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スパイはいまも謀略の地に
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スパイはいまも謀略の地にの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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2020年に亡くなったル・カレの最後から2番目の小説です。1989年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が事実上無くなると、ル・カレはもう小説を書かないのではないかと言われましたが、冷戦やスパイとは別の小説を次々と発表してゆきました。しかし、冷戦終結後の彼の小説にははっきり言って出来不出来の差が大きいように思います。 本書にジョージ・スマイリーは出てきませんが、設定が英国秘密情報部(SIS)でスパイや裏切りがテーマであることは、かつてのスマイリー三部作(ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ、スクールボーイ閣下、スマイリーと仲間たち)を思い出させて懐かしいものがあります。 あらすじを書きすぎるとネタバレになりますので詳しくは本書を読んで頂くとして、少しだけ述べさせて頂きますと、時代背景はブレグジットに関して英国中が喧々諤々たる論争のただ中にあり、米国のトランプ大統領は自国第一主義で欧州と距離を置こうとしています。その一方でロシアのプーチン大統領とはつかず離れずの関係を保っています。 主人公のナットは海外でのスパイ調略に活躍してきたベテランの情報部員ですが引退が近くなり本国に帰されます。そして、あまり重要性のない部署(ロンドン総局:ヘイヴン)の再建を命じられます。ヘイヴンの活性化を図る意味で彼は気の強い若い女性部下のフローレンスと共同してモスクワの息のかかったウクライナ人オリガルヒ(新興財閥)のロンドンの邸宅に監視装置を取り付けるプロジェクトを提案します。しかし、その提案は部内の裏切りのために上級会議でつぶされ、憤慨したフローレンスは辞任します。 ロンドンに潜伏するロシアの二重スパイ(セルゲイ)からモスクワ・センターから連絡があったと知らせがあります。SISの部員がロシアに機密書類のコピーを提供するという話があり、モスクワ・センターは接触のためにベテランの幹部アネッテをロンドンに派遣することにし、接触場所の手配をセルゲイに指示したのです。そこで情報部は「スターダスト作戦」を開始します。ナットはスマイリーばりの慎重で綿密な調査を重ね、ついにその裏切り者を突き止めますが、それは意外な人物でした。 ところで、同じスポーツクラブのエドという長身の若者がナットにバドミントンの試合を挑みます。時間のある時に相手をし、試合後にビールを飲みながらエドの過激な反ブレグジット論やトランプ大統領の欧州政策に対する悪口を聞いているうちに二人はだんだん親しくなってゆきます。しかしエドについての性格描写が何となくはっきりせず、彼が頭の切れる青年なのか単純なアホなのかが読み取れません。単純アホであれば才気煥発のフローレンスが惚れて結婚まで考えるはずがないと思うのですが。 スターダスト作戦は見事結果を出し裏切り者が判明するのですが、例によってあっと驚く結末が待っています。 時代が違うので冷戦時代の著者の傑作スパイ小説と比較するのは無理であることは承知の上ですが、スマイリー三部作などと比べると本書は情に傾きすぎ、またスケールの点で矮小であるように感じます。ナットはスマイリーのカリスマ性を備えていませんし、彼の勤務する組織は小さすぎます(無能な上司の多いところは変わりませんが)。また、ナットの家庭生活(理解のある妻と反抗的ではあるが家族思いの一人娘)が詳しく述べられていますが、スマイリーと貴族出身の妻の間の氷のように冷ややかな関係がほとんど語られていないのとは対照的です。 そして、SIS内の裏切り者として網にかかったのは「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」におけるビル・ヘイドンのような狡猾な大物ではなくただの小魚でした(しかし野放しにすると危険)。また、ここにはスマイリーとモスクワ・センターの仇敵カーラの間の死闘も胃が痛くなるような神経症的な緊張感もありません。ナットによる最後の解決も大甘で、これでいいのかと思ってしまいます。ナットはSISを辞めるつもりでしょうか?話の筋全体としても多少単調です。 しかし、88歳のル・カレの小説としては、それでよいのかも分かりません。深刻な内容のものだけでなくリラックスして楽しむ娯楽作品もあっていいのかと思います。ル・カレの作家人生の残照としての本作品を多くの方々にお薦め致します。 | ||||
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ジョン・ル・カレ氏が2020年末に亡くなった時の新聞各紙の大きな扱いに驚いたことはよく覚えている。ル・カレは冷戦時代のスパイ小説作家で過去の人と思っていたのだ。 英国では「おそらく20世紀後半の英国における最も重要な小説家として記憶される。」(作家イアン・マキューアン氏)、「ディケンズやオースティンと同様にみなされる作家」(英紙フィナンシャル・タイムズ)との評価を得ている。と毎日新聞は書いた。 2023年2月に早川書房(文庫)から出版された本書(英語タイトル『Agent Running in the Field』2019年)も88歳の御老人が書かれたと思われない、複雑なプロットと叙述の瑞々しさで我々を魅力する。だがこれが氏の最終作でなく、2021年に書かれた『シルバービュー荘にてSilverview』(未訳)が遺作となったとあるから只々恐れ入るしかない。 ル・カレにとってソ連の崩壊などは問題にならない。スパイ活動は決して終わらない。「要するに、誰が引き継いで(この建物の)明かりのスイッチを入れるかという問題なのだ。それはいつまでも続く」 と御本人が言っている(訳者あとがき)。『歴史が終わった』と説くフランシス・フクヤマの予測に反して、世界は中国もプレーヤーに参加する、冷戦時代を上回るスパイとデマ工作に覆われているのだがら。 物語の背景はブレグジットで揉める英国(2016-2018)。これに嫌欧州に凝り固まった頭の弱いトランプ米大統領がKGB出身のプーチンに簡単に籠絡されて、大統領選挙でのロシアの介入はなかったと認め、ウクライナ侵略には中庸な態度を取り、パリ協定を離脱した。その結果、イギリスと欧米の緊密なスパイ網にほころびが入り、ロシアおける「英国優位」も薄れてしまったという時代。 主人公はナット・ナサニエル47歳、25年に及ぶヨーロッパ各地でのスパイの「要員運用者(agent runner)を務めた後、本国に戻ってきたが、組織から解雇されようとしている。、スパイ活動も様変わりした。イギリス情報局秘密情報部(S1S)「ロシア課」の職員は平均年齢33歳、ほぼ全員が博士号を持つコンピュータの達人である。秘密裏にスパイと会って文書を受け取り現金を支払うと言った古典的な活動は時代遅れとなり、ナットの居場所はない。かろうじて臨時に与えられた仕事は、<ヘイヴン(安息所)>と呼ばれるロンドン支局の全く機能していない下部組織の所長に収まること。 しかしあらゆる困難を乗り越えてきたナットのこと、ヘイヴンの有能な若手職員フローレンスの計画を採用して、ロンドンに住むオルガルヒのウクライナ人の豪邸に盗聴器を仕掛け、資金の流れを突き止めるという案を上司に提案する。だが何としたことか。その上司は女性男爵である妻を通してそのウクライナ人と関係し、政界人たちのマネーロンダリングに手を貸していたのだ。泥棒に泥棒を取り締まれとする計画は当然葬り去られる。 ここまでは単なる前書きに過ぎないのだが、本文の半量が費やされる。ぼんやりと読んでいる向きには退屈だが、後半部の伏線が数多く出されていて、その細部を記録しているかどうかが、残りを楽しめるかどうかの鍵となる。 これをきっかけに、ナットは新たに手を伸ばしてきたロシアのスパイ網に巻き込まれることになる。新事態に関わる諜報部幹部たちの姿勢や、トランプ米国との「特殊な関係」の再構築が挟み込まれ、話は一挙に政治化する仕組になっている。従ってこれまでのスパイ小説のような冒険活劇、殺人などは登場しない一種の心理ゲームとなっている。だがその反面で、こういったことを乗り越えてしまう古典的スパイの活躍を描いてみせるのが特徴だ。 いくら電子情報が発達しても、生きた相手がいなくなるわけではない。ナットはこれまでに築き上げてきた個人的な信頼関係を生かして、面倒をもてきたロートルの二重スパイたちに会い、様々な情報を得る。相手の琴線に触れる指揮命令関係を超えた個人的な追想が役に立つ、スパイだって人間なのだから。 もひとつの特徴は、スパイという職業の「働きがい」が問われていること。古典的スパイは報酬にすがったが、若いスパイは個人の信条が金銭欲を上回る。スノードン事件が告げるように、自分が諜報機関で知った情報があまりにも、敵国ならず自国の自由までを拘束するような内容なら、それを敵国に開示してしまうこともいとわない活動だ。民主主義者ナットはこういう人物を庇護する役目を引き受けてしまう。 こういった筋立ては、まさにスパイ小説の枠組みを超えたものだ。ディケンズやオースティンに例えられてもあながち的外れでないかもしれない。とにあれ「遺作」が楽しみである。 | ||||
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学生が翻訳したか、機会プログラムの翻訳か、どっちにしても翻訳がひどい。半世紀前のイギリス文学の翻訳のように硬くてこなれていない。だから文体に生動感がなく、登場人物のセリフの癖も使い分けられておらず、まるで大根役者の演劇のように動きが固まっている。全体が作者のモノローグのように灰色だ。この翻訳のレベルで出版するとは出版会社の編集も落ちたもんだ。 苦痛で読み通せなかった。 | ||||
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極めて感情的に書かれた作品だった。 ブレグジッドやトランプ、プーチンへの怒りが隠すことなく込められている。 その意味で、個人的に本作は謂わゆる過去の「傑作スパイ小説」とは全く異なる。いわば「政治風刺小説」と言うべき内容だった。だから、この作品にスマイリーやピーターギラムは存在しない。 この作品が偉大な巨人が88歳で書き上げた遺作でなければ、それほど読まれる作品にはならなかっただろう。 ただ、繰り返し触れるプーチンとウクライナのオリガルヒへの言及が、著者没後のウクライナ侵略戦争をかなり精密に暗示している部分が幾つもあって、ル•カレの慧眼に改めて驚かされた。 最後に、あまり書きたくないが、加賀山さんの訳は読み慣れた村上博基さんの訳と比べると、日本語として読みにくい部分が非常に多かった。精度の問題というより、推敲と配慮の欠如によるものだと思うが。 | ||||
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主人公はナットとエド。親子ほども年の離れた男2人の物語。エドの正体が、イギリス諜報部に潜む2重スパイであることは、本書の冒頭から読者には暗示されているのだが、ナットがそのことを知った時は、キツネにつままれたような気持ちだった。ベテランスパイのナットがそのことを見抜けなかったのもうなずける。エドには、自分がスパイ行為を働いているという自覚がないのだから。彼は相手国スパイと接触したとき、電子機器を使って定期的に情報提供することを拒否した。「それはスパイの小道具だろう。そういうのはやらない。こっちの気が向いたときに大義のために働く。やることはそれだけだ」(本書227ページ) エドの「大義」とはヨーロッパの団結を守ること。ブレグジットの狂信者もドナルド・トランプの狂信者も、ともにヨーロッパの団結をみだすものであり彼にとって等しく敵なのだ。それでいて、自分がヨーロッパ至上主義の狂信者であることの自覚はない。よくも悪しくもピュアなのだ。エドの恋人フローレンスは、エドの正体をナットから知らされたときこう応えた。「あの人は嘘がつけないんです、ナット。真実しか知らない。だから、二重スパイとしては使えない」(本書325ページ) ナットは、イギリス諜報部に潜む2重スパイを「腐ったリンゴ」と呼んでいる。そこで思い出すのが、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(以下『TTSS』)のことだ。『TTSS』の2重スパイは、コントロールから「腐ったリンゴ」と呼ばれていた。「レジェンド」や「人材発掘係」や「デッドレターボックス」といったル・カレのスパイ用語にも本書で再会できた。カーラは「レジェンド」によって自身を作り出し、自分が育てたスパイたちの「レジェンド」作りに余念がなかった。『TTSS』からの連想でもう一点挙げると、保養地カルロヴィ・ヴァリ(チェコスロバキア)の待ち合わせ場所へナットが向かう場面の不気味な描写は、『TTSS』で、チェコスロバキアの森の中の小屋へ任務を帯びたプリドーが向かった場面を彷彿とさせる。 本書は、スパイ合戦の緊迫感、真相になかなかたどり着けない焦燥感、複雑に入り組んだプロットに抗うかのような物語の疾走感、に満ち溢れている。『TTSS』から約50年がたち、著者が80歳台後半になっても、色褪せないジョン・ル・カレの世界がそこにある。 | ||||
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ほう、こんなストーリもあるのかと思う。 ジョンルカレの思いが、ロシア大統領プーチン、前アメリカ大統領トランプ、英国のブリグジットの描写に表れる。 ジョンルカレがもっと好きになった。 | ||||
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早く読みたいと思いながら待っても文庫本が出ないから、仕方なしに重い単行本を入手して読むことにした。 東西冷戦もはるか過去のことになってから、何作もスパイ小説を、独自の発想で創作してきたル・カレの頭脳明晰さと、その創作意欲に瞠目してきたが、自伝ともいえる『地下道の鳩』(2116年)と『スパイたちの遺産』(2017年)の二作に感心しきりで読んだ記憶が蘇る。 とくに『地下道の鳩』は、ル・カレが幼少のころから辿ってきた父親との確執などを、興味深く描いていたので一気読みしてしまったのを忘れない。 本書『スパイはいまも謀略の地に』を読み始めて、なるほどこんな手があったかと思いながら面白く夜更かししながら三夜で読み終えた。 主人公ナット(イギリス秘密情報部ロンドン総局支局長)とバトミントンで仕事を離れた友人となったエドとの複雑な関係でストーリーを進めてゆく。 このバトミントンの友人エドは、ブレグジット(イギリスの欧州連合離)のEU離脱に反対であり、時を同じくしてアメリカ大統領になったトランプの独裁的を猛烈に嫌悪し、返す刀でロシアのプーチンのKGB的な政治姿勢にも怒りを隠さない。 ドナルド・トランプは、まるで1939年のヒットラーの再来だと過激な意見をナットへ吐露する。 ナットは、困惑しながらエドの過激な思想に消極的ながら同意を与える。 評者は、ル・カレの本心をこの物語のなかでエドの口を借りて語っているように思えてしまったのです。 なぜなら、本書を読み終えてからジョン・ル・カレのWikipediaで意外なことを知ってしまったからです。 その件を下の・・・・・内に転載します。 ・・・・・ ル・カレ死後の2021年2月27日、妻のヴァレリーが死去。同年4月1日、BBCのル・カレのドキュメンタリー番組の予告編が放送され、その中で息子のニック・ハーカウェイが、ル・カレが生前にアイルランド国籍を取得していたことを明らかにした。イギリスの欧州連合離脱に対する抗議が理由とされている。英国では二重国籍が認められている。 ・・・・・ ル・カレは、国を愛するからこそブレグジット対する意思表示としてアイルランド国籍を取得したのでしょう。 大昔のことになるが、首相と歓談するパーティに於いて、鉄の女へ自論を述べようとしたら、鉄の女は機先を制して「お涙頂戴の話はしないで!」とル・カレを遮ったエピソードを思い出したのです。 競争原理を中心にした政策で不幸になった人たちのことを、ル・カレがサッチャーに訴えようとしたからだと思います。 現実世界を俯瞰する冷静な姿勢と、正義に対して確固たる信念を持っているのが、ル・カレの真骨頂なのです。 この物語のエンディングでそれを明らかにしています。 100歳まで創作活動をしてほしかったル・カレへ哀悼の念を捧げながら、ル・カレを読んだことのない人でも楽しめる本書『スパイはいまも謀略の地に』を、読まれるようお勧めしたい。 | ||||
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スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレ。その名を知ったのはつい最近。偶然にだ。 その遺作となってしまった本作が、著作に初めて親しむ機会となった。スパイ 小説というと、映画007シリーズのようなアクションシーンが随所に繰り広 げられて、エキサイティングなシーン満載なのだと勝手に憶測していた。期待? は見事に外れ、そんなシーンなど一つもなく、時にねちっこくも粘りつくよう な人間の心理的な描写が繰り広げられる。表現は繊細で見事ですらあった。恐 らく、読みなれていないからか、コードネームが存在することもあってか、人 物名がなかなか頭に入らず、行きつ戻りつ。なかなか読了に至らなかったが、 それでも途中興味が失せなかったのは、物語の秀逸性と人間の心理的描写の豊 かさ故だろう。 | ||||
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ジョン・ル・カレが、2020年12月12日に亡くなった。89歳だった。彼の事績は、早川書房のホームページ「作家ジョン・ル・カレ逝去のお知らせ」に詳しい。それによれば、この作品、すなわち「スパイはいまも謀略の地に」は遺作になるとのことだ。これから米中対立が深まると予想されるなかで、イギリスそしてヨーロッパがどのように両大国の間で振る舞い、そしてスパイたちががどのように暗躍するのか、そのような作品を読んでみたかった。哀悼の意を表したい。 この最後の作品も、展開が二転三転し、物語がどうなるか最後までわからず、つねに次のページが待ち遠しかった。そして、出世できずに、キャリアの終盤を迎えた主人公のスパイの心情の襞を、きめ細かく描いていて素晴らしい。何よりも、トランプの登場など自国第一主義的な思想の台頭やBrexitによるイギリス国内の分裂という、厳しい世界情勢を後景にして、人間同士の信頼が描かれ、希望に満ち溢れた作品である点が魅力的だ。代表作「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(ハヤカワ文庫)のもつような、深い余韻を感じはしなかったし、異なる味わいではあるが、大変読み応えある作品と言えるだろう。 これは私の書いた5番目のレビューであるが、「素晴らしい小説の基準点(☆4つ)」より一つ上の「最優秀な作品」として☆5つと評価した。☆5つを付けたのは初めてである。2020年12月24日読了。 | ||||
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ジョン・ルカレが死んだ。私が初めて彼の作品を読んだのが確か1981年、「スクールボーイ閣下」だった。それ以来 約40年、私にとって最も好きな作家であり、常に私を唸らせてくれる作品を世に出すルカレは私にとって特別の 存在であった。89歳という高齢からしていつ亡くなってもおかしくなかったが、彼が死ぬということ自体が考える ことが出来なかった。 結果、この作品「スパイはいまも謀略の地に」(この邦題は何とかした方がいい。作品内容を言い得ていないし、な んせセンスが悪すぎる。過去のルカレの作品の中で最低の邦題だ)が遺作となった。いみじくも訳者の加賀山卓郎が あとがきで、「まだまだ書けるし、書くべきテーマもありそう」と言っているが、本当にそう思う。この作品を書いた のが87歳の頃か、今までとは若干違うシチュエーションで物語を進めていくエネルギーの感じられる作品である。 英国情報局のベテランスパイであるナット。彼の前に現れた青年エドとバドミントンを通じて親しくなるナット。彼は、新たな職場 でロシアが急に英国で諜報活動を活発化しているという重大情報を掴む。そしてその情報の真実を探るナットに驚愕の 事実が浮かび上がる。その事実を基に、厳しくナットを締め上げる英国情報部の面々。そして、最後にナットが仕掛けた 作戦とは。いつもの作品と同じく、たくさんの登場人物が出てくるが、一人としてルカレはいい加減には描かない。 それぞれ癖のある人物を端的に、然し深く描く。 欧米のマスコミの言葉を使うならこの作品のテーマは「Decent Men」(まっとうな人間)ということであろう。 この作品だけではない、権力に翻弄されながらも、自分の信念を貫きながら正義や真実を追い求める人間を、 ルカレは特に晩年描き続けているように思う。スパイという裏切りや謀略の世界でも、この「まっとうな人間」に向けら れるルカレの温かい眼。この作品では、「まっとうな人間」が小さな勝利を獲得するとだけ言っておこう。それを 考えるとこの作品は、ルカレの遺作としては最適なのかもしれない。 | ||||
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著者の作品は何れもすばらしい | ||||
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「繊細な真実」に続く、2作目でした。本書の方が面白かったかな。特に、エドが登場してくるあの瞬間。 Decent、訳者が本書のキー概念として書いているが、米国副大統領候補のカマラ・ハリス氏もよく使う言葉と思う。普通の大人としてのまっとうな考え方、処し方ということであるが、本書に登場するトランプ大統領に立ち向かう2重の意味であると思う。この小説はナットとエドの物語ではあるが、ブルー、フローレンス、アルカジー、ブリンなどの脇役も相当な存在感がある。「標は指すだけで動かないのだよ、動くのは君だ」と言っている。ナットとエドが、ブルーとフローレンスが。 | ||||
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まるで翻訳ソフトで訳したような文章で読みにくい。 翻訳のレベルがむごいと思う。 もしジョン・ル・カレがこんな文章を書くようになってしまったとしたら残念。 ストーリーも単純だし、スパイものならではの緊張感や頭脳戦の面白さは皆無。 | ||||
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いつもながらねちっこい。これがいいところ。 | ||||
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ジョン・ル・カレという作者の本を初めて読んだ。タイやインドネシアなどに安旅をすると、だいたい中古本屋にこの作者の本が並んでいる。本著の翻訳者あとがきを見てもよほど面白いストーリーをこれまで書いてきたようにあたかも書かれている。が少なくとも本書はそんなことは全くない。内容が薄く、しかしまあ思索的なことも書かれていて結構面白いので6時間くらいで読めてしまう。まあ面白いので旅行の友なんかにはいいかも。またなんか尻切れトンボのような不消化感がある。結局エドはドイツに話したつもりの相手がロシアだったとわかったのだろうか。どうもはっきりと書かれてない。また新聞書評に書かれているように引退間近のあたかもうだつの上がらない中年スパイが閉鎖寸前の部署に移ってどうたら、というのはあたらない。そういうストーリーではないというかそこは重要ではない。結局はこの作者その時その時の世界情勢や事件を名ばかり借りてまるでわかった風に面白く書いてるだけだ。 後値段が\2530と高すぎる。この程度のプロットや筋書きなら日本のマンガや小説で半額以下で楽しめると思う。最近本がバカみたいに高く出版業界は頭に乗ってると思う。 | ||||
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相変わらずル・カレは面白かった | ||||
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リアルな(かどうかはわかりませんが)諜報コミュニティの世界にどっぷりと浸かれました。これはスパイ小説やスリラー小説でなく、英文学ですね。ただ、「スパイはいまも謀略の地に」という邦題がしっくり来ませんでした。長過ぎるし、内容とも合っていない気がします。原題とも離れているように思います。 | ||||
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オリジナルはいい本かもしれない。 でも、翻訳が酷い。やっつけたのか、レベル低いのか、舐めてるのか分からんが。 いや、やはり加賀山とかいうのは仕事をやっぱ舐めてる。憤りを感じるレベル! おい、出版社と編集者!英語で少しは読んだんか | ||||
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2017年11月に読んだ「スパイたちの遺産」以来になりますね。「スパイはいまも謀略の地に "Agent Running in The Field"」(ジョン・ル・カレ 早川書房)をじっくりと読むことになりました。 彼の比較的新しい作品群の中、「我らが背きし者」では巻頭、テニスが重要な役割を担っていましたが、今回はバドミントン。ル・カレは(88歳の現役作家!)、少人数による対戦競技が好きなのでしょうか?誰も聞いていませんが、私もテニスと登山があれば、読書を取り上げられても構いません(笑) ロシア関連の作戦完遂後、英国SISの部員・ナットは引退間近、いくらかはお払い箱を覚悟していたものの<ヘイブン>支局長として異動になります。新興財閥(オルガルヒ)の資金の流れを探る作戦。彼のストレス発散は、スポーツクラブでのバドミントン。そこで、彼に挑戦してきた若者・エドと親しくなります。方や、擦り切れたロシア人・亡命者セルゲイから連絡が入り、大物スパイが英国で活動するようだと示唆されます。いくつかの作戦と予測できない展開。ジョージア。”チェキスト”。MI5。モスクワセンター。ドイツ情報部。今日では、ル・カレしか書き得ない極上の"Humint"。ダニエル・シルヴァ・スリラーのような特に大きなアクションがあるわけでもなく、多くの人間たちが常に揺れ動き、思索し、思い惑い、心を読み、読み取られまいとするスパイたちの物語。スマイリー三部作を引き合いに出すまでもなく、ル・カレが今までにも創造してきた多くの物語の延長線上にありながら、今までよりも二つの意味合いから少しドメスティックだったとしても、新しいスパイ・スリラーをしっかりと構築しているように思えます。 魅力的な登場人物が次々と登場します。ナットの妻、プルー。<ヘイブン>のメンバー、フローレンス。ウクライナ人・オルソン。そして、かつてナットが運用していたスパイ・アルカジー。 また、ル・カレは、<Covid-19>以前の米英、EUの時代性も併せて活写しています。褪せた自由民主主義、ドナルド・トランプ、ブレグジット、作中のキー・マン、エドの言葉に従えば、根深い人種差別とネオ・ファシズム、英国による米国依存への苛立ちと怒り。そして、誇らしげに看守の笑みを浮かべるプーチン。 そして中盤、「物事の進み方というのはたいていそうだが、すべてが同時に動きはじめ」ながら、そのプロットは、繊細で、とても大胆に展開していきます。私は、カルロヴィ・ヴァリでのナットとアルカジーの会話、終盤でのナットとSIS課長・ブリンとの会話をうっとりと読むことになりました。他の小説にウツツを抜かさなければ、再読したいと思います(笑) 最後に、「天啓」などは有り得ず、主人公ナットは最も現実的で、信頼できる人の力を借りて、ある大胆な作戦を敢行しようとします。「現実世界は落ち着いていなければならない」と思う妻・プルーの力を借りて。 | ||||
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