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(短編集)
女のいない男たち
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女のいない男たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全328件 221~240 12/17ページ
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久しぶりに軽く楽しく読めました。短編集としては当たりの本です。 | ||||
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久々の村上作品短編集です。期待通りの1冊となりました。 どの作品にもこの作家独特の味わいがあり、長編とはまた違った趣があります。 やはり世界のムラカミだ! と腑に落ちた。 | ||||
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相変わらずセックスだけはどんな状況下だろうとヤれる機会はけして逃さないのな。目の前に置かれたメシは必ず喰う。あまり美味しくはない、とか、心ひかれるもんじゃない、とか言い訳しながら(苦笑)じゃあ喰うなよ。 ろくに相手(女や過去)と向き合うこともせず、僕らは孤独なんだ分かり合えないんだぁぁ(爆悲)とオッサンがひたすら嘆く嘆く物語(哀) 僕らは女のいない男たちなんだー云々言ってましたが、処女厨の童貞がまかり間違って結婚して離婚してオッサンになったら、こういう男になる気がする(笑) 最後の短編の「女のいない男」とかさ、元厨二病童貞の妄想炸裂w 何?この穴兄弟(失礼w)の傷の舐めあいの一人芝居。キモいわ。 過去に付き合った女の子で自殺したのは3人目で、「僕のせいでなければいい」とか宣ってるけどさ、いやそれ、絶対あんたのせいだろ。なんで旦那が電話してきたか考えろよ(呆) 男(20代)からみてもムリだわ、こんなオッサン連中。女性読者で好評価つけてる人の気が知れない。 それから何より、女達に魅力がない。というか影薄い。ドライブ・マイ・カーの家福の妻とか、綺麗だの素敵だの、誰でもいえるような誉め言葉ばかり。そりゃ女優なんだから綺麗だろうさ。で?それを抜きにした彼女の魅力は?浮気してました、気がついたらガンが進行してました、死んじゃいました、僕にはどうしようもありませんでした、素敵な女性だったのに悲しいです。はい終わり。 妻の浮気相手の年下男とオサレなバーで飲み、相手の男に対して理解があって懐のでかい大人の男を気取りながら、心の中では、俺の方が上だもんね〜あいつ絶対大成しないタイプだよ、僕にはわかるんだもんね〜と意地をはる。つまんねぇ昼ドラみたいだな、おい。舘ひろしで脳内再生しようと思ったけど、舘ひろしに失礼だわ。 こんな男、孤独になって当然だよ。これからもずっと孤独で、誰ともろくに関われずにジジイになっていくんだろうよ。 | ||||
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エッセイ集「村上ラヂオ」の中で、新人賞受賞時編集長か誰かに「君の小説には問題がある」と言われたことに対し、当時は腹を立てたけど現在は「そうです。問題あるんです、元々。」というスタンスである、みたいなことを言っていた。 元々賛否両論の人。注目集め批判も比例し多くなったと、そんなところか。 「木野」もそこはかとない哀愁と奇妙さ、不可解さもあって、シブいし、多くの支持も得てるようで自分も好きだけど、あまり注目している人がいないタイトル同名の「女のいない男たち」という短い、衝動のままラフに書かれた、力強いシュールな油絵のような作品に、純度の高いムラカミワールドを感じたし、文学的価値もある気がした 真夜中に不吉な電話が鳴り響く。ねじまき鳥でもあったが、よく分からん電話が鳴るみたいなのは他にもしばしばあった気がする。なんてことなく村上春樹の常套手段で始まり、"そこはかとなくよう分からん"うちに、そこはかとない自意識の世界を展開して陶酔させるというものが、問題あるけどそこはかとなく美しきムラカミワールドであり、ノルウェイの森も然り。自分の目にはこの作品がその美学の凝縮、結晶に見えた そういうものを、多過ぎる支持や批判、ノーベル賞候補なんかの抑圧で損なってしまったんじゃないか。近年の長編は美学の純度が低い。本来ディープな人達のみに、それこそアンダーグラウンドなサブカルチャーとして愛されるべき美学だったかもしれない。それがワールドクラスになってしまって、別に良いんだけど、ワールドクラスのメインカルチャーという呪縛にスポイルされたのでは。 ワールドクラスなサブ・ハイカルチャーとなってはいかがか。女のいない男たちは、そんなポテンシャルを感じさせたりもする作品だった。本当に書きたいものを、書きたいように書き続けて欲しい | ||||
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朝から晩まで読みました 鮮やかな情景が目に浮かびます 人として大切なことを学びました | ||||
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全体的に春樹テイスト溢れる描写で悪くないが、短編だけにストーリーがタンパクで物足りなさあり。 | ||||
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村上春樹好きなので購入しました、まだ読みはじめたばかりですが、既に面白いです。 | ||||
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年をとると生きていくのに大事なことはどんどん減ってくる。 若い頃は体裁や野心や欲望に囚われて目移りしていたことも経験してしまったり、諦めてしまったりでだんだん気にならなくなってくる。 その中でも擦り減らない大事なことがあって、それを村上春樹さんは書いている。 この作品集には色んな男と女のことが書かれていて、どのエピソードも捻じれていて、うら寂しい。 若い時は心が触れ合って、身体が繋がればそれで完成、と思っていたがもちろん男と女はそうではない。 むしろそこからだ。 わかりあっているように思っていても実はそうでなかったり、 既に心が離れているようでもそうでなかったり、 心は触れ合っていないのに身体だけが先行していたり、 そもそもわかりあえていない片思いにも色んな形態があって、 そのディテールを春樹さんはリアルに、そのときめきや焦燥や乾きや悲しみが浮かび上がるように描写する。 お家芸のメタファーも秀逸でファンは思わず膝を打つだろう。 年を取ってたどり着いたところが色恋沙汰かよ、と思う向きもいるかもしれないが、 つべこべ思わずに読む。 そして経験値が少ない人は、自分も経験する、ということをお勧めしたい。 何しろ人生は一度きりなのだ。 そして結局人生とは男と女のことなのだから。 | ||||
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村上春樹の短編集は初めてだったが、とても読みやすく一気に読み切ってしまった。 | ||||
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さすが村上春樹の小説です。読んでいてすごく楽しい。あの続きは?と思わせる独特の終わり方も好きです。 | ||||
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登場人物がたばこの吸い殻を自動車の窓から投げ捨てるシーンでの記述に、地方住民から抗議の投書がなされ、話題が先行した短編集。村上春樹が、それだけ世間の耳目を集める作家であることを再認識したエピソードであった。 虚空に震える魂をえがいたような「東京奇譚集」以来の短編集になる。「まえがき」が、作品を読む前の食前酒のように味わい深い。 「ドライブ・マイ・カー」のように具体的な断章のような作品と、「女のいない男たち」のように抽象的な観念小説に挟まれ、具象と観念の割合を変えながら6編がまとめられている。 「木野」の雰囲気が、どことなく「1Q84」に似ている。 軽やかさと哲学的な思索が適度にバランスをとった作品集だ。 | ||||
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村上春樹氏の短編6編が収められた最新刊です。 評者にとっては「神の子どもたちは皆踊る」以来の久しぶりの短編でした。 本書では「パートナーを喪失した男性」を主人公に据えて、性と死を暗示する物語が描かれていました。 村上作品は自身にとって「意味がつかめない」にも関わらず心魅かれる不思議な物語だと感じてきたのですが、今回初めてファンタジーやシャーマニズムに共通する「原型的なイメージ」を想起させることに気づきました。 たとえば五話目の「木野」では、主人公は善良ではあるものの、本来引き受けるべき役割や感情を避けた結果、その代償として「何か」に追われることになります。 同様のものはファンタジー小説「ゲド戦記」でもテーマとしていて、主人公ゲドは「影」という謎の存在に追われ続け、最終的には逃げることをやめて影と対決することで強力な力を手にする、というストーリーとなっています。 こうした暗喩は神話に始まり、西洋魔術、南米のシャーマンの世界から、心理学などにも幅広く見られて興味深いと感じました。 その意味ではこの「木野」が最も呪術的な物語だといえるのかもしれませんが、同じ気配はそれ以外の作品でも感じられました。 このように村上作品は潜在意識の奥にある原型的なイメージの断片をすくい上げて物語に取り込むからこそ、読者の、まだ顕在化していない意識が共振して胸打つのかもしれない、と感じます。 ただし類書と決定的に違うのは、結末を最後まで描かず、読者を突き放していることです。 そのため私達は深い余韻を残して欲求不満のまま、次の作品をつい手に取ってしまうのだろうと感じます。 村上作品は評者にとっては、どうしても掴み切れないもどかしさを感じさせ、レビューを書こうとしてもうまく言葉が出てこず、中々キーは進みませんでした。 それでも胸に広がる余韻を忘れないように、備忘録としてここに残しておきたいと思います。 | ||||
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購入してから、しばらくもったいない気がして読むのを我慢していたら読むタイミングを逃してしまって、今に至りました。 ちょうど私生活で失恋?の痛みを味わっていて、 それでもこの年になると、うまく泣くことが出来ずもんもんとしていた私。 この本を読んで、自然に泣くことが出来ました。 特に心を動かされたのは「独立器官」 最後の方の文章は読んでいて涙が止まらなかったです。 こんな風に人の心を動かす文章をかけるというのは、やはり羨ましくもあり すごいなぁと感心しますね。 自分の心のもやもやをクリアにしてもらったようで、とてもすがすがしい気持ちになりました。 失恋には至らなかったけれど、恋人に対する心の持ちようにも少しゆとりが出来たような気がする今日この頃。 またゆっくりいろんなタイミングで読み返して味わっていきたいと思います。 | ||||
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自分用に買いましたがなんとなく読まずにいました。 娘が喜んで読んでます。 | ||||
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とはいえ 有名になり 読む人の絶対数が増えると結構不思議な読み方をする人が散見するようになるのだが、読む前に先入観ある情報に接触せざるを得ないからなんだと 初めて村上春樹を読んだ知人を見て思った どちらかというと 分かりやすい方に思えるのだが、 ま どう読もうと 勝手なのだが、、 | ||||
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女のいない男たちを描いた短編小説。 小説前半の作品は、それなりに理解できて楽しめた。 特に「独立器官」は、切なくて心が締め付けられるようであった。 小説後半の作品は、あまり理解できなかった・・。 | ||||
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日々の暮らしが奇跡的に豊かになり、どんな病気や怪我も克服できる状況にある現代においても、いまだ謎であるのが、恋の病だ。普段はどんなにまともな人間であっても、本当の強烈な恋に落ちると、自分でわかっていても「わけがわからなくなる」「おかしくなる」「制御がきかない」という病が発病し苦しみと幸福の中で身もだえることになる。それはどうしようもなく24時間絶対的で、苦しく、逃れるすべはまだない。そのことがこの本には書かれていると思う。既婚者だろうが未婚者だろうが、女だろうが男だろうがはモラルを遥かに超えて意味をなさない。本当にどうしようもない、救いようのない、どうにもならない、許されない本物の強烈な恋を一度でも経験したことのある人間なら、この小説は満点をつけざるおえないのではないかと思う。私はその一人だと思われる。救われない修復できない強烈な恋の病がきちんと描かれているこれ以上の小説を私は知らない。 | ||||
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何処が面白いのかさっぱりわからなかった.この作家の書いた文章(小説,エッセイ,紀行文)が沢山の人に受け入れられる事自体“理解不能”である. | ||||
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1Q84、色彩を持たない・・・と巡り巡って大衆小説化してしまったかのような村上春樹の小説にがっかりさせられていました。この女のいない男たちでは彼のペンの力が衰えるどころか力強くより鋭く深化していることが感じられ、ホッとしました。やはり、私は村上春樹の世界に強く惹かれます。そして、愉しむように作風を調節しながら色々な村上ワールドを見せてくれています。 | ||||
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小説の語りくちはあいかわらずうまい。 しかし、 「ドライブ・マイカー」「イエスタデイ」「独立器官」は普通の恋愛もの(不倫もの、浮気もの)としか読めない。残念ながら。 「シェラザード」「木野」あたりで少しづつ村上節が出てくる。 「女のいない男たち」で全体をまとめようとしている。(まえがきにもある) 作家に「なぜこのような本を書いたのか?」と聞くのは愚問だろうが、「1Q84」からはじまった村上の迷走は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、本書と混迷の度合いを深めているように評者には思える。過度に「性」に傾きつつある作風は(その必然性が良くわからないためだが?)、読み進めるのが少々つらい。 筆者はどこへ向かおうとしているのか? | ||||
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