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蜜蜂と遠雷
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蜜蜂と遠雷の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全119件 81~100 5/6ページ
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なんとなく、田舎の高校生ががんばって努力して吹奏楽コンクールに出て優勝するみたいな青春小説を期待していたのですが、全然違う話でした。(表紙のせい?) 才能あふれるスーパーマンがたくさん出てきます。努力を描かずにここまで読ませる作品を書けるのはさすがだと思いますが、凡人の私には登場人物のだれにも共感できず、最初に出てくるヒステリックな審査員にもずっとイライラさせられるし…。 「本屋大賞」がどんどん自分の好きな本とずれていくのでちょっと寂しいです。 | ||||
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最近NHKで「ピアノの森」の放映が始まり、それが契機で原作を一気に読んでしまいました。読後感に浸っている間に巡り合ったのが本書でした。仕事柄(大学で理論物理学を研究しています)、雲の上を走り抜ける天才の生き様には大変関心があるところです。ピアノの森の二人の天才(一の瀬、阿字野)と本書の三人の天才(風間、栄伝、マサル)を比較してしまいました。前者には、二人の壮絶な個の背景があり、互いに相関しながら、開花していく様が感動的に描写されています。後者は、タイトルからして、風間の天才性の物語りを期待していましたが、最後まで彼は何者かも語られず、読後感がスッキリせず、中途半端は感は否めません。伏線を大いに張ったはいいが、それらを全て回収しきれていない安っぽい推理小説を読まされた残念感に苛まれてしまいました。努力により秀才にはなれても、天才と言われた人間には、その飛躍した発想力に超えがたい一線があるのかのしれません。しかし、天才と言われる人間には、人一倍努力する才も備わっているのも事実です。神童も二十歳過ぎればただの人は、何人か見てきたように思いますが、彼らは天才ではありません。本書には、三人の天才を登場させてしまったため、如何なる葛藤を乗り越えて現在に至ったかの人間の物語りが希薄なため(栄伝にはある程度物語り性はありましたが)、ピアノの森と比較して落胆が少なからずありました。もっと掘り下げた人間の深部の描写が欲しかった! | ||||
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冒頭部分で、今後どんな展開になるんだろうと引き込まれ読み進めましたが、すぐに退屈になってしまいました。 著者は感動的な音楽を文字にして伝えようとしていますが、まどろっこしいだけで私には全く共感できませんでした。 小説というより、音楽の批評本みたいで、ストーリーを楽しみたい方にはお勧めできません。 | ||||
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決してマンガを私はバカにしておりません。ダメな少女マンガだと思いました。なぜこれがこんなにも売れるのでしょうか? でも、最後まで読ませたので、星二つです。 | ||||
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本書は「直木賞」「本屋大賞」という、プロアマ双方から評価を得た作品。 片方だけなら「ふーん」くらいでスルー出来るが、ダブル受賞となるとどうしても気になる。 本好きの端くれとしてW受賞を未読ではあんまりだと、妙な強迫観念も。 「読みたい」より、「読まなければ」に近い感覚。 でもなあ、 ピアノのコンテスト? ティーンエイジャーの群像劇? いやはや、圧倒的興味ゼロの類。 それでも「直木賞」「本屋大賞」という権威は無視できず、平積みから手に取り読んでみる。 ――まるで、雨のしずくがおのれの重みに耐えかねて一粒一つぶ垂れているような ――なんて無垢な、それでいて神々しい ――素朴なのに官能的で、一種煽情的ですらある ――ピアノから、いや、ステージ上の大きな直方体の空間全体から、音の壁が飛び出してくるようだ ――観客は、その音圧に、飛び出してくる音楽に吹き飛ばされまいと、席で踏ん張って必死に耐えている ううっ、ナニコレ・・・ スーザン・ボイルがイギリスのオーディション番組で、会場をひっくり返したことがあったっけ。 もしNHKのど自慢に全盛期のホイットニー・ヒューストンが変装して出場し、オールウェイズ・ラヴ・ユーを 歌い上げたら、スーザン・ボイル以上に会場はひっくり返るだろうなあ。 それでもだ。 それでも、いくらなんでも、その声量に吹き飛ばされまいと席で必死に踏ん張る客は居ないかと。 そもそも、質も声量も音域も全員違う人の声ではなく、同じ音色のピアノでそこまで圧倒的な差が出るのか。 コンテスタントたちは皆、物心つかない時から気の遠くなる時間をピアノに捧げている猛者ばかり。 いわゆる技術的にヘタクソな輩など居ない中で、そこまでハッキリとした差が出るものなのか。 なんとも解せない。 買うか買わぬか、しばし逡巡。 ウーン、こりゃ参ったぞ。 解せないし、一ミリも琴線に触れない・・・ しかし本書は、直木賞であり本屋大賞。 言ってみりゃアカデミー賞と、ノーベル賞と、レコード大賞と、上方漫才大賞と・・・まあ、いいや。 とにかく書籍の世界では、2016~2017年の代表格であることに間違いない。 最後は、その冠の権威に負けて購入した。 何度も挫折しかけたが、ようやく読了。 ―――以下、ネタバレ有り いやー、辛かった・・・ とにかく演奏描写と心象風景が金太郎あめのように、どのページでもくどくど展開される。 さらにストーリーと言えるものはほとんど無く、ラストも思った通り順位は関係ないって終わり方。 それからこの作品、「毒」がどこにも無い。 なにも初期の馳星周のように、毒と悪人ばかり書けと言っているのではない。 でもこれだけ毒がないのは、人間描写として不自然。 強いて言えば、ジェニファ・チャンが少し人間臭さを出してゴネるくらいか。 とにかく、大人ならばそれなりに手垢がついている筈の明石含め、皆天使のようなメンタル。 淡い色調の抽象画のようで、どこか現実味がないキャラクター達なのだ。 ただ本書を通じ逆説的ではあるが、二つの大きな指針を獲得することが出来た。 その一 どんなに権威ある冠を有していても、どんなに人から勧められても、自分に合うとは限らない。 多くの人のように楽しみたい、感動したいと思っても、それが自分の琴線なのだから仕方がない。 言わずもがなだが、時間は有限。 人生の折り返しをとうに過ぎた身としては尚更、琴線に触れない読書に時間を使うのはもったいない。 その二 これは以前から感じていたことだが、本書で更に確信が増した。 三分の一読んでつまらない本は、最後まで読んでもつまらない。 本を買うという事は当然期待して買うので、ついつい「この後面白くなるかも」と我慢の読書をしがち。 確かに前半、中盤、後半と、どの本でも面白さの波はある。 しかし三分の一読んでも全く面白くない本が、その後読み進めて大逆転することは無い。 よって、つまらない本を無理して読みづづけるのは時間の無駄。 ほぼ忍耐の読書だったが、この二つの指針を獲得できたのだから良しとするか。 | ||||
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著者の自己満足ワールドに共感できれば楽しい。 それが読書かもしれない。 あらためてそう思ってしまいました。 何かが幼い。 「ストライド」って言わなきゃだめかな? 「フィボナッチ関数」って登場する必要あったのかな? 審査員の人たちも中学生みたいだ。 | ||||
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クラシックファンには楽しいが、そうでない読者には退屈という感想が述べられることが多いようである。しかし、よくできた小説であれば、クラシックファンであるかどうかは関係がない。村上春樹の『騎士団長殺し』はこの内容からクラシック音楽を抜いても十分に小説として面白くなるはずだ。もちろん、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」が重要なモチーフを背負ってはいるのだが、音楽がなくとも「騎士団長殺し」という絵が存在すれば、なんとかなる話なのである。もちろん、『蜜蜂と遠雷』は音楽コンクールの話なので、音楽が登場するのは、しかも頻繁に登場するのは止むをえない。問題は人間の描き方だ。ひとこと「幼稚」。小学校の学芸会じゃあるまいし、幼馴染が手と手を取り合って、花園でじゃれあおうような気恥しいシーンが続出する。天才少年もいかにも自然児を装っているが、ほかの誰よりも努力したとモーツァルトが告白しているように、天才は努力の虫なのだ。天才を天才のように描くしか、この作者には技量がない。いや、思想がない。先ほど「幼稚」と書いたが、この小説は翻訳して外国に持っていっても、笑われるだけである。児童文学? ま、その程度のレヴェルである。 | ||||
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ピアノの森の下位互換という印象。これを読むならピアノの森を読むことを全力で薦めます。深い感情移入と感動、カタルシスを味わえること間違いなし。 | ||||
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主要三人の天才の内、マサルと亜夜は納得はできないまでも説明がありましたが、超能力レベルの天才、風間塵については最後までなんの説明もなく あの超能力はどうやって実現できたのかもやもやしたまま終わりました。 | ||||
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読みやすい が 中身が無い。 というか これが昨今のベストセラー小説なら、 日本はやばくない? でも、この本は形容詞の辞書代わりにはなるかもしれない。 | ||||
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ピアノが奏でる音に対する表現が素晴らしいと褒め称える声をよく聞き、何かずっと腑に落ちないものを感じていました。 それでこの作品と同じ回にノミネートされた『また、桜の国で』を読んで感動し、いろいろ検索していたところ、 『蜜蜂と遠雷』の直木賞選評に、 「また、数十曲もの楽曲とその演奏を言語化する困難にも、作者は力業で挑んでいるが、どんなに大量の比喩が重ねられても、そこから音楽は立ち上がってこなかった。これは端的に、言葉の連なりが音楽の響きをもってくるような文章には仕上がっていないということだろう。」 というのを発見し、得心しました。 『ピアノの森』や『羊と鋼の森』と同じレベルのものを求めてしまうと、劣ってみえるのかもしれません。 | ||||
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キャプテン翼みたいだと思いました。でも、だから人気なんでしょうね。結局最後まで一気に読みました。 | ||||
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図書係の人から「私は途中で放り出したので代わりに読んで、結末を教えてください」と懇願され、私も途中で放り出しそうになったが、義務感だけで読んだ。苦痛以外のなにものでもない、これが直木賞かと驚きの作品。内容よりも売らんがための賞とは言え、あまりにもヒドイ。 ストーリーらしきものがない、大勢の登場人物の心象風景がダラダラといつまでも続く。難しい日本語ではないので何か漫画を読んでるような薄っぺらな感じが最後までする。それがなんと500ページもあり、読み終わった後の徒労感たるや、時間を返せと叫びたい。無理して全部読む必要はない、駄目だと思ったらすぐに叩き売ろう! | ||||
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何故か本の世界にひきこまれない 退屈な作品 私にはあってない 半分まで読んで古本屋に売りました | ||||
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他の皆さんの評価は高いですが、半分も読まずに読むの辞めました。著者の他の作品は非常に面白かったのに、残念です。 | ||||
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クラシック音楽にとりつかれてほぼ半世紀。音楽を聴きながらこんな妄想をする人がいるのだろうか。 この作家は「ピアノの森」や「ガラスの仮面」を越える人ではない。 直木賞はともかく,本屋大賞はよい本なのに売れない本を,良心的な書店員が売れるようにするための賞でしょう。 | ||||
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時間の無駄でした。最初の数ページでつまらなさを確信しましたが、せっかく買ったので意地になって最後まで頑張って読んでしまいました。途中であまりのつまらなさに何度も中断したため、読み終わるのに結局2週間くらいかかっていたと思います。 とにかく登場人物に魅力がないし、多くの方がレビューされている通り、文章が稚拙なため読むのが非常に苦痛でした。なぜこのレベルの作品がW受賞出来たのか甚だ疑問です。この作者は今後避けようと思いました。 | ||||
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私はピアノを弾きます。ピアノコンクールの番組をたいてい見ています。 著者は音楽のことがわかっていないのでは? 音楽を言葉に直して何の意味があるのでしょうか。 女性作家特有の甘ったるい言葉の羅列で、少し読んで止めました。 、 | ||||
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これはひどい。 劣化とはいえコピーというレベルにすら達してない。もしこの小説をコミカライズしたとしても、「ピアノの森」にも「のだめ」にも遠く及ばない。次元が違いぎる。退屈。使い古された設定、数多の突っ込みどころ。それをものともしない魅力と説得力があればと思い、苦痛に耐えながら読み進めたが、何もなかった。 率直すぎるが、この著者、文章下手じゃないか?物語がどうこう以前に文章をどうにかしたらと思う。そもそもプロの文章を読んでる醍醐味が全くない。ちょっとだけ上手な中学生の文章みたいだ。数売るためにわざと平易にしたのか?にしても魅力に乏しい。 どなたかのレビュー。 “「文章化するのが難しい音楽を見事に文章化している」との書評があった” このくだりを目にして仰天。こんな表現力貧困な文章で!?私には全然何も聴こえないが。大人の事情?なんの商魂だ。 著者には奥泉光氏の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたい。 奥泉氏の「シューマンの指」はやや個人的に好みに合わず低評価レビューをしてしたが、今、少し後悔している。あれが☆3ならこれはいったいマイナス☆いくつにしたら良いんだろう。あれこそまさに「文字から音楽が聴こえてくる」素晴らしい文章。辛すぎた。申し訳なかったかも。 ただやはり、「シューマンの指」については、あくまで“プロの仕事”へのレビューで、素人臭漂う本作なんかと同じ土俵では比べえない、れっきとした「作品」なのだ。星は星でも、普通の石と宝石くらい違う星であるつもりだ。 正直すぎるレビューを書いてしまったので、幻冬舎や選考委員会から差し向けられた刺客に命を狙われるかもしれない(冗談)。 | ||||
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おそらく恩田さんは、幻冬舎の編集部の恩田さんの担当者からこう言われたと推察します。 「恩田先生、おめでとうございます。 次回作、先生がわが社から出版する作品が直木賞に内定しました。 ハード・カバーで装丁にも力を入れますので、長めの作品を書いて下さい。 編集部ではフレームワークとしてピアノのコンペティションを主題にする話なんかは如何なものか、と考えております。これですと、話も長く調節できますし・・・・・。 先生が執筆するにあたっての音楽関係の資料は、いつものように、こちらで集めますので、どうぞよろしくお願いします」 たぶん上記の 「推論的会話」 は、ほとんど中っているでしょう。 直木賞の審査員たちも完全なバカではないでしょうから、恩田さんのこの作品 『蜂蜜とハチミツ』 (冗談です) が、たとえ、中学生の作文コンクール(誇張的表現)でも 「特選」 にするには無理があり 「そこに、真実の人間が生きている事、あるいは、生きていると錯覚させること」 という、どの様なジャンルの小説にも必須の要件が満たされていないことは分かっているはずです。 「審査員の全員がすでに誰が直木賞を採るかを知っているなんて、そんな不自然な?!」 との疑問を持つ方もおられるでしょう。 少しでも少人数での、このような会を経験したことがある方なら、ある程度審査の空気感が解るはずです。 審査会トップ数人の意思があれば会全体の方向は決められるものなのです。 審査員にも生活があり、糊口をしのぐという必要もあるでしょう。ただ、審査員の心に良心の小さな欠片でも残っているのなら、全員、審査員を辞任してください。 さもなければ、日本の文学賞は 「小さな名も無いような文学賞」 を除いて、忖度ヒモつきばかり、ということになります。 石原慎太郎は、ひとつだけ小説を書き、偉そうなことばかり言っている 「名ばかり作家」 と評価しておりましたが、彼があきれて芥川賞の審査員を辞めた理由の一端が良く分かりました。 こんなゴミのような小説に直木賞をあげたとしても、日本の文学が死ぬことはないでしょう。 そこに人間が居る以上、文学は細々とではあるが残ります。ただ、(政治力のある)出版社が ―――持ち回り的に――― 大きな利益をあげる、という姑息なシステムは捨てるべきです。自分で自分の首を絞めるのは・・・・・いい加減に止めるべきです。 如何でしょうか? | ||||
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