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残虐記
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残虐記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.44pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全101件 41~60 3/6ページ
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少女誘拐監禁事件を題材にした小説。 読後感は決してよくはない。 でも、読み始めると一気に読み進めた。 実際にもあったあの誘拐監禁事件を 思い出さずにはいられないけれど 想像していたストーリー展開はいい意味で裏切られる。 主人公の少女が、苦しみから逃れるために 妄想の世界に入り込んだ「毒の夢」 妄想のはずなのに事実とほとんど変わりない、というところが恐ろしい。 結局彼女は一生引き摺っていくんだろうか? いくつもの謎が残ったままなので スッキリ感はないけれど 色々と考えさせられた作品だった。 | ||||
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なんか全体に汗臭いというか、なまぐさい金属臭のするほこりっぽい話。 想像力がいかに人を傷つけるか、ウワサがどれだけ強力な魔力を持つのか、 人はどれほど残酷なのか、なまなましい悪意をこれでもかとぶつけられる感じ。 受け止められる体力がないときには、読まない方が無難! 昔綾辻行人かな?言っていたけど、根元的な恐怖とかまとわりつくような底冷えのする悪意を究極に表せるのは、絶対に女性だと思う。 男性にはここまでは書けないのでは。 | ||||
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うん、確かに読み始めは「例の事件」が頭をよぎるが、実は中身は全然違うじゃん。 まずは郊外の集合住宅の生活のリアルさが何とも言えない。ああいう母親っているし、ああいう娘との関係というのも、物すごく思い当たる。 で、少女が誘拐された後の書き方がすごーく微妙で、状況がわかってきてからも読者をそらさないのはさすがである。この辺はネタバレになってしまうので詳しくは書かないけど。 助け出された後の周囲の人間の悪意のない嫌らしさも、とてもよく描いている。こういう「タチの悪い善良さ」を体験したことのある人には少々つらいかもしれないが、いつもながら人間を知り尽くしていて、見事というよりほかはない。 | ||||
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新潟柏崎少女監禁事件をネタにした小説だが、 一年間の監禁生活(史実は9年だったか?)で、 25才の変態青年は10才の美少女に挿入しないという、 パターン外しの傑作。 裸にして見ながら自慰するだけの本物の変態w 少女が救出された後に、 青年の家の庭からは死体が発見されるのだが、 マスコミの期待を裏切って20過ぎの成人女性なのも痛快。 青年が少女と夜な夜なプレイしていた変態プレイは、 学校ごっこである。 小学校も満足に出てない青年は、 毎夜、少女と小学校の勉強をするという究極の変態w 小学生と一緒に学校の中に存在したいと考える教師が、 いかに変態であるか揶揄した傑作。 少女が誘拐される前に目撃者がいっぱいいた筈なのに、 目撃者が見つからないのも素晴しい。 普通の大人は街にいる少女になんて興味を持たない。 少女を目で追うのは変態だけだと看破した傑作。 性的いたずらはされなかった少女だが、 救出後、世間は当然いたずらされたと思い込む。 少女は世間から自分の心を守る為、 想像の世界に逃げ込み、 事件の真相を推理する。 想像力が先鋭化した少女は小説家としてデビューする。 35才になった彼女が事件を元にして書いた小説というのが、 本書であるという構成である。 経験してない男の性欲を小説として追求する果てに、 801に行き着く想像力が素晴しい! 現実と同じように少女が犯されて殺される小説を書いて 満足している小説家は想像力が貧困過ぎる。 桐野夏生 の想像力の素晴しさに打ち震える傑作である。 | ||||
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読み返したいと思う一冊。 様々な事件が今も起きているが、その欲望について考えるときの必読書だと思う。 | ||||
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非常に面白く読ませていただいた。もちろん笑っちゃう面白さと言うわけではない。 表現、主人公の心の動き、そして、検事の心。 すごく共感できてしまった私はどういう事なのだろうかと思いつつ、桐生さんの他の作品を呼んでみることに決めた。 しばらく、はまると思う。 私が読みきってしまわぬうちに、新しく本を出して欲しいなとか勝手に思うのだった。 あの事件があった時、私にはそれはきっとお互いの間に何かの繋がりがきっと生まれたのではないかなって思っていたのだ。 危険な思考ではあるし、その本人にとってはまことにもって迷惑な話。 しかし、そうでもしなければ不可能であると私は思った。 共存してくことでしか、自分を支え続けられないだろう。 そういうこと。 | ||||
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実際の事件をモチーフにした小説は多くあるけど、事件の表面をなぞっただけで、それなら優れたノンフィクション作家が追ったルポを読んだほうがいいや、と思わせる作品が多かったりする中、桐野夏生が書く事件をモチーフにした小説で描かれる登場人物の人間性には、事実を超えた事実のような凄味を感じ、これが小説家の仕事だよな、と一人で驚嘆していた。 しかし、この残虐記に関してはそのような感じはしない。たしかに、構成も凝っている。長編というより中篇といったページ数だが密度は濃い。だが、実際に起きた少女監禁事件という事実を超えた小説とはいえないように思う。様々な悪意や妄想が張り巡らされているが、これらが事件と絡み合わずに宙に浮いているように感じた。 この作品には二つの謎があると解説では記されている。その一つが作品の冒頭にある「わたしは先生をゆるさないと思います」という犯人が書いた手紙の言葉の解釈なのだが、解説者によると様々な解釈ができるようだ。また作者の桐野自身は「思わず書いてしまった、自分でも意味がよくわからなかった(後略)」と語っていたと言う。 事実かもしれないが、違和感が残った。モデルとなった事件で、誰もがきっと一度は想像したこと、それがこの作品のラストに明かされるのだが、謎とされる犯人の言葉は、やはりこのラストのために用意された単純な伏線に過ぎないというのが私の解釈だ。 | ||||
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読者を傍観者へと誘う卑猥な物語。 思想と空想の狭間で人々が交錯する緊張感が最後まで持続していて目が離せない。 | ||||
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「卍」や「春琴抄」、「音楽」や「伊豆の踊り子」を思わせる雰囲気があります。 美しく磨かれた文章の冴えは、三島由紀夫に近いものがあります。 心理描写が醸し出すエロスは素晴らしい。 虐げられた主人公が、苦痛から逃れる為に、想像の世界を拡げてゆくが、肉体的苦痛を逃れた途端、精神的虐待に晒され、益々想像に沈む。 善意の第三者を装いつつ、加害者に心理的に加担し、被害者を圧迫する者達が居る。 その心理、その行為こそ惨い。 お為ごかしの虐待者は、人の心の中に巣食っている。 生と死とエロス、そして想像。 人の業、原罪(そして贖い)を新たな形で提示した作品で、傑作の一つに数えたい。 | ||||
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児童誘拐と性という難しいテーマに立ち向かった作品です。 被害者の少女が事件後自らの精神の均衡を保つべく、色々な事を空想します。 その想像力、精緻さには驚くばかりのなのですが、何故かリアリティを感じてしまいます。 著者の力量を表しているのかと思いますが、ヒョットして著者自身が同様の経験をしたことがあるのではないか、と感じるほどのリアリティです。 一方で、現実なのか夢なのか良く分からない部分も出てきます。 この感覚は何処かで感じた事があるなと思ったのですが、著者の「玉蘭」を読んだ時に感じたことであると思い出しました。 読後感は決して良くありませんが、小説という枠に納まりきらないところに、妙な魅力を感じてしまう作品です。 | ||||
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私は桐野氏の作品を、一貫して「女性のサバイバルの物語」という読み方をしてきた。本作品も、少女監禁事件を題材としていながら、監禁された少女(当時小学校4年生)と、その後の人生における、彼女のサバイバル戦略が描かれている点では、他の桐野氏の作品と同列のものだ。 しかし、ここで描かれているサバイバルも、今までの大作と同様に極めて過酷な物語になっている。 監禁生活における、少女が考え出した狡猾なる男との関係性。そして、解放された後、世間の好奇と興味にさらされ、喪失した現実と折り合いを付けるために、彼女が見つけた「毒の夢」。その彼女だけの逃避的現実であった世界さえ、成人の男たちの静的な妄想の沼と気付いたときの深い絶望。 それ以来彼女は、「性的人間」になったと書く。ここでの「性的人間」とは「常に、ケンジの性的妄想とは何か、という問いを生き」ることであり、「他人の性的妄想を想像すること」だと。 彼女の唯一の武器は想像力。奪われたものに対して唯一立ち向かえる力。ですから、そこには真実など、もとからないのかもしれない。 考えてみると、この小説そのものが、リアルの衣を纏いながら謎と嘘に満ちている。この小説を読もうとする読者の意図そのものが、性的好奇心と妄想であることを嘲笑うが如く。小説の結末を「救われない」と書くこさえもが、もしかすると間違いなのかもしれない。余りにもうがたれた闇は深く、しかもある意味で強靭である。 | ||||
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とある大人にある日誘拐された『私』。そこで一年あまりの月日を過ごすことになる。のちに『私』は作家となり、結婚もするが、ずっと誰にも黙っていた『そのとき』のことを小説にし、どこかへ消えてしまう。 かなり不思議な作品だ。それは、人物があらゆる側面も持つように作られているからだろう。それは決して一方からの位置づけにとどまらず、さまざまな側面をもってひとりの人物として成立している。物語そのものは、非常に、といっても差し支えないほどシンプルだ。しかし、その背後に潜むものは迂回し、絡み、そして避けながら流れていく。しかもおもしろいのがそれがフィクションだというのだ。事件に遭った『私』が、事件についてフィクションで語るのである。虚構の虚構について考えるとき、その皮をひとつこちら側にまたいだ虚構についても考えてしまう。なかなかに印象的な作品だった。 | ||||
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少女誘拐監禁事件を扱った作品であるが、読み進むに従って、物語は謎が謎を呼ぶ。 冒頭で示される手紙の中で、何故「私も先生を許さない」と書かれているのかが当初の大きな謎だ。 そして、謎が一つ増え、また一つ増え、最終的には、謎が謎を呼び、無限大の想像が可能となる。 「先生を許さない」という言葉の意味すら、幾通りもの解釈が成り立つ。 本文中でも、この事に対する解釈が示されているが、それすら、想像の域を出ていない。 一般の推理小説とは逆のパターンの作品だ。 推理小説は、最終的には謎が解明されるのであるが、本作品は、謎が深まるばかりだ。 しかし、被害者となった少女の「他人は信じられない」という姿勢は一貫していて、 その上、他人の心を読む能力は卓越しているので、真実を語ろうとしなかったので、さらに謎は深まる。 その心理描写の深さには、唸らされるばかりだ。 作品中で被害者は、自らを性的人間と語るが、この意図も曖昧模糊としている。 この事に対しても、読み進むに従って、謎がさらに深くなる。 謎が無限大である本作品。 小説という表現手段の、一つの境地が追求されている。 | ||||
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少女誘拐監禁事件を扱った作品であるが、読み進むに従って、物語は謎が謎を呼ぶ。 冒頭で示される手紙の中で、何故「私も先生を許さない」と書かれているのかが当初の大きな謎だ。 そして、謎が一つ増え、また一つ増え、最終的には、謎が謎を呼び、無限大の想像が可能となる。 「先生を許さない」という言葉の意味すら、幾通りもの解釈が成り立つ。 本文中でも、この事に対する解釈が示されているが、それすら、想像の域を出ていない。 一般の推理小説とは逆のパターンの作品だ。 推理小説は、最終的には謎が解明されるのであるが、本作品は、謎が深まるばかりだ。 しかし、被害者となった少女の「他人は信じられない」という姿勢は一貫していて、 その上、他人の心を読む能力は卓越しているので、真実を語ろうとしなかったので、さらに謎は深まる。 その心理描写の深さには、唸らされるばかりだ。 作品中で被害者は、自らを性的人間と語るが、この意図も曖昧模糊としている。 この事に対しても、読み進むに従って、謎がさらに深くなる。 謎が無限大である本作品。 小説という表現手段の、一つの境地が追求されている。 | ||||
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桐野さんの「グロテスク」など他の作品に比べると、直接的なエログロがないぶん、そこここに堕ちきらない部分があり、桐野中毒者にはもどかしいところがありますが、読後じわじわと切なさがこみ上げてくる作品です。こどもは非常に非力で悲しい存在だなあ、と思わされました。監禁されたから、というわけでなく。 | ||||
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桐野氏の作品は「OUT」や「グロテスク」等代表的且つ下敷きがあるような 物しか読んでいなかった為、誘拐監禁をテーマにこの作品を持ってきた時も 彼女なら題材にするのも止むを得ないと思った。 しかし、「グロテスク」や「リアルワールド」に比べ 今作品においては題材に寄りかかり過ぎた部分も多い。 「残虐記」と同じく曖昧なラストを迎える「グロテスク」が 高く評価されているのは、露悪的でありながらも登場人物達の心情が 丹念に綴られ、横糸縦糸のように組み合わさった結果、作品のテーマである 「悪意」が浮き彫りになるという小説の表現様式の真骨頂に 到達していたからだと思う。 「残虐記」は残念ながら事実(題材)ばかりが大きく意識され それを超えた「小説(フィクション)」になることが出来なかったが、 筆者の力量は確かなものだと思うので次作以降も期待したい。 | ||||
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この本は、実際の事件に触発されて書かれた小説だといわれていますが、 登場人物の心理描写や振る舞いは、吐き気がするほどおぞましく、 何箇所か読み飛ばしたところがありました。 そのおぞましさが「作家の想像(創造性)だ」といわれれば、 そうかもしれませんが、悪意ある想像をこんな形で世に出す必要はあったのか? という疑問が生じます。登場人物たちに深みはないし、ただただ作者の おぞましい想像を読ませられた感じ。 さすがにこれは、読み終わったあと、「下敷きにした事件の被害者は まだ生きているのに…」としみじみ思ってしまいました。 同じ作者の「グロテスク」は、下敷きになった事件があったとはいえ “架空の物語”になっていたのでまだマシでしたが、これはさらに 読後感が不快ですし、作作者のおどろおどろしい想像力だけを 押し付けられた気がして、読むに耐えませんでした。 | ||||
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期待感が大き過ぎたのでしょうか?残念ながら、人物描写が、あまりにも浅かったです。物語の展開はさすがだと思いますが、主人公の心情の推移、事実の残酷さは描写は表面的にしかなされておらず、引き込まれるパワーがありません。新潟での事件を想像で小説にした程度のドキュメンタリーさしか感じられませんでした。もっと追究して欲しかったなぁ・・・ | ||||
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なぜだかわからないが、気がつくといつも僕は桐野夏生の小説を手にとっている。 『顔に降りかかる雨』『OUT』『ダーク』『グロテスク』… 直木賞受賞作『柔らかな頬』は未読だが、そしてまた今回も、柴田錬三郎賞受賞作の『残虐記』を手に取っていた。 『グロテスク』では、有名な東電OL殺人事件、そして今作『残虐記』では記憶に新しい新潟少女監禁事件をモチーフにした桐野さん。 相変わらず、ずっしり重たい読み応えのある小説でした。 桐野自身はこう言っています。 「主人公の少女は大人の男の欲望にぶち当たり、それがどういうものなのかを想像します。つまり、自分にはない欲望について想像するのです。想像力がなくて欲望だけある人は、ある意味で犯罪者だと思うのですが、想像力を働かせるという方法こそ、想像力を持たず欲望だけがある人物と戦う手段になりえるんじゃないか、と思いました。そして欲望に取り囲まれ、肉体的にも精神的にも奪われるのは常に弱いもの―男性よりも、やはり女性や子供であると思うのです。―その闘争が残虐なのです。」(本書解説より) そんな「想像力」の力を小説で表現・主張し続ける桐野夏生。そうやって「文学・小説とは何か」を考え続ける作家に僕は惹かれる。 | ||||
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著者の他の作品と比較して小作/佳作の部類に入るのでしょうが、よく言えばコンパクトに纏まっていると評価できるでしょう。 読者の想像力を煽る、物語(その登場人物達)に特に救済はない、といった作風はここでも顕著です。 現実社会でも読者や視聴者の想像力(たいていは下世話な)を煽るニュース/報道は多いものですが、児童誘拐(→性的虐待?)という題材を上手に料理しているのは流石です。 | ||||
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