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塗仏の宴 宴の支度/宴の始末
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【この小説が収録されている参考書籍】
塗仏の宴 宴の支度/宴の始末の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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| 前編「宴の支度」を読み終えたとき、この話がどこへ向かうのか、どう収束するのか、予想しづらかった。 本書で、それが明らかにされるのだが、さて、これで良いのか? 前編は短編集仕立てだったが、後編は長編スタイルである。 これまでのシリーズの関係者が登場し、総まとめみたいな様相を呈する。 そして、読んでいて、何か不安定さが気になる。 記述にミソがあり、そのせいである。 そのミソはラストで明らかにされるが、その作品中での必然性は説明されない。 だからこれが、単なる著者の作法上の都合にしか見えない。 そして、ストーリーの先を見えにくくするため、さまざまな人物が登場し、行動する。 それでも後編では、前編と違ってラストに向けて収束するため、次第に先が見えてくる。 すると、途中で仄めかされていたモリアーティの存在が、本作のキモであることが分かる。 そう、本作はこのモリアーティの登場こそがすべてであったのだが、それに対峙する京極堂の、なんと影の薄いことか。 レギュラー・キャラそれぞれが活躍するのだが、本作ではみんな存在感がない。 それは、あまりに周囲の状況がハデすぎる、大きすぎるためであろう。 そのためのアクションが、本作のミステリ度を低くしているのだ。 これはミステリといえるのか? そして本シリーズは今後、どこへ向かうのか? 「邪魅の雫」以降、本シリーズが刊行されていないのは、意味があるのか? 本作は前後編合わせて、本シリーズ最長ではある。 しかし、後編を読み終えて思ったことは、シリーズ最大の失敗作である、ということだ。 収集はついているし、謎として提出されたものも、かなりが説明されている。 それでも、不満な点、説明されていない点が多々ある。 著者もおそらく、本作の未完成度合いは分かっていたのだろう。 ある意味では、著者は本作で、壮大な実験をしたのかもしれない。 しかし、失敗してしまった。 | ||||
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| 「塗仏〜」の後編。 前編は短編集仕様だったが、後編はまったくの長編である。 ただし、話はあっちへこっちへと飛んでいくので、どういう収束になるのか、なかなか予想がつき難い。 まあ、最終的にはあそこにみんなが集まって、という展開になるのは前編から分かっていることなのだが、さて、レギュラーキャラクターたちがいつそこに向かって行動を開始するのかといったら、本書の後半部分に至ってようやく、という次第である。 つまり、前半部分は、あいかわらずの妖怪談義と、周辺人物たちをめぐるエピソードということになる。 もちろん、中禅寺敦子も木場修もレギュラーキャラクターではあるが。 さて、面白かったかといえば、まあね、と答えるしかない。 相変わらず犯罪には宗教団体が絡むし、記憶やら思想やらの脳科学というか心理学的なものがプロットの重要な部分を占めている。 あちこちを引っ張り回されて、その結末がこれかい、という感想もないわけではない。 しかし本シリーズは、なぜだか読みたくなる魅力がある。 そして、読んでいる間は、間違いなく作品世界に没入してしまうことになる。 読み始める前の躊躇いなど、どこ吹く風、といった感じである。 本作では静岡県韮山が舞台なのだが、本シリーズでは逗子、鎌倉、箱根など、東京から西の地域が舞台となることがほとんどである。 いや、千葉があったか。 まあ、首都圏といえるが。 このあたり、著者に何か意図があるのかどうかは分からないが、シリーズが続いて行けば、明らかになることもあるのかもしれない。 ただし、「邪魅の雫」以降、刊行されていないのが気がかりではある。 そして、本書を読み終えたときの達成感は、格別である。 そのためだけに、著者の本シリーズを読むということも、ないわけではない。 シリーズキャラクターとの再会というのも、本シリーズを読む楽しみのひとつでもある。 でも、どんどんと深刻化が進行しているキャラクターもいたりで、そこらも心配ではある。 | ||||
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| 著者の作品は長い。 しかし、その長さを意識させない面白さがある。 本作も、問題編ともいえる「宴の支度」は、まるで短編集のような出で立ちであり、その各編は中途半端なかたちで放り出されて終わる。 しかし、そこは著者の作品であり、‘長編’であるから、各編はどこかで密に繋がっているはずである。 それがどこかを探りながら、漫然と作品世界を漂うことになる。 その基本線は最初の「のっぺらぼう」に明示されているので、それが分かれば微妙な繋がりの影は、見えてくるはずである。 著者の他の作品でも同様だが、作中の特に前半部分では、いったい何が起こっていて、どういう状況にあるのかが理解し難い場合が多い。 しかし、本作はスタイルが短編仕立てになっているため、そのあたりは比較的分かり易いものになっている。 だから、なにが謎なのか、なにが不可思議なのかが早い段階で分かる分、特に登場人物の会話の中にある様々な糸口も分かり易い。 それはまた、作品世界に嵌りこみ易いということに繋がり、だからこそ作品の持つ魅力、面白さを堪能することができる、ということになる。 今のところ、本シリーズでは最長作品ということらしい。 長ければ良いというものではないが、本作はこの長さがぜひとも必要であり、その長さをだれることなく読み切ることができる。 傑作である。 | ||||
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| 著者の作品は長い。 しかし、その長さを意識させない面白さがある。 本作も、問題編ともいえる「宴の支度」は、まるで短編集のような出で立ちであり、その各編は中途半端なかたちで放り出されて終わる。 しかし、そこは著者の作品であり、‘長編’であるから、各編はどこかで密に繋がっているはずである。 それがどこかを探りながら、漫然と作品世界を漂うことになる。 その基本線は最初の「のっぺらぼう」に明示されているので、それが分かれば微妙な繋がりの影は、見えてくるはずである。 著者の他の作品でも同様だが、作中の特に前半部分では、いったい何が起こっていて、どういう状況にあるのかが理解し難い場合が多い。 しかし、本作はスタイルが短編仕立てになっているため、そのあたりは比較的分かり易いものになっている。 だから、なにが謎なのか、なにが不可思議なのかが早い段階で分かる分、特に登場人物の会話の中にある様々な糸口も分かり易い。 それはまた、作品世界に嵌りこみ易いということに繋がり、だからこそ作品の持つ魅力、面白さを堪能することができる、ということになる。 今のところ、本シリーズでは最長作品ということらしい。 長ければ良いというものではないが、本作はこの長さがぜひとも必要であり、その長さをだれることなく読み切ることができる。 傑作である。 | ||||
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| 「宴の支度」でそれぜれの人物のに思い入れを感じ、その彼ら行く末が どうなってしまうのか、どんな事情があるのか、感情移入しながらページを捲りました。 ですが、「宴の始末」を読むと 作者の意図は全く違う所にあったようです、トリックや、どんでん返しは他の作品に比べ それ程酷いわけではありません。ですが今までは強引でも無理矢理に納得させられる迫力がありました。それはやはり人物を大事にしていたからではないでしょうか。このシリーズで 一番出来の悪い作品だと思います。 | ||||
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| 出るわ、出るわ、妖怪づくしです。上下2巻に収められた今作品は京極作品の中では最長です。なのでクライマックス、中禅寺の憑き物落としにたどりつくまで相当の分量を読まなければなりません。宴の支度は、短編で区切られていて、読みやすいです。ただ、登場人物と物語、他の登場人物との相関関係は複雑で、ミステリを解こうと想像を膨らませるにはそれ相応の集中力を必要とします。私は宴の始末編の中禅寺にすべてまかせて淡々と読みました。相変わらずところどころにちりばめられた妖怪談義に関心させられます。彼らの妖怪談義によって妖怪がただの現象に解体させられるとき、逆に、そこに不思議なものを感じます。 「世の中に不思議なものは何もない」−中禅寺の言葉に誘われて、不思議な百鬼夜行の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。 | ||||
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| 出るわ、出るわ、妖怪づくしです。上下2巻に収められた今作品は京極作品の中では最長です。なのでクライマックス、中禅寺の憑き物落としにたどりつくまで相当の分量を読まなければなりません。宴の支度は、短編で区切られていて、読みやすいです。ただ、登場人物と物語、他の登場人物との相関関係は複雑で、ミステリを解こうと想像を膨らませるにはそれ相応の集中力を必要とします。私は宴の始末編の中禅寺にすべてまかせて淡々と読みました。相変わらずところどころにちりばめられた妖怪談義に関心させられます。彼らの妖怪談義によって妖怪がただの現象に解体させられるとき、逆に、そこに不思議なものを感じます。 「世の中に不思議なものは何もない」−中禅寺の言葉に誘われて、不思議な百鬼夜行の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。 | ||||
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| 京極堂シリーズのキャラクターが巻き込まれる事件、5作品の短編集ながら、西尾維新風にいえば問題編といったところでしょうか?あまりなじみのない妖怪にまつわる5つの話に、カルト、洗脳、記憶、自我など問題を内包させています。各短編は解決せず、次作の「塗仏の宴 始末編」で答えが提示されます。 | ||||
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| 姑獲鳥から京極堂シリーズを読み続け、読後感はこの作品が一番良かった。長い、とにかく長いのだけど展開が広ければ広いほどどうやって収束をつけるのか、楽しくてたまらなかった。この作品では京極堂が少し人間臭い。そこが良かったのかもしれない。京極堂を中心にして周りの知人友人たちがいわゆる「唆す」場面でははからずも目が潤んでしまった。 一見、本編とは関係なさそうな薀蓄話も京極堂を知る上では欠かせない要素であったと私は思う。 作品はどれも長いし本は分厚いけれど、これ以上には削れないという著者のぎりぎりの選択だと思うし、挑戦状を突きつけられ、受けたる!みたいな意気込みで読んでいる。‥とはいえ自分が好きで読んでいるんだけど。 | ||||
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| とうとう2冊に分かれた京極本。覚悟はしていましたが、中を開いてみると、短編のようになっていて、思っていたより、読み進めることが出来ました。 この作品は、大変登場人物が多いです。そこで人間関係を整理する力を必要とします。 今回は今まで以上に過去の作品の登場人物が、重要な場面役割で出てきます。もう一度ウブメから読み直したくなりました。 関口君の壊れ具合は見ものです。大変心配になりました。 | ||||
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| 姑獲鳥、魍魎、狂骨、鉄鼠、 と読み進み、特に、魍魎、狂骨、では 頭脳を揺さぶられるような衝撃を受けました しかし、蜘蛛、から そのご都合主義がハナにつくようになり (前からあったけれども) 今回の塗仏ではもう耐え切れませんでした さんざん「ない」と言っておきながら 「ああ!こんなところに!」 ってなに?(苦笑) いろんな妖怪の文献から話の素地をつくり オカルトにならないぎりぎりのラインで 話を構築する力量はさすがだと思います でももうつきあいきれないですね (ストーリーに無関係だけど京極先生は蛍光灯の普及年をお調べになったほうがいいかも...蜘蛛での関口の「ベースギター」の件も時代錯誤だと思う) | ||||
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| 支度を読み終わり、さぁ始末をどうつける!?と期待して読んでいけども、始末が始まらない。結局、始末を始めるのは中盤以降という・・・。これは始末とは言えないんじゃないだろうか。まぁ始末と言えば始末なんだろうがスッキリしない。読後感も冴えない。だからこそなのか、徒然袋がかなり面白かった。始末を読み終えるまで我慢してたせいか、声を出して笑ってしまった。 | ||||
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| この宴の支度では、まだ謎かけの段階です。 忽然と消えた村と村人たち、不老不死の生き物、霊能者や宗教団体など、個々のエピソードも、いつもの京極ワールドに誘引する魅力がたっぷり。 さあさあ、一体何が始まるのやら、今回は前作までを上回るすごいことが起こっているのじゃないか、と期待させてあやかしの世界に入っていくわけですが…。 さて、宴の始末はいかに? どうなんでしょう? | ||||
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| この前後編2冊で、主要登場人物から過去作の登場人物まで、 捕まっちゃったり、死んじゃったりした人以外は、ほとんど 登場しました。 今まで読んできた読者は普通に楽しめるのではないでしょうか。 また、今までちょっとずつ出てきた京極堂の過去が明かされます。 そういう意味でも集大成です。 また、いつもの薀蓄もパワーアップして謎の古代文明へと言及します。 しかし、これだと影の黒幕という今までには無い、漫画チックな展開。 この人を敵として、まだ話ができそうなのでいい意味でも悪い意味でも、 かなり漫画っぽくなったな、というのが今作の印象です。 評判が悪かったので、私はこの後の作品を読んでいませんが、 作者自身もやりすぎと思ったのか、この影の黒幕には次作では、触れて いないようです。 この作品から京極堂シリーズを読んではいけません。 | ||||
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| 「宴の支度」から続く物語。その厚さに比例し、主要8人に朱美、織作茜まで、 登場人物の数が半端じゃない。今回は登場人物たちがそれぞれの事情で いつもよりシリアスになっており、鬱々とした中にも切迫感が増していたため、 最後の榎木津の暴れぶりに救われました。 博識京極堂によりわかりやすく語られる知識はもちろんのこと、 登場人物たちがそれぞれに魅力を放つこのシリーズですが、 やはり京極道と榎木津の登場は待ち遠しい! 厚さが増すにつれテンポダウンしていっている感がありますが、 限られた出番を楽しみに読み進めていっている自分がいじらしいです。 | ||||
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| 膨大なページ数を退屈させずに読ませる手腕はさすが。 だが・・・だがしかし、奇を衒い過ぎてはいないだろうか? 京極堂が謎解きを始める直前の乱闘シーンはまるでアニメか漫画だ。この作家の作品はデビュー作から全て読んでいるが、「馬鹿らしい」という五文字が始めて目の前に浮かんだ。どんでん返しの部分も、ただどんでん返しのためのどんでん返しという印象が非常に強い。「実はこういうことだったんだ」と謎解きされても、「だから何だ?」と聞き返したくなるような謎解きだった。手段が自己目的化してしまっているようだ。「爆裂」とか「爆睡」とか時代考証を無視した言葉を使うぐらいなら許せるのだが。 事件の黒幕の退場のさせ方も、次回作以降に登場させようという意図が見え見えなのが痛い。「始末」と銘打っておきながら、「続く」的なストーリーというのもいかがなものだろうか? これまでの五作、外れは一作もなかっただけにちょっと失望している。 | ||||
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| 当時京極堂の新作かと暢気に手に取ったものの驚愕。私的にが第一部ヤマ場を迎えた作品、シリーズを総括する序章といいますか。織作茜が関口が木場の身内が…これだけ入り組んでストーリーは錯綜しているにも拘わらず読んでいて時系列がごっちゃにならなかったことにも吃驚。 | ||||
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| 京極堂第6作。この作品は今までと趣向が異なり、まるで6つの短編集ともとれる構成をしている。つまりは独立した6つのストーリーが展開するのだが登場する人物はいずれも過去の京極堂の作品の登場人物で、ただ一人新顔なのが多々良先生だ。やはり京極作品は最初から順番に読むことが重要なようだ。そうでないと今のストーリーを理解できなくなりそうだ。 いつもと趣向が違うためか息抜きしながら読める。大海を泳ぎ切る感触が今までに比べて無いが、それはそれで楽しい。京極堂の全キャラクター総出演と言った感じの作品だ。 | ||||
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| 長い長い宴の始まり、卓上には色とりどりの料理がずらりとならべられてい ます。過去に京極堂で供された定評有る料理も、あたらしい美味しそうな料理 も・・・。ところが「なんで?」と思わせるような、いかにも不味そうな料理 も並んでいます。設えは完璧、でも給仕の態度がいつもとはちょっと違う。 「大丈夫なのかな?」という一抹の不安も過りますが、きっとこれは「宴の始 末」でちゃんと味わわせてくれるるのだろうという期待をもたせてくれるもの です。兎に角読み進んでみましょう。 劇中では完璧な関西弁を喋る俗悪で下卑た人物が登場しますが、「宴の始末」 を通して読んでも、彼に関西弁を喋らせる必然性が全くありません。非常にネ ガティブな印象を受ける性格を負わされた人物が、何の必然性もなく関西弁を 喋るというのは、どういう意図を持ってそうさせたのか作者に尋ねてみたいも のです。関西の方には不愉快に思われる方もいらっしゃるでしょう。身体的・ 精神的な障害を「障碍」と表記するほど細やかな心配りをみせる筆者だけに、 非常にこの部分は意図的なものを感じてしまい、冷水を浴びせかけられたよう な気持ちになりました。故に★ひとつ減です。 | ||||
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| 相変わらず面白いのだけど、始末のつけ方に不満が残るため評価が下がりました。 これで京極堂の帝国陸軍時代の秘密裡工作部隊の話は終わったように思えたので 安心しかけたのも束の間。黒幕のパワーアップ部隊が、お子様の成長なども絡め てまた登場するかのような終わり方。少しご勘弁の気分です。この黒幕の始末の つけ方が一番愉しくなかったです。 私は京極堂シリーズの1作目からここまで連続して一気に読んでいるので、本が 出るごとに「待たされた」後、いよいよ手にとって読むのとは又違う感想にな るのか、と思いますが、最後に実は何でも知っていた京極堂が全てを解決する、 というのプロットが、少々疲れてきました。 京極堂シリーズでは珍しい海千山千の成金主義、羽田氏と茜の絡みは面白かった のですが、早々に死んでしまいちょっと残念。もっともこの二人の絡みなら、 京極夏彦というより、大沢在昌の世界になるかもしれませんが。でも、この 成金オヤジ、羽田氏の会話なども、京極夏彦さすが!上手です。 また、これだけの新規キャラクターデザインを既存のサブキャラと練り合わせ 絡み合わせた手腕、京極夏彦の筆力に感動感謝して、3つ星を1つあげて4つ星 にしたいところではあります・・・流麗な筆致の新絡婦の理の次作に、骨太な 作風を持ってこれるところも作家としての懐の深さを感じます。 最後に、関口氏が非情な哀れな扱いで、少し淋しくなってきました。ジミな存在 ながら良いキャラだと思っていましたが、京極堂、榎木津が超人的にパワー アップし、ビルが建つ程の探偵料が入ったり、弟子や下僕に恵まれ、二人の 尊名が轟くのと正対照的に、敵味方双方から人間の屑のような扱いと情けを受け、 私生活もままらなず、いよいよドン底が見えてきて(どん底か)、ファンと してはだんだん淋しくなってきました、というよりちょっとイヤかな。 | ||||
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