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異邦人
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異邦人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全196件 161~180 9/10ページ
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薄い本なので、簡単に読みきれます。 ただ、この本だけ読んで「へー不条理なんだねー」 と納得してしまうと、ちょっとカミュがかわいそうな気も。 カミュは日常を生きるための健全なニヒリズムを探求した作家なので。 相当ボリュームありますが、ペストもいいですよ。 人生は不条理だから△△ - 異邦人 人生は不条理だけど○○ - ペスト セットにしてみると面白いと思います。 | ||||
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この作品の全ての内容は、カバーの後ろに書いてある作品の 内容紹介にまとまっていると言っていい。 しかも、この本の訳はお世辞にも読みやすいとは言えない。 先の展開が知れていて、ついでに読みにくい本を読み進めて いくのは、なかなか骨が折れることだった。 しかも、僕はこの主人公の行動を全く理解出来なかった。 まさしくそれこそはこの本のテーマの「不条理」だったわけ だが、論理的に理解できない行動を書くことに意味があるの だろうかと疑問に思いながら読み進めていった。 しかしこの本の最後の最後、僕は自分の考えが浅はかだった ことを知った。 最後に主人公のムルソーが明らかにしていく心中の告白。 それが語られたとき、ムルソーの今までの行動が彼なりの理念 によって一貫されたものだったということが明らかになり、 そしてその時が僕の中でこの作品が一気に名作になった瞬間でも あった。 彼の一見奇妙な行動と言動。それらはたしかに理解しにくいもの だが、一つの真理とも言えるような説得力を持っているものだった のだ。 彼の行動と理念を自分なりに理解した今も、それらを参考にして 生きてみようなどとは微塵も思わないが、一度は触れておいても 良いかもしれない。 名作たる所以がわかるだろうから。 | ||||
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所謂古典的名作と言われる作品には、そう呼ばれるだけの内容がある。カミュの「異邦人」は、中学生の頃読んでみたのだがさっぱりわからなかった記憶がある。あれから20年以上たった今読むとさすがにわかる。不条理に生きることの窮屈さが身にしみた年齢になったからだろうか。私も主人公同様20年ほど前に母親を無くしたが、長いこと一緒に住んでいなかったこともあって、あまり悲しくなく、葬式でも涙の一滴も出なかった。人間などそんなもので、自分の肉親の死よりも、飼い犬の死のほうが悲しかったりするものだ。主人公にとって、神や死後の神の祝福などは何の意味も持たない。死ねば死にきりなのだ。それを全うして生きられる人間は強い。翻訳もなかなか格調高いが、もうすこしこなれた日本語に出来るような気がする。 | ||||
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20世紀の名作というと必ず上位に名前が挙がる作品なので、いつか読みたいと何年もの間思いつつも、実際手に取ることはなかった本です。タイトルから勝手に「外国人」であることから感じる疎外感を扱った本かと思っていました。でも、疎外感(いうよりは感じ方のズレ?)は何も国籍とか、文化とか、そういった違いからのみ生まれるわけではない。たとえすぐ近くにいる人でも、人はひとりひとり異なる感じ方をする生き物なのだから。とても薄い本なので、読み始めたらあっという間でした。 | ||||
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久しぶりに読み返してみましたが、やっぱり読み応えのある小説ですね。ジリジリと照りつける太陽の日差しが感じ取られて、そのような情景の中で主人公の内面が揺れ動く。そして、了解可能なような、でも不可解なような感じを受ける。 今の時代でも、読む価値のある必読書だと思います。 | ||||
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ムルソーの行動どれをとっても他意はなくて、彼は自分の感じたままに行動しているだけであって 少なくとも彼は人を殺してしまったこと以外に死刑になるほどの悪いことをしたのかなと思う。 実際ムルソーはママンを愛していたし、ママンの死を悲しんだりした。 けれどもママンに何の関係もないはずの他人はムルソーの行動の一部(ママンの葬儀の後に彼女とデートしたりだとか、いろいろ)を見て、人でなしのクズヤローと叫ぶ そういう好き勝手自分たちの都合を押し付けるエゴだらけの世界に住んでいるわけだけれど 僕はたぶんムルソーは心の底ではそんな世界でも愛していたはずと思うにいられないわけ でもそれは一方的なムルソーの片思いだったんだな。 | ||||
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主人公ムルソーは最終的には死刑になってしまいますが、彼の真に人間的な生き方には共感せざるをえませんでした。 彼は、自らを貫き通します。と言っても、その姿は何かに意欲的に取り組むわけではなく、やや受動的なものです。 一言で言えば、彼は「無関心」という言葉で表わされます。 母親の死にも無関心、自分の裁判もまるで他人事のように振舞い、人を殺すことに関しても無関心であるようでした。 私が、なぜそのようなムルソーの態度にシビれたかと言えば、彼の生き方は社会に縛られていないからです。 われわれ人間は、社会に去勢される生き物だと言えると思います。 例えば、コミュニケーションをするおいては、場の空気を読んで行動します。場の雰囲気を壊さないために、にこやかに振る舞い、己の保身も考えて発言します。 そのようなことは、世間では「生きていくための知恵」として良いことだとされていますが、本当はそれによって人間性を削がれているのではないでしょうか。 私はムルソーの生き方の方が、正に人間的な生き方だと感じました。 本作は、人間の本質を暴かんとする傑作であると思います。 ぜひ一読をおすすめしたい一冊です。 | ||||
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名作と言われるこの作品だが、最初の方はなかなか頭に入ってこなかった。 第2部から俄然面白くなったが、それは最初の部分を読んでいないとわからないことなので、きちんと読んだほうがよい。 人間がいかに常識や評判、見かけなどで人を判断していくのかを考えさせられる。 自分と人との感じ方、価値観などが異なると、主人公のように流されるまま罪が決定されてしまう。 逆に読めば、常識に則って行動し、周りからの評判もよく、見かけもよい人、そして、自分の気持ちを偽って、心から悔いた振りをし、人々の同情を得られればこうはならないということで、そこに人間の愚かさやある種の大衆心理の恐ろしさを感じる。 | ||||
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ひたすら自分の感情に素直に生きる主人公は世間の固定観念を受け入れずに、自分の世界で生きている。常にすべてを観察しているかのような目で世間を眺める主人公は恋人に向かって愛しているとも言わない。子供のようにいつもその時その時のみ、熱情を持って生きる事はいい事であろうが、自分の感情をよく知っているとは、常に自分を分析しているからからであり、自分にしか興味のない、他の人にとってはつまらない人でしかない。人間は社会的動物であり、現実に入り込まずに、社会の外側で生きている気になっている主人公は自分の人格形成が社会に影響されていると言う事に気がついていない。このような一方的な世界観は今やもう古いのではないだろうか。 | ||||
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文章がすらすら読めてしまうという読みやすさと、簡潔な乾いた文体が、読み手にまったくロマン的な解釈をさせない所にカミュの魅力が隠れている様に思えます。”全てが当たり前で、それがどうした”という様な彼の世界観と、その裏側にある満たされない哀しさが全体から漂う必読書です。 バロウズやケルアック、あるいはギンスバーグといったビートニク達の原点となる考え方がここにあります。 | ||||
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始終読んでいて、不可解な部分はなく。ごく自然な人間の考え方にこの方向性も多いにありうると思った。むしろ自然に考えるとはこういうことなのではないのか、とさえ思った。知らず知らずのうちに固定化されている概念が、今生きているなかでいくつあるだろう。 | ||||
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カミュの本を読んだのはこの異邦人が初めてだった。 情景や心理描写を淡々と描いていく文章はこの小説にどこか無機質で感覚の鈍い安定感を与えている。 犯罪者の心理を描いたドストエフスキーの小説の人物のような感情の揺れがこの主人公にはほとんど無い。 日常を送る感覚の延長線上で非日常的?な事件が発生していく。 母の死、新しい恋人の出現、殺人、刑務所の中の生活、裁判、判決。 主人公と世間の反応の違いは母の死も殺人も裁判も判決も日常の延長戦にすぎないという心理に主人公が忠実すぎたためだ。 我々人間は同じようで違う。また違うようで同じである。 同質と乖離が同居しているところに人間の本質がある。 この小説は乖離している部分をモデルに、人間の本質を洞察しようとしたのだと思う | ||||
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主人公の絶望感は今の人々の気づかぬうちに大きくなりつつある絶望感に似ている。彼の徹底した客観的視点は世界との関わりを絶つことから生まれ、関わりを絶つことで発生した内なる衝動に蓋をするために、彼の明晰な頭脳は無意味というひとつの終着点を決定してしまった。そうすることで彼は現実との折り合いを付けていったのである。 なんとも絶望的な小説だろう。しかしその絶望から抜け出るための生きるためのヒントは多く隠されている。それは多くの人が欲している希望というものとはまったく異なった、奪われ続け、損ない続けた一つの世界である。その世界に生きることを現実は彼に許さなかったのだ。 | ||||
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ムルソーの視点から見れば彼を取り囲む世界こそ不条理という感じがする。自分に全く正直な彼の言動は衝撃的だったりおもしろかったりする。自分の信念をどんな状況になっても曲げないところもいい。彼は既存の慣習に全く左右されないで、自分が正しいと思ったことだけ口にだすし行動する。こんな考え方できたらおもしろいと思わせる魅力的な主人公だ。 | ||||
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「あるべき」姿・「あるべき」行動をしていなければ 途端に異物・異端として排除される。異邦人にされる。 不条理なのはムルソーではなく、世界のほうだ。 他人事ではなかった中学時代以来、何回も何十回も読んだ本。 | ||||
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「あるべき」姿・「あるべき」行動をしていなければ、 途端に異物・異端として排除される。異邦人にされる。 不条理なのはムルソーではなく、むしろ世界の方である。 他人事ではなかった中学時代以来、何回も何十回も読んだ本。 | ||||
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本を読み終え最初に感じたことは「ムルソーはいったい何がいけなかったのか」ということだ。 彼は自分の思ったよう行動しただけだ。それが他の人には奇異に映ったために異邦人とされてしまった。 何かが起こった時、こうしなければならない、ということは無いのではないだろうか?親が死んでも悲しくないかもしれない。偽りの涙を流すのならばむしろ・・・ あまりに自分に正直に生きることも罪なのか? 欲望を肯定する訳ではないが、倫理的なものに束縛されなくても良いのではないか?人間はロボットではない。ゆえに常識に雁字搦めになる必要もない。人はある程度、自由に生きても良いと思う。 | ||||
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この文庫を買ったのは高校生の頃でした。タイトルの「異邦人」という響きが気に入って。 しかし、読む時に最初のページの「ママン」(フランスだからね…)、裏表紙の解説による、主人公ムルソーの書かれ方(ただの狂人)に興味が出ず、そのまま数年ツンドク… 最近になって手に取ってみた、私は十分社会人になっていました。 この作品は1940年代はじめ頃に発表された作品ですが、古さを感じませんでした。読むにつれてムルソーという人物に興味が出、周辺の身近な人物たちにも心が動きました。特に最後の司祭とのやり取り、ここで涙が出て止まらなかったんですが…読んだ他の方々はどうなんだろう? 死刑が決まってからの彼は恐怖に怯えていました、それを自分の考えで感情を軌道修正しようとする心の葛藤、なってしまった事に対して人を恨むでもなく、何とか今をやり過ごすことだけを考えるさま。彼は他人に依存しません、だから冷たい人にも見られる。でも、それがどれくらいのものか? 高校生の頃に読んでいたらどう感じれたのか、それが気になりますが、今はただ、読んで良かったと思うだけです。 | ||||
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善意思を持たず、正義という感覚も持たず、人間らしい悲しみや喜びを持たないムルソー。それ故に彼は異邦人なのだ。彼がアラビア人を殺した理由を「太陽のせい」としたのは彼の内面を見ればまったく理論的である。この本が不条理であるのは、正当防衛で人を殺したムルソーが死刑になったからでも、異邦人であるムルソーがまったく他人から理解されないからでもない。人間として生まれた彼自身に、他人から理解されたいと思う欲望どころか、自分自身の生きる目的や自己を探し求める意思が欠如している事が不条理なのである。 | ||||
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名作として名高い本書ですが、冒頭からしばらく退屈します。養老院にいた母親が死んだという電報を受けて、それから葬儀をしたりするのですが、そこらへんは多少きついものがあります。老人たちの描写とかが気色悪かったりで。 それからマリイ(女)と再会して、以後楽しい生活?に向かうあたりからは開放感もあるし読みやすくなると思います。非常に名高い名作であるので是非読んでみて欲しいです。 カミュが本作を解説しているという「シーシポスの神話」は少し難しいですので、(例えば、ドストエフスキー「悪霊」の脇役キリーロフへの言及や、普通にカフカ論とかがあります。)ある程度の知識が要求されます。 本作と同時期に執筆された「カリギュラ」の方は戯曲ということもあり、またストーリー自体は単純ですので楽しく読むことができると思います。おすすめです。 | ||||
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