ドイツの小さな町
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本書『ドイツの小さな町』の刊行されたのが1968年でありイギリスの経済状態が悪い時代だった。 イギリスのEC加盟は、アメリカの影響を受けることを懸念してフランス、西ドイツが受け入れる気配がなかった時代である。(EC加盟したのは1973年でした) このような時代背景を知って本書を読むとよくわかります。 ル・カレは、MI5からMI6に転籍したころ本書の舞台であるボン大使館で二年ほど働いた経験を生かして本書を書いていることは間違いないでしょう。 前に書かれた四作とは異なり外務省官吏などの実態を事細かに描写し、その欺瞞などを披瀝しているのはル・カレの実体験が本作に与えたものと想像できます。 大使館官房長ブラット・フィールドと主人公のターナーの会話など執拗なくらい微細に描写されているからです。 が、外務官吏の資質などを、ル・カレが、それなりに「こんなもんだよ!」と暴露しているようです。 ボンの町の風景描写や登場する人物などとの会話は、他作には見られないような緻密さで構成されているのは、ル・カレが前4作とは異なり、「私はこのような小説も書けるんだよ!」と、誇示した作品だと思いながら読み進んでしまいました。 「その男のポケットをあらためろ」 と、アングロ・サクソン人らしい沈着な声で、だれかがいった。 評者の予想通り「敵は内に居る」と、明らかにするところでこの物語を終えていました。 | ||||
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ジョン・ル・カレ5作目の『ドイツの小さな町』(1968年) を、読むことにした。 この小さな町とは、東西に国家が分断されたドイツが暫定的に首都にした西ドイツのボンである。 西ドイツが首都をボンにしたのは、将来ドイツが統一された時に、首都はベルリンでなければならないという計らいからであったようだ。 物語は、ボンの英国大使館の臨時職員リオ・ハーディングが極秘資料を持って消えてしまったこから始まる。 リオという臨時職員は、20年も如才なく仕事に励んできたが大使館員から差別されてきた。 本省からこの男の行方を捜索するため派遣されたアラン・ターナーは、リオを追跡するための捜査を始める。 このアラン・ターナも学歴がなくキャリアー組ではないから少し鬱屈している男である。 アランがリオが極秘資料を持って失踪する捜索の糸口を掴もうと大使館の職員たちに聞き取りをするが、そもそもリオがエキスパートのスパイなら、このような雑な行動で極秘資料を持って消えるよなことはしないと想像する。 大使館職員のヒエラルキーは厳然としていてターナーも大使館上級職員たちに怒りを覚える。 リオが極秘資料を持って失踪したのが長年彼らから見下された仕返しかとも思うのだが、どうも違うようだと思考錯誤しながら上巻を終えている。 ル・カレにしてはなんだか饒舌な語り口で物語がだらだらと進み、スマイリーも登場しないから面白くない作品だと思いながら上巻を読み終えました。 | ||||
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タイトルの「小さな町」とは第二次大戦後ドイツの臨時首都ボンのことだが、読み進んでいくうちに、小さな皮肉が込められていることに気づく。本書に描かれたボンに「町」の開放感はない。むしろ閉鎖的だ。登場人物の一人は「ボンは戦前でも戦時中でもなく、戦後でさえないのだ。ここは(時が止まってしまったー引用者註)ドイツの小さな村にすぎない」と言い放つ。そういう意味では、本書の主要な舞台になるイギリス大使館もまた、治外法権に守られ閉鎖的な「小さな村」だ。 イギリス大使館に勤務していたリオ・ハーティングが失踪した。大使館の機密書類と備品もなくなっていた。ハーティングがドイツ人だったことからスパイ容疑がかけられ、イギリス本国からアラン・ターナーが調査にやってきた。 本書単行本の「訳者あとがき」や文庫版の解説では、このターナーが本書の主人公と明記されているのだが、彼はとんでもない曲者(はっきりいって性格異常)で、読者の共感を呼ぶタイプではない。ターナーは、大使館の官房長ブラッドフィールドへのインタビュー中、ハーティングはあなたの愛人だったと暴言を吐き、ブラッドフィールドの妻がハーティング失踪に関わっているのではと疑うと、彼女を平手打ちして証言をうながした。ターナーの言動は、公務員としてもイギリス紳士としても、全く常軌を逸している。 本書ではあらゆるものが灰色だ。灰色の昼、灰色のホテル。自然界や建物の灰色は霧のせいだが、それ以外にも灰色の手、灰色のまぶた、灰色の顔、灰色の心、灰色の柩、そして反英デモ行進者たちを乗せた灰色のバスと彼らの灰色のユニフォーム。ドイツ文学の父ゲーテによれば、灰色の衣服は亡霊の衣服だ(『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』岩波文庫(上)180ページ)。反英デモの指導者カーフェルトは、ヒトラーの亡霊だったのだろうか。 | ||||
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以前に図書館で借りて読んだのですが、手元に持っておきたいと思って購入しました。じっくり読んでます。 | ||||
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・日本では絶版になって久しく、一般受けはしないのだろうとは思うが、ル・カレファンには十分に楽しめる作品なので、同好の士はぜひ読むべし。 ・発刊順でそれまでの4作品は、彼の出世作となった「寒い国から…」を含め、注意して読み進めれば一読で満足が得られ、読了直後に敢えてどうしても再読したいとは思わない作品だった。(特に、寒い国から…は、そういう意味ではよく出来た作品で、逆に、再読などして興をそがれることなく、しばらく余韻に浸っていたい感じだ)。 一方で、これ以降、スマイリー三部作(特に「ティンカー、テイラー」)や、「パーフェクト・スパイ」など、1970年ごろ〜80年代半ばごろまでの作品は、いかに注意して読み進め、筋自体は追えていても、また最初から読み返してみたくなる。2度目に読むと、案の定、見落としていた伏線や、登場人物の意外な一面にぶち当たり、ル・カレ自身の複雑でシニカルで、だけどヒューマンでユーモアがある性格を思い浮かべ、思わずニンマリしてしまう。 「この作品が作風の分岐点になっている気がする」というレビューがほかにも見られるが、ああ、そういう意味で言っているんだな、というのがよく分かった。 細かいことを言うと、この作品までは、章ごとに見出しが立てられている。こうした「突き放した」文体や構成が、読者に受け入れられるかどうかに対する不安もあったのだろう。そういう意味では、ドヤ顔で「オレの文体について来い!」といった感じの、後の作品に比べ、謙虚な姿勢が見られるといえよう。(後の作品を批判している訳ではなく、個人的には、そういった突き放し方をされると、逆に夢中になってついて行ってしまうのだが…)。 ・ストーリーに関して言えば、楽聖を生んだ大司教御膝元の町とはいえ、田舎町が突然、首都になってしまった西ドイツ時代のボンで繰り広げられるシビヤな英独間の駆け引きが、相変わらずリアルに描かれており、しびれル。しかし、アラン・ターナーという他所者を通じて「真実」が明らかになっただけに、不思議と読後感に後味の悪さは、私にはなかった。 ・しかし、気になるのは、ラストの「その男のポケットをあらためろ」というアングロ・サクソン人の声。アングロ・サクソン人は官房長で多分間違いないのだろうが、「その男」って誰?リオならばこの際、結末に影響を与える訳ではないから問題ないけれど、アランだったとして、官房長が彼に何か罠を仕掛けていたとしたら、読後感が変わってきますね。ま、私はル・カレはそこまで英国人に悲観的だとは思っていないので、ここでの「その男」は、リオだと思っておきます。 ・ドイツ方面は門外漢で、西ドイツは戦後、東西ドイツ統合まで、一貫して「ヨーロッパのよい子」を演じてきたというようなボンヤリしたイメージがあったのだが、1960年代後半に、こうした反英(反西側連合国)ナショナリズムの興隆があったのだろうか。ル・カレはその辺、リアルな舞台設定をするし、ボンには1960年ごろ、本人が駐在しているので、おそらく、そのような「雰囲気」はあったのだろうとは思うが、どの程度、具体的な盛り上がりをしたのか、それとも具体化はしなかったのか、そのうち調べてみたいと思った。 ル・カレは、そのような読み方ができるのも、私にはうれしい。 | ||||
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