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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 821~840 42/52ページ
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心の奥深いところを揺さぶられるような感覚を10代の時「ノルウェイの森」を初めて読んだときに味わったけど、今回もまた読んでる間、ずっとそんな感覚だった。決してなくならない存在し続ける過去と向き合うということについて。 FacebookやGoogleとか、人々についての情報に囲まれ、その気になればそれらの情報を簡単に取り込むことが出来る時代なのに、僕らは人々について本当は何も知らない。まさしくその通りだ。なにより、本当の自分自身のことさえ。 | ||||
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他者の「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」の読後感・書評などの情報を避けて,今,読み終えました。 手元にある資料によると「国境の南,太陽の西」が刊行されたのは,1992年。それから21年経っての新刊「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」。 「国境の南,太陽の西」の主人公の名前は「はじめ」。「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」の主人公は「つくる」。 「国境の南,太陽の西」にはじめ,「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」をつくる。 春樹さんの作品の中で初めて涙を流した作品が「国境の南,太陽の西」でした。「国境の南,太陽の西」(文庫P291)あたりから,文にマーカーを引きながら涙しながら読んだことを覚えていす。実際,その文庫のそのあたりのページは当時の涙でしわしわになっています。 今回の「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」はP279の16章からが,本番でした。春樹さんの作品の中で涙を流した二作目の作品となりました。 「国境の南,太陽の西」は,隠れたファンが多く,おそらくは,その傾向を持った方(ナカタも含めて)は,この「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」にも心打たれた方は多いと推測します。 特に16章から,最終まで,メッセージ性も強く押し出され,また「はじめ」が21年経って得た「つくる」の姿が,そこには見出されます。明らかに視野の広がりが見てとれます。 「なんらかの問題を抱えた読者への援助」作品がこの2作品に当たると推測されます。 16章からは,もう一度,読み返します。 [・・・] | ||||
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村上作品の中でもっとも近いのは、「国境の南、太陽の西」だと思います。未解決の過去を辿ることによる償いと巡礼の物語であり、とてもパーソナルで静かな小説です。 本来は、一週間で100万部も売れるようなタイプの小説ではありません。時代的なタイミングやプロモーションの成果によって爆発的に売れていますが、そういう瞬発力とはまったく無縁の内容です。 本書で初めて村上作品を読んで抵抗を感じたかたもいるでしょうが、村上氏の著作は、個人の内省に深く踏み込むためにそのモノローグがナルシズムに映ったり、登場人物やプロット自体が暗喩的に使われるためにそのとらえどころのなさが小賢しく感じられる部分があると思います。著者のファンである自分でさえ時々そう感じますし、そのスタイルは本作でも変わらず繰り返されているので、過去に村上作品に幻滅したかたには合わないでしょう。非常に人を選ぶ小説です。 村上作品は、内省に踏み込むのが気恥ずかしいかたには全く合わないだろうし、優れたミステリーのようなプロットの整合性や解決を期待するかたには応えられないと思います。緻密かつボリュームのある人物描写がなされないとリアリティを感じないという人、非科学的・ファンタジックなプロットを許せない人にもおすすめできません。 にもかかわらず、村上氏の著作が多くの人に愛されているのは、客観的な事実や解釈をダイレクトに読み手に提供するのではなく、一見は漠とした暗喩の積み重ねによって、孤独や哀しみの輪郭を「読み手それぞれの経験と解釈の中に」浮かび上がらせることができるからでしょう。それはダイレクトに核心を突いた表現と同等に(あるいはそれ以上に)困難かつ高度な表現のはずです。それが村上作品を村上作品たらしめている類いまれな特徴であり、また最大の弱点にもなっている気がします。 「薄っぺらな著作にコアなファンが群がってそれぞれが勝手な解釈で過大評価している」と断じるか、「読み手それぞれが持つ孤独(読み手の経験)に形を変えて寄り添うことができるために世界中で幅広く愛されている作家」と見るか、村上氏の評価はそこで大きく二分されると思います。暗喩に共鳴する部分がなければ前者になり、あれば後者になるでしょう。 もし後者であったなら、その共鳴は読み手の成長や経験によって変化し、将来まったく違う輪郭や解釈を与えてくれます。時を経て再読するたびに読み手と村上作品との絆が深まるのは、そうやって小説が読み手の人生に寄り添い続ける力を持っているからです。そういう村上作品の素晴らしさを自分はずっと実感してきましたし、本作でもそれは失われていないと思いました。 今回はユーモアが控えめであり、登場人物たちの台詞や比喩がみずみずしく、三人称表現であることも相まって、透明感のある独特の作風になっています。特に、巡礼の最後にクロと再会した場面は情感深く、胸を打たれました。ただ、以前の著作と似ているプロットの頻出や、全体的にやや冗長で荒削りな印象(特に最終章が…)があることから、世界的に評価されている過去の著作には大きく及ばなかったと感じます。 また、1Q84で総合小説的なアプローチを見せたあと、小説を通じて次に何を語ってくれるのかを期待していたら、初期の著作に類するような非常にパーソナルな作品が出てきたことには、かなり残念に思う部分がありました(自分は震災後の日本社会に対するコミットメントをもう少し期待していたので)。村上氏の翻訳による海外の小説「極北」はちょうどそれに応えるような作品だったので、本作が不満だった村上ファンのかたにはそちらををおすすめしたいです。 | ||||
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5時間ぐらいで読み終えました。あとがきがないのでPart2も出版されるのかな?と思いましたが、とりあえず読後の感想として一番に感じたのは、レビューのタイトル通り『これなら古本で購入しても良かったかな?』というのが素直な気持ちでした。 今まで村上さんの作品は(エッセー数冊、対談を除いて)全て読んで参りました。作品後との好き嫌いははっきりしていて、幾度も読んでしまったのはハードボイルド〜、クロニクル、羊〜、1Q84、国境の南〜等々。ただ、この『色彩を持たない多崎つくる〜』は灰田さんが妙に気になっただけで、主人公のつくるに関しては、今までの主人公とほぼ同じ人間像で、それだけでちょっと食傷気味になってしまって。(P231後半からP232前半部分につくるが自らを表してますが、) それ抜きでは村上さんご自身は話が進められないのかもしれないなんて思ってしまいますが、こちらの居心地の悪さに拍車を駆けるのが例の性描写です。パターンが一緒。(でも今回はそこに年下の男性も入って来ましたが)これはパターンが変わればいいとか、そういう話ではなく、自分が女だからかもしれませんが、ノルウェイでの性描写から、あまり成長してないなという感想だけで、これって必要なのかな?と毎度首を傾げてしまいます。 これが村上さん流の表現方法であり、個性であると言う方もいらっしゃるかもしれません。 ただ個人的には、今回は才能の無駄遣いをされてる気がして残念に思いました。 | ||||
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この作品を読み終えた時、毎回、村上作品に対して感じる特有の読後感を 得ることが出来たと同時に、この作品は評価が別れるだろうと感じました。 メタファーの多用により、プロットとして完結していないと感じる読者も 相当数いるのではないかという危惧です。 しかし私の中では近年の最高傑作だと思います。 『国境の南、太陽の西』と作風は似ていますが、こちらの方では余りにも ポストモダン的な要素が前面にあるのが読みとれて、途中から「うん?」 って感じでしたが、本作は古典的なものに回帰してると思います。 平易な文章で、毎回村上作品に出てくる性描写も奥深かったです。 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という題名で、最初から 内容全体を提示したことも面白い試みだと思いました。 本の内容は繊細多感な時期に仲間から外され、それ以来、自分には主体 (色彩)がないと感じている主人公が、その抑圧した過去を、一人の女性と いう触媒により巡礼なるものを行う。 そこで、ある種最初からストイック過ぎる破壊性を包含している男3人 女2人のグループの”イマ”を眼にする。 その作業を通して、主人公の主体と魂が結合され、人を愛することが出来る ようになるというものでしょうか。 ただ、本作品の異様な熱狂ぶりには違和感を感じます。 昨年、村上氏が成し遂げた、レイモンド・チャンドラー作『大いなる眠り』 の翻訳という日本文学界における素晴らしい業績と、余りにもかけ離れて いるからかも知れません。 (同作品は、私が読んだ当時、絶版されていて、古書でしか手に入れること が出来ませんでした。村上訳は、まだ読んでいないのでGWの楽しみにして います) | ||||
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こちらのレビューを見ていて、 「わざわざ読んで悪口を言いたい人たち」 が世の中には沢山いるんだな〜 と笑ってしまいました。 共感出来るところも多かったし、魅力的な小説だと思うんですけどね。 | ||||
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村上春樹作品はほぼ全て読んでいます。 なので今回も期待して購入したのですが、正直ガッカリ。。 かつての作品に見たことのあるモチーフがいくつか出てきていて、 それは春樹作品ではよくあることなのでまあ良いとしても、 「なんか似てる…」という思いの方が強く、それを上回る感動がありませんでした。 個人的には「世界の終り…」「ねじまき鳥」のような非日常の世界観を描く作品がとても好きなのですが、 今回の作品は「ダンス・ダンス・ダンス」「1973年のピンボール」に傾向が似ている感じ。 日常の中で葛藤する青年を描くスタイルが、私には共感できない点が多く… 時代背景とか(いまどき一人暮らしの恋人に連絡するのに固定電話へかける人はいるのだろうか)ちょっとハテナなところもモヤモヤです。 できるならぶっとんだ設定にしてほしかった!!! ただ、村上ファンだからこその辛口です。これが村上春樹作品でなければ、もっと高い評価。 そのくらい、読ませる力はあると思う。 | ||||
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村上春樹の小説は、読む者の五感を刺激する。心を空っぽにしてその世界に没頭する。想像を膨らませ、現実と非現実を行き来する。そのようにして私は村上春樹の小説を長年堪能してきた。今作品も満足している。村上氏とそう大差ない年齢層の私でも、容易に主人公の孤独、絶望感に共感できた。終盤の、迷宮のような新宿駅の描写と、9番線ホームの電車を眺める主人公のくだりで、現実の世界に引き戻された。 | ||||
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評判なので発売日に買ってみました。ちなみに村上春樹の作品は初めて読みました。 「人の何気ない想いや行動を文章で表現するとこうなる」という表現力には初めは感心しましたが、なんと理屈っぽい!理屈っぽくしないと表現できない点に気がついたら、逆にこれは作者の表現力のなさなのではないかと思うようになりました。どうしても心にすっと沁み込むような文章ではなく、言葉の遊びに近いように感じました。 さらにいくらフィクションとはいってもストーリーも登場人物もリアリティに欠け過ぎる内容で、中身は空っぽで読後感も悪かったです。 村上信者以外の方は読んでも不愉快になるだけと思います。お読みにならないことをお勧めします。 | ||||
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村上春樹のインタヴュー集、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』のなかで、 村上春樹お気に入りの「カフカのエピソード」が語られています。 カフカは人形を無くして悲しんでいた見知らぬ少女のために、三週間にわたって人形からの手紙をその少女に送り、 彼女の悲しみを癒そうとします。 カフカからの手紙を通じて、 少女は「人形が無くなったという無秩序から、人形が無いという新しい秩序へと移される」のだそうです。 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も完全な調和を持つ世界を無くした状態(無秩序)から完全な調和を持つ世界が無いという新しい状態(秩序)への移行を描いた物語ではないかと思います。 主人公は以前あった友人たちとの心地よい世界を理由もわからないまま失うことで、心に傷を負います。 そして、自分でも気づかないままにその傷を引きずって大人になります。 この傷を癒すためには、主人公は彼が昔の心地よい世界を失った理由を知らなければなりませんでした。 そのために彼は旅に出るのですが、それが彼の「巡礼」です。 大切なもの(人)を失うことで、死に至る、あるいはそれを克服する、という物語は村上春樹によくある展開ですが、 この作品も同じ枠組みを用いています。 この作品の主人公とその友人たちで形成される完全に調和した世界はいずれは失われる運命にあります。 それは私たちがいつまでも子供のままではいられないということなのかもしれません。 主人公は自己充足した世界を理不尽にも奪われ、そのことを受け入れられず傷つきます。 しかし、ある女性(他者)との出会いから、過去の傷と向き合い、それを受け入れることで、成長をとげ、 前向きに生きることができるようになります。 その過程で主人公は、彼が失った世界に関するいろいろな事実(真実?)を知らされます。 そして、そのことによって、彼が負った心の傷を相対化してゆきます。 主人公は自分の過去に関して新しい物語を作ることで、 悲しい過去に縛られていた自分には持てなかった、 未来(他者とともに生きるという生き方)を持つことができるようになります。 しかし(したがって?)、その未来も必ずしも美しく、希望に輝くばかりの未来ではありません。 それでも主人公はそんな自分の人生を生きてゆこうと決心する物語です。 ひとりの個人の中に善と悪が入り交じり、簡単には分けることができない。 どちらも引き受けて生きてゆくしか無いという物語としてわたしは読みました。 いいかえれば、自己充足した世界が失われた、という認識から自己世界を構築しなければならない、 という認識に至る物語、つまり他者とともに(他者のために)生きなければならない、という物語として読みました。 要するに、典型的な成長物語といえるかもしれません。 村上春樹作品にはよくある?展開だと思いますし、わたしはこのような物語が好きです。 (だからそのように読めるのかもしれませんが。) ただ、いままでの作品よりも落ち着いた、暗い?、印象を受けました。 村上春樹作品のユーモラスな雰囲気を楽しみたい方にはやや不満が残るかもしれません。 個人的にはそのてんで今一歩な感じがしました。 (『ノルウェーの森』でさえ独特のユーモア、登場人物間の楽しめるおしゃべりがありました。) それでもわたしはこの作品を楽しめました。 そして、次に発表されるであろう?超長編?がどのようなものになるのか、楽しみになりました。 この作品は、万人向けとは言いがたいかもしれませんが、 これまで村上春樹作品を楽しんできた方には、今までとはやや違った意味で楽しめるのではないでしょうか。 | ||||
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「中身はどうでも、仕組まれたファッションの中での付和雷同の渦に巻かれ、世の中に遅れていないと感じさせて貰える村上春樹の狂騒の幸せ」というものですよこれは・・。とても文学というレベルで話せる中身の本では無いです。初期を読み、間であきれて、さて有名になった最近はと買ってはみても、またまたくずかご行き。半数以上の読者はあきれていますよこれは・・・出版社も作者ももっと世の中に対する姿勢を正して欲しい・・読者がわるい〜〜?AKBだよこれじゃあ〜〜〜。 | ||||
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じんわりと耳を澄ませて、つくるくんの過去の傷みを想像しながら読みました。 自分にもあった、過去の突如として(自然消滅か意図的か!?)起こった人間関係の断絶など想い出しながら読みました。 つくる君は新しい他者との交わりの扉を開けようとしているんだな・・・と、救いを感じる(諦観も)読後でした。 追い詰められたシロは、「ノルウェイの森」の主人公の彼女に似ていました。 またクロは、大地に根を張るような、希望の存在である、「ねじまき鳥」のミドリを想起させます。 登場する女性陣は誰もが、崇高かつ神秘的で、魅力がありますね。 ところが、男性陣は謎の部分が多いです。 唯一、アオは、高級車のディーラーとして現実社会に生きる一般男性のモデルを感じました。 気になるのは、アカ、灰田君、そして極めつけは。。灰田君のお父さんです。 アカの生き方はどこか、矛盾を抱えている。社会的に成功しているのかやましいのか?建前と本音が解らない生き方をしています。 灰田君はすごく中世的で象徴的。つくるくんが成長するまでに絶対的に必要な存在だったのかもしれません。 灰田くんは、つくるくんの形にならない欲望、心底まで見通す、鋭い感覚を持った人ですね。 中でも灰田くんのお父さんはどうなったのでしょうか・・・あまりにも謎で研ぎ澄まされている緑川とお父さんの出会い。 いつまでも余韻を残す存在です。灰田くんのお父さんの行方が気になるので、もやもやしてしまいます。又、読みますね。 | ||||
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とても面白かった。こんなに面白い本は久しぶりに読みました。 ねじまき鳥の頃の文章に近いものを自分は感じました。 1Q84を読んだ時に「村上春樹はもう現代を描かないかもしれない」とちょっと思ったのですが、杞憂でした。 とても同時代性のある物語で、リアルです。ラストがとても良いです。 どうしてこんな話を思いつけるのでしょうか。凄いことです。 | ||||
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まったく何も感じませんでした。 あえて言うと『あぁ時間を無駄にした、他に溜めている本読めばよかった』と思いました。(失礼ですが) 自分はハルキストでも何でもなく、とりあえずこれまでの作品は一応読んでいます。 毎回思います。 『正直ここまで長い文章にしなくてもいいよね』と。 新しい作品ごとにこの気持ちは強くなっていたのですが、もう次は読みません。 何の偶然がタイトルからして長いので余計イライラしました。 ノルウェイの森は良作だと思いますが、それからブームだのと氏を特別扱いしすぎです。 ここまで売れる理由も、メディアの異様な騒ぎやらネームバリューがほぼ・・・ではないでしょうか。 一応世界的に評価されている方ですし伝わる人=ハルキスト?には伝わるのでしょうが、本を出す度に落ちてるなぁ〜と感じます それでももちろん並の作家ではないことはわかりますが、前述の通り次回作は期待もしていませんし読みません。 私の頭が悪いだけかもしれませんが、理解するのは敷居が高いように思えます ハルキストと言われている人には☆5かもしれませんが、それ以外の人は読む価値はありません。 もっととっつきやすく、感慨深い作品はあります。間違いなく。 | ||||
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不満をぶつけているレビューの皆さん。 あなた方、わかっていないな。 村上春樹を読んでいる、有名で外国でも売れていて、バスや電車や会社で読んでいて恥ずかしくない、むしろ「見て、村上よ!!」ってテイストで楽しまなきゃいけません。 私はクックやキングやルヴィンやスコットカードが大好きですが、彼らを読んでいても大半の人は食いつかない。そこいくと村上春樹さんは食いつかれますよ。 しかし私は彼の作品が全く面白くない。 今回も名前に色を入れたり安易に殺人を作品のスパイスにしたり、気色悪いエロティシズムもムカムカして受け付けない。 けれど、村上春樹の作品を読んでおけばとりあえず本をあまり読まない人との会話の潤滑油にはなる。 そう、村上春樹の本は内容が問題じゃない。 「村上春樹を読んでいる、文学的な私」 という雰囲気に酔うものだろう。 ちなみに、ノーベル文学賞は取ってほしくない。 余りに内容がつまらないから、そこまでは認められないからだ。 | ||||
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とても大好きな村上氏の作品の中では残念な低評価ですが、小説としてはスラリと読み終えたので☆は3つにしました。 何が残念だったかと申しますと、心を鷲掴みされるような魅力的な登場人物や、つい笑ってしまうような会話のやりとり、鼓動が高まるような場面や、驚きと衝撃を感じるような不思議さが無かったからです。 リアリズムよりも上手い嘘を。完結した物語性よりも受け手に託すことを。そのような今までの作風が好きだから残念に感じたのかもしれません。 逆に言えば今までと違った作風を楽しみきれなかっただけの、勝手な村上像を拵えてしまった自分にも原因はありますが。 良い点で言えば、一貫したストーリーラインに乗せて多様性をシンプルに描写しており、”ぼくの物語”ではなく誰にでも起こりうるそしてそれは幾重にも時間とヒトを紡いだ結果”かれらの物語”という、「孤独と喪失」を命題にしながらも社会を大きく土台に敷いてあることが多くの気づきを育む要因になっていることかなと。 氏の目標のような言い方を何度かしているるつぼのような総合小説へ向けたひとつの作品として、今回のようなリアリズム性や3人称の追求は必要な過程であるとも感じた。 | ||||
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村上春樹氏の作品をすべて読んでおり、今回の作品も発売されてすぐ買い一週間程度の 時間をかけてゆっくり読みましたが「中途半端でなんだかなあ」というのが正直な感想 です。(以下ネタばれを含む) 仲良しだったグループからの一方的な追放とそれを契機とした死への憧れ、別人に変わっ てしまいもう戻れない自分、それらは多かれ少なかれ多くの人に訪れることであり、そ の苛烈な経験は非常に共感できた。そして、それらはおそらくはバブル経済以後の長期 経済低迷や阪神大震災、東北大震災および福島原発等の未曾有の災害の経験を抱えていか ねばならない、もう戻れない日本の我々の苦しみを暗示しているのだろう。 しかしながら、死を深刻に考えた多崎氏がなぜかかつての友人と会うと大人でクールな ヤレヤレ的な態度に終始しまるで他人事のように簡単に許してしまうことはリアリティー がないように感じた。昔の友人との再会についての描写が淡白で中途半端に感じてしま う。ましてや濡れ衣を着されているのにもかかわらず、自分にも本当にそのよう な行為に及んでしまう可能性があった等、繰り返し村上作品で登場するおなじみのモチ ーフ等の登場により素直に納得してしまう事など、本当に自殺を考えるくらい悩んだ のかと疑いたくなる。 また、多くのレビューが指摘しているように内容に中途半端なものが多すぎる。 灰田とその父親の部分(灰田はどこへ消えたのか?)、洗脳的なビジネスをするように なってしまった友人について、ガールフレンドとの結末等、そのどれもが結論を見ず 放置されてそれを読まされるほうは困惑を禁じえない。結局なんなの、どうなったの?と。 せめて最後のガールフレンドとの結末については、キチンと書いてほしかった。 私自身も、はるか昔の学生時代におなじような経験がある。心が殺されるような経験が あり、それは自らを別人に変えてしまったしその後の人生を大きく変えた。 個人的な苦しみと和解することはありえないだろうし、多くの災害の被害者の苦しみも 今なお続き、回復への道はまだまだ遠いだろう。多崎氏とは異なりそんなに簡単に和解 できないだろう。 | ||||
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まるでチャイコフスキーの交響曲のような小説です。 ゆっくりと穏やかにそして強く深い。 今までの作品も好きですが、違いはあるにしろ紛れもない村上作品であり、この作品も好きです。 ノルウェイの森は好きとか嫌いとかずっと意見が分かれ語られてきましたが、この本も同じように語り継がれる作品のようにも思われます。 | ||||
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2度と同じ日は繰り返さないという不可逆性。でも昨日と同じ日が繰り返すと錯覚して僕らは生きている。錯覚なしには生きられない。 複雑に絡み合った関係性の狭間。そこだけが自分の居場所であるという覚悟は、過去になった日々が全て消え去りはしないと思い込むからこそ持てるのだろう。 不可逆な人生にささやかな希望が見えた。 | ||||
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村上春樹の「主張」はとてもよくわかる。わかりすぎて、つまらない。 特に作品尾ハイライト(クライマックス)がひどい。 「そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。」(307ページ)を中心とした2段落。 これは「作品の自己解説」であって、小説ではない。 [...] に長い感想(批判)を書いています。 合わせて読んでください。 | ||||
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