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切羽への評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 21~35 2/2ページ
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読んでいて、設定がやけに分かり易くエロティックだなぁ と思った。 登場人物の輪郭がステレオタイプに分かりやすい>が安っぽくならないというのは 最新刊『静子の日常』でも感じたが、これは作者のたぐいまれな文章力ゆえの余裕か。 閉じられた南の島というロケーションに 長い髪にいつも白いブラウスとニットのロングスカートという画家の妻。 おまけに(ナースではないが)彼女は養護教員。 グラーマーで、その上いつでも体にぴったり張りつく服を着ている 『本土さん』と戦闘的な不倫をかさねている同僚の女教師。 そこへ「地の裂け目から現れたような」殉教のキリストとみまがう顔をした不思議な男。 なんと こちらは音楽教師。 岬の住宅で初めて見かけた男はなぜか木製の大きな本棚をハンマーで叩き壊しており 霧雨にけぶる校庭には男の弾くピアノが流れ... と こういうふうに書くとなんだかハーレクイン小説のようだが 実際「大人のための恋愛小説」という意味で上質なハーレクインなんだと思う。 抜群の文章センスと卓越した緻密な構成力(プラス作者の洒脱な感性)が ややもすれば『叙情的』『純文学的』な方向に読者を連れ去ってしまうが この作品は直木賞の位置にあってこそ正しい。 恋愛小説ときいて一番に挙げたい一冊に姫野カオルコ「ツ・イ・ラ・ク」があるが 余談ながらこちらは(やって やって やって)やりながら、 純愛に向かっている。 反してなにもしないこと...のいやらしさ(ほかに的確な日本語がみつからないので)としたたかさ。 「寝た、寝た」と公言する同僚の教師、月江の「妻って人種はきっとみんな妖怪なのね」 という言葉に主人公セイの設定を面白がりつつ 移ろう島の自然の如くそれを静観している作者井上荒野が垣間見える。 保健室で男の棘を抜くセイと、セイが微妙に使い分ける島言葉のエロチシズム効果は抜群。 文章にムダがなくさすが井上光晴の娘さんという言い方は失礼か。 どこを取り上げてもクラクラするほどいやらしい... と 言うような不埒な読み方も出来る軸のしっかりした一冊。 | ||||
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簡単な文なのであっさり読めるが、 ゆっくり味わいながら読まないと、それで終わりなの?って感じだろう。 繊細で静かな内的世界をを堪能したい人にはおすすめです。 ただ、せっかく舞台が小学校なのだから子どもたちの表現にはもっとリアリティーが欲しい。 どの子もお利口で、でしゃばらず、大人の添え物みたいだ。 | ||||
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印象派の絵画鑑賞をし終わったかのような読後感。 人間味あふれる脇役たちが繰り広げるドラマと 主人公の緩慢な心の動きが対照的。 トンネルを掘る工事で、穴が繋がるまでの一番先っぽのところ 「切羽」きりは というそうです。 トンネルがつながってしまえば、切羽はなくなる。 この主人公の心は、まさに切羽なのだろうと思う。 舞台は、南の小さな島。 養護教師であり、妻である主人公の女性の心を追った 恋愛小説。 九州の方言がなんとも心地いいです。 | ||||
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井上荒野さんの作品は初めて読んだけど、不思議な文章を書く人ですね。 サラサラと読める読みやすい文章なのに、お互いに触れることすらなく、ぎこちなく求め合う二人の緊張感が行間にまで溢れている。 繊細で官能的。まさに大人の恋愛小説ですね。 出会いは3月。4月、5月、6月・・・と季節の移ろいとともに高まる思い。 決定的な出来事は何もないのに、二人が惹かれあっていることには島の誰もが気づいてる。 思いは日に日に募るのに、何の行動も起こさない主人公とは逆に同僚の月江は誰に隠すこともなく、堂々と不倫の恋に身を焦がしている。 この対照的なコントラストも作品の激しさを増しています。 タイトルにも使われている「切羽」という言葉は、「トンネルを掘っているいちばん先の部分」という意味らしい。 つまり、トンネルが完成すればなくなってしまう部分。 精一杯の勇気を出しても切羽までしかたどり着けなかった二人・・・。 このもどかしさが余韻として残ります。 久しぶりに大人の味わいのある恋愛小説に出会いました。 | ||||
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第139回 直木賞受賞作品。 「気配」を写しとった小説。 みつめる眼差し、声のトーン、不自然なみじろぎ・・・ 秘めても秘めても漏れ出してしまう恋の気配。 その二人の間に磁場が発生していることは、何も行動に起こさなくても周囲に伝わる。 自分も知っている、相手も同じ思いでいてくれる、夫も気づいている、 親しい友達にも、それどころか、勘のするどい遠い他人にさえ・・・。 キスさえしない。 それなのに、身体ごと持っていかれる。 初めてです、こんな恋愛小説。 | ||||
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こんな描き方って好きだなあ〜 井上光晴の娘さんかあ、さすがだなっておもった。 「切羽」「荒野」・・表紙のこの言葉だけで、 なんだかドキドキワクワクしたが、読んでみて、 その期待を裏切らない小説だった。 ☆四つは、これからにおおいに期待してるからです。 | ||||
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一番心に残ったのは主人公のセイの夫である。セイの心の動きを本人以上に全て敏感に感知していたのは夫ではなかっただろうか。石和の存在により、セイの心の中に立った小さな波に気づく。ただ、それを本人に問い詰めることはしない。ただ、見守る。大きくならないよう念じながら見守る。ただ、見守るだけ。東京での打合せもそこそこに予定より早く戻ってきてセイを見守る。 夫にとって一番の試練は、亡くなったしずかさんの遺品の整理にセイが向かったときである。そこには小学校を辞めて行方不明になった石和が来ているであろうことをなぜかセイは予感していた。夫も自分から離れていくセイを追って、故しずかさん宅に向かう…。しかし、セイは現れた夫にを残して、石和とある場所に向かう。そこがこの本のタイトルでもある“切羽”である。帰ってこないかもしれない妻を気をもみながら待つ夫の気持ち。“あのとき夫は、床にぺたりと座り込み、私たちが放り出していった作業を一人黙々と続けていたのだ”という切羽から夫のもとに帰ってきたセイの回顧シーンに現れている。戻ってきた妻が自分を呼ぶ声に、夫は振り返り、“ああ、戻ってきたとね”と妻に微笑するのである。 そして、最後に石和が島を出て行くのを、一人で見守り、そっと祝杯をあげる。 そんな愛する妻を見守る夫の物語は、淡くかすかだが、確かに張り巡らされた伏線から読み取ることができる。セイが切羽から引き返してくることができたのはこの夫ゆえなのだろうか。 | ||||
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夫を深く愛しているからこその物語だと思う。 それでも普段隠れている自分のどこかが、夫とは違うものに惹かれ、 どうしようもない想いにとらわれて行くのもよくわかる。 単調な島の生活の中で、その刺激的な想いは主人公の内で強くなっていくのだけれど、 その合間にも描かれる夫との馴れ初めや日常生活が、 夫への愛の深さを再確認しているようにも思う。 そうして淡々と描かれて行く物語は、強烈ではないけれども、 美しい印象を残してくれた。 愛というものの深さ、恋というものの切なさ。 荒野さんの小説は、文体や漢字の分量も美しく感じられる。 余計ではありますが、 その昔、純愛物だからと「マディソン郡の橋」を薦められて読んで、憤慨した私のような者には、 「切羽へ」は、涙が出るくらいの純愛小説でした。 | ||||
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二十歳そこらのガキが読んでも深く味わえない小説が直木賞を受賞して、喜ばしいことです。団塊の世代が大量にリタイアして、よき読者になることを期待すれば、この傾向がしばらく続いて欲しいと思います。 淡い色彩のちょっと幻想的な風景画から、物語をすいっとすくいとって、季節のめぐりにそうっと流したような、そんな作品。意味ありげなエピソードも、登場人物の口にする言葉も、どういうことだろうと深読みしようとすると、作品の色彩が死んでしまう。 主人公の好きになる男が、けしていわゆるいい男ではなく、ちょっと滑稽な感じがするところが、よかったです。世の中からかなりはぐれていて、一心不乱に盆踊りを踊ったり、女を挟んで恋敵と取っ組み合ってみたり。これがいわゆるいい男だったら、この物語の色彩がまったく違ったものになってしまったと思います。 余談ですが、このレビューのコーナーって、明らかに担当編集者が書いたと思われるものがありますよね。作品の紹介が的確で、文章もシロウトと違って読みやすい。購入する際にとても役立ってます。頑張ってください。 | ||||
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直木賞作品なので読んでみた。直木賞作品の中でも文章は平易なほうだと思われる。スラスラと簡単に読み進められる。物語の展開にもスピード感はない。1その島の九州弁?の味わいとか、2比喩に味がある所などが魅力で、なんとか放り出さずに読了できた。 同じ平易な文章の川上弘美さんのような純文学的な味わいも少しあった。微妙な心理の綾を文章の、行間に織り込もうとしている努力は、決して全否定はできないくらいの成功はもたらしている。 主人公の他に、夫、石和、本土さん。月江、本土さんの妻。3人の男と3人の女が、濃密にと言うよりも、淡くそして時に一瞬、激しく絡む。その複雑な関係性は、なかなかに印象深く、直木賞に値する文芸性を持っていた。 またしずかさんという老いてゆく女性も別角度から本作を、印象深く彩っている。 石和に魅かれてゆく主人公の物語であるが、上記7人の書き分けも、学校の教師や子供たち、島の住民もクリアに印象に残り、創作空間はかなり強固に構築されていた。 自分個人の印象ではクライマックスで主人公と石和が二人で話す場面よりも少し前の、保健室で彼女が石和の足の指を治療処置する場面の「ドキドキ感」が、読んだ価値があった場面だと思えた。 そのようなことを読後に反芻してみると、直木賞を取ったことに不満はない佳作という結論にだけ行き着く。絶賛も出来ないが、読み通せばきっと納得できる読者が多いであろう、丹念に作られた文芸作品だ。 田舎の倦怠感と言うよりも、都会的な人間観察眼でもって人を見ている。淡い文体、淡い展開には、強く胸を揺すられる感じはあまりない。また主人公と石和のやりとりが最後まで薄すぎる。ずっとそうであるがクライマックスでも「切羽まで行きつかない」としか言えない。このあたりが弱く、そこにこの作品の限界があるとは言えるけれど、作者に感謝できる1作だと思えた。 | ||||
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緩やかに時間が流れていく島人の雰囲気を感じる。妻として存在する主人公に、本土さんの愛人のコントラストが面白い設定だと思った。主人公は決して浮気などしなくて、そんなことは文章の間から染み出しているのに、あやうい心の動きを望んでしまう自分に愕然とする。 島人の方言が物語をよりゆったりと運んでいく。ひとつの命が消えることも、同僚が島を去っていくことも、ひとつも不自然ではない。あっても仕様がないこと。受け入れながら島人として、先生として妻として暮らして行くことにひとつも動じない。力強い物語だ。 食事の場面が多く出てきて、楽しい。そんなところも安心する。 | ||||
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離島の日常である。絵描きの夫と静かに幸せに暮らす養護教諭である。官能小説にも恋愛小説にもなりようもない設定である。寿命の尽きそうなばあさんが、淫夢を見ているらしいということが、大事件のように囁かれてしまう平穏な離島である。 そんな小説世界なのに、非常にエロチックで、たまらなく緊張感のある恋愛小説である。物理的にはほとんど何も起こらない。手さえ握り合わない。だがセイと石和は、間違いなく惹かれ合っている。周囲の何人かも、確実にそのことに気がついている。気づきながら誰も言葉にしない。 独白も解説もなくそんな様子を描ききっている。もしも何かが起こってしまったら、とたんにつまらない小説になってしまったかもしれない。ひょっとしたら、すべての女性が一つは持っているに違いない秘密を、言葉少なに描ききっている。 | ||||
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今回、直木賞受賞とのことで井上さんの本を初めて読みました。 サラサラ流れる文体は読んでいて全く苦痛にならないので4時間ほどで読みきってしまいました。 「切羽」とは帯では「それ以上先へは進めない場所」とされていますが、 作品中では「トンネルを掘っている一番先端の場所」と表現されています。 切羽をどちらで取るか、またはまったく別の意味と取るかで物語はがらりと色を変えます。 (私は後者の表現を取りましたが。) トンネルはセイと石和の惹かれあう思い。切羽は切羽であり続ける限り絶対に突き抜けることはない。 切羽が突き抜けてしまったらそれはトンネルの開通を意味するからです。 切羽までしか行かなかったセイと切羽を超えてしまった周囲の人物たちが対照的に描かれていて、 セイの揺れ動く内情が巧妙にあぶりだされています。 さらりと読める文章の中にいろいろなものが隠されている。 面白い作品だと思いました。 | ||||
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井上荒野の作品は、短編は読んだことはあるのですが、長編は今回が初めてです。 今回読んでみて、非常に読みやすくどんどん読み進むことが出来ました。 物語は、九州のとある小さな島での物語です。 そこで養護教諭を務めるセイが主人公です。彼女は島育ちの女性で画家の夫も島育ちです。 この島へ新任の教師石和がやって来て、そんなセイの心を乱します。 ここで、タイトルの「切羽」が意味を持ってきます。 「切羽」とは、「トンネルを掘っている一番先端の場所」と定義されており、更に掘り進まなければ繋がることのない地点です。 セイはこの「切羽」に立ち、「妻」という立場に従順です。同僚の月江からは「妖怪」とまで揶揄されますが、この「切羽」までくるのが彼女の限界でした。 この小説自体全体が「切羽」を意識し、セイのギリギリの心情を追って行きます。本人の意識では、それが周りに知られていることは意識されてないのですが、それを周りの言葉、態度によって既知の事実として語られます。この微妙な文章の彩が堪らない作品です。 | ||||
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行間にあふれるものを掬いあげながら読まないと、と思いつつもさらさらと 読めてしまう文体につい先を急いでしまう。 「三月」から月を追って、ぐるりと季節がめぐり「四月」まで。 舞台は九州の小さな島。主人公のセイは島の小学校の養護教諭。夫は画家だ。 このセイの秘めた恋心の移ろいが綴られてゆく。 新任教師・石和に惹かれながら、なにも進展はない。 石和の気配やことばの端々や、行動の意味するところや、さまざまな 触れることのかなわない彼の痕跡に、セイはただ心を這わせる。 その描写が妙に官能的だ。 心に夫以外の人がいて、それを周りに気取られまいとはするが、 醸しだされる凝縮された、ある感じが非常にリアルで ちりちりと灼かれるセイの胸のうちが滲み出る。 のんきな島暮らし。なんでも筒抜けだが、それと認めあってしまえば気楽なものだ。 まわりの人々も性に関することでさえ鷹揚に口にしてからかったりするほどだ。 セイとは対照的な位置に在るのが、島の住民も公認の奔放な不倫を続ける 女教師・月江だ。月江の派手な恋愛模様が描かれることで、 セイの心のたゆたいが匂やかに引き立つ。 登場人物のなかで忘れてならないのは、老女・しずか。「きっきっき」といやらしい笑い方を してはセイをやりこめることで、コミュニケーションをとるばあさんだ。 病を得て入院中でも、命の残り火を点すように口にする男の名前。エロティックなのだが むしろその思いにあるエネルギーに、私は気圧された。 セイの恋は「切羽」ということばに象徴されているが、これは荒野さんの妹の名前 でもあるという。としてみれば、荒野さんには「切羽」のイメージも意味も身に親しんだもの であったに違いない。 ラストのセイの行動が意味するところは、二通りの解釈ができそうだ。 しばし、思いを致し余韻を楽しんだ。 | ||||
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