われらのゲーム
※タグの編集はログイン後行えます
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
われらのゲームの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカの政治学者サミュエル・ハンティントンの『文明の衝突』の中で東西冷戦後は、民族や宗教の対立で紛争が起きるだろうと述べ、そのあとイスラム圏やロシアにおいて紛争が顕在化すると予告していました。 ハンティントンがこの本を刊行したのが1996年ですが、本書『われらのゲーム』を、ジョン・ル・カレが書き上げたのは1994年であることに意味があるように思えます。 東西冷戦後もあいかわらず少数民族イングーシを、ロシアが抑圧している不条理を本書のテーマにしているル・カレの弱きものたちへの同情心が感じられる内容の本です。 が、何かのパーティでル・カレが鉄の女サッチャーに歩み寄った時に、「お涙頂戴の話は聞きたくないからね!」と、釘をさされたエピソードをなにかで読んだことを思いだしてしまいました。 世界情勢を俯瞰したら、いまだになにも変わらず、ますます混沌としているし、プーチン独裁ロシアはウクライナへ侵略を始めて1年半も過ぎました。(シリア、スーダン、パレスチナ、etc・・・) 本書のテーマを深く理解するも、主人公ティムの愛人だったエマや、イギリス情報部のかっての部下ラリーへの想いが過剰に綴られていて、ル・カレの真意を削いでいるような書となっているのが残念でした。 ル・カレは、『われらのゲーム』を、500頁もの書にすべきではなかったと評者は愚考しながら読み終えたのです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上記のとおり。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
80年代末のソ連邦崩壊に伴う東西冷戦の終結は、ルカレにとっても今までの英国諜報部対ソ連情報部の死闘という大きなテー マに一区切りを付ける機会となったに違いない。巻末の訳者の解説には、ルカレは93年夏にロシアを訪問、この著書の主要な登 場人物となる何人かの人間と出会い、そこで大国ロシアに虐げられてきた南ロシアの少数民族の悲劇を知ることになるとあ る。本書の後に続く「ナイロビの蜂」、「サラマンダーは炎のなかに」「誰よりも狙われた男」等々、ルカレがその後大きなテーマと して取り上げていくのは「虐げられし者たち」への同情と、大国や国際的大企業、冷徹な官僚などへの抵抗である。私 にとってこの「われらのゲーム」は20年来の再読となるが、この20年間の国際情勢の変化と、ルカレの取り組んだテーマを考え ると初読時に比べるとより良く理解しながら読むことが出来たと思う。ルカレの作品を読むときには、読者自身もそれなり の緊張感をもって読み続けることが肝要だ。知的すぎる会話、あまりにも詳細に描かれる情景や人物の内省、そして何 度も現在と過去がスイッチバックされる煩雑さ、そういったものを乗り超えながら読むことが必要とされる。本書もそうだ。 決してスパイ小説やスリラーという分野に限定されるものではなく、主役の英国情報部の現場指揮者であるクランマーだけでなく、 多くの登場人物の魂の葛藤を深く描いていく。最近は知らないが、以前ルカレは良くノーベル文化賞の候補に挙がっていた。 それほど純度の高い高品質の作品をルカレは常に書いてきた。そして、本書「われらのゲーム」もそのような高い品格の作品 であることを再認識することができた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もう一度読みたくて、自分の本棚に置きたくて、でも本屋さんには無くて、古本屋にも無くて…アマゾンにあってよかったです。「ナイロビの蜂」に流れてるルカレ的恋愛小説です。そこに諜報技術があふれています。好きな一冊です。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 4件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|