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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 941~960 48/50ページ
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誰もがいろいろな形で楽しめるエンターテイメントでありながら、その奥底にあるに村上春樹の思いは”自己内省力、自己批判力のない浅はかな人々に対する批判”です。それは箇所箇所で読むことができます。 小説の中で何度と繰り返される文章に、 ”説明されなければ分からないということは、つまりそれは説明してもわからない” というくだりがあります。 この文章は一読、「物語は自由に解釈してもいいのだ(この小説もね)」「言葉で伝えることのできることは限られているんだよ」「もっと感覚を解放して生きよう」などと読み取ることができます。 しかし、これはおそらく公、一般大衆に対する、村上春樹としての最大限の皮肉であり批判であり軽蔑であると想われます。しかしそれらの感情の伝達が直接的であることは、いつの時代でも許されません。そうすることは数多くのターゲットからのパッシングを受け、最悪飯の食いはぐれになります。伝えたいのに伝えられない感情は塵のように少しずつ積もっていきます。そして今回、素敵なホウキとチリトリを用意して事を成すのです。。 そしてついに今まで溜まりに溜まった心のお掃除がはじまります。伝達可能性の限界に挑みます。 そして、なんとも洗練された文章と卓抜な比喩力によって、『言葉にして言葉でないところに訴えかける』ことに成功するのです。。物語という言い訳を施しながら。 そこで語れるのは、彼の世界観(生きる為に非常に大事で少数の人間が持ちうる、と彼が考えている)の肯定の物語です。それも核なる部分はわかる人だけがわかってくれればいいという風で、選民的であります。 この選民性を物語の奥深くの織り込む。 そして、読者の多くにその選民的優越感を感じさせる(村上の嫌悪はそのような人達に向けられているというのに)。。 その技術と圧倒的な才能。 ただ感服です。 | ||||
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言葉を付け加えれば、 小説(=フィクション)というのは、「作者と読者の間の暗黙の了解の上に作られた、極めて手の込んだ虚構」である。 作者はそれを無論のこと「嘘」とわかって書き、受取り手たる読者もまた、それを「嘘」と理解した上で、楽しむ。 私は、村上春樹という作家は、この構造に対して、終始自覚的に取り組んできた作家であると思う。 (何しろデビュー作『風の歌を聴け』は、私小説という形をまとった、完全なフィクションである) 彼は作中に、現実と全く対極にある「絶対に起こりえなさそうな事件」を頻繁に登場させる。 それはときとして、ファンタジー小説や、SF小説の設定などをも凌駕するほどの「非現実」っぷりである。 が、それと同時に、多数の(実在する)固有名詞や、それを使った隠喩もたっぷりと散りばめる。 これにより彼の作品は、思弁的要素と、一見相反するポップさとを併せ持つことになる。 彼の多くの作品のテーマは難解であり、展開は非現実的である。 にもかかわらず、強力な牽引力を持って、およそファンタジーともSFとも無縁な読者まで、最終ページまで導いてしまうのだ。 ラストまでに、読者の内的現実は、少なからず揺さぶられることになる。 そしてスリリングな読書体験として、読者の中に残る。 今回の作品でも、村上春樹のその手腕は、いかんなく発揮されている。 物語の構造は、これまでを凌ぐほどに「ぶっ飛んで」いて、それと同時に、不気味なほど、読み手に迫る説得力を持っている。 作者の手法は、より研ぎ澄まされている。そこに退嬰はなく、あるのは深化である。 『1Q84』は、極上の「嘘(=小説)」である。 村上春樹ファンにも、そうでない方にも、自信を持ってお勧めしたい。 | ||||
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村上氏の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」と作品の構成は似ている。 本書「1Q84」では青豆と天吾の物語がパラレルに進行していく。一見全く別の物語であり、主人公通しつながりがあるとは思えないのだが、章を追うごとに、その2つの世界がつながりだしていく。非常に巧妙であり、飽きさせない。 やがて2つの世界が一つになり、どのような終焉を迎えるのか期待が高まる。 | ||||
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村上春樹の従来の長編小説の特徴は、〈僕〉という限定された視点を語り手に据えた一人称小説でありながらも、その驚異的な売り上げを誇る各々の作品からも明らかであるように、本来の個人的な物語の枠を超越した高い普遍性を獲得していることにある。 その要因は、小説内に存在する村上春樹独特の自閉システムにあるだろう。 〈僕〉とはつまり、社会から逃避・隔絶された、ブラックボックス内の極めて自我の希薄な、ただの〈スタイル〉として存在するだけの僕であるがゆえに、誰にでも変換可能な不特定多数の〈僕〉でありえたわけである。 しかし、海辺のカフカで社会とのアッタッチメントを宣言して自閉の殻を破ってしまった今、必然的にその普遍性は失われてしまったと言わざるを得ない。 苦労して確立した三人称スタイルもそれを補うことはできず、1Q84は極めて個人的な、私たちには興味の持てない小説になってしまった。 例えば、オウム事件の当事者の体験談ならば素直に興味を持つことはできる。だがその体験談を通して部外者が感じたこと、決意したこと、つまりは「体験談の体験談」にまで興味を持つことは本来難しいのではないか? では一体この普通でない本の売れ行きは何なのか? 幼いころにたった一度手を握っただけの記憶を糧にした強い愛情。 むしろ、ここにこそ不自然で胡乱な、宗教的なものを感じるのは私だけか? 冒頭の「私を信じてくれさえすれば物語は真実になる」という文章の引用。 この「私」とは正に村上春樹を指すのではないだろうか? もうすでに、村上春樹であるというその事実だけで、普遍性を獲得してしまうところにまで来ているのでは? 狂信的に崇められる教祖とは、本当にカルト集団の指導者なのか?それとも村上春樹本人であるのか?それすらもがあやふやになり〈僕〉は拠り所をなくしてしまう。 | ||||
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今年還暦を迎えた村上春樹7年ぶりの長編小説は、 いつものウィットに富んだ言葉の味わい、ストーリーの緻密さ、 サスペンスフルな展開、アレゴリーやシュールな世界観に乏しく、 文中にある、17歳の少女ふかえり作『空気さなぎ』に対する 文芸評論家の書評を借りて本作を表現すれば、 『不確かな筆力、鈍い感性、枯れた想像力。その作品は 新しい文学のスタイルの可能性を否定しているのかもしれない。』と 評したいくらいの駄作で、期待しすぎた分だけ、 失望の度合いは大きかった。 年を取ると話が長くなるというが、550ページかけて、 やっと話が動き出すんだから、 第1巻を読んでいる間、 箱を空けたら何処までも箱が入っているみたいな もどかしさで、終始苛苛し通しだった。 結局、第1巻が起承転結の起で、第2巻が承になり、 To be continuedで、第3巻、第4巻(または第3巻のみ?)を 待たなければならないのだけれど、続きを読みたいという意欲は 失せてしまった。(第1巻50点 第2巻70点) | ||||
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村上ワールドが堪能できる作品です 作品中にこんな文章があります 説明しないと理解できないことは説明しても理解できない 村上春樹氏のメッセージでしょうか 読者がそれぞれ自由に説明抜きで理解してください 感じてください | ||||
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超一流の職人が精魂こめて仕上げた工芸品に触れている、みたいな緊張感を感じました。 ほっとしたり笑ったりする場面があまりない作品である、ということも理由のひとつかもしれません。 始めはリアリズムの小説なのかな?と思いましたが、読み進めるうち「おおー違った違った」となりました。 当たり前の視点を離れて特別な角度から世界をのぞかせてもらえるのは嬉しいことです。 意外なことに、読後は以前の作品よりメッセージがわかりやすいと感じました。 できるだけ長く楽しめるようにゆっくりゆっくり読んだけれど、3日でとうとう読了。残りページが少なくなるのが悲しかったです。 あらすじを追ってハイ終わり、という本ではまったくないです。密度がすごいし。 精神的、時間的に余裕があるときの読書をお薦めします。 | ||||
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長編はすべて、短編、翻訳本もほとんど読んだ村上ファンです。その前提で、今回は物足りないとおもいました。 比較するのはナンセンスとおもいつつ、無意識にねじ巻き鳥と比較していました。 魅力的なキャラクターが少なかったかも。スプートニクとねじ巻き鳥からダイレクトにお引っ越ししてきたひとたちがいましたが。。。 「階段」のすばらしさを堪能したので、この作品はこれでいいか、という結論です。 | ||||
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近年は翻訳物が多く、 長編の切れ味は“今ひとつ感”があったので、 それほど期待しないで読み出したらこれが面白い。 「タイムトリップ」 読み進むにつれ、 私自身を19(Q?)84年当時に引き戻してくれたような感覚を覚えた。 1984年、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」前夜。 夢中で村上春樹を追いかけていたあの頃。 20代前半の私、そして30代半ばの春樹さん… 知性はより鋭利に、クリエイティブな閃きは増量されて、 熟成された「村上ワールド」が展開されている。 衰えるどころかその筋肉はしなやかに、 より強固になって躍動しているように感じる。 かつて遠くに去った親しい友が、 突然、真っ黒に日焼けして帰ってきたような印象。 懐かしさとともに 嬉しい気分に浸ることのできる待望の1冊。 | ||||
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非常に長い作品だった。 はっきりいって整合性のとれた感想を持つことが難しい。 物語に強く引っ張られながら、何度も拭い去りようのない既視感を覚えてしまったからだ。 それは「1Q84」がこれまで映画やマンガで繰り広げられてきた世界観とどこかで重なって 見えてくるからかもしれない。まるで現実の出来事をリアリティのある事実として 享受することができなくなった、この時代の自らの感性を見せつけられているかのように。。。 しかし同時に、その疑いを一掃するだけの読後感は十分にある。 ドストエフスキーが宗教と困窮する現実のはざまに揺れ動く19世紀の人々の姿を 描いたように、村上春樹氏は善悪の基準が曖昧になった不確かな今日に生きる人々の姿を 描きだしている。そこにはある側面、ある瞬間、リトル・ピープルとして無自覚に生きてきた という私たちの過去の事実に対する言い逃れできない責任の重さがある。 氏は半世紀以上前にジョージ・オーウェルが書いた「1984年」を描きなおすことで、 近過去から見た近未来に生きる、いまの私たちに、この現実の姿を突きつけ、これからの 私たちのあり方を問おうとしているのかもしれない。 一読をすすめたい。 | ||||
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この誰もが悩み苦しむ問題に、温かい結論を出してくれている。 リトル・ピープル 空気さなぎ 春樹さん独特のメタファが、読み解きやすくなったように感じました。 ただ。始まりが読みづらかったので、最後からさかのぼって読んだりしました。 色々な読み方をしても大丈夫だと思います。 私はbook2の、天吾がパジャマのにおいを嗅いでしまうシーンが、ぶはっ(笑!)となって好きでした。 | ||||
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村上春樹の集大成といえる作品ではないでしょうか。 作者の、人に、家族に、愛する人に対するあたたかい愛が伝わってきて、私のコアの部分が揺さぶられて、Book2の終盤、涙が止まりませんでした。 人が人を想うこと。 誠実に覚悟を決めて人を想うこと。 この作品が与えてくれたあたたかさを胸に、この現実の2009年を生きていけそうです。 | ||||
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殺人者に、ゴーストライター。 エンターテインメントに溢れた「1」は ページを繰る手が止まらず、面白く読めた。 そして、それらが繋がっていく「2」は難解。 文学賞への批判、宗教への畏怖など感じられるが、 その根底には、初恋への思慕が流れていた。 いつもの文体で彩られた長編は、 やはり村上春樹という感じがした。 いろいろなことへの疑問が、すべて消化しきれて いないので、続編があるかも、と思われてしまうのだが、 これ以上、説明をされても、という気もしてしまうのだ。 | ||||
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本当に村上春樹らしい小説だった。 ある意味いつもの登場人物そして時代背景。 1980年代。そして1970年代の影、学生運動、喪失感、セックスと暴力。 主人公の青年はいつものように、孤独で、器用で、素敵なガールフレンドがいる。 ヒロインは美しく、頭も切れ、そして暗い過去をもつ。 風変りな美少女。 90年代に熱心に村上春樹を読んだことのある人なら、懐かしさすら感じてしまう設定だ。 でも本当に面白い。グイグイと展開に巻き込まれ、眉をひそめたくなるような性描写や暴力シーンも気にならない。 きっと村上春樹は集大成としてこの本を書いたんじゃないか? 繰り返し、繰り返し同じ使われてきたテーマを更に書き直し、自分の本当書きたかった事をまとめなおしたと思える。 ある意味この「1Q84」を読めば他の村上作品は必要としない、そんな作品にしたかったのではないだろうか? 私は本当にこの本が大好きだ。まだ1巻しか読んでないし、きっと最後まで読めば、ぽっかりとした喪失感に包まれるのはわかっている。でもその全てが村上春樹である。 私の宝物にしたい1冊です。 | ||||
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2巻も読みました。 その上で、こちらにレビュー投稿をさせて頂きます。 まず、村上さんの作品が好きで手にとった方には満足感は得られるであろうと思います。 それがどのような形のものであれ―文体であれ、内容であれ、です。 この本には、確かに村上さんの匂いがしますし他の作家の真似できるようなものではありません。 しかしもし、最近の「ノルウェイ映画化」などに触発されて読んでみようと手にとられるならば 、いささか合わないかもしれません。 確かに、性描写はおおい。不愉快に感じる方もおられるでしょう。 でも、きっとそれは書かれるべくして書かれたのだし 読み終えた今となっては”それなくして1Q84は成り立たないだろう”と結論付けています。 単なる、官能小説ではなく、観念的な小説です。 一巻だけで、その本の本質を決め付けることがだれにできるでしょう。 最後まで読み通しても、この本の本質は誰も預かり知らぬことです。 まさにこの物語のように。 私は、ぐいぐい惹きつけられました。 最後には、なきそうにさえなりました。 どう感じるかは、皆さん次第ですが、 ひとつ言いたいのは、これは疑いようもない 村上春樹の本であるということです。 多くの人に最後まで、(とりあえず村上さんが書かれているところまで)読んでいただきたいと思います。 | ||||
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感想は個々あるとは思いますが、SEXとカルト集団という部分にだけ捉われてる読者はどうかと思います。それではただの小学生の感想にすぎません。村上春樹はエンターテイメント作家ではありません。SEXとカルト集団、認知症の父親、大切な人をなくすこと、それを通して何が言いたいのかを読み取り、言葉に出さないにせよ、一人一人が考えることが読者の作者への最大の敬意じゃないでしょうか。また、村上春樹特有の人間の深い部分を文章化できる能力に感嘆します。普通の作家じゃSEXだけであそこまで書けません。毎回そうですが、村上春樹の作品に出てくる主人公はSEXをただの快楽として行っているわけではありません。 | ||||
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必要な事は全て書かれている。あるいは書かれ過ぎている。 理解出来ないものを批判するのは簡単で、ある場合においては快感にもなるが、それはとても醜い。 説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ。 この本は作家であり、また一人の人間である村上春樹の最高傑作である。 | ||||
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婉曲な使用方ですが、カフカ君が森の中で聴いていたあの曲が、歌詞だけ出てきます。 …この小説はまさに「春樹's フェヴァリット シングス」のみで、成り立っています。 「嫌悪は美学の集積である」と引用したのは、伊丹十三でしたね。なるほど「クィーン」や 「アバ」は嫌悪の方ですね。でも、車や銃器の物描写、千倉海岸や高円寺、ホテルオークラのロビーといった場所描写、そしてヤナーチェク、ローリングストーンズ、ビリーホリディ等音楽描写、料理の描写、アスリートの肉体描写、そしてハードボイルドにかならずある大金持ちの依頼人の豪邸における描写…。もしかすると二つの月も好きな風景? 好きなもの、好きな場所、好きな登場人物、そして、得意なリズムと絢爛たるメタファーで、 ぐいぐいとストーリーは求心的に進行します。発行部数は物語に本来は影響をおよばさない筈。さて、book3-4にいつ会えるのでしょうか?7年後?そんな殺生な!でも、同時代に生きて 本当に良かったです!そう、「春樹をめぐる冒険」に参加できて!! | ||||
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ご購入の際は、上下巻を同時に購入しておいたほうがいいでしょう。いま上巻を読み終えましたが、もし手元に下巻がなかったら、なぜ下巻を一緒に買わなかったのか後悔し心が落ち着かなかったと思う。 今回の長編は、あの世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドのように、二つの話が交互に同時並行するスタイルです。ご想像できるように、この二つの話は次第に距離を縮めていきます。その進み方が Very Haruki で、読み進めるといつの間にか自分が物語の世界へいってしまい、こちらの世界に戻ってくること(読書を中断すること)が難しくなってきます。そして上巻が終わるタイミングでそれら二つの話が一気に距離を縮めますので、下巻に対する読書継続意欲が最高潮に高まります。この下巻を待てないという気持ちは、デートのたびに恋人との距離が少しづつ縮まりつつある純情な青年が、その手ごたえから次のデートに向けて妄想が膨らんでしまうことを抑えることができない状況、に似ています。 文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]に掲載されていた、イスラエルでのエルサレム賞受賞スピーチで著者は、"システム" に対する姿勢を述べています。下巻まで読み終わらないとわかりませんが、本書のテーマも、"システム" に対抗する立場でいたい自分、が表現されている予感がします。春樹が初めての方にも大変おすすめできる長編小説です。 | ||||
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第3章で青豆が警官とすれ違う場面あたりまで読み進めてこれはただならない小説だ、という予感がしましたがさらに読み進めて、やはりただならない小説であることを確信させられてしまいました。 青豆や天吾、ふかえり、といった人物に素直に好感が持てる、感情移入できる、という面でこれまでの村上作品よりも人物の描写が良いと思いますし、村上氏の小説を読むことは常に最も刺激的な経験です。 どんな風に青豆と天吾の物語が繋がっていくのかどきどきしながら読み進めています。 「一人でもいいから心から誰かを愛することができれば人生には救いがある、たとえその人と一緒になることができなくても」 こんな素敵な言葉に出会えるのも村上氏の小説の魅力です。 携帯もインターネットもなかった時代、1984年を村上氏が時代のひとつのターニングポイントとしてとらえているのでしょう。BOOK2でその謎がどういう風に解き明かされるのか本当に楽しみです。 | ||||
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