作・駄作と作品の質は違うものの、それぞれ印象強い特徴を持っているが、本作はなんとも上に書いた色々な趣向を盛り込んでいる割には凡庸であり、盛り上がりに欠ける。その最も大きな要因となっているのが解りにくい密室トリックの解説である。識者によれば本書のトリックの解説には明らかに訳者による勘違いの誤訳があり、それが読者の混乱を招いているそうだ。私もカーが今回やりたかったトリックは凡そ理解できたものの、果たして本当に出来るのかと懐疑的なところがあった。本稿を書くに当り、ネット書評家の感想を当ったが、それで合点が行ったくらいである。

さて後年カーは『血に飢えた悪鬼』でウィルキー・コリンズ自身を探偵役にしたミステリを著している。知っている方は多いと思うがウィルキー・コリンズは最初期の最長推理小説として名高い『月長石』の作者だが、この偉大な先達に対してカーは独自に研究をしていたのかもしれない。今となっては想像の領域を出ないが。
最初に長らく絶版となっていると書いたが、それは多分に上に書いた誤訳によるところが大きい。が、しかし改訳して復刊すべきほどの作品かと問われれば今まで述べたように首を傾げてしまう。恐らく当分この作品が復刊されることはないだろうと思われ、そうなると私の持っている本書はコレクターからしてみれば貴重な1冊となり、なんだか妙にこそばゆい感じがしたりしているのである。

死者のノック (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-11)
ジョン・ディクスン・カー死者のノック についてのレビュー
No.100: 6人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

物語作家カーが本領発揮した冒険活劇

カーの歴史ミステリの中、いやカー全作品の中においても屈指の面白さを誇るのが本作。私的カーベスト5、いやベスト3に入る作品と断言しよう。
本書では『火よ燃えろ!』同様、現代の人間がタイムスリップして中世に行き、その時代の事件を解決するという手法が採られている。しかし、作品が書かれた年代から云えばこちらが先なので、逆に『火よ燃えろ!』が同様の趣向を取り入れたと云えよう。しかし本書のタイムスリップの仕方は一風変わってて、なんと主人公を務める歴史学者は300年前の殺人事件を調べるために悪魔と契約して、自身の魂と引換えに1675年のロンドンに送ってもらうのだ。悪魔と契約というところで、非常に読者を選ぶと思うが、これを深く考えず、単なる物語の設定と寛容に捉えていただければ、後は目くるめく物語世界が眼前に広がることになる。

歴史学者ニコラス・フェントンは300年前に自分の家の近くで殺人事件があったことを知り、そのときの家主が同姓同名の人物であること、当時の事件の詳細を記した文書が秘書ガイルズ・コリンズによって書かれていたが、抜けがあり犯人が解らなくなっていることに好奇心を書き立てられたニコラスは悪魔に魂を売り渡し、当時のロンドンへタイムスリップする。
ニコラスはニコラス・フェントン卿になりすまして毒殺された妻リディアの治療に専念する。その甲斐あって、リディアは回復し、そして犯人であった女中を追い払うことに成功する。しかしリディアが死ぬ6月10日にはまだ日があり、しかも悪魔の話では歴史は変えられぬという。そんな中、ニコラスは国を揺るがす陰謀に巻き込まれていく。果たしてリディアの命は救えるのか、そしてニコラスは窮地を見事に脱することが出来るのか。

数多くの密室トリック物はじめ不可能犯罪を取り扱ってきたカーはその作品性からトリック重視の作者と捉えられがちだが、実は物語作家としても定評がある。ただカーの場合はトリックを成立するために人物を配置させたような意図が見えてしまうのと、過剰なまでのサービス精神でドタバタ喜劇を展開してしまい、その濃度の高さから好き嫌いが分かれてしまっているのは認めざるを得ないだろう。しかし本書は歴史ミステリということでフェル博士シリーズ、HM卿シリーズとは趣を変え、不可能趣味よりも娯楽小説としての側面を前面に押し出しており、なおかつサプライズもあるというカーにしては稀有なまでの出来栄えとなっている。
『火よ燃えろ!』では過去に戻ることでの読者への先入観を利用した錯誤をトリックにしており、歴史ミステリである必然性があったが、本書も同様に現代の人物が過去にタイムスリップすることが最後のサプライズに大きく寄与している。あまり詳しく書くと未読の方にヒントを与えてしまいがちになるので、この辺で止めておくが、策士としてのカーの側面が活かされた内容だ。
そしてそれに加え、本作では物語自体が非常に芳醇である。タイムスリップしたニコラス、つまりニコラス・フェントン卿を取り巻く人物達と築かれていく信頼関係、特に日増しに募るニコラスのリディアへの思いなどロマンスの要素もさることながら、特に本書では剣戟場面が迫力満点で、単なる比喩でなく手に汗握ること間違いない。カーの筆も乗りに乗っていることは行間から明らかに窺え、数あるカー作品の中で最も躍動感に満ちたシーンといえよう。興奮冷めやらぬ体で読み終えた私は物語が終ることを惜しく思ったくらいである。

本書を手に入れたきっかけは当時山口雅也氏が早川書房の企画で作家お勧めの1冊かなにかで本書を取り上げたことから当時絶版だった本書が復刊されたことによる。この企画で山口氏が取り上げなければもしかしたら未だに手に入らなかったかもしれない。こんな傑作が絶版になっていることこそ出版社の怠惰だと思うが、それを発掘し、世に知らしめてくれた山口氏に感謝したいと思う。

ビロードの悪魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-7)
No.99: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

カー=本格という先入観抜きで読んでみれば…。

所謂カーの歴史ミステリシリーズの第1作目とされている。本来ならば『深夜の密使』こそがそれに当たると思うが、あの作品はカーター・ディクスンでもカー・ディクスンでもない別名義で書かれていたせいで、カーの作品とは長らく気づかれなかったようだ。そのため公式的にはこれがカー初の歴史ミステリ作品と云われている。今回は世間の通説にならって、本書を第1作として感想を書くことにする。
さて第1作目ということもあって、真っ当な歴史ミステリに徹している。『火よ燃えろ!』や『ビロードの悪魔』で採られたような現代人がタイムスリップして事件の解決に当たるといった荒唐無稽さはなく、あくまで本書で探偵役を務めるのはその時代の人物である。

ディック・ダーウィンはフランシス・オーフォード卿を殺害したかどでニューゲイト監獄に死刑囚として収監されていた。しかし彼はそれが冤罪であることを知っていた。そのディックに1人の女性が訪れる。その女性キャロライン・ロスは叔父の遺産相続の権利があるのだが、結婚をしていないと無効になるとの条件があり、そこで死刑囚であるディックに目をつけ、遺産相続のために形式だけの結婚を求めに来たのだ。
その要望を受入れ、監獄で形式だけの式を挙げた2人だったが、突然ディックの死刑が中止になり、ディックは釈放されることになる。ディックは自分が死刑に追い込まれたオーフォード卿殺害の真犯人を探りあてることにする。

財産目当てに結婚した女性と図らずも結婚生活を共にすることになるという、なかなか類を見ないシチュエーションである。そして晴れて釈放の身となったディックのその後の活躍はなかなかに面白く、ヒロイック小説的な様相がある。
なぜカーが歴史をさかのぼってこのような物語を著したかといえば、当時のまだ万人に対して公平ではなく、理路整然としていないイギリスの法律の抜け穴を小説の設定に利用したからであろう。ディックが釈放されるのはディックが貴族の出で、死刑の前に爵位を持つ叔父と従兄弟が相次いで亡くなり、ディックに爵位が継承され、ディックの死刑判決が下されるのがその後だったことから、貴族であるディックは上院による判決が必要になり、それまでの判決が無効になる。そして上院での再審はなんと慣例的に無罪になるという、今では到底信じられない裁定が下されるのだ。
後年同著者の『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』を読んだ時にも強く感じたが、中世イギリスの法律というのは本当にいい加減で、貴族ら上級社会層の人間に有利に働くように制定されている。だからこそ生まれる珍事というのがあり、本書もそれに着目したことから本作のプロットを練ったに違いない。

さて事件そのものはあまり大した事がなく、本書はどちらかといえばミステリというよりも冒険活劇小説の色が濃い。私はカー=本格ミステリという先入観があったせいか本書はそれなりに楽しめるものの、カーの作品としてはどうかという疑問を持ってしまった。しかし実は本書を読むことで次に読む『ビロードの悪魔』に対する私の読書スタンスが決まったわけだから、『火よ燃えろ!』同様、今改めて読んでみるともっと面白く読めるかもしれない。

ニューゲイトの花嫁 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-15)
No.98: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

時代性を上手く扱った佳作

カーは後年歴史ミステリを数作著しているが、本書もそのうちの1冊。しかしカーの歴史ミステリというのは他の作家とは違った特徴がある。
通常歴史ミステリとはその時代の実在の登場人物、もしくは架空の登場人物を探偵役にしてそのときに起こった事件の謎を解く、もしくは現代の人物が過去の文献や資料を当たって、歴史の闇に新たな見解を示す物と大きく2つに分かれるだろう。
カーの歴史ミステリはこの2つのジャンルミックス的なものといえる。彼の作風は現代の人物がタイムスリップしてその時代に云って騒動自体に巻き込まれて事件を解き明かすという一風変わった特徴がある。

さて事件の内容はといえば、ロンドン警視庁の警視がタクシーに乗っていたらいつの間にかそれが二輪馬車に変わっており、1829年のロンドンにタイムスリップし、創立間もないスコットランド・ヤードの一員となって、不可解な射殺事件を解き明かすといったもの。
私は英国史はもとより世界史にもさほど精通していないため、本書でどのような歴史的事実が盛り込まれ、活用されたのかは寡聞にして解らない。が、しかしカーの歴史ミステリの主眼は従来の作家が採る歴史上の謎となっている事件を持論を以って開陳するものではなく、その時代でしか成立しなかった犯行・トリックを使うがために歴史をさかのぼっている節がある。現代の日本人ミステリ作家でたとえるならば、二階堂黎人氏の二階堂蘭子シリーズや京極夏彦氏の妖怪シリーズが正にその設定を採用し、自己薬籠中の物として次々と作品を生み出している。
で、その結果、カーは時代を退行することによって生じる読者への先入観を上手く引き出し、成功しているといえよう。本書の射殺事件に使われた物こそ、この時代あってこそのものであり、それを上手くミスディレクションとして使っている。
それに加え、当時の風俗、風景描写に躍動感があり、正に水を得た魚のような筆致である。元々カーは若い頃から歴史物やノンフィクションを著しており(『深夜の密使』、『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』)、このジャンルに興味があったようだ。

ただこの特異な趣向が万人向きかと云えば、全面的に肯定できないところがある。タイムスリップという非論理的な趣向と事件を論理的に解き明かすという趣向が混じっているため、物語のスタンスが一定しておらず、なんだかちぐはぐな印象を受けるかもしれない。それは私も同様で、本作に対する評価があまり高くないのもこれがフィルターとなってしまったことによる。
物語について寛容になった今ならば、この作品は改めて楽しく読めるのかもしれない。時間があれば再読することも頭に入れておこう。

火よ燃えろ (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-5)
ジョン・ディクスン・カー火よ燃えろ! についてのレビュー
No.97: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

人を選ぶ傑作?

カーのベストを挙げよと云われたら『火刑法廷』か本作かというくらい評価の高い作品だが、私個人の評価はさほどでもない。
本作はカーが密室物の大家としての名を確固たる物とした作品と云われている。それは2つの密室殺人が盛り込まれ、そのどれもが不可能性が高く、さらにとどめは有名なフェル博士による密室講義が挿入されていることによるからだろう。特に後者は世の本格ミステリファンの密室好きの琴線に触れ、後年多くの作家がこの講義を下地に改訂作業を行っている。

第1のはグリモー教授の部屋での密室殺人。犯人と思われた謎の男ピーター・フレイは銃声が聞こえてすぐさま駆けつけたにもかかわらず、姿を消していた。
第2の棺は街の袋小路で起きたそのピーター・フレイ殺害。雪の降り積もる中、しかも袋小路の只中で残されていたのは被害者のみの足跡。
しかし不思議なことにこの事件は同時間に行われていた。ピーター・フレイはなぜ同じ時間に全く離れた場所に存在できたのか?
この非常に魅力的な謎が解明されるが、一読した後では十分に理解できないだろう。それはあまりに複雑すぎ、さらに危ういまでに偶然が作用しており、しかもこれらの不可能状況が実に微妙なバランスの上で成り立っていることが解るからだ。
カーが本作に密室講義を盛り込んだことからも本作を彼の数ある密室殺人物の集大成と捕らえていたのは間違いなく、本書に盛り込まれたトリックはそれまでカーが使っていたあらゆる物を盛り込み、実現させている。
しかしそれは解るのだが、盛り込みすぎて実にギリギリのところで成り立っているとしか思えず、読んだ後は「こんなに上手く行くのかな」と首を傾げてしまった。

もう一方の特徴、密室講義は読む価値ありだ。これは1935年当時、既に数多創作された密室を類別し、整理して非常に参考になり、また読みやすい。ただその性質上、他作家の密室物の真相を暴いている(作品名は出されていない)のは致し方ないところ。個人的に面白かったのはフェル博士が「我々は小説内の登場人物なのだから・・・」云々とメタ的発言をするところだ。
力作であるのには間違いなく、こういうトリックの応酬が好きな人には堪らない1冊だと思うが、私としては張り切りすぎて、やりすぎだという苦笑を禁じえなかったのである。

三つの棺〔新訳版〕
ジョン・ディクスン・カー三つの棺 についてのレビュー
No.96: 5人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

傑作!ただしかしすぐには勧められない!

カーのベストを募ると必ず選出される本書は実はノンシリーズの1冊。

出版社の編集員が作家ゴーダン・クロスの書いた実在の毒殺魔ブランヴィリエ夫人の物語を読み、そこに付せられた肖像画と自分の妻とのあまりの近似性に驚愕する。それ以来、妻がブランヴィリエ夫人の生まれ変わりであることを示唆する噂と奇妙な事件が彼の身の回りに起こる。

『緑のカプセルの謎』でも書いたが、カーは密室物と同じくらい毒殺物を著しており、本書もその1冊。今気づいたが後年読んだ『死が二人をわかつまで』と非常によく似たシチュエーションである。但し私の中ではこちらの方が評価は上。
もしかしたら本書を読んでもそれほど驚かない人もいるかもしれない。この趣向を取り入れた設定の作品は今たくさんあるからだ。しかしこれこそがそれらの作品の祖だと考えればかなりエポックメイキングな作品であることに気づくだろう。つまりポーが開祖としたミステリ、つまり人外の闇の部分に論理の光を照らして人智の物とするという新しい文学形態にさらにその形態を下敷きにして新たなるスタイルを確立したとまで云っても過言ではない。
特に読まれる方は全編に散りばめられた台詞や仕掛けに留意してもらいたい。出来れば結末を知った上で読めば、カーが含ませた数々のダブルミーニングに気づくはずだ。本書は例えば、列車に乗っているときに遭遇する進行方向から見る広告と逆方向から見る広告が角度によって全く違っている看板のようだと云えば解ってもらえるだろうか?

ただし、ではカーのお勧めは?と未読の方に問われて、この作品を推奨するのはいささか抵抗がある。なぜならば本書はカーがこのような作品を書いたことに大きな意義があるからだ。HM卿、フェル博士シリーズなどを数多く著してきたカーだからこそ本作が光るのだ。
ぜひとも読んでいただきたい傑作だが、ぜひともそれまでにカーの作品を何点か当たっていただきたい。素直に勧められないこのもどかしさをどうか理解して欲しい。

火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-20)
ジョン・ディクスン・カー火刑法廷 についてのレビュー
No.95: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

カー円熟期の歴史小説

本書はカーによる歴史ミステリの1冊。創元推理文庫ではカー一連の作品で最後の方に位置しているが、本書はカーが晩年に書いた一連の作品群ではなく、1934年に別名義で書かれた作品。1934年と云えば、傑作と云われている、『プレーグ・コートの殺人』、『白い僧院の殺人』が書かれた年で、ようやくカーの作者としての油が乗り出す時期だったと云えよう。しかし一方でその年には『剣の八』、『盲目の理髪師』といった、首を傾げるような作品もあり、おいそれと作品の質が保証されないところがある。果たして本書の場合はというと・・・。

今まで書いてきたように、この頃読んだ一連のカー作品の評価はあまりよろしくない。特に『亡霊たちの真昼』のように、退屈な作品を読まされた(この表現は実は好きではない。なぜなら本に読まされることはなく、選んだ自身が“読んだ”のだから。しかしいかんともしがたい欲求不満が募る時はついこういう表現を使ってしまう。ご容赦願いたい)時には、なんとも読む意欲をそそられない物だと思ったものだ。
その予想通りに前半の展開は非常に冗長だ。1670年にロデリック・キンズミアなる男が遺産相続のためにロンドンを訪れ、そこで殺人事件、国家的陰謀に巻き込まれていくというのが物語の骨子だ。この国際的陰謀に際して、国王からフランスへ密使を頼まれることになるのだが、ここまでが異様に長く感じられ、なかなか動き出さない物語に忸怩たる思いをした。
が、そこはカー。その後の展開は悪くなく、このロデリックという男が次第に好きになっていく。こういう冒険譚が上に書いた頃の作品群と非常に対照的であるため、逆に云えば本作でカーの冒険小説、歴史小説に対する飢えを癒した感が受け取れる。

期待しなかった分、逆に面白く読めた作品である。今でも本棚にその書影を見かけると「意外と面白かったな、これ」と当時の読後感を思い起こす。

深夜の密使 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー深夜の密使 についてのレビュー
No.94:
(1pt)

カーマニアのみお勧め

カー晩年の作品。なんと云ったらいいんだろう、題名のようにぼんやりしたような作品だ。
一応ブレイクという名前の作家が同姓の下院議員候補への取材行で起こる不可思議な出来事と、彼の旧友が自殺と思われる状況で死んでしまうという事件を扱っている。

事件自体にあまり魅力もなく、しかも物語もミステリの謎そのものよりも1912年当時のニューオーリンズの風俗や謎の女の登場とその女と主人公とのロマンスなども描かれる。が、これが逆に物語に厚みをもたらすというよりも、冗長さを感じさせ、単なる贅肉のようにしか思えない。これも謎自体にあまり興趣が注がれないことが一番大きいのだろう。
またカーの歴史ミステリはそのサービス精神と迫真のアクションシーンなども挿入され、実に読み応えのある作品となっているのだが、本作はもうアイデアの出枯らしのようになっており、リーダビリティさえもなくなっている。

本書は『ヴードゥーの悪魔』、『死の館の謎』と併せて“ニューオーリンズ三部作”と位置づけられている。『死の館の謎』の出来もさんざんだったので、果たしてこれらが書かれるべき作品だったのかどうか、今になると判断に苦しむところがある。
作家は引き際も肝心だなと痛感する作品である。

亡霊たちの真昼 (創元推理文庫 (118‐23))