シルバービュー荘にて
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全1件 1~1 1/1ページ
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言わずと知れたスパイ小説の巨匠の90歳での遺作。冷戦下から冷戦後もイギリス情報部のために働いたスパイと情報機関の重苦しい関係を描いた、従来とは異なるパターンの傑作である。 | ||||
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ル・カレは、遺作である本書『シルバービュー荘にて』のなかでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のなかで本当に起きた事件を背景にしています。 それは「スレブレニツァの虐殺」というセルビア人勢力がボシュニャク人を虐殺した事件です。 イギリス諜報員のフロリアン(エドワード・エイボン)は、そのボシュニャク人の村でヨルダン人の医師夫婦と十三歳の息子と親しくなっていました。 諜報活動で村から離れていた時にこの虐殺があり、村に帰った時には医師と息子は殺され、奥さん(サルマ)だけ生きていました。 フロリアンが医師と息子の埋葬を手伝ったのち奥さんをジープで連れ去ったことになっています。 優秀だったフロリアンが部(サービス)の助けを受けて帰国してからがこの物語が始まります。 思想信条が大きく方向を変えたエドワードと部(サービス)に忠誠を尽くす優秀な諜報員の妻(デボラ・エイボン)との確執から、ル・カレは、イギリスの諜報活動の瑕疵を描こうとしてこの『シルバービュー荘にて』を書いたと思います。 『スパイはいまも謀略の地に』が遺作として3年前に読んだのですが、『シルバービュー荘にて』という本当の遺作を興味深く読むことになりました。 | ||||
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内容がいい | ||||
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深い感慨を覚えた。 これはル•カレの最後に相応しい、「意図された」遺作であり、素晴らしい作品だった。 まず、舞台は本屋である。 それもサンクチュアリのような書店。 「紙で作られた本」に対する愛情やリスペクトが溢れんばかりに感じられた。 少し読むだけで、愚昧な米国リーダーに対する血潮のような怒りがほとばしっていた一つ前の作品(邦題「スパイは今も謀略の地に」、私はこれが遺作だと思い込んでいた)よりも、ずっと落ち着いた心持ちで書かれていることがわかる。 おそらく、本作が長い作家生活における「フィナーレ」であることを明確に意識して書いていたのではないだろうか。そんな風に思える。そしてそれは、巻末のルカレの息子による後書きからも伺える。 決して華々しくはない。 銃弾が飛び交うような荒々しさは全くない。 しかし、流れるような静寂の美と、時間や物理的な長い距離にまたがる切ない愛の哀愁が感じられる、奥ゆかしい作品だった。 どこか、古き良き日本の作家の作品のようでもあるのか、懐かしい感じがした。 この作品は240ページにおよぶエンドロールだったのか。ル読者を、世界中のファンを終幕へと誘う物語だったのか。 終盤のデボラ•エイヴォンの葬儀の描写は、自身のそれを想い、重ねられたものではないか。 死が迫る闘病の中で、過去に対して、現在と未来ついて何を思い描いたのか 冷戦、謀略、権力と闘争、血や死、別れ。 何が過ぎ去り、何が繰り返されようとしているのか。テキストは全てを語らない。 しかし、ル•カレは確実に、その中に何かを残し続けた。 ル•カレに、彼が鮮やかに物語った数多くの英雄たちに。 心から感謝と、長いお別れを。 | ||||
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エドワードがル・カレの投影であるなら、アニアは誰のそれなのか。 この作品が遺作になった理由はそこにあるように思う。 | ||||
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イギリス情報部のスチュアート・プロクターによる調査活動と、ロンドン金融街の仕事を辞めて田舎で書店経営を始めたジュリアン・ローンズリーの日常とが、交互に語られていく。やがて、2人の物語は、2重スパイを媒介にして結びつく。 “人はなぜ2重スパイになるのか”が本書のテーマだ。これは、デビュー作『死者にかかってきた電話』以来ずっと、作者が追及してきたテーマでもある。本書の2重スパイの場合、動機は思想信条にはなく、人間味にあふれている。ただしそうはいっても安易に共鳴できるものではない。この2重スパイの心の中は、2重スパイなら誰しもそうだろうが、極めて複雑だ。スチュアートはこの2重スパイに「あなたはいったい何者なのだ、あまりにも多くの人物でありながら、まだほかの人物であろうとしているあなたは?幾重もの偽装をはぎ取ったあとに残るのは誰だ?それとも、あなたはたんに偽装の合計にすぎないのか?」(本書247ページ)と問いかけた。2重スパイに「あなたは誰?」と問いかけても無意味だよと、読者は突っ込みをいれてはいけない。スチュアートは、この2重スパイを人として救おうとしているのだから。 夫婦間の騙し合いと隠し合い、ボスニア戦争、空軍基地にいまも眠る核施設、この救いようのない世界の中で、登場人物たちは、真っ当に生きている人たちを何とか救い出そうとしている。ジョン・ル・カレが描く作品のベースにはヒューマニズムがある。彼自身が人間味にあふれた人だったことは、息子による「あとがき」に書いてある。 | ||||
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