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風神雷神 Juppiter,Aeolus
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風神雷神 Juppiter,Aeolusの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 1~20 1/3ページ
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| 風神雷神を描いた俵屋宗達の物語である。風神雷神は、京都博物館で見た。また、建仁寺でも見た。 その雰囲気とバランス、二神の画面からはみ出た躍動感が素敵だ。色彩も鮮やかで、特に白の雷神と緑の風神の対比がいい。その作品を描いたのが、俵屋宗達である。 俵屋宗達、1570年〜1640年とされている。生まれた年も、死んだ年のもよくわかっていない。そして、素性も不明である。残された真筆の画は少ない。その時代は、織田信長1543年〜1582年本能寺で自害の時代だった。織田信長に寵愛されたのが狩野永徳、1543年〜1590年で47歳で死す。 それにしても、この物語の虚構性の着目が素晴らしい。天正遣欧少年使節が、出発したのが1582年。その年に織田信長は亡くなっている。その天正遣欧少年使節団に、俵屋宗達が法皇に狩野永徳が描いた『洛中洛外図屏風』を献上させるというフィクション。1584年にポルトガル、リスボンに到着。1585年3月にローマ教皇、グレゴリウス13世に謁見する。実に3年の月日を要する。 物語は、京都国立博物館研究員望月綾が、江戸初期の謎の絵師 俵屋宗達『風神雷神図屏風』について、講座で説明するところから始まる。 そこに、マカオ博物館の学芸員、レイモンドウォンが望月彩を尋ねて、マカオに来てほしいと要請する。望月彩は、早速マカオに飛び、そこで絵と文書を初めてみる。マカオは、天正遣欧使節の原マルティーノが死去した場所で、その文書には原マルティーノの文字があった。 俵屋宗達が、不明のことが多いので、そこに妄想を働かせて、俵屋宗達の物語を作り上げる手腕は、さすが原田マハである。 京都の扇屋の俵屋の息子、伊三郎は、扇の絵を描くのに優れており、その扇の絵が目につけられ、織田信長に召されて、絵を描くように言われる。そのとき12歳であった。織田信長は、見たこともないものを描けという注文をしたら、伊三郎は 杉戸に象の絵を描いた。これは、伊三郎が近くにある南蛮寺で見かけたものだった。伊三郎は、見たこともないことを描くということで、実物の象は見たこともなかったが、描ききった。信長は、それを褒めて、宗達という名前をつけた。俵屋宗達の始まりである。 そして、宗達の父親は、絵師にするために狩野永徳におとづれ、宗達を弟子入りさせてほしいと懇願するが、認められなかった。しかし、突然永徳から家に来るように言われ、手伝いとして、3ヶ月間絵の手伝いで、使うと決まった。それは、織田信長が、永徳を使って、『洛中洛外図』を作るように命じたからだ。永徳の『洛中洛外図』は、織田信長に命じられて一度書いたのだが、その逸話が興味深い。 それを上回る『洛中洛外図』を描くように織田信長に言われる。 宗達は、初めての屏風の大作で、永徳の仕事ぶりを膝下と見て、覚え、飛躍的に成長するのだった。また永徳は宗達の才能を認め、織田信長に、狩野永徳の容姿にしたいと申し出るが、信長は認めなかった。信長は、宗達を別の使い方をしたかったのだ。 それが、天正遣欧使節(原マルティーノ、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン)と一緒に俵屋宗達を行かせることだった。そして、宗達は、法皇に『洛中洛外図屏風』を献上させ、ローマの状況の図を描かせて、ローマの実情を知りたいということだった。 そして、天正遣欧使節団は、ポルトガル、そしてローマに向かうところで、上巻は終わる。 織田信長の大胆な構想力と好奇心の凄さ、そして、その下での狩野永徳に対する保護や支援は並大抵のものではなかった。安土城には狩野永徳の絵でうめつくされていいた。 俵屋宗達の風神雷神の図の構想が、日本の絵の構想とは、明らかに違う。宗達がローマまで行った経験があると考えた方が妄想が広がる。ミケランジェロ、レオナルドダヴィンチの絵の影響を受けたということだ。 | ||||
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| 読み終わった。でも、原田マハの作品では、久しぶりに不完全燃焼だった。史実と虚構の入り混じった展開に、いろいろ刺激は受けた。 俵屋宗達が、『風神雷神』を描くところまで到達していない。続篇を期待したい。天正遣欧使節団が、日本に帰国したのが、1590年。天下は秀吉の時代。秀吉は、1587年7月にバテレン追放令(バテレンとは宣教師のこと)を発布していた。秀吉は、宣教師を追放したが、キリスト教を否定していなかった。それで、1591年3月に秀吉に、天正遣欧使節団は、聚楽第であっている。家康は、1612年に「禁教令」を出し、キリスト教を完全に禁止した。日本は鎖国となり、オランダとの貿易だけに限った。 本書を読みながら、天正遣欧使節団の帰国後の行く末が、気になった。 伊東マンショは、大友宗麟の名代。日向国主伊東義祐の孫。司祭に叙階。1612年長崎で死去。千々石ミゲルは、大村純忠の名代。後に棄教。1633年死去。(ただし、長崎、諫早市で墓が見つかり、ロザリオと一緒に埋葬されていたため、棄教ではないという説もある)。中浦ジュリアンは、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るしの刑により殉教。原マルティーノは、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオにて死去。本書『風神雷神』の物語は、原マルティーノの日誌が元になっている。原マルティーノは、語学に優れ、スペイン語、イタリア語、ラテン語に通じて、通訳の役割も果たす。物語では、俵屋宗達との関係も良好だった。原マルティーノは、マカオの大聖堂の地下に、生涯の師ヴァリニャーノ司祭と共に葬られている。 1583年11月、インドのゴアに到着。ヴァリニャーノ司祭は、ゴアにとどまることになる。イエズス会からインドの管区長に任命された。宗達は、ヴァリニャーノを父と思い、ついてきた。宗達がローマに行けと命令された時、ヴァリニャーノ司祭が立ち会った。また、天正遣欧使節団の許可もとった。また行く途中においてのイタリア語の教師でもあった。ヴァリニャーノは、清廉潔白、正義感強く、こうと決めたら筋を通してやり抜く人だった。宗達は、身を切るような痛みを感じた。「あなたは、ローマまで行くと言われた。嘘をついたのか」を問う。 1584年8月、ポルトガル、リスボンに到着した。歓迎され、宮殿の絵を見るが、初めは珍しさがあったが、同じものに見えてきてがっかりする宗達。2ヶ月後、スペインのマドリードに到着。スペイン国王フェリペ二世と謁見。宗達は、父親が渡してくれた風神雷神の扇を見せる。マルティーノは、ユピテルとアイオロスと紹介する。 1585年3月 イタリアのリヴォルノに到着。トスカーナ大公国で、ピサの宮殿に入る。宗達は。コジモ・ディ・メディチに会う。その威厳に驚く。沢山の肖像画はブロンズィーノが描いた。 フィレンチェに到着。ヴェッキオ宮殿。メディチ家が支配する礼拝堂。キリスト受難のレリーフ。祭壇の聖母子像。聖母マリアと幼子。内側から放たれる清らかな光。絵には命が宿っていた。それを描いたのが、レオナルドダヴィンチ。(ダヴィンチ村の出身のレオナルドという意味だった)その絵に宗達は感服する。 ローマ、カンピドリオの丘のふもと、イエズス会の本拠、ジェズ協会へ。ジュリアンは熱を出し、三人と絵師の宗達しかローマ法皇に謁見できない状況となった。1585年3月23日法皇、グレゴリウス十三世と謁見。グレゴリウス十三世は、ボローニャ生まれ、ボローニャ大学に学び、教鞭を取った経験を持つ。ユリウス暦から新しい暦、グレゴリウス暦を導入した。宗達は、『洛北洛中図』の屏風を渡す。システィーナ礼拝堂の天井画が、ミケランジェロの『天地創造』と『最後の審判』の画を見て、宗達の心に沁みた。宗達は、ダヴィンチ、ミケランジェロに会いたかったが、ダヴィンチは1519年、ミケランジェロは1564年に死んでいた。また、グレゴリウス十三世は、謁見の18日後に亡くなった。コンクラーヴェヶ行われ、シクストゥス五世が選ばれた。 神は世界を光と闇にわかちたもうた。 さらに神は太陽と緑を創りたもうた。 また神は水と大地をわかちたもうた。 天と、地と、光と、緑と、水と。 宗達は、天地創造に惹きつけられ、一切の言葉を奪い去られて、ただただ涙を流していた。 宗達は、この絵をみつために、ローマにやってきたのだった。 宗達は、ミラノにいた。ドミニコ会のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の厨房を抜けて、食堂の壁画が、ダヴィンチの『最後の晩餐』だった。そこには、裏切り者がともに食卓を囲むことを許しているキリストがいた。宗達は、クリスチャンではなかったので、違和感を感じていたが、ここでキリストの心の広さを感じる。 そして、その食堂に少年が現れた。絵道具を持っていた。その少年が、1571年生まれのミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジオで、14歳だった。いやはや。宗達とカラヴァッジオと会わせるとは、すごい。二人は交流し、互いの絵を送り合う。そして、カラヴァッジオが働いていたシモーネ・ペテルツァーノ公の絵画工房で、工房の作業を見るのだった。実際にカラバッジョは、その頃工房にいた。 宗達は、ダヴィンチの絵に出会い、ミケランジェロの絵に向き合い、「描きなさい。まっすぐに。己の信ずるままに」 という声が聞こえたのだった。 | ||||
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| 新品ということでしたが、ついているはずの赤い帯がありませんでした。 ちなみに下巻にはちゃんと緑色の帯がついていました。 本の内容には関わらないので、こだわるつもりはありませんが、少しだけ「?」と感じました。 | ||||
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| 建仁寺に行きます! 読んて、俵屋宗達愛 | ||||
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| 原田マハの妄想美術館を読み、そこから風神雷神に至りました。フィクションとは思えない迫力ある歴史の積み重ねに圧倒される思いでした。 また、妄想美術館を読んでみたくなりましたし、昔見たローマやミラノ、フィレンツエの美術館に死ぬまでにもう一度行きたくなりました。 美術の好きな方におすすめです。 | ||||
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| 期待通りの美品単行本です。ありがとうございました。 | ||||
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| 期待通りの良いコンディション、カバーの風神雷神が蒐集に相応しい迫力の、とても出来の良い単行本です。 ありがとうございました。 | ||||
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| こんな歴史があったら凄い。面白い。素敵な発想。本はとてもきれいに届きました。 | ||||
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| 苦難を乗り越えローマに到着した宗達と天正遣欧少年使節が、スペインやイタリアを周遊し、ローマ法王に謁見し、西洋の絵画にに触れる。宗達はなかなか西洋の絵師と出会えないが、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの絵に出会い敬服する。宗達とマルティノが「最後の晩餐」の前で出会った少年との深いつながりは、特に宗達には改めて絵への渇望が沸き起こる。そしてエピローグでプロローグで触れていた「ユピテル、アイオロス」(風神、雷神)の絵につながる。日本でのキリスト教は豊臣の世で禁止されたが、風神雷神とユピテル・アイオロスは現代まで残った。個人的な見解だが、芸術の普遍性や人種・言語を超えるものとしての絵を訴えたかったのかもしれない。 | ||||
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| プロローグは現代の話となており、マカオで見つかった「ユピテル、アイオロス」(風神、雷神)の絵で、天正遣欧少年使節の原マルティノと風神雷神図屛風を描いた俵屋宗達(たわらやそうたつ)が結びつく。そして第一章からは、まだ風神雷神図屛風を描く前の宗達と原マルティノが出会うところから、船でローマを目指すところまでを物語る。どこまでが真実でどこからがフィクションなのか分からないけれど、結構壮大な物語となっている。“絵”にまっすぐ向き合う宗達と“キリスト教”に帰依するマルティノが親友となってローマを目指す姿には、「ガンバレ」と応援したくなるし、どのように風神雷神につながっていくかも気になる。下巻に進む。 | ||||
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| omosiroi | ||||
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| omosiroi | ||||
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| 読みながら先が気になり、もどかしく、早送りしながら読みたくなるような……それでいて、美しい言葉の描写を味わいながら……至福のひとときでした。 織田信長、狩野永徳、俵屋宗達、天正少年使節、キリスト教美術……京都、長崎、マカオ、イタリアを舞台とした物語です。 はるか昔に、こんな素敵なイタリア文化との交流があったなんて、……勿論、史実に基づいたフィクションとは分かっているけど、ゾクゾクするような気持ちになりました。 原田マハ先生のような作家さんが、世界各国にいらして、自国の文化と、他国の文化を、こんな形で文学に表現して、多くの方々に読まれたら、世界は平和になるような気がします。 | ||||
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| おそらくこんな事は起っていないでしょう。 でもそうであったら面白い、と本当に思います。 海外へ行くことが困難であった時代だからこその大河ドラマです。 原田マハさんにフェルメールとレーウェンフックについても是非書いてもらいたい。 | ||||
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| まだ上巻ですが、俵屋宗達をめぐるちょっとしたミステリーです。 まるで大河ドラマのような壮大さ。 あの人とつながってしまいます。 そしてあの人達とも。 下巻が楽しみです。 | ||||
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| 史実と夢物語の素敵なハーモニー。 いつもマハさんの世界に引き込まれます。 京都に帰ったら会いに行きます! | ||||
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| 柳広司さんの風神雷神を読んで感動し,建仁寺に風神雷神の複製を,養源院で白象の杉戸絵を見に行き,その勢いでこの本を読み始めました。上巻を読んだとき,歴史小説はフィクションとはわかりつつ,ここまでの大嘘書くのはよくないと思い下巻を読むかどうか迷いました。「俵屋宗達が天正遣欧少年使節と一緒にいってたらどんなことしたかな?嫌になったら即読むのをやめよう」と思い直して下巻を読み始めました。そうしたらなんと,この旅ががぜん楽しくなってしまいました。危険な船旅にはらはらし,日本の代表として毅然と欧州の王たちに接す姿に誇りを感じ,描かれたばかりの,レオナルドダビンチの天地創造やレオナルドダビンチの最後の晩餐を見た彼らをうらやましく思います。今は,一緒に濃厚な旅をし終えた」感じです。風神雷神の扇を手にしてどっぷり余韻に浸りたい。そして今度は天正遣欧少年使節の本を読みたい。ありがとうございました。 | ||||
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| 16世紀の西欧と日本の関係に新たな想像力を及ぼしていて面白い | ||||
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| 横断的に歴史を扱っていて面白いでした。 | ||||
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| 楽しい | ||||
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