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(短編集)
或る「小倉日記」伝
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【この小説が収録されている参考書籍】
或る「小倉日記」伝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 21~40 2/3ページ
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デビュー作『西郷札』(昭和26年)~『張込み』(昭和30年)まで、全二十八本の短篇を所収。 巻末にある桑原武夫の解説によれば、同期間中に発表された小佳品『白梅の香』他十九篇が割愛され、「この取捨はおおむね適切」としているが、計四十七篇中二十八篇のみの掲載で全集の体を為していると言えるだろうか。 二、三~五.六篇の削除ならまだしも、全集を揃えようとする熱心なファンなら物足りないのでは? いつ頃からかのノンフィクション等への傾倒を別にすれば、刑事が登場する本格的社会派推理の第一人者というイメージが強いのだが、初期短篇群を並べれば殆ど“歴史小説家”と言っていいくらい。 当時まだ権威であり続けていた自然主義及び私小説を嫌い、逆にあまり書き手がいなかった明治物の多さ(『くるま宿』、『梟示抄』、『啾々吟』他)は、物語性が濃い菊池寛や“開化もの”を書き綴った芥川龍之介の影響らしい。 森鷗外への憧憬は芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』でも明らかだが、桑原によれば、「松本は鷗外の文章を学び取ろうと努力したのにちがいない。しかし、(中略)それはしょせん無理なのであった」と冷たく、件の作品の一部を抜粋し、「このような文章は、(中略)鷗外のペンからは絶対に出てこない文体である」とまで断言している。 解説を委託され否定的なことだけを書く訳にいかないのは当然だが、この後が如何にも桑原らしく、「作者が鷗外から学び、あるいは、素質を強化されたのは、文章においてではなく、ものごとへの執拗な、しかも冷静で理詰めな追求欲である」と続け、フォローと言うより、松本が生まれながらに持っていた資質+半生に渡り育成されただろう後天性の特質をも看破していて、この全集が1972年初版だったことを考えれば、桑原こそ再評価されるべきだと思わざるを得ない。 デビュー当時から「題材で得をしている」と評されたことや古代史への関心(『笛壺』、『石の骨』)、後々のフィクションとノンフィクションの融合(『小説 帝銀事件』、『神々の乱心』、他)等をも鑑みれば、元々ニッチェ分野開拓を運命付けられた、あるいはその方面に嗅覚が利くという珍しい作家なのかも。 他、高等小学校卒という有名な学歴コンプレックスが下地にある『菊枕』(モデルは杉田久女、久女がストーカー紛いに追い掛けるのは高濱虚子)、『断碑』、そのために受けた図案家として最低の条件で雇われた朝日新聞時代の数々の屈辱からヒントを得た『特技』、『山師』、自らの容貌の負い目と恨みを結晶させた『湖畔の人』と『面貌』(徳川家康の六男松平忠輝が題材)、全集の34所収『半生の記』と同じく珍しい自伝的作品『父系の指』など、遅咲きの流行推理作家のルーツが全体に鏤められているニュアンス。 特に、『父系の指』のP411、後に代表的長篇に数えられる『砂の器』の肝となる島根県仁多郡仁多町“亀嵩”、及び東北弁に近い訛りというネタが既に使われていたことにも着目を。 今改めて読み返せば、かなり古色蒼然とした感は否めないのだけれども、やはり、変わらずにグッと来るものがあって、昭和の古典として語り継がれるべきであり、世代を問わず読んでいただきたいと思います。 | ||||
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主人公は母と共に一心不乱に森鴎外の小倉時代の足跡を追い独自に日記を作成しますが、主人公が亡くなった後に実物の日記が見つかります。彼は幸せであったのか、わからないと小説は終わっています。しかし彼の行った仕事は無駄ではなかった。後世の研究者は2つの日記を比較検討することが可能となり、それが鴎外研究を進歩させるからです。サイエンティストとはこうあるべきでしょう。真実を明らかにするためには地道に客観的な事実を積み重ねる以外にやりようが無く、その評価はずっと後にされるものです。 | ||||
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本全集の良さは短編作品が豊富に収録されたことである。 当初4巻を予定していた短編集は最終的には6巻に拡張された。 当「短編1」には「西郷札」「或る「小倉日記」伝」「火の記憶」「張込み」 「断碑」「恋情」などの名作 さらに「戦国権謀」「山師」「腹中の敵」 「柳生一族」などの時代物傑作を掲載。ここではつまらない作品紹介はしない。 ぜひ手に取って読みお楽しみください。 この頃作家は41~46歳。「週刊朝日」に「西郷札」を応募、三等入選(41歳)、 二年後「小倉日記伝」で芥川賞に輝いたものの即注文が舞い込むわけでなく、 8人の家族を抱えて勤務の傍らコツコツ書いていた。長編には長編の良さがあろう。 だが大作家として開花する前、夜間うちわをバタバタさせながら汗ばんだ鉛筆から 生まれたこれらの短編は凝縮された魅力に満ちている。そして何より面白い。 巻末に作家自身が簡潔ながら諸作品誕生のいきさつを書き、桑原武夫氏が 優れた解説を寄せている。 | ||||
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この後、作者が、次々と発表する名作の数々の、伏せんとなる作品の短編集、それにしても。さすがうーんとうなる、傑作ぞろい。 | ||||
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某氏が某賞した本(200万部うれたのでしたっけ?)を回し読みで読んでため息をついた後、買ったのがこの本。 短編ではあるが様々なことが凝縮されて唸らざるを得ない一品。 これを読んだ後、今年受賞した某氏の一品を読んでどう思うかについて、考えると酒が進みそうだ。 | ||||
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菊枕=最後は涙を誘いました。 火の記憶=この作品はあまり好きでなかった。 断碑=実在の考古学者をモデルにした作品でよかった。 笛壺=どうしてこんなに底意地が悪く執拗な自我、表皮の下に冷たさが流れている女性を、男性は好きになったのか私にはわかりません。 赤いくじ=.美しい女性に人生を駄目にした2人の地位或る男性、美しすぎる女性は怖い? 父系の指=(半生の記)松本清張の、世の中に認められるまでの自伝。苦労しながら努力したのだな。 石の骨=大学教授をモデルにした作品、考古学の先生方でもにもこういう上からの圧力と狡さがあることを知りました・ 青のある断層=このような女性はいますね。 弱味=役所ではこのようなことはたくさんあるのでは? 箱根心中=従兄妹同士でこんなに愛しあえるのかしら? | ||||
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冬の光のような、侘しさと透明感がつのる表題作。 主人公の田上耕作は、幸せな生涯を送ったのでしょう。障害を超えて鴎外の足跡をたどろうとするまじめで克己心あふれる青年、彼を見守る美しい母親、好奇心と男心を惹きたい気持ちだけから母子をふりまわす美人看護婦、どの人物にも昭和には確かにいた人たちなのだと思い、また、いなければならない人物像なのだと思う。何より、彼を支える友人が、同情からではなく、純粋に彼を尊敬しているのがいい。田上の最期につきそっていたことには、救われました。 人は、最期のときにも、自分はきっと治る(助かる)と思っているものだと文豪ユゴーは言います(だからこそ「絶対に」助からない死刑制度は残酷すぎるとユゴーは反対していたわけですが、それはさておき)。田上も最後まで、自分はこの労作を世間に発表するのだと夢を見て死んでいった。これほど美しい亡くなり方ってないと思う。そして、彼の努力がまったくの無駄だったとわかったときにはもう亡くなっていたので、それは解説にもあるとおり、神の采配のような救いでした。 しみじみと美しい名短編です。犯人探しとかが主題となるミステリは嫌い、という方もこれだけは読んで欲しいと思う。清張=ミステリ作家ではない。 いちばん好きなシーンは、小雪舞う冬の小倉を、「でんぶんや」のおじいさんが鈴を鳴らしながら駆けてゆくシーン。当時は電話がなかったので、ちょっとしたことづけは、専門の伝文屋さんにお願いしたのですね。辻辻にいた、冬も夏も人様の用を伝えるために走っていく人たちを、まるで見たもののように感じました。……人のぬくもtりが感じられるこの時代にタイムスリップしたい! | ||||
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「現代小説」「歴史小説」「推理小説」の各二巻からなる全六巻のうちの第一巻。清張初期の短編集。 清張は短編の方が魅力的に感じることが多いのだが、たとえ、現代小説、歴史小説、推理小説に分類したとしても、概ねトーンが変わらないのも大きな特徴。実在の人物の話であっても、推理小説としても成立しそうな展開は清張の原点なのかもしれない。 | ||||
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幾つもの短編が入っていますが、どの話もミステリックでじわじわと恐怖感を掻き立てられます。 単なるミステリーではなく、現実に自分の身にも起こるかも、などと思わせられます。。 | ||||
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山陰地方に東北弁と似た言葉をしゃべる地域があるという話が出てくる。のちの砂の器につながる知識がすでにあったのですね。その後の活躍を期待させるような出来栄えの作品群です。 | ||||
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芥川賞の受賞作以来、清張さんの短編の傾向が分かる面白い本です。 | ||||
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ある高名な小説家の不当な評価が、 未だに尾を引いているのか、松本清張の諸作品を 「通俗的」の一言で括ろうとするかのような無批判な評言が、 跋扈を止めないのは、まことに遺憾に耐えない思いがする。 現に、本書のあとがきで、これまた高名な評論家が、 やたらと「通俗的」を連発しているのである。 通俗的と言えば、読みやすいだけがとりえの、昨今の中身のない、 心に何も残さない「文学」作品ほど、通俗的なものはあるまい。 松本清張の諸作品、特にここに集められた短編の傑作群は、 小説としての面白さは言うに及ばず、人間の心に、 忘れがたい哀感と深い情味を刻み付け、日常の底に沈潜しかけていた大切な何かを喚起せしめる。 それはまた、文学の必要条件とも言うべきものであろう。 | ||||
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大変面白かった。作品紹介は次のとおり。一人の孤独な青年が病躯にむちうって、小倉在住時代の森鴎外を追求する姿は、推理小説に情熱を燃やす作者の姿でもある。昭和二十七年度後半期の芥川賞を得た名作。 一般文学通算249作品目の読書完。1985/07/15 | ||||
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大変面白かった。「西郷札」、「くるま宿」、「或る「小倉日記」伝」、「梟示抄」、「啾々吟」、「戦国権謀」、「菊枕」、「火の記憶」、「贋札つくり」、「湖畔の人」、「転変」、「情死傍観」、「断碑」、「恋情」、「特技」、「面貌」、「赤いくじ」、「笛壺」、「山師」、「腹中の敵」、「尊厳」、「父系の指」、「石の骨」、「柳生一族」、「廃物」、「青のある断層」、「奉公人組」、「張込み」の27作の短編集を収録。 一般文学通算57作品目の読書完。1974/05/01 | ||||
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この作品に出てくる人たちを あからさまに批判することはできないと思います。 なぜならば そういう状況というものは いつ陥るかもしれないということ。 たとえば「父系の指」のように いつはぶりが良くても転落するか、というのは まったくわからないことだから。 なので条件が重なってしまえば この作品の登場人物のように なってしまう可能性もあるということ。 特に最後のほうに出てくる かなわぬ恋が関わる作品は秀逸。 決してそれは幸せになれぬ展開で 締められています。 特に「弱味」はそういった甘い幻想を抱く 男たちへの一種の警鐘でしょう。 つまり身分不相応の行為を するな、ということ。 阿呆とはうかつにいえない作品です。 | ||||
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森鴎外の小倉日記を巡ると有か、題材にした話。主人公はハンデイーを抱えながらも、母親、友人の助けを借りながらも、真相を求めてゆく姿は素晴らしく、心に響きます。特に母親の愛情には、感動を覚えました。また、その他の作品も味があります。 | ||||
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松本清張の初期の短編「赤いくじ」(松本清張著、新潮文庫『或る「小倉日記」伝』所収)は、1945年の日本敗戦時の朝鮮を舞台に、若く美しい人妻の悲劇が描かれている。勝利者として乗り込んでくるアメリカ兵をもてなすために日本女性を差し出そうという日本軍幹部の卑劣な目論見によって、くじで決められた女性たちの中に、この人妻も含まれていたのである。 | ||||
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これは選者がいて編集した短編集ではなく、当時松本氏が短編集として編纂した6作品集である。解説にもあるように松本氏が明確に6作品のことを言及していることから分かる。つまり、この角川版が松本氏が意図した短編アルバムである。音楽のアルバムのセットリストはアーティストが厳選し、順番を決めてある芸術作品そのものだが、文学においては傑作集などと言って選者が選び編纂することが常であるが、あえて角川版を推奨したい。値段も手ごろである。 さて、この作品は純文学である。どの短編にも共通するのは、地位はないが熱意と向上心のある人物がふとしたことから浮上のきっかけを得て、なんとかもがくが、結局はそのエキセントリックな性格、もしくは学歴や地位等の劣等感、あるいは健康、世渡り下手などの理由からはいあがれず自滅していくというものである。民間歴史家というのも頻出する人物像でありこれは松本氏にもある程度共通するものを感じる。氏は砂の器やゼロの焦点、点と線等に代表される推理作家として著名だが、実はこの手の純文学に極めて重要な著作があるように思えてならない。実際読んでみると、人間の弱さ、醜さ、不条理等が極めて克明に描写されており、推理小説においては必ずしも描写しきっていない感情の部分が実は純文学には十分にあらわされているのである。推理小説だけを読むと、この作家は感情の描写が苦手なのではないか、と錯覚することもあろうが、実際には違う。いや、推理小説は意識的にその部分を排除したいわゆる推理トリックを用いた彼のレジャー・息抜きかとも思われるのだ。この短編集に描かれる人間像はどれも不幸な人に属するのかもしれないが、どの道このような部分を人生のどこかに携えているのではないか。実際、私の近隣にも作品中の人物に近い境遇の人が存在することに気が付いたし、自分自身にも当てはまる部分もなきにしもあらずである。高校教科書には森鴎外の舞姫は頻出する文学だが、同じ「不良」の文学なら、この短編のどれかを掲載してもよいかと思われる。尚、アマゾンのレビューだが、新潮社のものと同一のレビューとなっているのが気になる。私はこの角川版に対する6作品集としてのレビューを書いているのである。読者諸氏はその点にも気を配られたい。 | ||||
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つくづく清張は特殊な作家だったと思う。 彼の特殊なところは「小説は読まないけれど、清張は別」という人が結構いることである。自分も「探偵小説は読まないけれど、清張は別」である。しかし探偵小説でない清張はもっと好きだ。ここにはそんな清張の好きな作品群が出そろっている。 表題作や『菊枕』などは、今読んでも抜群におもしろい。そして、おそるべき水準、おそるべき完成度といわざるを得ない。特に表題作の最後は圧巻だ。何度読み返してもいい。デビューしてまもなくの作だが、既に老大家の風格を備えている。 | ||||
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40過ぎるまで苦労と苦学を重ねた松本清張。 この短編集の主人公達は清張の化身のようです。 不遇な環境にめげず、己の存在意義を賭けて我道を突き進む。 陳腐な表現でもうしわけないですけど、そんな主人公達です。 これ一冊を読んだ後の精神疲労度は、他の清張長編作品よりも大きかったです。 初期の作品だから稚拙だろうとなめてかかると痛い目見ます。 | ||||
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