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虚無への供物



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虚無への供物の評価: 3.92/5点 レビュー 110件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.92pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全110件 81~100 5/6ページ
No.30:
(5pt)

「黒死館殺人事件」か「虚無への供物」か……どっちも最高傑作!!

正直、最初読んだときはハズレかと思ったよ。

素人探偵がほっとけばよいのに事件に首をつっこむし、最初から最後まで登場人物の言ってることが突飛だし、久生や藤木田老のキャラが気に入らないし、アリョーシャが主人公のくせに影が薄いし(テレビドラマでは完全に消されたらしい)、
紅司、蒼司、藍司、とテキトーにつけちゃったんだろうなーと思われる名前の人物が出てきて時々ゴッチャになるし、(殺し方、殺され方が)あまりグロくないし、
黒死館と同じくペダントリーではあるけれども、黒死館はある程度纏まったペダントリーであるのに対し、虚無への供物はあちこち飛んでしまうペダントリーで、
最初の 1.サロメの夜 から 終章の 59.壁画の前で まで嫌いなタイプのミステリー(?)だった。
犯人が出てきても、途中から犯人なんかどーでもよくなっていたから、へぇ、そうなの といった感じだった。

しかし……最後の 60.翔び立つ凶鳥 で私は心を奪われた。「虚無への供物」に憑り憑かれてしまった。

「虚無への供物」が日本三大奇書では最後の作品であるからか、他の2作品のネタが入っちゃってます。でも……

「ドグラ・マグラ」では作者(夢野久作)の力不足で結局表現できなかった、ストーリー自体のグロさ
「黒死館殺人事件」には無かった、文章、登場人物の人間らしさ(それも「黒死館殺人事件」を構成する一つの要素と思っていますが)

他の2作品に欠けてた表現が、「虚無への供物」では見事に表現されている!(かなり上から目線になってしまいましたw)

兎に角、途中で詰まらないと思っても我慢して、何度も読むべきです!!

「ドグラ・マグラ」とは違って、「虚無への供物」は2度、3度……と読む度に面白くなる。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
406273995X
No.29:
(4pt)

ストーリーとしては前半のほうが上で、メッセージは後半が上です

東野圭吾氏を始めとする今風(1990年代〜2012年現在)の推理小説、クリスティーを始めとする欧米の黄金期のミステリに慣れている読者には取っ付きにくい本だと思います。しかし、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」などの戦前の「探偵小説」ものを知っている人や、1950年代の社会状況に詳しい人には楽しめる内容だと思います。上記の「推理小説」の正反対や「アンチ」という意味での「反・推理小説」ではなく、社会批評の比重が大きい、推理という要素を使った小説、ぐらいに考えると入りやすいかと思います。

二冊に別れているので買う時に迷いますが、前後の推理小説、小説というジャンルを語る上でやはり「読んでおきたい」作品かと思います。そういう意味で上下で1,500円という文庫で出ているのは便利だと思いました。
虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)より
4062739968
No.28:
(5pt)

きらめくキャラクターの饗宴

推理小説としての出来栄えもさることながら、
登場人物の魅力が冴えています。

白せきの美貌の蒼司、可愛らしい美少年の藍ちゃん、
白痴めいた美貌のおキミちゃん、
小生意気でお喋りだけどおしゃれな久生、
粋なのかユーモラスなのか分からない藤木田老…。
みずからを『黄色い部屋の謎』の名探偵ルレタビーユにたとえる牟礼田俊夫。
胴間声の関西弁が憎めない八田皓吉。

特に気に入っているエピソードは、
まったく本筋と関係の無いように思える
鴻巣玄次の生い立ちです。

絵描きになりたくて、でも厳しい親のもとでは夢を叶えられなくて…
ついに罪を犯してしまう彼の悲痛な思いが胸に沁みました。

このように、本筋と絡まないところでも、この小説はすみずみまで魅力にあふれています。

ちなみに、わたしはあまりにも久生のファッションの描写が素敵なので
中井英夫さん(塔晶夫さん)は女性ではないかと疑ったくらいです。
本当は男性の方で、久生のファッションについては
女性のお弟子さんからアドバイスを受けていたと聴いて納得しました。
虚無への供物 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物 (講談社文庫)より
4061360043
No.27:
(5pt)

孤高のアンチミステリ?いや傑作ミステリである

何度読んだことだろうか。
最初が三一書房版、講談社現代推理小説大系版、講談社文庫版、そして覆刻版を所有している。
講談社文庫版は、あまり繰り返し読んだために、何度か買い換えたものである。
今までのところ、本作を超えるミステリには出会っていない。
多分、これからも出会うことはないだろう。
孤高の傑作である。
 
本新装版は分冊であるが、できれば全一冊の厚さを堪能してほしい。
そして、その官能的なまでの文章に酔ってほしい。
ストーリーに関しては述べない。
氷沼一家をめぐる事件だとだけ言っておこう。
いくらでも語ることはできるが。中井英夫、いや塔晶夫の悪魔的なまでのストーリーテラーぶりを堪能するのには、百万語を費やしても足りないくらいだ。
そして、本作には都市としての東京の存在が大きい。

著者はアンチミステリとして本書を書いたようだし、一般的にもそのように認識されている。
しかし、第一級品の本格ミステリである。
昭和の息吹が、痛いくらいに感じられる。
「三丁目の夕日」なんかめじゃない。
これこそが、昭和を代表する文学である。

はたして、もう一人の昭和を代表する文学者である三島由紀夫の本作に対する評価は、非常に高い。
実は本作は、三島作品と非常に良く似た雰囲気をもっている。
具体的には指摘しないが、同じ空気を感じるのだ。
それは、まさしく虚無感というものかもしれない。
そう、「春の雪」から始まる豊饒の海四部作は、本作と同じにおいがする。

しかし、けっして読みにくいわけではない。
いや、むしろスラスラ読める。
現代の若者たちでも、抵抗なくスピーディーに読めるであろう。
しかし、そのペダントリィをきちんと理解するためには、ある程度以上の教養が必要なのもまた確かなことであり、そういう意味では読む人を選ぶ作品かもしれない。
このペダントリィは小栗のものとは違い、けっして難解ではない。
もし、この作品に狂気乱舞できる若者がいたら、実に嬉しいかぎりである。
君は一生の宝物を手にしたのだ。

さて、この作品は誰に感情移入して読むかで、かなり評価が分かれるであろう。
できれば「彼」に感情移入して、もう一度読み直してほしい。
本作の評価が多分ガラリと変わるのではないかと思う。
そのとき、目眩く中井ワールドの入り口が見え、ドップリと深みにはまるのである。

何度読んでも、いつも新しい発見がある。
本作こそ、無人島に持って行く一冊にふさわしいものである。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.26:
(4pt)

じわじわ効いてきます。

読み終わった瞬間は、正直なにがすごくてなにが奇書なのか「?」だった。だが、あとからボディブローのようにじわじわ効いてくる。こういう読後感は初めて。たぶん、この先の人生で何度か読み返すことになるであろう本。
虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)より
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No.25:
(5pt)

読者が犯人、の意味がわからない人へ。

時折とりだして、適当なページからぱらぱらと流し読みを始める。気がつくと没頭していて結局全部読んでしまう。そんなこんなでもう十回は読んだだろうか。
ミステリ作家/評論家の笠井潔が『虚無への供物』を「起こらなかった殺人事件」をメインテーマに解題してみせたことがあったが、それはおおむね正しい。
『函の中の失楽』のミステリ作家竹本健治が、後に自作を「ミステロイド」(ミステリのようななにか)と定義づけて連作をものしたのは、実作者としていっそう正しい(下品だったけどネ)。
はりぼての日常を、無意味な風景を、陳腐な痴情を、極彩色の万華鏡に変える手法がここには描かれている。
読者は、万華鏡の無意味な色彩の乱舞に意味を見出そうとする。
でも、厚化粧の下の素顔は、どこにでもある、一度見ただけでは忘れてしまうようなありふれた顔。
それを「虚無」と呼ぶ。
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』も、夢野久作『ドグラ・マグラ』も、そしてこの『虚無への供物』も、描かれているのは「大いなる嘘」だ。ただ、半ば無意識だった前ニ作に対し『虚無』は醒めきった眼で、冷徹に、スタイリッシュに嘘を配置した。『虚無』は読者を誘う。嘘を完璧に構築するための共犯者になれと。
これはミステリじゃない。アンチ・ミステリだって、最初からいってるじゃないか。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.24:
(5pt)

ミステリから遠く離れて

「アンチ・ミステリ」という得体の知れないカテゴリの筆頭格で、『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』に並んでミステリ界の「三大奇書」にも名を連ねる、ノヴェレット・オリエンテッドな作者が塔晶夫の変名で初版を放った畢生の大著。
カスタマーレヴューの賛否の割れ具合を見ても、案の定そうした禍々しい枕詞とそれに喚起される底深い闇はもはやひとかたも残らず払われてしまった感はある。ミステリとしての読みを許容できるのは、「新本格」系の作家、殊に彼らの無機的なパズル性に悪感情を抱かない向きだけだろう。この作品での「アンチ・ミステリ」の形容に関わるラディカリズムは、後続がより構築性・人工性を高めた作品を放ったことで霞んでしまっている、というのが実情だ。実際に先述の「三大奇書」にも『匣の中の失楽』『生ける屍の死』『夏と冬の奏鳴曲』『姑穫鳥の夏』『奇偶』『暗黒館の殺人』など後発のいずれかを加える声も一部であるらしく(伝聞)、実際にそれらは「三大奇書」に対して意識的であるとはいえ、『虚無』を純粋な技法主義で見れば上回っているかもしれない。
しかし誤解を恐れず言うが、本作は「ミステリ」では断じてない。思えばミステリというジャンルはどういうわけか定期的にエポックメイキングな作品を生み出し、またそれによって自壊を迫られながらぎりぎりで踏みとどまるような、存在自体がアクロバティックな均衡の上で成り立っているもの。たとえば『ブラウン神父』にしても既存のミステリへの批評的な側面はあっただろうし、ミステリ要素を措いても一種のファルスか奇妙な味の系統の作品としても読める。それと同様に本作は既存のミステリへの問題提起を(作為か無意識かは問わず)孕みながら、同時に極上の幻想文学であったと言える。ここではミステリ要素は『物語』の部屋の中で非常に目立つ調度品にすぎず、主眼はあくまでもこの透明な眩暈感を催させる構造や、人によっては空々しくどぎつく感じられるような色彩、時間と空間の限定された具象性を備えながら純観念的ともいえるワールドスケープ、そしてそうした仕掛けを可能にした澄明な文体の妙にあったのではないか。しかも幻想文学が幻想を批評するような側面をも持ち合わせていた、そういう意味では後の「メタミステリ」を先駆けていた気もするが、それも強引な後付けにすぎないだろう。
SF的ですらない殺伐と沈滞する現代のアーティフィシャリティへの返答として、また有機的な人工性をたたえた稀有の幻想文学として再読されるべき名作。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
406273995X
No.23:
(5pt)

色褪せない妖しさ

登場人物の会話で成り立っているので、読まずにはいられないし、真剣に読んでいると振り回されてしまう。この手法にはやられました。後書きを読むと、三島由紀夫をモデルにした人物も登場していることがわかります(名前を発音すると母音が一緒)。また美輪明宏を参考にしたのではないかと思われる人物もいます。ゲイバー、シャンソン、ファッション等日本の戦後復興の時代を彷彿をさせるものであふれています。それが作者の色彩描写とマッチして、目の前にありありと想像できます。しかも今読んでも一向に色あせない。また、単なる推理小説というよりも、社会批判もしています。個人の殺人は罪になるのに、政府推奨の毒入り流通米はなぜ罰せられないのかという疑問や、目の前で死んでいるひとを写真にとってマスコミに流すという人間の無神経さなどは、現代の食の偽装問題や秋葉原通り魔事件にも通じています。しかもそれらは特定の人の問題ではなく、私たち一人一人がどこかで関わり、同じことをやりかねないとも作者は言っています。「いまの時代では、とにかく、ぼくたちは何かに変わりつつあるのかも知れないね。人間じゃない何者かに。一部分ずつ犯罪者の要素を持った生物というか・・・。」というセリフはそういう意味でとてもリアルです。人間は過去から学ばねばならないのにいつまでも同じ過ちを繰り返している愚かさを感じました。そしてこの小説のどこか妖しい美しさに惑わされてがんじがらめになっている自分も・・・。
虚無への供物 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物 (講談社文庫)より
4061360043
No.22:
(5pt)

「虚無」の正体

最初は推理小説として読み始めるが、最後に残る読後感は何とも言えない徒労感と結局はこの話を何も理解できなかった虚無感だ。読後の強烈な虚無感を読者に提供するための小説だとすれば、まさに「虚無への供物」である。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.21:
(1pt)

アンチ・ミステリーの代表作

氷沼家で起きた連続殺人を、友人たち関係者がああでもない、こうでもないと様々な推理合戦を行う、いわゆるアンチ・ミステリーの代表作。
兄弟たちの名前が蒼司・紅司・藍司で、突然、誰もそんなことを言ってないのに黄司がいるはずだとか言い出したりとか、とにかく話の展開が行き当たりばったりでデタラメなのと(兄弟たちの名前からしてデタラメだ)、700ページ近いこの長さ!
デタラメでつまらなくて長いとくれば、もう最悪。読むのに費やした無駄すぎる時間を返してくれと言いたい。
そもそも本書を読んだきっかけは、有栖川有栖の「月光ゲーム」の中で江神二郎が面白いと言ってたのを読んで、それならと思って読んだのだが、すっかり騙されてしまったよ。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.20:
(3pt)

三大奇書……

あまり面白くないです。
一番面白いのは、数人の自称探偵が推理比べをするあたりまで。
「人の心」というブラックボックスを使って、あまり納得いかないストーリーを展開した作品だと思いました。
重要に思えたモチーフがあまり生かされず、「人の心」の方へ逃げてしまう。
ミステリのお約束を外した意味で「反推理小説」だとしたら、面白さを求めるのは筋違いなのかもしれません。
純文学にとってのボルヘスのようなものか。
ミステリを五百冊も読んで、あらゆるパターンが頭に入ったマニア向けかも。
「読者自身が犯人」という煽りほどの感動はないと思います。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
406273995X
No.19:
(3pt)

うーむ・・・

恥ずかしながらこの作品の存在を最近まで知らず、
 なにぃいいい、「黒死荘」、「ドグマグ」と並ぶ三大奇書・・・・?!
とばかりに慌てて読み出しましたが・・・ストーリーとキャラ設定は面白くって満足しましたがトリックはこんなもんかぁ、という感じでしたね。アンチ・ミステリだそうなので、そもそもトリック云々を議論する方が間違っているのでしょうか?? だとすると他の2作程の規格外的な凄みは感じなかったなぁ。しかし、これだけ評判とっているのだから、私が汲み取りきれていないのかも。もう一回読み直してみます。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.18:
(5pt)

無人島に持っていく一冊として殿堂入り決定!(私はね)

私が持っているのは前の版のですけどね。頭が青い薔薇の人がギターかなにかを弾いているという妖しいヤツ。
あの表紙好きだったんだけどなぁ。。
読んだのは大学一年のときですから今から10年ちょっと前くらいですけど。
最初のゲイバーのところから、すごい引き込まれて、徹夜で一気読みしたのも懐かしい思い出です。
何回読んでも色々な解釈ができるのがこの作品の良いトコロだと思います。時代の空気も楽しいし。
ただこの作品、読む人によって相当反応が違うのもたしか、私も当時「この本凄いよ!」って言って本好きの親友に貸して「どこが良いのか全然わかんない」って言われて大論争したものです。
最後のカーテン描写が冒頭のシーンと繋がってきて、幕がおりた劇場のような気分にさせられるところとか、私はなんか泣きそうだったんですけどね。(あああ、すごく練り上げられた作品だったんだなぁ…って思って)
作者は、いつか「虚無への供物」以上の作品を書く、書く、といって、結局果たせず亡くなられた、と何かで読んだ記憶があります。(私はこの本を一冊残すだけでも、作家としてすごい功績だと思います。)
書いた本人からして重荷にすら感じる作品…それが本作なのでしょうね。
「虚無への供物」は様々な分野に該博な知識を持つ作者が、構想、執筆に10何年もかけ、練りに練った大作です。
ようするに、読む方も覚悟がいるのでしょうね。私もたまに読み返してみて、いつも新しい発見がありますし、未だに良くわからない部分もあります。
そういう意味ではパッと読んで、わかったり、楽しいという本ではないですけど、読んでみて欲しいな〜と思います。
…で、前述の親友が最近の理不尽な某事件について話していた時に、ぽつりと「…まさに虚無への供物だね。」っと呟き、さらに「そうか、そういうことか。。」と言い。「あの本、今度また貸して」と言いました。
…そういう本です。。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.17:
(5pt)

洞爺丸と羊諦丸

本作が日本を代表するアンチ・ミステリである事は論を待たない。作者は何故、本書を書いたのか、そして通常のミステリではなく何故"アンチ"の形式にしたのか。
本書が洞爺丸の海難事故を契機に書かれたことは有名である。死者、1155名。未曾有の海難事故である。この事故で生き残った人々の一部の人を題材にして水上勉氏の「飢餓海峡」が書かれている。この事故(私の生まれる2年前)が当時の人々に大きな衝撃を与えたことが分かる。しかし、その衝撃と「虚無への供物」がどう関係するのか ? 函館から出航した洞爺丸の対岸、青森では実は羊諦丸という船が"危険を察知して"出航を見合わせていた。「洞爺丸」と「羊諦丸」。本作に頻繁に現れる2面性を象徴するのが、この2つの船ではないかと思っている。
本作では色に関する数々の趣向、幾多の推理合戦等、盛り沢山の要素が積み込まれている。しかし、それもやがては"水泡"に帰してしまうのである。また、冒頭からでも途中からでも、通常の本格物として書ける筈の内容も水泡に帰してしまうのである。最後まで読んで、真犯人(途中で明らかになっている)に辿りついても徒労感を感じるだけである。全ては「虚無への供物」という訳だ。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.16:
(4pt)

罪な書 その1

面白いです。冒頭からいきなりゲイバーで始まるし、「五色不動」、「聖不動教」、「アイヌ」に「不思議の国のアリス」にポーの「赤き死の仮面」、薔薇などの植物の色、誕生石、シャンソンの歌詞。色に彩どられた登場人物と事象が見事に絡み合っている。よくもここまで色々な事を絡め合わせた物だと思うが、色を中心に考えれば難しくはない。作者はこの作品をアンチミステリーと公言している。後半途中の「黄司」の件で作品を純粋な娯楽ミステリーにしてしまう事も可能だったし、作中で語られる、素人探偵たちの様々な憶測のどれかをメインにして完成させる事も出来たのだが、あえて作者はアンチミステリーにした。当時の戦後の混迷期の様々な不安、頻発する異常な事故、事件、それらの作者の生きた当時の体験と不安から、作者はミステリー小説など今の時代には存在してはいけない。と結論した様だ。よってこれは非常にタイムリーな小説である。当時の作者の判断は正しかった、もしくは正しくなかったかもしれないが、いつの世でもこの作者が到達した考えの終着点が通用する物でもない。時代は移り変わる。この書が書かれた時代に読んでこそ意味がある。時間が経過した現在これを理解して読むには、当時の社会状況と人々の精神を勉強、想像して読むしかない。この書が推理小説のバイブルみたいに扱われ、何度も読み返す気持ちは分かる。当時の事を計り知れない読者はその時々の常識の感覚で読むため、常に新しい発見があり凄い書だと思い、陶酔するのだろう。なにもこの本に限らず、全ての過去に書かれた書は書かれた時代背景と社会構造、人々の精神、それらを含めて勉強して読む必要がある。タイムリーに読めた人にはそんな事は必要ではない。文学という物は未来の住人にはまさにパラレルワールドに迷いかねない危険性に満ちている。(下巻に続く)
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
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No.15:
(3pt)

妖しの探偵小説

1954年、洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司・紅司とその従弟の藍司。悲しみにくれる間もなくその年の暮れに、さらに紅司が自宅で入浴中に死体となって発見される。風呂場は完全な密室で誰かが侵入した形跡はないが、果たして彼の死は本当に自然死なのか。

 蒼司の友人である俊夫、その許婚の久生、そして友人の亜利夫ら素人探偵は、この密室事件を殺人と断定して真相を推理していく。しかし犯人にたどり着く前に第二、第三の事件が発生していく…。

 上下巻で800頁超もある大作ですが、文章は平易でぐいぐいと引っ張られるように読んでしまいました。1964年に書かれたこの作品は、最近の社会派推理小説のような骨太な正統派ミステリーというよりも、一時代前の乱歩や正史といった作家が築きあげた妖美な怪異譚という趣の物語です。下巻399頁にヘッセの「デーミアン」の名が引かれていますが、まさにあの小説のように、「あやかし」と形容するが相応しいほど浮世離れした淫靡な美しさを見ます。

 私はさほどミステリーに詳しくはありませんが、こうした懐かしき時代に属する探偵推理物語は必ずしも多くの読者を現代に獲得することができないのではないでしょうか。熱烈なるファンを得たカルト的要素を含む小説であると同時に、最近のミステリーファンを寄せつけないところが多分にあります。

 ですから裏表紙にある「推理小説史上の大傑作」という謳い文句は誤解を与えると思います。むしろ怪奇趣味に溢れた、奇妙な浮遊感をずっと味わいながら読む作品といったほうがふさわしいのではないでしょうか。

 軽い目まいを覚えながら頁を閉じた一冊です。
虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)より
4062739968
No.14:
(2pt)

長い、本当に長かった

文庫での新装版として評価が高かったので読んだ。アイヌの呪い、呪われた一族、昭和30年代のゲイバー、すさんだ世相、素人探偵の推理、等導入部では非常におどろおどろしい魅力があった。しかし、読んでも読んでも密室殺人の推理等話が進まず、そのうち、読者としては誰が犯人でどんな動機だったかなど、どうでもよくなってしまった。読み終わってみると無駄な時間を費やした感が強く残った。
虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)より
406273995X
No.13:
(5pt)

“虚無”の面白さ

 摩訶不思議な殺人事件の連続と“探偵たち”の広範な推理が、最後の最後まで耽々と楽しめる二冊。
 また個人的には推理小説というよりも題名にある“虚無”の意味を頭に置きながら作品を読んでいくことで世界観や作品の味わいが深まり一層面白くなった。
 俗に探偵小説の<三大奇書>の一つに数えられる本書は、その他の『ドグラマグラ』(夢野久作・角川文庫)『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎・ハヤカワポケットミステリー)を読んだ後でも、読み応え十分なものであったと思う。
 
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No.12:
(5pt)

ハマりました…

私はこれを読んで、「中井英夫」にハマりました。探偵小説であって、探偵小説にあらず。推理小説であって、推理小説にあらず。上下巻の分厚さは、まるで感じません。文章も平易だし、登場人物もそれぞれ性格がしっかり描かれているので、この類の読み物にありがちな、「この人、誰だっけ?」と読み返すこともありません。「虚無への供物」…大仰なタイトルに躊躇していたあなた!騙されたと思って、是非読んでみて下さい。
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4062739968
No.11:
(5pt)

意味という病に囚われて

アンチミステリーと評される本作は、いかなる意味で「アンチ」なのだろうか?それは「探偵」という存在の「不可能性」と「不可避性」を暴ききったという意味で「アンチ」なのだと私は考える。最後に明かされる真犯人の動機が、純文学的すぎる、リアリティがなさすぎると感じる人は、もう一度最初から本書を読み直してみるといい。ザ・ヒヌマ・マーダー・ケースの前後に起きた、現実の悲劇的な事件に対する、陰鬱で執拗な列挙は、作者の超越者の視点からの描写ではなく、犯人の心象風景であったことを再確認できるはずである。この犯人は「意味という病に囚われた」人間ではない、なぜなら「意味という病に囚われた」存在こそが「人間」なのだから。アームチェアーズ・ディテクティブが殺人事件の推理を楽しげに戦わせる時、彼らは人命をおもちゃにする腐ったディレッタントなのかもしれないが、同時に現実に生起する残忍な事件を理解可能なものへと変換するために、認識の枠組みを酷使する、存在の不安におびえる存在なのである。本書で明らかにされるのは、犯人と探偵、犯行と謎解きが実は同じ「意味という病に囚われている」ことをはじめて明らかにした記念碑的な作品である。「そりゃ昔の小説の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神のごとき名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起こる前に関係者の状況と心理とをききあつめて、放っておけばこれこれの殺人が行われるはずだったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み・・・」奈々村久生PS:どうでもいいことだが奈々村久生のキャラ、エヴァのアスカ・ラングレーそっくりで驚いた。似てるだけだと思うけど、頭に浮かんでしょうがなかったw
虚無への供物 (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:虚無への供物 (講談社文庫)より
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