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スクラップ・アンド・ビルド
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スクラップ・アンド・ビルドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.56pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全190件 141~160 8/10ページ
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私の前のレビューがかなり的確だと思う。その方以上の文章でレビューできる自信がない。少ない登場人物、変わりばえのしない場面、心理面にしても劇的な変化が起こるわけでもないこのテーマで、よくぞ読ませていると思う。 筋肉の超回復について毎時考えているのに治験のバイトをしたり、老人や国のあり方について精一杯考えを巡らしたあげくの行動が何も考えていない人と同じだったり、くすっと笑える面白みがある。 ただ、本当に些末なことだが一つだけ気になったので書く。 1歳半の男の子の平均体重は10kgくらいで、生後4ヶ月くらいの平均体重が5-6kg。 よって、1歳半にもなれば体重が5-6kgはある、という描写は子育て経験者からするとかなりの違和感を感じる。 全体からみれば取るに足らないことで、あげあし取りのようで申し訳ないが気になったので書いた。 | ||||
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又吉のより好み。 電車の中で何回も声出して笑いそうになりました。 | ||||
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よくこんな話でこれだけの分量書けるもんだというのが率直な感想。 映像化はほぼ無理だろう。 それほど地味でじめじめした話に終始している。 主人公28歳の青臭い世間評が痛々しくもあり清々しくもある。 誰もが当たり前に感じている大枠への批判を、さも自分だけが感じているとでも言いたげな青臭さと、その大勢のなかでうまくやっていこうとするのではなく、その大勢に取り込まれまいとする稚拙さが非常に緩くて最初はイライラするのだが、ページが進むにつれてそんな彼の青臭さに好感を持てるようになってくる。 レイヤーで言えばほんのちょっと一段上がったところにいるだけの存在で、その上には幾つものレイヤーがあることにすら気が付いていない主人公の稚拙さと青臭さがワタシには心地よかった。 意図的に世間に対するこの微妙な理解度を描いているとしたら大したものだと思う。 「もうじいちゃんはだめだ。死んだらよか」 がしばらく癖になりそう。 | ||||
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主人公もおじいさんも、何もすることがないという生き地獄を生きている。 ただ生きているだけ、何の役にも立っていない、 社会の一員として組み込まれることもない。 死にたいが死ねない、死ぬまでの途方もない時間どうやって暇を潰せばいいのか。 どこを調べても健康体なのに、本人は大きな病気が隠れてると思い込んでいる、 そうしないと生きていけない。 何もないから。 おじいさんの心情がいま何もないただ息をしているだけの 自分と重なり考えさせられる内容だった。 何でもない場所の言葉の使い方も面白く 流し読みではなく、ゆっくり読みたい本だと思った。 | ||||
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ふだんは、あまり小説は読まないのですが、同時に芥川賞を受賞した又吉にくらべて本書の著者羽田圭介のほうに余りにも世間が注目してないので どんなものかと思って読んでみました。 読み始めるとどうやら、本作品の主役の一人は87歳の祖父であることが分かりました。 私自身ももうじき81歳になる老人なので興味深く読ませていただきました。 本当の主役は孫息子の健斗君27歳。 時折登場する母は一人働きに出ている。父は健斗が小学校2年生の時にぽっくり逝ってしまった母子家庭です。 祖父には5人兄妹の子供たちがいたが、いろいろ事情があって子供たちの間をたらいまわしされ、今は健斗の母に面倒を見て貰っている。 一家の収入は母の給料22万円と祖父の国民年金。この辺は自分の身と引き比べてリアルティを感じます。 母が働きに行っている間、健斗は宅建次に行政書士試験を受けるべく勉強に精を出している。その傍ら祖父の面倒を見たりデイサービスに送りだしたり、こまごまと面倒を見ている。その合間に恋人亜美とデイトする。デイトの時はしっかり3回くらいはセックスする。 3人の生活を見てみると、母は祖父を結構邪険に扱っている。 たんなる意地悪ではなくて、なんでも一人でやらせることにより、祖父の衰えを遅らせようと努めているようだ。 しかし、健斗の考えは老人は自ら鍛えて無理に長生きするよりは、十分面倒を見てやって段々老化を促進させる、そうすることによって穏やかな尊厳死を 迎えるべきだと思って、できるだけ老人の我儘をきいてやることにしている。 祖父はそんな健斗が可愛くて、なんでも健斗に相談する。自分自身は長生きする意欲満々で、家人の留守には家の中を歩き回ったり冷蔵庫の中を物色したりしている。しかし、家人がいると弱気になってなるべく面倒を見てもらいたがる。それにたいして母は邪険な態度をとるが、健斗はできるだけ面倒をみてやろうとする。そんな祖父と孫の間の心の交流が何気ない筆致で書かれている。そのやりとりをユーモラスととるかどうかは読者の心の問題だ。 生きる意欲満々でも一人で風呂に入るのが怖い祖父。そんな祖父を無理に一人で入浴させて、本当におぼれかけた祖父。 私自身も老人となって、足腰が思うにまかせず、これで浴槽の中ですべってもぐってしまった場合、一人で体勢を立て直せるだろうかと考えることもあるので 筆者は結構老人の生理や心理を研究しているのではないかと思う。 介護士の女性の腕を撫ぜてどうやら性欲を発散させているらしい祖父。 オナニーを3回続けてやって体を鍛えているつもりの健斗。 私自身の若い時の経験や今は老いての心身状態と引き比べて見て 両方とも良く書けていると思います。 老人とは生きる意欲には満ち溢れているし、頭脳的にもまだまだ大丈夫だと自分では思っていても、なかなか思うようにはいかない。 最後に健斗は就職して家を離れるところで終わっている。 これから祖父の面倒は誰がみるのだろうか、健斗が返ってくる日まで祖父は生き長らえることができるだろうか そんな風に考えさせる終わり方でした。 | ||||
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『火花』よりもこちらを期待して読みました。しかし正直「これが芥川賞?」。 まず「介護」を押し出すのをやめて頂きたい。自分でトイレに行く事が出来て、たまにかわいい我がまま言う程度のおじいちゃんとの同居を介護ってのはない。もっと大変なものだから。(これがテーマではないのはわかっていますが) 謎の残る不明な箇所がいくつかあるのも、もやもやします。 そして最後、何も解決しないまま消化不良で終わってしまい、おいおい、と思いました。 『芥川賞の謎を解く』という本を読んだ後でしたので、歴代の受賞者に比べてなんて軽い内容なんだろうと思わずにいられません。 総じて何ものも得る事のない作品で、最初に読んで「うーん?」と思った『火花』の方がまだ文学的に読む価値がありました。 | ||||
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文藝春秋版で購入。 火花目的で買って、こちらの作品はおまけ程度に考えていましたが、実際はその逆でした。 いつもの日常生活の中で偶然垣間見える、ホラーのようなサスペンスのようなシーンが新しく、何とも言えない不思議な気持ちになりました。 ラストも希望と終焉が混在したような形で、すごく好きなテイストです。 0歳の赤ん坊から89歳の老人まで、全ての人間は無意識に創造と破壊を繰り返しているのでしょう。 | ||||
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「もう死にたか」という祖父が、本当は生にしがみついていた。 そんなの、誰にだってすぐにわかることだ。 介護する失業中の健斗は、だから三流大出の馬鹿な若者として設定されている。 作者の羽田が、この両者を俯瞰する立場から物語を書いている前提で読んだ。 羽田得意の底知れない悪意も感じられない。 なぜこんな小説を書くのか、うまく自分なりの解釈ができなかった。 ブラックユーモアかな、とも思った。 だが、どうにも笑えない。 すみません、お手上げです。 | ||||
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今の日本で問題になっている老人介護の問題・・・ おかしみを漂わせながらこういう角度で切り込んでくるとは! これは著者が若いからこそだとできるものだと思います。 一見、ユーモラスにも読めるけど、介護経験のある者から見れば決してそうじゃない。 介護の壮絶さ、終わりも正解も見えない息苦しさもきちんと描いている作品です。 その苦しさ・厳しさをあまり深刻に見せず、ユーモラスに調理してるとこがこの作品のうまさなのだと思います。 実は昨年から私の実家でも祖母を引き取ることになり、介護生活がはじまりました。 なので、日常のささいな描写など「わかる~!」の連発! 特に祖父が主人公の留守中にピザを食べ、 見つかりそうになるとすごい勢いで逃げていった場面がありましたが、 あの薄気味悪さ・・・ウチでもよくあるんです。 体力は衰え、固いものが食べられなくなっても食への欲求は衰えたわけではなく、 人が見てる時はゆっくりのっそり歩くんだけど、一人でいるときはどうやらすんごいスピードで歩いてるっぽい。 まさにウチも祖母とおんなじなので「ウチだけじゃない!」と安心しました。 そして決して冷たくしてるわけじゃない母親と祖父の距離感もとてもリアルでした。 不思議なことにボケても覚えていることは覚えているし、ずる賢さや人間関係を円滑にする判別能力は残っているらしい。 はたしてこの祖父はどこまでそのへんを理解し、主人公に接していたのか・・・・。 そこがこの作品の最大の謎であり、読者自身が勝手に想像するにあたって最も重要な部分ですね。 実際に介護問題にぶち当たっている私達でも、暗い気持ちにならず共感しながら読めました。 | ||||
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実際に自宅で祖父と祖母を介護していたので、この作品は共感を持って読めたし、作者は介護経験者であるのかなかなかよくわかって書いているなと 感じた。 サクサクと読み進めて結局どうなるのかとこれからという場で本は終わってしまった・・・・ あっけない感じで終了 え?終わり???? 強制終了させた感じ 芥川賞受賞作ということで読んだけれど、これが芥川賞なら、芥川賞ってこんなんだっけ?? この程度の本なら、週刊誌の連載のエロ小説のほうが読み応えあるかもしれない。 火花も読もうと思うが、芥川賞ってこの程度なんだなって思った。 | ||||
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現在、介護してる自分には、沢山、勉強になりました。 何度も読みました。 | ||||
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第153回芥川賞受賞作品です。雑誌「文學界」2015年3月号に掲載された作品で、 羽田さん自身、芥川賞4度目の挑戦で、又吉直樹「火花」と同時受賞しました。 又吉さんの作品が、大ベストセラーになっているのと比べ、少し割を食っている感は否めません。 主な登場人物は、3年前に会社を辞め、現在は司法書士の資格を得るため、独力で日夜勉学に励む健斗(28歳) 生計を支えるため働きに出ている健斗の母親、介護が必要で「死にたい」が口癖の健斗の祖父、 そして、健斗のセフレ?の亜美 の4名です。 以下、少しネタバレがりますから、未読の人は注意してください!!! 一種の介護小説で、内容的にはかなり暗い作品だと思いますが、読後、どこかしらある種のユーモアが漂います。 認知症は出ていませんが、老い先短い祖父、仕事に挫折はしましたが、まだ前途がある28歳の健斗、 介護を通して、この2人の世代ギャップを描いた作品と考えてよさそうです。 しかし、作品を読み進めると、「死にたい」を口癖にしている祖父は、実は生への執着心が強く、 そして、健斗は祖父の介護を担当しているわけですが、祖父の身体の衰えを反面教師にして、 自身は体を鍛えることに励み、1日3回示威行為をする姿は、どこか奇妙なユーモアが漂います。 私達ががこれから直面する、介護する人間、介護される人間、題材だけを考えると暗い話になりがちですが、 どこかユーモアが漂うのは、登場人物のキャラクターのため、それとも作者の力量??! 考えてみると」スクラップ・アンド・ビルド」、このタイトルもかなり皮肉が効いているように思います。 羽田さんの次回作に期待します!! | ||||
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火花が酷かったのであまり期待もせず読みましたら これは本当の意味で芥川賞に見合う力作でした。 世間によくある介護の話ではなく、若者と老人の 双方から見た、生への本質をしっかりと突き詰めた 作者の、世間に媚びない勇気に思わず拍手です。 | ||||
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又吉さんの受賞の影になり、すっかり注目を失うハメになってしまった本作。芥川賞の受賞式をテレビで見て、久々に羽田さんを思い出した。あーそう言えば、『黒冷水』って作品で河出の文藝賞を取った人だった、という感じだ。『黒冷水』はかなり昔の事なので内容はほとんど覚えていない。 さて本作も芥川賞受賞となったわけだが、僕は該当の文芸春秋を読んでいないので選考委員の方々がどのような評価を下したのかは知らないが、率直な感想を言うと、凡庸としかいいようがない。 だが、美点はある。台詞に表れているおじいちゃんが何だが可愛らしい。---相手によって態度を変えるという多面性はありますが---主人公の健斗の親切を受けたり娘にいびられたりする描写はおじいちゃんが、なんだか切なく感じた。おじいちゃんと健斗が体を鍛える対比も悪くない。 だが、老いと若さの対比がテーマを鮮やかに浮かび上がらせる効果として今一つ巧くいっていない。そして、一番重要な点は、もう作家になって相当時間が経っているにも関わらず、オリジナルの文体が確立されていない事だ。前述した『黒冷水』の内容や文体は忘れてしまったが、デビューから十年以上経ても文体が凡庸というのはまずい。それとともにストーリーテリングも同様だ。後半、おじいちゃんが風呂で溺れそうになった際に健斗がパニックを起こし病院へ連れて行くシーンなどはスリリングなのだが、それ以外は特に面白みを感じない。 しかし尊厳死に至らせる為に必要以上の介護をしない件は「そういう考え方もあるか」と興味深かった。繰り返しになってしまうが、著者の羽田さんは17歳でデビューしキャリアは10年以上を経ており、現在でも若干30歳だ。結論を言うと、この作品には作者のソウルが迫力となって表れていない。まだ30歳だが、作品を書き続け既に自分の魂を表現するテーマが無くなってしまったのだろうか・・・・?そのあたりは羽田さんの熱心な読者でない僕に変遷はわからないが、作品としては平凡としか感じられなかったのが本音だ。 ■蛇足:芥川賞もすっかり選考基準が落ちましたね・・・・。時代背景で凄みのある才能に恵まれた作家が出てこなくなってしまったのかもしれませんが、昔なら本作程度の完成度では絶対に受賞に至っていません。 | ||||
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介護がテーマなのかな?ということで かなり暗い話を想像したが想定外に明るい話で面白かった。 明るいというよりもはやコミカルといった内容で意外。 主人公や登場人物は作者の自己投影かな。 趣味も共通しているし。 「火花」にこの二つが共通しているし、審査員の趣味が出てて、選考は単なる話題作りではない感じ。 良作。 | ||||
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羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」は第百五十三回芥川賞受賞作)。その書き出しの一行。 カーテンと窓枠の間から漏れ入る明かりは白い。( 402ページ、「文藝春秋」) 「漏れ入る」は「もれいる」か「もれはいる」か。よくわからないが和歌的、新古今的な描写が最近の芥川賞作品ではめずらしく、引き込まれた。 しかし、 掛け布団を頭までずり上げた健斗は、暗闇の中で大きなくしゃみをした。今年から、花粉症を発症した。六畳間のドアや通風口も閉めていたのに杉花粉は侵入し、身体に過剰な免疫反応を起こさせている。( 402ページ) ここで、私は違和感を感じた。「ずり上げる」という「動詞」が私の肉体としっくりしない。他人(健斗)の肉体の運動なのだから私の肉体としっくりこないのはあたりまえかもしれないが。そのあとの「侵入し(する)」という動詞や、「身体に過剰な免疫反応を起こさせている。」という文のなかの漢字熟語、「起こさせている」という言い回しにもひっかかった。なぜ健斗を「主語」にしたまま書けないのかな? しばらく読み進むと「ロードノイズ」ということばが出てくる( 403ページ)。意味はわかるが、ここでも私はつまずいた。書き出しの新古今のような感覚とロードノイズという表現は異質の次元のものである。さらに「電源をオフにした」が出てくる( 404ページ)。「孝行孫たるポジション」( 408ページ)「フリータイムで入室後」( 409ページ)などの「カタカナ」にも、私は、つまずいた。私の世代と羽田、あるいは主人公の健斗の世代で「言語感覚」が違うだけなのかもしれないが、どうにもなじめない。 なぜこんな文体なのかなあ、こういう文体でしか書けないことなのかなあと思いながら読み進み、 426ページ、 まっすぐにビルドできていることの快感だ。 ここにタイトルの「スクラップ・アンド・ビルド」の「ビルド」が出てきて、羽田のやっていることが、やっとわかった。わざと「日本語的(古典的)」な文体とカタカナ語を衝突させているのである。なじまない「文体」を衝突させて、その亀裂から始まる世界を描いている。 異質なものの衝突は、そのまま「ストーリー」にもなっていく。介護を必要とする肉体(老人)と介護をする肉体(健斗)の対立。精神(感情)関係というよりも「肉体」そのものの出合いと衝突がある。 異質な肉体(異質な人)の出合いを描くというのが羽田のテーマなのかもしれない。そして、それを明確にするためにわざと異質なことばをつかうのである。奇妙な「文体」をつくるのである。 「文体」とは「肉体」のことである。「肉体」とは「文体」と同じものなのである。 とても明瞭な主張である。受賞のことばで、 “世間から求められる言葉を言わなくてもいい自由さ”があることをここで提示したい。 と羽田は書いている。 ここに書いている「言葉」を「文体」と言い直せば、羽田がこの小説でやっていることがわかる。いや、これでは、「わかりすぎる」ということになる。「わかりすぎる」は「つまらない」ということでもある。 別なことばでいいなおすと。 「文体」における言語の選択は、筆者の自意識の問題である。羽田がこの小説で書いているのは、健斗の「自意識」であって、他者の意識は描かれていない。「ロードノイズ」というのは「描写」のように見えるが、単なる描写なら「路面の音(路面から聞こえてくる騒音)」でもいいのだが、そういう「日本語」として共有されることばでは「自意識」になりにくい。「自意識」であるまえに、冒頭の「白い」のように「古今的感覚」として日本語に吸収されてしまう。そこから健斗だけの「自意識の風景」を確立するためには「ロードノイズ」という面倒くさいカタカナ語が必要だったのだ。 この方法論は、とても「わかりやすい」。「わかりやすい」だけに、とても安易でもある。異質なことば(カタカナ語)で「自意識」を浮き彫りにするという方法は、しかし、安易すぎないか。 主人公は、また自分の肉体を改造(?)しているが、その変化を説明するのに、冒頭の「免疫反応」に類似する「学術用語(専門用語)」をつかっている。特別なことばで、自分だけの「世界」を強調する。安易だなあ。 この方法が安易であるという証拠(?)として、逆の例をあげれば、それは老人のつかう「九州弁(?)」である。九州弁が老人の「自意識(個性)」である。老人の存在(肉体)そのものである。 登場人物の書きわけを「ことばの音」だけで表現している。 いちばん大切な主人公と脇役が、「肉体」ではなく、「ことばの音」で区別される。 せっかく強靱な若者の肉体と、死んでゆくしかない老人の肉体が出合い、衝突しているのに、肉体のリアルさが描かれず、かわりにそれぞれがどういう「ことば」をつかって自分を語るかということしか表現されていない。 人間が出会い、出合いをとおして変化していくというのが「小説」だと思うが、そういうものが描かれていない「自意識ごっこ」のように見える。 | ||||
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羽田さんの小説は初めて読みましたがファンになりました。 他の作品も読んでみようと思います。 | ||||
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少子高齢化社会。 団塊ジュニアは働き盛り、 ゆとり世代は人口が少なすぎる。 介護のつらさを文字に表してくれた作品。 火花の裏で、ホンモノを読ませていただけた。 こういうのを求めていました。 次回作は、自身の愛について書いてくれそうな気がする。 | ||||
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「スクラップ・アンド・ビルド」レビュー /本文引用部分は: :で表記します。 主な登場人物 健斗(28歳・無職)、健斗の祖父(87歳)、健斗の母(祖父の娘)、健斗の彼女(恋人) 粗筋 健斗は自宅で祖父を介護している。 祖父が事ある毎につぶやく「死にたい」を真意であると感じた健斗は:苦痛のない穏やかな死という理想形:を実現しようとする。 そのために意図的に手厚い介護(:プラス介護:)を行い、祖父が脳や身体を使わなくても済むようにし:弱体化させ: :恐怖と痛みのない死:に導こうとする介護譚。 読み始めた当初、私は2つの不満を感じました。 1つ目は粗筋に対する不満で、 健斗が祖父の「死にたい」を真意だと確信する迄の必然性が弱いように思え、もう少し頁数を割いた方がいいのではないかと感じた点です。 2つ目は技法に対する不満で、 「セリフ」の後に「セリフを吐いた思い」が書かれていることが多く、それが少し説明的でくどく感じた点です。 ただ、逆に言いますと、上記不満1は、:プラス介護:というメインストーリーに早期に突入するテンポの良さともいえます。 上記不満2は登場人物の心情がわかりやすく読み進めやすいメリットともいえます。 とは言え、せっかく純文学を読むのですからメタファーをこそ楽しみたい、という主義の私には不満であることに変わりはありません。よってこれらの点を不満と感じるか満足と感じるかは読書各人に依ると思います。 また4分の1程読んで、これほどまでにメタファーのない作品がなぜ芥川賞に選ばれたのか?この徹底的にメタファーを排除した点が逆に新進性と評価されたのか?それとも他に何かあるのか?というストーリー展開とは別の興味も湧き読み進めました。 すると、様々な「対(比較)」が重層的にどんどん積みあがっていくことに気付かされます。 対1 ・元特攻隊員だったが今は:ゴボウのような:陰部をもつひ弱な祖父 ・ひ弱な祖父を毎日見るうちに、ジョギング、筋トレ、オ○ニートレーニングを始めるようになり、逞しい身体及び彼女と連続2回をこなす精力を得た健斗 対2 ・祖父(母から見ると父)ボケないように、口や態度は悪いのだがなるべく自分でやらせようとする母 ・祖父が自身で出来ることでも、率先して行う優しさを見せているが、内心は早くボケさせ理想の死を達成しようとしている健斗 対3 ・:肉体的疲労を嫌がり楽したがり::「どうせ私はデブだし」「もっとかわいい人と付き合えば」:と言う健斗の彼女 ・自分が出来ることでも健斗にしてもらおう甘えながらも「自分は死んだ方がいい」と言う健斗の祖父 (他にも対はありますが長くなるので割愛します) この対については直接的な説明はなく、全てメタファーとなっています。 セリフ :白けるほどに説明的(メタファーなし) 対(比較):説明は排除し徹底的にメタファー という構造です。 これにより、「対」に気づきやすいという効果を上げていると思います。おそらくこの構造こそが「新進性」と評価され、介護を掘り下げた「時代性」と相まって芥川賞に選ばれたのだと思います。 前半感じていた不満は消え、非常に技巧的で野心的な作品で流石芥川受賞作だと感じながらさらに読み進めました。 (注)以下●●●の間20行程ネタバレあり ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● すると、健人の祖父は死にたいはずだという:確信:に疑義が生じる出来事が起こっていきます。(本レビューでは単純に列挙しますが、実際は巧妙にちりばめられています) ・健斗が予定時間より早く帰宅すると:黒く小さなものがすごい勢いでリビングから台所に駆け抜けてゆく:台所に行くと圧力鍋で柔らかくしたほうれん草でさえ「固い」と文句を言う祖父がピザを焼いて食べた形跡がある ・5,6kgある曾孫を祖父が抱きかかえる ・緊急入院し予断を許さない状況下で「特攻隊所属していた時に死んでおけばよかった」とつぶやいた祖父の言葉が嘘だった(特攻隊に所属した事実はない)とその後わかったこと (ピザの部分はゾッとしました) 極め付きが ・目を離した隙に祖父が風呂で溺れ健斗が助けた。:「死ぬとこだった」「健斗が助けてくれた」:と言う祖父が:生にしがみついていることに気付く: 直接的な表現はないですが、これに前後して健斗は彼女に振られています。 ・イケメンの俺と別れる筈がないと思っていたのに彼女に振られる ・「死にたい」筈だと思っていた祖父が生に執着していることに気づかされる ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 健斗の確信が崩れた瞬間でした。 ここまで読んで、健斗の内心以外他の誰の内心も説明されていないことに気づきそのことに私はまたゾッとしました。 当然これも作者の計算でしょう。セリフ説明、対構造メタファーに加え、健斗以外の内心の徹底的な秘匿、と非常に技巧的な純文学です。 大衆文学(直木賞系)は登場人物に起こる「出来事」の因果により筋を進めます。一方純文学は登場人物の「心情」を重ね筋を進めます。 それを主人公以外の「心情」は隠して進めているところが非常に野心的だと私が思う点です。そして巧みだと思います。 その後健斗も自分の人生を ビルド します。(具体的内容は割愛します) 最後の1文は割愛しますが、見えていたものが近づいてくる、そして離れていく、この小説最大のメタファーで非常に爽やかな余韻を残します。 この小説の醍醐味は、純文学の原則を壊す(=主人公以外の心情を隠す)ような野心的なその構造にある、私はそう思います。 | ||||
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思っていたよりもページ数が少なく一気に読んでしまった。 しかし内容は薄くも濃くもなくどちらかといえば面白い、と思うような作品だった。 読む価値はあるが芥川賞になるような作品ではないのではと感じた。 | ||||
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