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残虐記
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残虐記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.44pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全101件 81~100 5/6ページ
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「柔らかな頬」を再読し、これを次は有香の視点で読めればと考えた矢先の残虐記。たまらず買って読んではみましたが、そこまで話はうまくいくわけもありません。新潟少女監禁事件と繋げて読んでしまうと心が痛んでなりませんが、今すべてをゼロにして読み進めてみると桐野夏生らしさが存分に出た作品だと思います。結末の部分が何ともひどく曖昧なのも彼女の策略だと考えれば、泉鏡花賞後の第一作にふさわしい作品ではないでしょうか。しかし、事件当事者の立場となればどうなのでしょうか。当事者を中心に描いた著者は、この作品を書いていてどう感じ、なぜ刊行するに至ったのでしょうか。事件や読者の反応のせいかどうかは別としても、著者のHPにおいて、この作品の作者のコメントがないのは残念でなりません。文庫版発売の際には事件に対するコメントを包み隠さずはなしていただきたいものです。 | ||||
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数年前に実際に新潟で起きた少女監禁事件を下敷きにしているようです。あれは本当に残酷な忘れることのできない事件でした。あの事件を知ったときと同じ衝撃と痛みがあり、だからこそ「単なる本の中のお話」としては片付けられない作品です。残酷で汚くて寒気のするような負の部分においてのリアルだけが非常に強いです。少女の心が変な風に大人になっていくのも切なかったです。そして犯人は本当に知能の少ない大人なのか、それともそういう部分にだけ頭のいいものすごく計画性のある犯行をしたのか、私には判断がつかなかったのがただ悔しいです。それにしてもまだあの事件からたった数年。こんなにはやくあの事件を彷彿とさせるような本が出版されたなんて、被害者や周囲の方のことを思うと複雑です。 | ||||
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グロテスクの後、ほぼ間をおかず読んだせいでしょうか、とても嫌な読後感を持ちました。2作品とも実際にあった事件がモチーフとしか考えられず、いかに小説といえども、こんなふうに事件を描写してよいのかと思えました。何人にも表現の自由というものはありますが、事件の関係者が読めば憤り、また哀しくなる内容だと思うのです。桐野さんの作品はそんなに読むほうではないので断じてはいけないとは思いますが、そろそろ真の創作活動に、何もないところからお話を紡ぐ作業に励んで欲しいなと思った次第です。 | ||||
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モチーフは、著者がなんと言おうと、例の事件なのだろう。この事件を知ったとき、被害者はどれほど好奇の眼に耐えて、人生を送らなければならないだろう、と胸の裂ける思いがした。そして、この本を手にとって、これはもしや、この本を手にした者こそ、その好奇の眼差しの送り本なのだと、自戒したりもした。しかし、読みすすめていくうちに、一番の好奇の眼差しの持ち主は、著者であることを悟った。著者の功名心のみに立脚した作品だ。我を恥じた者すらを、愚弄する作品であった。全てが、好奇の視点により紡ぎだされたストーリーだ。被害者に、新たなる好奇の視点を背負わせるだけの作品だ。読後、どのような心境で書いたのか、たくさんのサイトを渡り歩いた。そして、それを証明する台詞を著者自身が語っていたところに行きついた。「あの事件は、“たまたま”、重なっただけです」著者にとって、モチーフにないでしろ、被害者の暗黒史は、“たまたま”と言う言葉ですまされるものらしい。“言葉”を生業としているはずなのに、それへの感性の欠如に、今後一切、あなたの作品なんて手にするか、と思ったしだいです。果たして、モチーフではない相手であるなら、喚起の対象になる人物と、この作品を間にして、正対できるのだろうか?星ゼロ個を設けてもらえないだろうか? | ||||
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桐野夏生、、クールすぎる。流れるような文体から醸し出す、恐ろしいほど現実的な描写。しかし、タイトルの残虐記といわれるほど、何も残虐なことはないと思うが。残虐ものを期待して読むのは進めません。でもでも、桐野作品は85%ハズレなし!それにしても犯人の男の描写はリアルだったなー。うそ臭いハッタリミステリーが多い中、彼女の作品は常に何か大事なことを含めた作品だと思います。☆3つなのは彼女ならもっとレベルの高い小説を他で書いてるし、書けるから。 | ||||
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初めて読んだ桐野作品でしたが、本作だけ読んで桐野夏生を理解するのは非常に難しいですね。それはそうと、タイトルから察するにどんなグロい話しかと身構えて読み進めましたが、むしろピュアな話で予想は裏切られました。しかし失望ではなく、恐怖と切なさが漂うサスペンスミステリーとして引き込まれ、一気に読み切りました。作中に手記と小説を取り込んでいるあたり非常に技巧的で、文章も巧い為、一気に読めるのですが、読者に対し解答を用意していないというところ、非常に歯痒いです。明るい未来に向って行動しているわけではないので、主人公(被害者)がどう決断したのかというヒントがもう少しないと収まりが悪いと言うか、読後感が悪いです。まあ、ハッピーエンドなど望むべくもないテーマだけに、当然そのあたり計算ずくのはずですが、現実の事件をモチーフにしている事もあって、拒否反応を起こす方もきっとおられるでしょう。創作と割り切って読んだ私は、他の桐野作品もチャレンジするつもりになっています。作家としての力量にはさすがに感心しました。 | ||||
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多くの方がレビューで書いてる様に監禁されてた期間はずっと短いもののあの事件がモデル、というのがすぐ分かる文章内容。ケンジの性に対する倒錯描写なんかは多少面白いと感じましたが、OUTの主婦とヤクザの心理描写には到底及ばないです。それよりも冒頭の、ケンジが成人した主人公に送ってくる手紙の文章が某超有名画家の文体とそっくりなのが気になります。内容も文体も何処かから持ってきてすごく適当につぎはぎした様にしか見えません。書き上げるまでの苦労に免じて本来星1つの所を2つにしておきます。 | ||||
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ケンジの,ヤタベとの関係に,心が痛みました.私自身の体験との相似点に,豪快な涙を流してしまいました.これは「少女誘拐」の話ではなく,ケンジとヤタベのラブ・ストーリーであるような気さえしました.そしてケンジとアナとのセックス・シーンの描写は,どんな台詞よりも,どんな悲しい暴力よりも切なく,愛情に満ちたケンジ・ヤタベ間に於ける恍惚を感じさせたのです. 母と景子の関係,父と景子の関係,母と父の関係,景子と夫の関係,ケンジとヤタベの関係,ケンジと景子の関係,景子と久美子の関係.全ての関係が,狂気に満ちて,俗に言えば,「歪んだ性」に見えます.しかし.それこそが,人間が生きる日常であり,私たちが隠蔽することに躍起になっている「性」でしょう.「歪んでいない性」など,存在し得ないのではないでしょうか.景子は,私であり,あなたであります.同時に,ケンジも,どの登場人物も,我々から離れた存在ではあり得ません. これから読まれる方に申し上げたい. 『残虐記』は,愛と性の物語です. | ||||
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桐野さんの本を読むと 夢にでてきます。グロテスクも心に突き刺さる一冊ですが、この残虐着も何日も夢にそのまま、また飛躍し膨らみ切った状態ででてきそうです。 グロテスクより文章が、私には読み進みやすかったです。しかし内容にはより大きなショックを受けました。身近でもっと恐かった。深い淵にすいこまれそうです… | ||||
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大人は相手の心を読み、起き得る出来事を予想するが、 それはすでに適応ではない。(文中64ページより)成人男性でありながら、幼児を誘拐する原因が上記に集約されている。精神の成熟に達しないまま、適応可能な少女を求める歪んだ性。相手に自分の心を読まれることを嫌悪し、言う通り適応する少女を欲する。歪んだ性に執りつかれてしまう人の悲しさ。セックスの過大評価そんな男に一年もの間監禁生活を余儀なくされた、少女の背負う人生の負い目桐野夏生の文筆力に引き込まれすぐ読めるが、こういう事件には解決策が無いような結末に女としてやるせない | ||||
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「グロテスク」もそうですが、実際の事件を題材にして誰が読んでも「あ、あの事件のことでしょ!」とわかる題材を選んで、でもディテールは、作者の想像、というのはどうなんでしょうか?読者は「フィクション」とはいっても文字にされると、「ああ、そうだったんだ」と現実と混同してしまいませんか?犯人のことを好きになった、とか、現実にいる被害者家族を傷つけませんかね?「グロテスク」を読んだときは被害者の家族から抗議がこないのだろうか?と疑問だったのですがまた、この手法を作者が使ったところを見ると、その手の批判はないのですかね・・。被害者を二度貶めるような気がします | ||||
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この作家、顔に似合わず悪趣味だな...... | ||||
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東電OL殺人事件に続き、桐野夏生が挑んだのはなんと新潟少女監禁事件。世の作家が書きたいと切望しながらもあまりの醜聞性に立ちすくむ題材に桐野は敢然と挑む。「手記の中の小説」という小説、という多重入れ子の構造に、夢と空想と現実が判然とせずに絡み合い、一度提示された仮説が次々と打ち砕かれていく。「意外な真実」であるように思えたことがどれも真実ではないようになる。「柔らかな頬」とおなじく結末はない。どれが真実かも明らかではない。それでも読者は途中で読むのをやめることはできない。そして、世の誰もが思いながらも口にできないこと、「監禁者と被監禁者の間に愛はなかったのか」という疑問に正面から答えたこと。桐野夏生の真骨頂はここにある。 | ||||
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たまたまこの本を読んだあとでデニス・ルヘインの「ミスティック・リバー」を読んだ。事件があった子どもがその後周囲の好奇心のなかで成長していくことの重さ。「残虐記」では語り手のつづる内容がどこまで事実なのか創作なのかというところも、「グロテスク」を思い起こした。 | ||||
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正直に告白する。というのは意外に難しいもので、大概の場合、人は自分の内面を正直に告白しようとしても、得てして何処か(瑣末な部分で)自分の都合の良いように脚色することがほとんどだ。間違いない。じゃあそれは他人に対する欺きなのかというと実はそうでもなくて、既に自分がいつしかその脚色を真実だと信じてたりするから事は単純な話ではないのである。というか厳密に言えば、語ろうとする内容の中に「判断」という要素が介在する時点で、(いかに誠実な「判断」だとしても)、「真実」にはヒビが入ってるということになる。こないだ見た「仮面ライダー龍騎」の中に、「事実は一つだが、真実は一つではない」というセリフがあったが、端的に言えばそういうことだ。かように我々の対面する現実というものは多元的に構成されておるものなのです。ややこしいなあ。面倒くさいなあ。桐野夏生は、そのややこしくて面倒くさいものに真っ向勝負を挑み、しかもちゃんと勝ち負けになっている(もしかしたら勝ってるかもしれない)希少な作家である。彼女の著作で俺が読んだのは今作と前作「グロテスク」の2作だけなのだが、どちらの作品にしても「事件が起こって謎が深まってそしてまた別の謎が出てきて最後で意外な犯人が分かってその動機が語られる」タイプの作品ではない。カテゴリーとしてはミステリーに属していると思うが、すごいトリックがあるとか事件が二転三転するとか、そういう要素は比較的少ないほうだろう。あえて「ミステリー」という言葉で説明するなら「現実の多元性が持つミステリー性」を描いている、ということになる。そして本の中でそれは解決されない。最終的に読者の「判断」に委ねられるのだ。 | ||||
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さっき、私にとって初の桐野作品「残虐記」を読み終えました。最初読み始めてから、ぐいぐいと引き込まれ、あっというまに読み終わってしまいました。面白かったです。とにかく、引き付けるものがあり、他の事をすべて忘れて読み込んでしまいました。それに、普段1度目は飛ばし読みをする私ですが、なぜか几帳面に読んでしまいました。この話の題材自体は、少女が男の家に誘拐・監禁されるという、マスコミ受けするワイドショー的内容です。そのせいもあって好奇心をそそり、引き込まれるように読んでしまうのですが、実はこの好奇心をそそられて読むという行為自体が、桐野氏の「皮肉」なのではないかと感じました。 | ||||
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この作家には、まるでタブーが存在しないかのようだ。新潟県人としては、この題材にたじろぐ。虚構性を明確に打ち出さなくては手を触れられない危険な題材である。しかし、明らかな虚構性を持たせたら、ウソっぽくなってしまう。 そこで、この作品の何重もの入れ子構造が編み出されたのだろう。ロシアの民芸品マトリョーシカのように、事実が変形させられながら次々と包み込まれていく。 想像力という美しい言葉で形容しがたい作品である。妄想が形をとった小説である。読みながら、自分の頭の中を覗き見られているようにドキドキした。あるいは、他人の秘密を覗き見ているような後ろめたさを感じながら引き付けられて行った。私の妄想力が、桐野の妄想力に吸い寄せられていったのか。 そもそも小説とは、あまり健全ではない世界に属するものなのだ。 | ||||
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35歳の作家(わたし)が一つの文章を残し失踪した。彼女は17年前の少女監禁事件の被害者だったことを、書き記し事件の真実を暴かれようとしたが。。。 この小説もなにか、現実の事件をモチーフにしていそうな気がします。 221ページですが3時間ほどで読めます。 事件が及ぼした両親の離婚、社会的な差別、容疑者との関係、検事との確執など。。。 もっとも残虐記的意味は。。。あとは読んでからのお楽しみに。。 | ||||
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この物語では再三にわたって現実と想像力の相克が語られる。しかし懸念すべきは「リアルワールド」「グロテスク」、本作、と徐々に想像力の飛翔の角度が落ちてきているように思われる点だ。これからも桐野さんの作品は読み続けることになろうが、もう一度「OUT」のような充実を、と期待したい。あざといタイトルは谷崎潤一郎晩年の同名作(婦人公論連載中、読者の抗議で中断)からということらしいが、そちらをぜひ読んでみたい。谷崎作品のフィクションとしての練度は現代作家の比ではなく高いから。 | ||||
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新潟の少女監禁事件を元にしたと思われる事件とその後日談がテーマです。監禁事件、そして大人になった少女の失踪事件の真相はどこにあるのか”藪の中”という書き方がこの作者らしいです。構成も多層になっていますが、しつこくなく、まわりくどくなく、ぐいぐいとよませます。うまいです。真相というのは、一つではなく、みる人によってかかわる人によって違うというのが、この作者の持論なのでしょう。この余韻の持たせ方も上手いです。私は、サスペンスというだけでなく、主人公と主人公の夫とそして犯人との三角関係の切ない恋愛ともよみました。 | ||||
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