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ありふれた祈り
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ありふれた祈りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.35pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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物語の舞台は、1960年代初頭のミネソタ州の田舎町です。常に穏やかで敬虔な 牧師の父ネイサン・フランクと美しく芸術家肌の母ルース、家族思いで音楽の 才能豊かな姉アリエル、吃音症はあるものの聡明な弟ジェイクと共に暮らす 13歳の少年ドラム。 しかし、平穏だった日々の暮らしは、近所に住む幼馴染のボビーが列車に轢かれて 死亡したのをきっかけに、徐々に打ち砕かれていきます。 本書は、「アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)」の「最優秀長篇賞」をはじめ、 4大ミステリ賞の最優秀長篇賞を独占し、「ミステリが読みたい! 」では第一位に輝いています。 ミネソタ州の豊かな自然と、思春期の少年ならではの豊かな感性に満ちた細やかな視点で 語られる、ある夏の物語。まるで、一遍の長編映画を目にしているかのような臨場感と 満足感を得られました。 | ||||
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1961年、ミネソタ州の田舎町。13歳のフランクは、牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉や聡明な弟とともに暮らしていた。ある夏の日、思いがけない悲劇が家族を襲い穏やかだった日々は一転する。悲しみに打ちひしがれるフランクは、平凡な日常の裏に秘められていた事実を知ることになり…。 | ||||
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久々に出会った良い作品でした。主人公フランクと弟ジェイク、特にジェイクの成長過程の描写が良かったです。「ありふれた祈り」という言葉が出てくる場面が、非常に良かったです。英文でも読んでみたいです。 | ||||
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古本なのにとても綺麗だった | ||||
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主人公は13歳の少年。あと彼の目を通して描かれる弟くん。 13歳の世界は狭い。少年にとってもまた、数年前から住む街が彼の世界のすべてだ。 だがその夏、狭いはずの彼の世界ではあらゆることが起こった。とるに足りない些末なことから、すべてを見失いそうになる恐ろしい出来事まで。 語り口が瑞々しい。はっとさせる比喩がつぎつぎ出てくる。 見あげた空、眼下の眺め、雨と風。人々の息づかい、その魅力、怒りや悲しみ。アタマに浮かんでくるイメージがあまりにも鮮やかで、途中何度も読む手を止めた。 主人公の少年はやがて、おそらく彼の人生を照らし続けるであろう何かを手にする。 鮮やかなイメージの数々はその経緯を、彼のかたわらに立ってつぶさに見届けたような思いにさせてくれる。むーん。小説ってすごい。 あと関係ないけど少年くん。立ち聞きしすぎやで。 | ||||
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賞をとったりしていて前から読もうと思っていて読書。一気に読んでしまいました。 スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」、ロバート・R・マキャモン「少年時代」のような少年物や、 トマス・H・クックの「記憶」シリーズのような味わいがある。 これらを好きな人にはお薦めです。 | ||||
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ひと夏に起こった悲しい事件と事故を13歳フランクと11歳ジェイクの兄弟が経験する。バラバラになりそうな家族の危機を乗り越えて成長していく物語。そしてインディアンの言葉が全てを網羅する。"死者と私たちを隔てているのは、ほんのひと息、最後の一呼吸に過ぎないが大きな意味を持つ" 作者のコーク・オコナーシリーズに出てくるインディアンの生き方、感性に通じるものがあり、また続きが読みたくなってきた。シリーズの翻訳が再開される事を期待している。 | ||||
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久々に心震えるミステリ。スタンバイミーの鉄橋シーンを思い出す。大人になった主人公が少年時代に起きた出来事を回想する設定も似ている。しかし、ナイーブで悔恨に満ちた少年時代へのオマージュ、弱者への視点、神の存在。S・キングにはなかったものがここには溢れている。幸福とは、不幸が続く、ほんのひと時に訪れるものだ。 | ||||
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淡々と進む前半。焦らずにのんびりと余裕のある時に、どうぞ。後半から、軽くぐいぐい進みます。ミステリーと子どもたちの成長の物語。 | ||||
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心にしみる切ないミステリーです!雰囲気はレイブラッドベリの『たんぽぽのお酒』を彷彿とさせます。ミステリーなんだけど傷ついた家族の再生の物語でもあり、どんなにつらい現実でも最後には救われる道があるんだなあとしみじみ思いました。題名の、ありふれた祈りのエピソードにはグッときました。おススメです。 | ||||
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宗教小説の様でもある。13歳と11歳の兄弟を主人公にしてひとりの少年の死から始まる、ひとの死を心に重く受け止めながら、少しづつ日常という幸福が壊れていく様子を少年たちの目をとして語られている。悲しみ、苛立ち、怒り、喪失感どうしようもない感情を少年なりに乗り越えていく様子が二人の会話と心模様の描写でリアルに描かれている。少年の目を通して描かれているために一瞬青少年向きの小説かなと考えてしまうこともあったけれど、決して青少年だけの読みものではない。主人公の40年後の回想という書き出しでした。本格ミステリ、探偵物は期待できないが、これもひとつのミステリ=神秘≒奇跡なんじゃないかな。読み進めて「ありふれた祈り」というタイトルに気付くとき、愕然と心が震えます。 | ||||
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過去のアメリカで主人公の少年が家族を殺され・・・というお話。 トマス・H・クック、トム・フランクリン、、ローリー・ロイ各氏の小説を読むと、最近の英語圏のミステリ作家の趨勢が判ります。昔の本格推理小説の様に技巧を凝らして読ませる作品より、小説として成熟しているかが問われるというか。このクルーガー氏の作品でも過去のアメリカで起きた、ドメスティックな殺人を扱って、そこから起こる人間関係の波紋や葛藤を描いて読ませる小説になっております。なので、謎解きミステリとしての衝撃やどんでん返しはあまりありませんが、上質の小説を読んだ、というカタルシスを感じました。 ロイ氏の作品のレビューでも書きましたが、最近の日本の技巧的な推理小説が英語圏や他の言語の翻訳されて、評価は高いですが名のある賞はなかなか受賞できない理由もこの辺にあるのかとか、思いました。個人的にはかつてのロス・マクドナルドが創作していた様にノヴェルとしても上質で技巧的にも優れた小説を読みたいと思っておりますが、最近はそういう小説のフロンティア・ラインは消滅したとの諦念が欧米の読書界に広まっている様で、何となく複雑な気分になります。まぁかつてのシムノンの推理小説などもあまり技巧的ではありませんでしたが・・・。 アメリカで名のある賞の4冠に輝いただけはある小説というのはよく理解できますが、最近こういう小説を読む機会が増えたので些か食い足りない気分になったのも真実で、決してこの小説やクルーガー氏の才能に問題がある訳ではないですが、こういう点数にしておきました。すいません。 欧米の推理小説の動向が伺える上質なサスペンス。機会があったら是非。 | ||||
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ずいぶん以前からなんとなく気になっていたウィリアム・K・クルーガー著『ありふれた祈り』を入手して読むことにした。 著者の履歴を調べたら、好きな作家は、アーネスト・ヘミングウェイ、ジョン・スタインベック、F・スコット・フィッツジェラルドなどと語っていた。 先日評者が何年ぶりかで再読したジョン・グリャムの『ペインテッド・ハウス』も、この『ありふれた祈り』も同じジャンルの小説のように感じてしまったのである。 グリシャムもハイスクールのころ愛読したのがジョン・スタインベックだと語っているから、この二人だけでなくアメリカの作家の普遍的な思想性を表しているのかもしれない。 スティーブン・キング原作『恐怖の四季』という中編集のかなの一作で映画化された「スタンド・バイ・ミー」もアメリカの地方の小さな町で少年が体験することを一人語りで構成されているところなど共通しているのではないだろうか。 アメリカでは、とくに50年代半ばから60年代半ばまでの少年を主人公にして回想するミステリや小説が多いように思う。 その時代の少年が体験した事件などをモチーフにした小説は、多くのアメリカ人の琴線に触れる何かがあるようである。 本書のなかでラジオから流れるデル・シャノンの「悲しき街角」などを描写するところなどは、日本でも流行っていたから評者も郷愁を感じてしまったのである。 この『ありふれた祈り』の舞台は、アメリカ中北部のミネソタ州(北にカナダと国境を接し、東は五大湖のひとつスペリオル湖に面していて、西北にノースダコタ州、西南にサウスダコタ州、南にアイオワ州)のミネソタ・リバーに面したニュー・ブレーメンという町(著者の創造した架空の町)の牧師一家に突然襲う家族の死をテーマにしている。 語り手である主人公のフランク・ドラムは、牧師であるネイサンの三人の子供である姉弟の長男であり、この事件当時十三歳の少年である。 父親のネイサンは、第二次大戦での過酷な経験から弁護士への道を捨てて牧師となった人である。 母親のルースは、弁護士の道を捨てた夫に不満を持ちながらも、娘のアリエルがジュリアード音楽院へ入学することも決まっていることから、娘の将来を期待しながら教会の聖歌グループの指導者としての日々を過ごしている。 弟のジェイクは、生来の吃音を苦にしているが、兄のフランクに庇護されながら、この事件の起きる1961年の夏を迎えていた。 この物語の事件は、町に面して流れるミネソタ・リバーに沿って走るユニオンパシフィック鉄道にある長い”構脚橋”で、すべて始まる。 ネタバレになるからこれ以上書くことを止めるが、プロット構成といい、流れるようなストーリー展開といい、読みやすく、(宇佐川晶子氏の翻訳の巧さにより)とにかくよく出来た作品である。 神、信仰、死、人種差別、富裕層との格差、など考えさせられる重いテーマを物語の随所に組み込みながら読者に投げかける書き手としての上手さも感じてしまった。(著者の思想や哲学もうかがえる) 本書に登場するネイティブ・アメリカンであるウォレン・レッドストーンが主人公のフランクに、「死者はわたしたちからそんなに遠くないところにいるのだ。彼らは私たちの心の中に、意識の上にいつもいる。とどのつまり、彼らとわたしたちをへだてているのは、ほんのひと息、最後の一呼吸にすぎない。」と、語った下りを読みながら、信仰など無縁の評者ではあるが、心に深く沈殿するような警句だと感じながら読んでしまった。 就寝前だけでなく、時間があるとつい本書を手にしてしまって読み進んでしまったので早く読み終えてしまった。 さすが、エドガー賞長編賞受賞、アンソニー賞長編賞受賞、マカヴィティ賞長編賞受賞、バリー賞長編賞受賞という栄誉を受けた作品だと思うし、評者は、本書を読み進みながらミステリというジャンルとしての作品以上のものを感じながら読み進んでしまった。 ただ、ひとつだけ難をいわせてもらえば、姉のアリエルを殺した犯人が誰なのかをミステリファンならかなり早い時期に探偵できてしまうだろうことであった。 ミステリ小説というより伝統を継承するアメリカ文学として捉えるなら些末なことかもしれないが・・・。 | ||||
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久しぶりに読み応えのある感慨深い作品に出会えた気がする。 ミステリであり、純文学であり、人生の指南書とも言える物語だ。 強く心を揺さぶられる、というよりは、しんしんと心に響くような、 読んだ後も余韻が残るようなストーリー、そして登場人物たち。 主人公が少年期から青年期へと移り変わる繊細な時期に遭遇する痛ましい事件。 彼らのまわりの大人たち、そして家族、 それぞれの思い、生き方が交差し、あるときは寄り添い、 そしてあるときはぶつかり合い、 こうやって人は人生を歩んでいくのだ、と教えられる。 人生はきれいごとではない、と作者は訴えながらも それでも、神を信じること、人を信じること、愛することが 希望へとつながるのだと説いている。 絶望の果てにも希望はあるのだと。 身のまわりの小さなことに目を向け、 ささやかな一日を大切に過ごしていきたい、と 改めて感じた。 | ||||
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一応、殺人は起きる。そして、謎解きもある。だからミステリーなのだと思うが、正統派のミステリーとはちょっと違う。というか、ミステリーとしての評価は大きく分かれそうな作品である。 13歳の主人公が語り手とした、家族の物語として読む方がいいような作品だ。たんたんと語られる物語が、私は好きだ。 | ||||
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この手のミステリはほとんど「タイトル買い」で選んでおり、今回も同様です。というより、ハヤカワ・ミステリのラインナップに入ったときに気になってはいたものの、熱心なミステリ読みではないので後回しにしていました。 好みとしては非常に好きなタイプの作品です。サスペンス要素はあまりなく、どんでん返しもない。ミステリとしての謎解きも予想通りだったのですが、夏の日射しを背景とした日常の緊張、人間関係の濃密さが事件を生む小さなコミュニティの闇、戦後アメリカ中部の宗教観や人間観の清濁両面、これらが三面記事的なスキャンダラスな不快感を伴わず、少年のビルドゥングズロマンの一部として美しく哀しく語られていきます。 語り手である主人公の弟が非常に魅力的です。一人称形式でありながら、過度の肩入れや、勝手に弟の心理を斟酌したりするエモーショナルな表現に陥らず抑制を効かせているため、その特徴が一層際立ちます。 その割には「現在」の語りの部分が少し饒舌に過ぎる気がしたのが残念なのですが--そのため全体のストーリーが通俗的な印象におとしめられてしまったような--それでも十分満足な作品でした。ミステリといっても静かな物語をお好みの方なら必ずやお気に入ることと思います。 | ||||
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4大ミステリ賞の最優秀長篇賞を独占し・「ミステリが読みたい! 」で第1位に輝いたように、名実ともに素晴らしい。 | ||||
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フランクという男性が少年時代のことについて語ります。 彼は姉の死という悲劇に見舞われます。 しかし、そのことにより様々なことに出会い、成長していきます。 少年は聡明で、語り口は切なく、味わい深いです。 ミステリとしてもいいですが、青春小説としても素晴らしいです。 大人の入り口に立った遠い日をほんのり思い出してしまう、そんな小説です。 | ||||
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途中で何度か読むのを放擲しようかと思いました。 ストーリーの起伏がなく、かったるい。 「だから何なんだよ!」と突っ込みを入れたくなる。 ――しかし、我慢して読み続けていくと、半ばを越えたあたりから物語世界が大きく動き出す。 あとは、もう、一気読み。 そして、前半の退屈に思われた部分のそこかしこに伏線が埋め込まれていたことに気づいて、そうかそうだったのかと感心します。 こけおどしのトリックやこれ見よがしのどんでん返しを弄するのではなく、こうした緻密な構成がミステリーの味わいを深めています。 | ||||
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時代は1961年の夏、そして舞台はミネソタ州の小さな田舎町。 13歳だった「わたし」フランクは、牧師の父、母、18歳の姉と11歳の弟と暮らしていた。平凡な夏がまた過ぎようとしていたはずだったが、ボビーという名の近所の少年が列車にはねられてなくなったのを皮切りに、多くの命が失われていくことになる。 アメリカ本国では2013年に発表され、日本では今年2015年発表の「このミステリーがすごい! 2016」で海外編の第3位にランクインした作品です。この物語を大いに堪能しました。 60年代初頭のアメリカですから、子どもたちが大人のつきそいもなく町を歩いたり、缶ビールに穴を開けて飲んだり、ダコタがまだ準州だったり、走っている車はパッカードだったりと、大戦後の1950年代の繁栄と安寧を謳歌していた時代のアメリカが、そこかしこに顔を出します。 物語の要諦は事件の謎解きにはありません。むしろ13歳の少年が、つまり初めてteenとつく年齢に達した男の子が、人の生き死にを目のあたりにして、少し大人になっていくひと夏の成長を描いていることにあります。 そこでは彼の「ありふれた」日々が一度は音を立てて崩れていきながらも、それでも再び「ありふれた」日々へと回帰していきます。そのことの気高さが確かな筆致で綴られていくのです。 「奇蹟を信じていようといまいと、いつかきっとみなさんがそれを経験することをわたしは断言します。みなさんが求めた奇蹟とはちがうかもしれません。一度おこなわれたことを神が元に戻すことはおそらくありません。みなさんが朝に起き、新たな一日の驚くような美しさをふたたび見ることができる、それこそが奇蹟なのです」(248頁)。 物語の終盤、フランクとともに弟のジェイクもまた、この夏、ひとつの成長を遂げていく姿が胸を衝きました。 「弟の中にいた子供はどこにも見当たらなかった」(381頁) まさしく上質な教養小説(ビルディングス・ロマーン)を読んだという思いを強くしました。 *同じく殺人事件をきっかけに成長していった少年時代を主人公が回想する優れた物語にRobert McCammon『Boy's Life』があります。 ------------------------------ 訳者の宇佐川晶子氏の見事な翻訳にも助けられ、この小説を日本語で楽しむことができました。ですが残念ながら二か所だけ和文に誤りがありましたので、増刷、あるいは文庫化の際に修正されることを期待して、以下のとおり指摘しておきます。 *385頁:「今日は他の予定があるため、今日はわたしたち三人だけだ」とあります。「今日は」という言葉が重複しています。原文は「...and today have made other plans so it’s just the three of us.」と「today」は一度しか出てきません。 *388頁:「アメリカの独立戦争を例にとってみよう」とありますが、原文は「Take the American Civil War.」とあるので、「アメリカの南北戦争を例にとってみよう」の誤りです。事実、この文章のあとに「包囲されたアメリカ南部連合国の居住者の語った歴史は、勝った北部諸州側によって喧伝された歴史とは全く異なる」と、南北対立に関する記述が続きます。 | ||||
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