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(短編集)
百鬼夜行 陰
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百鬼夜行 陰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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「京極堂」シリーズのサイド・ストーリー。「京極堂」シリーズ中の登場人物(主に脇役の被害者/加害者)の一人に焦点を当てた作品が10編収められている。取り上げられる人物は、「目潰し魔」、「病院長の娘」、「女性運動家の教師」等、シリーズを読んでいる方にはお馴染みの面々。 本作では、各人の心に"妖しき物"が取り憑いていく様を克明に描いており、良く出来た恐怖小説の趣きさえある。その意味で、「京極堂」シリーズと切り離しても充分堪能できる。そして、この「心に"妖しき物"が取り憑いていく様」は、京極堂が行なう「憑き物落し」の裏返しなのだ。この対比もうまいと思う。「妖怪とは人間の心の襞が産み出すもの」という言葉を作者は別の場所で語っているが、それを実践したような作品だ。 本作の最後の対象として取り上げられるのは関口なのだが、私は関口のファンなのである。「京極堂」シリーズでは殊更矮小に描かれる関口だが、自分の分身を見るようでシンパシーを感じる。そんな関口が心の揺らぎを覚えながら、だんだら坂を上って行き、向かう場所は「京極堂」。「姑獲鳥の夏」の始まりである。 | ||||
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京極堂シリーズの脇役たちに焦点をあて、 彼らがあの事件のとき、あの事件に至るまで、 何を思い、どうその日に辿り着いたのかが描かれていく。 『姑獲鳥の夏』の久遠時涼子 『絡新婦の理』の杉浦隆夫、平野祐吉、山本純子などなど…、 本編だけではわからなかったそれぞれの一面が見えてくる。 だからこそ、本編を読んでからの方が、「あぁ、そうか」と、 思えるハズ。 本編の重厚さを求めて読み始めてしまったため、ある種の物足りなさを感じてしまったものの、これはこれとして違う楽しみ方ができる。 我らが関口巽が主役の「川赤子」も必見。 | ||||
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1995-1999年に、「小説現代」に不定期掲載された9編に加え、愛読者おなじみの関口巽を主人公とした最終編「川赤子」を書き下ろしで追加した短編集。京極夏彦の作品は、京極堂ものについては最初の「姑獲鳥の夏」以来発刊順に読んでいかなければ作品理解に不具合を生じるという難儀な特徴がある。本書も過去6作の登場人物が織りなすサイド・ストーリーであることから、いきなりここから読み始めることは止した方がよい(もっとも、「本編」の方のネタが割れてしまうことはない)。 いずれも、「本編」の方では描ききれなかった、登場人物たちの人生模様を怪談風に描いた作品である。長い作品の中では数行で片付けられるようなエピソードにも、本人にとっては深刻な事情があり、当人や縁者の人生において深い傷に(しばしば致命傷に)なったのだ、というお話である。作品の質はおおむね高く、とくに「鬼一口」における鬼の定義論は大変興味深かったが、あくまで多くは「カストリ雑誌の実録」といった題材であるため、読み物としては軽い部類に属する。 長編に疲れた頭を休めるための短編集、といってよいと思う。 | ||||
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『姑獲鳥の夏』から『塗仏の宴』までのサイドストーリーが10篇収録されています。 事件の背景に何があったのかが書かれているので、本編を読まないと話が分からないだろうと思います。そのため、もしお読みになるのでしたら本編を読んでからがよろしいかと。 ですが、率直に言うと本作はあまりおすすめしません。氏の作品はほとんど読みましたが、本作は最低のグループに入ると思うからです(あくまで個人的意見に過ぎませんが)。 本作の作品は魅力に欠け、インパクトも薄く、何ら面白みがない。 かなり辛口な評価になってしまいましたが、サイドストーリー集という特性のせいもあるかもしれませんね。 くどいようですがおすすめはしません。 これを読むくらいなら『百器徒然袋―雨』と『百器徒然袋―風』の方が断然楽しめます!! | ||||
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京極堂シリーズに登場してきた様様な人物の「過去」の話集です。作中に出てきた「なぜ」が解き明かされ、より京極堂シリーズにはまってしまうと思われます。「なぜ」とも何とも思っていなかった人物のとある行動が、実は過去の出来事等によるものであると公開されてしまうため、過去の事件に関して新たな思想が生まれて、また改めて過去作品を読み返してしまいました。京極の術中に見事に陥りました。宗教・心理・精神、、様様な切欠でどれも酷似していないって辺りも凄いし「人間っておもしろいな」と沁沁思えました。はまってください。陰('ー`*) | ||||
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京極堂シリーズのすべての事件の異常な事象、物語の狂った歯車の原点が描かれているサイドストーリの数々が収録されている。それぞれの人物を深く掘り下げることによって、彼らの考えや価値観を知ることができる一冊である。事件の始まりはなんだったのか。これまでの事件に関わっている登場人物の、狂気の描かれ方が巧妙であり、一字一字から目には見えない恐怖が伝わってくる。 本は文字であり、映像を見るわけではないので恐怖が目に見える形となることはない。しかし文学は想像である。映像では限りある恐怖という感情を、この一冊は無限に読者の頭の中から引き出してくる。 | ||||
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京極堂シリーズのサイドストーリーが10編収められているが主要人物が登場するのは最後の「川赤子」くらいで、他は全部「姑獲鳥の夏」から始まり、ノベルス当時刊行されていた「塗仏の宴」までの話。 やはり再度ストイーリーだけあって過去のシリーズ物は全て読んでおいた方がよいと思われる。ただ、「狂骨の夢」のサイドストーリーはなかった。それにしてもそれ以外は読んでおかないと誰が何をしたくてどうなったのかが全く分からない。逆に、読んでいれば本編で不可思議な部分や物足りなかった登場人物の背景、マイナーな人物まで出てきたりして一つ一つの独立した一人の話と読むのが正しいか。それぞれの話に主人公がおり、恐怖を体験する。 それと伴って夏~宴まで1年少々の間に繰り広げられるストーリーの面白いリンクも。例えば「文車妖妃」では「鉄鼠の檻」で最終的によかったのか悪かったのか分からない終わり方をした彼女のことについて触れられている。しかしその彼女を知るには「姑獲鳥の夏」を読んでおくことも重要。シリーズ物故か、だからこそシリーズ自体を伏線として繋げていく京極夏彦の書き方はおいおい、と言う部分もあるが面白い部分もある。 「絡新婦の理」にしても結局は「魍魎の匣」から繋がってくる物であり単体としても楽しめるが不思議とリンクしている(不思議なようで意図なのは当たり前だが)という要素はシリーズを通じて楽しめる面白い場所である。だからこそ、このサイドストーリーズは面白かった。宴まで全て読んでいるならぜひ読んで欲しい。 | ||||
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妖怪の名前を表題にした連作短編集。数年にわたって断続的に雑誌に掲載された短編をまとめたもの。各編異なる人物設定のもとに描かれており、テーマや時代設定は共通するものの、作品間のつながりはない。舞台は京極堂シリーズと同じく、終戦後しばらくたった昭和20年代後半。最後の「川赤子」のみ京極堂シリーズに登場する作家「わたし」を主人公とする。妖怪をテーマにするとは言っても、作中、妖怪そのものが登場するわけではない。怪異は起こるが、各編の主人公たちの精神が見せた幻想だったり、環境や人の生み出す業だったり、判然としない。著者の他の作品と同じく、時代がかった文章の語り口はうまく、雰囲気のある各編のストーリーはひきこまれる。著者のストーリーテリング巧みさは感じられる一方で、どの作品も作中で解決されずに終わってしまうためか、強烈な印象を残すだけのインパクトがある作品がないようにも思えた。 | ||||
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冒頭、ある妖怪が引き合いに出され(江戸時代などの草紙モノから妖怪の図やその説明文がコピーしてあり、これはこれだけで楽しめるものです。その絵の中に「何が描いてあるか」「どうしてそれがあるのか」という判じ物でもある、とは別の京極先生の本で読みました)、その後ストーリーが語られ、読後、読者は「ああ、こういうことで、妖怪って生まれたんだ」という感想を持つに至る仕組みです。主人公はあくまで人間ですが、その人の経験、思い、それが嵩じた妄想などが「妖怪」を生むというか、妖怪に至る、というものです。ですからこの本は「妖怪小説」と表紙にありますが、妖怪そのものは何もせず、ただ、登場人物の目に映るだけです。それは「狂っていく」過程でもあるのでしょうか。この本は10編の短編集ですが、それぞれのお話や登場人物は、別の大きな小説に繋がっていたと思います。それにしても京極先生は「戦後」の混乱期がお好きですね。やはりその頃は、価値観とか社会秩序とかが解体されたり、衝突したりで、一種不思議なエネルギーとか情念とかが渦巻く時代だったからでしょうか。分厚めの本ですが、京極先生のほかの小説と同じく一気に読めます。それから京極先生の趣味で、やたら漢字が使われますので、漢字検定試験の練習にもなるかも。 | ||||
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