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異邦人



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【この小説が収録されている参考書籍】
異邦人 (新潮文庫)
異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)

異邦人の評価: 4.43/5点 レビュー 223件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.43pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全196件 21~40 2/10ページ
No.176:
(4pt)

そんなに悪い人ではないと思う

主人公ムルソーは、まるでサイコパスのような人だと思っていたけど、そんなに変な人じゃなかった。
普通の人。そういう人がえらいことになってしまうところが、現代の怖さ、ということなのかな?
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.175:
(5pt)

「せっかくの誕生日なのに、友達と外出しないの?」

数年前に読んだ本なのですが、今日たまたま「こういうことだったのか!」と感じる瞬間がありました。

先日、私は誕生日を迎えました。ただその日が来たからといって、正直心が特別に躍るわけでもなく、「年齢がひとつ重なる日が来ただけで、普通の一日と何ら変わらない」と感じていました。

そんな中。家族や友人らと頻繁に連絡を取り合うタイプのフラットメイトがいて、「今日の夜はやっぱり飲みに行くの?友だちと過ごす?」と聞かれました。

正直、ちょっと気後れする思いを感じ。「いや、特に。ただ部屋で過ごすのが好きだから」と答えると、やや訝しそうに「せっかくの誕生日なのに、友達と集まったりもしないなんて変」というような素振りをしてるように感じました。

いわゆる「普通」の価値観からしたら、誕生日という特別なお祝い日は、家族や友人たちと楽しんで過ごすべきなのだろうと。

ただわたしにとっては、自分の誕生日だからって特別外出したいわけでもなかったし、それよりも今ハマっている好きな本を部屋でじっくり読み一人で過ごしたかった。なのに、周りからはそれを変な目で見られる。

この瞬間、まさしくムルソーのことを思い出しました。母親の亡くなった翌日にビーチで遊んでいたということで「異端者」の烙印を押されるかのような彼を。

誕生日という"特別な日"に、家族や友達といるのではなく、引きこもり型の一日(自分にとっては普段と同じでしかない)を送ろうとするだけで、奇妙に思われる。そのフラットメイトの訝しげな視線を受けたせいもあり、少し気後を感じていました。

しかしここで思うのは、本当に私は負い目を感じないといけなかったのか?それぞれが自分流の経験に従って、"特別な日"をどう過ごすかを決めたっていいじゃないかと。「誕生日」でも「母親の葬式」でも、均一なやり方で過ごすことが周囲から期待されてしまうことが、逆に息苦しいと感じる。そんな中で異邦人は、「周囲から勝手に期待される姿と違っていてもいい」と励ましてくれるようなメッセージを与えてくれるように感じました。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.174:
(5pt)

いつのまにかKindle化してる!

ようやくKindle化されたので、紙の本も持っていますが即購入。
しかし、同じ著者の「ペスト」が売れたから電子化したのでしょうか?
何百年後も読み継がれることの間違いない名作に対して、ブームに便乗したような売り方しかできないのは情けない話です。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.173:
(4pt)

カミユの文章力

何でもない日常の風景を淡々と読ませるカミユの文章力に引き込まれる。素晴らしい
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.172:
(4pt)

ドストエフスキー文学の深遠さに連なる力のある短編小説

『異邦人』はすでに半世紀にわたって「フランス語で書かれた小説」のベストセラー・ランキングの一位を続けている。この記録を更新する作品がフランス語で書かれる可能性はこれから先もおそらくないだろう。と、内田樹さんが名著『昭和のエートスの中の『アルジェリアの影』』で述懐されていたので読んでみました。

本著はフランスがドイツ占領下にあった1942年、アルベール・カミュが28歳の時に上梓されました。

ドイツ占領下のレジスタンスの英雄だったカミュ(当時匿名)ですが、『異邦人』はカミュが敬愛していたドストエフスキー文学に連なる文学の深遠さを垣間見ることが出来ました。

また巻末の詳細な年譜により、24歳のカミュが創設した『仲間座』が上演した『カラマーゾフの兄弟』でイワンを演じ、39歳でドストエフスキーの『悪霊』の脚色を構想し始め、交通事故死する前年、45歳でアントワーヌ座で『悪霊』を上演したことを知れたのはとても有難いことでした。

以下に文中から印象に残る文章をご紹介します。

・彼女はその顔付きにつり合わぬふしぎな声をしていた。音楽的な震えるような声だ。「ゆっくり行くと、日射病にかかる恐れがあります。けれども急ぎ過ぎると、汗をかいて、教会で寒けがします」と彼女はいった。彼女は正しい。逃げ道はないのだ。

・あなたは変わっている。きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いつかはまた、その同じ理由からあなたがきらいになるかも知れない。

・この数年来はじめてのことだったが、私は泣きたいというばかげた気持ちになった。それはこれらのひとたちに自分がどれほど憎まれているかを感じたからだった。

・真実何かを悔いるということが私にはかつてなかった。私はいつでもこれから来るべきものに、たとえば今日とか明日とかに、心を奪われていたのだ。

・死刑執行より重大なものはない、ある意味では、それは人間にとって真に興味ある唯一のことなのだ。

・ところが、やはり、メカニックなものが一切を粉砕するのだ。ひとは、わずかばかりの羞恥と、非常な正確さをもって、つつましく殺されるのだ。

・人間は全く不幸になることはない。と(死んだ)ママンはよくいっていた。空が色づいて来るときや、暁のひかりが私の独房にしのび込んで来るとき、ママンの言葉はほんとうだと思った。

・しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。

・あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。

~以下、解説より

・多くの場合貧困は、人々に羨望と不満を植えつける。だがカミュ一家は慎み深く控え目で、なにも羨んだりはしなかった。そして地中海のきらめく風土が彼の救いとなった。「私の少年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪いとった。私は窮乏生活を送っていたが、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。私は自ら無限の力を感じていた。・・・・この力の障害となるのは貧困ではなかった。アフリカでは海と太陽とはただである。さまたげになるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった」と彼は1958年『裏と表』に新たに追加した序文のなかで述べている。

・私の源泉が『裏と表』、貧困と光のこの世界のなかにあるかことを知っている。私はそこで長い間暮らしたが、その思い出はいまなお、あらゆる芸術家を脅かす二つの相矛盾する危険、すなわち怨恨と満足から私を守ってくれるのだ。
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4102114017
No.171:
(4pt)

ノーベル賞受賞作ですね

この作品を理解するためには、シューシポスの神話と太陽の賛歌を読まなければならないと思いました。
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4102114017
No.170:
(5pt)

現代人はみんな異邦人かも

『太陽のせい』で人を殺したというムルソー。感情が乏しく(と周囲にとらえられる)、母の死に悲しんでいないという理由が印象を悪くして死刑を宣告される。

今から70年も前の戦前の作品だが、こういった人間は、現代に増えているのではないだろうか。今なら決して【異邦人】ではないだろう。ニュースでも見かける。

『こうあるべき』『普通はこうだ』というが主流だった時代にはセンセーショナルな内容だとは思うが、今読み返すと、『こういう人もいる』って言う話に見えなくもない。神を信じない。太陽や海や空に流されて生きている。気分、だ。
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4102114017
No.169:
(4pt)

期待通りの商品でした

カミュの代表作であり、一気に読んでしまいました。
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4102114017
No.168:
(5pt)

本作の好きな人には、「ペスト」「シーシュポスの神話」の順番で読まれることをすすめます

サルトルをはじめとして、多くの書評は「シーシュポスの神話」を「異邦人」の哲学的解説書としているようですが、確かに、「シーシュポスの神話」は「異邦人」の理解の助けにはなりますが、同本で書かれていることを、よりはっきり体現しているのは、後年の「ペスト」の主人公の医師であると思われます。 本作の好きな人には、「ペスト」「シーシュポスの神話」の順番で読まれることをすすめます。
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4102114017
No.167:
(5pt)

満足です

新しくなったカバーが素敵です。プレゼント用で買いました。
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4102114017
No.166:
(5pt)

読後の「宙吊り感」

読んだあと、世界観に一撃を与えるような小説。思考が凍り存在が宙吊りにされ、不安を解消したくなぜなのか必死に解答を考える。しかし答えは見つからない。これぞまさしく小説の快楽。
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4102114017
No.165:
(5pt)

社会が要求する演技ができない者は、社会から抹殺される

主人公ムルソーはそこそこ勤勉に働き、つつましくも世の中の楽しみを享受しながら生活する青年で、決してニヒリズムの中に生きていたわけではない。むしろ彼に実在的ニヒリズムの傾向が表れるのは獄中で死刑執行を待っている期間だろう。ムルソーは自分自身に嘘をつくことができない性格であるために、社会が要求する尤もらしい演技をして見せることをひたすらに拒否する。人間社会は少なからず個人に生きる上での演技を求め、それぞれが自分という役者になって生涯演じ続けなければならないし、それに成功すれば生きていることに実感を覚えるという錯覚に陥りがちだ。しかしそれは本当の自分の姿だろうか。

彼は好意から同じアパートに住む男の起こした事件に巻き込まれ、偶然にもアラビア人の男を射殺してしまう。裁判で弁護士の言う通りにそれらしい弁解をして、しおらしい態度を示せば裁判官や陪審員に情状酌量の余地を与えることができたにも拘わらず、ムルソーにとって事実は事実以外の何物でもなく、真っ正直に答えることしかできなかった。それによってこれまでの彼の行動の一挙手一投足が、裁判所に集まった人々の殆どを敵に回し、死刑判決が下される。世間ほど残酷で不条理なものはない。

カミュのその後の作品『ペスト』でさらに顕在化する宗教の在り方についてのスタンスが、ここでも提示されている。ムルソーは獄中で司祭の面会を拒否し続けた。もちろん彼も特赦請願に一縷の望みをかけていたことは確かだが、神がその奇跡を起こすとは全く思えなかった。それが叶わなければ社会の期待に副うべく、罵声を浴びながらギロチンにかけられ観衆を満足させることを希望する。

カミュの小説のもう一つの素晴らしさは自然描写、特に空や海の色と太陽の織り成す眩しいほどの光の世界と、対照的な暗い影が背景になる物語の展開が読者を映像的に魅了することだ。ここにもアルジェリアで育った作者の体験が巧みに生かされている。
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4102114017
No.164:
(4pt)

実存主義それとも仏教説話?

「きょうママンが死んだ」
この有名な書き出しを見て、あたし(アルベルチーヌ)は学生時代にこの本を既に読んでいたことに気が付いた。アルジェリアの老人ホームに預けていた主人公 -ここでは私として記されているので、これから主人公のことを私と記させてもらう- の母がなくなったのだ。私も同じくアルジェリアに住んでいるので、母の死という報せを受けて養老院に向かうことになるのだが、私は主人に電話で母が死んだので2日間会社を休むことを知らせる。その際、主人の態度が不機嫌だったことに私は気づく。ここであたし(アルベルチーヌ)は私がフランス本土に何らかの理由で別居している夫に話をしたのかと思ってしまった。それはともかく私は養老院に行き一晩中かけてそこのほとんどすべての住人が死者の棺の前に座って死者を見送るというなかなか疲れる通夜に参加する。
本来なら喪主と言っても当然の立場の私だが、養老院所長をはじめそこに集まった人々の目には何か無感動な人のように私は映ってしまう。周囲の人々と交わす言葉も必要最小限のように少ないものだった。
長い通夜が明けると今度は灼熱の太陽の下を墓場へ向けた葬列である。この時、晩年の母といつも連れ添って歩いていたという老人が足を痛めてまともに歩けない状態ながら一人後方から葬列を追いかけるような形でついてくる。なんとも哀れな様子が印象的だ。
墓地へ向かう途上で一人の看護婦が漏らした言葉が何故か私の胸に突き刺さる。
「あまりゆっくり歩くと日射病になってしまいます。逆に急いで歩くと汗をかいてしまいます。私達に逃げ道はないのです」
やけに哲学的な言葉なのであたし(アルベルチーヌ)はもしかしてこれが実存主義なのかしらと思ったりもした。いやむしろこれはカフカの不条理哲学に通じるものかもしれないわ。

ところで葬儀を終えた私はアルジェリアの海岸に近いアパルトマンに戻った。するとそこへマリアという女性が訪ねてきて二人は一緒にベッドに寝転んで身体を触れ合ったりして戯れあって過ごす。どうやらマリアはなかなかのグラマーらしいのである。あたし(アルベルチーヌ)はてっきり二人はレズの関係だなと思ったので、なるほどさすがにフランスだわといったんは感心したものの、私の言葉使い私に対する相手の態度などを見ていると、どうも私は男のようであることにあたし(アルベルチーヌ)はようやく気付いた。最初私が電話を掛けた主人というのが私の夫ではなく勤務している会社の社長のような人であることにあたしはようやく気付く。実に大きな勘違いをしたままであたしはこの小説をかなり読み進んでしまった。まあ気が付けばそれはそれで大したことはないんだけどね。ただ、レズが描かれていると思って感心していたのが外れて「何よ、プルーストよりずいぶん遅れているじゃない」と思ってしまった。

それはそれとして私という人間は割合なにかにつけて成り行き任せで生きているような気がする。目的が定まっていて準備の上で行動することが少ない。これが実存主義なのか、いや不条理哲学でしょ。だって路上で何となくいさかいになったアラブ人をピストルで撃ち殺してしまったんだから。

この小説は当時どれほどの衝撃を世界に与えたのか今となっては分からない。現在アメリカを分断しようとしているRACISM(人種差別主義)が当時今ほどには騒がれていなかったので実存主義などと逆に持ち上げられることさえあったのではないかしら? でも現在ではアラブ人を得体のしれない不気味さを感じさせる人間として描いていることを責められるかもしれない。しかし私はアラブ人を無造作に撃ち殺してしまった。

この小説ではアラブ人の立場から見た事件の悲惨さは全く語られていない。実存主義か不条理哲学か何か知らないが、私 -このあたりで名前を明らかにするとムルソーという- を通してのみすべてのことが語られる。ということは作者カミュは殺人事件そのものには全く関心がないのだ。殺した方の人間の心理の動きばかり追っている小説は現在では異常ととられてしまうだろう。

カミュの文体は短いが、的確な描写で情景をよくとらえていて、読む者を作品の中に強く引き込む力がある。ムルソーの心の動きが反映されているため、これほど情景描写がさえるのだろう。

裁判の結果、ムルソーには広場での斬首刑が言い渡される。するとそれまでは割合何事にも恐れを知らぬといった風の無感覚さを見せていたムルソーが恐怖におののき、この刑から逃れる方法を懸命に考える日々の中に落ち込んでしまう。

あたしはこの恐怖に落ち込んだ後の描写が、それまでの哲学者らしい冷静さを失ってしまったような気がして、物語全体の統一感を壊しているような気分もちょっと感じた。斬首刑が20世紀半ばにまだあったのだろうか? 実存主義を体現したようなムルソーがいきなり19世紀のギロチンの前に放り出される、どうもアンバランスな印象は免れない。

とはいえムルソーはあのママンを送った葬列の中で看護婦が言った「私達には逃れる道はないんですよ」という言葉が今思い浮かんで来るのだった。そしてママンが最後の日々に足を引きずりながら葬列の後を追っていたあの老人と寄り添って過ごした姿を思い浮かべるのだった。

あたしはムルソーが一種の悟りを開いたところでこの実存主義の小説は終わっていると思うの。だけど最後になって仏様の説話になってしまったようで奇妙な読後感を今味わっているところなの・・・・・
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4102114017
No.163:
(5pt)

人情描写

人情描写が深い。
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4102114017
No.162:
(5pt)

満足

古いのにとても綺麗でした。
内容的にはそんなに感銘は受けませんでしたが、悪くはなかった。
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4102114017
No.161:
(5pt)

品質

満足しました。到着も予想以上に早かったです。
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4102114017
No.160:
(4pt)

何となく人を殺めてしまった男

薄い本にも関わらず冒頭から読みづらいと感じ、しばらく放置。
数年越しで最後まで読んでみると面白かった。
主人公本人からしたら「ただ何となく」犯罪を犯したのだが、母親の葬儀での態度が冷たかったこと、その翌日には女を連れてデートへ出掛けたことなど、直近の過去を暴かれると世間から冷酷非道な人間として糾弾される。
当時のほとんどの人の精神の拠り所には宗教が大きく関わっていただろうが、実際彼は無神論者であり、リアリストに見える。
死を直前にしては、もはや自分が世間とは違う存在と認識された上で処刑されることを望むその姿は、
つい昨年、日本の裁判で更生するつもりはありませんと宣言し無期懲役判決で万歳!と叫んだ加害者を彷彿させる。
この主人公は当時からしたらそれこそ不可解な人間だろうが、現代人からしたらより身近で理解しやすい人間性ではあると思う。
ただ同じような犯罪が現代に起これば、やはり世間は同じように加害者を糾弾するだろう。
近年SNSでもちょっとした事でのバッシングが非常に過激となっているが、そのような「抗えない集団エネルギー」はいつの時代も変わらないものなのだと思う。
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4102114017
No.159:
(5pt)

現実的かつ内省的になれる作品。

不条理小説の代表作といわれているそうです。
不条理の意味とはなんでしょうか?
事柄の筋道が立たないこと。であるそうです。

なぜこの小説がその事柄の代表格なのでしょうか?3年ごとに計3回読んでみました。
1回目→意味不明、罪を犯してなぜ苦悩しているんだ。
2回目→罪を犯すことは万人に機会があることなのかも...
3回目→自分の信念。多数派の信念が正しいって本当なのだろうか?

特に3回目に不条理を感じました。
今まで何も関与しなかった人間が、自分の何を知っているんだろう?
なぜその人たちの大意が、自分の行動や運命を左右するのだろう?

上記の疑問に対して、2つの教訓を結論づけました。
・大切な人には、多く関与して時間を共にすること。
・自分の行動については、自分の責任で一瞬を大切に集中して取り組むこと。

私たちの大半は無神論者の印象があります。皆さんの結論をぜひレビューで共有して、不条理と向き合う糧としませんか?
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4102114017
No.158:
(5pt)

『異邦人』をKindle化してください!

『ペスト』のKindle版があるのに、それよりも有名な『異邦人』がなぜKindle化されないんでしょうか?新型ウイルスや「100分de名著」の影響で『ペスト』は現在もっともリアリティのある作品ですが、サルトルはかつて『異邦人』のほうを絶賛していました。今は『異邦人』のほうがリアルなのです。
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4102114017
No.157:
(5pt)

<神は何処へいった こんな真昼間>ーー吉本隆明

<神は何処へいった こんな真昼間>
 
 生存の与件がすべて消え失せた後ににんげんは何によって自らの理由をみたすのか わたしは知りたかった わたしにとって理由がなくなったとき新しい再生の意味がはじめられねばならなかったから わたしの行為は習慣に従いわたしの思考は主題をあたえられなかった 如何なるものも自らの理由によって存在することはない しかもわたしはわたし自らの理由によって存在しなければならない 生存がまたとない機会であると告げるべき理由をわたしはもっていなかった しかも既に生存していることを訂正するためにわたしの存在は余りにも重くかんじられた わたしの魂はすべての物象のなかに風のように滲みとおってしまい わたしの影もまた風の影のうちに一致した わたしはただありふれた真昼と夜とを幾何学の曲線のように過ぎてゆくだけであった ひとびとが実証と仮証とをうまく取りちがえているその地点を!(吉本隆明「固有時との対話」)

 「不条理」に西欧哲学的意味を探る必要は全くない。不条理のネタは、そのへんにごろごろ転がっている。日々のニュースは不条理で埋まっている。いじめられて自殺、パワハラで自殺、死ぬまで働くサラリーマン(過労死)、ストーカー殺人、通り魔殺人、義父に虐待されて殺される子供、暴力(体罰)を指導と言い張る教師、466億円もかかるアベノマスク、世界中がウイルス対策に苦慮している最中にミサイルをばんばん飛ばす半島国……まったく冗談ではない、悲惨だ無残だ、あまりに常軌を逸しすぎて絶句、世の中狂ってると思う、この狂った世の中に存在する価値なんてあるのかーーこれが不条理である。

そして、「不条理」はーー英語でabsurd、フランス語でabsurde、ドイツ語で Absurditätーー原義は「馬鹿げている、理に合わない、滑稽である、笑っちゃう、アホか」である。首相夫人の自粛中のお花見、大分の神社参り、呆れちゃう、笑っちゃう、アホか、である。生徒の骨折が頻発しても続けたがる組み体操、何考えてんのお~ばかじゃいない~?世の中、そういうもんである。( ̄Д ̄)ノ

 アラブ人を射殺して裁判にかけられ、母の葬儀で涙を流さなかったこと、葬式の翌日、マリーと情事にふけったことを理由に冷酷な犯罪者にされる。「太陽が眩しかったから」撃ったと、その時の状況をありのままに言えば、笑われるーーイマドキの言葉でいうと、「カンケーねぇだろ!」という理由で死刑判決。不条理である。

 そして、ラストで、ムルソーという人間像の真の意味がわかる。
 <生存の与件がすべて消え失せた後ににんげんは何によって自らの理由をみたすのか>
 「私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。そして、その後は? 私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。」(窪田啓作訳)

 <如何なるものも自らの理由によって存在することはない しかもわたしはわたし自らの理由によって存在しなければならない> 
 「私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない」ーーここで、初めて、不条理の哲学的意味を追求してもよいであろう。ムルソーという存在を無神論で片が付けられるなら、ニーチェ先生も狂わずにすんだ。無神論が真に無神論であったためしがない。単にキリスト教に疑義を抱き、アナーキズム(教)なり、共産主義(教)なりに宗旨替えしただけのことである。ユバル先生にいわせれば、〇〇教というフィクションから××教のフィクションに鞍替えしだけのこと。存在の不条理(実存)から眼をそらし続けるために、至上の価値、空中楼閣にすがりつく。

 カミュの同時代人であるサルトルは実存哲学と政治の間をウロウロで、最後の最後までロシア版マルクス主義(スターリニズム)の幻想(呪縛)から自由になれなかった。カミュはどうであったか。サルトルのずっしり重そうな実存哲学に対して、反抗的人間という見かけはさえない「抵抗する人間」、あらゆる暴力を拒否するという立場だけで抵抗しようとしたカミュは。
 カミュ的人間(=最初の人間)はシジフォスの苦行に耐えるのである、なにものにも頼らずに、「存在そのものの不条理性」を単身我が身に引き受ける人間である。「私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない」ことに耐える人間である。不条理に生きるではない。不条理に抗して(不条理に加担することを拒否して)生きる人間である。ムルソーが不条理を体現しているのではない(よく誤解される)。世界が不条理なんである。世界の不条理生に抗するのがカミュの文学的営為である。世界の不条理、それはペストのように見えない力で存在を脅かすもの。さて、「ペスト」を再読しよう。

<わたしはただありふれた真昼と夜とを幾何学の曲線のように過ぎてゆくだけであった ひとびとが実証と仮証とをうまく取りちがえているその地点を!>
  ( ̄Д ̄)ノ
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017

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