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八日目の蝉
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八日目の蝉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 201~220 11/22ページ
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映画を見てから原作を読みました。やはり映画は心情描写が無いので、出来事のみ先行する。 しかし心揺さぶられラストは泣かせますが、「えっここで終わり!?」・・・納得いかず早速、原作を買いに行きました。 私のように、お決まり再会ラストを望み納得したい方と、で無い方に分かれると思いますが、 このラストだから余計にいつまでも余韻が残るのでしょうね。だから何回も読みなおしてしまう。 連載小説だけに一章は活字稼ぎの間延び感がありましたが、しかし切ないですね。 天使のような薫の愛くるしさ。 いつ失うかも知れない。だから余計、愛おしく毎日を刻むように大切に守りたい。 引き離された薫に心情移入しました。母を(母と思っていた)探してチョコをたたきつけて泣く薫。涙がこぼれました。 早くラストが知りたくて二日で読み終えましたが、ラストはなるほど、ここで終わるのかって感じで やはり泣かせます。 恵理菜が薫であった時の愛された日々を思い出す事により全てを許せるようになり、 おなかのわが子を本当に愛し育てる事が出来る人間になったと。私の解釈です。 愛された記憶の大切さがわかる作品です。 ほんとうに皆さんの心に余韻を残す一冊です。 心に残るものでは星五つです。 しかしその余韻が全ての方に心地よいものかは分かりません。 | ||||
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ストーリー仕立てはとてもいいと思うのです。 ただ作者に力量がないのか、時間不足だったのかはわかりませんが、ただただ書いたなぁって感じ。極めて平面的な文章仕立て。人物像がいまいち見えてこないし、内容に凹凸がない。簡単にいうとヘタ。どうしてこの作品が評価されるのか。 映画の出演者達は、役作りに相当苦労したと思うよ。 | ||||
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まず、この本の誘拐犯に同情と応援する感情、泣けると書いているレビューが多いことに驚愕しました。 配偶者がいるにも関わらず不倫願望があるか?というアンケートをとったニュース番組が だいぶ前に放送されていたが、5人に1人は不倫願望があるそうです。 だからかな?不倫・誘拐という重罪を犯した人間に共感できる人がいるというのは。 なんだかそういう人間がたくさん日本にいるということが残念でなりません。 なんていうか、自己中心的な考え方の登場人物が多すぎて驚きました。 犯人は中絶したのは、レイプされたり病気が原因で泣く泣くしたのではなく 不倫相手のなすがままに、自己中心的な理由で「大切な命を殺した」という自業自得なので 共感できません。 実母に謝罪の言葉を全く述べないのも本当に腹が立ちます。 イライラするだけで本当にこの作品を知らなければよかった、と後悔しています。 DQNにとっては感動する話でしょうから、「恋空」などの恋愛小説となんら変わりないと思います。 この著者の作品はもう手に取ることはないでしょう。 悪は悪ときちんと描けなければ、本もただの紙切れに過ぎません。 | ||||
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前半は犯人目線。 後半は連れ去りに遭った子(成長して大学生)の目線で描かれています。 <以下ネタバレ有り> とても読みやすい作品でした。 映画で小池栄子さん演じる千草に一番好感が持てました。 実の母は醜さが描かれ、犯人が美化されてるようで、こんな物語でいいのか?と思いつつ。 全部読み終えた後で、純粋に愛を与えていたのは犯人、 そして、幼い頃を犯人に育てられた子でした。 後半の主人公も犯人と同様に身勝手で女性を翻弄する男の子を身籠ります。 「女」が「母性」を持って「母」になり 「女」が「女」であるが故、醜くもなり 「女」を利用する「女」が現れる とにかく「女」の形がいっぱい詰まった作品でした。 | ||||
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胸がぎゅうと締め付けられる思いがした。抱き締めたくなるほどに好きな小説だ。 この作品は、2つの章からなる。 第1章では、野々宮希和子という女性が、かつての不倫相手の赤ん坊を拐う。希和子は赤ん坊を「薫」と名付け、3年間、逃亡を繰り返しながら、自分の娘として、命懸けの愛情を注ぐ。小豆島から更なる逃亡を図るところを逮捕されるまで。 第2章では、希和子が「薫」と名付けられたところの幼女―すなわち秋山恵里菜―が、大学生になり、4歳から大学に入るまでの、秋山家での窒息しそうな体験を回想する。恵里菜は、情緒不安定な母と無力な父の中にあって、完全には元の家族には溶け込めない。それでも同時に、彼女は今の家族は「どうしようもなく」自分にとっては家族なのだと肯定するようになる。同時に、忘却させられてきた、希和子に育てられた日々の記憶を緩やかに回復させ、受容し、あたかも希和子の叶えることのなかった運命と夢を辿るように小豆島へと向かう。 人は誰しも、自らが選んだわけではない過去や運命に規定され、程度の差はあっても、その過去に囚われて生きている。この小説は、この事実を追究し、その残酷さを希望にまで昇華している。希和子は、不倫相手との間にできた子を堕胎するよう迫られ、後にその相手と結婚できるのならばと言われる通りにする。それなのに、不倫相手は、妻との間に恵里菜(薫)を儲け、希和子は捨てられる。そして、恵里菜は、4歳までの育ての親である希和子の運命を辿るように生きる。無責任な男を愛し、不倫をし、子を儲ける。相手は離婚をするほどの覚悟はないようだ。恵里菜は、きっぱりとその男を捨てる。恵里菜は、「美しい緑を、海を、花を見せてやるため」その赤ん坊を一人で産み、育てることを決意する。恵里菜は、希和子の運命を辿るように生き、しかし、その悲惨な囚われを独りで断ち切り、緑が眩しく、海が輝く小豆島へと渡る。クライマックスの、互いに気づくことのない希和子と恵里菜(薫)との邂逅のシーンでは、目に泪が溢れた。 蝉は成虫になってから7日しか生きないという。そうであれば、それはどうにもならない運命だ。仮に、ある蝉に8日目の生が与えられたら、その蝉は、他の皆が死んだ中で孤独だろうか。そうかもしれない。しかし、彼女は、余分な生がたとえ1日だけであっても、どうにもならなかったはずの運命の外側にはいる。彼女は、讃歌のような太陽を浴びて、映える緑を見渡すことができる。それは、かけがえのない、奇蹟のような恩寵なのだ。 | ||||
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子供を育てるということが、いかに他のことに代えがたいものであるかを再認識させてくれる一冊です。 誘拐犯の女性は、無条件に可愛い年頃の子供を育てるという幸せを得られたことを感謝します。しかし、この女性が失ったものは取り返しようがありません。 自分の子を失い他人の子を育てる喜びをえます。 子供と一緒にいる時間が短い長いでは、幸せの度合いは測れないものである、たとえ短い間でも掛け替えのないものが子供との時間だと思いました。 今現在、幼い我が子と暮らしている方にも、子供を持つなんてと思っている多くの方にも読んでいただきたいと思います。八日目の蝉 | ||||
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評価、高いですね。驚きました。 DVDを先に観て、余りの薄っぺらい内容に、視覚に頼らない小説は違うんじゃないかと期待したのですが、こちらも同様の薄い内容でした。 この物語のどこに感動だとか、涙するところがあるのかわかりませんでした。 薄っぺらく、安易な「母性愛」とご都合主義の逃亡劇…。 登場人物の葛藤や懊悩や業みたいなものが、全くこちらの胸に迫ってこない… もっと情け容赦なく、彼らの内面に切りこんで描かれたなら、違った感想になったかも… 通りいっぺん、上辺をなぞっただけのような表現の仕方では、心に響きません。 これだけの高評価、私の読み込みが足らないのかも知れませんが、再読したいとは思いません。 | ||||
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「幸せって理屈で作られるものではないんだなぁ」と考えさせられました。 ただこの本を読んだ後、「前向きに生きよう」って気持ちになりました。 | ||||
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正直、期待はずれでした。。。 映画が話題になっていたので、原作はどんなものかと読んでみましたが、、 内容が薄いと思ったのは私だけでしょうか。。 やっぱり、普段読まないタイプのものには手を出すべきではなかったかな。 | ||||
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誘拐犯の無責任な愛情の注ぎ方に嫌悪感を抱いたと共に、 物語の悪の根源である父親に何も天罰が下っていないことにも酷く腹が立ちます。 何の落ち度もない赤ちゃん(エリナ)が誘拐されたことでその後の人生が狂ってしまったにも拘わらず、幸せな家族を持てないなんて可哀想で救いがありませんし、誘拐犯と同じ不倫の果てに生まれてくる赤ちゃんの未来を思うと、一層落ち込んでしまいます。 子供の幸福とは、かけがいのない家族や友人・教師といった周囲の人間に、継続して関わられる中で「安心」という大きな愛情で成長できる事です。 誘拐されたエリナが、育つ過程でせっかく育まれた友人関係も、疑似家族も、希和子の独断でばっさり切り捨て逃亡を続けてる事など、虐待に等しいです。 実に後味の悪い小説でした。 | ||||
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不謹慎な言い方かもしれませんが私は薫は誘拐されて良かったと思っています。もちろん誘拐は犯罪です。しかし、薫は誘拐されたからこそ本当の愛を知ったのです。薫が不倫の子供を産もうと決心したのは、悪人だと封印していた誘拐犯からの無償の愛の記憶を思い出したからです。血のつながった両親の希薄な愛と、犯罪者の無償の愛と、そのどちらが人間を幸せにするのでしょうか。人間の本当の罪ってなんなんでしょう・・。そのような事を考えさせられました。 | ||||
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いいな……。 特に映画(レンタルDVD)とセットで観ると効果倍増。 こういうことって珍しい。 ストーリーは文庫本買う時の表のコピーから、想像できた範囲だったけど、前半が結婚をいったん約束した妻子持ちの男に堕胎させられ、子供を産めない体になった希和子が語り部。衝動的に男の生まれたばかりの子供を誘拐し、逃避行する。逃避行するうちに、この子を自分の子としてずっと一緒に過ごす覚悟を決める。 日本の法制度からして、読者には結果が見えているんで、判官贔屓も相まって希和子にめいっぱい感情移入。 逃避行の果てに行き着いた小豆島での日々は、心が洗われるような活き活きした情景が目に見えるような描写。 ただし、これが突然司直の手により終わることも見えてるわけで、幻想のような平和な日々に終わりが来る。 そこから突然、語り手が希和子に誘拐(?)された薫(実の親がつけた名前は恵理菜)にチェンジ。 誘拐した希和子と過ごした間に恵理菜に植え付けられた記憶(?)ゆえ、実父母、妹の家族の輪に恵理菜はスムーズに入り込めなかった。 物語の中では実父母は、夫婦で不倫するとか、希和子に同情が行くような設定にしてあり、そういう面でも家族との軋轢があり、女子大生になって恵理菜はアパートで一人住まいの生活を。 その恵理菜がこともあろうに、希和子と同じように不倫相手の子供を宿す。 その時期に、ちょうど希和子の逃避行の際に一時滞在したエンゼルホームで幼い時期に一緒だった千草という女性が登場。 恵理菜と千草が、希和子の足跡をたどって小豆島まで行き、それまで否定せざるを得なかった希和子を受容する気持ちになり、感動の幕切れ(?)という流れです。 DVDを観ると、希和子と薫(恵理菜)の小豆島の思い出が本当に活き活きと描かれ、マジ、涙ボロボロです。 この部分は小説で描ききれなかった部分を捕捉して余りある出来で見事!。 小説読了の翌日に観たら効果絶大なので是非、文庫本とセットでDVDを観ましょう。 | ||||
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題名、話の展開、伏線、ひとつひとつの言葉、そしてラスト。 すべて円熟した作家の手によるプロの技だなぁ、と思います。 少し上手すぎるのが惜しいところ。 何もかも計算しつくされているようなところがあります。 とくに薫と引き離される際、希和子が叫ぶ言葉。 そのセリフも、恵理菜が思い出す場面も、うますぎだよなぁと思いつつ、泣けてしまいました。 プロの小説家というのは恐ろしいものです。 | ||||
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母性愛ってもっともっと奥深いものだと思うのですが・・ あまりにも薄っぺらく押し付けがましいものすら感じました。 そしてきっとこの著者は子供産んだこと無いのだろうな・・と思ったら、やはり。 この対岸の母性ぶり、男女問わずマザコン気味の人にはうけるかもと思いました。 | ||||
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「もしもやさしいお母さんが誘拐犯だったら?」 という一見ありえない事象に丁寧に肉付けし、さまざまなことを読み手に気づかせてくれる小説だったと思います。 読み手によって感じ方は違うと思います。それこそ小説の力だと思います。 私自身は、これは犯罪被害者や災害などの被災者、その他さまざまな自分ではどうにもならなかった「苦しみからの解放」を謳った小説だと思いました。 自分の力ではどうしようもないようなつらい目にあったとき、きっと私はこのタイトルを思い出すでしょう。 そして、この小説を読んで、8歳と5歳の息子が数倍いとおしくなったのも事実です。 角田さん、すばらしい小説をありがとうございました。 | ||||
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自分の母性を確認するためなのか、奮い起こすためなのか、読み返してまた涙する、そして我が子をいとおしく思う… 今日、3度目読み返し終わりました。 最初から最後まで切ない。いつ捕まるかもしれないと切迫した日々の中、逃亡を重ね誘拐した子を心から愛し育てた希和子。 心から安らぐ時はあったのだろうか… 希和子に育てられた薫も本当の母親との距離を縮みられずに大人になる。 事件がなかったら、何か違っていたのだろうか。 薫が誘拐されなかったら、父と母はもっと薫に愛情を注ぐ事が出来たのだろうか。 希和子にずっと育てられた方が薫は幸せになれたんじゃないか。 母親とは産むだけではなくて、育ててこそ母親なのですよね。 自分は我が子にとって立派な母親であるのだろうか… | ||||
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小説としては面白いのかも知れませんが、何一つ共感できないし感動も出来ません。身勝手な理由で赤ん坊を誘拐した女と、そのせいで不幸になった少女の話としか思えず、何処に救いがあるのかも分からない。題材がショッキングで話題性があっただけの駄作。 | ||||
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素晴らしくて一気に読んでしまいました。名作だと思います。女性の心情を繊細に描いた作品だと思います。誘拐した女性も、自分の子を誘拐された母親も、誘拐犯に育てられた子も、それぞれがそれぞれの思いを持っており、それぞれが必死に生きている、女性として生きることの意味を考えさせられました。是非20代30代の女性に読んでいただきたい作品です。 | ||||
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前半がこれ、ものすごくつまらなくて全然ダメだと流し読みした。何しろ、ただのバカ女が後先考えず子供を誘拐する逃避行なんて、何がいいたいんだかさっぱり、主人公にも全く共感できないしどうしようかと思った。 ただ途中から薫の話にシフトしていって、そこからはなかなか読ませる展開だった。 角田光代の作品は、過剰にドラマチックでなくて好感が持てる。これは前半にすらも言える事だ。 奇をてらっていない。 ただ、途中から話は面白くなっても、これを読んだところで誰に感情移入すればいいのか、一体何をテーマにしているのかが不明瞭で、星は3つが限界。 | ||||
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「八日目の蝉」は映画を観るまで知りませんでしたが、その後テレビドラマ版もレンタルで視聴。次に原作に興味があり読みました。映像との違いを確かめるように原作を読みました。ふつうは逆かも知れませんが。 活字と映像では多少の付け足しや省略があったりして、相互に比較出来たのは、このドラマを深く考えることが出来た点で良かったです。 とくに女性の出産から子育てまでの過程がいかに大切なものか、また女性がそれをいかに強く望んでいるかが理解できました。 限られた中での時間、子が同性である近しさ、離島での俗世から隔たった空間など、母性を美しく見せる条件を敢えて整えているので、設定がベタと言えばベタですが、それでもそうした中での母性愛の輝き、女性の強さを改めて感じさせられて、小豆島の部分はとくに印象に残りました。 そうした母娘の親密な関係は、男の立場から眺めているだけでも美しいし、男女関係なくホッとした安らぎを与えてくれるでしょう、おそらく・・・。私はその経験がないので、将来そうした家庭を持ってみたいです。(余談) 角田さんの小説は難しい修飾もなく、とても読みやすい文体の作家だと思いますが、本作は希和子と恵理菜のそれぞれの立場で、『私』の一人称で書かれているせいか、独白手記の生々しさが感じられ、その点も惹き付けられる魅力でしょう。女性でなければ書けない真実味や切実さを感じました。 最後まで読み終えると、やはりなんだか希和子が可哀想に思えてきました。思い出を糧に、また次のステップ、結婚して連れ子や養子を育てるなど、良い人生を過ごして欲しいものです。 | ||||
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