悪魔の手毬唄
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点6.80pt |
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
| ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
犬神家や悪魔が来りて〜で味わえた“毒と華”のある鮮烈さを期待して読んだのですが、ちょっと違いました。封建的で閉鎖的な山村で起こる猟奇的な連続殺人というシチュエーションは好みでしたが、どこか牧歌的な感じが漂っているような…。登場人物は多いのですが、癖のあるキャラクターがおらず、好人物ばかりなのが原因でしょう。しかしながら、あいにく『獄門島』の方を読んでいないので何とも言えませんが、敢えてドロドロした動機を軽めのタッチで料理する狙いがあったのかもしれません。それでも、20年前の事件から現在の事件までの金田一耕助の見事な推理は素晴らしい。憶測とは言いながらも論理的かつ合理的で、スカッとした読後でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
獄門島、八つ墓村、犬神家の金田一シリーズ御三家(勝手に私がそう呼んでいるだけ)に次ぐ評価と知名度を得ている作品ですが、個人的にはやっぱその三作には劣るな、という感想でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昭和の田舎風景が印象的でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔の映画もこないだやったドラマも共に良かったですが、やはり原作が一番!緻密な論理と不気味な手毬唄殺人に酔いしれます! | ||||
| ||||
|
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
40年ぶり以上の再読。 久しぶりに読む昭和ミステリーは、懐かしい物語の背景がグッと迫ってくる。 家と家の対立、地方の因習、外には出せぬ欲情と怨念。 あ~あ~、そうそう、これぞ昭和の本格派推理小説と思い読み進めると、 そこに、金田一探偵と磯川警部の登場で、私的には大満足。 物語の舞台設定を楽しむという読み方で、味わえば秀作と思うが、殺害後 わざわざこんな手間を掛けて、死体に細工する矛盾と不思議さを感じてしまう。 また、犯人の犯行動機が弱い気がする。ここまでの犯行をするのであれば、 もっと強い怒りになる火種がなければ納得できない。 何故なら、殺された娘たち自身には、全く罪がないのだから。。。。 追記)Amazon Videoで、石坂浩二主演の「悪魔の手毬唄」東宝1977年を 鑑賞。重厚な演出と大物俳優の熱演に感銘し、大満足。 原作にかなり忠実な構成でドラマは作られている。青地リカ役の岸恵子女史の 美しさは最高。でも、鬼首村の住人にしては都会的過ぎるなあ~ 市川崑監督の金田一シリーズ映画で、一番の出来だと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
鬼首(おにこべ)村の手毬唄連続殺人事件の犯人は誰か?という謎もさることながら、犯人がなぜ事件を起こしたか?という動機にやられました。なんや、やりきれない気持ちになりましたわ。 情景として凄くいんぱくとのあった場面が、ひとつ。昭和三十年八月十日の逢魔(おうま)が時、仙人峠で金田一耕助が、ひとりの老婆とすれ違うシーン。深く頭(こうべ)を垂れた老婆が、もぐもぐとこんな言葉をつぶやきます。 《「ごめんくださりませ。おりんでござりやす。お庄屋さんのところへもどってまいりました。なにぶんかわいがってやってつかあさい」》私が読んだ角川文庫本では p.62 この場面がなあ、ぞくぞくする怖さがあって忘れられんのですよ。横溝正史の金田一ものでも屈指の名場面や思います。 作品全編にわたって、登場人物たちがしゃべる岡山弁(でいいのか?)の言葉遣いも印象に残ります。地方の山村で起きた殺人事件、その土俗的、閉鎖的な雰囲気を醸し出すうえで効果的に働いているなあと感じました。 あと、私が読んだ角川文庫本の表紙カバーには、着物姿の人形が手毬(てまり)を持っている絵が描かれていて、これが風情があっていいんですね。やっぱ、杉本一文氏のイラスト、横溝正史作品の雰囲気としっくり来るわあて、改めてそう思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
横溝正史の金田一耕助ファンで表紙カバーは、これでないと | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何作か読ませてもらっていますが、この話が特に好き。 手鞠唄を使った殺人事件。 実写との結末は違っていましたが、これはこれで面白い。 内容を知っていてもまた読みたくなる作品です。 ただ、言い回しや方言が読みにくい部分があり、読むのに時間がかかるのが難点。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
<ネタバレ注意> まず納得とともに再確認したのは、本作の同時期に書かれた他作品(短篇だけでなく、長篇も含めて)とは、完成度がまったく違うということ。 これはたまたま本書の出来が良かったのではなく、プロットへの気合や取組自体の気構えからして、全然別のモチベーションで管理されていた筈だ。(『悪魔の寵児』の感想を参照) クリスティなど一部の例外は、例え地味な殺人ひとつでも長篇を引っ張ることも可能だが、一般的には――特に雑誌や新聞へ連載する作品では――読者の興味を持続させる為にも、定期的に殺人をブッコんで連続殺人にし勝ちである。本作も過去を合せれば都合5人の男女が殺されるわけだが、興味を繋ぐためにここら辺で一人殺しとこwなどという安易なものはなく、明らかに書き始める前のプロット構築の時点で、綿密に設計されていたはずだ。【注1】 また戦前から著者が得意だった草双紙的な雰囲気には、都会よりも地方がよく似合っているというのがわたしの意見だが、同じ岡山ものでも、短篇に較べて長篇の本作は方言の記述が顕著な気がする。これは頁数の多さとも連動して、キャラそれぞれの造形の深みや田舎の人間関係の空気感も醸成していて、なんとも魅力が増しているように感じた。 ちなみに、鬼首村は幾つかの集落(字と云えばよいか)から構成されるが、そのひとつである桜集落は、そのまま著者が疎開していた集落の名称である。【注2】 このあたりは、あるいは近現代への興味の有無で感想も随分異なるかもしれないが、500頁近い分量にもまったく冗長さを感じなかった。 もちろん欠点はある。 金田一耕助がまま云われる防御率の低さ問題に関して、最後の解説の時点で、第一の殺人発覚時に彼が犯人を容疑者候補に揚げたことを明言しちゃっているので、確証はもちろんなかったにせよ、もう少し打てるなにかがなかったのかとつい考えてしまうし、おりんの初登場シーンは、そのイメージが鮮烈なだけに、それを演出するための犯人の努力&リスクが釣り合うものか疑問である。手毬唄モチーフの装飾を演出する理由だって一応説明されるものの、若干弱い気がするし、なにより犯人がある手紙を宛先人物に先んじて入手したというのも、一度ならともかく、二度となるとかなりキビシイ。 しかしそれらを引き算しても、戦後初期に抱いていて、その後消えつつあった?「探偵小説の鬼の血」を再度燃やすことに成功し、さらに文章の円熟味をも加えた著者最高峰の作品と云ってよいのではないだろうか。 【注1】おりんの死を早めたのは、放庵の返事がこなかったことへの落胆だから、犯人は彼女を含めて6人を殺したも同じだ。 【注2】その疎開生活の思い出を綴った「楽しかりし桜の日々」は『金田一耕助のモノローグ』という題名で電子書籍化されており、いつでも読める。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 68件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|