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残虐記
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残虐記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.44pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全101件 1~20 1/6ページ
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どうしても読みたかった本。思ったよりも重い内容でズッシリきました | ||||
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誘拐事件をきっかけとした「想像された現実」の記録。被害者は監禁されているときには想像で時間を潰し、解放されてからは周辺の好奇の視線に晒され、そして多様な想像の焦点となった。想像はきっかけとなる「種」があれば際限なく膨張するからには、当局に対して「本当は何が起こっていたのか」について口を噤むことはすなわちそのような想像の「種」を渡さない賢明な行為だったと言える。だが一方で、「種」を保持したままでいることにより、自分自身の内部で想像の膨張が始まるのだ。その想像とは「欲望とは他者の欲望である」というラカンの言葉を地で行くような内容と化してゆく。「他者の欲望」とは言葉のことである。『残虐記』そのものが言葉によって、言葉でしか織り上げられていないのだから、本書は二重の意味で「他者の欲望」が充満しているのだ。 | ||||
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結構評価の高い小説であるのだろうか。桐野夏生(敬称略 以下同じ)特有の、 暗くそして異常心理が根底にある妙な「生臭さ」を感じさせる文章。 過去に長く監禁された経験のある小説家へ、誘拐した犯人(出所している)か らの手紙が舞い込む。 「わたしのことはゆるしてくれなくてもいいんです。私も先生をゆるさないとお もいます」。不気味な言葉が手紙の最後に記されている。 文中に幾つか、常識に反することが書かれている。 「十階建ての巨大な建物が三棟ずつ並んで扇形を形作り、…団地の住民の数だけ でも二万人近くはいた」とあるが、3人家族で1棟当たり100世帯(9×12 世帯≒100)あると仮定し、全て満室であったとしても60棟以上の建物があ ることになる。これで集会室も公園も一つらしい。 高島平じゃあるまいし、こんな巨大な団地群はあり得ない。 エアコンが(監禁されている部屋に)必要となり、犯人が自分で設置したとあ る。これも非現実的、大体素人が室外機の設置や、電源のボルト数の変更(大抵 は100Vから200V)ができる訳がない。 ただでさえ吝嗇な大家の工場長が、自宅とも言うべき部屋に勝手にエアコンを 設置させるなど、いい加減で適当な設定になっている。犯人は不器用で教育も満 足に受けていない設定になっているのだから。 解放されたばかりの「小学生」の被害者に対して、きちんとした検査も治療も 行わないままに、男性医師が「何でも言っていいんだよ」と暗に性的被害を遠回 しではあるが、直接女児に聞いている。保護者への確認もないままのこの発言は、 大問題になる。 一人で事件に興奮する検事(その理由は最後に明かされるが)が、性的被害者 かもしれない女児に対してここでも無神経に質問を発している。こんな検事はい ない。家族の同席もなく勝手にくだらぬ質問を連発する検事は辞職ものだろう。 一番大きな問題が、こういう「異常な事件」に「知的障がい」がある犯人を登 場させること。終わり近くに「知的障がいがない」といきなりの診断。 ここまで診断が遅れるのは異様。「障がい」のある人への偏見問題とならぬよう に、とってつけたような説明になっている。 初出は2004年となる。この当時にはこの設定は問題がなかったのか。 桐野にはもう少し人権感覚が必要だろう。 全体として最後にわずかな盛り上がりを見せるが、筋立てがいかにも荒っぽく、 緊張感も続いていない。 残酷な事件で、その事件の底流には被害者とされる人間の心の闇がある。 そういう小説で、それ以上はほとんど内容がない。 半分ほど読み、あとは斜め読みした。 おすすめできない。 理由? 単に面白くないから。 | ||||
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ケンジと誘拐された景子、そしてみっちゃんの真実とは? ヤタベさんの怖さ まぁこの小説の構成そのものが景子による"毒の夢"を綴ったもの 誘拐された景子が救出(解放?)されて後に想像した事柄 しかし監禁していたケンジとの短い「交換日記」を隠蔽の為と装いつつも大切に持っている事やケンジからの拙い手紙が本当だとしたら‥ ケンジくんとみっちゃんの痛々しいラブストーリーとも 凄くいい意味で、桐野夏生氏の真骨頂かと☆ | ||||
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本作品は失踪した女流作家の残された小説を夫が出版社に送り付けるとゆう設定で始まる。その小説名は『残虐記』であって本作品はその『残虐記』そのものとなる。従って本作品は劇中劇のスタイルを取る事となるのだかその劇中劇の『残虐記』は失踪した女流作家の過去の体験(11歳の時に起こった一年間の彼女が拉致監され監禁される事件と彼女の推測、創作によって成り立っている。そこで明かされるのは拉致犯人と一種の恋愛関係にあったいう事実と女流作家か創作した犯人の少年時代に隣室の老人の性愛の対象であったとゆいう二点のみであり劇中劇の作品としても桐野夏生の『残虐記』としても内容の薄い作品になっている。連載作品なので桐野夏生がなにか良いアイデアが出て来ないか模索しながら書いていた姿が想像され痛々しい。出てきた収束点はこの女流作家の夫は監禁事件の担当検事であったということでほかにも犯人はフィリピン人女性を殺害していたなどというどうでもよいことでページを割り増してるのがむごすぎる。横溝正史や江戸川乱歩の乱作時代の駄作をどうしても想起してしまうのです。 | ||||
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一筋縄ではないこの作家の凄さ、一気に読む! | ||||
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異様で、不可解な欲動に晒された少女 彼は、なぜ私を抱かなかったのか それだけは、誰にもいえなかった 女は強姦の屈辱を恐れない。強姦の栄誉を恐れているのだ 不可解なのは男の欲望だけではなく、自分の心なのだから 彼の欲望を希求した性的な妄想は同性愛に行き着く 妄想は結局、自分の頭の中だけのことで、少女の心性の内部に留まることは間違いがない 結局、景子は妄執の中に入ったのではなく、彼女の妄執の中に出たのだった。 それが、現実を失う、ということである。自分が自分を瞞すというトリックである。これ程セキュリティの高いシステムもない 他者に、自身に、呼吸をするように欺瞞を続ける女にとって、何が夢で何が現実かという境界は非常に難しい 小説は不可解を、もう一つ大きな不可解のシールド覆うことで結末する。それは、強かで、軽蔑されるべきこの女にふさわしいラストといえる | ||||
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私は桐野夏生さんの本を初めて読んだのが残虐記だったのですが、今まで読んだ小説の中でダントツに面白い!と思っていたんです。でも他の方のレビューを見てみるとまだまだこの方の素晴らしい作品があることを知り生きる楽しみが増えたと同時に誰かにこの思いを伝えたい、もっと読んでもらいたいと思いました。拙い文章失礼しました、とってもこの本が好きです。 | ||||
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本書は、主人公の景子がまだ10歳・小4の時、工員のケンジに拉致・監禁されたところから始まる。景子はケンジの住む部屋に監禁され、監禁生活は1年余りに及ぶ。ケンジの隣室にはヤタベというケンジと同じ鉄工所に勤める男が住んでおり、景子はヤタベに助けを求めようとするが…という物語である。 この小説は2000年に報道された新潟県に少女監禁事件に触発されて執筆されたらしいが、監禁された期間も犯人の年齢・境遇もまるで違うので、実際の少女監禁事件とは全く別個の小説と考えた方が良いと思う。 ケンジの部屋とヤタベの部屋という隣り合った二部屋という狭い空間で、主人公の少女と監禁したケンジと隣人ヤタベの三つ巴(あるいは宮坂検事を含む四つ巴)の性的関係、どこまでが事実でどこまでが想像だかわからない性的関係は、非常にアブノーマルでディープでグロテスクでアグリーだ。異常なまでに異常だ。 解説(筆=精神科医 斎藤環)では、谷崎潤一郎『鍵』との類似に言及されているが、評者に言わせると谷崎『鍵』の方がよほど健全で理解可能だ。 本書は桐野さんの多くの作品の中ではあまり目立たないと思うが、隠れた名作というべき存在と言える。 | ||||
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実在の事件をモチーフにしており、被害者がいることで、取り扱うこと自体に批判が多いようだけれど、 作者が読者に娯楽を提供するためにこの題材を選んでいるのではないことは、読めば分かります。 たとえば、被害者と加害者の間に起きたことを興味本位で知りたいだけの人がこれを読んでも、なんも面白くないと思う。 路上のXについても、女子高生が落ちていくのを見て楽しみたい性的嗜好?の人には、期待外れだと思うし。 桐野夏生さんはきっと、そういう目線の人を楽しませないように書いているし、 また、「かわいそうな話」で終わらせないように書いている。 この人凄い。めちゃくちゃかっこいい。 事件について、被害者の周囲の人が「そっとしといてやれ」って言うのは分かる。 でも社会的に見ると、被害者が無事だったり、犯人が捕まることが解決ではない。 解決するためには、そもそも理解しなければ何も始まらないと思うんだ。 桐野さんは、どこまでも理解しようとしているのが分かる。当事者自身でも気づかないようなところまで。 桐野さんは、理解するために書く人なんじゃないかなって思った。 | ||||
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あとがきで精神科医の斎藤環氏が書いているように、「異様で面白い小説」という評がしっくりきました。 一口に女子監禁の顛末とは言えない内容で、読み進めるにつれて登場人物どおしの関係性が徐々に見えてきますが、果たしてそれが真実かと問われれば、それはそれぞれに認識は異なるのだと思いました。 ぼくはこの小説が一つの小説として完結するのですら違和感があり、確かに、いくつかの謎は残ったままですが、それを意図して書かれたのであるとすれば、桐野夏生の独創的なリアリズムの奥深さははかり知れず少し怖いものを感じました。 | ||||
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もう何年も前に徹夜で読みました、もちろんいやらしいやじうま根性もあったけど、そこは肩透かしで、本質は主人公の心の変遷だった あとレビューで実際の事件を元にしてる、と拒否している人がいますが、実際共通してるのって最初の監禁される所だけで後の経過はぜんぜんちがうんですよね それにもう最近では若い女性や少女を誘拐、監禁する事件が多すぎて、悪い意味で一々怒ることに皆んな飽きてきている気もしますね それに実際にあったような事件を元に小説を書くのは本当に悪いことなんでしょうか? 遺族を傷つけるからとかとよく言うけど、それだと例えばオウム真理教のような宗教組織をとり扱った小説はずっと書けないですよね、 本当にその事件と向き合うつもりなら、私は書いてもいいと思うんですが 何となくアメリカとか海外のほうが実際の事件とそれを題材にした映画や小説に視聴者がちゃんと線を引いていて、日本は感傷的で痛いものには触らない、という態度が強い気がします | ||||
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※内容に触れます タイトルでもある『残虐記』とは、主人公(35歳の女流作家)が幼いころケンジという男に一年間監禁されていたことを振りかえりながら書いた架空小説のことです。当作品のほとんどはこの架空小説に占められているのですが、その内容自体も虚構が織りまぜて書かれているという仕掛けなので最後まで監禁事件の真相は分かりません。何よりも監禁された本人である主人公自身が事件の全貌を把握できていないのです。しかし、そのことが主人公だけでなく周囲の人々を惹きつけ想像させるのです(もちろん、読者も例外ではありません)。 また、主人公が犯人であるケンジや隣人のヤタベについて「毒の夢」と呼ばれている想像を膨らませたのちに結実したのが彼女の処女作(もうひとつの架空小説)である『泥のごとく』です。当作品はこのような入れ子状の構造をしているのですが、内容はやはり監禁事件の真相に触れることなくそこから育まれた想像の域をでません。更に注目するべきはこの作品が現実の事件(新潟少女監禁事件)に触発された部分を孕んでいるということです。要するに、このマトリョーシカのような当作品の中心には新潟少女監禁事件があることは伺えるのですが書かれていることはその外側である「毒の夢」でしかないのです。 「毒の夢」を見るのはこの主人公だけではなくもちろん桐野夏生だけでもありません。不可解な事件が起これば大衆はテレビに釘付けになります。新潟少女監禁事件は視聴者の好奇心に応えるように新聞・週刊誌・テレビなどあらゆるマスメディアが取りあげて騒ぎたて、人々は好奇心と想像力を掻きたてられました。私達はだれもが「毒の夢」を見るのです。そして主人公は自身の「毒の夢」について次のように告白します「私の毒の夢が行き着いた先は、男たちの性だということにようやく思い至った〈中略〉私の夢の世界の涯は、成人の男たちの性的な妄想の沼であることが衝撃だった」と。私は当作品を読んで私自身もまた(作中の言葉を借りるなら)毒の夢を見る性的人間であることに気付かされました。 | ||||
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桐野夏生さんの作品を読むのは5作目です。 『東京島』『グロテスク』『OUT』を記した 桐野さんいわく、『残虐記』。 どんな酷い環境で、ぐちゃぐちゃの人間関係が 描かれるのだろうと期待して読みましたが、 少女が約1年にわたり監禁されるという内容でした。 1年中閉じ込められた少女の身からしたら、 残虐という刹那的な表現(=時間が短い)ではなく、 語感や見た目はちょっと違うと思いますが、 まるで行きつく場のない『漂流記』が意味合いとしては 近いのではと思いました。 あと、この小説は「新潟少女監禁事件」を題材に しているらしく、本作の存在自体が、実在の少女に とって苦しみを与えるものだと思いますので、 作品化するのはあまりに酷いと思いました。 自分が受けた仕打ちが、作品になって世の中の人に読まれる。 場合によっては娯楽、嗜好、楽しみにされる。 こんなむごたらしいことは、あってはならないと思いました。 | ||||
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監禁少女という題材事態の吸引力がすごいのと、流石の文章力で読ませるけど、大したことはないという読後感。 でも読んじゃうという中毒性。 | ||||
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読んでいて辛かった。 どうしても新潟少女監禁事件を思い出してしまう。 他人の管理の中で日々を生きることはとてもつらいので、 精神の安定を図ろうとする主人公の思考は理解できるしリアリティがある。 成長した少女(=小説家)は一体どこに行ってしまったんだろう。 あまりしたくない想像をしてしまう。 | ||||
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この人は 創作力の欠如か?よく既成の猟奇的事件をネタに書くけれどまあそれだけで、何回読んでも面白くない これならルポルタージュのほうが幾倍も面白い 今回こそはと思ったがやはり同じ スキャンダラス性をネタにしているだけ 自分で一から創作しなよ | ||||
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ラストには少し驚きました。 作品としてはまぁまぁ。もう少しタイトルから残虐なものをイメージしていましたが、そこまで。 一応ラストまですべて読み終えることができたのでおもしろかったかな?と。 最近こういう誘拐事件なども多いので、興味深い題材でした。 | ||||
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実際の事件がありありと瞼に浮かぶ作品。ドキュメンタリーのようなタッチでハラハラしながら一気に読みました。 いつもながらすごい。 | ||||
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残虐じゃありません。読んでいて 何も感じません。レポートを読んでいるようです。何の解決もないのが作品の謎的な部分なんでしょうが 中途半端で読んで損した気分になりました。 | ||||
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