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夜は短し歩けよ乙女
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夜は短し歩けよ乙女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.90pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全594件 281~300 15/30ページ
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別世界の感じです。あまり現実感がないところがいいと思います。 | ||||
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なんだか、優しい気持ちになれる物語でした。非日常な話ですが、身近な話として読めてしまいます。 | ||||
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最近物語を読んでいなかったので、レビューだけ見てよくわからず思い切って買ってみました。 最初の数ページで失敗したと思いましたが、読み進めて更に数ページ、面白くなり物語に吸い込まれていきました。 思いがけない展開がどんどん出てきて面白かったです。 | ||||
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著者の文章、表現が独特で、それが面白い。 関西の大学の理系出身の私は、主人公に非常に共感できる部分があり、非常に楽しめた。 独特の表現の中で生きる主人公と黒髪の乙女がなんとも愛おしくなる。 京都のいたるところで繰り広げられる可笑しな出来事が、なんとも夢と現実の間のようで思わず入り込んでしまった。 何度も読みたくなる一冊だ。 | ||||
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著者のデビュー作である「太陽の塔」を読んで、その独特ではあるが精巧な文体、青春のむさ苦しい男性像をうまく表現していて、面白みがある新進気鋭な作家であると心惹かれ、過大な程の期待を持ち、満を持して「夜は短し歩けよ乙女」を読ませていただいた。 やはり独特な森見ワードは健在であり、好き嫌別れるのは理解できる。 どこか古めかしく、日本語を大切にしている作りで、四字熟語等を随所に散りばめて、細部に拘ってる感が伝わってくる。 物語としてはいたって普通の学園青春物語。純朴な後輩に恋をした不器用な先輩。それを取り巻くは、個性豊かすぎる仲間たちと、奇抜なイベントである。 物珍しい作家と云えばいいのだろうか。 兎に角、魅了される人はとことん魅了されてしまう作家である。 | ||||
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凄く楽しくおもしろい話で大好きです。表現も独特でとてもかわいいです、 | ||||
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京都を舞台にした物語です。 下鴨神社の古本市、夜の先斗町だったり、京都好きな私にとって読んでいてそれだけでも楽しめる。 それでも初めは違和感しかなかったのですが、読んでいるうちに物語に引き込まれるのでお気になさらず。 主人公の黒髪乙女の行動が可愛く愛おしいです。 最後はもちろんハッピーエンド。 そしてあとがきは羽海野チカさん。 それもまた嬉しいんです。 | ||||
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「命短し、恋せよ乙女」吉井勇の作詞をうまくもじった本作ですが、森見独特の文体とその不思議な世界観に馴染めれば最後まで面白く読めます。 マジックリアリズムも物語の進行上うまく効いていて、それが本作の魅力のひとつでもあるのですが、評価が分かれるのはヒロインの風変わりな性格を受け入れられるか否かではないでしょうか。 正直こんないかにも不思議ちゃんな性格の女なんて、物好きな男の幻想で実際いるわけないだろうと感じてしまえばそれまでですが、そういう部分も楽しく読んで欲しいという著者の思惑をすんなり受け入れてしまえば、最後まで面白く読めるラブコメだと思います。 | ||||
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最初は、独特な文章でなかなか内容が頭にはいってきませんでした。好き嫌いの分かれる文体だと思います。 しかし、読み進めるうちに、慣れてくると先が気になってしかたありません。 内容は大学生の青春で、言っていることやっていることは一見ありきたりの恋煩いなのに、独特の世界観に引き込まれます。 題に示す通り、取るに足らないことを考え、実行していたあの頃。気が付いてみれば、「あっという間だったなぁ。」と思います。まるで物語を読む夜のように、青春は短い。だから乙女は立ち止まっていられないのでしょうね。青春には不思議なことはつきもの!歩かなければなりません! | ||||
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幻想的かつ阿呆な世界観。ごちゃごちゃしていて楽しかったです。娯楽作品を批判する方がいるなんて寂しいですね。 | ||||
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今日とをこよなく愛する変人小説家・森見登美彦氏による、かわいらしい恋愛小説です。出版されたのはかなり前ですが、さまざまな人から愛されている小説です。 ヒロインの乙女と、ヒーローであるはずの残念な先輩と、その周りを取り巻く友人や謎の老人、はたまた天狗などの有象無象…。めちゃくちゃに思えても、最後には御都合主義的にすとんと着地させてしまうのが著者の小説の魅力ですね。 読むと京都に遊びに行きたくなること間違いなしです。 | ||||
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本屋大賞第2位ということなので、大衆向けての作品だとは思っていました。それなりに覚悟して、またかなり我慢して半分近くまで読みましたが、さすがに読み切れませんでした。あまりの、ひどさに。 20歳のある女性が、ある本を指して、「これは事実に基づいた本ですか?」と訊かれたことがあります。その時、ちょっと不思議な想いをしたのですが、「事実に基づいているかどうかが大切なのではなく、書かれた内容が問題だと思います」と答えたことがあります。今、考えると、あの女性が質問された気持ちが十分に分かりました。真摯に生きようとする彼女には、この種の小説を〈読む〉ことは無意味だったのです。 また、米原万里さんが、ソ連時代からロシアになると、人々の読書傾向が変わったと書かれていたのを思い出しました。確か、意味するところは、大衆は易きに流れるということでした。もちろん、わたしも大衆の一人です。ですから、この言葉を常に肝に銘じています。易きに流れると、ひどい結果になるからです。 そこで、本屋大賞ということも考えさせられました。まぁ、昔言われた通俗小説ということで、◯◯な娯楽小説の大賞ということなのでしょう。それは、指標となるものを見れば、分かることですが……。 さて、本書を途中まで読んだ感想としては、この書き方に、作者の戦略を感じました。あくまでも大衆を対象とし、その見返りを得ることが目的。ですから、この作品には、人間と社会への真摯な想いはなく、あくまでも、お金もうけの道具と化した観があります。とにかく、内容は大衆が理解できる程度のもので、大衆がおもしろく感じるものを書く。それが、すべて、といった印象を受けました。〈本を読む〉こととは何か?を、ある意味では、もう一度教えてくれた本かもしれません。もちろん、反面教師の意味で、ですが。 この作者は、きっとフウイヌム国にいる、あの生き物が進化したものではないか、と思ったりしたものです。そして、もちろん、読み終えられなかった本は、しかるべき場所に処理しました。 時間は、ムダに使わぬことです。読まなければならない本は、たくさんありますから。 【追加 8/7】 十分に感想を書ききれていなかったので追加しておきます。 もちろん、読み切ったものではないので、なぜ、わたしは読み終えることができなかったか、を探った個人的な感想です。 読書の途中で、この小説の仕掛けが気になりました。 まず、祗園などといった古都のイメージをもつ京都らしさを素材にして、それに若者の恋愛を加味する、そのことで、読者の関心事は2つになる。それから、それまでの古都のイメージに荒唐無稽なものを持ち込む、それで、たとえば祗園のイメージを変容させる。これまでの既知の京都から異界の京都へと、読者をひきずり込む――つもりだったのでしょう。ですから、主人公は、ほとんど、その世界を展開させるための役割を果たすにすぎない存在です。不幸なことに、本書を読むわたしの中には、森見氏が意図した異界の京都ではなく、まずい書き割りに、マリオネットがあるだけでした。(これは、わたしが読んだところまでの印象です)。 ところで、一般に、良書というものは、読者との静かな対話を求めるものだと思います。中には、ついつい徹夜してまで読んでしまった、という本もあります。それは読者の心を何処へ連れ去ってしまうからでしょう。しかし、良書は、読み終えてしばらく時間がたつと、そのいた場所をそっと教えてくれます。しかし、森見氏の本書は、何処へ連れていくのでしょうか? この小説は、読者をある種の渦の中に巻き込むだけではないでしょうか?(再度書きますが、わたしが読んだところまでの印象です)。こんなことを考えさせられている、わたしには、ハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリッヒがいた』が思い起こされました。リヒターの物語に少し触れてみます。 この物語は、ご存知の方が多いと思いますが、ヒトラー政権下でのユダヤ人差別・虐待などを描いたものです。その物語の中にある「ポグロム」の章が、わたしに浮かんだのです。 この物語の主人公は、学校からの帰り途(みち)にユダヤ人の見習い工の寮へ向かう人たちに出会います。そして、物見高い人たちも、おおぜい、その後からついていくことになります。はじめは、寮の前にただ突っ立っていただけの人たちが、しだいに声高になっていく。「開けろ!」 そして、誰かがののしり始める。ついにはドアを突き破ろうとする。ドアに身体をぶつける人間の数が増えていき、主人公も、いつのまにかドアを突き破ろうとする人々の中にいる。ドアが破られると、建物の中に人々がなだれ込み、破壊が始まるのです。 この主人公の少年も、渦に巻き込まれるように、金槌をもって次から次へと物を壊していきます。ガラス、いすの脚、ひっくりかえった戸棚……、そして、大きな黒板。 「ぼくは思わず身がまえると、金槌を黒板めがけて投げつけた。金槌は黒板のまん中に当たって、頭がのめりこんでひっかかった。……突然、ぼくはつかれを感じ、吐き気を催した。ぼくは家に走って帰った」 わたしは、この主人公と同じように、森見氏のこの本から離れました。もちろん、吐き気を催したりはしませんでしたが、一種の疲れをもたらす違和感を感じました。実のない象徴となる名前など――たとえば、李白という名前で提示した存在――を操って、森見氏ひとりが、こどものように走りまわっている世界に……。 もちろん、ポグロムのような陰惨な事件と、森見氏のこの小説が同じだというのではありません。しかし、わたしの中では、この森見氏の小説の渦と、『あのころはフリードリッヒがいた』の「ポグロム」の渦は重なったのです。さらに言えば、森見氏のこの作品の渦の底には、人間の存在の意味を探るコトバではなく、現代の資本主義社会が求めさせるモノを得るための、本当にたんなる道具と化したコトバが堆積しているにすぎませんでした。 言い換えれば、森見氏のこの小説は、一種のゲームとして――今の多くのゲームの制作意図と同じで――作られたものに感じられてなりませんでした。そして、現代の資本主義社会のシステムにのっとり、このゲームに勝者が誕生した。その勝者にもたらされたものは……、言うまでもないことですね。 それにしても、この森見氏の小説から、リヒターの『あのころはフリードリッヒがいた』ばかりでなく、オルダス・ ハクスリーの『すばらしい新世界』の騒然とした中での結末をも想起させられました。 そう感じると、わたしは、なんのためらいもなく、読書を止めたのです。 ところで、古典と言われる小説を読むと、あまりにも主知主義的に〈本を読む〉ことの大切さが説かれることがあります。主知主義がいやな感じを催させる時もあります、しかし、〈本を読む〉大切さがくどく説かれるのは、やはり、〈人は、いかに生きるべきか?〉〈人は、どうあるべきか?〉という問題に答えようとした先人の切実な想いを汲み取っていたからではないでしょうか。 そして、わたしは、エンターテイメントのものを、むやみに否定するわけではありません。フイリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』(ちょっと下品ですが)、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』などは、ひねりの利いた作品です。しかし、その〈ひねり〉の中に、やはり、かれらの人間を見る厳しい眼差しを感じさせられます。 いや、探偵小説だっていいと思うものがあります。いかにエンターテイメントといえども、しっかりとした作家は、社会と対峙して、自ら作家としての責任を意識しているものではないでしょうか。 現代の大衆社会、民主主義などは、〈現在〉をくいつぶす行為の中から生まれたのではなく、より多くの人のために〈現在〉を変革していこうとする想いと行為の中から生まれたものだと思うのです。そう思うと、わたしには、〈本を読む〉大切さを説く古典作家の切実な願いが感じられます。そして、今や、大衆向けの小説を書く作家は、現代が大衆社会であるだけに、その社会的責任は大きいのではないかと思います。平成22年5月18日に、憲法改正国民投票法が施行された今では。 森見氏のこの作品傾向は、他のものにも見られるもので、なにも森見氏ひとりの問題ではないと思います。しかし、このような小説群のなかで、なんとか踏みとどまっている作家もいる。たとえば、角田光代さん。(わたしが読んだ現代作家のなかで、ということですが)。 本書を読んで高い評価をされている方は、エンターテイメントの作品として、それなりに割り切って読まれたのだと思います。しかし、中には、書き手と正面から向き合う読書を求める人がいます。そのような読者には、森見氏のこの作品は読みきることのできないものだと思います。あまりにも……で。 | ||||
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途中から先に進めなくなった本です。短編がいくつも入っているので他のも読まないといけないですが… | ||||
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最後の場面が自分の若き日の甘酸っぱい想い出と被ります。 京大は確かにこんな大学でした。 | ||||
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皆さんがレビューされている通り、文体が面白く、良く分からない個性的な言葉が頻出して、楽しい一冊です。予測不能なファンタジックな展開でドキドキさせられますが、つきつめて言えば二人の心が8カ月をかけてじっくり育っていく真っ直ぐで素敵な恋愛小説で、読者は美しく気持ち良くエンディングに引き込まれるでしょう。 「先輩」と後輩である「黒髪の乙女」の視点を切り替えながら、二人とも「私」として語るので、名前が当てられていません。そのため、男性読者は「先輩」に感情移入しやすいし、「黒髪の乙女」に理想の彼女を見るのではないでしょうか。女性読者はどう見るのかな? この個性と意志を持った二人が、この小説の背筋をピンと伸ばしていると思います。 遅ればせながら★5つを捧げさせていただきます。 | ||||
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表現技法が面白く、眠る為に購入したつもりが、ぶっ続けで読んでしまいました(笑) 購入して損は無いと思います。森見先生が執筆されている他の本も読みたくなりました。 | ||||
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初めて、この作家さんの著作を読みました。 この「圧倒的な筆力でもって、くだらないことをSFチックに書ききる」感じが、 火浦功が好きだった私にはツボでした。「超高性能な亀の甲束子」とか(笑)。 火浦功の新作が読めないでいる現在、この方に注目してみようかな。 | ||||
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出会いを求め、私も夜の街にくり出したくなるそんな小説でした。 | ||||
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小説の内容自体はとても面白かったです。文体に凝った感じで独特の世界観がありました。 後半になると独特の文体の引き出しがなくなってしまったのか、若干普通の青春小説になってしまいました。 それはそれでさっぱりして良かったです。 ただ、この小説を読んで「私も不思議な雰囲気の女の子になりたい」と考える女子大生がいるんだろうなー、と 思うと苦々しい気持ちでいっぱいです。 なので☆を二つ減らしました。 | ||||
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僕が大好きな街、京都を舞台にした少し不思議な引き込まれる文体の小説。 アニメ「有頂天家族」を見て森見登美彦氏に興味を持ち本書を読んだ。 練りに練られたストーリーに、天狗や達磨など森見さん独特の世界観が重なりスラスラと読むことができた。 本書では多用される「オモチロイ」や「ぬくぬく」など、どこか暖かみのある文章と、難しい漢字を沢山使った教養のある文章がより一層面白さを引き立てているように感じた。 この本を読んで、やっぱり僕は京都が好きだと再認識したしできることなら京都大学に入って出町柳周辺で暮らしたいなと思った。 しかし、生憎そんな学力は持ち合わせていない。 そんな戯言はさておき、本当に面白かった。 是非、森見作品はもう数冊読んで見たいと思う。 | ||||
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