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海辺のカフカ
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海辺のカフカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全520件 461~480 24/26ページ
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はっきり言って、かなり敷居の高い本だと思います。村上春樹の過去の本だけでなく、それ以外の多くの本を読んでいなければ、意味のよくわからないところがたくさんあります。なぜかといえば、この本は物語を追うだけでなく、作品を読み解く姿勢、およびその手腕を必要としているように思えるからです。歴史上の名作と呼ばれる本を読んだことのある人ならば、『読む』だけではたどり着けないところがあることを知っていると思います。僕もあまり本を読んでいるわけではないので、「?」をたくさん抱えながら読むことになりました。 しかし、文章は読みやすく美しく、温度も歯ごたえも備えていて、読者に(この本があっている読者に)「?」の部分について考えさせる(あるいは物語の中で、その答えが示されるのを待たせる、探らせる)のに十分な役割を果たしたと思います。 「本当に優れた本は頭ではなく心をひねらせる」といいますが、「海辺のカフカ」は僕にとっては「感覚」をひねらされる本です。というのもこの本では単語から文章へ、ではなく、単語から一気に物語全体へ、あるいは物語の存在そのものへと視点が飛躍されることがありました。それは言い換えると作品による作品そのものの相対化ですが、僕はそのたびにめまいを起こすような感覚を味わうことになりました。それが醍醐味でした。 しっかりとした手ごたえがあるだけでなく、まだまだ追及の余地のある本だと思います。 | ||||
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この小説を理解することは非常に困難だと感じました。何を伝えたくて、何故このような話の展開をし、何故このような表現を用いるのだろうか、という疑問を持ちながら読み進めていきましたが、途中でやめました。 というのも、村上春樹は他者によりよく伝わるような言葉を選択するのではなく、自分にとって適切な言葉を「過程」を越えて、つかみとって表現しているのだと感じたからです。つまり論理的に、緻密に構成されたストーリーというわけではなく感覚に依拠する側面が大きいのだと思いました。作中で、「象徴性と意味性はべつのものだからね。−−−芸術家とは、冗長性を回避する資格を持つ人々のことだ」という言葉がありますが、自分はこの小説自体にそのことを強く感じました。 しかしながら、論理性の面でも現実と虚構が混同していく展開はあくまで自然で、村上春樹の文筆力のすごさを改めて感じました。 歴史に残る作品であると思います。 | ||||
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主人公が自分を損なわれてしまうなにかから必死に逃げる、とってもどドキドキして、上下巻を3日で読破してしまいました。とてもリアリストかとおもえばファンタジー、「お化け」みたいな具象なわかりやすい怖さもあるけれど、カラスと呼ばれる少年と主人公との、必死でとらわれたくないと逃げる描写は焦燥のような気持ちが一番怖かった。ひさしぶりに寝る間も惜しんで読みつくしたいとおもう本に出会いました。 | ||||
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現実に必要なものがわからない。見えない。確信を持てない。そして主人公の「僕」は「ただなんとなくこうするべき」という感覚に沿って生活をし、まさに「喪失」を繰り返す。そうするうちにやっと現実に確信を持って必要と言えるものがみつかる。もちろん見える。そういう話。 「ユキ」と「僕」のやりとりは、特に中身としてたいした意味はなく、筆者が世に向けて言いたいことが書かれている。。。と思う。 本当に大事なところはどこか?それは最後の「ユミヨシさん」とのやりとり。心配だから何度も電話する。存在を確かめたくて一緒に寝る。本当に必要な人、大事な人の手は決して離してはいけない。それはどこかへ消えてしまう可能性があるものだから、といったところ。。。と思う。 | ||||
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大島さんと主人公カフカのやり取りに哲学的なものが盛りだくさんです。思考をめぐらせて読めるよい本だと思います。ただ、下巻が。。。。ペース落ちました。なぜでしょう。それはあなたの中に答えがあるでしょうか。真相に近い部分がひっかかりが多く残り、ちょっと楽天的かつおしつけっぽい結末への足早な展開が残念ではありました。。 | ||||
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この人の作品を読むときは,「これはフィクションなんだ」と特に言い聞かせて読むようにしています。でないと後々の展開での不可思議なイベントについていけなくなるので(笑)。あまり深読みをせず,意味を求めようとせずに,読んでいけば純粋なエンターテイメントとして楽しめるのかなぁと思います。個人的に92年の「ねじまき鳥」以来、突出した長編が出てこないので,少し食傷気味な感はありますが,「神の子どもたちは皆踊る」から3人称を取り入れたり,少しずつ文体とか,変わってきているので,今は過渡期なのかなぁと思っています。また,唸らせるような長編が読みたいです。 | ||||
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最近この本を読みました。熱心な春樹ファンではないですが,初期の作品から文庫化されてから読んでいます。単純な感想として,この本は『ねじまき鳥クロニクル』系統のものだなというのが一点。言葉遣いは特に難しくなく,このあたりはいつも通りだと思います。あとは,相変わらずきれいなうまい文章を書くなあ。と思わされました。小説の中で,ギリシャ神話が出てきて,これが丁度off-broadwayのミュージカル『Hedwig and the angry inch』のテーマと被るのですよね。このミュージカルは公開が1997年(映画は2001年公開)だから村上さんも見ていて影響を受けたのかな?と思いました。この小説もミュージカルもカタワレを探すっていうお話だから・・・。細かいことを若干書きましたが,小説としては十分に楽しめるものだと思います。ただし,個人的には『ねじまき鳥クロニクル』の方が好きかな。 | ||||
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村上春樹の旅行記やエッセイ(やがて哀しき外国語など)は大好きなのです。 でも小説(といってもまだノルウェイの森とこれしか読んでませんが)はどうも何度もでてくる性的表現が好きになれません。 こんなに何度もこういうシーンが必要なのか疑問だし、読んでいて気分が悪くなりました。 ナカタさんとホシノ君の偶数章はとても好きなんですが。 | ||||
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相変わらず、村上氏のセンスってすごいと思う。物語に登場するアイテムのチョイスは絶妙でカッコいい。田舎的なものと、都会的なものとのバランスが個性的でオシャレ。また、決してお説教臭いメッセージなんて訴えかけることをしないのだけど、読んだ後に何か教育された気分になる。純文学と、エンターテイメント作品のいいとこ取りをしたような作風。村上春樹の小説は最強。 | ||||
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さくらって笠原メイかな、ナカタさんは間宮中尉?大島さんはシナモンかな…と「ねじまき鳥…」以来の読書でした。作者の作品の中に出る突拍子もない登場人物が結構好きです。どう発想したらジョニーウォーカーと言う名前が出るんだろう?毎回そんなことを感じながらなんだかんだと言いながら全作品を読み続けているのですが。どうしても「気にくわない」のは作者の小説に頻繁に出る性器やセックスに関する表現。その他、損なわれる・うつろ…交わる…どこか病んだ人ばかり出ると感じた時期もありました。「純文学」でそういった表現を多用することがある意味珍しく特異だからなのか?だからすばらしいのか?完全なる必要性があると判断してのことでしょうが、読後感じるのは果たしてその狙いが達せられているのだろうかと言うこと。損なわれながら生きていくという流れを私は違った意味として読みます。無駄で不要な面を削って生きていくのだと。真四角な木材から削って彫って彫刻が生まれるように。果てしなく損なわれてしまった…哀愁でしょうか?カフカは損なったのではなくて、学び、得て、そして捨て去ったのだと。取捨しながら生きていくことを損なわれると表現するのがどうかと思います。と言っても次回作品を心待ちにしている私です。 | ||||
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毎度のことですが、村上春樹の小説を読むと、読中読後は春樹ワールドから抜け出せなくて、大変困る。普段は自分のことを「俺」と言うのに、突然「僕」と言ってみたりだとか、小難しい皮肉や蘊蓄をたれてみたり、無性にビールが飲みたくなったり、ピンボールのハイスコア競い合ってみたり(ちがうか)、あるいは日曜日にくすの木を眺めながらりんごを食べて過ごしてみたり。つまりはそういうことだ。…みたいな口調になったり。今回もどうやら、今までの村上小説と、根底部分はあまり変わらない。失われたもの、損なわれてしまったものは二度と戻らない。それらはすでに失われてしまったのだから。…みたいな口調になったり。ナカタさんをはじめとする登場人物達がとてもキュート。僕もウナギは好物であります。(村上小説の中では)とても解り易く、読み出したら止まらない、抜群のエンターテインメント小説。まだ読んでいないのなら、是非お読みなさい。大変良い読書体験ができますよ。 | ||||
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珍しく少年を主人公としているせいか、地に足のついた展開。と思っていたら話はどんどん謎に包まれていく。 結末がわりとさわやかで安心した。 この人の小説は、物語を理解しようと考えず、ただ身を任せるように読むのがよいのでは? 少年の出てこない章は、この人らしくなく軽快な文章で、素直に楽しめます。 | ||||
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少年は、記憶は大事なのかと問う。彼女は、場合によってはと答える。 この場合の「記憶」とは、厳密に言えば、おそらく「思い出」と呼べるものであろう。例えば、私は甲歳の時に乙に初恋をしたが、その初恋は丙という結果になったという言説があった場合、それは「記憶」である。「思い出」とは、そのような言語に置換することが困難なもの、感覚的・感情的なものである(脳科学で言うところの「クオリア」のような)。一般的に表現するならば「甘酸っぱい」、自分が恋をしていると気付かないような感覚、事後的に分析して、あれは恋だったのだと理解するような感情(無論、それは私の表現ではあるが)。主人公にとっては、「思い出」は嫌悪の対象ではなかったのかもしれないが、好き嫌いを問わず「思い出」は、私を私として認識せしめる(因みに、大澤真幸は否定的な出来事は自己同一性の源泉となりやすいと書いている)。それは私以外の誰によっても代替不可能であり、私の固有性・唯一性を保障するからだ。彼女にとって自らの「思い出」が絶望的なものであっても、その「思い出」によって私は私としての自意識を獲得しているということを理解していたからこそ、彼女はその「思い出」の重たさにも拘わらず、冒頭の発言を行ったのであろう。 この主題は『世界の終り』に通底するものである。否、現代文学のそれであるのかもしれない。 | ||||
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賛否両論真っ二つな村上春樹氏ですが、私が氏の著書を読むのはこの作品が初めてです。最初の何章かは「あぁー失敗した!絶対読みきれない」と思ったのですが、ナカタさんが登場してから俄然面白くなりました。登場人物は皆、特徴的で風変わりであるけれどもどこか人間的で憎めない。会話表現も地の文も読んでいて苦痛ではなく、飽きさせない。このあたりが村上春樹氏人気の理由だろうな、とは思うのです。が、この物語には起承転結はありません。これっぽっちも。なので、読んでいると延々と足踏みさせられている気分に陥ることがあります。「前に進んでるの?」と誰かに聞きたくなるんです。そんなわけで星-1。 | ||||
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まず、一つ言いたいのが、村上春樹の小説はリアリストの人や、全てが理屈で説明できないと納得が出来ない人にはオススメできない、ということです。 村上氏の著作を批判する人は、必ず「思わせぶりなことを書いて気取っているだけだ」みたいな事を言いますが、不思議なことは不思議なこととして、そのまま楽しめる人間でないと、この人の小説を楽しむことはできないと思います。 私は、村上さんの本は全て読んでいますが、この『海辺のカフカ』は、『ねじまき鳥クロニクル』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』並みの、傑作小説だと思いました。 何度読んでも、別の側面が見えてくる、素晴らしい小説です。 キャラクターたちも、生き生きとしていて楽しいです。とくに、ナカタさんとホシノちゃんのコンビがユーモラスです。 難しい解釈なんかできなくても、十分楽しめると思います。 「少年カフカ」という作者とファンのメール集(ムック)もあわせてお読みになると、なお良いかも知れません。 | ||||
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15歳の家出少年田村カフカの父との葛藤そして母親探しのお話が一つの軸となり、猫と話ができる老人ナカタさんとその偶然の道連れ星野君のいわばロードムービーをもう一つの軸としてストーリーはテンポよく展開し、ときには現実的に、ときにはおとぎ話的に進んでいきます。登場する人物はみな魅力的で、とくにとんでもないことに巻き込まれることになったトラックの運転手、星野君のキャラクターには、心引かれるものがあります。これに加えて、戦時中に発生した小学生の集団失神事件というエピソードが物語にミステリアスな雰囲気を加えています。私もデビューの頃からのファン(熱烈的とは言えませんが)ですが、昔の作品といちいち比べてたらキリがないとおもいます。一気に読ませる力こそ作家のすばらしさではないでしょうか。主人公が最初に出会ってエロチックな想像をしてしまうさくらという女の子の出番がちょっと少ないのが残念でしたね。 | ||||
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読んでいるとものすごく息苦しい。 相変わらずの登場人物の語る禅問答っぷりは、言葉を正しく理解されないもどかしさから来るものなのだろうか。それについてあれこれと考え、思いをめぐらすことがこの著者の本を読む読者の楽しみのひとつであるのだけれど、作品中に執拗に繰り返される「観念に対する責務」は、安易にそういう思いにふけるわれわれに対しての、著者からの厳しい視線が向けられる。 メタファー、解釈、夢、想像、簡単に言ってくれるようだけれど、それらにお前らは本当に責任をもって接しているのか?そうじゃないなら、軽々しく口にしないでくれたまえ、諸君。 そんなところだろうか?そんなん言うんだったら、始めっから物語をそんな語り口にしないほうがいいんじゃない?って気もしちゃいますが。 ってなことで、なんか読むのに結構疲れましたけど、何でそんなことにそこまでこだわるわけ?って不思議になるくらいいつも一生懸命にメッセージを発してくるその姿に、毎度ホントに感動させられるのも事実。 | ||||
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生きるとは、絵を見ていれば分かるという。しかしながら、絵を見てどうするのであろうか?記憶に生きるのであろうか?タフな少年の旅は、さまざまなストーリーとクロスしながら、模様を織っていく。しかし、完成されたものは、愛なのか?答えがよく分からない。個性的なキャラクターが登場しているのでその会話など楽しめるところは多く読みやすい。 | ||||
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熱中して読んでいたら夜中の3時になっていた。電気を消した暗闇の中で考えた。15歳って一体何だろう…?もし目の前に15歳の自分が現れたら?外見は変わっても中身はずっと変わらない「わたし」のままだと思っていた。でも、目の前に15歳の自分が現れたら(そう想像したら)やっぱり決定的に何かが違っていた。そこには今はもう無くしてしまった何かが確実にあった。そしてそれは悲しいことにすごく大事なことだったのだ。目の前に15歳の自分が現れたら私は心の中でこう叫ぶと思う。「ごめんね。わたしはあなたの思っているような大人にならなかったよ」そんな叫びは彼女に届くはずも無く、15歳の私はただ眩しく笑うだろう。寝る前になんてことを考えさせてくれるんだ?この本は。下巻を読み終わった時には一体どんなことになるやら…。 | ||||
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恥ずかしながら初めて著者の作品を読んだ。最初の取っ掛かりが難解に感じたが、後はすっかり引き込まれた。細かいディテールがしっかり書かれているけど大事なところは?なところも多かったと思う。村上春樹ってこういうものなのかな?という読後感です。面白かったけど謎が謎のままで終わったところもあったし。現実の少年は(大人も?)この本の主人公はほどしっかりしてないしもっとわけ分からないけどはっとさせられるくらい脆くて危うい点は読んでいてドキドキした。個人的にはナカタさんやホシノくんのサイドストーリーにも引き込まれた。小難しいと敬遠してたところもあったけど他の作品も買ってみようと思う。 | ||||
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