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ことり
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ことりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 41~57 3/3ページ
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11歳の時から人間の言葉を話さなくなった兄と、兄の言葉=ポーポー語を唯一解する7歳年下の弟。二人の、愛に満ちた生涯を描いた物語です。兄は小鳥たちの言葉を理解し、人間よりはるかに深遠な世界を見ています。兄が死んだあと、長い歳月を経て兄の境地に近づき、みんなから「小鳥の小父さん」と呼ばれていた弟は、ある日おだやかな最後の時を迎えます。 完璧に作り込まれた工芸品を見ているような小説です。 言葉とは、孤独とは、生きるということの意味とは、愛とは、親子とは、兄弟とは…いくつもの思いが、あるときはささやくように、あるときは波立ち渦巻くように、湧いてきます。小説自身に解は示されておらず、読者の数だけ無数の想念が湧く、そういう小説です。 しかし、閉じられた妄想といった類ではなく、「小鳥の小父さん」が世間との接点で陥るピンチなど、胸苦しくなるようなリアリティがあります。 小川洋子の、磨きこまれたことばに、乾杯。 | ||||
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私にとっては、小川洋子さんの2冊目の作品でした。本当に独特の世界観です!ここの部分がピークの盛り上がりってのがないように感じますが、全部読むとはぁ~難解異本読んだかなって思わせてくれる。そんな作品でした。 | ||||
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淡々と兄弟仲睦まじく、ただ静かで自分たちの世界を壊すことなく、 生きていく主人公とその兄。 それが時には、周りの人たちから誤解を与えたりして、読んでいてもどかしさを感じながらも、 いかに人間社会はときには優しく、時には邪悪なものかを考えさせられる本。 私もコザクラインコを1羽飼っていますが、社会や家族で疲れたとき、 人間では癒されない癒しを与えてくれます。 変化はあまりないので、ミステリーを読むような感じではありませんが、疲れたとき、孤独を感じたときなどに読むと合う一冊です。鳥が好きな人には、特におすすめです。 | ||||
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私は、書籍や映画、ドラマなどに関してはレビューを書かないことにしています(実用的なものを除く)。感動した芸術作品について、私が何か感想を書けば書くほど、的確に表現できず自己嫌悪に陥り、何より感動した作品に対して失礼になると思って書けないのです。 しかし、本作品は作家の作家の絲山秋子氏が「第十回 絲山賞」を差し上げた作品であることをご紹介することで、この作品の素晴らしさをお伝えしたいと思いました。 -----「絲山賞」とは。 (絲山秋子氏のオフィシャルウェブサイトから引用) 絲山賞とは、一年間で絲山秋子が読んだもののなかで 一番面白かった本に差し上げている賞です。年末にweb日記上で発表されます。(第一回のみエッセイの中で発表)本人への連絡等はしません。(出版社が連絡している場合は多い) 名誉、ありません。正賞、副賞、ありません。 つまるところ「我が家の十大ニュースってなんだっけ」と 年末の食卓で語られるような、そんな程度の賞です。 単行本の帯や、対談等に採用されることがありますが、これは受賞者側の「粋な計らい」によるものです。 -----(引用終了) -----そして2013年12月10日に、「本作品に絲山賞を」と発表された日記。 (絲山秋子氏のオフィシャルウェブサイトから引用) 第十回絲山賞は小川洋子氏の「ことり」(朝日新聞出版 12年11月30日刊)にさしあげたいと思います。 これまでの絲山賞につきましてはこちらをご覧ください。 これほど静かで、濁りのない小説を私はほかに知りません。慎ましく生きていても、大切なものはひとつひとつ失われていく。読後の余韻が長い間心に響きます。哀しさはあっても甘さは抑制されていて、作者が本当に小説を大切にしていることが伝わってくると思います。心が騒がしくなっているとき、素直になれずに苦しいとき、ぜひ読んでいただきたい本です。 -----(引用終了) | ||||
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人の言葉が全く話せず、自分だけの言語を話す兄と、ただひとり兄の言葉を理解できる弟の物語。兄は人の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりは理解することができる。 そんな2人の、2人きりの静かで、やさしく、せつなくて、寂しい暮らしを、淡々と、でもそっと包み込むように描いている。 2人の暮らしは慎ましく、穏やかで、でもささやかな幸せに満ちているんだけど、なんだかたまらなくせつなくて、「この人たちにはもっと、慎ましくないはっきりくっきりした大きな幸せをつかむ権利と方法があるんじゃないのか!」とつい、思ってしまう。 でも、きっと彼らはそんなものは全然必要としていないんだろう。私ってやっぱり俗物だなぁと思う。もっと美味しいものを食べたり、旅行したり、映画を見たり、小鳥を飼ったりすればいいのに!と思ってしまうのだ。 何が幸せかなんて、人に測れるものじゃないのにね。きっと2人は幸せだったのだ。でもなんかしみじみとせつない。 小川洋子の作品は、そんな気持ちにさせられるものが多く、読み終わったあと、なんだかすーっと心が静かになって、心の隅っこに溜まった汚れが浄化されるようなそんな気がする。 「明日からも頑張ろう!」とは決して思えないんだけど(笑)「明日からもっとしみじみしよう」みたいな。 | ||||
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世間の多数派を占める「犬の小父さん」でも「猫の小母さん」でもなく、圧倒的少数派の「小鳥の小父さん」が主人公という所に心惹かれて本書を手に取りました。私は大の小鳥好きです。 私も今までの人生で二人ほど「小鳥の小父さん」に出会ったことがあります。 二人とも商店街の外れにある、さびれた風情の「小鳥専門店」の店主さんでした。 第一印象は、決して社交的とは言い難い雰囲気。でも小鳥について何か尋ねると、途端に目を輝かせて饒舌に語りだし、時折人のよさそうな笑顔を見せてくれます。話していると、小鳥という、手のひらに乗るほどの小さくて儚い命を心から慈しんでいるのが伝わってきて、心温まる気持ちになったのを良く覚えています。 そんな過去に出会った小鳥の小父さんたちを主人公に重ねつつ本書を読み進み、ぐいぐいと物語に引き込まれて行き、一気に読了してしまいました。 まず印象に残ったのは、著者の「小鳥の小父さん」へ注がれる眼差しがとても温かいということ。普通なら変わり者と思われてもおかしくない主人公ですが、小川洋子さんの静かで柔らかい文章で、その心情がとても丹念に描かれているため、読者も主人公に共感し、感情移入出来るのだと思います。私は特に小父さんが図書館司書に淡い恋心を抱くくだりに共感しました。この図書館司書の女性が、実に心優しく素敵な女性で、好きになってしまう気持ちも良く分かります。遅ればせながら小父さんに訪れたささやかな恋の予感。そんな自分に戸惑いながらも浮き立つ気持ちを抑えられない小父さん。とは言え、相手は小父さんを異性としては見ておらず、結局切ない片思いに終わるのですが、この辺りの小父さんの心情が小川さんによって細やかに描き出されていきます。 これと言ってスリリングな展開があるわけでもなく、「小鳥の小父さん」の慎ましやかな日常が描かれている小説なのですが、一文たりとも飛ばし読みすることのできない程、引き込まれてしまいます。これはただただ小川洋子さんの小説家としての「読ませる力」の素晴らしさによるものだと思います。 私は読み終わった後、不器用だけど誠実に生きた「小鳥の小父さん」の人生に思いを馳せ、静かな感動の余韻にふけり、しばらく放心状態となりました。 小父さんにとっての小鳥がそういう存在であったように、ささやかな日常の中で、自分が心から「愛おしい」と思える何かを大切にして生きて行きたい・・・そんなことをしんみりと考えさせられた小説です。 | ||||
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鳥籠を、抱きかかえたまま発見された「ことりの小父さん」! サスペンスドラマを連想させる物語のはじまりに、戸惑いながらもページをめくると…… 「ことり」という響きからイメージされる様々なものが、次第に現れてくる。 青空薬局、ポーポーキャンディー、小鳥ブローチ……いつしか「昭和の香り漂う世界」へと誘われ心地良い。 中でも「ミチル商会の社史」の出現には、「さすが、小川さん!」と発想の奥深さに感嘆するばかりだ。 そして、愛らしいばかりでなく「ことり」の持つダークな面も、同時に描かれていて、人間の身勝手な愚かさも痛感する。 「幸福な王子」を少し感じさせるラストは、切ないけれど心が温かくなる。 | ||||
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親父が亡くなる少し前に読んだ小川洋子の小説。 幼稚園の鳥小屋の世話していたおじさんがなくなる。 おじさんには兄がいて、あるときから自分だけの言葉を喋るようになる。父は家庭に興味がなく食事が終わると自室に閉じ籠る… 兄の楽しみは、駄菓子屋の鳥の絵の書かれたキャンデーを買うこと。兄はその包み紙でブローチを作る。 父が死に、母も亡くなり、おじさんは兄と二人きりの生活を過ごす…どこかへ旅行の準備はするけれど、結局はどこへも行かず。たまに幼稚園の鳥小屋を覗きに行く生活。 その兄が亡くなり、おじさんは鳥が好きだった兄のために鳥小屋の清掃や世話を申し出る… やがてときが流れて、兄との思い出のキャンデーもなくなり、ある日、怪我をしたことりを見つけ世話をする・・・ もう、かなり記憶があやふやで、時系列がバラバラになっているけど、おじさんの人生について想い考えていた。 なんだか、すごく悲しかった。もう少し、外の世界を見ることができたなら、おじさんに図書館の司書や虫の音を聞く老人以外におじさんの話を親身に聞ける人がいたなら、おじさんの生き方も変わっていたのかな。 最期まで、兄の呪縛を引きづり続けたおじさんの人生、なんだか、とても悲しい。 | ||||
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いささか奇妙な設定ではあるが、作者の透明感のある静謐な文体で描かれることにより、目の前に情景が立ち昇ってくるようだった。 生涯、小鳥の声に耳を傾け続けた兄弟の一生は、傍からみれば、あまりにもちっぽけで、取るに足りないものかもしれないが、そこに流れる豊かな時間や、大切なものを不器用に守り続ける強さが愛おしい。 小さな小鳥の声に耳を傾けること、かけがえのないものに自分を捧げることの意味を問われる作品だと思う。 | ||||
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小川洋子の小説書きの眼は、ゆっくり回される映画カメラのようだ。 あらゆる細々したものを念入りに捉え、ときに拡大鏡のレベルまでズームインして仔細に言葉に写す。 この『ことり』はそのカメラにさらに高感度特殊マイクが付帯されたような「耳」の小説。 小鳥を愛し、その声を聞き分けた兄が編み出した特異な言語。 それを世界で唯一理解する弟である「小父さん」。 小鳥と「小父さん」の温かく美しい声の交錯。鈴虫箱の老人。 メジロの鳴き合わせ会を開く粗野な男。 大切なものとの小さな世界を不器用に守り尽くす「小父さん」の静けさが読後の耳に残る。 | ||||
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明晰な仏蘭西語をしのばせる現代日本語による叙述。小川洋子の眼は恐ろしく透明でどんな被写体をも驚異的な精度で射ぬき、それを水晶のような日本語に定着する。徹底的に推敲された用語はそれ以外に絶対にあり得ないという高い水準に定位されている。 さて今回の作品は、まるで我が家の長男と次男のような仲の良い兄弟が登場して、心が洗われ、思わず泣きたくなるようなまじわりを示すあえかな出来栄えでした。 小鳥を愛し、小鳥との会話をするために新しい言語を開発したお兄さんは、周囲から奇人変人扱いされるのですが、その弟の「小鳥のおじさん」だけにはその新言語が通じるのです。 以前「日本の犬はアメリカの犬と話せるか」という宝島社の企業広告を見た時、彼らには万国共通のワンワン語があるのだから、そんなことは当たり前じゃないかと思ったが、猫にはニャンニャン語が、小鳥には小鳥語というものがあるのである。 さなきだに生き難い生き馬の目を抜くようなあざとい世の中を、ハンディを抱えたこんなよわよわしい、ちょっと奇妙な2人が、どのように細々と生き抜き、どのような行く末を迎えるのだろうと、私たちはハラハラしながら頁を繰るのだが、そこにはいかにも「小鳥のおじさん」にふさわしい最期が待っているのでした。 南西諸島特産のオオゴマダラがなんで鎌倉の空を飛んでるんだ うれしいようなヤバイような妙な気持ち 蝶人 | ||||
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高機能自閉症だと思われる兄と、兄ほどではないがやはり自閉傾向を持つ弟の物語。 弟はすでに「ことりのおじさん」と呼ばれる存在になってから物語は始まる。 というか、冒頭で既に死んでいる。 そこから語り起こされる、名もなき静かでつつましく清らかな一人の人生。 十姉妹、文鳥、メジロたちが物語を可憐に彩る。 虫箱で鈴虫を消費する男、鳴き合わせ会でメジロを消費する男たちが、すっと忍び寄って影を落とす。 静かなさざ波のような小説だった。 | ||||
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「小鳥の小父さん」と呼ばれた小父さんの一生を綴るお話し。 ポーポー語しか話せないお兄さん、あたたかな園長先生、ポーポーを売る薬局の店主・・・。 小父さんにかかわった人は少なく、多くを持っている人でもなかったけど、 小父さんは大切なものだけをそばに置いて、丁寧にひたむきに生きている人でした。 このシンプルさ・・・これこそが幸せなのかな〜ってしみじみと思える。 小父さんは人生の経験値はおそろしく低いけど、でも満ち足りた人生を送ったことに間違いないもの。 いろんなことを経験したり、濃い人生を送りたいという気持ちはあるけど、 こういうものを読まされるとはたしてそれが幸せなのか?と深く考えてしまいます。 最後まで読み終わった後に最初の数ページを読み返してみたくなるはずです。 きっと最初に読んだ時とはまったく違う風にとらえられると思いますよ。 静謐で澄みきっている小川洋子さんの世界が好き。。 とっても繊細な作品なので、大切にいたわるように読んでください。 | ||||
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どんな人にも心配りを忘れない心温まる本でした。 おじいさんが亡くなるときにすぐ近くの鳥かごにいた小鳥は無事かごから解放されるのでしょうか? | ||||
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とても不思議で魅力的な小説です。 ただ、なぜ自分がこの作品世界にそれほどまでに惹かれるのかと問われると、うまく言葉で説明するのが大変難しいのです。 あまり他人に勧めず、自分だけがその良さを知っている「特別な一冊」として仕舞っておきたい。訳もなくそんな気分にさせる、なんとも不思議な作品です。 | ||||
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小川洋子さんの作品が好きで、博士の愛した数式やミーナの行進などを読みました。今回は発達障害と家族のかかわりを考えさせられました。世の中や家族を改めて見直しました。 | ||||
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本書のあらすじを、amazonではこう纏めている「世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない」なるほど、前半は確かにそうだ。ストーリーである以上、後半を縷々紹介するわけにもいかない。しかし、兄との死別は、本書の2/5時点で起きているし、兄との想い出は終盤まで流れる主旋律の一つとはいえるが、中盤後半のエピソードの連なりから、本書のテーマが伝わることを考えると、兄弟の話に終始するかのような紹介には首を傾げざるを得ない。敢えて言うなら、ミスリードの元に成りかねないからだ。 119頁に、鳥籠を定義した一文がある。この一文は終盤でも改めて登場しており、本書のテーマを読み取る上での重要な内容と考える。 「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さい自由を与えるための籠です」 実は、非常に矛盾した、そして、何とも傲慢な定義である。「閉じ込める」ものではないと言いながら、小鳥に相応しいのは「小さい自由」だという。小鳥の奪われた大空を飛びまわる大いなる自由を奪いながら、よく言えると思うが、それは「与えるため」として、小鳥と飼い主の関係を明らかに対等に考えない者の発想としては納得できる。 この鳥籠というのが、本書の主人公である「小父さん」と「お兄さん」の暮らす世界・生活空間そのものではないかと思う。 自宅から青空薬局から外には決して行こうとしなかった兄、自宅の他は2つの職場といくつかの憩いの場所にしかやはり足を伸ばさなかった弟。そして、足を伸ばすことで、得たつかの間の憩いが、常に籠の外の嵐となって弟の心に傷を残すという哀しい展開。主旋律としての兄弟のやさしさ・せつなさの後ろで常に小さくしかし重く流れ続ける哀しみの副旋律こそが、本書のテーマ性を高めているところだろう。 もう少し明確に書くならば、「小父さん」「お兄さん」という二人の言い方だが、冒頭で「小父さん」の死を描くことで、5歳の小人を「小父さん」とするお化しさを読者はあまり感じない。しかし、そこで倒錯に気づかぬことで、弟が正に「小父さん」というべき年齢になっている、つまり、兄の死のころには、この二人は、アラフィフの老いが目立つところにいっていることも気づきづらくさせている。 その結果、司書との出逢いが、実のところは、60近い老人が20そこらの若き女性に気想するというグロテスクな見え方をする一面も、気づかれづらくなる。 そう、この「気づかれづらさ」もまた、本書のポイントといえる。司書との秘密の会話は、実は小父さんの脳内暗号解読でのみ成り立っている。つまり、本作品での主要な”会話”は、小父さんの脳内のみで成り立っているだけなのでは?という疑念を読者が気づきづらいのである。ポーポー語での兄さんとの会話、メジロと歌いあった調べは本当に成り立っていたのか、そして、そんなものが成り立つと思う小父さんの存在が外界からどう映っていたかは、「ことりのおじさん」という言葉や薬局のおばさんの少ない言葉から、容易に想像できる。 しかし、それを私は否定的には捉えていない。哀し過ぎるからこそ、籠の中の鳥が愛されるのと同じく、小父さんもまた哀し過ぎるからこそ愛おしい小説の主人公たり得ているのだと思う。 | ||||
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