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原罪



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原罪の評価: 3.57/5点 レビュー 7件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.57pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(2pt)

愛読者以外、読む価値はない失敗作

P・D・ジェイムズの大ファンであり、「死の味」「人類の子供たち」を大傑作と確信している筆者だけに以下の感想は不本意きわまりない。
 しかし当作「原罪」は壊れた失敗作であり、ジェイムズ愛読者以外読む価値はない、と断定。

 ユーモアは健在だし、通常小説としての性格描写は秀逸だし、他の作品にもあるジェイムズのアダルト、18禁の側面、セックスが人生に及ぼす影響を軽視しない視点での観察もしっかり書き込まれている。
 しかしこの作品はジェイムズ没後、2014年3月号のハヤカワ・ミステリ・マガジンのジェイムズ追悼特集で、複数の書評家による「わたしのこの一作」を挙げているが、この原罪だけはない。
 それを見ても推して知るべしの欠陥を備えていた。
 
 筆者はP・D・ジェイムズはミステリとしてより「普通小説」として読んでいる。
 10代半ば~50歳まで35年、要するに人生の現役時代の中核部分、まったくミステリを読まない人間がやにわにミステリを読みだしてみたので(かなり特異な読者だと思います)トシを食った人間が見るとミステリ自体「1人や2人、頑張っても5-6人殺しても世界の大勢に影響ないわ」といささかひねくれた目でみてしまうし(個人の感想ですが)、ロジカルにすっきりしたパズル的な論理のアクロバットは「お上手。ですけど、筒井康隆の【乱調文学大辞典】の詭弁=推理小説最後の10ページ、という定義があったなあ」と、苦笑しながら読み飛ばしてしまう(すいません)
 これはまあミステリ全体に対しての筆者のひねくれモード発動なのでまあそれはスルーして頂くとして(笑)個別にジェイムズのミステリ自体、もともとそうした「定式」通りではない。

 創作方法として、ジェイムズはパターン的後半⅓から¼ぐらいの所でホンボシは判明してしまう。
 真相が解明される過程も、ダルグリッシュの脳内で方程式が解法され、余人(つまり読者)にはその論理過程が明晰に共有されることはなく、相当に直観的にパーツが揃って判明する展開が多いので(「死の味」「灯台」「原罪」どれもしかり)、アリバイ崩し、論理のアクロバットというより、矛盾なく犯人が「行動」を起こす時間的空隙を埋め、矛盾なく説明できる筋道を探り出して構成される方式と見ている。
 なので、彼女の作品には、作品内で説明されるプロット以外の人物たちにも、そのような時間的間隙がどこかにあり、全くべつの動機と行動と犯人で作品を展開することも可能だ、という気がしている(筆者にはそんな作業はできませんけど…)。

 以下作品の内容を含みつつ(でもネタバレとか犯人は明かしませんのでご安心を)この作品はなぜ筆者の目には駄作ではない、しかし失敗作であると見えたのか説明したく思う。
 (お嫌でしたらここでお止めください)

 この作品は1994年という第二次大戦終結から半世紀に描かれた時代性のためか、戦時に犯された罪とその贖罪をテーマとしている。
 具体的にはナチ政権に妻子を殺されたことへの報復だが、同じ早川書房で出ているマイケル・バー・ゾウハ―「復讐者たち」によると、1940年代後半に、元ナチスに対して個人的・組織的にイスラエル人が復讐を遂げたことと、それがのちにイスラエル建国のためにその復讐は意図的に停止させられ、また自主的に停止していったことが描かれていた。
 それだけに、それから、それこそイアン・フレミングやジョン・ル・カレやゴルゴ13が大活躍した東西冷戦の枠組みも崩壊し、戦後50年になって、登場人物の一人がその計画を長期的に実行していく真相と深層は、正直言って広島の原爆ドームが世界遺産になる、つまり完全に歴史化が進んでいる時期に「今さらそれ?」という感覚は否めない。
 いくら日本以外、中国も欧州も「水に流す文化ではない」と分かっていてもだ。
 
 しかも、その復讐者も戦時中には空襲に参加し、無関係の他者を殺害(任務とはいえ)していたことが暴露されていく。
 純粋に無実の人間が戦争中に何の悪い事もしていないのに無惨に妻子を殺害された事への代償とは言えない。(そう思うのは、1990年代に、民族主義というよりは、単なる現状不満勢力で、自分自身の奪権闘争でしかないルワンダとかユーゴスラビアの内戦を見たからでもあるが)
 「原罪」という宗教的なタイトルにふさわしい内容ではない。
 「復讐」もっと的確には「私刑」ではあるまいか?
 それはもはや殺人という個人間のトラブルから発生する内容ではなく、半分は政治だが、半分はこの執行者は頭がおかしい。
 筆者がもっとも違和感を抱いたのは、手を下した本人への報復ではなかったことだった。
 封建時代ではあるまいし、親の因果が子に報い、では江戸時代である。それは犯人の力量不足(その時代にさっさと復讐を執行できなかったこと)ではないか?
 欧州の個人主義はどこに行ったのか。
 しかもそれに対して警察の一人は筆者の目から見たら職務逸脱と自己満足でしかない逃避を行い、みすみす被害を拡大し、執行者が勝手に人生の決着をつける無言の支援を(結果的には)してしまう。
 犯人が犯人なら警察も警察である。
 ミステリとしては破綻し、政治と戦争に翻弄された人間が異常を来たす物語は、ミステリではない。
 文学かルポルタージュの担当である。

 繰り返すが筆者はジェイムズ愛読者なので、この作品のミステリ要素以外の普通小説としての描写は素晴らしかったし、それはそれとしてその部分は楽しんだ。19歳のタイピスト女性の現代的感覚はこの80才を越えた著者にしては異質かつ新鮮だったし…。
 でも、この作品はジェイムズの筆致を楽しみたい愛読者以外、読む意味と必要のない失敗作だと思う。 
 この巨匠にして、こんな失敗作を書くことがあるのか。彼女も人間だなあ。
 えらそうな感想ですみません。
 全編読んだうえでの感想なのでご了承を…。
原罪 (上) (ハヤカワ ポケット ミステリ 1629)Amazon書評・レビュー:原罪 (上) (ハヤカワ ポケット ミステリ 1629)より
4150016291

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