悪霊島
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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物語の時系列、ナンバリング上は『病院坂の首括りの木』が金田一耕助最後の事件とされていますが、実際に執筆、発表がされたのはこの作品が金田一耕助シリーズ最後の作品にして、横溝作品の長編としても最後となる、実質的な”遺作”とも言える作品です。 | ||||
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「獄門島」を思い出しながら読みました。横溝正史はこのようなシチュエーションだと面白いですね。映画も観ましたがこれもなかなか良かったです。 | ||||
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(上)横溝正史の遺作!双子の娘、幻想的雰囲気、因習と大横溝の魅力満載。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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<ネタバレ注意> 『病院坂の首縊りの家』終了から9ケ月後、同じく『野生時代』で連載が始まった著者最後の作品。 同作の連載第一回が掲載される前にセッティングされた小林信彦との対談の時点で、次なる作品は『悪霊島』だと語っていて、冒頭のテープレコーダーの件なんかは、すでに構想されていた。 該作品で等々力警部が近況まで言及された【注1】ように、岡山シリーズの掉尾となる本作では、磯川警部の周辺について深堀りされた。この後予定されながら書かれなかった二作の片方は、等々力警部と磯川警部が共演する予定だったというが、本作でもしっかり+αされていたのがステキだ。【注2】 『悪魔の手毬唄』の最後は、磯川警部の心情を慮った金田一耕助の台詞で結ばれていたが、本作で、彼の心情にさらに重みが加わることになった。「いまや磯川警部は完全にズッコケていた」(P.138)なんて一文とはとても結びつかないw ただし、本作で追加された磯川警部周りの設定は、『湖泥』【注3】の記述と矛盾してしまうのだが……。 深堀りされたのは磯川警部だけではない。 金田一耕助が自己顕示欲とは無縁の控えめな性格であることは、シリーズを通じて何度も紹介されてきたが、本作で「相手の強引な勧誘を、断りきれない自分の気の弱さが歯がゆかった」(上P.237)、「その悪癖の出たおのれに対しての自己嫌悪に、背中を丸め~」(上P.238)なんて心情描写までは初めてだと思う。 ほかにも人間味あふれる描写として、「金田一耕助の心理はいま、懶惰の快感を希求する欲望と、自己に課せられた任務を、出来るだけ完全に遂行したいという責任感との板挟みになって、振り子のように揺れ」(下P.109)なんてのもあった。 こういった人間味は、後の新本格ブームで登場した探偵たちの多くに、煎じて飲ませてやりたいw 本作は同じ瀬戸内海に浮かんだ島が舞台ということで、当然ながら、獄門島との関連が思い浮かぶ。 『獄門島』と云えば、耕助との関係で鬼頭早苗が浮かぶものの、著者は彼女のその後を考えるのが面倒だったのかw、耕助の脳裡に一瞬浮かぶキリ【注4】ではあるが、物語構造的には、『獄門島』よりも『八つ墓村』に近い冒険活劇浪漫である。クライマックスにおけるある人物の装束は、田治見要蔵を思いださせるしw また『八つ墓村』以上に、犯人を隠そうとする意図はあまり感じられず、下巻の中盤までくるとほとんど明白になっている。トリックらしいトリックも見当たらない【注5】ので、そちらの原理主義者の観点に立って読めば、本作もひどく物足りない筈だ。 もしかしたらそんな理由から、以前読んだにも関わらずわたしの記憶には残らなかった可能性もないとは言えないw ちなみに、磯川警部の追加設定、土佐犬阿修羅、冒頭のシャム双生児関係の設定は映画ではばっさりカットされている。 読者の中には、またまた洞窟探検かと辟易したり失笑した読者もいただろう。 鍾乳洞ではなく、過去の地震によってできた断層の隙間ではあるが、冒険の舞台としての地下迷宮という機能は変わらない。 しかしこれは「引き出しのなさ」とは違うと感じた。 今回金田一耕助は静養メインで、+αとして人探しを頼まれたという設定だが、それを依頼したのは、アメリカ帰りの富豪越智竜平である。さすがにわたしも「おいおい『蜃気楼島の情熱』と同じパターンじゃねーか」とまずは思ってしまったのだが、越智は向こうで『蜃気楼島の情熱』の志賀泰三から耕助を紹介されたとわざわざ明示されていた。 そもそも志賀泰三の設定が、耕助の最初のパトロンである久保銀蔵に類似しているわけだが、そんな設定の使いまわしを隠すことなく、むしろ前に出して目立たせている。これは岡山ものの集大成を狙ったということではないか。 神楽太夫や神の矢なんてガジェットからも、著者の戦後初期の作品を連想することは容易い。 牽強付会を承知で加えるならば、本作のキーパーソン三津木五郎が、由利麟太郎シリーズの三津木俊助(あるいはそのオマージュ元であろう三津木春影)と、著者の次兄の五郎から名づけられてるのも、集大成を狙ったことと同様の感慨から生じたものと云えるのではないだろうか。【注6】 そうなると、「由紀子」が登場していないのはおかしいようにも思うが、やたらに登場機会の多かった「由紀子」は、著者がコントロールしてのものではなかったのだろう。だからそのことに本人が気づいたならば、むしろ避けたというのが自然という解釈はいかがかw というわけで、今回シリーズの集大成として読んだわたしはとても面白かったし、執筆後著者も満足していたらしい。しかし豊かなドラマの影で、少しだけ不満なこともあった。 捜査側の心情描写に比較して、犯人側の心情はほとんど描かれない。 コントラストをつけるのに有効だとはわかっちゃいるのだが……。 巴御寮人は、かなり行っちゃってる人だが、普段の人付き合いに特に異常性は見受けられなかった。 定期的なアレ、及び吉太郎との関係で精神の安定を図っていた上で、夫の守衛と越智竜平の裏取引を知って、最後のタガが外れたのだろうが、はたして長年一つ屋根の下で暮らしてきた家族にまで異常性を悟られずにおれるものか? まぁ巴の異常性の昂進と夫の守衛の愛人二人構成はどちらが先かわからない――というか、負のスパイラル効果と考えるべきだろう――し、片帆は三年間の高校生活の間に、玉島の御寮人から様々な毒を吹き込まれたうえに、自分でも母からなにがしかの異常性を感じていたからこその行動と悲劇でもあるだろう。 しかし「あんたはほんとにええ性格やわなあ。あることをあるがままに受け取って、現状に満足しておいでんさる」(上P.230)という故に母の異常に気づいていなかった真帆が、負ってしまった心のどデカい傷のケアは? 父と双子の妹が狂った母に殺害され、しかも地下迷宮であの作品群を見てしまった真帆は、地下迷宮の中で一旦気を失った後、「極度の恐怖とショックが彼女から正常の意識を奪ってしまっていた~彼女の双眸からはもう生の輝きは失われていた」(下P.270)となって退場する。 彼女がその後回復したのか、完全に壊れきってしまったのか、杳として知れない。 個人的には、巴御寮人の生死よりもよほど気になる……。 『毒の矢』【注7】ではボンちゃんの行く末を心配した金田一耕助も、まぁ公平にみてそれどころでない磯川警部wにも、島でのビジネスを進める越智竜平にも、刑部真帆の精神を慮る描写はない。 個人的には、そこが残念なところか。 | ||||
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複雑な事件の背景を描写するのに必要ではあるんでしょうけど、数は多いが魅力のない登場人物や舞台となる土地の説明などが冗長で、退屈だなと思うところが多かった。 これといって気の利いたトリックがあるわけでもないし、横溝作品に慣れていれば犯人の目星がすぐついてしまう。おどろおどろしい横溝世界を楽しむだけの雰囲気ミステリー。 | ||||
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横溝作品としては登場人物が多くなく、その血縁姻戚関係も複雑過ぎもしないので、読み易い小説だ。ただし、雑誌(角川書店『野性時代』)に長期連載されたものであり、冗長さは否めない。「横溝先生。引っ張り過ぎですよ」と言いたくなる(笑)。 感慨をもう1つ。事件は昭和42年に設定されており、金田一耕助も磯川警部も50才がらみの年齢になっている。磯川の驚くべきプライバシーの秘密も出てくる。「時が経ったんだなぁ」と思った。 さらにもう1つ。昭和56年(1981年)の角川映画化作品は原作に大幅な改変が加えられていたことが分かった。岩下志麻(巴御寮人)や佐分利信(刑部大膳)のキャラクターへの配慮か或いはライター(清水邦夫)の思いか。とにかく、ビートルズの”Let it be”とマッチするような原作ではないと思った。 閑話休題。探偵小説の巨匠。その最晩年の長編力作です。薦めます。 | ||||
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横溝作品としては登場人物が多くなく、その血縁姻戚関係も複雑過ぎもしないので、読み易い小説だ。ただし、雑誌(角川書店『野性時代』)に長期連載されたものであり、冗長さは否めない。「横溝先生。引っ張り過ぎですよ」と言いたくなる(笑)。 感慨をもう1つ。事件は昭和42年に設定されており、金田一耕助も磯川警部も50才がらみの年齢になっている。磯川の驚くべきプライバシーの秘密も出てくる。「時が経ったんだなぁ」と思った。 さらにもう1つ。昭和56年(1981年)の角川映画化作品は原作に大幅な改変が加えられていたことが分かった。岩下志麻(巴御寮人)や佐分利信(刑部大膳)のキャラクターへの配慮か或いはライター(清水邦夫)の思いか。とにかく、ビートルズの”Let it be”とマッチするような原作ではないと思った。 閑話休題。探偵小説の巨匠。その最晩年の長編力作です。薦めます。 | ||||
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商品を早くに受け取ったのに、今頃に申し訳ありません。 多少のヤケはありましたが、読む分には支障無しです! ありがとうございました。 | ||||
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