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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全91件 81~91 5/5ページ
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「このミス」が20周年となった2008年に出版された別冊、「もっとすごい、このミス・・・」に掲載されていた当著者のインタビュー記事中に、新作はもうほぼ出来上がっているというような文章があり、その時からでもまさか10年待つとは思わなかった。その待望の新作、ワクワクしながら、しかしじっくりとページを繰る。まず何より文章がいい。一つ一つの言葉が丁寧に選ばれており、滑らかに運ばれる。難しい言葉が使われている訳でもないのに、品位ある雰囲気に覆われている。カタカナ語の使用は最小限、携帯電話を携帯とは縮めず、ましてやスマホとは絶対言わない。主人公の性格に合わせた描写だと感じる。 物語は静かに滑り出す。初冬の空気が漂うようなピンと張った緊張感、そして事件は突然起こる。そこからハードボイルドというよりは推理小説のように謎が次々と提示される。この辺りはテンポ早くどんどん展開していく。そして本筋の筈だった最初の流れが一段落したところから物語は姿を変え、主人公と主人公を取り囲む人物たちの‘生きざま’を巡る話になる。ここの部分は過去からのいきさつや説明が多く、地味だしスムーズでない。そもそも生きざまと大げさに言うほどのことが語られていない訳で、この点が他のレビュアーさん同様、物足りなさと違和感を覚えるところである。また(ネタバレ)最後に東日本大震災が起こり、何かを暗示するような形で物語は終わる。この終わり方も何故?ではある。 本作、全体を通して正直手放しで絶賛とはいかない内容ではあった。しかし私は読んで良かったと思っている。ただストーリーを追うだけではない読書の楽しさが確実にあった。後半部分は少し時間を空けもう一度読み返してみようと思っている。その時に違った感想が出てくると予感させられるだけでも価値がある。そして皆さん同様、願わくは次作がそう遠くなく読めることを期待したい。 | ||||
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前作を読んだ時は、自分も喫煙者だったせいか特に気がつかなかったが、煙草を吸うシーンが多いのが気になった。 | ||||
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ここに感想を寄せられた方々はまず例外なく原尞のこのシリーズの熱烈なファンなのではないかと思います。かくいうわたしもその一人で、多くの皆さんと同様にもう原尞の新作を読むことを半ば諦めていました。それが14年ぶりの突然の新作発表! あわててアマゾンさんに注文を出したというのもみなさんと同じだと思います。またこの新作を読み終わって何となく戸惑いのようなものを感じていらっしゃるのも皆さん同じなのではないかと推察します。前作の時代設定からほぼ10年が経過しているのに、主人公の沢崎や彼を取り巻くおなじみのメンバーの間だけ時間が止まっているように感じられる、という感想を寄せておられる方もいらっしゃいましたね。そういう面も確かにあります。しかしそれはこうしたシリーズものではある程度許容されないとシリーズそのものが成り立たなくなってしまうことが多く、作品に破綻をもたらすような性格のものでなければ許容されて致し方のない問題だとも思います。しかしそうした点を除外しても、この作品は弱いなぁというのが偽らざる感想でした。ただ申し添えるなら、小説を読んでこれだけああでもない、こうでもないと考えたのは久しぶりでした。それは原尞とこのシリーズの持つ力であることは間違いないと思います。ではどうして「弱い」と感じたのか、わたしなりの分析を書き込ませて下さい。 そもそも論で申し訳ないのですが、ハードボイルドとはどういう小説のことか? これはスタイルから定義されることが多いのではないかと思います。まず一人称で書かれていること、語り手である主人公の目に映ったものだけが独特のリズムを持った皮肉っぽい文体で書き込まれ、さらに主人公はそこに一切自分の感想のようなものを差し挟まない。さらに付け加えられるべき重要点は主人公は絶対に譲れないモラルコードのようなものを持っており、その点に関する限り全く妥協がないこと、などでしょうか。しかし、わたしはハードボイルドをその構造から押さえておく必要もあるのではないかと思うのです。まず都会の片隅に事務所を構える私立探偵がいます。「都会の片隅」というのが重要で、名前と勤務先を言えば大体のことが分かってしまうような、共同体がまだ充分機能している地方都市ではハードボイルドは成立しません。ここに何か裏のありそうな調査依頼が持ち込まれます。この段階で一頻りのやりとりがあった後、主人公は捜査に乗り出すのですが、思わぬ事件に巻き込まれます。そしてその進行過程でさらに1つ、2つの事件に巻き込まれます。こうして、物語は主線・主旋律はあるものの複線化、複々線化してゆき、何本かの糸が絡まり合うようにして進行してゆきます。ハードボイルドが「巻き込まれ型の物語だ」といわれる所以です。次第にもつれた糸が解れるように副旋律は解消していき、最後に主線・主旋律に解決が与えられて物語は終わり、主人公は特に感想を述べることもなくまたいつもの孤独な日常に帰って行く、これがハードボイルドの大体の構造ではないかと思います。とくにアッと驚くようなどんでん返しはないことが普通で、その一方で主人公には何も語らせない裏側で、著者の世界観や人生観が強く織り込まれることになります。ここで物語として重要なのは、副旋律がいかに面白くても、主線・主旋律がしっかりしていないと物語としての魅力・完成度が半減してしまうという点です。 そう考えると、わたしも含めて多くのファンが今回の作品に物足りなさを感じている理由が明らかになるのではないかと思います。主線・主旋律がしっかりしない、というよりそもそも主線たりうる問題なのか、という点に帰結します。名前の明かされない紳士の持ち込んだ問題は、彼の社会的・経済的な力をもってすれば、何も場末の探偵に依頼しなければならないような調査内容ではありませんし、海津青年の問題にしても彼がどうすべきか迷っているのは事実としても、事実関係は、彼が口外しないというだけで、1年前には分かっていました。複線の役割を果たす問題も、特に複雑といえる程の問題ではなく、またその捜査過程で登場人物たちが妙に素直に回答してくれるのも気になりますね。本来どこの馬の骨とも分からない探偵など、聞き取り以前に門前払いを食わされるのが関の山なのではないでしょうか。そうした社会的評価をくぐり抜けてどうやって情報を入手していくか、というのも本来は魅力のひとつであったはずです。つまり、本作品はハードボイルドとしての体裁は忠実い整えつつも、その構成要素一つひとつがいかにも弱いといわざるを得ないと思うのです。 原尞は我が国ではじめてハードボイルドとしての体裁のととのったハードボイルド小説を書いたひとである、といっても過言ではないと思います。当然のように沢山のファンがおり、新刊が発行されるのを多くのファンが心待ちにしていました。期待が大きかった分、肩すかしを喰った感があるのですが、充分楽しませてもらったことは事実です。原尞のことになると、書きたいことは山ほどあるのですが、とにかくもう1作書いて欲しいというお願いをして、感想とさせていただきます。 | ||||
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初めて沢崎さんに会ったのは高校生の時です。あれから30年近く経ち、寡作である原さんの新作の情報もたまにきこえてくるだけで、自分の人生に追われる年月を過ごすなか、偶然こうして原さんの新作を読むことができたことは、何だか信じられない気持ちです。先ほど読了し、わたしの記憶のなかの沢崎さんと何一つ変わっていないことが分かりました。これが小説というフィクションのよさでしょう。著者が登場人物を「生かして」くれさえいれば読者はいつでもその人に会うことができる。小説のなかで生き続ける沢崎さんはいつまでもクールでカッコいい憧れの大人です。その沢崎さんを産み出した原さんの筆致も驚くべきことに全くどこも変わっていません。原さんの真骨頂である静かにカタルシスが漂う読後感に浸りながら、原さんの本に夢中で乗り過ごした電車から慌てて飛び降りた在りし日のことを懐かしく思い出しています。 | ||||
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1ヶ月くらい使って「そして夜は甦る」から順に読みかえして、新作を楽しみにして、発売初日の未明にkindleでダウンロードしました。 が…どうもダメでした。 「ミステリマガジン」の特集号も買ってしまったくらい楽しみにしていたのに… 最大の違和感は沢崎の年齢ですね。 以前のインタビューで、沢崎は作者より1歳上となっていました。 だから、沢崎は1945年12月生まれだと思って読んでいました。 「そして夜は甦る」は1986年、「私が殺した少女」は1988年、「さらば長き眠り」は1993年、そして「愚か者死すべし」はおそらく2001年の話です。 「そして夜は甦る」で40歳だった沢崎が、「愚か者死すべし」で55歳になったと解釈して読んでいました。 それが今作では2010年の話なのに、おそらく50-51歳になっています。 別に登場人物の年齢が変わらないとダメだと言っているわけではないんですよ。 ”新宿鮫”シリーズだって”疫病神”シリーズだって、時代背景は変わっても登場人物の年齢はゆっくりとしか変わっていません。 ただ、この沢崎シリーズに関しては違うと思うんです。 丁寧に時事を取りいれていましたからね。 「<毎朝新聞>で事足れりとすることがどうしても出来なかった」と著者が後記で書いているくらい、実在のものと同一の固有名詞が頻出していました。 それによって、本来はありえないはずの個人営業の私立探偵(しかも、かなり仕事を選ぶ)という設定にリアリティが出たのではないかと思っているのです。 新宿で探偵を続けている沢崎が実際に存在しているように感じられていたのです。 だから、このシリーズだけは時代に合わせて年齢を重ねてほしかった。 60歳代、70歳代の沢崎に会いたかった。 ダメなら、その時代で止めるべきだった。 今作でも、沢崎は携帯電話もパソコンも使っていません。 デジカメも持っていなさそうです。 ちょっと21世紀の私立探偵としてはありえない設定です。 どうやって証拠写真を撮っているのでしょう? 2001年を舞台にした「愚か者死すべし」でも違和感があったのに! これなら20世紀のままで良かったですよ。 藤田宜永の浜崎順一郎シリーズみたいなので良かったんですよ。 また、これだけどこででも喫煙してしまうというのは2010年の物語としては非常に違和感があります。 タバコも我慢できないダメな探偵というイメージしか持てませんでした。 刑事やヤクザに横柄な口調をとりつづけるというのも、違和感が出ています。 最初のころの作品なら、橋爪や相良にこんな口調で話して大丈夫なのかな?と感じてハラハラしたのですが、完全に馴れあいが出ているというか… 刑事も、単なる探偵の前で、こんなに簡単に事件の詳細を語ったりしないだろうと思いました。 ハードボイルドを気どるのであれば、もう錦織、橋爪、相良あたりは登場させず、事情の分からない刑事やヤクザだけにしてほしかった。 孤独な探偵のままでいてほしかった。 マンネリを好むひととか、この嘘っぽい沢崎がひたすらにカッコイイと思えるひとにしか向かない小説だと思います。 若いひとが改めて、今作から読んでも面白くないんじゃないかな? | ||||
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まず何より、待ちに待った(ほぼ諦めていたとも言える)原尞の新作に出合えたことが喜ばしい。 もちろん一気読みなどせず(^-^)味わうように読ませていただいた。 ミステリー色は薄くなったが、懐かしいメンバーの登場シーンは頬が緩んでしまう。しかしどうだろう、その他の人物とのやり取りのシーンでは沢崎の存在が少し浮いてくるような気がしたのだ。この14年間の世の中の変動は凄まじかった。 そしてそれ以前の14~5年間、沢崎が登場したころからの移り変わりも尋常なものではなかった。それがこのリアリティを持っていたはずの(ケータイ電話を持たない)沢崎の存在がファンタジーに感じられてきたのだ。沢崎の半径3mだけが時間停止している。 若竹七海の女探偵葉村晶の方が今日的でハードボイルドだと思った方はいないだろうか? 探偵は物語の中で決してそんな存在ではなかったはずだ。もちろん作者がチャンドラーが好きなことは理解している。 しかし、マーロウはマーロウの生きていた時代の中でアーチャーはアーチャーの時代の中で取り残された存在ではなかったはずだ(もう昔のことで記憶が定かではありませんが)。 また物語の終わりは震災で終わっている。 それからもう現実の世界は7年たち、未だにケータイを使っているものでさえ探さなければいけない状態になっている。 もう不自然な設定に力を使わなくていいではないか、次回は愚痴りながらも是非普通にスマホを持っている沢崎の登場を願っている(もちろん使い方はほとんど理解してない設定で結構である)。 時代はもっともっと不公平で過酷な状況になっている、事件はよりパーソナルで深刻で残酷なものが溢れている(少なくともそんなものがクローズアップされる世界になっている)その中で沢崎は決して時代遅れにならないで輝いて欲しいと願うばかりである。 もっと動きが欲しい。 ストーリーにも探偵自身の行動にも(事務所の電話に制約されなければずっと自然で動きが出てくるはずだ、電話代行サービスなんかやめてそのおねーちゃんと付き合えばいいじゃないか)。 スタイルのためのスタイルになってほしくないのである。 本来なら新作を読めたというだけで★5つにしたいところだが・・・これでは終わらないことを願って★★★1/2 | ||||
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読めます、一気に読めます 読んで損はないと思います が、買う必要はないと思います ネタバレあり 調査中に、偶然に強盗事件に巻き込まれる その強盗事件の関係者のなかに事件の鍵になる人間がいる その人間は、いまどき、少々の金で人間性がどうとか、 彼女に本当のことがどうとか、いう 前時代的な男である また、若い時、料亭で介抱してくれた女将を犯した上に、 思い出にと絵画まで持ち去るような輩を、若気の過ちを犯した成功した紳士と描写する 全てが旧い 一言でいうとそういうことです 共感が持てないし、ズレてると感じてしまう 筋立てにしても、本筋から離れたところを本筋に錯誤させようという 意図が早くから見え見えです ハードボイルドは独りよがりではないと思います なんかがっかりです | ||||
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探偵沢崎シリーズ、まさかの新作! 前作『愚か者死すべし』に続いて、ミステリ的な要素は少なめで、小さな事件が沢崎の周囲で絡み合う展開。 初期三部作を期待すると地味に感じてしまうかも。 原りょう版『ロング・グッドバイ』を目指して書かれたらしいけれど、それにしては作品世界にあまり広がりを感じなかった。 何というか、「事件に関係することしか起こらない」というか、悪い意味でテンポが良すぎるというか……。 あまりに待たされすぎて、時おり過去作をひもといては沢崎シリーズへの乾きと飢えを癒やすような状態がだったので、 こちらの吸収率が異常に高かっただかけもしれないけれど。 それでも400ページを一気に読ませる筆力はさすがのひと言。錦織をはじめ、お馴染みのメンツたちとのやりとりも楽しい。 | ||||
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デビュー当時から原さんを読み続けている読者の一人ですが、前作を読み終えた後、あと15年は待つ事になると、自分なりに思っておりましたが、1年早く出版された事を嬉しく感じております。 次回作も愉しみですが、これからまた15年後になると私も70歳に手が届く事になりますが、老後の愉しみにとっておきたいと考えております。 | ||||
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14年ぶりの沢崎の物語。渡辺探偵事務所に現れた紳士の依頼から物語が始まる。登場人物は様々で、前からの腐れ縁の暴力団の橋爪や、錦織警部も登場する。 とにかくこの小説内での空気感を待っていた。新宿に沢崎がもどってきた。それだけでうれしい。特徴的な比喩表現なども健在だ。題名の意味はラストにわかる。続きの”それからの明日”がすぐに出そうで楽しみだ。 | ||||
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「そして夜は甦る」からの30年来の大ファンです。14年ぶりの沢崎さん、本当に感激です! この30年、恐ろしいばかりに世の中が変わりました。「私が殺した少女」では喫茶店やファミレスの公衆電話に散々振り回されたのがスマホの時代になり、日本中が嫌煙状態になって両切りのピースが吸える場はかなり限られてしまい、愛車ブルーバードも販売が終了してしまいました。 それでも、内容紹介にもあるように、「時代がどれだけ変わろうと、この男だけは変わらない」。原さんがジャズピアニストということで先入観があるのかもしれませんが、どの作品もジャズが通奏低音に流れているような、この雰囲気! 本書で初めて沢崎シリーズを読んだ方は、多少人間関係が理解しづらい部分もあるかと思いますが、それでも充分堪能できる作品です。 本書の割と早い時点で「民主党の官房長官」と書かれてあり、「あれ?何で?」と思いながら読み進めていたのですが、ラストで東日本大震災が起こり、沢崎さんが(無事でしたが)呆然とするところで話が終わります。なぜ、震災から7年経つ今、震災前が舞台の話にしたのか?あえてそういう設定にしたのなら、震災後の話の構想が、原さんの頭にあるのか?そうだとしたら、次作がとても楽しみです。(何年後かはわかりませんが) | ||||
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