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(短編集)
女のいない男たち
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女のいない男たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全328件 161~180 9/17ページ
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村上春樹の小説を初めて読みました。この本は短編小説です。 難しい言い回しが殆どなく、どの話も入り込むのに時間がかかりませんでした。 しかしなるほど、精神を描いた作品であり思いを巡らせながら読むのがとても楽しかったです。 私はキリストや聖書に疎かったので「木野」はとてもモヤモヤしながら読みました。 どう解釈していいのかわからなかったのです。 けれど後から登場したキャラクターにまつわる話を調べると「なるほど」と面白いわけです。 自分の中でストーリーがすっきりと落ちた分、その話が一番思い入れが強くなりました。 恋の話とは少し違いますね。女性という存在を通してうごめく人の心(精神)が垣間見えます。 | ||||
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まるで現代国語を読まされてる気分になった。 村上ファンだが、いただけない作品だと思った。 | ||||
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もっと哲学的な内容の物語かと勝手に期待していましたが、ほとんどセックスの話ばかり。 | ||||
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ひさしぶりに村上春樹の小説を読んだけど、面白かった。 『イエスタデイ』の主人公は、ちょっと村上作品には珍しい感じの人だと思った。 「僕は昔から人見知りするくせに 、好奇心だけはけっこう旺盛なのだ 」って、わざわざいう主人公キャラはいなかった気がする。 『木野』は、『眠り』に通じるような悪夢的な展開で、面白く読めた。 『女のいない男たち』はちょっと意味がわからなかった。 | ||||
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昔よく読んだ村上春樹。短編ということもあり、手を出してみました。語り口とか設定とか、「ねむり」とか「レーダーホーゼン」に近い印象を得ました。鮮やかな色彩よりも灰色に近いイメージ。すごくしっくりときて、すごく集中して読むことができ満足です。 (あくまでも個人的な感じ方でレビュー書いてしまい、すみません) | ||||
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村上春樹さんの世界がコンパクトにでも深く楽しめました | ||||
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いつもどおりの村上春樹の小説という感じで特に目新しいことはない。作者の語りというか説明的な文が多いくらいか。「ドライブ・マイ・カー」と「シェエラザード」がまあまあ楽しめた。「ドライブ・マイ・カー」で前半のドライバを雇うところは期待させたが、後半のぐだぐだした話はつまらない。「木野」では、冴えない男がいい女とセックスするといういつものパターンがあり、後半の部分で蛇に意味を持たせるところが受け入れられなかったし、恐れの対象がぼんやりし過ぎ。村上春樹の小説にはよく出てくるが、木野の伯母のように論理的に話をする女性に私は会ったことがない。最後の「女のいない男たち」は意味がよくわからない。この短編集を評価している人たちは、サザンオールスターズの曲が好きな人と同じで、似たような曲だけどそれを聞くのが好きという人たちなんだろう。 | ||||
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「中国行きのスローボート」のような初期短編集は、読みやすかった。説明的な文章が少ない、ヘミングウェイのような文章。改行も多く、場面もつぎつぎにうごく。だからぐいぐい読める。比喩も嫌みがない。村上が好きな、チャンドラーが使いそうな比喩もある。 翻って、この作品集は、展開がゆっくり。同じ場面の描写が長い。説明的すぎる。まったりと話がすすむから、読んでいて辛抱が必要になる。比喩もあるけど、あまり生きていない。「イエスタディ」は、書き出しは宮本輝の短編のような趣があって面白かったが、中頃からの展開に面白みがない。「象消滅」を想起させるところもあるのに、どうしてか。 そんななか、「シェアラザード」は良かった。他と同じような文体だが、もたついた感じもない。男女の行為も、初期短編集のように即物的に描かれている(さすが、年齢を重ねた男女だから、乾いた描写にはなっていないが)。村上の長編によく出てくる、ネズミ、羊、猫、、、そして騎士団長、のようなストーリーに寓話性をもたらす狂言回し的存在が、ここで出てくる、やつめやなぎだ。非現実的な男女関係に、清涼感を吹き込んでいる。 | ||||
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小説において作者は神であるわけですが、その神とて小説が進むにつれて必ずしも作中の人物をコントロールできるとは限りません。しかしこの短編集においては、神が少々子どもじみていて、なんでも意のままにしなければ気に入らない駄々っ子のよな印象を受けました。まわりくどい描写が好きな人にはよいでしょうが、私の好みの小説ではなかったです。 | ||||
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短編にしては十分に楽しめる。村上春樹らしい味わいがあり、どこかよくわからない結末もよい。タイトルになっている「女のいない男たち」が一番訳がわからなかった。「独立器官」に登場する医師の話は、もしかして実話なのかもしれないと思いながら読んでいたが、最後まで読んでみるとフィクションのよう。そんな想像をしながら読むのも楽しかった。 | ||||
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本書は、『ドライブ・マイ・カー』『イエスタデイ』『独立器官』『シェエラザード』『木野』『女のいない男たち』の6編で構成された短編集である。 本書が単行本で出たのは2014年4月だった。著者である村上春樹氏の「まえがき」によると、2005年の『東京奇譚集』以来9年ぶりの短編集とのことである。 本書を読み終えての感想は、一言で言うと「面白かった」というものだった。 タイトルから分かるように、本書に含まれている6編は、いずれも死別・失恋により、女のいなくなった男たちをテーマにしている。 『ドライブ・マイ・カー』は、妻と死別した中年俳優が、無口な女性ドライバーを雇い、彼女の運転する車に乗りながら徐々に過去の苦しい思いを打ち明けていく物語である。 『イエスタデイ』は、ユーモラスで深刻な若者の恋の物語である。 『独立器官』では、52歳の独身医師が16歳若い女性と深い恋に陥る。 『シェエラザード』では、女子高校生の純粋と狂気の同居した恋が語られる(本編だけは、女のいなくなった男の物語ではない)。 『木野』では、妻の不倫をきっかけに会社を辞めバーの経営を始めた男が、奇妙な出来事に遭遇するようになる。本作には、今年出た『騎士団長殺し』につながる要素が含まれている。 『女のいない男たち』は、真夜中に昔の恋人の自殺を知らされた男の心境が語られる。 評者が最も印象に残ったのは、最後の『女のいない男たち』だった。 本作は掌編だが、「女がいなくなる」ということがどのようなことなのか、どんなに苦しく絶望的なことなのかが、そのままずばり語られている。 「女のいない男たちになるのがどれくらい切ないことなのか、心痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。素敵な西風を失うこと。十四歳を永遠に奪われてしまうこと。遠くに水夫たちの物憂くも痛ましい歌を聴くこと。アンモナイトとシーラカンスと共に暗い海の底に潜むこと。夜中の一時過ぎに誰かの家に電話をかけること。夜中の一時過ぎに誰かから電話がかかってくること。知と無知との中間地点で見知らぬ相手と待ち合わせること。タイヤの空気圧を測りながら、乾いた路上に涙をこぼすこと。」(291頁) 「女がいなくなる」ということは(男のいなくなった女性も同様だろうと思う)、人生において他にあり得ないくらい、大きな苦しみと喪失感と絶望と一生消えない傷をもたらすものなのだ。 村上春樹氏は「まえがき」で、自分は長編を書く方が体質に向いており、短編をあちこちに切れ切れに書いていると力の配分がうまくいかないので、短編を書く場合は6、7本を集中してまとめ書きする旨を述べている。 確かに、村上氏のこれまでの創作活動を顧みると、その中心をなすのは明らかに『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海のカフカ』『1Q84』といった長編、それも大長編であることは、各作品の出来不出来は別にして、間違いない。 短編小説は、長編を書くことの手すさび、余技として書かれたに過ぎないような印象を受ける。 評者は、村上氏の長編よりも短編に好きな作品が多いのだが…。 昨年出た大長編『騎士団長殺し』は、68歳になった同氏の創作力の衰えを感じざるをえないものだった。しかし、本書を読むかぎり、村上氏は、短編の分野では、まだまだ十分な才気と創作力を保持しているのではないだろうか。 | ||||
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数年前、本屋で見かけて気になりましたが買いませんでした。女のいない男というのはまさに僕の事です。登場人物と僕との違いはsexに恵まれていません。30年近く。僕はじじいではないです。辛いです。最後の短編「女のいない男たち」はイマイチでした。女のいない男に対する、すぐに役立つアドバイスは書かれていませんでした。「シェエラザード」と「木野」のつづきが気になります。男のいない女たちは物語にならないでしょうか。 | ||||
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1話目の女性運転手を雇う話は実に面白かった。彼の短編は随分読んだけど、これは別格。 バイプレーヤーとして存在感のある俳優の主人公が病気で大好きな運転が出来なくなる。急遽運転手を雇うことになるが、無口であることやテクニックなど条件に相当こだわりがあるので、女性運転手など論外だと思われたが、、 結局雇われた、風変わりな女性運転手を軸にストーリーを膨らませ、長編にも出来そうに思えるのですが。 それ以外の作品はそこそこです。 | ||||
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どの物語も素敵で次のページを捲るのがワクワクして捲っていました。 女性も男性もどこか自分の心に覚えのあるフレーズや気持ちやシーンがあるようなそんな短編集だと思います。 | ||||
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相変わらずの春樹節がいいかげん飽きてきました。 出てくるワードがジャズ、喫茶店、猫、セックス・・・ ダンスダンスダンスで言うとこの「文化的雪かき」な短編です 何度も読みたくなる話ではない 少なくとも、私はもう読まない。 | ||||
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面白かった。 流石の村上ワールド。 物語をつくるのではなく、自分の世界を楽しませる作家。 他には小川洋子や伊坂幸太郎が該当する。 こういう作家が増えてほしい。 | ||||
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1編に1ヶ所ほどだけメモっておきたい様な(笑) 文章は有るけど 。。。 とにかく、どんな所に暮らしてても、何に遭遇しても、村上氏の書くものの主人公は皆んな同じで 馬鹿みたいに薄っぺらくて 。。。男をバカにしてる?と感じてしまった 音楽だとか 現実にある(車とか お酒とか その他諸々)物体に 人物を載っけてる~ 怪獣や ブロックや 人形遊びしながら 5、6歳くらいの子供が、独り言喋ってるみたいな話ばかり ◎△ちゃんハウスごっこ!?を、思い出す 着眼点、発想力とか 才能溢れる作家さんには間違いないのでしょうけれど 毎年のように『賞を逃して話題になってる』ことを当然に感じてしまった。 【色彩を持たない~】とこの1冊で もう読むことはない!と思う作家です 村上氏に食レポさせたら 最低だろうなぁ。。。 美味、絶妙、魅力的、 比較出来ない、 ~とか 表現をひねくり回して、単語並べて 結局は具体的な事をひとつも言わないのかも? 【ゴルゴ13】には殺し屋という役割が主題としてありますが 村上氏の描く主人公は みんな 【もの思う葦】が主題なのでしょうか?。。。 | ||||
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この本のタイトルに対応する「表題作」だけが「書き下ろし」です。 この「表題作」に、絡め取られてしまいました。 「表題作」なのに、「かたちとして落ち着きがいい」この本の最後に、 「ちょうどコース料理の<しめ>のような感じで」書かれています。 この短編集の「まえがき」によると、 著者は「女のいない男たち」というモチーフに創作意欲が絡め取られてしまい、 「そういう男たちの姿や心情を、どうしてもいくつかの異なった物語のかたちに パラフレーズし、敷衍してみたかった」とのこと。 「女のいない男たち」で、村上さんが言おうとしていることが、なんとなくは つたわってきましたが、明確にはわかりませんでした。 「僕が言いたいのは、とにかくエムは僕が十四歳のときに恋に落ちるべき女性 であったということだ」(272頁) <恋に落ちるべき>女性とは? 「そしてあるときには、一人の女性を失うというのは、すべての女性を 失うことでもある。そのようにして僕らは女のいない男たちになる」(284頁) 処女性のこと? どうていを失うこと? 一人の女性を失っても、すべての女性を失うことにはならないし、 女のいない男たちの仲間にもならない、ような気もするんですけど…? とにもかくにも、村上さんの「女のいない男たち」を読み終わったので、 次に、ヘミングウェイの「同名の」短編集(Men without Women)も 英語で読んでみようと思い立ちました。 「同名の」と言っても、英語では女が「女たち」となっており 「女たちのいない男たち」(Men without Women)です。論理的? 英語の複数形ってヤツは、面白いし「温もり」も感じられます。 一人の女もいない男たちって、水夫たちくらいです。 雌の羊しかのっていない船の中の水夫たちの世界。羊をめぐるぼうけん。 村上さんも、「その世界ではあなたは 『女のいない男たちと呼ばれることになる。どこまでも冷ややかな複数形で』(276頁) と、日本語の複数形は「冷ややか」だと感じています。 「あなた」って、もしかしたらボクのこと? 最近(2017年7月31日)発売された「同名の」タイトルの英語の本を、注文しました。 村上春樹の「女のいない男たち」の余韻がまだ残る、絶好のタイミングでの注文です。 ヘミングウェイさんはきっと、村上さんにも大きな影響を与えているのでは・・・。 なにはともあれ、まず「女のいない男たち」という「同名の」作品同士を比較、確認 して、考えてみようと思います。 ヘミングウェイは、男と女の関係がしばしばイージーには立ち行かなくなる状況を 作品に描いています。 そういうめんどくさい状況の男たちの姿や心情を、ヘミングウェイはどんな物語に パラフレーズして、敷衍したのか、興味深くたのしみです。 まるで、ヘミングウェイさんから夜中に電話がかかってきて、ボクを起こしたように。 世界でいちばん孤独な男は、ヘミングウェイさん。 世界で二番目に孤独な男は、村上さん。 世界で三番目に孤独な男は、ボク。女のいない男たちの中の男として。 | ||||
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相変わらずの村上春樹テイストです。時間が空いた時に、ちょこちょこ読むのに最適です。 | ||||
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1Q84、多崎でのダメさ(前者でのネタ切れ、焼焼き回し、後者での闇への信頼つまり以前否定していた完璧な絶望)で村上春樹はもうジジイで枯れてしまっていると私は思っていたが この作品を読むとそうでもないような気がしている。 どの作品でも女性を喪失してしまい、孤独を体験する男が主人公。 このテーマはスプートニクの恋人でもでてきたが、それをビルドアップしている。 女を失い、傷つけなかったことが明かされる木野は特に素晴らしい。 傷つけない男の苦しさや幼さがこのように文章化されているだけで価値がある。 文章化されていたらコメントで教えてください。 | ||||
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