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八日目の蝉
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八日目の蝉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 1~20 1/3ページ
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この方の本はエッセイ的なものは読んでいたのだが、小説は今回が初めて。エッセイはなんとなくすっとぼけていて面白おかしくよんでいたが、小説もそんな感じなのかなあと思い、軽い気持ちで読んでみたが全然すっとぼけてなくちょっと後悔した。というか実は1章の終わりまでを飛ばしで読んであとはネタバレをネットで読んだので読破はしていない(若干2章も読んだ)。要約すると、不倫相手の子供(赤ん坊)を誘拐し、旅をする過程でいろいろあり最後は逮捕されるというのが1章、逮捕された女性と旅をした子供が大きくなり、なぜか誘拐した女性のように不倫相手の子供を身ごもってしまうが、中絶を選ばず生む決意をして昔の道程を旅しようかな・・・というのが2章。だと認識しているが、違ってたらネタバレが間違っていることになる。読んでいて感じたのはこれは女性に向けた本かなあ、男が読んでもあんまりおもしろくないかも、ということである(人にもよるだろうが)。というのももともとは不倫男が悪いのはもちろんだが、女性の動機や行動がいまいち自分勝手に感じ、誘拐された子供がかわいそうなはずなのに家庭に問題があったっぽいからそんなにかわいそうじゃないみたいなことになったり、成長した子供がなぜか小中高校を経験しているはずなのに誘拐されていた日々に想いを巡らせて重視するなんて普通あるだろうかと考えたり。うまくいっていない生活をその時のせいにするということならわかるけど、なんていうかいろいろと変な寄り方で感情がうごいていて、うーん・・・となった。確かに加害者の女性に同情するべき点があり、それが同じ女性として共感ということなのかもしれないが、そういうことを考えるとやはり男には理解が難しい。逆に身も蓋もないことを言ってしまうと、やはり望まない妊娠の可能性があるときは避妊をしっかりとという現実的な意見を考えてしまうのだが・・・、でもこれは男女関係なく大事なことではないかと思ったりする。 | ||||
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むかし原作と映画と読んで観て、出来とか問題提起とかわかったし、 感情移入は別にして 巨大な疑問が一個… 子供って…ガキの4年間って、短いよ??? 4〜8歳でしょ? 後々の人生に与える影響と記憶、 そこまで引きずるほどデカいかあ?(虐待は別問題) こいつら適応能力の怪物だよ笑 って事です。最近再読したけど、やっぱ印象変わらずだったスイマセン | ||||
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すべての登場人物に共感できなくても、ここまで読ませる筆力はすごい。母の愛情だとか、逃亡劇だとかにはまったく心動かされず、感動して泣けるとの評判は本当なのかとこのレビューを見に来たけど、やはりそのような感想が多い。一部自分と同じようなレビューを書かれている方がいて、すこし安心したりしました | ||||
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事件を通した各々人物の視点から社会背景や問題提起をしている。結婚は幸せなのか、女性と男性とは何か、好きという在り方、感情の在り方、良く描かれていると思います。 | ||||
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ドラマ化されました。 その原作です。 泣かせます。 | ||||
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不倫がベースになってるので、道徳的な話ではないとは思うけど、何が正義?何が正解?と思う内容です。 しかも本妻の子供を誘拐して偽物の母親になり4?5年?一緒に居続ける。 そんな非常識な話しはあるのかと思うけど、実はその誘拐された子供にとってはその時間が幸せで。 本妻の元に戻っても生きた心地がせずに何十年も過ごす。 そしてその後も不倫をして妊娠…。なんの因果? でも、旨が張り裂けそうなくらい惹きつけられる、そんな話です。 さすが角田さん。 | ||||
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原作は良いが、朗読が少し聞きとりにくい。とくに早送りした際に聞きとりにくい。 | ||||
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私は誰? 私が本当に欲しいものは何? 私の人生の目的は何? 全てを失い、生きる希望すら失っても、喉も乾きゃあ、腹も減る。 生理的欲求が満たされれば、生きよう、生きたいっていう欲望が首をもたげる。 もう二度とは会えぬかもしれぬ娘の幸せを祈りつつ、共に過ごしたかの地に思いを馳せる日々。 | ||||
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逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。 | ||||
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不倫の後の幸せなど決してないと思ってはいましたが、それにしても作中の2人の主人公には、報われてほしかったと思いました。希和子も恵理菜も後先をもっと考えてほしかった。じゃないと結局、恵理菜の子供まで希和子と同じような運命を辿ってしまいそうで見ていられない。恵理菜はやっぱり4歳までの希和子からの愛情を小豆島で思い出したんだし、出所した希和子に一目会って欲しかった、いや、最後は読者のご想像にお任せするのが、この作品の魅力なのでしょうか? 八日目の蝉はどのような世界をみたのでしょうか? 読み終わった後に悪い夢でも見ていたかのような、暗い気持ちが残りました。 ですが「その子は、ごはんをまだ食べていません!」のシーンには希和子の薫への最後の愛情が感じられて感慨無量でした。 | ||||
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女性みんなに必ずしも豊かな母性があるわけじゃないし、母性の豊かな人が必ず子供を産めるわけじゃない。子供のいる私には、希和子の子育てはいいとこ取りで無責任な猫可愛がりに見えるけど、子供が欲しくてもいない人からしたら、「私に子供がいたらすべての愛情を注いで、つまらないことで怒鳴ったりしない」と強く思うのかもしれません。でも実際、子供を連れまわして母親としてどうかと思う行動もしているわけなので、誘拐を美化するなら実母を思い切ってネグレクトとして描いた方がよかったのかも。それだとMotherとかぶっちゃいますが。実母がダメ母で不安定でも、不倫されてその相手に子供を誘拐されたら仕方ないんじゃ。。。と思えるくらいのレベルだし、どうしても実母が気の毒で感情移入できないっていう人がいるのもうなずけます。 それと、子供を持つか持たないかというのは確かに女性の一大事なんですが、それだけで押すのはどうなんでしょう。あえて1章のロマンチシズムをぶちこわすための2章なのかもしれませんが、大人の都合で傷ついた薫が不倫して妊娠するとは、どうしても思えませんでした。むしろ千草のように、性的なことに潔癖になるんじゃないかなと。どうしようもない男が多いというのは認めますが、だったら負の連鎖を断ち切るためにも、そういう男との子供は絶対作っちゃダメなんじゃ。。。生まれてくる子供は父親がいないというだけでもかわいそうなのに、誘拐事件でこじれた親子関係まで背負わされることになるわけで、それこそ薫以上に自分の運命を呪って生きるんじゃないかと思うと、全然救いを感じませんでした。薫が自分を本当に愛してくれる男性に出会って幸せになるとか、そういう救い方はなかったんでしょうか。千草じゃなくて、小豆島の新之介くんが力になってくれるとか。まぁそれじゃ安っぽいドラマになっちゃう恐れもあるんですけどね。。。 ぐいぐい読ませる筆力もすごいし、いろいろ考えさせてくれる、すごく力のある小説だと思うけど、この小説の元になったといわれる事件しかり、もっと救いのない出来事が世の中に溢れてるから、小説くらいはベタでも無理やりでも普通の幸せをつかんでほしいと思ってしまうのかもしれません。小説を読んだ後の余韻とモヤモヤは違うと思っているのですが、この作品は間違いなくモヤモヤの方でした。 | ||||
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登場する男性が情けない。子供を産み一人で育てる決意をする恵理菜には女性の本能的な強さを感じる。八日目の蝉は困難から逃げず立ち向かう物にだけ与えられる充実した意味のある時間と感じる。 | ||||
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最初に読んだ時は、涙が止まらなかった。 しかし、その後に沸き上がる違和感。涙など流す必要はない。涙を流す作品でなくとも、私は真実を見たいのだ。 最初の数ページと、ラストの数ページを読めばわかる。この小説は構成が破綻している。 最初の数ページで、この小説のテーマがわかる。誘拐された赤ん坊にとって、精神的に繋がれる母親は誰かが、この小説のテーマである。 誘拐された赤ん坊、秋山恵理菜が成長して採る行動で、恵理菜にとっての真の母親がわかる。恵理菜は、妻子ある男と不倫関係になり、男の子供を妊娠する。 この行動は夫に浮気をされた、実の母親の影響によるものではない。恵理菜を誘拐した、野々宮希和子の性格を受け継いだ結果である。 そして、恵理菜自身が、実の母親より希和子に心情を寄せている。しかし、ラストで恵理菜はこう言うのである。 「私は世界一悪い女にさらわれたのだ。私が家を好きになれないのは、父と母が私に背を向けるのは、すべてあの女のせいだと思えば、少しだけ気持ちが楽になった。楽でいるために私はあの女を憎んだ。あの女の存在を私たち家族のなかにひっぱりこんだ」 子供の自分をここまで痛め付ける必要はないだろう。これは子供の自分に不必要な倫理観を要求する、不自然な成長である。 恵理菜にとって、精神的に繋がれる母親は希和子である。 その恵理菜は妊娠して、子供を産む決意をする。 ここまではいい。しかしこの後、恵理菜は急速に大人になる。 誘拐事件により崩壊した家庭、無責任な父、家事を放棄した母に理解を示していく。 母親になるのだから、強くなるのはいい。しかしまだ19歳で、人への理解が急速に深まるのは不自然である。元々大人びた性格というわけでもないから、なおさらである。 そして小豆島に向かう途中の岡山で、恵理菜は希和子とすれ違う。希和子の方は恵理菜に、かつて自分が育てた幼児の面影を見たが、恵理菜は気づかなかった。 岡山から小豆島に向かうフェリーで、恵理菜は実家で子供を育てる決心をする。 一方の希和子の描写で、 「海は陽射しを受けて、海面をちかちかと瞬かせている。茶化すみたいに、認めるみたいに、なぐさめるみたいに、許すみたいに、海面で光は踊っている」 という言葉で、物語は結ばれる。 一見、将来の恵理菜との再会が約束されているようである。しかし文章がうまいので騙されそうだが、「茶化すみたいに」の言葉に、わずかに作者の本音が垣間見えるようである。あるいは作者の罪悪感とでも言うべきか。 将来の再会の約束をするくらいなら、互いを認めた上での再会をさせて、物語を終わらせればいい。そうしなければ、物語は終わらない。 しかし作者は「許すみたいに」と言うのである。希和子は罪人のまま、許されないまま、恵理菜の真の母である。作者が希和子に思い入れを持っていないとは思わないが、作者は希和子が恵理菜の真の母であることを認めなかった。 90年代に日本の個人主義は最高潮に達し、大なり小なり、個人主義に関わる様々な事件が起こった。 個人主義を批判する者は、集団主義をもって個人主義を批判した。 2000年代とは、個人主義から集団主義への移行期だと、 私は思っている。この2000年代の半ばに、『八日目の』は世に出た。時代の流れに沿う形で、『八日目の』はヒットしたが、勢い余って、2010年代の少なくとも一部を形成した観さえある。 すなわち、自分の真の願望を封印することで集団に溶け込む形の集団主義の形成に、この作品は貢献したのである。 | ||||
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他人の子供を盗み、乳児期から幼児期までを、ただただ可愛がる。 子供の将来を真剣に考えることもせず、その子の一生を背負う覚悟の重さもない。 それを「母性」だと勝手に感違いする未熟な女性の話だろうか。 そういう狂気は、うまく表現されていると思う。 | ||||
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不倫関係にはいろいろとトラウマがあるので、辛くなって全部読めなかった。それだけリアルだったということで。 | ||||
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ハラドキしながら読みました。 愛も、情も、全て心がありますね。 その心の位置によって変わるものなんでしょう。 実際に起こりうる、複雑な、そして深遠な心の物語。 母と娘、その当たり前にみえる存在が非日常な生活。 他人の娘として過ごし、本当の家族に戻り成長した・・・自己を失った、そのままで。 ーーー以下チョイネタばれ注意ーーー 産まれくる我が子に失くした自分の心を見た。 そんなハッピーな終わりであったと願っています。 失っても探し、捨てたのならば拾い、そしてまた手にする事も出来ると。 深く考えれば、どんな哲学書よりも考えさせられる話でしょう。 | ||||
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映画化されて好評だったらしいこの小説。不倫相手か何かの幼子をさらって逃避行する物語。各地を転々とするさなかに、訪れる場所と人そしてさらっている自分、なにもしらない無垢な子供、ここらへんの対比がけっこうそそるものがあった。 中盤は、語り手が入れ替わったりするが物語がどうにか展開しつつ、やっぱり心のトラウマだったり複雑なものを抱えた人間の人生は、どのように転がっていくのかという非常に難しい問題を孕んでいた。 その答えがラスト付近にあったが、そのあたりがやっぱりこの物語の中では秀逸だった。 物質的、精神的にすべてを失っても、人はやっていける、なんとか生きていけるのだという希望が、最後にうまく描かれていて少し感動した。 | ||||
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角田さんの、作品の中では、賞をとっているらしいが、あまり、おもしろくない 個人的に、赤ちゃんを誘拐して自分の、子供と、して育て、いろんな人の力を借りて、生き延びる、主人公にあまり共感できない、 エンジェルホームでの人間関係がおもしろいです、中古で買ったので、安く済みました | ||||
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クライムノベルとして、よく出来たお話でした。 ストーリーに耽溺したあと、主人公の罪深さを考える。 子供と過ごした年月が育んだ母性。自身の事より、子供がまだご飯を食べていない事のほうが大事。 その母性の芽は、盗まれた実母にはないものだった? 否、と思うが、不当に子供との年月を盗まれた実母に対して 娘の視点を通した筆者の筆は冷たい。 三部構成にして実母の章を間にはさめばバランスが良かったかもと思うが、蛇足だろうか。 どんなに普通の家族で育ったとしても、成長過程において父や母に対してぎくしゃくした違和感や反発は覚えるもの。 自分はこの家の子じゃないかもしれない。「こんな」母じゃなく、どこかに優しい本当のお母さんがいるかもしれない。 そんな夢想に逃げ込む子は珍しくもない。この子にはそれがある意味本当になってしまった。 彼女のこれから先の長い人生において、それがどういう意味を持つのか。 主人公の罪の重さは、愛した男でもその憎い妻でもなく、誰よりもこの娘の今後の人生に対してのものである。 母性に感動?とんでもない。ある意味「母の愛」のいいとこどりである。 | ||||
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まあまあだった。テレビで先に見たので…先に読んでたほうがよかったな | ||||
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