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八日目の蝉
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八日目の蝉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 321~340 17/22ページ
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小説としては面白くグイグイ読み進めることができる。 ただ、どんなに子に愛情をかけたとしても、希和子はやはり自分勝手だ。 作者は「実母は母としての資格がないが、希和子には(法的には許されないが)その資格があった」ととれる書き方をしている。 しかし、親子の信頼関係というものは生まれた瞬間からあるものではなく、子育てをする中で育てていくものだ。希和子と子の関係はこれから実母と子が作るはずのものだった。 それを勝手に壊したのだ。 結果的に希和子は周りを不幸にした。大切だと思っていた子の心にさえ、取り返しのつかない大きな傷をつけている。 自分の手元に置いておくことは本当の愛情といえたのだろうか?ただの執着ではなかったのだろうか? | ||||
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文庫化されたので、購入しました。不倫相手の子どもを誘拐、その子を自分の子として育てる……、実際にそんな人生を送ることが可能なのか? 血のつながらない母娘の間に愛情が生まれ、一生幸せな人生を送る……という内容になるのか? はたまた、最終的に二人は引き離されてしまうのか? 引き離されたとして、二人の間に残る感情は、愛情なのか、憎悪なのか? さまざまな推理をしながら、早く結末が知りたくて、一気に読んでしまいました。 結末は書けませんが、逃亡生活の日常や、登場人物たちの感情など、終始リアルでした。本当に、ありえそうなストーリーでした。そのストーリーを角田光代さんの文章が、美しくまとめあげ、とても読みやすい作品でした。第一章から第二章への移り変わりが、本当に素晴らしかった。今まで読んでいた第一章の部屋からドアを開けて、新たな第二章の部屋へスーッと入ったような感じがしました。 主人公とともに、終始ハラハラしたり、悲しい気持ちになったり、安堵したり、希望をもったりと、さまざまな感情を揺さぶられました。 映画がどうなるのか、とても楽しみです。 | ||||
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久々に泣けました。小説の醍醐味を味わえる作品です。 物語は二章構成になっていて、 第一章は、母”希和子”視点の逃亡劇。 第二章は、娘”薫”視点(逃亡劇終焉後より時間経過し、大学生となっている) の所謂自分探しの物語。 多くの読者は、第一章に強烈な印象を持ったのではないでしょうか。私もそうです。 逃亡者・誘拐犯である、希和子の執念と焦燥に、ハラハラドキドキ。 ぐんぐん惹きこまれていく感覚がありました。 彼女を応援したくなるのはもちろんの事ですが、 このままでは済むはずない、という彼女の不安感にだんだんシンクロしていきます。 希和子は周囲の人々に、嘘を突き通します。さほど下手な嘘でないだけに、リアルです。 しかし、やはり綱渡りの連続で、読者は緊張状態に引きずり込まれます。 対して、娘への愛情だけは全く正直。 確かに誘拐当初は、自己暗示をかけ、”自分は母親だ!”と思い込ませています。 (その愚かさが、彼女を応援したくなる理由になるんですが) しかし、薫が大きくなるにつれ、その嘘が嘘でなくなっていきます。 逃亡生活への不安感と、子供への愛情、 この2つの感情の同時進行がこの本の面白い所なのだと思います。 第一章の基本軸は、誘拐からの逃亡劇、そして母子の絆です。 子供は誘拐して得たものであり、自己暗示から母となった希和子ですが、 その子供、薫が大きくなるにつれて、血の繋がりは問題でなくなります。 希和子が愛情を与え、薫はそれに成長という形で答えてくれます。 これを繰り返し、また繰り返し、濃密な依存関係、というより共存関係が生まれるからです。 自ら”がらんどう”と称していた希和子にとって、 薫が心を繋ぎとめる唯一の存在になっていったことがよく分かります。 第二章は長めのエピローグモノローグという印象。 産みの親元に戻った少女が自分の過去に立ち向かうベタな内容です。 しかし前半のネタバラしなんかを挟み込むことで、 飽きずに読み進めることができると思います。 最後に著者は、切なく、美しい奇跡を用意してくれています。 このじわじわ迫るラストの感動は、素晴らしかった!! | ||||
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本当に現実でありえそうなストーリー展開。 子供を持つ母親の心境がリアルに描かれていると思う、たとえそれが歪んだ愛情であっても。 なので一気に飲み込まれ読み通してしまった。 ただもう少しオチをつけてほしかったかなと。なので星4つ | ||||
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希和子が逃亡している間の1章は、読んでいてつらかった。 ○希和子の性格、人柄に関する描写が少ない。 ○その場限りのことしか考えず、後になって不平を言う希和子に腹が立つ。 ○緊迫感ある状況にも関わらず、それが伝わらない筆力。 この題材ならば、桐野夏生筆で読んでみたい。 希和子が魅力ある主人公に変わるだろう。 2章から話が動き出すが、全体の三分の一程度で物足りない。 なぜ高評価なのか、疑問だ。 | ||||
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主人公のやっていることは許されない行為だが、読み出すと話に引き込まれて止まらなくなります。角田さんは女の気持ちを描くのがすごく上手くて、感動します。臨場感たっぷりです。 | ||||
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角田光代氏の著作は「対岸の彼女」」等知っていましたが、読んだことはありませんでした。 今回、「八日目の蝉」が映画化されることを知って、読んでみることにしました。 全体の構成は大きく二つに分かれています。 前半は、主人公の野々宮希和子が秋山丈博・恵津子夫妻の娘を誘拐し、東京から名古屋、奈良、小豆島へと逃亡する様子が、希和子の目線で書き綴られています。 希和子は誘拐した娘に薫という名前を付け、薫との生活のみを望んで必死になっている様が描かれており、希和子の薫への深い愛情が強く感じられます。 でも、結局、小豆島にて警察に見つかり、逮捕されてしまいます。 後半は、希和子から秋山夫妻に返された娘の恵理菜(希和子により薫と名付けられた娘)の現在の生活を恵理菜の目線で語った様子、恵理菜が秋山夫妻に返された後の子供の頃の生活を恵理菜の目線で語った様子、希和子の事件に関する経緯を第三者的な視線で語った部分、そして、現在の希和子の様子を少しだけ書き綴っています。 恵理菜は、秋山夫妻の元に返されてから、希和子により誘拐された娘としてマスコミに取り上げられ、周りの人間達から疎遠にされてしまい、また、秋山夫妻からも愛されず、鬱屈した人生を歩み、それもこれも、自分を誘拐した希和子が悪いのだと考え、自分を納得させるしかありませんでした。 この事件は、希和子が秋山丈博と不倫し、妊娠しましたが、丈博に懇願されて中絶したこと、その直後に秋山夫妻に子供ができたことから始まりました。恵理菜は、そんな希和子を否定しながらも、自分も岸田という妻帯者の男と不倫し、妊娠してしまいます。初めは中絶するつもりでしたが、自分ではない新たな魂が生まれたことから、自分にはその子を産む義務があると考えるようになりました。 不倫をテーマに、親子愛、人間愛を書き綴った本書は、単に「不倫は悪い」とか「誘拐は悪い」だけでは語りきれない、様々な人々の深い感情を表現しており、強く引き込まれるものでした。私には、犯罪者となってしまったものの、薫を守る為だけに必死に生きようとし、また逮捕され刑期を終えた希和子を責める気にはなれません。また、恵理菜もまた希和子と同様に不倫相手の子供を身ごもり、自分一人で育てようとしていることを否定する気にもなれません。希和子も恵理菜も強く生きていってほしいと思ます。 私は、初め「八日目の蝉」というタイトルの意味が分かりませんでした。でも、本書を読み進めることによって、意味が分かりました。それは、希和子、そして特に恵理菜の思いを表現していたのです。蝉は、何年もの間、地面の中で過ごし、地上に出ると、七日目に死んでしまうといいます。だから、八日目まで生きてしまった蝉は、他の蝉とは違う自分が寂しく、悲しく感じられるというのです。始めはそう綴られていました。ところが、後に考えが変わっていっています。他の蝉とは違い、八日目まで生きられたのだから、前向きに生きていこう、という考えに。正に、恵理菜の思いではないでしょうか。 本書には、単なるサスペンス小説では片付けられない、現実感のある深い人間模様があり、強く引かれるものがあります。 文句なしにお薦めです。 | ||||
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犯罪者を主人公にしており、人物描写がすばらしい。 とくに、主人公が身を寄せる施設にいるいずれも一癖もふた癖もある女性たちの造形がものすごく緻密で、一瞬桐野夏生を思い出した。 角田光代はこれで新境地を開拓したのではないだろうか。 人物の描写がすばらしく、とくに主人公の親友の「正しいのに心の温かい人」という理想的な人物像をごく自然に描いていた。 太田光が角田との対談で「これ以上の作品はもう書けないのではないですか?」といったらしいが、私も同感。 角田の作品は全部読んでいるが、残念ながらこれに及ぶものはない。作者は自らとんでもなく高いハードルを自分に課したのではないか? | ||||
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八日目の蝉 読み出してすぐにはまってしまった。 人間とは、男、女とは、なんでこんなにも愚かなんだろう。 弱さゆえにはまり込んだ泥沼の中で、なんとも逞しく生きていく主人公。 ただ、そこには紛れもない愛があり、 無償の想いで助けてくれる他人がいる。 自分のもつ愚かさも再認識した気がする。 人間であるからこそ愚かさをみんな持っている。 でも、大抵の人間は、大きな罪を犯すことなく生きていけている。 ただ、越えてはいけない一線の手前で踏みとどまれるという 確証なんて誰だって持っていないだろう。 私は絶対そんなことをしない、と確信していても、極限状態に追い詰められたら 変わってしまうこともあるだろう、と思う。 この話で最大の被害者は、何の罪もなく醜い大人たちの騒動に振り回された子供。 どんな理由であれ、誘拐犯は犯罪者で、その行いは許されることではない。 それでも誘拐犯が、偽りでも母として子供に注いだ愛情と、 子供との関わりには暖かな微笑ましさを感じ、その状況が続くことを願ってしまった。 犯罪を犯した人と、被害にあった人のいる事件をもとにするのは心苦しいが、 でも、そういった追い詰められた犯罪者の心理や、被害者の心理に 私はどうしても興味を抱いてしまう。 | ||||
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読み終わったあと、とても素直な素敵な余韻に浸りました。色んな環境や困難があって、色んな事件や人間模様があって、それでも勝手に我侭に、でも必死に生きていくことの、力強さ、人の営みの尊さを感じました。 読み物としても、単純にすごく面白いです。 人物の描写、心模様、そして美しい瀬戸の情景。切ないシーンも何故か心が暖まるような気持ちを感じます。 「八日目の蝉」というタイトル、とても奥が深くて、それだけでも作者の力量と言いますか、書き手としての強いメッセージを感じます。ここまでの満足感は久々です。 | ||||
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私は自己啓発本やエッセイなどには目を通したことがありましたが、 ストーリー性のある物語は読んだことがなく…4月から映画公開というこもあり本屋さんでもズラーッと前列に並んでいたこちらの本に目が止まり、初めて小説を読んでみました。 まず、物語は… ある男(妻世帯)と愛し合った女が、男を忘れられずほんのささいな出来心からその男の「子供娘」を誘拐し、逮捕される約4年間の偽ともいえないなんとも親子のような物語(第一章)と、 本当の家族のもとに帰ってきてからの、その子供が大人になる自分自身や家族、その女との葛藤を描く(第二章)物語で構成されています。 一見愛憎劇でもくりひろげられるのか?とも思いましたが、 最後まで飽きることなくすんなり入ってくる文章から、私の心に残ったものは、全く言葉では表現しきれないほどの儚さと切なさと、「愛」でした。 それが やっていいこと 悪いこと になるとまた別の問題もありただの「誘拐犯」で終えてしまうと「うーん」とうなるようなものもありますが、 「この子を守りたい」 「どうしてもこの子と一緒に暮らしたい」と、 強く想うその女の気持ちや想いは、まさしく「母親」であり、むしろそれ以上のようなものさえ感じました。 読んで良かったなぁと 思える一冊でした。 | ||||
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学生の頃、何度か小豆島へ行ったことがある。毎回季節は春だったので、この作品を 読みながら、のどかで静かな瀬戸内の風景を想い出した。 この背景は前半の”隠れ家”との比較でこの小説の完成度を引き上げている。 読み終わってからしばらく次の本が手につかずにいる。実に心地よい。 この作品の展開と構成は秀逸だ。半ばを過ぎたあたりから本当に没頭して止まらなく なってしまった。映画になるということだが、小説の中での描写が上手いので、これ は子供次第というところか。 特に最後はこれしかない、という終わり方と思うので是非、ラストシーンは隅々まで 美しく明るく撮ってほしいと思う。 | ||||
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ページを繰る手がとまりませんでした。この先どうなるんだろうと最後迄。 どう考えたってハッピーエンドはありえない道筋に、どう決着がつくんだろうとどきどきして読みました。 主人公希和子、その不倫相手、その妻。彼らはどうなったって自分で選んだ道だから、どうなったってしかたない。でも、薫は、まさに「なんで私なんだろう」だと思う。自分で選んだわけではないのに、自分は進んで誘拐される道を選んだわけではないのに、なぜ、この状況と。読み手としても理不尽だ、と彼女のおかれた立場に不幸を感じた。 でも、もしかしたらみんな多かれ少なかれ「なんで自分なんだろう」を抱えて生きているのかもしれない。希和子たちだって、好きで選んだわけではない、気づいたらここにいた、という状況だった。 与えられた状況の中で、最後薫が選択した未来は、希和子と薫が望んでいた幸せな未来かもしれない。そう思ったらどうしようもないストーリーの結末に、少し救われた。 面白かったけど、いろいろ考えてしまって、的確にその感想を選べないかんじの本でした。 | ||||
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不倫相手の家に忍び込み、その家の乳児をさらうという罪を問う前に、 作者の、乳児の描写に惹きこまれ、目の前にいたら 思わず抱きあげ、頬ずりしたい衝動にかられる。 容疑者野々宮希和子も、当初誘拐が目的ではなかった。 しかし部屋にいた赤ちゃんの笑顔に心を奪われ、 一瞬にして母性にスイッチが入ってしまうくだりは実によくわかる。 「私がまもる。すべてのくるしみ、かなしみからあなたをまもる」と。 そこから赤ちゃんを連れての逃亡の旅が始まる。 作品としての完成度の高さ、あえて平易な表現を使いながらも 緊迫感を維持したまま読者を終盤まで引っぱっていく文章の力。 効果的に盛り込まれている輝く瀬戸の海の描写が あたたかい余韻を残し、テーマの重さを救っている。 母性という言葉を一つも使わないで、登場人物の女たちの その人なりの母性を表現している点も秀逸。 子どもを生んだことがないから母性が無いわけではない。 蝉の抜け殻のように「がらんどう」の子宮であったとしても 他人の子を慈しむことはできるのだ。野々宮希和子のように。 しかし作者は希和子に加担しない。 さらわれた子のその後の成長に視点を移行する。 この子はどんな成長をとげ、どんな母性を培うのか? 真に帰るべき場所、安寧のふところを見つけられるのか? この小説がどう終結するのか気になり ぐいぐいとページをめくる速度が早くなった。 七日で命を終える蝉が、もう一日生きてしまったら‥ その答えがこの小説のなかにある。心揺さぶる秀作。 | ||||
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0章・1章は母親視点から、2章は娘視点から書かれている(ただし、部分的に例外はある)。 前半は、緊迫感溢れる逃亡生活を、後半は、逃亡後を描いている。最後まで勢いは止まらない。比較的長い話だったが、一気に読んでしまった。 ただし、気になるのが、裏表紙の紹介文と映画(2011年4月公開)の広報帯(これらの点は、作者の力量とは無関係なので、レビューの星の数に反映はしていない)。 私は、この本を読んで感動した。少し泣いた。けど「クライマックス」で、ではない。 むしろ、こういった話にありがちなラストだと思ったので、ラストで真新しい感動はなかった。 あとは、帯の「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。」のコピー。もしかしたら、映画の方は、そういう仕立てになっているのかもしれないが、小説を読んだ限りでは、このコピーは合わないように思う。子どもの方に、こんな温くて緩い感覚は感じ取れなかったけどな…。 読んだあとに違和感が残った。 | ||||
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赤ん坊の笑みは、無条件で人を魅了する。 たとえ自分の子供でなくても、だ。 愛した男性の子供、自分ではなくその男の戸籍上の妻が産んだ子供、 その赤ん坊の微笑みに、3年間の逃亡生活を余儀なくされた女性。 愚かと言えば、全く愚かだ。 自分の人生も、子供の人生も、その両親の人生も、それで大きく狂ってしまう。 ただそれは結果であって、その時の彼女には、他に選択肢がなかったのだろう。 嫉妬、母性、復讐心、そのどれもなく、単に子供を抱きしめたかった。 哀しい話だと思いませんか。 | ||||
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希和子は、愛した人の、生後6か月の赤ちゃんを連れ去り、 そして逃亡し、自分の娘として育て始める。 彼女の逃亡は、娘が4歳になるまで続き、ある日唐突に終わる。 それが描かれているのが第1章。 第2章では、成長した娘が、過去を受け入れるまでを描く。 読んでいて不安で不安で、切なくさせられるのは第1章だ。 希和子は、いつかこの幸せが、このもろく儚い幸せが壊され、 失われてしまうであろうことを知っており、 どうかこの瞬間が一瞬でも長く続きますようにと、 祈るような思いで日々を暮らす。 誘拐された娘は、理不尽な逃亡生活に付き合わされながらも、 あふれるほどの愛情をいっぱいに受けて、まっすぐに育つ。 その二人の健気な生きざまに、心を震わせずにはいられない。 儚すぎる幸せに、全てを賭けている様が。 | ||||
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1章の希和子が薫を連れての逃避行も、母の子(実の子ではないわけですが)に対する愛情が よく描かれてよかったですが、 2章の最後の10数頁で、恵理菜(かつての薫)がお腹の中に赤ん坊を身籠った状態で、 幼い頃を過ごした小豆島に向かう途中、彼女の心の中で大きな変化が生じる場面、 それにラストで、出所した希和子が、岡山港で恵理菜とニアミスするシーンに特に感動しました。 女性の子供に対する愛情は、こんなに大きく深いものなのでしょうか。 女性が子供を身ごもり、生み、育てるという行為は、こんなにも尊いもので、 こんなにも女性を強くするものなのでしょうか。 たいへん感動的な物語でした。 | ||||
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角田光世氏の名前も前からしっていが、これが2冊目の読書となった。まず抜群に面白い。ネタばれになるため細か内容は割愛するが、特に第一章を描く緊張感をもった文章が素晴らしい。奪い、逃げ行く過程がスリリングで「すごいストーリーテラーだなあ」と感心しながら小説の中にぐんぐん引き込まれ、時間を忘れた。僕はつまらない小説を読むとストレスのため頭痛がする癖があるのだが(笑)痛みのいの字も感じさせないほどの一気読みだった。 ただ、純文学か中間小説なのかの微妙な域にある作品だが、これだけ完成度が高ければそんな事はどうでもいいと思わされた。本書の前「三面小説」を読み、その個性のない文体と手垢のついたモチーフに残念な感想をもったが、この作品を読んでそんな思いも吹き飛んだ。〜この5年程あまり本を読まず仕事にかまけていたが、そうした間にも素晴らしい作品がたくさん生まれ良い小説家が育っている。角田氏の小説は二本目であるため、残された本を読みあさるのが楽しみだ。 | ||||
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第2回中央公論文芸賞受賞作。本作を原作として、NHKでドラマ化もされ、2011年4月には映画公開予定。不倫の果てに結ばれなかった男の子どもを誘拐した女の逃走劇を描く第1部と、成長したその子どもが自身の妊娠を機に、暗い過去と現実に悩みながらも、未来へ希望を持って羽ばたこうとする第2部で構成されている。子どもを誘拐された家族は両親の不倫が原因とマスコミによって暴露され、事件後も世間の目を逃げるように生活し、崩壊していく。「こんなはずではなかった」として人生や自身を受け入れられずに生きるこの家族の姿に、妙な共感をおぼえるのは、「こんなはずではなかった」的な悩みから派生する事件などを現在多く目にするからだろうか。ただ、そこから這い上がろうとする主人公の姿は、教科書通りのものではなく、悩みながらもとにかく一歩を踏み出した感じであり、何だかこちらも現実的で共感できる。この現実的であり、嘘っぽくない希望性がこの小説を素晴らしいものにしていると感じた。 | ||||
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