スパイはいまも謀略の地に
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点8.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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88歳にして現役作家として活躍するジョン・ル・カレの25作目の長編小説。得意分野であるスパイの世界が題材だが、単純な諜報戦に終わらせず、個人の忠誠心と組織の論理、祖国への愛憎、自律と信頼関係など、人間が誇り高く生きるとはどういうことかを追及した、味わい深いスパイ・ミステリーである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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2020年に亡くなったル・カレの最後から2番目の小説です。1989年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が事実上無くなると、ル・カレはもう小説を書かないのではないかと言われましたが、冷戦やスパイとは別の小説を次々と発表してゆきました。しかし、冷戦終結後の彼の小説にははっきり言って出来不出来の差が大きいように思います。 本書にジョージ・スマイリーは出てきませんが、設定が英国秘密情報部(SIS)でスパイや裏切りがテーマであることは、かつてのスマイリー三部作(ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ、スクールボーイ閣下、スマイリーと仲間たち)を思い出させて懐かしいものがあります。 あらすじを書きすぎるとネタバレになりますので詳しくは本書を読んで頂くとして、少しだけ述べさせて頂きますと、時代背景はブレグジットに関して英国中が喧々諤々たる論争のただ中にあり、米国のトランプ大統領は自国第一主義で欧州と距離を置こうとしています。その一方でロシアのプーチン大統領とはつかず離れずの関係を保っています。 主人公のナットは海外でのスパイ調略に活躍してきたベテランの情報部員ですが引退が近くなり本国に帰されます。そして、あまり重要性のない部署(ロンドン総局:ヘイヴン)の再建を命じられます。ヘイヴンの活性化を図る意味で彼は気の強い若い女性部下のフローレンスと共同してモスクワの息のかかったウクライナ人オリガルヒ(新興財閥)のロンドンの邸宅に監視装置を取り付けるプロジェクトを提案します。しかし、その提案は部内の裏切りのために上級会議でつぶされ、憤慨したフローレンスは辞任します。 ロンドンに潜伏するロシアの二重スパイ(セルゲイ)からモスクワ・センターから連絡があったと知らせがあります。SISの部員がロシアに機密書類のコピーを提供するという話があり、モスクワ・センターは接触のためにベテランの幹部アネッテをロンドンに派遣することにし、接触場所の手配をセルゲイに指示したのです。そこで情報部は「スターダスト作戦」を開始します。ナットはスマイリーばりの慎重で綿密な調査を重ね、ついにその裏切り者を突き止めますが、それは意外な人物でした。 ところで、同じスポーツクラブのエドという長身の若者がナットにバドミントンの試合を挑みます。時間のある時に相手をし、試合後にビールを飲みながらエドの過激な反ブレグジット論やトランプ大統領の欧州政策に対する悪口を聞いているうちに二人はだんだん親しくなってゆきます。しかしエドについての性格描写が何となくはっきりせず、彼が頭の切れる青年なのか単純なアホなのかが読み取れません。単純アホであれば才気煥発のフローレンスが惚れて結婚まで考えるはずがないと思うのですが。 スターダスト作戦は見事結果を出し裏切り者が判明するのですが、例によってあっと驚く結末が待っています。 時代が違うので冷戦時代の著者の傑作スパイ小説と比較するのは無理であることは承知の上ですが、スマイリー三部作などと比べると本書は情に傾きすぎ、またスケールの点で矮小であるように感じます。ナットはスマイリーのカリスマ性を備えていませんし、彼の勤務する組織は小さすぎます(無能な上司の多いところは変わりませんが)。また、ナットの家庭生活(理解のある妻と反抗的ではあるが家族思いの一人娘)が詳しく述べられていますが、スマイリーと貴族出身の妻の間の氷のように冷ややかな関係がほとんど語られていないのとは対照的です。 そして、SIS内の裏切り者として網にかかったのは「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」におけるビル・ヘイドンのような狡猾な大物ではなくただの小魚でした(しかし野放しにすると危険)。また、ここにはスマイリーとモスクワ・センターの仇敵カーラの間の死闘も胃が痛くなるような神経症的な緊張感もありません。ナットによる最後の解決も大甘で、これでいいのかと思ってしまいます。ナットはSISを辞めるつもりでしょうか?話の筋全体としても多少単調です。 しかし、88歳のル・カレの小説としては、それでよいのかも分かりません。深刻な内容のものだけでなくリラックスして楽しむ娯楽作品もあっていいのかと思います。ル・カレの作家人生の残照としての本作品を多くの方々にお薦め致します。 | ||||
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ジョン・ル・カレ氏が2020年末に亡くなった時の新聞各紙の大きな扱いに驚いたことはよく覚えている。ル・カレは冷戦時代のスパイ小説作家で過去の人と思っていたのだ。 英国では「おそらく20世紀後半の英国における最も重要な小説家として記憶される。」(作家イアン・マキューアン氏)、「ディケンズやオースティンと同様にみなされる作家」(英紙フィナンシャル・タイムズ)との評価を得ている。と毎日新聞は書いた。 2023年2月に早川書房(文庫)から出版された本書(英語タイトル『Agent Running in the Field』2019年)も88歳の御老人が書かれたと思われない、複雑なプロットと叙述の瑞々しさで我々を魅力する。だがこれが氏の最終作でなく、2021年に書かれた『シルバービュー荘にてSilverview』(未訳)が遺作となったとあるから只々恐れ入るしかない。 ル・カレにとってソ連の崩壊などは問題にならない。スパイ活動は決して終わらない。「要するに、誰が引き継いで(この建物の)明かりのスイッチを入れるかという問題なのだ。それはいつまでも続く」 と御本人が言っている(訳者あとがき)。『歴史が終わった』と説くフランシス・フクヤマの予測に反して、世界は中国もプレーヤーに参加する、冷戦時代を上回るスパイとデマ工作に覆われているのだがら。 物語の背景はブレグジットで揉める英国(2016-2018)。これに嫌欧州に凝り固まった頭の弱いトランプ米大統領がKGB出身のプーチンに簡単に籠絡されて、大統領選挙でのロシアの介入はなかったと認め、ウクライナ侵略には中庸な態度を取り、パリ協定を離脱した。その結果、イギリスと欧米の緊密なスパイ網にほころびが入り、ロシアおける「英国優位」も薄れてしまったという時代。 主人公はナット・ナサニエル47歳、25年に及ぶヨーロッパ各地でのスパイの「要員運用者(agent runner)を務めた後、本国に戻ってきたが、組織から解雇されようとしている。、スパイ活動も様変わりした。イギリス情報局秘密情報部(S1S)「ロシア課」の職員は平均年齢33歳、ほぼ全員が博士号を持つコンピュータの達人である。秘密裏にスパイと会って文書を受け取り現金を支払うと言った古典的な活動は時代遅れとなり、ナットの居場所はない。かろうじて臨時に与えられた仕事は、<ヘイヴン(安息所)>と呼ばれるロンドン支局の全く機能していない下部組織の所長に収まること。 しかしあらゆる困難を乗り越えてきたナットのこと、ヘイヴンの有能な若手職員フローレンスの計画を採用して、ロンドンに住むオルガルヒのウクライナ人の豪邸に盗聴器を仕掛け、資金の流れを突き止めるという案を上司に提案する。だが何としたことか。その上司は女性男爵である妻を通してそのウクライナ人と関係し、政界人たちのマネーロンダリングに手を貸していたのだ。泥棒に泥棒を取り締まれとする計画は当然葬り去られる。 ここまでは単なる前書きに過ぎないのだが、本文の半量が費やされる。ぼんやりと読んでいる向きには退屈だが、後半部の伏線が数多く出されていて、その細部を記録しているかどうかが、残りを楽しめるかどうかの鍵となる。 これをきっかけに、ナットは新たに手を伸ばしてきたロシアのスパイ網に巻き込まれることになる。新事態に関わる諜報部幹部たちの姿勢や、トランプ米国との「特殊な関係」の再構築が挟み込まれ、話は一挙に政治化する仕組になっている。従ってこれまでのスパイ小説のような冒険活劇、殺人などは登場しない一種の心理ゲームとなっている。だがその反面で、こういったことを乗り越えてしまう古典的スパイの活躍を描いてみせるのが特徴だ。 いくら電子情報が発達しても、生きた相手がいなくなるわけではない。ナットはこれまでに築き上げてきた個人的な信頼関係を生かして、面倒をもてきたロートルの二重スパイたちに会い、様々な情報を得る。相手の琴線に触れる指揮命令関係を超えた個人的な追想が役に立つ、スパイだって人間なのだから。 もひとつの特徴は、スパイという職業の「働きがい」が問われていること。古典的スパイは報酬にすがったが、若いスパイは個人の信条が金銭欲を上回る。スノードン事件が告げるように、自分が諜報機関で知った情報があまりにも、敵国ならず自国の自由までを拘束するような内容なら、それを敵国に開示してしまうこともいとわない活動だ。民主主義者ナットはこういう人物を庇護する役目を引き受けてしまう。 こういった筋立ては、まさにスパイ小説の枠組みを超えたものだ。ディケンズやオースティンに例えられてもあながち的外れでないかもしれない。とにあれ「遺作」が楽しみである。 | ||||
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学生が翻訳したか、機会プログラムの翻訳か、どっちにしても翻訳がひどい。半世紀前のイギリス文学の翻訳のように硬くてこなれていない。だから文体に生動感がなく、登場人物のセリフの癖も使い分けられておらず、まるで大根役者の演劇のように動きが固まっている。全体が作者のモノローグのように灰色だ。この翻訳のレベルで出版するとは出版会社の編集も落ちたもんだ。 苦痛で読み通せなかった。 | ||||
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極めて感情的に書かれた作品だった。 ブレグジッドやトランプ、プーチンへの怒りが隠すことなく込められている。 その意味で、個人的に本作は謂わゆる過去の「傑作スパイ小説」とは全く異なる。いわば「政治風刺小説」と言うべき内容だった。だから、この作品にスマイリーやピーターギラムは存在しない。 この作品が偉大な巨人が88歳で書き上げた遺作でなければ、それほど読まれる作品にはならなかっただろう。 ただ、繰り返し触れるプーチンとウクライナのオリガルヒへの言及が、著者没後のウクライナ侵略戦争をかなり精密に暗示している部分が幾つもあって、ル•カレの慧眼に改めて驚かされた。 最後に、あまり書きたくないが、加賀山さんの訳は読み慣れた村上博基さんの訳と比べると、日本語として読みにくい部分が非常に多かった。精度の問題というより、推敲と配慮の欠如によるものだと思うが。 | ||||
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主人公はナットとエド。親子ほども年の離れた男2人の物語。エドの正体が、イギリス諜報部に潜む2重スパイであることは、本書の冒頭から読者には暗示されているのだが、ナットがそのことを知った時は、キツネにつままれたような気持ちだった。ベテランスパイのナットがそのことを見抜けなかったのもうなずける。エドには、自分がスパイ行為を働いているという自覚がないのだから。彼は相手国スパイと接触したとき、電子機器を使って定期的に情報提供することを拒否した。「それはスパイの小道具だろう。そういうのはやらない。こっちの気が向いたときに大義のために働く。やることはそれだけだ」(本書227ページ) エドの「大義」とはヨーロッパの団結を守ること。ブレグジットの狂信者もドナルド・トランプの狂信者も、ともにヨーロッパの団結をみだすものであり彼にとって等しく敵なのだ。それでいて、自分がヨーロッパ至上主義の狂信者であることの自覚はない。よくも悪しくもピュアなのだ。エドの恋人フローレンスは、エドの正体をナットから知らされたときこう応えた。「あの人は嘘がつけないんです、ナット。真実しか知らない。だから、二重スパイとしては使えない」(本書325ページ) ナットは、イギリス諜報部に潜む2重スパイを「腐ったリンゴ」と呼んでいる。そこで思い出すのが、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(以下『TTSS』)のことだ。『TTSS』の2重スパイは、コントロールから「腐ったリンゴ」と呼ばれていた。「レジェンド」や「人材発掘係」や「デッドレターボックス」といったル・カレのスパイ用語にも本書で再会できた。カーラは「レジェンド」によって自身を作り出し、自分が育てたスパイたちの「レジェンド」作りに余念がなかった。『TTSS』からの連想でもう一点挙げると、保養地カルロヴィ・ヴァリ(チェコスロバキア)の待ち合わせ場所へナットが向かう場面の不気味な描写は、『TTSS』で、チェコスロバキアの森の中の小屋へ任務を帯びたプリドーが向かった場面を彷彿とさせる。 本書は、スパイ合戦の緊迫感、真相になかなかたどり着けない焦燥感、複雑に入り組んだプロットに抗うかのような物語の疾走感、に満ち溢れている。『TTSS』から約50年がたち、著者が80歳台後半になっても、色褪せないジョン・ル・カレの世界がそこにある。 | ||||
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