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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 781~800 40/52ページ
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大学生の頃からかれこれ15年ぐらい村上作品を読んでいます。 彼の作品の中では比較的読みやすい方に分類されるのではないでしょうか? わたしたちは誰もが多かれ少なかれ、つくるくんのような、誰かに傷つけられたままの心を引きずっていて、それでもなお人と繋がることでしかその傷を癒すことはできません。 つくるくんは幸い、さらに出会ったことでその傷に気づくことができて彼なりにそれを受け入れるところまでできました。 さらを愛しているって最後に電話で告白するところがすごく感動したし、勇気をもらいました。 村上春樹の作品によく出てくる魅力的な中年の女性みたいになれたらいいなって、読むたびにいつも思います。カフカの佐伯さんとか。 | ||||
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多崎つくるはきっと身近にいる。個性的なアカもシロもクロもアオも灰田も私たちのなかの誰かなのである。もしかすると自分かもしれない。ページを繰るうちに登場人物のひとりひとりと同化または異化していく。この物語によって別の人生を経験することが出来た。私は村上春樹の熱心な読者ではなかったが次回作が楽しみになった。 | ||||
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村上作品はほとんど読んでいますが、こんなにつまらない作品は初めてです。登場人物の設定に新しいことがなく、使い古しのイメージがあります。ストーリーも300ページ弱の小説にしては、中身が薄いです。発売時の話題に流されて新刊を購入しましたが、こんなにがっかりするなら文庫本発売を待てばよかったと後悔しました。 | ||||
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日和ったね。ハグじゃないよ。ちゃんと射精しなくちゃ。そこから現実と夢がわけわかんなくなりながら、トークンとか6本めの指だとか骨壺とかがいろいろ混ざりあいながら夢と真実が曖昧になってうやむやになって実は自分死んでた〜wwwみたいなよくわかんない感じだったらよかった。 金持ちの独身貴族が新しい彼女に面白半分に過去の傷つっつかれたのをきっかけに、青春の思い出にケリ付けに行くってだけの話しで共感もなければ、摩訶不思議な世界観もなく、ただただセレブ臭が鼻についた作品だった。実は子供でもいるのかと邪知。 | ||||
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<一部ネタバレです> 村上春樹の数ある本のなかで、この本はとても「自分の話」だ、という気持ちになりました。 どちらかというと、僕にとって彼の作品は、主人公やその境遇に、あまり共感しないというか、身近に感じないケースが多い。 でも、それがマイナスなんではなくて、それはそれで面白い事が多いのだが。 だが、この本は、数少ない「自分の話」のように感じた。いや、間違いなく「自分の話」なんだ。 多崎つくるほどの、強烈な体験はないかもしれないし、境遇もかなり違うといえば違う。 でも、基本的な人生における、悩みや苦しみ、そして喜びは、とても重なると思う。 とても「身近」な話として。とても「現実的」な話として。 高校時代の、貴重で大切な友人たちとの、残酷な断絶。 そして16年後の再会という巡礼の旅。 思い浮かべる人は僕だけじゃないかもしれないが、 ジム・ジャームッシュ監督の「ブロークン・フラワーズ」が脳裏をよぎる。 中年男が、若かった頃の遊び女友達を、一人一人訪ね歩くちょっと楽しい異色ロードムービーだが、 友人がそのリストや地図を用意してくれるところなんか、まったく同じだったりする(笑) とても好きな映画だけど、村上春樹がマネしてイヤな感じ、などとはまったく思いませんが。 そもそもマネしたのかどうかもわからないけど。 ラスト近くでの多崎つくるの到達点の1つ 「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついている… …それが真の調和の根底にあるものなのだ」 そしてラストの想い 「僕らはあのころ何かを強く信じていた… …そんな思いがそのまま虚しくどこかに消えてしまうことはない」 カラマーゾフのエピローグのラストのような、あるいはブルーハーツのヒロトのような…。と単純に例えるのは良くないような気もする。 僕は多崎つくるの年よりさらに上になってしまったが、 この想いは、とても深くゆっくりと、自分の心にしみ込んできます。 人生の中での、自分の苦しみ、他者の苦しみ、他者への許し、そしてかつてあった希望のような美しい光。 とても丁寧に書かれた、現実的な人生の本だと思います。 | ||||
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アマゾンのレビューが面白くて購入。 あまりにも多くの人が本書についてのレビューではなく、村上春樹個人についての感想を述べているのが興味深い。有名になるというのは大変なことなんだな、と改めて感じる。 まず、リアリティやファンタジー、勧善懲悪や問題解決、そういったものの完全性を求めるなら、本書ははっきり言って読まないほうがいい。 本書の内容については、著者がすでに発表している小説と同じようなモチーフであることは疑いもないと思う。喪失感、孤独、愛とか。 今回はその喪失感や孤独の根源が、かつて存在した複数の友人との共同体により構成された「友情」に起因しているのが、目新しい部分。 主人公は、喪失感や孤独を和らげる方法として、その起因しているものから出来る限り距離をおくことで直視せず、また殻に閉じこもってきたが、 ある女性との関係の中、過去から目を背けるのではなく、自分の目で過去を確認し、それとともに自分の今を肯定する力を持つという物語。 同じような物語は今までもたくさんあるだろうし、特に目新しいこともないと思うけど、 人が人として生きていくためには、自分の過去をなかったコトにすることはできないし、自分と関係する他者をなかったコトにすることもできない、 という、すごく普遍的なテーマであるがために、同じような物語だと感じてしまうのかもしれない。 ただ、本書が個人的に優れていると思うのは、 同じようなモチーフの物語であっても、その幹と枝葉の構成がとてもスッキリとまとまっており、 枝葉に当たる部分もすごく興味を惹かれる要素がたくさんある、ということだ。 枝葉の部分に発生する物語は、興味を惹かれるのにとても曖昧になっており、 また、幹の部分の物語も結局は曖昧な状況で終了しているため、 読む人によってはすごくフラストレーションを感じるというのもよく分かるが、 結局は存在し行動し経験したことが人間を構成し、その行動や経験が次の行動や経験につながるものであり、 物語に書かれていないものは、読み手側が自身の経験から生み出される想像力に従って勝手に思いを巡らせればいい、 と割り切れるタイプの読者に向けた小説だと思う。 最後にすごくパーソナルな感想「繋がりは断ち切れないし、痛みは感じなければいけない。痛みを感じることで繋がりを感じることもある」 | ||||
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村上春樹は有名どころだいたい読んでますが、私の好みは 「海辺のカフカ」 「ノルウェイの森」 「1Q84」 そして本作、という順序でしょうか。 その辺お含みください。 本作も例にもれずメタファーがあちこちにちりばめられ、いくつかの謎は未解決のまま終わってしまいます。 1Q84は大衆にウケるように配慮されて構成された壮大な大河ドラマ的な感じがしましたが、本作は大作を作った後少し休養をとり、リハビリ的に書き始めました、という肩の力の少し抜けた感じがします。 登場人物の色彩と文中に現れる様々な色彩や、ものの形、社会に起こった出来事などがあちこちで少しずつメタファーの形でリンクされています。 それを読み解くのもこの人の小説のおもしろさではありますが、本作はメタファーがわざとらしくて鼻につくような印象です。 家族の絆、恋人の絆、友人の絆、そしてその喪失と痛み。 再生。 こういったテーマが彼の小説では一貫して取り上げられています。 本作は時代背景の作りこみ、キャラクターの設定、メタファーのつながり。 どれもつめが甘いように感じるのは私だけではないはずだ。 それは彼の作品に対する期待値が高いことの裏返しなのかもしれません。 やや残念な読後感です。 ★3つ。 | ||||
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何故表題に「多崎つくる」という人名が入らなければならなかったのか。 その問いにこそ、この物語の肝はあります。 東京と名古屋、無色と有色、そして匿名と実名。 物語で提示されるこれらの対比は、多崎つくると色のついた人間、というそれと重なります。 著者の作品の特徴として、高い匿名性が挙げられると思いますが、 本作の主人公・多崎つくるは自分のその匿名性にこそ悩み、もがきます。 本作が扱っている問題は、著者の作家性のそれと通じているように思えて、 興味深く読むことが出来ました。 | ||||
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読む手が進まない‥ なんだろうこのワクワク感の無さは? 今までの村上春樹作品ならどれだけ頁数が多かろうと関係なく終始集中して読めたのに、 今作に限っては全く話に入れないし、今までの作品と同じような主人公だが共感もできない。 結局、読み終えるのに大長編のねじまき鳥クロニクルの二倍以上日数がかかってしまった。 | ||||
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買わずに借りましたが内容は普通の小説で、 『ねじまき鳥クロニクル』の頃の面白さは無いですね。 握手券の無いAKBのCDという感じでしょうか。 話題性と「村上春樹」というネームブランドだけで売ってます。 もちろんこの本を持っているだけでモテるわけはないのでマスゴミに騙されないように。 騙されて買うのはミーハーだけだと思いますが・・・。 | ||||
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*ネタバレ注意!* 私は、村上春樹の本をほぼ読んでいます。そして、今41歳ですが、風の歌を聴けを高校か大学時代に読んで以来、新刊はわりとすぐに買って読んできました。(ノルウェーの森と1Q84は、少し経ってから読みました)子供二人を出産してからはほぼ読書する時間は皆無に近いのですが、今回、夫に寝かしつけを頼み、土曜の午後から夜にかけて一読しました。途中子供のお迎え、病院、ご飯の支度で中断しましたが。 まず、やはり村上さんはすごいなあと思いました。こうも一気に読み進められる、そしてぐいぐいと物語に引っぱりこむ力はさすがだなと思いました。 *ここよりネタバレあります.まだ読んでない方は、気をつけてください!* そして私自身は、きっと今、沙羅さんに近いタイプだと思うので、沙羅さんがでてきて、気になる部分を解決しようともっていってくれたことは、良かったなあと思う反面、他の3人の友達が、どうして誰も16年もそのことをつくる君に知らせようとしなかったのかが、うまく理解できないような気がします。また灰田君が、突然つくるの前から姿を消してしまった事にも何だか腑に落ちない思いを今、改めて考えてみると考えさせられます。でも、だからこそ、そういう疑問点みたいなことが、読者に考えさせるきっかけみたいなものを与えてくれるのだろうか。 そして灰田君のお父さんのお話もかなり印象的で興味深かったです。そして六本指の話もかなり気になりました。(夫の足の指が六本あるので。現実的には、骨が六本と言った方が正しいかな。) 駅についての描写の部分は、わりとはしょってしまったので、また読み返したいなあと思います。茂木さんがツイートしていた”特急列車が消えちゃった”という部分がわからなかったので、また再読したいと思っています。 ただ、他の方のレビューにも書いておられるように性描写みたいな部分が多々出てくるのでなんだかむやみにおすすめできないところが寂しいかなと思ったりもします。 でもやはり基本的に村上さんの文章の質感みたいな物が私は好きなんだろうと思います。 | ||||
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村上春樹作品の多くを読んでいる人なら、登場人物が出た段階で、彼らがどのような役割を担っているかはすぐに分かるだろう。 だが、分かったから何なのだ? 久しぶりの新作。あの春樹節を堪能出来ればそれでいいじゃないか! 私を含め、きっと多くの人がこのような気持ちで読み進めたと思う。 しかし、それでも胸に突っかかるものがある。 おそらく、私たちは、今作で出てきた登場人物の内面をより深く知る機会に恵まれていた。 それも、当の村上春樹作品を読むことによって、それを知っていた。 もちろん、物語が違えば人物も変わるので、何から何まで同じ人というわけではないけど、やっぱり「同じ種類の木なんだけど、今回のは幹が細いなぁ」という印象が否めない。 「巡礼」ってワードでちょっと期待値上げすぎちゃったかな? | ||||
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一般的に東日本大震災や原発事故と結び付け解釈する向きが多い。決して間違いとは思わないけれど、描かれている世界は、別にこじつけなくても人生を歩む過程である意味誰もが経験する普遍的なものではないだろうか。せつなくて、嬉しくて、涙が滲み出てきた。 | ||||
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村上春樹をめぐる欠落した身体、そして余剰な身体をめぐる物語。 『風の歌を訊け』には、欠落した身体の象徴として「小指のない女の子」が現れ、このたびの新作『色彩のない多崎つくると巡礼の年』においては、過剰な身体として「6本指」の逸話が登場する。そのどちらも自然ではなく、奇形である。しかし存在しない小指ではなく、切断できるし、また優性遺伝でもある奇形である。その欠落でない不具に関する物語が、主要なテーマである。たいていの場合は、機能しない段階で親が切除する指である。 その6本の「指」に呼応するように、ちょうど登場人物が、高校時代の時間面にアオ、アカ、シロ、クロ、そして「つくる」の5人。そこに大学時代には「灰田」、三十六歳の現在に「緑川」という別の時間面に登場する2人が現れる。 ぜひ6本指に着目して読んでみてください。 | ||||
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人生には2つの位相がある。1つ目は「生まれて、生きて、死ぬ。」それだけだと言う人もいる。 そして2つ目の位相は「友達と喧嘩した」「恋人と別れた」「仕事をして評価された」 「自分じゃない誰かが死んだ」などの日常にあふれる事件や事柄とともに感じる位相。 だいたいの人は、こちらの位相を生きている。 どちらも人生の姿だし、どちらも真実だ。 村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、簡単にいうと、 主人公の多崎つくるがその狭間を生きる物語だ。 ストーリーとしては、彼がインタビューで「短編小説を書こうとした」というだけあって、 すごくシンプルだ。ひとりの男が己れの過去を紐解くために東京、名古屋、フィンランドを旅する。 過去に理由も分からず強引に関係を終えさせられた(作中では、切られたと表現している) 自分の友人を尋ね歩き、その理由を聞きにいく。その過程で当然、主人公は過去の自分と対面する。 そして、それを聞き終えたとき、はたして自分にどんな変化が起こるかを夢想する。 一遍のロードムービーのように読者は主人公とともに短い旅をすることになる。 その旅が気持ちいいかどうかは分からないが、旅に出て初めて得られる、 俯瞰で己の人生を見る感覚は、後半の読みどころでもある。 村上春樹の筆致の凄みは、その日常にあてる光の強烈な眩しさにある。 何か事件が起こっているとはいえないこの物語だが、私たちが普段見過ごしている 細やかな出来事や感情を無視せずに描く。 結局のところ人の個性を描くことは、それをちょっと好きか嫌いか、 それをちょっとしたいかしたくないか、……そんなちょっとしたことで表れる。 その積み重ねが人生という大絵巻になるのだとしたら、ちょっと面白い。 村上春樹は一つの位相を綿密に書くことで、もう一つの位相を読者に感じさせる ことのできる稀有な作家だ。 | ||||
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古くからの村上春樹ファンですが、今回ほどがっかりしたことはありませんでした。 内容が冗長すぎて、もう一度読む気になれませんでした。 次作に期待します。 | ||||
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読んでみましたが、これは何? これが偽りないかんそうでした。 昏昏とした現在誰もが漠然と生き、感じている中で、毎日の生活のなかにふと感じる,あのぽかりとあいた穴をふさぐような、自分探し。あまりにも大衆受けを狙った小説?エッセイ。こんな幼稚な文章、文体に踊り、感銘を受ける人読者が多いことがふしぎである。読まないと遅れる、そんな恐怖感。このような文体じたいあまりにも、読者を馬鹿にした小説ではないだろうか。時代が、著者自身、読者がそんな程度と考えて書いているのか。海外で読まれているというが、相当レベルの高い方が翻訳しておるので、かなり高度の解釈で翻訳されている,また哲学的階層で翻約している点が原作より翻訳のほうが勝っているのではないだろうか。むしろ英文で読むのがが村上春樹らしいのでは。 | ||||
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(一部ネタバレあり)登場人物といい、筋といい、世界観といい(そこそこ収入があってなぜか女にもてる自意識過剰の独身中年男の自分探し)、変わり映えのしないものだった。これまでに村上春樹の代表作を何冊か読んだことがある人は既読感が邪魔をしてすんなりと入っていけないだろう。初めて読んだ人は、なぜ村上春樹が世界的な作家といわれるのかわからないと感じるだろう。 物理的な意味では読ませる。『1Q84』もそうだったが、没入しなくてもどんどん読めてしまうのだ。そういう小説はめずらしい。村上春樹なんだから、この先なにかあるだろう、という期待感で読みすすめるというのもあるが、「ありそう」な感じを出しながら話を展開させていくストーリーテリングは本当にうまい。単純な筋なのに構成が甘く、伏線が回収されていない(というかする気がない)のでフラストレーションを感じつつも、あるいはこの本は自作への序章?……などと、読む方が先回りして考えてしまう。そこまで織り込み済みで書かれたのであればメタレベルでの面白さはある。 深読みついでいえば、良い意味で読者を裏切るような新たな試みをせず、「村上春樹っぽさ」だけが濃くて内容が一見薄い作品をあえて書いたのは自身の「多崎つくる」性の表現であったととることは可能である。多崎つくるは自分が空っぽで色を持たないことにコンプレックスを感じている。 「僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。そのことがずっと昔から僕の抱えていた問題だった。僕はいつも自分を空っぽの容器みたいに感じてきた。入れ物としてはある程度形をなしているかもしれないけど、その中には内容と呼べるほどのものはない」 しかし物語の終盤においてはそれを自身のアイデンティティとして引き受ける覚悟を決める。「空っぽの器」は「乗り物」を想起させる。結局のところ、作家の仕事とは駅を整備するだけで、電車に乗って好きなところに出かけていくのは読者である。つくるは言う。 「もし駅がなければ、電車はそこに停まれない。僕がやらなくちゃならないのは、まずその駅を頭に思い浮かべ、具体的な色と形をそこに与えていくことだ。それが最初に来る。なにか不備があったとしてもあとで直していけばいい。そして僕はそういう作業に慣れている」 沙羅の言葉を借りると、村上春樹は「すぐれたエンジニア」としての作家を目指しているとも読める。作家という仕事を「乗り物」と「駅」をつくることであると定義すれば、今回の作品がなぜ誰が見てもそれわかるような「過去の焼き直し」にして提示したことも確信犯的な行為に思えてくる。読者はこれを読んで、変わりばえがしないとか、思っていたのと全然ちがった、次作はもう買わないなどと言うだろう。こうしたかたちでの疎外は、「六本目の指」という余計な才能、感性をもって生まれた者の宿命であるとあきらめざるを得ない、と言っているようでもある。 「おれは結局のところ、一人ぼっちになるように運命づけられているのかもしれない/人々はみんな彼のもとにやってきて、やがて去っていく。彼らはつくるの中に何かを求めるのだが、それがうまく見つからず、あるいは見つかっても気にいらず、あきらめて(あるいは失望し、腹を立てて)立ち去っていくようだ。/自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない/結局のところ、人に向けて差し出せるものを、おれは何ひとつ持ち合わせていないのだろう」 もし多崎つくるが作家という仕事を象徴しているのだとすれば、その奇妙な名前の謎もとける。つくるは「作」と書く。これは作家の「作」ではないだろうか。この一字について表現するためにの作品であるとすれば、伏線や筋などは借り物でも使い回しでもなんでもいいわけだ。というかむしろそうあるべきなのだ。父親が「創」ではなく「作」という字を選んだことを、主人公はこのように言って感謝している。以下の一言は、本書から読み取ることができる「作家=エンジニア」説の裏付けともいえるだろう。 「『多崎創』よりは『多崎作』のほうが間違いなく自分の名前として相応しい。独創的な要素なんて、自分の中にはほぼ見当たらないのだから」 そうやって割り切ったとしてもまだ残る伝えたいという欲求。それが、ひび割れた古い壁から水が染み出るようにこの作品全体を覆っている。 「それは一人の心と、もう一人の心との間の問題なのだ。与えるべきものがあり、受け取るべきものがある」 この本を読んで真っ先に感じたのは、トラウマ、友情、恋愛、本書に描かれているそれらはすべて他の作品と置き換え可能な素材と一見してわかる作品であることだった。小説としてはつまらない。でも、あえてそうしたものを組み合わせた作家論として読めば、とても面白い。 | ||||
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村上春樹さんの物語には、物語が無い。そう誰かが言っていましたが、自分もかなり同意です。私たちは彼の本を通して、唯唯彼の独特な世界に触れることが出来るだけなのです。そして、その世界が移り行く描写に引き込まれてしまうのです。最近では、同時代に生まれていて良かったと思える随一の作家と呼ばれる程、村上春樹さんの著作への世間の注目度は、彼のApp*e製品並に高まっていますよね。そこまで人気が出るとレビューも高から低まで様々です。そして、レビューを参考にする人ももちろん大変ですが、レビューを書く方も大変です。なぜなら彼の作品は一見難解ではない文章で出来ているにも関わらず、実はかなり深いところまで語られていることが大半です。そして、それをいちいち批判的に読み解くにはそれなりの知識とセンスが求められるので、自分のような素人にはまだまだ無理です。では自分はどう本書をレビューするかというと、ただ直感的に好きか、嫌いかで判断することにします。自分は素人読者なのでね。で、結論は、大好きです。 | ||||
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マスコミが連日大騒ぎして、ヴォジョレーヌーボーのような扱いだった本著。自分もまんまと乗せられた一人です。 村上作品はデビュー作の「風の歌を聴け」がとにかくカッコよくてすっかりはまってしまい、それから全部読んでいますが 今回で完全にがっかりしました。 一言でいえば、主人公に全く魅力を感じなかった。終始イライラさせられました。 年上の女性に指示されるまで自分の抱えている問題について何も行動を起こさないし。姉がいたから年上の女性が落ち着く 云々は、一生甘ったれ坊やなんだなぁという感じで、ちょっと気持ち悪かったし。 大体、電話くらいサッサとでなさい。自分は非常識な時間に平気で電話するくせに、相手からの電話は「話したくないんだ」 と無視。36歳の設定が痛いんですよね・・・・。せめて大学生ならまだ共感できたかも。 いい歳した社会人が何やってるの、としか思えない。 そして思わせぶりに登場してその後一切出てこない、人やエピソードは一体どう処理すればいいのでしょうか。 これまでの作品ではここまでの放置はなかったような気がします。 主人公の悩みも、仲良しグループの悩みも、全てが薄っぺらく感じてしまいます。大体この主人公お金持ちのぼんぼんだし 母親や姉達に甘やかされすぎて精神的な成長が止まっているのでは? 主人公の恋人も理解不可能。もっともらしい理屈をこねても所詮していることは・・・・、そういうことでしょう。 もう村上節に乗れなくなってしまい、完全にしらけてしまいました。 | ||||
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