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ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ
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【この小説が収録されている参考書籍】
ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.56pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全99件 61~80 4/5ページ
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スマイリー三部作の第一作で、映画「裏切りのサーカス」にもなりました。二作目「スクールボーイ閣下」に続き「スマイリーと仲間たち」で完結します。約20年前に購入した英語版と菊池光訳の単行本を併せて何回も読み返しています。文庫版は読んでいませんが、ストーリーは同じと思いますので、ここでレビューさせて頂きます。 英国情報部(サーカス)の長であるコントロール(本名は部の誰も知らない)は部内の高級幹部の中にソビエト情報部(モスクワセンター)のスパイ(もぐら)が潜んでいると考え、自分のオフィスに籠もって一人だけで部の膨大な資料を調べ始めます。しかし、もぐらの正体にあと一歩で辿りついたという時、心臓病で急死します。前コントロールと対立関係にあったアレリンが後任のコントロールに決まると部の体制は一新され、スタッフも整理されます。ジョージ・スマイリーもこの時に退職することになりました。 そのうちに、引退したスマイリーは内閣直属情報担当官レイコンとかってスマイリーの忠実な部下であり現在も情報部の幹部であるギラムに呼び出され、秘密の会合に出席します。その席で、三人はペナン駐在の諜報員であるターから情報部内にもぐらが居るという証拠を示されます。レイコンは大臣と相談し、もぐらの正体をあばくことをスマイリーに頼みます。そこで、スマイリーはギラムの協力のもと、部外から調査をすることになり、ギラムとレイコンが秘密裡に持ち込む機密資料を解析しはじめます。また、彼は前資料室長でソビエト専門家であった超人的な記憶力の持ち主コニーに接触します。彼女は、独自の調査でもぐらの存在とソビエト大使館内の連絡係と思われる人物の名前を割り出し、新コントロールに告げますが、調査の打ち切りを命じられ、解雇されるに至った経緯を話します。 もぐらの存在によりサーカスの情報はソビエト側に筒抜けになりますが、モスクワセンターの高級幹部でスマイリーの長年の仇敵であるカーラは更にサーカスを混乱させ打撃を与えるための謀略を行います。チェコの将軍でモスクワセンターのスタッフでもあり、英国情報部内のもぐらの正体を知っていると称する暗号名テスティファイが亡命を希望しているという情報を得たコントロールはそれに乗り「テスティファイ作戦」を実行します。本書の冒頭に登場するジム・エリスが彼を引き取るためチェコに派遣されますが、待ち伏せに会い負傷して捕らわれます。スパイ交換で帰国しますが、彼は部内の裏切り者に対する復讐を誓います。この失敗は前コントロールに大きな衝撃を与え、彼の死期を早めます。 もう一つの仕掛けは前コントロールの死亡直前からの「ウイッチクラフト情報」で、モスクワセンター内の(自発的)もぐらだとする暗号名マーリンから突然大量の重要な情報が定期的にサーカスに届くようになります。内閣と部内でこの情報の信憑性について慎重な検討が行われ、結局信用出来ると判断されます。しかし、これが偽情報であることが後に判ります。モスクワ・センターがこの情報を流した真の目的は、米国の秘密情報を入手するための主要手段としてサーカスを仕立てることでした。 前コントロールは、もぐらの容疑者として部内高級幹部5人(アレリン、ヘイドン、ブランド、エスタヘイス、スマイリー)に英国の古い童謡にちなんで、ティンカー(鋳掛屋)、テイラー(洋服屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧者)、ベガマン(乞食)という暗号名を付けました。このことについて知っているのはチェコに派遣される際に裏切り者の暗号名をテスティファイから聞き取ることをコントロールから指令されたジムだけでした。情報部を辞めたジムはそのことを後にスマイリーに話します。 さて、スマイリーは除くとして、果たしてもぐらは誰でしょうか? 最終章で、もぐらはスマイリーにその正体を暴かれることになります。そして、最終場面に登場するのはジムです。 この小説は三部作の中でも最もプロットが錯綜していますので、簡単に読み流せるものでなく、じっくり読みこむタイプの本です。私としては、一度読んだ後で再度読み返されることをお勧めします。読み返すことにより、ああそうだったのかと伏線の緻密さに驚かれることと思います。また、登場人物が多いので、自分でリストを作りメモを取りながら読まれると理解しやすいです。 薄明の中を何かに取りつかれた人物達が彷徨するル・カレの世界をお楽しみ下さい。そして、三部作の全篇を通じて通奏低音となるのは貴族出身で美貌のスマイリーの妻アンの存在です。 | ||||
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スマイリー三部作の第一作で、映画「裏切りのサーカス」にもなりました。二作目「スクールボーイ閣下」に続き「スマイリーと仲間たち」で完結します。約20年前に購入した英語版と菊池光訳の単行本を併せて何回も読み返しています。新訳の文庫版は読んでいませんが、ストーリーは同じと思いますので、ここでレビューさせて頂きます。 英国情報部(サーカス)の長であるコントロール(本名は部の誰も知らない)は部内の高級幹部の中にソビエト情報部(モスクワセンター)のスパイ(もぐら)が潜んでいると考え、自分のオフィスに籠もって一人だけで部の膨大な資料を調べ始めます。しかし、もぐらの正体にあと一歩で辿りついたという時、心臓病で急死します。前コントロールと対立関係にあったアレリンが後任のコントロールに決まると部の体制は一新され、スタッフも整理されます。ジョージ・スマイリーもこの時に退職することになりました。 そのうちに、引退したスマイリーは内閣直属情報担当官レイコンとかってスマイリーの忠実な部下であり現在も情報部の幹部であるギラムに呼び出され、秘密の会合に出席します。その席で、三人はペナン駐在の諜報員であるターから情報部内にもぐらが居るという証拠を示されます。レイコンは大臣と相談し、もぐらの正体をあばくことをスマイリーに頼みます。そこで、スマイリーはギラムの協力のもと、部外から調査をすることになり、ギラムとレイコンが秘密裡に持ち込む機密資料を解析しはじめます。また、彼は前資料室長でソビエト専門家であった超人的な記憶力の持ち主コニーに接触します。彼女は、独自の調査でもぐらの存在とソビエト大使館内の連絡係と思われる人物の名前を割り出し、新コントロールに告げますが、調査の打ち切りを命じられ、解雇されるに至った経緯を話します。 もぐらの存在によりサーカスの情報はソビエト側に筒抜けになりますが、モスクワセンターの高級幹部でスマイリーの長年の仇敵であるカーラは更にサーカスを混乱させ打撃を与えるための謀略を行います。チェコの将軍でモスクワセンターのスタッフでもあり、英国情報部内のもぐらの正体を知っていると称する暗号名テスティファイが亡命を希望しているという情報を得たコントロールはそれに乗り独自に「テスティファイ作戦」を実行します。本書の冒頭に登場するジム・エリスが彼を引き取るためチェコに派遣されますが、待ち伏せに会い負傷して捕らわれます。スパイ交換で帰国しますが、彼は部内の裏切り者に対する復讐を誓います。この失敗は前コントロールに大きな衝撃を与え、彼の死期を早めます。 もう一つの仕掛けは前コントロールの死亡直前からの「ウイッチクラフト情報」で、モスクワセンター内の(自発的)もぐらだとする暗号名マーリンから突然大量の重要な情報が定期的にサーカスに届くようになります。内閣と部内でこの情報の信憑性について慎重な検討が行われ、結局信用出来ると判断されます。しかし、これが偽情報であることが後に判ります。モスクワ・センターがこの情報を流した真の目的は、米国の秘密情報を入手するための主要手段としてサーカスを仕立てることでした。 前コントロールは、もぐらの容疑者として部内高級幹部5人(アレリン、ヘイドン、ブランド、エスタヘイス、スマイリー)に英国の古い童謡にちなんで、ティンカー(鋳掛屋)、テイラー(洋服屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧者)、ベガマン(乞食)という暗号名を付けました。このことについて知っているのはチェコに派遣される際に裏切り者の暗号名をテスティファイから聞き取ることをコントロールから指令されたジムだけでした。情報部を辞めたジムはそのことを後にスマイリーに話します。 さて、スマイリーは除くとして、果たしてもぐらは誰でしょうか? 最終章で、もぐらはスマイリーにその正体を暴かれることになります。そして、最終場面に登場するのはジムです。 この小説は三部作の中でも最もプロットが錯綜していますので、簡単に読み流せるものでなく、じっくり読みこむタイプの本です。私としては、一度読んだ後で再度読み返されることをお勧めします。読み返すことにより、ああそうだったのかと伏線の緻密さに驚かれることと思います。また、登場人物が多いので、自分でリストを作りメモを取りながら読まれると理解しやすいです。 薄明の中を何かに取りつかれた人物達が彷徨するル・カレの世界をお楽しみ下さい。そして、三部作の全篇を通じて通奏低音となるのは貴族出身で美貌のスマイリーの妻アンの存在です。 | ||||
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この本はイギリスの歴史に残るほどの名作で、一冊は持っていたいと思い購入。本棚にあるだけで嬉しいので購入しましたが、今回初めて本を開いてみると。。。なんとページはボロボロの乱本。送料まで払って購入したのにこんなものを送ってくるなんて酷い!!だからここからは本を購入は気をつけて下さい | ||||
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緻密なプロットで、裏切り者を追い込んでいくあたりが、すごくよかった・・。 文章の流れが、ゆっくりとしている感じで、最近のスパイものよりスピード感がない感じなのですが、それがモノクロな感じというか、重苦しい感じがして、それだけで普通の人々が知ることのない、闇の世界を描き出している感じでした。おもしろかったです。 | ||||
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いやあ、シピれました。 高校時代、いあん・フレミングの小説を、夜通し読んで以来。 時代背景が、実際と呼応していて、すごくリアル。 ジョン・ル・カレ、恐るべし。 いままで知らなくて、ソンした気分。 スマイリーのように職務に忠実でありたい。 そういえばうちの職場にも、腹黒いのやらオベッカ使いやら。 一般人の現実社会にもダブる、スパイの人間模様。 病みつき。 | ||||
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ル・カレのスパイ小説はかなり前に『寒い国から帰ったスパイ』を読んだという記憶だけがある。代表作といわれている「スマイリー三部作」のうち、最近になって『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の新訳が出たと聞き、このガチガチの筋金入りに挑戦してみたくなったのだ。この作品は「なにがなんだかよくわからない作品」といわれているからだ。 ル・カレはリアルな人間洞察によって、冷戦下の諜報戦の実相を描いてきた。これまでのヒロイックなスパイとは対極にある新しいタイプのスパイ小説だった。また「スマイリー三部作」がソ連情報部の首脳カーラとイギリス情報部の死闘であることもわかっていた。 英国情報部(サーカス)の中枢に潜むソ連の二重スパイを探せ。引退生活から呼び戻された元情報部員スマイリーは、困難な任務を託された。二重スパイはかつての仇敵、ソ連情報部のカーラが操っているという。スマイリーは膨大な記録を調べ、関係者の証言を集めて核心に迫る。やがて明らかにされる裏切り者の正体は?スマイリーとカーラの宿命の対決を描き、スパイ小説の頂点を極めた三部作の第一弾。 表紙カバー裏のこの解説はストーリーの全体構図になっているはずなのだが、いつまで読み進めても「なにがなんだかわからない」のである。 登場人物は多数であり、それが苗字、名前、あだ名、コードネームが入り混じって、時と場所を違え、しかもあとでわかることなのだが全員が重要な役割を演じている。しかも著者が客観的に語る部分はわずかであり、それぞれの情景はそれぞれの人物の視点で語られる。読者にとってスマイリーだけはソ連の二重スパイ・X(作品ではある呼称が使われているがここではXとしておく)ではないと確信しているのだが、あとの人物はすべて怪しいのだ。 チェコでの作戦<テスティファイ作戦>、ソ連の情報源とされる<マーリン>とか<ウィッチクラフト>などのいかにも核心である言葉が説明のないままヒョイと顔をだし、読者には説明済みかのごとくに動き始める。そこで読み飛ばしたかと、ページをさかのぼってみるのだが、それが無駄玉になる。「それはあの木曜日のことか」「そうだあの木曜日だ」と会話に出くわせば、当然に私は「あの木曜日」とはなんだったかと後戻りする。ところが、見当たらないのだ。 とにかくこういう始末の悪さがいたるところに散在する。 ここをなんとかクリアしよう。そうすればおよその全体構造が浮かび上がってくる。 過去の事件で追放され、いまは引退しているスマイリーはXの探索を命じられるのだが、もともとXが存在するという情報自体が正しいのかどうか?もしかしたら、それが<サーカス>を混乱させるためのニセ情報かもしれないのだ。<サーカス>の幹部たちはXの存在など念頭にないので、ニセ情報だったとすれば探索というスマイリーの行動自体が裏切り行為となる。 スマイリーの敵カーラとXの浸透工作はあまりにも巧みなものだから、<サーカス>全体が彼等のために知らず知らずに汚染されている。英国情報局が正しいと確信する愛国行為が実はソ連の思う壺で英国民に対する裏切り行為であるとすれば………。カーラの企みは<サーカス>を機能不全にすることなのか?そうではないだろう。これだけヒトモノカネと時間を費やした大仕掛けである。採算にあうカーラの究極の企みとは?当時の国際情勢を思い浮かべれば、なるほどと単なるスパイ冒険小説では味わえないその迫真性のインパクトは期待通り確かなものだった。 ところで、これがこの小説の全体構造なのだが、わたしの場合、物語の半分近くまですすんでようやくたどり着くことができたのだった。この歳になると丹念に読むのは実につらいことである。眠くなっておろそかになる。だからなんど読み返したことだろう。 だがこれは正しい読み方であった。後で気づいたことだが、まさに五里霧中でさまようスマイリーその人になっていたのだ。 枝葉末節を微細に象ること延々としてみえるが、実はどこにも隙がない完璧な伏線なのだ。その積み重ねでやがて森が見えてくることになる。タイトルの意味することが知らされる。 これほど緻密な構成のミステリーは珍しい。 本格のハ−ドコアスパイ小説だった。 情報機関をシステムとして浮き彫りにして、リアルに詳述している小説はほかにあるまい。 システムの構成は幹部上級職と現場の工作員に分かれるが、ここは日本の警察組織と同様、本部と現場の確執、忠誠と裏切りと功名争いが混沌とするところだ。現場工作員にも情報収集と首狩りと言われる実行部隊のふたつがあるようだが、詳細は私には理解できていない。 現場工作員は対象国内にそれぞれ独自のネットワークを築き上げている。これが彼らの主要任務であり、彼らのパワーの根源である。情報ネットワークには対象国の要人が組み込まれている。当然、情報源は内部でも秘匿される。もしリストが敵の手に渡れば容赦なく抹殺される。 そして工作員はシステムの一員でありながら、システムとは距離をおいた単独行動は、成功を前提にして暗黙のうちに認められている。大きな成果はそういう独自の判断からうまれるものだ。 幹部上級グループは原則として現場の情報を集中させている。一方、工作員は上級幹部から指令を受け、忠実に実行する。ただ、何のための行動か、指令の目的は知らない。 要は、個性を捨象したところで機能するシステムでありながら、個性の働きに負うところが大きいという矛盾をもつのが情報機関である。システムの一員として沈着冷酷に任務を果たしながら、死地に向かっては自分の判断がすべてになる。ましてやシステムそのものへの猜疑心が芽生えれば、寄って立ってきた基盤が崩れ、自己喪失する。このギリギリの葛藤を一人一人の深層部までメスを入れて細やかに描いている。 これがル・カレの魅力なのだ。 読者はスマイリーとともに雲をつかむような謎へじわじわと迫るのだが、スマイリーではないのだから、いらいらがつのる。読むことを放棄したくなるかもしれない。 だが、そのストレスを三分の二まで我慢すれば、あとは疾走感が残されている。 そして間違いなく読み通したことの醍醐味が味わえるだろう。 | ||||
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第3刷で読みました。 何人かの方が書かれている530ページの文言は「幻想をすてた男の最後の幻想」になっています。 他の箇所も修正されているようです。 訳の評価を読んで購入をためらっている方は、購入されていいんじゃないかと思います。 面白い小説でしたよ。 | ||||
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ル・カレ「そんなことは絶対にありえない!」 ……………………… 内容については、文庫版の方のレビューにしっかりした評が載っているので、そちらを参考に…。 こちらの単行本の方には、旧訳者菊地光さんの「訳者あとがき」が載っています。 それを読めたのが良かったので、このレビューを書いています。 その「あとがき」に、ル・カレの当時のニューズ・ウィーク誌へのコメント〜Q&Aの引用と、本タイトル「Tinker,Tailer・・・」の元ネタについての補足が書かれています。 当時の時代背景や英国文化を詳しく知らないので、理解の助けになりました。こういうことを文庫版にも載せればいいのに…。 …但し、訳の方は、文庫版のレビューで酷評されている以上にアレなんで(…英語がわかってるとは言い難いド素人(これを書いてる私ですorz)にもおかしさがわかるくらいに…)、これから新たに読まれる方は、入手しやすい新訳版をオススメしますf^_^;。(…雰囲気重視でじっくり読みたい方は、文庫版旧訳をどうぞ…) あと、装丁がナイスです(^^) | ||||
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ジョン・ル・カレの文体は、語学が得意な著者の例に漏れず、使われる言語が多彩で意識的であり、エンターテインメントでありながら、ときに言語そのものの表層に意識が行き、それを、主人公のスマイリーを思わせる沈着さで抑制している。だが、会話に関してはかなり自由に滑り込ませており、それが、現実の会話であれ、頭の中の会話(思考)であれ、モノローグであれ、とくに書法の区別をつけていない。そういう作者であるので、読者は、ただストーリーを追っていればいいというわけではない。表現は洗練されている。そういう小説を訳すとなると、一筋縄ではいかないことになる。本訳書は、全体として、それほど悪いできだとは思わない。ル・カレの文体をまあまあ伝えているし、登場人物たちのキャラクター、とくに、主人公スマイリーのクールな内面も十分に伝わってくる。 ほかのレビュアーが指摘している、536ページの「ジム」は、確かに、「ビル」の誤植で、原作通り、ビルのファミリーネームのローチとすれば、間違えるはずもないので、これは、訳者が、ジムとビルを間違えたとしか思えない。しかしまあ、「ここは誤植だな」とすぐわかる箇所なので、べつだん「感動が台なし」とも思わない。そういう細かな点を言い出したら、キリがないのである。たとえば、原作は、39章まであるが、どういう理由か、翻訳は、38章で、39章の文章はそっくり、一行あきによって、「一等のコンパートメントの……」(P533)から始まる文章を挿入している。しかし、どこか省略されているわけでもないようだ。 他のレビュアーが問題にしている「幻影」(illusion)であるが、この言葉は、スマイリーの属性を表す、illusionlessという言葉と対で重要な言葉である。ロシア側の情報組織を牛耳る宿敵カーラが、スマイリーのことを大した人物だと言っていたと、「もぐら(二重スパイ)」(訳書中では、人物名)が言う。そのときの引用として、 The last illusion of the illusionless man. という。そして、そのThe last illusionは、すばらしく美しいスマイリーの妻だと言う。つまり、illusinlessとは、幻想を抱かない冷徹な思考の持ち主という意味であり、ここは、「幻想を抱かない男の最後の幻想」と訳すべきだと思う。 余談ではあるが、映画化作品『裏切りのサーカス』は、トーマス・アルフレッドソン監督が、まったく違う構成をしており、これはこれで、知的で深い作品である。なにより、スマイリー役のゲーリー・オールドマンが、原作では、短足ずんぐりと描写されているスマイリーを、スマートで軽やかな、匂いたつような初老の男として演じ、たいへん魅力的である。 | ||||
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翻訳について色々議論がある。 日本仏教について、サンスクリット語からの日本語直訳がないに等しいので日本に伝わっている仏教は真の仏教ではないと言う学者もいる。 しかし、言葉(言語)とは、広大深淵を表わすことが出来るとも、何も表わすことも出来ないとも言える。 特定の言語が唯一のものではない。 だから、どの翻訳でも理論的に完全はない。それは、読者が判断するものである。 私は、この翻訳で十分堪能した。 翻って、このレベルの洞察がありそれを知的に表現出来る日本の作家はいるかと問うと、直ちに名前が浮かばない。 | ||||
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旧訳本がぼろぼろになり新しいのを買いなおしたのですが、読んでてそこかしこに違和感が。 読後の余韻が以前より軽く感じられてしまいました。旧版は誤訳や言い回しがおかしいなどの 批判があったことは知っていますが、どちらが好みかと言えば断然旧訳版です。 しかし2部、3部や影の巡礼者等での村上氏の訳には、不満を感じていなかっただけに不思議です。 | ||||
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内容: 初めての方が、「今更、冷戦時代のスパイものなんて」と思ったとしても当然です。しかし、時代が変わっても、小説としての面白さは変わりません。(だから最近、映画化もされたのでしょう。) 翻訳: これで村上博基氏の翻訳でスマイリー三部作が読めることになりました。本当に嬉しい。新訳の出版を決定した出版社に感謝します。本作も他の2作に並ぶ名訳で、そもそも翻訳について気にかけることなく読めると思います。 すでに旧訳を読まれた方にも新訳で読み直すことをお薦めします。数段良くなっていますよ。日本語として自然になっているのが分かります。ちょっとだけ冒頭を引用してみましょうか… 「じつのところ、もしもドーヴァー退役少佐がトーントンの競馬場でぽっくり死ななかったら、そもそもジムがサースグッド校にくるはずもなかった。・・・」(お手元の旧訳と比較してみて!) 村上氏の翻訳について気になる方は、プロの評価を参考にして下さい。 山岡洋一氏の「翻訳通信」から「名訳 誠実な美女 村上博基訳『スマイリーと仲間たち』」のURLを添えておきます。 http://www.honyaku-tsushin.net/hihyo/bn/smiley.html (これが、この翻訳の批評でないことが残念です。私たちがそれを目にすることはないと思われます。山岡氏は2011年に急逝されたので。) 最後に、作者が1991年に記した序文の最後の言葉を引用します。 「…作者が読み返すと楽しいように、読者もぜひたのしんでもらいたい。ジョン・ル・カレ」 | ||||
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映画で話題になって興味を惹かれ、まず、この新版を読んで、映画鑑賞後に再読しました。 二重スパイを探し出せ!というシンプルな命題ながら、実は難解な作品でした。 最初読んだ時は、著者の文体、スパイ小説の独特の言い回しや隠語など理解不足で、読み通す為に、時間をかけました。 結果、読後は、久しぶりの読み応え。。というずっしりとした満足感が得られました。 映画で鑑賞後、また、手に取りました。かなり細かい点に注意しながら。。 再読の度に、見落としや発見がつかめる貴重な本との出会いだ・・と感じています。 冷戦の只中にうごめくスパイの閉鎖された空間、各地に暗躍する孤独なスパイのミッション、複雑な愛憎劇も堪能しました。 (スマイリーのカーラに対する私怨の深さ、サーカス内の権力闘争と、同僚の秘めた愛には驚愕と新鮮な刺激を受けました。) その深みにはまってか、スマイリー3部作を一挙に読破しました。 最終作の「スマイリーと仲間たち」まで、たどりつくと、心の霧がやっと、何とか取り払われた・・ という不思議な達成感が湧いてきました。(後味の苦さ、虚しさは残りますが。) ところで、皆さんのレビューで気になってしようが無い、菊池氏の訳本が手に入らず探し回っています。 探してたどりついたら、また違う世界が待っているような気がしてなりません。 | ||||
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この新訳版で初めて本書に触れました。 私は気になりませんでしたが、確かに翻訳に問題はあるようです。 しかし、だからといって、この作品が名作であることは変わりません。 謎がじっくりと解きほぐされていく過程や、全体に漂う緊張感と不思議な哀しさは、この作品でしか味わえない素晴らしいモノでした。 もし訳の問題を考えて購入を迷っている方がいましたら、是非、実際に読んでみて欲しいと思います。 多少の問題を吹き飛ばす魅力が本作にはあります。 | ||||
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新訳と謳っているのに期待して購入して読み始めたが、全くの期待外れ。直訳の典型でした。映画の公開に合わせてやっつけで出版したのかと勘ぐりたくなる訳の質です。 | ||||
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旧訳新訳共に一長一短あり。疑いの無い事実は、この小説は紛れも無く一読に値する傑作だということ。興味を持たれたならまず手に取ってみて欲しいと思います。比較検討はそれからでも遅くはありませんよ | ||||
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「回収・再訳を希望します」 これを新訳、というのは無理があります。 英文を単純に日本語にするという作業が成されただけで、前後の文脈をおもんばかった、読ませるための(著者の意・登場人物の個性・話の流れを汲んだ)書き直しがまったく行われていません。自動翻訳か? とすらおもわされる場所もあります。「単語を見て、コンテクストを見ず」。日本語としてろれつが回ってない。読みにくいなどという次元の騒ぎではありません。5つ星つけてる人はパラパラめくって、自分が誤訳を指摘したかったところをチェックしただけなんじゃないでしょうか。小説は英語大好きお勉強ちゃんの自己満足用品じゃないんです。 どうも訳者は目の前にある英文を直訳しただけで、物語全体を把握するステップを踏んでいないとしか思われません。これは序盤のごくわずかな記述が、最後の最後で生きてくるような、超絶伏線回収型小説の本書「ティンカー〜」では致命的で、巻を通じた文脈を配慮して訳されていないと、余韻もなにも起きてこない。結果、本書は読み通すのもつらい、無惨な紙束になりはてています。 そして、そんなことが村上博基氏の翻訳でありえるのか? 恐らく、村上氏はすでに70代後半のご高齢であり、翻訳は下請けに回されたか、お弟子さんに任され、それがそのままノーチェックで世に出てしまったものと思われます。ご本人はざっと読んだ後、あと書きのみ自筆で書かれているのではないでしょうか。そうでなければあの「スマイリーと仲間たち」の、背筋に戦慄が走るような名訳と同一の手になる文とは、まったく思えません。 以下、あえて回収を、とまでお願いしたい理由を述べます。 (1)致命的な、致命的なケアレスミス。 536ページ、最後のページから1枚後ろ。ジムに注意を促しているのは、ジムではなくてビル・ローチ少年です! 親が金持ちで、離婚した家庭の子どもだから観察力が鋭いという以外、ほとんど何の力ももたないちびでデブのビル少年が、持てる力を尽くして、必死になってジムの力になろうとする、そのせつない物語を踏まえていれば、こんな誤植が起きるはずがない。評価してる皆さん、実は読んでないの? ラストのラストですよ。感動台無し。 (2)物語のすじを理解していないかのような訳語。 山ほどありますが、もっとも指摘したいのは528ページ「彼はきみを敬愛していたからだ」、違うでしょ! これは菊池訳の「愛」であって、「敬愛」ではない。原書でも当然「love」です。これが愛でなければ、本書の裏に流れる愛の物語が成立しなくなってしまう。これは訳した人(あえて村上氏と思いたくない)が、この文で示される人間関係を理解していないか、ホモセクシュアルに対して生理的嫌悪を抱いていたとしか思われません。 (3)全編に流れる単語選びのなげやりさ、適当感。 例えば530ページ、2行目「幻影なき男の最後の幻影」。これは菊池版では「迷い無き男の唯一の迷い」です。原書ではillusion。確かに直訳すれば幻影ですが、これはまさに「迷い」でしょう。 スマイリー三部作を貫く芯は、多くの人が指摘するとおり、スマイリーの鉄の意志です。「相手を叩きのめすときには、ほどほどに。それが大人の対応」と、私たちは何かにつけ社会で教えられます。「苦い結末、あいまいな結末こそ高尚かつ、文学的」というヘンな先入観、「カタルシス否定」で大人ごっこ。だから本書のスケールにくらべてライトで雑な「寒い国から帰ってきたスパイ」が、苦いカタルシス少なめの結末ゆえに、自称本格派の年寄りの読み手に誉めそやされ、かたや超超重量級なのに爽快・痛快、スカッとしまくるエンターテインメントである本書、そして続編が下に見られる風潮があるのでしょう。 スマイリーはカーラを追いつめます。3部作のラストでは、それこそ一瞬は喪に服したようなそぶりはすれど、いろんな相手に「ほどほどにしておけ」と諫められながらも、一切の迷い無く容赦なく、カーラ撃破へ突き進みます。ここまで文芸的豊穣さ、厚みを盛り込みながら、これほどスカッと悪役にトドメを刺してくれる小説は他に見たことがありません。 だからこその「迷い」です。菊池氏の訳語「迷い」が、シリーズの後になればなるほど生きて、意味を増し、輝いてくる。素晴らしい翻訳であり、片やこの新訳版の「幻影」という言葉は、新訳本全体をつらぬく「適当さ」を見れば、これも考え無しに訳されたみっともないやっつけ仕事にしか見えません。 (4)あとがき部分 〜この作品を「思い出の名作」にしないでいただきたい! 村上氏が同世代の内藤陳さんを追悼したくなるのはわかります(わたしも「読まずに死ねるか」で育ちました)しかし、本書が刊行から40年経て冷戦の緊張感も伝わりにくくなった2012年の今なお、読まれ、映画化されるに値する特別な小説であることに言及していただきたかった。 あのジェフリー・ディーヴァーが「最もクールな小説」として讃え、オマージュを捧げる本書。ジェイムズ・エルロイが、高村薫が… 現代・現役のプロ作家のフォロワー・信者数知れずの「グレイト・クラシック」である本書。しかし「行きつ・戻りつ」読めるこの小説構造は、ネット時代の日々大量のテキスト情報に触れている、モダンな読み手にこそ挑戦していただきたいんです。 ・すべてのことは読者が周知であるように記述され、(そもそも、ここで挫折する読者が多数) ・一読後、再度読みこむことで、後述の事実が前述に補強され、明らかにされる ・一度全貌を理解すると、前に、後ろに、自在に読み進むことで、支線・伏線がさらにクリアになり楽しめる ・この「前後に読み進める過程」そのものが、スマイリーがサーカスの文書を読み進めつつモグラを追いつめるプロセスそのものであり、記述構造そのものによってスマイリーの追跡術(遡行)を読者が「追体験」できるという、読み手の知性と我慢強さと記憶力に信をおいた、エンターテインメントではあまり類を見ない書かれ方です。 この快感は書物でしか体験できない。映画や舞台のような時間軸に縛られたリニアなメディアでは不可能です。文字の書かれた紙の束である、「書物」であるべき作品なのです。出版全体がまさに電子書籍への移行期・過渡期にある今、本書のような「ページを繰って、指で読む」ことに最適化されたエンターテインメントの存在が、示唆するものは大きいはずです。 また、昨今の一般人はみな、ネット上で偽装せざるを得なくなっています。やれフェイスブックだmixiだと実名&実生活オープンで素晴らしい未来を煽られますが、未知の悪意・人間関係のこじれ(しかも消えない)を思えば自分の本当の誕生日すら公開はためらわれます。多くの人はさらけ出したくない「弱み」や「人に嫌われる部分」を持っているし、そういう神経の細かさへの配慮には、インターネットはまだ追いついていません。 そんなときに、主要な登場人物のすべてが偽りの名前・身分で登場し、権力と評判を手にするためにドロドロの嘘で闘い合う本作は、人の情報の取扱について、「弱みの暴露」がもたらす致命性について、今起きていることのように、リアルな警鐘をならしてくれます。 「挙げれば切りがない粗雑さ」 そもそも「一度読んだら終わり」というようなつくりになっていない本書で、文脈のつながりを感じない今回の翻訳は、致命的です。訳は単にお弟子さんに出したというだけでなく、複数の下請けに出したのではないでしょうか。パートによって品質のばらつきも目立ちます。 例えばある章では「セント・アーミンズ(ヴァーミンズ)」との単語表記、ラストのほうではジムがコントロールと打ち合わせた場所が「スン・ジェイムジズ」の表記。もともと日本語のカタカナ表記は原音を正確に表すのには不向きなのですから、皆さん馴染みの「セント・ジェイムスズ」でいいでしょうに。あるいは逆でもいいです。とにかくなじませていない、こなれていない訳なので、眼が滑って話に入っていくのがつらい。 旧訳に関してある程度弁護したいです。菊池光氏の版は初版から数冊持っていますが、版を改めるごとにケアレスや細かい部分が直されています。非の打ち所のない訳とはいいませんが、少なくとも、物語を理解し、それぞれの登場人物の個性を把握した上で訳されている。なのでパーシィの傲慢さ、トビーの小物感、ビルの奥深さ、すべてキャラが立ち、愛しくてなりません。特に終盤もぐらの逮捕について話し合うときの政治家マイルズ・サーカムのぬらぬらしたしゃべりと、それをスマイリーがタヌキ然といなすシーンなどは菊池版が絶品ものだと思います。(是非読み比べてください!)本書の訳に関しては、「ロング・グッドバイ」の村上春樹氏に対する「長いお別れ」の清水俊二氏とまではいかずとも、菊池版が「読ませる」訳だと、この新訳を前にして感じます。 この本は特別な本なんですよ。バターとワインを正統的にたっぷり使った(ホームズ+ポワロ)×ウォッチメン。大人の舌と胃袋のためのゴージャスな娯楽。こんな贅沢は他にないです。 深い共感というのは同じ旅、経験をした人同士ならではのものです。出来るだけ多くの人と、このティンカーテイラーからはじまる重たくも後味爽快の3部作の旅を共有したいです。本作を心から愛する者として、こんなにひどい訳は、悲しみに耐えません。回収と再発行を、心よりお願いいたします。 | ||||
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この小説はフィルビー事件をモデルとしている。 なぜ周知の共産主義学生が英情報部内で頭角を現し、44年から51年まで疑惑にもかかわらず長期でキャリアを維持したか、その謎を・・・90年代になって英情報部非公式史家と判明したル・カレが、丹念に70年代に舞台を移し、追求している。 解答1 まず技術的には英情報部の国内競争機関(MI5)や政府向け弁解があった。自己欺瞞である。 作中<ウィッチクラフト>として描写があるが、「彼はソ連の二重スパイのふりをした英国の二重スパイだ。でないとソ連を騙せないだろう」「外野はそれをわかっていない。告発するなんてばかげている」という複雑なダブルクロス作戦の描写が、おそらくこの小説の難解さの大半を形成していると思う。 解答2 英国政府内の官僚主義、事なかれ主義。これはまあ真相の大半か。 解答3 だがルカレはさらにフィルビーのニヒリズム、怪物性に注目している。 「フィルビーは仲間だ」「友情を裏切る仲間はいない」「それは人間として普遍の真理だ」という常識を裏切った、フィルビーは怪物という理屈である。モラリストとして、作中ル・カレは「友情を裏切った罪」を多少大袈裟に非難している。 解答4 そしてここからが小説家としてル・カレの底力なのだが・・・裏切られる「友情」「仲間」「信頼」の対象としての英情報部を丹念に描写する。アマチュアリズムと大学スポーツクラブのような空気の中で大戦時に雇用された情報部員たちが、70年代、衰退する英国社会の中で老いて、朽ちて、昔日の友情だけを生きるよすがとする。快活で魅力に溢れたフィルビーだけがかつての青春を思い出させるアイドルなのに、彼は最後の希望さえ打ち砕いてしまう。もちろん皆フィルビーがスパイである事を知っているが、彼を告発する事は、自らの最良の思い出を否定する事に等しいから誰もそれを言い出せない・・・。 小説全体に緊張と悲しみがぴんと張っている。よいストーリーである。 20世紀最良の小説のひとつといったら褒めすぎか | ||||
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この小説はフィルビー事件をモデルとしている。なぜ周知の共産主義学生が英情報部内で頭角を現し、44年から51年まで疑惑にもかかわらず長期でキャリアを維持したか、その謎を・・・90年代になって英情報部非公式史家と判明したル・カレが、丹念に70年代に舞台を移し、追求している。解答1 まず技術的には英情報部の国内競争機関(MI5)や政府向け弁解があった。自己欺瞞である。作中<ウィッチクラフト>として描写があるが、「彼はソ連の二重スパイのふりをした英国の二重スパイだ。でないとソ連を騙せないだろう」「外野はそれをわかっていない。告発するなんてばかげている」という複雑なダブルクロス作戦の描写が、おそらくこの小説の難解さの大半を形成していると思う。解答2 英国政府内の官僚主義、事なかれ主義。これはまあ真相の大半か。解答3 だがルカレはさらにフィルビーのニヒリズム、怪物性に注目している。「フィルビーは仲間だ」「友情を裏切る仲間はいない」「それは人間として普遍の真理だ」という常識を裏切った、フィルビーは怪物という理屈である。モラリストとして、作中ル・カレは「友情を裏切った罪」を多少大袈裟に非難している。解答4 そしてここからが小説家としてル・カレの底力なのだが・・・裏切られる「友情」「仲間」「信頼」の対象としての英情報部を丹念に描写する。アマチュアリズムと大学スポーツクラブのような空気の中で大戦時に雇用された情報部員たちが、70年代、衰退する英国社会の中で老いて、朽ちて、昔日の友情だけを生きるよすがとする。快活で魅力に溢れたフィルビーだけがかつての青春を思い出させるアイドルなのに、彼は最後の希望さえ打ち砕いてしまう。もちろん皆フィルビーがスパイである事を知っているが、彼を告発する事は、自らの最良の思い出を否定する事に等しいから誰もそれを言い出せない・・・。小説全体に緊張と悲しみがぴんと張っている。よいストーリーである。20世紀最良の小説のひとつといったら褒めすぎか | ||||
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読み始めて、最初から2ページ目で、もしや翻訳者は・・・と表紙を確かめてみると・・・あっちゃーあのK氏でした。 これは読破するのは厄介だ、と思いつつ、You Tubeにアップされていた、TV版(アレック・ギネス主演)を思い出しながら読み終えました。後半は一気にいけます。 それにしても、些細な部分ながら、「母親はバスで豪奢な生活をしており・・・」??? せめて、バースと表記して下さいな。 まるで廃バスの中で、飾りたてて暮らしているみたい。 | ||||
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