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八日目の蝉
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八日目の蝉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 281~300 15/22ページ
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ベストセラーで120万部を超える売行きらしい。こうなると逆に気後れがするのであまり読みたいと思わないのだが、赤ん坊を誘拐するシチュエーションが気になり、読んでみようと思った。 ノーテンキな私は密かに粗筋を構築していた。幼い頃に誘拐されたその子供は犯人逮捕により本来の母のもとに帰るのだが、誘拐犯との日々が楽しかった分、当然馴染むわけがなく、逆に誘拐犯にシンパシーを持つ。後年、その誘拐犯と感動の再会をし、互いにひしと抱き合う、そのようなストーリーを描いていた。そして、ある意味ハートウォーム的結末なら、多少陳腐でも良いかなと思った。 しかし、読み進むにつれて予想は裏切られてゆく。野々宮希和子は自分の不倫相手と別れることになり、その腹いせから、夫婦(秋山丈晴・恵津子)との間に出来た赤ん坊(恵理菜)を誘拐する。紆余曲折するが3年半の逃避行の果てに、小豆島で逮捕される。ここまで希和子のサイドに立って書かれており、全体の半分以上が費やされる。 よく読めば判るが、秋山丈晴以外、主要登場人物は女性で、しかも秋山丈晴はどうしようもない男性として描かれている。たしかに、このような男性は居るが、もう少し書きようがあるだろう。 後半は女子大生になった恵理菜のサイドから書かれており、恵理菜自身と家族があの事件の為に翻弄され、大きな痛手を蒙った経過が淡々と描写される。ここでは希和子をあの女と呼ぶ憎しみの対象でしかない。 希和子の章と恵理菜の章に「八日目の蝉」の事が書かれている。蝉は七年間地中にいて、その後地上に出、七日間鳴くだけ鳴いて死ぬと云う。それはあまりに早過ぎる。「でも、ほかのどの蝉も七日で死んじゃうなら、べつにかなしくないかって。だってみんな同じだもん。なんでこんなに早く死ななきゃいけないんだって疑うこともないじゃない。でも、もし、七日で死ぬって決まっているのに死ななかった蝉がいたとしたら、仲間はみんな死んじゃったのに自分だけ生き残っちゃったら、そのほうがかなしいよね」。 当初、そう思っていた恵理菜は次の言葉に強く影響を受ける。「八日目の蝉は他の蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないと思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどひどいものばかりでないと、私は思うよ」。 この、酷いものばかりではないという世界を信じる、あるいは信じようという姿勢が生まれてくる。いま恵理菜はさんざん恨んだ野々宮希和子と同じ道を歩もうとしていた。厳密には違うのだが、彼女もこれから生まれる赤ん坊を育てようとしていたのだ。相手は妻も子供もいる男で、結局不倫の道を自分も歩んでいたのだ。ただ野々宮希和子と違うのは、それが紛れもなく自分の子供だという事だ。 この後半も殆ど男性は出ない。岸田という不倫相手が唯一男性なのだが、男に人格はなく、極端に云えば種馬だけの存在としか描かれていない。このあたりの不満は大いにある。 角田光代は自分の子であれ、誰の子であれ、或いは男性の人格が何であれ、生まれた子供と母性に価値観を見出し、父性は蔑ろにされても仕方がないのだという姿勢の持ち主に思えてならない。 話がドラマチックなので、その辺りはうまく隠れているが、要注意だ。岡山からフェリーに向かうタクシーの運転手が二度出てくるが、その男性の凡庸さが男性の何たるかを象徴している。勿論、そんな穿った見方をせず、ラストまで素直に読んだら本当に見事な小説だと思うのだが。 | ||||
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期待はずれ、同じ誘拐ものならドラマのmotherの方向が断然いい。泣けるし、八日目はどこが感動するのか分からん??? | ||||
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読む必要などありません。このような本に感激する方の人間性を疑います。正しい評価をされている人々が数名おられるのが救いでした。 | ||||
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希和子は不倫相手の生後6ヶ月の恵理奈を誘拐。4年間の逃亡生活を経て逮捕される。その後、無事親元に返された恵理奈だが、自分の居場所を見つけられずにいて… 営利誘拐ではなく母性に促された生理の犯罪。希和子とその子どもは実の親子のように触れ合い、その姿を見て周りには次々に支援者が現れる。 実の子供であっても、虐待したり殺害したりする親がいるのに… 何か不思議な感じ。でも希和子の逮捕後を考えると、とてつもなくひどい犯罪やと再認識した。 | ||||
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上映されていた映画が面白かったので、原作を読んだ。 結論から言うと、いまいちであった。 映画が面白いと原作はそれ以上であることが常なので (あるいは、原作が好きな映画が映像化されると物足りないことが多いので)、 少し期待して読んだせいであろう。 映画の方が面白いのは、珍しいパターンである。 成島監督が話の展開や設定を少し変えたのは正解だっと思う。 小説だとあまり目立たない秋山家の苦悩(特に母親役の森口瑤子が良かった)が映像を通してよく伝わってきたし、 恵理菜が記憶を甦らせていく過程が上手く表現されていた。 一方、角田光代氏の文章は初めてだが、悲劇的なことを淡々と記述するので、味気なく感じた。 ただし、お薦めできる作品であることは確かだ。 特に、母子関係にトラウマを抱えた経験のある人々に読んでもらいたい。 解説者は、本書は「相当に過激なフェミニズムの小説」であるという。 確かに、この物語に出てくる男性は、だらしのない男ばかりだ。 だから、そんな男たちに振り回され苦労するのはいつも女性たちなのだ、という隠れたメッセージを感じた。 しかし、私が思うに、この作品のテーマは、やはり「家族愛」や「親子愛」であると思う。 さらに言えば、「機能不全家族」や「アダルト・チルドレン」に通じるものがある。 自分の母親を愛せない苦しみや、我が子に愛してもらえない苦しみ。 愛された経験がないから、どうやって人を愛したらよいか分からないし、 愛する感情が何なのか分からない。 そうした思考停止に陥りやすい人々を取り扱っている。 主人公の恵理菜(薫)の不幸は、誘拐犯である女性を本当の母だと思い込んで育ち、彼女を母親として愛したことである。 だから、犯人希和子が逮捕され恵里奈が本当の家族のもとへ帰った時、家庭に自分の居場所を見つけられなかった。 そこにいるのは、ヒステリックな母親と存在感のない父親であった。 子供は母親を愛せず傷つけていることに罪悪を感じ、母親は子供から愛されないことに苦悩する。 「私は父と母に好かれなければならなかった」(267ページ)とは辛い言葉である。 その後に続く、母子のやり取りは読むと心が痛む。 こうして育った子供は、愛情を自分のものにできないまま大人になってしまうし、 配偶者の不倫相手に我が子の「心」を奪われた母親の苦しみは計り知れない。 考えさせられたのは、「産みの親」であることが必ずしも健全な母子関係を決定づけるものではない、ということだ。 親子といえども、究極的には他人なわけで、愛情を持つ絶対的理由にはならないのである。 「家族愛」とか「親子愛」とか聞こえは良いけれども、それに縛られては互いに苦しむ羽目になってしまう。 この幻想から覚醒した時、人間は強固な存在になり得ると思うのだが。 「八日目の蝉」とは恵理菜が生もうとしている新しい命のことであろう。 特殊な環境で育った自分と同じ思いをさせまいと、初めは堕胎を考えたけれども、 「憎みたくなんか、なかったんだ」と思い直した彼女は、これまでとは違う世界を思い描いた。 なかなか良いタイトルだと思った。 物足りないのは、犯人・希和子の人物背景である。 読者としてはどうしても知りたい所であるが、それが無かった。 あと、恵理菜が自分の感情を整理する場面(353ページ)も、もっと細かく描写して欲しかった。 それに、希和子がしたことは自分勝手な考えに端を発した犯罪であることを忘れてはなるまい。 映画だと、希和子と薫(恵理菜)の別れのシーンに感動を誘うような演出がなされるが、フッと我に返る。 「待てよ、誘拐された子供がやっと解放されたんだぞ」と。 本書に満足できなかった方には 奥野修司『心にナイフをしのばせて』(文春文庫)をお薦めする。 | ||||
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映画も原作も読みました。正直言って主人公は、不倫したうえに妻の子供を誘拐し逃亡。なのに、その主人公に同情してしまうのが不思議な訳です。悪者も一人の人間。かわいそうなところがあるのだなと思いました。良い人も悪い人も関係なく同じ感情を持つと考えました。あと、女しかない母性本能も生々しく書かれていて、とても楽しめました! | ||||
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この作品は、明確な主張が見えにくい。何を言いたいのか分からないのになんだかとても惹きつけられ、何に感動しているか分からないのになぜか涙が出てくる。本というのは文章だから、普通は主張がどうしても前に出てしまうものだが、こんなに感覚的に表現することが出来る作者の力量に驚愕せざるを得ない。逆に言えば、作者の明確な主張を望む読者には「??」な小説といえる。 主題は母性。誘拐犯希和子、誘拐された薫(えりな)、えりなの母、それぞれが自分の母性に悩み、苦しむ。薫は自分の居場所をえりなの家に見つけられないし、えりなの母はそんな娘を許せずに苦悩する。えりなが憎む希和子、薫が慕う季和子、この相反する思いが薫(えりな)の中でぐちゃぐちゃになったまま成長する。 そんな薫(えりな)が最後にたどり着くのは、季和子、えりなの母、そのどちらもが彼女を心から愛していたという「真実」。それが私たちの心を掴んで離さないこの作品の本質なのだ。 季和子に感情移入は出来ない。なんておろかなんだろうと思う。しかし、彼女の母性には共感できるものがある。普通の女性は痛い思いをして出産した時に、母性の扉が開く。しかし季和子は不倫相手の子供を抱いたときにそれが開いてしまった。 実はNHKのドラマにはうちの夫のほうが引き込まれていた。原作は読みたくないと断られた。多分泣くから、だそうだ。自分の産んだ子ではない子供への思いは、どちらかというと父性に似ているのかもしれない。 | ||||
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劇場で映画を見て、八日目の蝉というタイトルと、エンディングがスッキリしなかった(=薫には救いが訪れたが、希和子はどうなったのか?)ので、原作を手にとってみた。 両方見るとどうしても比べてしまうが、映画は巧みな演出と脚本でダイレクトに登場人物の感情の起伏、情念を表現していたが、原作はわりと淡々と二人の女のモノローグで綴っていく。原作の方が説明的であり、また映画では描かれなかった「今」の希和子をエピローグとして淡く美しく描いていて、ああ希和子にも救いがあったのだ、と物語の結末は原作を読んで納得できた。八日目の蝉、というタイトルの意味はやはりよくわからなかったが、それはまあ、さしたる問題ではないのだろう。 ともあれ、女性の、女性による、女性のための物語で、男性は完全においてけぼり、である。父性は所詮理性や論理の産物であって、どこまで行っても母性のリアルにはかなわないのだろう、と思った。原作、映画、それぞれに味があって捨て難い。できれば両方、鑑賞をお勧めしたい。 | ||||
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なぜ、この作品がここまで評価されているのかが分かりません。 同じ誘拐ものって意味では映像と小説という違いがあるものの、 去年、日テレでMotherというドラマがありましたが、あっちの方が断然良かったし泣けます。 この作品、誘拐した母親と子供の温まる関係を描いたものでもなければ、 誘拐された両親のもとに子供が戻ってからの、両親と子供の関係に特別突っ込んだものでもありません。 読んでいて、この作品が何を伝えたいのか、狙いが分かりませんでした。 | ||||
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小豆島の情景と子育ての温かさが何だかぴったりでとても感動した | ||||
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絆や愛情について、いろいろと考えさせられる作品でした。 特に前半の逃亡劇はリアルで、エンゼルさんなどの団体の中での生活などの描写も面白く、とても引き込まれました。 個人的に、不倫やダメ男にはまる女性の気持ちがどうしても理解できないのと、最後がちょっとご都合主義っぽくまとめちゃった感があったので、☆4つにしていますが、面白い作品だったと思います。読んでよかったです。 | ||||
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一気に読み上げ、涙が止まらなかった。そして、隣で寝ていた我が子を、今までより更に愛しく感じた。 不倫相手の子どもを拐い、犯罪だと分かっていながら薫との生活を望んだ主人公。 薫の成長と共に、主人公が薫に注ぐ深い愛情。わずかな時間でも、彼女は「母」だった。 いつバレるのか、明日にはこの生活が無くなるかもしれない、1日1日がとても重いものだった。 ハッピーエンドになるとは到底思えないながらも、この2人に幸せになって欲しいと願わずにいられなかった。 後半、薫視点の話は、とても胸が苦しかった。両親への苛立ちや、薫のその後の生活が辛かった。 そして薫が「母」になった瞬間、どこから湧いてくるのかその心強さは、同じ未婚の母としてとても共感した。(私は不倫ではないけれど) 「この子と二人なら、きっと大丈夫。私がいるから、こわくないよ。」妊娠が分かった頃、私も同じ気持ちでいたことを思い出し、また涙が出た。 ラストは静かで、ほんの微かな、目を凝らさないと気づかないくらいの希望があった。失った物もあるけど、それでも生きていくんだという、力強さを感じた。 今隣にいる我が子。 この子と一緒に、生きて、この子に世の中の綺麗なもの、全て与えたいと心から思った。 | ||||
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あまりにも小説の中に 思いを入れすぎて 読み終えてから何日も引きずってしましました。 冒頭、アパートに忍び込み妻と別れず自分を捨てた男の家族の生活を垣間見て 寝ている赤ちゃんを連れ去ろうと決意するわけですが、 誘拐犯となる野々宮希和子に 数々の疑問を感じました。 子供に薫と名付けて 生まれてくるはずだった我が子として育てていきますが、赤ちゃんの頃はかわいいばかりだと思うけれど 子供は成長するに連れて 生みの親に顔かたちが似てくるはず。まして女の子なので、だんだん「あの女」に面影が似てきたとき憎いという感情は起きないものなのだろうか。 殺意すら覚えそうだが・・・なんて考えて読んでいたら、 希和子は全然そんなことはなく、全身全霊で薫を守り抜くことだけを考え すべての愛情を注ぎこんでいきます。 親子の情というのは 血のつながりではない というのはわかります。 親子の情・・・というより 絆とでもいうのでしょうか。 それは、特異な環境や想像しがたい体験などをした場合、特に強まるような気がします。 逃亡生活の中で 希和子には 子供がだけがすべてで 自分が生き延びる手段として 無意識に守り抜こうとしていたのかもしれないと思いました。 ここで一番の悲劇は 身勝手な大人たちに翻弄され続けた 恵理菜(薫)の存在だと思います。 「どうして 私なんだろう」 本当にそう思います。 ただ 恵理菜もまた不倫の末に妊娠までしてしまうことが とても残念でした。 小説の中で 登場する人物たちが それそれに思いを抱えていて ちょっと含みを持たせているところが 現実ではないのに本当にあった事件のあらすじを見ているようで 気が滅入りました。 希和子と恵理菜は、出会うことなくそれぞれの思いを残したままエンディングだったので その先が気になりました。 ちょっと続きを見てみたいです。二人の幸せな日々はは来ないと思います。それぞれが いろんな思いを抱えたまま生きていくのだと思います。 それでも この先が気になって仕方ありません。 今 井上真央主演で映画が公開中です。 ドラマも映画も見ていませんが、いろんなところで井上真央の薫を見てしまい、 薫=井上真央になってしまい、頭の中で中島美嘉の「Dier」が延々なってるし原作を読むのに邪魔でした。 読む時期が悪かったと反省しています。 | ||||
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頁を捲る手が止まることは一度もなかった。それだけではない。カルタシスを感じない瞬間は皆無に等しい。もはやミステリーなど雑魚だと思わずにはいられなくなる程のカルタシスだ。本を開いたときから感情移入し、最後まで解放してくれなかった小説は他にない。1章の終わりで「ママ」から「あの人」へと呼称が変わったとき、ああ、この子は真実を知ってしまったんだ、そう悟った。現実の残酷さを知ってしまったんだ、と。そのシーンが一番痛烈だった。 ストーリーはもちろん、角田さんの筆力に恰幅した。流麗な文脈が物語を色濃くしている。こんなに簡単に、頭の中に物語をイメージさせることができるとは――。いったい何に文句をつければいいのだろう。「八日目の蝉」を、私は手離しで賞賛する。 | ||||
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事前にあらすじを聞いて、面白そうだと思い買ってみたが、 あらすじ以上のことは何もなく、立ち読みで十分だと感じた。 人物の掘り下げ方も浅く、共感できるものが何一つない。 第1部は、つまらない男にただ流されていったつまらない女が ちょっと目新しいことをしてみた、という程度に矮小化されている。 極論すれば、 「逃げる」「育児楽しい」「逃げる」「育児楽しい」「田舎っていいね」 しか描かれていない。 第2部は、さらにつまらない。 唐突な人物がしゃしゃり出てみたり、結局第2部の主人公も つまらない男に流されてつまらない結末を迎えるだけである。 オチもご都合主義でツメが甘い。 ところどころ「なんか良いことを言おうとしてる」雰囲気はあるが たいしたことは言わないので肩すかし。 七日で死なずに八日目を迎えたセミがどうとか、とってつけたような話ぐらい。 しいて良い点を挙げれば、すらすらとひっかかりなく最後まで読めた、 ということぐらいだが、逆を言えば、何ひとつ心に引っかかる文章もなく 新聞の三文小説とはこの程度のもんかな、という感想が残った。 なぜ映画化まですることになったのか、わけがわからない。 逃亡を助けるにあたって役に立つ登場人物は「女」しかおらず、 男はせいぜいが精子提供ぐらいしかしていない。 女しか描けない作者の弱点なのだろうか。 解説で池沢夏樹が本作を「過激なフェミニズム小説」と呼んでいるところが噴飯モノ。 | ||||
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評判とは違いまったく感動できませんでした・・・ モチーフになった事件の事実より、ストーリーに広がりがないです。 事件をあえて描くんだから掘り下げるのが小説家の仕事だと・・・ 誘拐してしまう理由も描き切れてませんし、何より全ての登場人物の描写が浅すぎて、 人物のリアリティーが浮き上がってきません・・・ 誘拐した人物とされた人物が同じような人生を歩む、というのも物語として陳腐すぎて笑ってしまいました・・・ ストーリー展開もつまらない、筆の力もない、人間に対する洞察力も感じない、全く売れてる理由がわかりません。 生ゴミと一緒に捨ててしまいました。年に一回出会う不幸な本でした・・・今年はもう出会いませんように。 | ||||
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こんなに話題になっていると知らずに本を読みました。 読み終えて、ふ〜ん・・と思っていたら映画の評判をみてビックリ。 ものすごく泣く!感動の物語!!となっていて、正直「どこで泣くんだろ?」と思いました。 エンジェルホームの中での物語とか小豆島での出来事とかはぐいぐい引き込まれる感じでした。 ただ、2章の薫が不倫相手との妊娠とか、 希和子の不倫相手のだらしなさ、その奥さんも不倫。 逃亡生活に現れる人たちと、希和子の周りの人たちの落差にも驚きでした。 終わり方も、どうもしっくりこない。 私には、泣きどころがわかりませんでした。 | ||||
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映画を公開初日に観て、映画館にてパンフと一緒に購入。 映画を先に観ていても、とても読み応えのある作品です。 母の愛、母への愛を考えさせられる作品だが、 実際に子を持つ母の方は、どういう風に感じるんだろうと思った。 そして、私にとっては個人的な思いがとても強い作品でもある。 両親が小豆島で生まれ育ち、 里帰り出産で小豆島で生まれ、 子供の頃は盆・正月に小豆島に帰省する事が 何よりも楽しみであった私。 社会人になってから、 東京で出会った仲の良い友人達を、 いつか連れて行きたいと、 そんな事を思っていた私。 小豆島のシーンでの景色、人々の営み、方言、 それらの描写を読むたび、 「そう、そうやねん。本当にそういうのが沢山あるねん」 と何度も思わせてくれました。 自分の拙い語彙力では表せられなく、 もどかしい想いを何度もさせられた小豆島の魅力。 それを、希和子と薫の幸せだった日々の中で、 恵理奈(薫)の想いで、 こんなにも素晴らしく、そして忠実に表現してくれた事を、 作者の角田光代さんに感謝します。 | ||||
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本当の親子とは何なのか,本当の幸せとは何なのかを考えさせられる一冊です. ある女が不倫相手の赤ちゃんを誘拐するというところから始まるショッキングな展開です.前半部分は赤ちゃんを誘拐した女が逃走しながらその子を育てていく様子が時系列で綴られているのですが,子どもとしては幸せなのかもしれないという場面が多々あります. そして,後半は本当の両親のもとに戻った子どもが大人になってからの話を回想を交えながら書かれているのですが,「本当の親子なのに...」というストーリです. 本当の幸せって何なんでしょうね?ちょっと重いテーマです. | ||||
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高評価なのが意外でした。 逃亡生活の1章では 人との出会いそのものが軽く無意味な感じがしました。 出会っては逃げ、出会っては逃げ…ただ、延々と。 登場人物すべてのキャラも薄い。なので会話も薄っぺらく感じました。 2章は物足りない。葵の悟りが急すぎる。 ラストは2人が出会って何かもう1エピソードがほしかったです。 別にハッピーエンドでなくても、衝突や何か…何が起こってほしかった。 そこで2人が何を思いどう行動するのか、はっきりとしたテーマや作者の意図が感じ取れるような展開が。 その他気に入らなかった点 ・悪人が悪人でしか描かれていない。 人間好きな作者か人間嫌いな作者か、作品を読めばわかるような気がします。 作者はおそらく後者でしょう。 特に出てくる男はほとんど悪人です。 作者は男嫌いなのか。 ・主人公(1章の希和子、2章の葵)に共感できない。 主人公は不倫という形で人を騙している。 それで騙し癖がついてるからか、当たり前のように他人に嘘をつく。 ・逃げ癖が完璧についている主人公に感動できない。 人から愛されることに飢えている孤独な主人公(1章の希和子、2章の葵)。 →自分を唯一愛してくれる男に甘い言葉をささやかれ、愛されても、それでも孤独感は消えない。 →なぜなら自分を愛してくれる男には妻子がいるから →子供を生めば解決する。 →孤独じゃなくなるから 人生逃げ続けてきた孤独な女。そして自分を愛してくれる人でないと好きになれない女。 その証拠に葵が物心ついた5〜6歳だったら希和子は誘拐しないはずです。 自分のことを母と言って愛してくれる赤ちゃんだから誘拐した。 サスペンス小説が好きな方には おすすめしません。 | ||||
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