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八日目の蝉
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八日目の蝉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 401~420 21/22ページ
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純文学のテーマのひとつ、人間のダメさだらしなさをどのように 美しく表現し正当化するか、という点に置いて上手く書かれている 作品でした。 しかし、物語が終わった先を考えると、さらわれた子供はこの先も 私生児を産んだことに反省することなく、だらしない男と更に私生児 を作っていき、家族家族と美しがっていきかねない、そして、彼女が そうなったようにその娘も同じ道をいきかねない、と果てしない連鎖 を想像させられ、暗澹とした気分になります。 不倫をする際に避妊をしない、という点ですでに人殺しは始まってい るのだ、と言うことを痛感させられる物語でした。 私には女の子供が居ますが、この小説は見せたくないと思います。 独身の頃、又は子供を持つ前なら、もっと内容を楽しめたかと思います。 (矛盾しますが。) 前編のスピード感が、作者の実力を感じさせる出来でした。 確かに小説としては出来がいい、だから怖い本だと思います。 これを読んで不倫中の方が「現実で未婚の母になっても美しくたくま しく生きていきたい!」などと誤解する人が現れないことを祈ります。 | ||||
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すごく面白く、でも色々なことを考えさせながら読みました。 執筆が始まる前に「血ではないつながりを書きたい」と語っていた新聞記事を拝読しました。 その試みが大成功していると思います。 救いもあるし、微かな希望もあって、角田さんの次作にも期待です。 | ||||
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不倫相手の子どもを誘拐し何年も一緒に暮らした主人公は、どう見ても愚かです。でも、彼女を軽蔑することなどできませんでした。子どもを愛しく思う気持ちは本物だったと思えたから。逃亡生活の、とくに新興宗教施設での暮しぶりのリアリティに驚きました。こういう施設の是非はともかく、どこにも行き場のない女性たちにとって必要なのだろうし、今もこういう場は日本のどこかにあるのかもしれません。行き場のない弱い女たちの寂しさとたくましさ明るさ、助け合いに、胸を打たれました。どんなことがあっても人は女は生きていけるのではないかと。 逃亡生活は、いつか終わりがくる予感のなかで、だからこそ一瞬一瞬がせつなく尊く感じられ、この偽母子の暮らしがどうか少しでも長く続きますようにと祈りながら読んでいました。こんな救いようのない悲しい話を明るくたくましく描く角田さんの力と眼差しに、感服です。女は弱いけど強い。愚かだけど豊かだ。「八日目の蝉」というタイトルが示す意味にも、胸がつまりました。 | ||||
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素晴らしいレビューは書けないので、皆さんと違う視点から・・ やはり男性はちゃんと避妊をしないとです。 女性も、それを当たり前にできない男とはつきあわない、 というシンプルなことを教訓にできます。 誰もが一度は、自分の存在の不思議を考えたことはあると思うのですが 人間の誕生はどんな時代でもどんな人種でも 単純に男と女がセックスをしてのことで、 それが、ものすごく求め合ったときだったか成り行きのものだったか 単に性欲解消だけのようなものだったか、 なんてことには関係なく、そして勿論知ることもなく、 たまたま生を受けた人間は自分を受け入れ、生きていかなくてはならない・・ なんてことを考えてしまう小説でもありました。 子どもが欲しい(育てている)人、 結婚という形に発展できない(できなかった)恋愛をしたことのある人、 女性なら誰もが胸に迫るものをどこかで感じるであろう小説なのですが ただ、好きな人の子を身ごもり、産みたかったのにやむなく堕胎したことのある女性には つらくて読めすすめられないのではと思いました。 特に二章からは涙を拭いて鼻をかんではまた泣き、の繰り返しでした。 詳細にわたってインタビューし、実話を小説にしたのかなと思ってしまうほど 情景や登場人物の心情にリアリティがあって・・・ 読後も興奮状態が冷めません!! | ||||
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以前何かで紹介をみた覚えがあり、古本屋で見つけて買った。 一気に読んでしまった。 子どもたちほったらかしで(笑 そもそも、普段から子ども達にやられっぱなしの私。 わざわざ他人の子どもを盗むなんて意味不明。 と思ったけど。 ないものねだりじゃないけれど 欲しいのに手に入らない人には 本当にうらやましいことなのかもしれないと思った。 ハタから見たらウチも幸せそうなのかもしれないし、 子どもができないということをこちらが知らないまま、 相手を傷つけてしまう可能性があるなぁと。 そして主人公の、子どもへの気持ちと 自分の子どもへの気持ちと比べて反省した。 もちょっときちんと向きあっとこ・・・明日からw | ||||
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不倫の果てに堕胎した女性が、本妻との間に生まれた赤ん坊を誘拐するところから始まる物語。母ではないが、子供とどこまでも生きて行こうと逃亡生活を送る1章。 成長し、かつて自分をさらった女性をなぞるかのような人生を送る娘を描いた2章。 そしてすべてを無くしたはずなのに、希望の見えるラスト。 「八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけれど、でもぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」 そう、八日目の蝉は悲しいことばかりではない、まんざらでもないそれからの人生を生き抜くことの強さを教えてくれる。 「女」として「母」として生きている人には必ず琴線に触れること間違いなしでしょう。 | ||||
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どうしょうもない男に不倫の果てに捨てられて、それでも一目その男の妻が生んだ赤ん坊を見て帰るつもりがつい誘拐してしまい、そこから始まる逃亡生活。もう愛情もない男の子供など欲しいものなのか?いや、女はいつのまにか母親になってしまう悲しい生き物なのだろうなと思いました。それは、自分が生んだ生まないは関係なく、愛情をかけられる何かを見つけた時、母親になってしまうのだろうなと思いました。そんな大切な愛情も世間とか現実の前には八日目の蝉のように過ぎ去れば、ただの抜け殻になってしまうのだろうけれど、愛情がつまった土の中のような逃亡生活でも、蝉は確かに息をして輝いていたのであろう、どんな深い愛情がこれ以上にあるのかなと思います。母親は偉大だ。 | ||||
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ようやく地上に出てきたと思ったらたった7日で命を終えてしまう蝉。 もし、自分だけが8日目も生きていたら・・・・。 他の仲間が見ることが出来なかったモノを見ることができたと喜ぶか、 もしくは、自分だけ生き残ってしまったことを悲しむか・・・。 決して簡単に答えられることではないように思う。 両親の愛情をたっぷり受けて育つこと、 それってかけがえのない幸せだと思うけれど、 でも、血の繋がった両親がいないことが必ずしも不幸だとは 言い切れないとも思う・・・。 薫の両親には何だかイラつきばかりが残る。 確かに数年ぶりに我が子が戻ってきても戸惑うだろう。 でも、もう少し愛情を注ぐことが出来たのではないかと思えてならない。 もともとが夫の不倫から始まっているということが この夫婦を私が受け入れることができなかった要因だと思う。 夫の不倫相手に嫌がらせをする妻というのも 何だか醜く見えてしまうし・・・・。 読了後、この本を読みながら、 私はずっと希和子を応援していたことに気づかされた。 彼女のしたことは犯罪以外の何物でもないけれど、 でも彼女と薫の幸せを願わずにはいられなかった。 幸せな時間をありがとう、という言葉は、 確かに的外れなものだけれど、 でも、あの時間がこれからも希和子を支えていくのだろうと思う。 「どうして私だったのか?」という薫の思いは最もだと思う。 彼女は犠牲者・被害者以外の何物でもないのだから。 ごく普通に生きることすらできなかった彼女・・・。 でも、未来は明るいものであって欲しい。 爽やかで逞しさを感じさせるラストが素敵。 | ||||
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子供の産めなかった私には、主人公の気持ちがよくわかる。 人の子供でも、赤ちゃん 育ててみたかったもの。まして、愛する男の子供なら・・と 思う。幼気な可愛い手で、しがみつかれてみたい。ママと呼ばれてみたい。 そんな気持ちが高じて、主人公は誘拐・逃亡してしまったと思う。 その命と願いを守るために、逃げて、逃げて、見つかりそうになったら、 世話になって人にも背を向けて逃げまどう日々。 さぞ切ない日々だったでしょう。 逃亡生活を描いた前半は緊迫感があり、引き込まれました。 後半は成長した子供の話ですが、基本的にはこの物語は女性の話。 男性の読者には 深い気持ちは理解出来ないと思います。 | ||||
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0章で起きてしまう赤ちゃん誘拐事件。1章では、犯人が捕まるまでの逃亡生活がスリリングに展開する。そして2章では、事件が被害者に与えた影響が、成長した彼女の生活と回想を織り交ぜて描かれている。 赤ちゃんと2人でなんとか生きていこう、という犯人を応援する視点に引き込まれてしまっている自分がいて、2章で「あなたは子どものころ、世界一悪い女に連れていかれたの」という言葉が出てきたときには、思わずはっとさせられてしまった。 この小説を読むことで、ひとつの出来事が視点によってだいぶ違ったものに感じられる、ということを改めて教えられた。 | ||||
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1章が切ない。犯罪者に共感してはいけないと思いながら、希和子と薫のきずなの深さにグッと涙がこみ上げる。どう考えてもゴールが幸せであるはずがないからこそ、今この瞬間の幸せを引き延ばしてあげたい。 そしてその極限状況の中で出会う、底辺の人々の奇異さを、かえって自然に感じる。同病相哀れむというか、社会に背を向ける人たちは、それはそれで引き合うのだなあ、と思う。薫がけなげでいとおしい。 2章はまた恵里菜の皮肉な生活が描かれる。希和子そっくりの不倫は、読者を含めた全ての人を傷つける。 希和子と恵里菜の絆は、入り口を間違えた。でも、その純粋さ・美しさは否定されるべきではない。ラストに救われる気がした。 | ||||
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角田さんのラストにはいつも気持ちが救われる。人物全員の先に見える光が、私自身にも見えた気がした。それほど読後感の爽やかな本だった。 不倫相手の子を連れ去り、血のつながりもないその子を全力で愛する。本来なら許されない犯罪者である彼女に、なぜか心が動いた。私自身思いっきり入り込んでしまったのだろう。薫が、またあの島に戻ろうとひとりでアパートを出たことがあったが、薫があの島での女との生活を愛しく感じたかと思うと、その事実に、なぜか安堵感がこみ上げてきた。 毎日、ニュースで見る様々な犯罪の背後にも、そんなドラマがあるのかと思う。もちろん犯罪は許されることではないのだが。 | ||||
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不倫相手の赤ん坊を誘拐して逃げる女。 どうしようもない男のために人生棒に振ってバカだな・・・と、どこか冷めた視点で読んでいたのですが。 中盤、追い詰められて、迷うことなくなにもかも捨てて逃げ出そうとするところでなぜか、不意に泣けてきました。ほんと突然に、何かが私の中で弾けたように。 その後も、ずっと、心を揺さぶられるというか。(陳腐な表現しかでない自分がもどかしい) もしかしたら私が今現在、女で、小さな子供がいて、夫がいて、住むところがあって、平穏に暮らしていられるからかもしれません。 そんな平凡な日常を、どんなに願っても手に入れることのできない主人公の、「ただこの子と一緒にいられるだけでいい」という強い思いと行動は、私に何かを訴えてくるのです。 主人公は犯罪を犯し、身勝手な行動で周りを不幸に巻き込んでいるのだとしても、とりあえずそれは置いといて、今この瞬間の、二人の幸せが続いたらいいのに、と思わせます。 捨てられないものだらけなのに、持っているものの大切さも理解していない。そんな自分に気づかされた一冊です。 | ||||
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著者はじめての長編サスペンス。 実際にあった事件の小説化なのかな?って思ってしまうほど リアリティがありました。 揺るがないあたたかい愛情に包まれた作品だから重さや暗さがない。 角田さんだからこそ成せる技です。 血のつながりってなんなんだろう・・・。 薫ちゃんへの希和子の愛情はまさに母親そのもので、 2人の中間に不倫相手の男性なんてもはや存在しないほどに強固なものになっていた。 果たして薫ちゃんにとって、実の両親と暮らすことが幸せだったのか、 それともあの島で希和子と暮らすことが幸せだったのか・・・。 でも、「なぜ私だけが」と思ってきた被害者意識を、 「なぜ私たち家族が」と広く感じられるようになれば、 壊れていた家族はきっと再生する。 この家族はこれから新しい家族を迎え、 やっとこれから本当の家族になっていくのだな、と 光を感じるラストがすがすがしかった。 できれば希和子のために、 サスペンスではなく、親子の愛情を描いた作品として読んであげてほしいです。 住民票も保険証もないのに、 若い女が赤ん坊を抱えて知らない土地で生きていけるなんて不可能な話。 でもこの都合の良さにはあえて目をつむります。 | ||||
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不倫相手の家に忍び込み、生後6ヶ月の赤ん坊を連れ去った希和子。 自分の子供が生まれていればつけるはずだった「薫」という名前を その子につけ、二人で生きる決心をする。何も知らずに育った薫 だったが、やがて自分の本当の名前を知る日が・・・。 子は親を選べない。育つ環境も選べない。与えられたものの中で 生きるということが子供にどんな影響を及ぼすのか、考えると ぞっとする。本当の両親のもとから連れ去られ、「薫」として育て られた恵理菜。希和子との生活は、本当の母と娘の生活のようだった。 それに比べると、実の父母や妹とのギクシャクした関係は、恵理菜には 耐えられないもとなる。彼女の心につけられた傷の深さは計り知れない。 大人の身勝手な行動が引き起こした悲劇。「八日目の蝉」のタイトルの 意味が見えたとき、とても切ない気持ちになった。これからの恵理菜の 人生が、幸せなものでありますように・・・。 | ||||
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ここに出てくる誘拐された子供は、私が忘れていた我が子と接した当時を思い出せるほど、丁寧な描写がたくさん出てきます。 どうして、ここまで、小さな子供のしぐさまで描けるのだろう。 読んでいて、わが子が小さかった頃を一つ一つ思い出して、懐かしくて涙が出てきました。 ストーリー自体もはらはらどきどきでおもしろかったのですが、もう一人の主人公の誘拐された子供が愛しくて読んでいて胸が締め付けられる思いでした。 | ||||
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この本を読み終えた時、泣いていた。べつにどの登場人物に共感するわけでもないし 同じような体験をした人もいない。妊娠もしていないし、堕胎もしていない。 内容的には辛辣な部分が多くある。しかし何故だが、読み終えた時とても優しく せつない気持ちになるのだ。 角田光代さんは、全作品通して言いたい事は同じような事に思える。 女同士の友情、母親への懸念、めぐりくる立場の変化、家庭、主婦、そういったものだ。 この作者の作品で「彼女のこんだて帖」という、ほぼ自分のエッセイも混じっているのかも しれないと思わしき母親への気持ちを、料理という題材を使って書いたものがある。 それと同じように、この八日目の蝉でも、「家庭の味」「料理」といったものが リアルに描かれている。 彼女の書く文章や人と人とのやりとりには温度があるのだ。じめっとした、女同士の 閉ざされた世界で守る永遠の処女性のようなもの。それを尊く思う気持ちと 毛嫌いする気持ちが混在するのは何も少女に限った事ではない。 大人になってもなお、それをひきずったまま殻から出られない女性を書かせたら この人の右に出る者はいない。 この本はミステリー仕立て(謎はないのだが)になっていて、先が気になり どんどん読み進めていく事ができる。そして最後にはやりきれないせつなさと ほっこりした優しさ暖かさ、そして失ってしまったものへの憧れなどを感じられるだろう。 みんなが未来に向かって歩き出そうとしている終わり方もいい。 | ||||
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ひな鳥は、最初に見たものを親鳥と思って慕うという話を聞いたことがあります。時として親を失った異種の動物の子供を育てたというエピソードで語られる動物もいます。物ごころつく前に一番愛情を育ててくれたもの=親という式はちっとやそっとでは崩れないだろうけど、最初の親(と思っていたもの)が断りなしに消去されて、次候補というものが補充されたとき、すぐにそれを<=親>と認めるのはどんなに大変な作業だろう。と、同時に、自分ではない誰かが愛情を注いできたものを、突然=わが子と認識することも非常に難しいことであろうと思う。その子供の目の中には、きっとまだひとつ前の愛情記号が色濃く残っているだろうから。 本書のテーマとは少しずれているのだけれど、一番強く想起したのは、そういうことでした。血のつながった親子でも、子=親という絆がしっかり組めない親は増えつづけていると思うけれど、(実際、本書は、実の親よりも、仮の親のほうが、子どもとの関係は自然なのだが)そういう子供が、これから成長して、世の中に増えて、親というフィルターを通さずに、どういう世界観を持つのか、自分と世の中のつながりをどう考えるのか、とても気になる。 ミステリーなので、内容は伏せます。 | ||||
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それなりに各紙でも取り上げられていたので読んだのですが、ウーン、まあ、どちらかといえばお薦めしない本です。かって堕胎させられた不倫相手の家から乳幼児を誘拐し全国を逃亡しながら4歳まで育てる女の話と、誘拐犯に育てられた子として好奇の目にさらされながら成長した娘が自分とその女、実の親達との関係を見つめ直す話の2代にわたる輪廻を描いたものですが、このようなテーマなので当然のことながらどうにも暗いのです。 私は読書の楽しみは基本的には作中でよい人や格好いい人に出会えることだと思っているのですが、この作品には会ってみたいと思うような人は誰も登場しません。 7年間地中で時を過ごしてきた蝉の幼虫が、羽化して精一杯鳴き続けて7日目には死ぬ一生ははかないが、もし8日目に生きている蝉がいたら取り残されてもっと哀しいという寓意も、この物語のタイトルとしては読者には腑に落ちないのではないでしょうか。ラスト近くには8日目に生きる意味を主人公達に語らせますが、それがこの物語の登場人物たちの様々な生き方の何を暗示しているかも不明瞭です。 それと ――の頭の中できいんと金属音が響く。赤ん坊の泣き声が高まると、金属音も同時に大きく響いた。それらは混じり合い、ぎゃわん、ぎゃわん、ぎゃわんと響く赤ん坊の声が ――というような擬音語や擬態語を使われると、私はもうそれだけで書き手のセンスを疑ってしまうのです。劇画ではないのですから、形容することによって状況を読者に想像せしめるのが小説家でしょう。これじゃ小学生の作文などにある、スーと戸が開いたとかゴーンと鐘がなったと変わらないじゃないですか。スタイルとしてこれらを多用するのならまだ許せますが。 そんなことからもお薦めしない訳です。 | ||||
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本の帯に「角田光代が全力で挑む長編サスペンス」とあるが、これはそのつもりで読むと肩透かしにあう。サスペンスは読者が謎を探るものだが、この本は誘拐事件が元になっているだけで、読み進めていくと焦点がサスペンスとはずれてくる。 赤ちゃんを誘拐した女の逃走より、育児に不安定な母親の内面を描いているような展開だからだ。 自分が産みもしてないのに自分が産む筈だった子供と摩り替えて誘拐した子を育てていこうとする女は、一度失っただけに子どもに自分の人生を捧げて育てる。自分の全財産も、将来も、何もかも棄てて、この子と少しでも長く一緒にいたい献身な育児の反面、このままでは小学校にさえ行けない子どもの将来を気に病む。 子どもが産めないと思った女の逃走劇は、生後6ヶ月から3才までの一番可愛いときを両親から奪う。 第1章でその女を、第2章でその誘拐された女の子を描いたこの本は、人に感想を聞かれたら、人の人生を滅茶苦茶にした女の利己主義に共感出来るならいいんちゃうと逃げてしまうと思う。 それは、赤ちゃんは可愛いし3才までなら子育てをしてみたいのが気持ちでは分かるのだが、人として親としての責任を背負わなくてもいい3才までの時間だけを奪う女の心理に嫌悪が走るからだ。 | ||||
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